」→』 ひとりごちるゆんず 2007年5月
ひとりごちるゆんず 2007年5月
銘板
2007.5.1 火曜
前日に飛ぶ
http://yunzu.qee.jp/threedstudio/copages/htrgtr/htrgtr0705.html#LOG20070501
 この記事へリンクを貼る時は↑の URL をコピペしてね。

CNG(圧縮天然ガス)と BDF(バイオディーゼル)

おとといの、ディーゼルエンジン用の軽油の代替燃料の話の続き。おととい紹介した、軽油の代替として有力候補に挙がってるジメチルエーテル(DME)は、常温常圧で気体なんで燃料タンクの代わりにボンベが必要で、現行のディーゼル車料と互換性がないってのがちょっとアレだった。で、もう少し調べてみたら、あと2つ、代替燃料候補が見つかった。

CNG(圧縮天然ガス)

省略しないと "Compressed Natural Gas" ね。

これも DME と同じく高圧ボンベが必要なんで、なんかな〜と思ってたんだけど、実際に乗用車やバス用途で売られてるらしい。そうなりゃ話は別ですよ。気体を液化しないで、圧縮してボンベに詰めるだけだから、多分航続距離に問題がありそうだけど、長距離移動を考えない、日常的な使用だったらまぁ耐えられるんじゃないかと。

DME に比べて優れてるのは、天然ガスそのまんまを使うんで、DME みたいにわざわざ「製造」しなくていい→ランニングコストが安く上がるって点があると思う。DME の場合、まずメタノールを作って、そこから硫酸で脱水するわけだから、それぞれで手間賃がかかっちゃうもんね。そういうコストがかからないって点が買いだな。

あとは天然ガスステーションの配備が要になるけど、これ、いざやる気になったらけっこう簡単にできそうな気がする。ってのも、今、都市ガスって石油由来のガスから天然ガスにどんどん切り替わってるんだよね。だから、ガソリンスタンドに都市ガスを引いて、CNG 対応車が来たらそのガスを圧力かけてクルマのボンベに入れればそれでいい(んじゃないかと思う)。

まぁこの供給方式の難点としては、都市ガスにはいわゆる「タマネギが腐ったようなにおい」が添加されてるんで、昔のタクシーみたいに、微量に漏れた燃料ガスのせいで車内が微妙に臭くなるってことだな(今の LPG タクシーは添加臭なしの、無臭のままのプロパンガスを使ってる)。天然ガス自体はメタンが主体で、メタンってのは CH4 だから水素の割合がけっこう多いんで、排ガス中の二酸化炭素(CO2)の割合も少ないし、大気汚染物質も少なくてかなりきれいなんだけどねぇ。

ただ、メタン特有のやっかいな問題点もある。メタンって CO2 の21倍もの温室効果を発揮しちゃう物質なんですわ。燃えちゃった後は、メタン1分子から CO2 が1分子出来るだけだから、温室効果の倍率は1で収まってくれるんだけどねぇ。だから事故ったりしてボンベやバルブが壊れて天然ガスをナマのまま大気中にぶちまけたりすると、かえって大変なことになる。諸刃の剣ってやつだったりする。

既に実用化されてるし、きちんと使えば地球温暖化対策にも大気汚染防止にも一定の効果があるし、ランニングコストも安そうなんだけど、万が一のときに「CO2 の21倍の温室効果」を発揮してしまうってのがどうも気になるとこだな。

で、ボンベとかガス漏れ対策とか面倒なことをしなくてもいい代替燃料ってのがある。それが、

BDF(バイオディーゼル)

最後の "F" は "Fuel(燃料)" の F ですな。

よその都道府県じゃどうか知らんけど、我が青森県唯一の民放 AM ラジオ局がよくこのキャンペーン CM を流してる。排気ガスが天ぷらのにおいがしておいしそうだとかw 実際、揚げ物の廃油を使って作られてる。もともと捨てられてた廃物の再利用だし、食用油は大豆やナタネっつう植物由来なんで、大気中の CO2 濃度は変わらない。常温で液体なんで、現行のディーゼル車両や船舶でそのまま使える。しかも食用廃油から燃料への加工は個人レベルで出来るくらい簡単なんで、加工時の CO2 排出もコストもたかが知れてる。そのうえ軽油と違って硫黄を含んでないんで、排ガス中にも、酸性雨の原因である硫黄酸化物が含まれない。ついでに喘息や肺がんの元凶といわれる DEP(ディーゼル排気粒子)も出ない(らしい。DEP が出ないことについては事実未確認)。

なんか、ディーゼルエンジンを搭載した乗り物にとって、究極の燃料のような気がするんだが。

でもなぜかほとんど普及してないんだよね。キャンペーン CM でもどこで入手できるか教えてくれないし。どうも現状じゃ、小規模事業者が家庭から出る廃油を回収して細々と BDF を作って、契約した消費者にしか売ってないんじゃないかな。

けどよくよく考えると、大規模な食用油消費者ほど高い回転率で、食用油を消費・廃棄してるんじゃないのかねぇ。つまり家庭用途じゃなく、商用で食用油を使ってる業者さんたち。スーパーのお惣菜製造部とか、コンビニやケンタッキーのフライドチキンとか、ハンバーガー屋とか、食品加工業者とか(食用油って何度も加熱されて酸化が進むと、味が落ちるし健康にも良くないから、一般家庭よりかなり早い段階で油を取り替えてると思われ)。この食品・飲食関連業者さんたちからまとめて廃油を貰って、ある程度大きな工場で BDF を作ると、スケールメリットでより安く安定して BDF を供給できそうなもんだが。

これで軽油を全て駆逐できるとまでは思わないけど、軽油に混ぜてガソリンスタンドで売るってとこまでは行けるんじゃないのかねぇ。なんで今の世の中がそうなってないのか、ほんと不思議。

Wikipedia の「バイオディーゼル」に書いてあるけど、問題点として、BDF 生成過程で発生する副産物グリセリン(混入物あり)の有効な用途が見つかってないそうで。「その売却、処分が非常に困難な状況にある」とか。いやあの、これ、燃やせばいいだけの話なのでは? グリセリンは化学式が C3H8O3 だから、きれいに(変な排ガスなしに)燃えると思うんだ。単に燃やすだけでも、もともと植物由来の廃油なんだから地球温暖化に関係ないし、燃やすついでにガスタービンなり蒸気タービンなりを回して発電すれば、さらにいいのでは? 熱機関はサイズが大きいほどエネルギー利用効率が上がるんで、BDF 製造に大規模工場を用意するってのは、この意味でも理にかなってる。

おいらの素人考えが混じってしまって(グリセリンが燃えるかどうか知らないし。火をかざしても溶けて蒸発するだけかも。2007.6.20 追記:グリセリンは可燃性 だそうです。常温で固体または液体。燃料として使えそうな気がするなぁ)、本当はそんな簡単な話じゃないかもしんないけど、BDF 自体は、

っつう魅力だらけの燃料なんで、ほぼ全く普及してないとゆー現実が、ほんとに不思議で不思議でしょうがない。どっかのエネルギー系の会社がきちんと事業化してくれないもんですかねぇ。

仮に BDF が軽油を完全に駆逐した場合、ディーゼル排ガス浄化装置が要らなくなって、どんなディーゼル車でも自由に首都圏内を走れるっつうメリットが生まれたりもするんだがなぁとか、魅惑の BDF はおいらの妄想をいろいろかき立ててくれるのであった。

まぁ将来選ばれるのが DME でも CNG でも BDF でもいいんだけど、現行の軽油のまんまじゃいかんっつう認識は一致してるみたいですな。ああ、もしかしてこれがあれなのか。「総論賛成、各論反対」w 早いとこ最適な決着を付けてもらいたいもんです。道路沿線住民の健康のためにも、地球環境のためにも。

銘板左端銘板銘板右端

Wikipedia の「グリセリン」を読んでるうちに見つけたトリビア。ニトログリセリン が、爆薬であると同時に狭心症の薬でもあるのは周知の通り。で、これを利用して、テレビドラマなんかじゃ「病院で爆発騒ぎ」なんてのが設定されちゃったりするんだけど、Wikipedia によると、

一般にはニトロと聞いて爆薬を思い浮かべる人が多いため誤解があるが、 現在医薬品として用いられている物は硝酸イソソルビドなどのニトロ基を持つ硝酸系の薬品が主であり、 ニトログリセリンを使用する場合であっても添加剤を加えて爆発しないように加工されている。 そのため、医薬品のニトロをいくら集めても爆薬にはならないし、医薬品が爆発事故を起こすことはあり得ない。(下線ゆんず)

だそうだ。今までおもいっきし誤解してただよ。常識で考えれば、そんなわけないもんなぁ (^^;)

銘板
2007.5.2 水曜
前日に飛ぶ
http://yunzu.qee.jp/threedstudio/copages/htrgtr/htrgtr0705.html#LOG20070502
 この記事へリンクを貼る時は↑の URL をコピペしてね。

金田一温泉

ちょっと金田一温泉(岩手県二戸市)に浸かってきます。場所はあの座敷わらしで有名な 緑風荘。高校のプチ同窓会があるんで。

座敷わらしに会えるかな?w

銘板
2007.5.3 木曜
前日に飛ぶ
http://yunzu.qee.jp/threedstudio/copages/htrgtr/htrgtr0705.html#LOG20070503
 この記事へリンクを貼る時は↑の URL をコピペしてね。

普通の人間の叫び

金田一温泉から帰ってきました〜。

でさでさ、夜、酒盛りしてたら、廊下を子供が歩いててさ、帰る部屋が分かんなくなったのかと思って、友達が廊下に出て話しかけたんだわ(戸は開けっ放し)。部屋じゃ「おっ、座敷わらし出現か!? どははははは!」とか盛り上がってんの。したらその子供、

「僕は普通の人間ですッ!!」

死ぬほどウケた(爆)

銘板左端銘板銘板右端

朝の3時半まで飲んだくれてさ、8時に起きて便所にこもってたら、ケータイにメールが来た。別口の友達から「2時から花見やるぞ」。うげー。この花見ってそのまま夜は飲み屋になだれ込んで午前2時までの12時間耐久飲み会なんだよなぁ。このカンペキ二日酔い+寝不足の状態で、まともに完遂できるかどうかはなはだ不安。

とりあえずメールには返事を出さないでおいて、前日の酒盛りで手を付けないで余った酒を花見用に頂いて、うちに帰ったおいらだった。そのまま爆睡。

起きたら午後4時。なんかまだまだ寝足りなかったんで、花見の主催者に電話かけて、欠席のご挨拶を申し上げたよ。そしてまた爆睡。起きたの夜中の12時。もう昼夜逆転。それからうだうだしたり、本読んだりカップ焼きそば食ったりして、今この日記を書いてるうちに日が昇ってきた(現在、5月4日早朝)。

これからまた寝ようかなぁ。それとも起きてた方がいいのかなぁ……。

銘板
2007.5.4 金曜
前日に飛ぶ
http://yunzu.qee.jp/threedstudio/copages/htrgtr/htrgtr0705.html#LOG20070504
 この記事へリンクを貼る時は↑の URL をコピペしてね。

立体イトカワ

結局寝てしまった。二度寝、三度寝と繰り返して、最終的に起きたのが午後4時(またかい)。ゴールデンウィーク明けまでに生活リズムを戻せるんかい……。

で、起きて便所にこもってたらひとつ思いつくものがあって、即座に実行に取りかかったね。そして根性出して仕上げたのが夜中の12時ジャスト。何を実行したのか。それは、

小惑星イトカワの立体写真

の作成ッ!! ふんがーッ!!!

4月の25日にだね、宇宙航空研究開発機構/宇宙科学研究本部(JAXA/ISAS)が、小惑星探査機 はやぶさ が取得したサイエンスデータアーカイブをウェブ上で一般公開したんすよ。小惑星イトカワに関するデータがざくざく。で、「せっかくだから見なきゃな〜」とか思いつつ、「でもどうせ専門的でおいらにゃ意味不明のデータばっかなんだろな〜」なんて腰が引けてたんすよ。

んでもとりあえず今日はすることないし、もしかしたら具体的な画像データもいっぱいかもしんない。んでんでもしかしたら、イトカワの自転のせいで微妙に見る角度がずれてる、立体写真組を作れる組み合わせがあるかもしんない! そんなことを思いついて早速つないでみたら、あるある、ありまするぞ〜。ということで、7組の立体写真が作れることが判明したのだった。

これはウェブ立体写真家としても、はやぶさ萌えとしても、成し遂げんわけにはいかんでしょう。かくして一大プロジェクトは唐突に始まったのであった(いやマジで立体写真シリーズを作るのって骨が折れるのよ。今年の3月に撮った風景写真も、めんどくていまだに手をつけてないし。カメラから PC に画像を落としてもいないし)。

天体の立体写真って、月や太陽でトライしたことあるんだけど、なかなかうまくいかなくてね。月の場合は「秤動」と呼ばれる首振り運動を、太陽の場合は太陽の自転による黒点の移動を利用しようと思いつつ、いまだに成功してないのだ。望遠鏡で天体写真を自力で撮るのは大変なのじゃよ。

銘板左端銘板銘板右端

はやぶさ がイトカワの観測を始めた2005年秋以来、折に触れて何度となくイトカワの写真を見てきたけど、あらためて立体で見直すとこれがもう新鮮で新鮮で、鼻血出そうなくらいコーフンしまくりだったですよ。

銘板
2007.5.5 土曜
前日に飛ぶ
http://yunzu.qee.jp/threedstudio/copages/htrgtr/htrgtr0705.html#LOG20070505
 この記事へリンクを貼る時は↑の URL をコピペしてね。

『飛び出せ宇宙』

『飛び出せ宇宙』ってゆー、JAXA(宇宙航空研究開発機構)サポートの特別企画展に行ってきたよ。タイトルがなんか微妙にアレなんだけどw(宇宙が飛び出すのかよ、ていうか宇宙にかけ声かけてどーする、とかなんだかもう……)、とにかく行って参りました。

飛び出せ宇宙

場所は岩手県久慈市の久慈琥珀博物館。八戸からクルマで1時間半ちょいのところ(八戸市内の渋滞を抜けるのに30分かかったのだ)。10年ちょっと前に行ったことがあった。そのときは何も見ずにサクサク行けたと思った。でも一応、サイトのアクセスマップで場所を確認してから出かけたんだ。途中寄ったコンビニにポスターが出てて、アクセスマップが付いてたんでそれを一応ケータイカメラに収めてから、現地に向かったんだな。

で、予定の国道281号線に乗ってずーっと盛岡方面に行ったんだけど、それらしい看板がない。トンネルをいくつか通り越して久慈市を抜けようってあたりで、「こりゃあ絶対通り過ぎたな」と。で、戻ってみたらようやく看板発見。反対向きの看板も立てろよな〜。なんだかなーも〜盛岡方面から来る客ばっか気にかけて、八戸方面からの客は無視ですか。久慈は盛岡より八戸と経済的・文化的交流が深いんじゃなかったんですか。もちっと大事にしてくれよな〜。

ようやく現着。早速入場とともに質問。「写真撮っていいですか?」。即座に快諾を頂いたよ。ありがとうございます。旅立つ前には撮影 OK かどうか分かんなかったんで、デジカメ持って来なかったのよね。でもまぁいいや。ケータイカメラで撮るから。んでもうバシバシ撮りまくったですよ立体写真。主に衛星の模型や、種子島の打ち上げ施設のジオラマね。

実際に使われた宇宙服なんてもの展示してあったんだけど、立体写真としては面白くなかったんで、後で出す予定の新作立体写真シリーズじゃそこらはボツね。でももったいないからここで1枚出しとくか。

宇宙服

左肩に星条旗、胸に NASA のワッペン。でもところどころにロシア語が書いてあってさ。思うにこいつは、ロシア製の宇宙服なんじゃないかと。スペースシャトルじゃなく、ロシアのソユーズ宇宙船に乗ったアメリカの飛行士の宇宙服なんじゃないかと。

宇宙服

とのことだけど、どーなんでしょ実際。解説のおにーさんにそこらへんツッコんでみたけど、明確な答えは得られなかったよ(なんか「〜になります」って言い方が気になるなぁ)。

それにしても、今日行ってほんと良かった。企画展は7月8日までやるそうだけど、展示品の多くが明日いっぱいまでの契約で借りてて、以降は JAXA に返さなきゃなんないんだそうで。この企画展を知ったのは新聞でだったんだわ。で、「7月までならゆっくりしてられるな〜」とかのんびり構えてたんだわ。それでも何となく行きたくなったんで行ってみて正解。心行くまで立体写真を撮ってきましたとさ。

そんなわけで、昨日の夜からまた新作立体写真シリーズ作り開始。計18組の立体写真ができそう。今日中に15組作ったす。そこまで作ったはいいけど、立体写真を貼る台紙ページ作りやら JavaScript と CSS てんこ盛りの解説ページやらをこれから作んなきゃなんない。これがかなりめんどくて(もんげ〜)。

でももう作業に取りかかっちゃったんで、最後までやり抜く所存にござりまする〜。

銘板
2007.5.6 日曜
前日に飛ぶ
http://yunzu.qee.jp/threedstudio/copages/htrgtr/htrgtr0705.html#LOG20070506
 この記事へリンクを貼る時は↑の URL をコピペしてね。

『ゲゲゲの鬼太郎』

あ゛〜 立体写真の台紙ページ作りがようやく終わった〜。分量、小惑星イトカワ立体写真の2.6倍だもんなぁ。次は解説ページ作りか。これも枚数分だけ手がかかるんだよなぁ。もう遅いから明日にしよう。うん。

そんな合間に、映画を一本観てきましたです。八戸フォーラム かわら版 にレビューを書かせていただいた、『ゲゲゲの鬼太郎』。レビューを書いた手前、しかも 2007.4.5「おもっきし期待してますです」と書いた手前ってのもあって、いや実際期待してたってわけで、勇んで観に行ったですよ。

……、

……、

……。

いいんじゃないですか、お子様向けとして(醒)

……、

……、

……。

いろいろツッコミたいことあるんだけど、子供向け映画にいい大人がツッコミ入れるのも野暮だしね。うん。でもちょっとだけ。重箱の隅だけ。

まず田中麗奈と小雪の扱いが違いすぎてやしないか? レナラーとしてあの格差はかなり悲しかったぞ。小雪も確かにイイ女だけどさ、オトナの魅力だけどさ、麗奈ちゃんは確かに年の割には小娘っぽいけどさ、それにしたって、それにしたって……(泣) やっぱウエンツにしても麗奈ちゃんにしても、体が出来上がった大人の役者に鬼太郎と猫娘をやらせるってのは、ちと無理があった気がするんだが。

観る前から想像が付いてはいたけど、やっぱ実際に観ちゃうとそこらへんに違和感を覚えるなぁアニメ版で育った世代としては。それと、ねずみ男の大泉洋以外の妖怪たち、役者が多少照れながらやってたというか、あんまし役と一体化してなかった気がしたが。そこも残念。特に間寛平(子泣きじじい)と室井滋(砂かけばばあ)は、目玉親父と並んで鬼太郎をサポートする役なんだからさぁ、もっとなんてーか、恥も外聞もなくハジけまくってほしかったなぁ。妖怪をどう演ずればリアルに見えるのか、監督にこれと言ったヴィジョンがなかったのかと思われ。

といえば麗奈ちゃんも、猫娘なんだったら、普段の所作ももっと猫らしい動きで説得力を増してほしかったよ。かつおぶしなめるだけじゃなくて。あと、顔だけ出演の西田敏行(輪入道)も照れてたよなぁ。ていうかどう演じていいか分かってない感じがしたぞ。そこらへんのもろもろに、演出の甘さが出てたね。堂々と演じてたのは、ねずみ男と天狗の妖怪裁判長を演じた中村獅童だけだったよ。まぁ獅童君は何やらせても、堂々とした演技しかできないっぽいしw

あと、鬼太郎の敵方の化け狐軍団、手下たちの身のこなしにこだわりを感じたけど、ぬいぐるみのシッポがただ付いてるだけで、慣性のみでゆさゆさ揺れるっての、あれはないべ。せっかく他の場面で VFX がんばってるんだから、シッポも本物の動物みたいに、生きてるみたいに動かしてほしかったなぁ。そんな中で、小雪が演じた狐のリーダーのシッポだけは見事な VFX で表現。だから何なんだよその格差は。

小雪の場面の VFX はあんまし気合いが入りすぎて、見せなくていいほつれ毛まで自然に映し出しちゃってたなぁ。昔の大ざっぱなアナログ SFX 時代はこうは行かなかったもんなぁ。で、現代の映像合成技術が凄まじいのは分かったから、その技術でほつれ毛を隠してあげてもよかったと思うぞ。

「ちょっとだけ」と言いつつ、けっこうツッコんじまったな。まぁこんなところでひとつ。もっと本質的に、設定でもツッコミどころはあるけど、そこまでやるとほんとに野暮なんで。

銘板左端銘板銘板右端

『ゲゲゲの鬼太郎』に限らず、『宇宙戦艦ヤマト』も『巨人の星』も、主題歌が秀逸だよね。特にイントロにそれぞれのこだわりと完成度を感じる。70年代のアニメって、世の中に子供が多かったってのもあるけど、製作陣にも力がみなぎってたんだなぁ。そんなわけで、今回の実写版『ゲゲゲ……』のオープニング曲、インストで初代アニメのサウンドを完全に再現したのは大正解。初代へのリスペクトだね。

『ゲゲゲ……』の主題歌も黄桜の CM の「♪カッパッパ〜」の歌も、ニューオリンズ風のジャズに料理するとかなり面白いんじゃないかと前々から思ってるんだけど、どなたか洒落の分かるミュージシャンの方、やってみてくださいませんかね(笑)

銘板左端銘板銘板右端

そそ、小惑星イトカワの立体写真シリーズだけど、なんぼ「データが一般公開されている」とは言っても、考えてみたら自分とこに勝手に写真を持ち出して勝手に使うのって著作権法に引っかかるんじゃないかと思ってさ。それで JAXA の利用規約を読んだんだけどよく分かんなくてこれが。ただでさえ法律関係の表現はチンプンカンプンなのに、英語なんだもんなぁ。これね。一応その難解な文書にそぐって、"Provided by Japan Aerospace Exploration Agency (JAXA)" ってのをページの頭の方に入れてみたが。

でも「ご質問がありましたら、ためらわずにご連絡ください」なんて文言があったんで、質問フォーム(これは日本語)においらが作ったウェブページの是非を問うてみた。今は返事待ちの状態。もしかしたら、せっかく作った立体写真ページがパァになるかも。質問内容は、

いつもご苦労様です。
「はやぶさ」の取得したサイエンスデータアーカイブの公開に伴い、私が個人的に趣味で非営利運営している立体写真サイトに、件のデータアーカイブからの画像を利用しているのですが、問題はないでしょうか。
以下の URL です。
http://yunzu.qee.jp/threedstudio/copages/itokawa/itokawa.html
 
http://www.jaxa.jp/policy_e.html
のJAXA様のサイトポリシーを理解して従ったつもりですが、規定から外れている部分があった場合、ご一報下さいませんでしょうか。
速やかに修正したいと思います。
よろしくお願いいたします。

と出した。そしたら「送信しました」ページに切り替わったんだけど、その文言がなんだかかわいくて。

送信しました。
回答には少々時間がかかる場合がありますが、がんばってお答えするつもりですのでしばらくお待ちください。

「がんばってお答えするつもり」ってのがイイ (・∀・) 昨日出してまだ返事が来てない。ゴールデンウィークで休んでるのかな? 今週中に返事がもらえればいいな〜。できれば OK の返事が欲しいな〜。でもまぁどういう返事が来るか分からんので、今は静かに待つのみですハイ。

銘板
2007.5.7 月曜
前日に飛ぶ
http://yunzu.qee.jp/threedstudio/copages/htrgtr/htrgtr0705.html#LOG20070507
 この記事へリンクを貼る時は↑の URL をコピペしてね。

JAXA からの返答

『小惑星イトカワ』立体写真シリーズについて、JAXA(宇宙航空研究開発機構)から GW 明け早々に返事が来た。

その前に、日本語版のサイトポリシーを発見してさ、これなんだけど。英語版を、辞書を引き引き読み下したあの苦労は何だったんだってくらいサクサク理解できたぐらいにして(今回公開された「はやぶさの取得したサイエンスデータアーカイブ」が英語版のみだったんで、そこからのリンクでサイトポリシーまで英語版に行ってしまったのだった)。

そこで知った驚愕の真実。

本サイトに掲載されている全てのテキスト、図版、画像、音声、映像等は、特に明記されたものを除き、JAXAが著作権を有しており、著作権法及び国際条約により保護されています。ご利用になられる場合には、JAXAの定める条件にしたがってご利用ください。

ふむふむそりゃそうだ。で、条件とは何ぞや? 特に自分でサイトを作るのに画像データを利用するときはどーなんだ?

テキスト、図版、画像、音声、映像等を改変してのご利用は、クレジットを表示するための作業を除き、一切禁止いたします。改変とは、図版、画像、音声、映像等のトリミング(例えば、縦横の比率を変更することや画像の一部を切り取ること、原作のイメージを著しく損なうはめ込み行為等)や、色を変更・反転させること等の行為も含まれます。(下線ゆんず)

げっ、げっ、げーげげーのげー。や……やっつまってるだよそれ。立体写真にするためにトリミングしまくり。ほとんどの写真は背景の真っ黒な部分を少し切り取ってるだけなんでお目こぼしをいただけるかもだけど、ラッコの顔の絵ってまぎれもない「はめ込み行為」だし(「原作のイメージを著しく損なう」かどうかは権利者の判断による)、一番最後の『ミューゼスの海のドアップ』は「画像の一部を切り取ること」にめちゃめちゃ当たってるじゃん。でもあれがこの企画の一番の売りなんだよなぁ。削除かなぁ……。でもあれが一番の……。

と悩んでるうちに、JAXA からのメールが来てることに気づいた。早いよちょっと。ドキドキしながら開封。


……………………………………………………………………………………        JAXA ウェブサイトへようこそ        〜 Welcome to JAXA Website 〜 …………………………………………………………………………………… 2007/5/7 ゆんず様 宇宙航空研究開発機構(JAXA)ウェブサイトをご利用いただき、ありが とうございます。 ホームページを拝見いたしましたが問題ございません。みなさまがはや ぶさの成果をさらに楽しんでくだされば幸いです。 またはやぶさミッションの応援をありがとうございます。地球帰還は依 然厳しい状況ではありますが、チーム一同、一丸となって最大限の努力 を図ってまいりますので、これからもかわらぬご理解、ご支援をよろし くお願いいたします。 宇宙航空研究開発機構(JAXA) 広報部 問合せ担当

やった! o(T□To) 「問題ございません」と来たもんだ。さらに「みなさまがはやぶさの成果をさらに楽しんでくだされば幸いです」だそうで。JAXA 太っ腹〜ッ! どうもありがと〜!!

はやぶさの応援についても感謝されちまった。あの JAXA 御中から。もう死ねる。すぐにでも死ねます……。

……、

……、

……。

ハッ! Σ( ̄□ ̄ )(←生き返った) そうゆー顛末で、『小惑星イトカワ』の立体写真シリーズの存続問題は、イトカワ画像の権利者である JAXA からのお墨付きをめでたく頂いて一件落着。「じゃああのサイトポリシーは……」とか深いことは考えない考えない。

さーて JAXA 協力の『飛び出せ宇宙』展の立体写真ページ作成、がんばるで〜!(あ、言っとくけど JAXA が協力してるのは『飛び出せ宇宙』展であって、その立体写真ページじゃないよ。分かってっと思うけど)

銘板
2007.5.8 火曜
前日に飛ぶ
http://yunzu.qee.jp/threedstudio/copages/htrgtr/htrgtr0705.html#LOG20070508
 この記事へリンクを貼る時は↑の URL をコピペしてね。

JOJO de はやぶさ

特別企画展『飛び出せ宇宙』の立体写真シリーズ、『2005年5月』として着々とそして悶々と作業を進めてますです。その展示品の中に小惑星探査機 はやぶさ の模型もあって、当然その立体写真も載せてるんだけど、解説ページですごい気合い入っちゃって。

で、地球への苦難の帰途に就いた はやぶさ をどうしても応援したくて、気が付いたらやってたのが『ジョジョの奇妙な冒険』の名言集の引用。なかなか自分で気に入ったんで、ひと足先にここでそれを紹介しようと思う。まぁ、以下です。

特に最後の方のミネルバにあてた部分はもう、我ながら泣けて泣けて……。ミネルバ、もしかしてまだ元気で生きてっかなぁ……。小惑星イトカワの近くの空で、今でもか細い通信電波出し続けてっかなぁ……。

しかしほんと JOJO って名言の宝庫だなぁ。

ちなみに箇条書きのための ul タグを使うと文頭はデフォルトで黒丸なんだけど、これは黒星(負け)を連想させるんで、「『試練』に打ち勝つ!」の意志を込めて白丸にしてみたよ。白丸の設定のやり方は、「<ul type="circle">」だよ。

銘板左端銘板銘板右端

つうか「2007年5月」、もうほとんど出来ちゃったんで、ここでこっそりリンク貼っちゃう。

銘板
2007.5.9 水曜
前日に飛ぶ
http://yunzu.qee.jp/threedstudio/copages/htrgtr/htrgtr0705.html#LOG20070509
 この記事へリンクを貼る時は↑の URL をコピペしてね。

新作立体写真『2007年5月」

できたよ〜新作立体写真『2007年5月」。ものの5日間で2シリーズも新作立体写真作ったの初めて。もう力尽きた(ぷしゅうぅぅぅぅ〜)。

『小惑星イトカワ」は画像はもらっただけだしモノクロだしで、レタッチ作業はラクだった。写真組も7組しかなかったし。これが『2007年5月」となると、写真組18組で、ほとんどが白熱灯下での撮影だったんで画像が黄色っぽくて、これをいちいち修正して、皆さんから見えないところだけど、新機軸を導入して整理しやすくしたはいいけど、こいつのせいでかなり手こずったりして。

具体的には、立体画像の名前の頭に、登場予定順に番号を振ることにしたんだわ。そうなると、両目用の画像2枚と台紙ページファイルとサムネイルの計4ファイルをまとめるために、同じ番号を振りますわな。

画像番号

思惑通り Finder のカラム表示できれいに並んでくれて、解説ページ作りに貢献したんだけど、その解説ページ作成中に問題発生。解説の流れの関係で、当初3番目の『きく8号」と4番目の『きく8号ズーム」をそれぞれ最後の17,18番目にすることに変更したら、『きく8号」『きく8号ズーム」の番号を変えるのはまだしも、それまでの05番〜18番の名前も変えなきゃいかんくなった。1番号あたり4書類。全部で16×4=64書類の名前を変更する羽目になったとさ。

しかもそのときは台紙ページが書き上がってて、台紙ページは両隣の写真組(の台紙ページ)にリンクするように作ってあるから、そこらへんも全部書き直し。当然解説ページのリンクも書き直し。なんかもうやたら善し悪しが出てしまって、これからもこの方針で作るかどうか、しばらく考えることにするわ。まだ今年の3月に撮ったぶんに手をつけてないから、それまでにってことで。

銘板左端銘板銘板右端

ぐは〜。はやぶさ のすごい動画見つけてしまった。また観たいからリンク貼っとこ。あの当時(2005年11月の、はやぶさ のイトカワ着陸ミッション時)の祭り状態の興奮を思い出したよ。ISAS(宇宙科学研究本部)の Web 実況席の写真、更新されるごとにリポビタンDの空ビンが増えていったんだよなぁ(それを見て感激した大正製薬が ISAS にリポDを大量差し入れ。はやぶさ萌えたちは大正製薬に敬意を表した)。

今から1年半前のことか。本当にあった出来事だったんだよな〜。日本が作って飛ばした探査機が、あんな宇宙の果てまで飛んでいって、前人未到の快挙を成し遂げたんだぁ〜。川口淳一郎プロジェクトマネージャーのセリフもアツいッ!

今日の箇条書きも必勝の白星ッ!!

あ、そういえば今日は はやぶさ 打ち上げ4周年だ。こんな日に、はやぶさ を含む立体写真シリーズをリリースしたのは何かの引き合わせみたいだなぁ。地球帰還まであと3年。はやぶさがんばれぇぇぇぇ!

銘板
2007.5.10 木曜
前日に飛ぶ
http://yunzu.qee.jp/threedstudio/copages/htrgtr/htrgtr0705.html#LOG20070510
 この記事へリンクを貼る時は↑の URL をコピペしてね。

猿小路君と日本

なんだかおいらが立体写真作りで一人アツくなってるうちに、おフランスの新大統領が猿小路君に決まってたね。なんか 対立候補が落ちてホッとした日本の業界 もあったっぽいけど (^^;)

まー、現大統領の志らく君が相当の日本びいきなのは有名だけど、親米派として知られる(今さっき Wikipedia で調べた)猿小路君の場合はどーなんでしょ。とりあえず本名がやたら長いことは分かった。「ニコラ・ポール・ステファヌ・サルコジ・ド・ナジ=ボクサ」。自分でもフルネーム覚えてるんかねw あとスタローン顔なのも分かった。名前の最後に「ボクサ」って入ってるし、やっぱし打たれ強いんかなぁ。

いやいやそれより対日観はどうなんだね。志らく君(京都に芸者を囲ってるって噂を聞いた)ほどじゃなくても日本党だと嬉しいんだが。Wikipedia の最後の方を読むと……んむーなんか玉虫色。かの国じゃ今、日本文化の評価が高まっとるというではないか。よく言われるマンガやアニメとかのサブカル以外でも、料理はもちろんのこと、盆栽や尺八なんつう、多くの日本人でさえろくに理解してないものまで受入れられつつあるとゆーではないか。あの「文化の国」を自称するおフランスがですよ。

それには志らく君の親日ぶりの影響も無視できなかったと思うんですよ。したらやっぱ気になるじゃないですか猿小路君の対日観が。やりようによっちゃ、せっかくかの国で萌え始めた日本文化が一気に下火になっちまうかも。これは由々しきこと。まぁ外務大臣のアソー君は「気にすることない」みたいなそぶりだけど、確かに「よそからどう思われようと日本は日本だ」って考えもあるけど、やっぱ「おフランスと仲良し」ってのは自尊心をくすぐるわけですよ。

まーでも、バブル期からこのかた20年間で、欧米側が日本を高く評価してくれるようになったんで、特にこの10年くらいは、むしろ向こうの方からすり寄って来てるみたいな感じではあるわね。これもまた自尊心をくすぐりますなぁ。その中で、おフランスをこっちから選んで相思相愛の関係になったりしないもんかねぇ。

政治の外交でも、今まで日本はアメリカべったりだったけど、小泉君が描いてた「イラクが終わったら、次は北の方をよろしくお願いしますよメリケンの旦那。えっへっへ」ってのがまさに絵に描いた餅で終わりそうな気配。メリケンの旦那が昔ほど頼りになんないのが露呈してしまった。もうアメリカべったりの時代じゃなくなったわけ。で、ここはひとつ日米同盟は一応保ったまま(日本の唯一の軍事同盟だからなぁ)、気分は素浪人で、頼りになりそうな旦那様を別にもうお一方ほど探し直す時期なんじゃないかと。

で、一番有力そうなのが、これまで同じ自由主義圏にいながら何かとアメリカと張り合ってきた国、おフランス。ここがいいんじゃないかと。そうなると、日本お得意の「優柔不断」が力を発揮するわけですよ。日本がフランスに流れつつあるのを見るや、今までテキトーに日本の相手をしてたアメリカがやきもちやいて、必死に引き止めにかかるわけです。

♪あなたにひょ〜ろりと こなたにひょ〜ろりと ひょひょらひょひょ〜 ひょひょらひょひょ〜(『乱」 [1985] より)ってやるごとに米仏が「こっち来てよ〜 ああぁそっち行かないで〜」と日本の両の腕を引っ張り合うんですな。いやぁ愉快愉快(笑)

そんな愉快な立場を勝ち取るためには、仏大統領が親日派でなきゃいかんのです。もし猿小路君が親日でも反日でもない中立派だとしたら(立場上、反日はあり得ないんで)、日本自身の魅力で彼を落とすしかないですがな。

どうやるかっつうと、日本はおフランスと2人きりの時は、しなだれかかるみたいに甘えちゃう。んで、いろんな国が集まる時は、特にメリケンの旦那がいる時は、パッと離れてツンケンしちゃう。もう不倫のノリで。あ、書いてて気づいた。

ツンデレ。

まさに日本発の恋のカルチュアじゃないですか(ていうか「オタク発」だけど)。これで猿小路君をメロメロにしちゃうってのでどうでしょ。恋の駆け引きが大好きなおフランス人にぴったしだと思うぞ。もう猿小路君の親米派の肩書きなんか、日本の魅力でかなぐり捨てさせちゃえ。そんでアメリカの藪大統領と一緒に日本の袖の引っ張り合いに持ってけば、いやが上にも我が国の国際的存在感は上がりますですよ。こんな外交プランはどーですかねぇアソー君。

実は猿小路君は既に内心日本に萌え萌えでしたってんならそれでよしw

銘板左端銘板銘板右端

Wikipedia でいろいろ調べてたら、「ワパニーズ」なる単語にぶち当たった。んーやっぱ日本って欧米に人気あるんだなぁ。なんかちょっと偏執気味だけど (^^;) リアル日本人としては「あんまこっち来ないでね」って感じ (^^;;)

銘板
2007.5.11 金曜
前日に飛ぶ
http://yunzu.qee.jp/threedstudio/copages/htrgtr/htrgtr0705.html#LOG20070511
 この記事へリンクを貼る時は↑の URL をコピペしてね。

大量生産燃料電池車 早くも登場!!

おもちゃ業界がすごいことになってる。

燃料電池で走る模型の自動車が、ついに発売された。しかも手の届く価格で。なんですとぉ〜? (@o@) 実車の世界ではいまだに1台が億単位から下がらないってのに。まぁもちろん模型の方が条件が断然緩いからこそできたんだろうけど、それにしても本当に作っちゃうとは素晴らしすぎる。

例によって、記事を消される前に取っとこ。

未来の車が手の平サイズに!燃料電池水素カー

水と太陽の力で走る未来の車
究極のエコエネルギーをミニチュア体験

商品
商品番号:42AGK
価格:19,950円
送料:630円
●セット内容/シャーシ、カーボディー、水素タンク、入力バルブ、燃料電池、ガス抜き用吸引器、チューブ×3、ネジ×4、シール、水素ステーション●サイズ(約)/全長18×幅7×高さ8cm●材質/ABS樹脂、ラテックスゴム、シリコンチューブ、銅、ステンレススチール●重さ(約)/180g●仕様/走行時間:1回の水素充填で約4分(約100m)●組立目安時間:30分●中国製

そうか、燃料電池自動車の初の大量生産車は中国製の模型で来たか。発想した人、目の付けどころが違うなぁ。慧眼とはまさにこのこと。

全長 18cm つったら、スケールは大体20分の1くらいかな。一般的なラジコンカー(8分の1〜10分の1)より小さくて、ちょっと大きめのモーターライズのプラモデルって感じか。1回の水素充填で約4分(約100m)だと乾電池やバッテリーより劣るけど、それでもおもちゃとしてなら充分楽しめる。燃料がいきなり水素なんで、インフラとか改質器とか考える必要ないしなぁ。おもちゃだから水素の貯蔵性も心配する必要なし。考えれば考えるほど見事なアイディアですよこりゃあ。たぶん固体高分子型燃料電池を搭載してるんじゃないかと。

実車の場合で言えば、鋼鉄の重たいボディにエアコン効かせてカーステかけてライト点けて何百kmも走らなきゃいかんし、水素の直接供給インフラはかなり遠い将来じゃないと、ていうかもしかしたら永遠に実現されなさそうなんで、別形態の燃料から水素を抽出する「改質器」っつう面倒な装置も搭載しなきゃいかん。そこらへんで各自動車メーカーは四苦八苦してる最中なんだけど、専用水素ステーションを付属品にした模型なら、そういう問題を自己完結の形で一挙に解決できちゃうわけだ。いやマジですごいっすよこの発想。

けどまぁ「手の届く価格」とはいえ、子供もいないのに結構な大金払って、ただ燃料が切れるまで全速力で走るだけの模型を買うってのもかなりイタイんで、おいらは今んとこ買わんつもりだけど (^_^;) (←と言いつつ興味はある。クルマは模型とはいえ、燃料電池そのものは実物なんで) 誰か買った人いたら感想教えてください(笑)

銘板左端銘板銘板右端

なんてーか、こうゆー科学技術おもちゃとか、ラジコンカーとかラジコン飛行機とか、そうゆーのをいい大人が走らせたり飛ばしたりしてるのを白い目で見る人っているけど、ていうかそんな視線に耐えられなくておいらはやらないんだけど(金銭的に余裕がないってのもある。しかし、今より余裕がなかった子供時代にラジコンに血道を上げてたのって一体……)、ラジコンカーにしてもラジコンの飛行機やヘリコプターにしても、走行・飛行の原理は人が乗るやつと全く変わらないんだよ(燃料電池模型自動車にしても、発電の原理は実車と同じ)。だからむしろ、模型で楽しんでる人の方が、白い目で見る人より、自動車や飛行機に関して専門的な知識や技能や勘を持ってるんだわ。

それどころか、ラジコンやってる人って普通のドライバーやパイロットよりも極限的な走行・飛行をしてるから、自動車力学や航空力学を肌身で感じてるんだよ。サスペンションや翼の理論を知らないととてもやっていけないし、学んで応用するのが楽しみでもある(模型だとサイズが小さいからコストがかからなくて、気軽に試せるしね。何より、ごくたまに軽い傷を負うことはあっても、命の危険まではないってのがいい)。

さて、日常的にクルマに乗ってる人で、自分のクルマのサスペンションの種類と特徴をしっかり言える人ってどのくらいいるでしょーか。

だから動く模型(ラジコンに限らずに。たとえ 紙ヒコーキ でも、突き詰めればかなり奥が深い)を楽しんでる人は、引け目を感じる必要は全然ないんだよね。ただ、そうゆー人たちに対して無知と無理解という名の暴力を振り回す人たち、いまだにいるからねぇ困ったことに。

これはまったく別のジャンルの事象に対しても言えることなんで、おいらも人の振り見て我が振り直すことにするよ。けっこう単純なことだったりする。「人や物を無闇にばかにしない。低く見ない」。

銘板
2007.5.12 土曜
前日に飛ぶ
http://yunzu.qee.jp/threedstudio/copages/htrgtr/htrgtr0705.html#LOG20070512
 この記事へリンクを貼る時は↑の URL をコピペしてね。

タックスアンサー観察日記

日記のネタに詰まると「去年の今頃は何を書いてたかな〜」と振り返ったりするんだが、それで拾い上げたのが、2003.6.17, 2006.5.28。あの恥ずかしい綴り間違い(本当はそうじゃないんだけど、そうにしか見えない)の taxanser は去年確認した時点でその綴りの表記はやめて、URL でも taxanswer とするようになってた。

そんでもう完全に anser 問題は終わったのかと思って、試しに taxanser でググってみた。で、これ↓が現時点での Google の結果。

検索結果の一番上に「国税庁タックスアンサー(税金相談)」が出てくる。それは国の機関のサイトとして好ましいことなんだけど、その各項目のうち、ほとんどの URL が anser のまんまなんですが。クリックするとその URL のまんまちゃんと出てくるし。例えば「法人税」

ちなみに「国税庁タックスアンサー(税金相談)」のトップページにつないで(ここはさすがに answer の URL に飛ばされる)、そこから「法人税」に飛ぶと、全く同じ内容だけど、URL が answer のページにたどり着く。つまり anser と answer、URL が違うだけで同じ内容のページを2枚ずつ用意してるってこと。ほんとは anser を消し去りたいんだろうけど、ここまで来ちゃった以上そうもいかないって感じですな。

実際、他のページから URL 表示状態でリンク貼られちゃったりもしてるし。こりゃあもう我が国の国税庁は、綴りミスの亡霊から末代まで逃れられませんな。でもさぁ、少しでも逃れたいんだったら枝葉のページに至るまで、anser が付く URL をクリックされた時、トップページと同じく強制的に answer の URL のページに飛ばすべきだと思うぞ。一瞬で飛ばすようにして、anser のページには何も表示しない、と。

こんな風な各ページ2枚立てだと管理する手間もそれだけかかるし、何よりその忌まわしい URL で検索ロボットが拾ってしまうって弊害がある。検索エンジンから古い URL を消し去るには、検索エンジン会社に直接依頼するって手もあるのかもしんないけど、内容が書かれてなきゃ、2,3年くらい放置してれば向こうで勝手に削除してくれると思うが。

しかし、anser に並んで answer のページも設置したのを確認してから1年。その間全く進展がないってことは、国税庁の方はもうこの問題は解決済みとしてるってことが分かる。早く忘れたい気持ちは分かるけど、自分のとこのウェブサーバ内の処理が中途半端だから、いまだに亡霊がネット上をさまよってるんすけど。

根治するには手遅れなのは分かってる。けどもっと努力して、せめて上記のよーな、おいらみたいなアマチュアが思いつく程度の改善くらいしてみてはどーでしょうかねぇ。相変わらず恥ずかしいんですが。納税者として。日本国民として。

銘板
2007.5.13 日曜
前日に飛ぶ
http://yunzu.qee.jp/threedstudio/copages/htrgtr/htrgtr0705.html#LOG20070513
 この記事へリンクを貼る時は↑の URL をコピペしてね。

『菊地」の推敲

過去に出した自作小説『菊地」(超短編っす)をちょっと推敲したよ。何となく読んでみたら「昔の文章力は拙いのぉ〜」なんて思ったぐらいにして、ちょっと恥ずかしくなったんで。なぜか異様に「、」が少なくて読みづらかったんで、なんぼか「、」を増量しときました。でも基本的に拙い文体のまんま。それ以上いじるとなると、かなりの大手術が必要な気がして。「パンドラの箱」ならぬ「メンドサの箱」を開けたくないのだ。

〓ZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZ⊂<回 ←仕切りジッパー

ついでに宣伝。『雨降りガラスの駅」(短編)それと通勤砲」(超短編)もドーゾ。まぁ自分で言うのもなんだけど、楽しい作品だと思いますです(通勤砲」はストーリーらしきものがないけど、設定や逸話でお楽しみください)。

〓ZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZ⊂<回 ←仕切りジッパー

昨日、今日と日記が短めだけどカンベンね。明日の仕事に備えて、本を1冊読破しなきゃなんないんで。それに、やたら長いログって根本的にいかがかとか最近思ってるのもあるし(去年の11月分から今年の4月分までの半年間、各月のページサイズが軒並み 100KB 以上行ってる……。特に3月、4月は 120KB 超えてるし)。

銘板
2007.5.14 月曜
前日に飛ぶ
http://yunzu.qee.jp/threedstudio/copages/htrgtr/htrgtr0705.html#LOG20070514
 この記事へリンクを貼る時は↑の URL をコピペしてね。

マニュアル車復活祈願例大祭 1

近頃、運転手がエコドライブしてるかどうかを監視する機能がついた車が出てきてるらしい。アクセルを踏み込みすぎると警告が出たり、燃費のいい走り方をしてると「ECO」ランプが点灯したり。それで燃費が何%か向上するんだと。

阿呆か。

その程度の燃費向上なら、わざわざそんなおせっかいな装置なんか付いた車を選ばなくても、車を買い替えるとき、すっかりデファクトスタンダードと化したオートマ車を思い切ってマニュアル車に替えれば、それ以上の成果をソッコー達成できるぞ。10%かそれ以上燃費向上するらしい。しかもマニュアル車ならではの楽しみも提供してくれる。しかもオートマだのエコドライブ監視機能だの、そんな無駄なバカメカが一切搭載されてない、現時点で最高にシンプルな「クルマ」そのものを安く入手できる。いいことずくめ(ただし中古下取り価格も安いけど)。

じゃあなんで世の中こんなにオートマだらけになっちまったのか(ここで言うオートマとは、一般に普及してる有段変速オートマチックトランスミッションのこと。無段変速オートマは除外)。それはつまるところ、マニュアルよりオートマの方がいいからではないか。消費者がオートマを、自動車のより進化した形として選び続けたからではないか。

違う。

技術的にオートマは方向を間違えてる。だからその矛盾を解決すべく、オートマ車は内部的にいろんな無理を押し通してる。それでもなぜオートマは人気があるのか。

それはクルマのディーラーが、オートマ車を売った方が利益が上がるから、オートマ車ばっかり強烈に売り込みまくっただけのこと。彼らの営業努力の甲斐あってオートマ車が面白いように普及したんで、オートマ専用免許なんてのも出てきて久しい。

けど断言する。オートマチックトランスミッションは決して、マニュアルトランスミッションより進んだ技術じゃない。確かにオートマの方が運転はラクだけど、そのために支払われてる犠牲も合わせて考えると、オートマは中途半端な技術でしかないことが分かる。しかも基本原理がこの半世紀くらい変わってないんで、欠点もそのまま受け継がれてる。

30年くらい前の常識。「ノンクラッチ(オートマのこと)は油を食う」。今じゃオートマなりに改善されて燃費も良くなってきてるんだろうけど、それでもマニュアル車の燃費の良さには原理上追い付けない。その原因は全て、マニュアル車でのクラッチに当たる「トルクコンバータ(トルコン)」が、せっかくエンジンが作り出したパワーを、タイヤに伝える前に馬鹿食いするから。

トルコンは、マニュアル車で言う「半クラッチ」の状態を自動で作り出す装置なんだけど、ともかくほとんど常に作動してる。四六時中半クラッチで走ってるようなもの。マニュアル車で言えば、いつまで経っても腕が上がらないヘタクソ運転手が運転してるのと同じことになる。そんなところでエンジンパワーを無駄にしてるんだから、エンジンからタイヤまでが直結されてる状態が基本のマニュアルミッション以下の効率しか出せないのは明らか。例外的に、大体時速60キロ以上で巡航してる時は「ロックアップ」とゆー機構が働いて、一時的にマニュアル車並みの効率を出してるけど、それ以外の場合、特に加速時、トルコンはここぞとばかりに半クラッチ状態を作り出す。

マニュアル車だったら、発進と1速→2速へのギアチェンジの時だけ少しだけ半クラッチを使って、加速してる最中はエンジン−タイヤ直結で高効率で運用できるんだけど、オートマ車はその大事な加速時に半クラッチ。運転手としてはアクセルを踏み込んだだけの加速が得られないんで(このときトルコンは最もエンジンパワーを食いまくるんで)、ますますアクセルを踏み込む。ただでさえ悪い燃費がますます悪くなるこのカラクリ。

さらにアイドリング時でも、トルコンが悪さをする。

つづく

銘板
2007.5.15 火曜
前日に飛ぶ
http://yunzu.qee.jp/threedstudio/copages/htrgtr/htrgtr0705.html#LOG20070515
 この記事へリンクを貼る時は↑の URL をコピペしてね。

マニュアル車復活祈願例大祭 2

「クリープ現象」というのがある。オートマ車はアクセルから足を離してても、車が勝手にゆっくりと前に進み出す。これがクリープ現象の実際面での現れ。「いつでも半クラッチ」のトルコンがこれを引き起こす。この性質を便利に使うと、車庫入れや坂道発進でラクが出来て、それもオートマの売り文句になってるんだけど、ブレーキで意図的に車を止めない限り勝手に走り出すというのは、自動車の安全上かなりおかしなことをしてると言える。自動車の自動車としての基本動作「走る」「曲がる」「止まる」のうち、「止まる」がきちんとできてないってこと。「止まる」は安全に直結する要素。オートマはそのことで、本質的に危険を含んでるってこと。

20年くらい前のオートマが普及し始めた頃、一般に「急発進」と呼ばれた、オートマ車の暴走事故の多発が問題になった。以来、オートマ車はシフトレバーを「P」か「N」に入れないとエンジンの始動が出来ないように細工された。「急発進」対策としては妥当だけど、そのせいで環境配慮のためのアイドリングストップがしにくくなった。

アイドリングストップに対しては、「環境保護のためにアイドリングストップが推奨されてるけど、走ってる時に比べて大してエンジンが回ってないんだから、クルマがちょっと停まってる時にいちいちエンジンを止めなくても大勢に変わりないだろう」という意見もある。けどここでもトルコンが余計なことをしてくれる。

信号待ちしてる間、クリープ現象による勝手な走行を抑えるために、運転手はブレーキを踏みしめますわな。半クラッチ状態のトルコンは抵抗を作り出して、力ずくでエンストさせようとする。実際、マニュアル車と同じ意味でのアイドリング状態のエンジンでは、このままだとエンストしてしまう。で、自動車屋さんたちは最悪の対策を講じた。

こうゆー状況では自動でアクセルを少し吹かして、これまた力ずくでクリープ現象に対抗するようにしたんですな。もちろん燃料をそれだけ食う。二酸化炭素もそれだけ出る。信号待ちのとき、ただ空回りしてるだけのマニュアル車のエンジンに比べて、オートマ車は「クルマを停める」という、たったそれだけのことをするためだけに燃料を余分に消費してる。

アイドリングストップまではしたくない、でも無駄な燃料消費は抑えたい。そんなときオートマの場合、信号で停まる毎にわざわざシフトレバーを握ってNレンジかPレンジに入れなきゃなんない。走り出す時はDレンジに戻さなきゃなんない。「エンジンかけた後はDレンジに入れっ放しでいい」はずのオートマの魅力が、これだけで半減しますな。どうせそこまでやるなら、いっそもう一手間かけてアイドリングストップした方がいいかも。ていうかそうゆー手間をかけたくないからこそのオートマなんで、もうなんだかオートマ、中途半端さ故に自分の存在意義がゆらいでしまってる。

日本で普及しまくって、乗用車市場をほぼ制覇したと言っていいオートマチックトランスミッションがいかに中途半端な技術なのか、いかに環境に悪いのか、お分かりいただけたかと思う。全てはオートマ機構の中心であるトルクコンバータの悪行。すっかり絶滅危惧種になったマニュアル乗りから見れば、日本中の運転手が、運転をちょっと楽したいがためにこいつに頼ったせいで、いつでも半クラッチばかり使いたがる典型的なヘタクソドライバーになった。

だから、人や物の輸送に関して本当に地球環境を考えるなら、二酸化炭素を無駄に排出したくないなら、まぁ一番の上策は自動車なんか使わないことだけど、特に地方じゃそうもいかない。次善の策として、ハイブリッド車を選ぶこと。でもこれはカネがかかる。で、カネをかけずに最大限の効力を上げる答えは、「クルマを買い替えるときオートマ車からマニュアル車に替える」なんですな。

新車の場合、マニュアル車の方が余計な機構がゴテゴテ付いてないぶんだけ安いのだ。中古車の場合、マニュアル車は人気がないから安いのだ。でもその「オートマ人気」の正体は、自動車販売ディーラーの利益のために作られたものであることをお忘れなく。

「でもオートマ車の便利さと比べると『環境にいい』『安い』ぐらいしかメリットがないんじゃ、マニュアル車を選ぶ気にならない」「マニュアルは操作が煩わしいから嫌だ」。もちろんそれもあっていい意見だと思う。クルマを単なる移動の手段、あるいはファッションアイテムのひとつとしてとらえるのもアリだと思う。そういう人たちにとっては、運転はラクなのが一番。それにはオートマを選ぶのが一番。それに、手や足に障害を持ってて、是非オートマじゃないと運転できない人たちがいるのも忘れちゃいけない事実。

けど第3の選択肢もある。それが「CVT」と呼ばれる無段変速機構。これはすごい。エンジン回転数を常に最適に保つことで、マニュアル車並みの燃費の良さとオートマ車と同じ運転のラクさを同時に実現したスゴメカ。技術開発が進めば、マニュアル車より燃費が良くなる可能性をも秘めてる。

25年くらい前に、スバルの小型乗用車向けとして初めて実用化されて、今は日産も力を入れてる(スバルの技術を導入した)。問題だった強度も技術的メドがついて、乗用車なら3.5リットルエンジンまで、つまりほとんど全てカバーできるまで成長した。これからはトラックやバスみたいな大型車両を狙っていくとのこと。他のメーカーでもやってるかも。調べたら、トヨタがハイブリッドシステムの一環として、独自開発したものを使ってるらしい。

ちなみに CVT は基本的にクリープ現象がないんで、「止まる」というクルマとしての基本機能もきちんとしてるし、擬似的にクリープ現象を作り出すこともできるんで、今までの有段変速オートマに慣れた人でもフツーに運転できる。

この CVT が装備されたクルマを狙って買う、というのが、オートマ派の人たちの賢明な選択なんじゃないでしょか。

こうゆー、技術的に正しい方向性を持ったオートマ機構(CVT)が出てきてる今でもなお、おいら的にはマニュアル車がオススメだったりする。いずれ電気自動車の時代が来れば(燃料電池車も電気自動車の一種)、エンジンとモーターの性格の違いから、トランスミッションは根底から変わってしまう。あるいはなくなってしまう。それまでの期間限定で、マニュアル車っつうとっても楽しくてとっても奥が深いメカと付き合えるのだ。今がまさにその時なのだ。

つづく

銘板
2007.5.16 水曜
前日に飛ぶ
http://yunzu.qee.jp/threedstudio/copages/htrgtr/htrgtr0705.html#LOG20070516
 この記事へリンクを貼る時は↑の URL をコピペしてね。

マニュアル車復活祈願例大祭 3

とは言っても基本的に特別な走り方をするわけじゃなかったりする。別に峠を攻めるマル秘スペシャルテクとかじゃなくて、フツーに街乗りで合法的に楽しめる程度のことを紹介するだけ(主にオートマ車に乗ってる人向け)。

マニュアル車ってのは、今現在のスピードや坂道の状況に応じて運転手自身がギアチェンジするわけだけど、とりあえず自分でギアを選べるってのが嬉しいところ。「俺の指揮下で動いてもらうかんな」。あと気持ちいいのが、エンジンからタイヤまで、駆動系がガッチリ直結されてるのを感じたとき。「おお〜エンジンパワーがそのまんま路面に伝わってる〜」。これですこれ。

んでまぁオートマ派が「めんどい」と感じるシフトチェンジだけど、そこに意味を感じさえすれば、これほど楽しい操作はない。意味ってのは平たく言うと、「その場その場でエンジンが一番気持ち良く感じる状況のギアを選んでやる」ってこと。

車のエンジンってのは、ある程度の回転数域と負荷がかかった状況を気持ちよく感じるらしい。そんなときエンジンは無理のないイイ音を出しながら、スーッとスムーズに車を前に押し出してやったりする。かなり曖昧な言い方だけど、乗り馴れてくればそこらへん分かってくるもんです。別にタコメーター(エンジン回転計)なんていらない。おいらの車に付いてるけどほぼ全く見ない。要は慣れ。エンジンルームから伝わってくる音や振動、体で感じる加速度でそこらの雰囲気が分かる(でも最近の車は音も振動もほとんどなくなってるから、そこらへんどうなのか分からんけど)。

で、慣れてくると加速時に、「お、そろそろギアの替え時だな」ってのが分かる。そのときのアクセルの踏みしろで加速が鈍ってきたあたり。そこでシフトアップしてエンジン回転数を落として、また加速。これが発進から4速、5速まできれいにキマると、とりあえずそれでもう気持ちいいんですな。注意するのはやっぱし1速、2速。エンジンの状態がかなり直接に車体に伝わるんで、乗り心地に直結しますな。

1速の時、エンジンが「ガンガンいけまっせ〜」と張り切ってる状態でも、あんましアクセルを踏み込んじゃいかんのです。あくまでもジェントルに加速してやらないと、2速に入れようとクラッチを踏んだ瞬間、加速度が急に消えて、同乗者が前のめりになっちゃうんで。オートマだと変速は一瞬で済むし、最近のだと変速ショックがほとんどないから、この1速→2速の加速度消滅問題は気になんない。けどマニュアルだとどうしても変速時にタイムラグが発生するんで、そこらへんを先読みして気をつけなきゃいけませんな。

まぁ、マニュアルだとミッション直結が基本だから、半クラッチでゆるゆると発進して、スピードを上げつつそーっとクラッチを戻して(同時にアクセルをちょっと緩めてやるときれいに直結させられる)直結状態にしてから、ほんのちょっと、ゆっくりとアクセルを踏み込むだけで、十分な加速を得られるけどね。直結だから、オートマの運転みたいにグイッと踏み込むと激しく加速しすぎちゃうんで注意。

お次は2速。1速から2速にギアチェンジしていきなりクラッチを戻すと、エンジン回転数とギアの回転数が合わなくて、車が前後にギクシャク動いたりする。ここでもクラッチつなぎとアクセルの合わせがポイントになりますな。あと3速、4速、5速とギアが上がっていくごとに、だんだんエンジンの機嫌が車体にあんまし伝わらなくなっていくんで、まぁラクになっていきますな。そこまで行くと、アクセルを多少乱暴に操作しても車の挙動はそんなに敏感に反応しなくなるし。

で、ここでも注意点なんだけど、運転手は自分で運転してるぶんだけクルマの挙動を予測できるから気にならないんだけど、同乗者にとっては加速度が急に消えたりとか前後方向にギクシャクしたりとかって結構なストレスになるから、運転手の責任において細心の注意を払うべきなんですな。だからこそ、同乗者がいる時であれいない時であれ、加速がうまくいった時ってのは嬉しい。これがまた嬉しいったらない。ただ加速するってだけなのになぁ。

シフトアップについては以上。まぁ自動車学校のオートマ限定解除コースで習う内容に少し毛が生えた程度。対する減速時や坂道を降りるときのシフトダウン。これが奥が深い。基本は自動車学校で習った通りでいいんだけど、あれにはちょっとした欠点があるんですな。それを補おうとすると、いろいろ面白い操作をすることになるんですわ。

つづく

銘板
2007.5.17 木曜
前日に飛ぶ
http://yunzu.qee.jp/threedstudio/copages/htrgtr/htrgtr0705.html#LOG20070517
 この記事へリンクを貼る時は↑の URL をコピペしてね。

マニュアル車復活祈願例大祭 4

てなわけでマニュアル車のシフトダウン。教習所で習うのはアクセル操作を伴わないやつ。ギアを1段落としてクラッチをゆっくり戻すと「どっわーん」とエンジンが鳴って、エンジンブレーキがかかる。それに合わせてブレーキペダルを踏んで、スピードを落とす。これの欠点をアクセル操作を同時にやって補う方法がある。欠点ってのは、

クラッチと各ギアのシンクロ(トランスミッション内の装置で、選択したギアとエンジンの回転数差を吸収する役割を担う)を摩耗させる

ですな。クラッチもシンクロも消耗品なんで、街乗りメインで毎日運転してると、特にシンクロが20万km前にヘタレてしまう。クラッチも乗り方次第で、10万km台でミートポイントが極端に狭くなったりする(クラッチの微妙な操作がしにくくなる)。

そうなったらミッションをオーバーホールすれば新車同様に戻るけど、車にもよるけどいったんエンジンを降ろしてからじゃないと、ミッションに手を付けられない場合が多い(特に FF 車)。大作業になるんでカネがかかる(エンジンの脱着だけで5万はかかる)。だから、クラッチとミッションを普段からいたわりながら走ることが肝要になってくる。おいらの職場担当車の日産アベニールは15万キロ走ってるけど、はじめからいたわってるからクラッチもシンクロもまだまだ新品と大して変わらないなのだ(自慢)。ちなみにオートマ車のミッションも、10万キロ走ればかなりヘタレるぞ。

具体的ないたわり方。シフトダウンでクラッチを切った時、エンジンを軽く吹かして、これから入れるギアの回転数に合わせてやる。それからクラッチをつなぐ。ドンピシャの自信があったら、クラッチを一気につないでも大丈夫(これがキマるとめちゃめちゃ気持ちいいんですなぁ〜)。こうするとクラッチもシンクロもほとんど摩耗しない。

つうか教習所式の「どっわんエンブレ」やりすぎてシンクロがヘタレてしまった場合、こうしないとギアが入りにくくなっちゃう。

余談だけど、やりようによってはクラッチを一切踏まなくてもギアチェンジできたりする。ギアに負荷がかかってない(一定速度で走ってる)時、ギアは簡単にニュートラルに抜かせられる。そのニュートラルの状態で、これから入れるギアにエンジンの回転数を合わせてやれば、シフトレバーをそのギアに軽く押し込んでやるだけで、ギアが「スコッ」と気持ちよく入ってくれる。シフトアップでもシフトダウンでも同じだけど、シフトダウンの時はニュートラルのときエンジンを吹かしてやんないといけないから、そのぶんちょっと面倒かな。

アイルトン・セナは子供の頃、自宅の敷地内で父親の車をそれで運転してみせたという伝説が残ってる。それと、回転が合ってないときにこれを無理にやろうとするとギアを傷めるんで、あんましやんない方がいい。ここでのテクニック紹介はあくまでも「クルマをいたわるためのもの」なんで。まぁクルマを壊してでも天才セナに近付きたい人はどーぞ (^_^;)

話を戻しますぜ。街乗りの場合、5速→4速、4速→3速までは、右足はアクセル操作に集中できるんだけど、3速→2速の速度域だと、そろそろブレーキも使わないといけなくなる。そこ出ててくる技が「ヒール&トウ」

「うわーそんな走り屋テク無理無理!」だなんて言わないでさ ヾ(^^;) 確かに練習は必要だけど、慣れれば簡単だから。うん。愛車を長持ちさせるコツってことでひとつ。やんなきゃやんなくても何の差し支えもないんだけど、とりあえずここから先、読んどいて損はないから。ねっ? ねっ? てなことで、ヒール&トウの誤解を晴らしながら解説しよう。

誤解その1:ネーミングに騙されちゃいけない。

「ヒール&トウ」のネーミングは、右足のかかと(ヒール)でアクセル操作を、同じく右足のつま先(トウ)でブレーキの操作をするってイメージから付けられたんだけど、正直、無理。実際は、右足の小指の付け根でアクセル操作を、右足の親指の付け根でブレーキを踏むって感じ。大体1800cc以上のクルマだとアクセルペダルとブレーキペダルの間隔が広いんで、オプションの(走り屋向けの)ヒール&トウ用のペダルへの換装がオススメだけど、軽自動車やリッターカーだとペダルの間隔が狭いんで、そのまんまで充分やりやすかったりする。

誤解その2:「1つの足で2つのペダルを同時操作」はウソ。

1つの足で2つのペダルを同時に調整なんてプロのレーサーじゃなきゃ無理。一般人の場合、ブレーキの踏みしろは固定(クラッチの摩擦を伴わないエンジンブレーキの効きなんてたかが知れてるんで、普通のブレーキ踏み込み量で OK)。で、ブレーキペダルを支点にして、足首を捻挫方向に曲げてアクセルをあおるのだ。

あおるタイミングはクラッチを底まで踏み切った瞬間ね。同時にギアをいったんニュートラルに入れて、エンジン回転数が上がりながらちょうどいいところに来た時にギアを入れる(そのギアに向けてシフトレバーを軽く押してるだけで、ギアの方から勝手に入ってくれる)。エンジン回転数が落ちながらちょうどいいことろに来たらクラッチをつなぐ。ここらへんは練習で勘を磨くしかない。

逆に言えば、エンジン音でちょうどいい回転数が分かようになるんで、タコメーターなんか要らない。それと、ブレーキ踏みの見込み量を間違えたと思ったら、すぐにアクセル操作を放棄して普通のブレーキングに切り替えること。これで安全を保てる。

とまあこんな感じで、ヒール&トウはできちゃうんですわ。慣れないうちはアクセルと一緒にブレーキもおもっきし踏み込んじゃったりして危ないんで、練習はすいてる道路か駐車場とかでやるといいよ。後続車がいないことを確認してね。

マニュアル車って、「やってやらなきゃいけない仕事」が多いぶんだけ、やり方にも流儀があるわけで、そこを掘り下げていくごとにクルマと深く付き合えるっつうか、クルマがどうして欲しいのか分かるようになっていくっつうか、そうゆーところがなんともまぁ楽しいわけです。

ちなみにおいらはアベニールじゃヒール&トウはやってないっす。ペダルの間隔が広すぎるんで。5速→4速、4速→3速の時にアクセルだけあおるくらいかなぁ。2速にシフトダウンするときってのは停まる時・徐行する時くらいでさ、そこまで来たらスピードが落ち切るところまで3速エンジンブレーキと足ブレーキだけで持って行って、2速に落とす頃にはもうわざわざエンジンあおる必要なくなっちゃうんだわ。ヒール&トウまではしたくない人の参考になるかな。

けどヒール&トウができると走りの幅が広がって便利なんですな〜。ローバーミニちゃんだとペダルの間隔が狭いんで、ヒール&トウを使ってるよ。交差点で曲がるのに滑らかに減速→加速したい時とか。それに特に山道の下り坂なんかだとホント便利。「どっわんエンブレ」のシフトダウンより早く作業が終わるんで、次の操作に早めに移れるし。しかもヒール&トウがジャストミートでビシッとキマった時ってのはほんと気持ちいい。快感もいいとこ。

ただ、「単純に信号で停まる」なんて場合にクルマを一番いたわる方法は、ギアを早めにニュートラルに入れて、足ブレーキだけで停まるのが良かったりする。これだとクラッチ・シンクロは全く傷まない。エンジンブレーキが効かないぶんだけブレーキバッドが早く消耗しちゃうけど、トランスミッションの消耗品交換より、ブレーキバッド交換の方がずっと安く上がる。エンジンを空吹かししないぶんだけ燃費も良くなる。

んでまぁこんな風に、別にただの街乗りでも、マニュアル車ってのはオートマ車じゃ絶対に味わえない独特の楽しみがあるんですよ。出荷される乗用車の9割がオートマ車と言われるこの時代、中にはラインナップにマニュアル仕様がないクルマもあるそうだけど、なんかみんなすごくもったいことしてる気がして。いずれ電気自動車が普及した暁には、こういうトランスミッションの区分けも変わってきちゃうから、ほんと今がその楽しみ時なんだよねぇ。

と先生ヅラしていろいろ書いたけど、実は最近、4速→3速でのアクセルを開くタイミングを今までずっと間違ってたことに気づいて、現在鋭意矯正中だったりする (^o^;) なんかこう、右半身(アクセル)と左半身(クラッチとシフトレバー)を同期させて運転するっての、脳トレにもいいような気がする。

あ、そうそう。マニュアル車は購入価格が安い上に燃費もいいんで、業務用車両じゃいまだに根強い人気を誇ってる。つうことで、就職にはオートマ限定解除免許が有利っすよ。

え? 「そんなこと言ったって今オートマ車に乗ってるよ。買い替える予定なんかないよ」ですと? ならばオートマ車でできるだけ燃費を良くする走り方も教えちゃう。それは「発進・加速はガバッとアクセルを踏んだりせず、できるだけしずしずと、上品に行う」。これです。「ギュイーン」じゃなく「ルルルル〜」っと。仕組みで言うと、トルクコンバータ内部での回転速度差を抑えることで、トルコンが作るパワーロスを低く抑えるんですな。これだけでかなり燃費が違ってくるはず。お試しあれ。

おわり

銘板左端銘板銘板右端

追伸:映画「不都合な真実」の最後に、地球環境を良くする誰でも出来ることが列挙されるけど、「アイドリングをやめましょう」「できればハイブリッド車に乗りましょう」はあっても、「車を買い替えるなら、安くて燃費のいいマニュアル車を候補に」はなかった。これは片手落ちだったんじゃないかなゴア君。

銘板
2007.5.18 金曜
前日に飛ぶ
http://yunzu.qee.jp/threedstudio/copages/htrgtr/htrgtr0705.html#LOG20070518
 この記事へリンクを貼る時は↑の URL をコピペしてね。

人はすぐには変わらないもの

やっちまった。「やたら長いログって根本的にいかがかとか最近思ってる」なんて書いた端から、マニュアル車復活大キャンペーン張っちまった orz

いや〜しかしこのキャンペーン、始めたはよかったものの、途中でプレッシャーに潰されそうになりながらようやく書き上げただよ。今満喫中のこの充実感よ! やっぱ長い日記路線はこれからも続くんかねぇ。

とりあえず今日のところはこのくらいでやめとくわ。反省も兼ねて。うん。

銘板
2007.5.19 土曜
前日に飛ぶ
http://yunzu.qee.jp/threedstudio/copages/htrgtr/htrgtr0705.html#LOG20070519
 この記事へリンクを貼る時は↑の URL をコピペしてね。

芸術懐疑論

芸術や音楽や文芸に明るいのに、リアル世界で人の心の機微を捉えるのに明らかに疎い人がいる。芸術は本当に人の心を豊かにするもんなのか?

どうもそういう人たちって、自分が物知りなのをいいことに、他の人を侮るというか見下すというか、なんかそういう態度が鼻につくんだよね。一言で言えば「お前そんなことも知らないの?」とか、「お前なんかに分かるはずもないだろうが」とか。そりゃあ芸術作品やジャンルひとつを知るにしても、それなりの労力が必要だから、その労力を積み重ねてきたことに対しては敬意を持つけど、それにしても何なんだろこの違和感は。

ていうかその違和感に対してなんだか懐かしさを覚えたぐらいにして。何なんだろこの懐かしさは。んで、最近ようやく気づいた。おいらも昔そうだったんだわ。純文学の本を読み漁っては、それを趣味としない人たちを内心、鼻で嗤ってた。でも情けないことに、まずそういう本を読み続けるのが苦痛になってきた。何を言わんとしてるのかさっぱり分からんくて。それまでは「自分は理解できる」なんて信念があったからやって来れたんだけど、理解できない。それでも読み続ける。いい加減自分でイヤになったあたりで、なんでそうまでして読み続けるのか、ふと立ち止まって考えた。その答えは、

他の無教養なやつらを見下したいから。

いやもう必死にその考えを否定したね。うん。でもそれ以外にまともな答えが見つからない。「とにかく読みたいから読む」でもないし、「いずれ理解できる時が来ると強く信じてる」でもなかったよ。そして、「見下したい」説を受け入れた、と。

それ以来、小説をぱったり読まなくなってしまった。そんな下卑た理由を原動力にして小説を読んでた自分がイヤになってしまって。ドストエフスキーとか川端康成とかの文庫本は、段ボール箱に詰め込まれたまま、再び日の目を見るのを10年以上待ちっぱなし。いつか自然と読みたくなる日が来るまで取っとこうって魂胆なんだけど、今じゃめんどくなってしまって、すっかり縁遠くなった。読んできた本の内容もタイトルさえももうおぼろげ。

思い出してみるに、はじめの理由は違ってたんだ。「世に言う名作というものを自分で体験して、どこがどう素晴らしいのか知りたい」なんつうまことに天晴な動機だったんだわ。てなわけで、小説の他に映画も黒澤映画をビデオで観てみたりして、そっちで観賞したのは娯楽方面の作品だけだったけど、その面白さを存分に体験できた。小説部門の方も、無理しないで娯楽小説主体にしてれば良かったかも。で、それがいつの間にかその成果を求めたくなって、誰かに褒められたくなって、動機がねじ曲がっていったんですな。

して最近になって、そうやって芸術的教養をひけらかして周囲を見下すやつらが、おいらの生活圏にいることに気づいたってわけで、ちょっと興味を持って観察中だったりする。彼らは一体、どうゆー動機で芸術に惹かれるようになったのか。そして今現在の動機は何なのか。おいらみたいに不純にねじ曲がっちまったのか、それとも純粋に芸術から感動を受け続けた結果なのか。もしくはその両方なのか。

かといって、芸術そのものがそういう作用を生むためのものじゃないことは分かってる。まぁおいらの感性は娯楽系専門なんで、そこらへんに翻訳して考えると、芸術とは、「何らかの感情を受け手に湧き起こすための知恵と技術とひらめきの結晶」だと思う。だから、まず重要なのは、受け手や観客が感動することが第一。その技術・技法やアイディアはその次、と考えられる。

で、どーも問題の感性を持った人たちってのは、芸術そのものにまず感動するんじゃなくて、技術・技法やアイディアや作品背景に関心が行って、そうゆーところにオタッキーな感動を求めてるよーな気がする。確かにそういう基礎知識がないと堪能できない芸術も多いかと思うけど、なんかちょっと違うんじゃないかとか。

オタクの喜びってのは、あるひとつのジャンルに固執して、でき得るならばそれに関する全ての知識をコレクションしようってところにあると思う。一般のオタクは、自分がある対象に対して特別な興味を持ってるということが、世間的に見てどうでもいいことだってのを分かってるからいいとして、芸術オタクは興味の対象がなまじ価値のあるものなもんだからそういう認識がなくて、それで自分の知識をひけらかして世を見下してはご満悦という愚行を犯すんじゃないのかねぇ。価値があると知られてるものだからこそ、一般人はその芸術オタク攻撃を受けて劣等感を持っちゃって、ますます芸術オタクの思うツボなんじゃないかと。そして芸術はますます「敬して遠ざける」類いのものになっていく、と。

ともかくそういうやつらが存在するってことは確認できたし、手の内もまぁ大体推測できた。まぁ、あとは、本当に芸術に感動してる人と芸術オタクを見分けることが肝要ですなぁ。

銘板左端銘板銘板右端

本当に芸術に感動してる人ってのは、得てしてその活動は静かなものだと思うんだけど、そうじゃない素晴らしい例もまたある。その素晴らしい例をネット上で発見してしまった。

文芸ジャンキー・パラダイス

是非ここにアクセスしていただきたい。そして、芸術に感動するというのはどういうことなのかを知っていただきたい。正直、このサイトを知ったおかげで、芸術好きと似て非なる芸術オタクの存在を認識できただよ(『文芸ジャンキー・パラダイス」には芸術オタクに関する云々は特にありません)。

銘板
2007.5.20 日曜
前日に飛ぶ
http://yunzu.qee.jp/threedstudio/copages/htrgtr/htrgtr0705.html#LOG20070520
 この記事へリンクを貼る時は↑の URL をコピペしてね。

みぢかいにっき

ありゃ〜昨日また長い日記書いちまった orz 短く収めるつもりだったのに……。今日こそ短くするのだ。

とりあえず、最近まで今月の日記、読み込んだあと綺麗に頭出しができなかった日が多かったかと思う。その原因と思われるものを見つけて対策したんで、再び頭出しがズバッといくようになったんじゃないかな。原因(と思われるもの)は、画像挿入タグ img のひとつに、height(高さ)属性を入れてなかったからかと。もう直しちゃったんでどれだったかおぼろげだけど、5月12日の『タックスアンサー観察日記」での画像だった気がする。これでも直ってないとしたら、その前日の「大量生産燃料電池車 早くも登場!!」での、画像付き table が原因かも。だとしたらちょっと面倒なことになりそう (-_-;)

それから、2001.8.9 で購入した 40GB ハードディスク、ついに大往生したっぽい。SETI@home のためまず Power Mac G4 でこき使われ、COMPAQ DESKPRO に移植されてからも S@h のために回り続けたんだが、その酷使に次ぐ酷使、実に5年と9ヵ月、よくぞがんばってくれた。不燃ゴミとして安らかに眠ってくれ給え(冷徹)

あと、どうにも使いようがない小容量の HDD (2GB, 8.4GB, 10GB) も余ってるんで、まとめてゴミに出してすっきりするかぁ〜。

銘板左端銘板銘板右端

文芸ジャンキー・パラダイスのカジポン・マルコ・残月さん、『最新文芸情報」をフツーに毎日、ものすごい分量を書いてらっしゃるなぁ……。こっちは日記の減量を検討してるってのに。かなわんなぁ orz

銘板
2007.5.21 月曜
前日に飛ぶ
http://yunzu.qee.jp/threedstudio/copages/htrgtr/htrgtr0705.html#LOG20070521
 この記事へリンクを貼る時は↑の URL をコピペしてね。

ハイブリッド車の裏側の噂

トヨタのハイブリッドシステムには、あまり知られていない落とし穴があるそうな。2007.1.23 で、

初代プリウスが発売されて、今年で10年。いいかげんバッテリーがヘタレてきてもいい頃。(中略)もしかして今走ってる初期型プリウス、バッテリーがもうとっくに死んでて、無駄に重いだけのハイブリッドシステムをのっけたまんま走ってるんじゃないだろか。かえって環境に悪い具合いになってしまってるんじゃないだろか。

と書いた。噂で聞いただけなんだけど、トヨタのハイブリッドシステムの要のニッケル水素電池、5年でヘタレて電池交換代が50万らしい。本当だとしたら、バッテリー代が年間10万。10年前の初代プリウスは今年でバッテリー2巡目で100万ってことになる。

ハイブリッド車はトヨタ製でもホンダ製でも、新車購入時には政府から補助が出るらしいけど、バッテリー交換(ホンダの場合は大容量電界コンデンサ)でも補助が出るのかな。

「そんなに言うなら、5年で新車に買い替えて、古いクルマは廃棄すればればいいじゃないか」

とメーカーが言って来そうな感じだけど、環境を考えるとそれもどうなんだろう。新車を製造したり、あるクルマを乗り潰して廃棄するとき、どうしても大量のエネルギー消費を伴う。そのエネルギーコストをペイするためには、平均して1台のクルマを5万km乗らないといかんらしい。それ未満でクルマを捨てるとなると、エネルギー的に赤字になる。そして、クルマというのは中古車として長く乗られることで、ますます環境に貢献することになる。まぁ要は、せっかく作られたクルマなんだから、もったいないから大事に長く乗れ、と。

でもこれ自動車屋さんにとっては黙っていたいことだろうなぁ。新車をなるべく販売するなってことになっちゃうから。政府の方針としても、燃費のいい新車をどんどん導入すれば環境にいいし経済効果もあるっつう立場だし。

そんなわけで、10年前に売り出された初代プリウスも、長く乗れば乗るだけ環境にいいってことになるんだが、バッテリーの壁が存在するっつう噂。中古市場で乗り継がれて10年以上使われればエネルギー収支じゃ充分黒字になると思うけど、そのコストがトータル100万てのは痛い(あくまで噂ベースだけど)。バッテリー代だけで軽自動車やリッターカーを1台買えちゃう。

まぁでも、「バッテリーがヘタレる」の定義にちょっと期待をかけてみる。燃料電池の本で読んだところでは、「燃料電池が劣化する」の基準は、出力が 90% にまで落ちるってことだそうで。この基準がハイブリッド車用バッテリーにそのまま当てはまるとすれば、5年で 90% の性能、10年で 81% の性能に落ちるってことで、どうにかそのまま使えそうな雰囲気ではある。

クルマは10年も乗れば、ところどころにサビが浮いてきたり足回りにガタが来たり、燃料ポンプやスターターとかのモーター類のベアリングが摩耗したりして、だんだんメンテナンスコストがかかるようになってくる。「そろそろ潮時」ってやつ。その潮時までで 81% のバッテリー性能が残ってるなら、よしとするか。

これはあくまでも燃料電池の基準を当てはめた場合の話。それに、「5年で50万」も、裏が取れた話じゃない。本当のとこはどうなのかは、5〜10年もののプリウスの持ち主さんじゃないと分からない。でも相変わらずトヨタのハイブリッド路線は鼻息が荒い。

つうことで、ハイブリッド車には「特有のランニングコスト疑惑」が浮上してるんで、ハイブリッド陣営はこれに対する説明をしなきゃいかんと思うんだが。バッテリーは使ってりゃいつか必ずヘタレる。もしそのヘタレっぷりが「5年で 90% の容量」どころじゃなく、本当に「5年で50万」必要なくらいなら、ハイブリッド車の勢いに水を差さないためにも、何か手を打たんといかん気がする。政府としても環境対策でハイブリッド車を推すなら、新車購入時だけじゃなく、バッテリー交換時にも補助金を出すべきだと思うんだが。もう出してるんならそれでいいんだけどね。

銘板
2007.5.22 火曜
前日に飛ぶ
http://yunzu.qee.jp/threedstudio/copages/htrgtr/htrgtr0705.html#LOG20070522
 この記事へリンクを貼る時は↑の URL をコピペしてね。

家電フュージョン風雲伝

今日は家電の融合について考えるのココロだ〜ぅ(小沢昭一風)

今さらながら、携帯電話の進化には目を奪われるものがあるなぁ。小型化競争が一段落したと思ったらメールできるようになって、そうかと思ったら i モードでしょ、カラー画面でしょ、デジカメまで付いちゃって画質・画素数競争でしょ、PC 用のサイトをそのまんまウェブブラウジングでしょ、それに音楽の取り込みに再生。で、最近じゃワンセグでテレビまで見れちゃうんだもんなぁ。その他、けっこう前から電卓にカレンダーにスケジュール表に時計に目覚ましにイージータイマーにボイスレコーダーにバーコードリーダー。書き忘れてたけど電話機能(笑)。モノによっては防水機能。財布の代わりになったりもする。電話というジャンルを大幅に超えたスーパー家電だね。あと付いてないのは冷蔵庫と洗濯機とミサイル発射機能くらいじゃないの?(白モノ家電はともかく、改造のしようによってはミサイル発射もできそうなのがちょっと恐い (^^;)) ここまで旺盛に機能を取り込んだ家電製品なんて今までなかったんじゃないかねぇ。

誰の言葉だったか忘れたけど、発明の極意は、2つのモノを1つにまとめることだそうで。まぁエジソンの電球なんかを考えても、「電力と光源」てな分け方をすれば、2つのモノが1つにまとまったものだと考えられますわな。で、30年から40年前、とある日本人技術者は何を血迷ったか、2つの完成された家電を1つに融合させることを思いついて、早速製品を作って世に出した。それがラジカセ。

どこのメーカーが初めてやったのか知らないけど、初めて売り出すときはドキドキもんだったんじゃないかと思う。「どっちつかずの中途半端な製品」と鼻で嗤われるんじゃないかと、作る方も売る方も、発売直前まで夜もろくに眠れなかったんじゃないかと思う。で、フタを開けてみたら世界的大ヒット。他のメーカーたちも慌てて追随したぐらいにして。

今だからこそああだこうだ考えられるんだけど、結局それを受け入れた消費者は、ラジオに対してもカセットテープレコーダーに対しても、それなりの機能と性能さえあれば満足だったんだろうね。でもラジカセならでは強みもあった。それは、「携帯したい2つの装置がひとつにまとまってラクになった」「特別何の操作や設定をしなくてもラジオを録音・再生できる」これもまた効いたんじゃないかと。どっちの機能もスピーカーから音を出すってところが発想の原点なんじゃないかと思う。それがツボにハマった、と。その証拠に、80年代前半に「ラテカセ」なる、ラジカセにテレビが付いたものが売り出されたんだけど、見事に大コケしてる。

コケた理由はまぁ、ガタイが巨大だった(電子レンジくらいあった)割にはテレビ画面が今のケータイの画面より小さくてしかも白黒のブラウン管で、あんまし便利じゃなかったというのもあったろうけど、おいら的には、「テレビを付けるのならビデオレコーダーも付けなきゃいかんかった。しかも片手で簡単に持ち運びできるサイズと重さで」と踏んどるよ。ラジオとカセットテープレコーダーのタッグが成功したことを考えると、そういう結論に自ずとたどり着く。

80年代前半といえば、据置型の家庭用ビデオデッキがようやく出始めた頃。まだまだ高価で、一般家庭には存在してないのも同然だった。簡単に持ち運びできるものじゃなかったけど、後にテレビデオが世の中にほどほどに受け入れられたんで、あながち間違いじゃないと思う。テレビデオは「テレビやビデオの観賞なら、別に小さい画面のモノラル音声で OK」っつう、こだわらない客層をうまく取り込んだ。ラジカセみたいな爆発的普及にまで至らなかったのは、後述する「第三の利点」があまり感じられなかったからだと思う。

あと、ダメ家電2つを合わせてみたときに、ちょうどよく時流に乗ったラッキーな製品もあった。それがかのカシオ QV-10。今のデジカメ時代を切り開いた逸品。ダメ家電2つのうちの1つは小型液晶テレビ。バブルの頃に小型カラー液晶ディスプレイの大量生産技術が確立して、いろんな家電メーカーが携帯テレビを売り出したけど、誰も見向きもしなかった。

だって画面が荒すぎて字幕がろくに読めないんじゃなぁ。当時の液晶の弱点だった可視範囲の狭さもあって、1台の携帯テレビでせいぜい2人しか見られなかった。まぁラテカセのテレビ機能よりずっとましだったけどね。

もう1つは、昔のデジカメ。CCD で画像を取り込むのは今と変わらないんだけど、出力がテレビ画面だった。ビデオ端子をつないで見るのね。画像はフロッピーディスクに保存して、見るにはテレビにつなぐか別売の専用プリンタで出力するかしかなかった。まずこれが不便。しかも解像度も画質も、完成の域に達してたフィルムカメラと比べものにならないくらい悪かった。プリントを焼いてそれをアルバムに貼って、好きな時に高画質の写真を見るスタイルが完全に定着してた当時の世間に、到底受け入れられる代物じゃなかった。

で、カシオはそのダメな2つの家電をフュージョン(融合)させた。初の液晶画面付きデジカメの誕生。今じゃ当たり前だけど、当時としてはその発想の斬新さにおいらは喝采を送ったもんじゃった。だって撮ったその場で写真の写り具合を確認できて、気に入らなかったらその画像を消せるなんて、フィルムカメラじゃ逆立ちしたって無理だったんだもん(感慨)。たぶんそのヒントとして、先立って普及してた液晶大型ファインダー付きビデオカメラがあったんじゃないかな。

QV-10 の目玉機能はそれだけじゃなかった。当時盛んに騒がれてた、パソコンのマルチメディアに完全対応。PC にその画像を保存できた。ということは画面で見るのもプリントアウトもできるってこと。こう書くと旧世代のデジカメと変わりない感じだけど、写真を見るのにテレビの流用じゃなく、専用機材も要らない。しかもマルチメディアとか言うから買ってはみたものの持て余し気味だった PC(当時はインターネットもほとんど普及してなかった)に明確な目的を与えたってのがインパクト強かった。フィルム写真に比べての画質の悪さは、余りあるメリットでカバーされた。これで一気に売れ筋商品に名乗りを上げた。まぁおいらは当時パソコン持ってなかったし QV-10 は高嶺の花だったんで、買えなかったけどね。

フュージョンの成功例もあるけど、失敗例だってある。その代表が「電卓付きデジタル腕時計」。あれはほんとダメダメだったよ。

これも80年代前半に登場したんだわ。当時デジタル時計が流行ってたし、電卓も小型化路線を邁進してた。それでこうなったんだけど、実際それを使ってた人、すごく使いにくそうだったもん。ボールペンの先で、左の手首に巻かれた時計の下半分に詰め込まれたちいちゃなちいちゃなキーをチマチマ押すんだもんなぁ。ちょっと老眼入ってる人なんか操作するの無理だって。

その失敗に追い討ちをかけて、80年代後半からはアナログ腕時計が復権したし、電卓も小さすぎると使いにくいことが充分わかったんで、液晶表示もキーもある程度のサイズを保つようになって、両者は物別れになってしまった。結局、時計も電卓もここまで小さく作れるんですよっつう、メーカーの自己満足で終わってたのが敗因だったかと。

こうして見ていくと、フュージョン家電の成功の法則が見えてくる。

成功したフュージョン家電は、それぞれ持ち寄った機能の他に、持ち寄った2つの要素や他のものを組み合わせて初めて実現する「第三の利点」を持ってる。携帯電話はポータブル情報端末という観点からインターネットやデジカメやテレビ、決済システムを取り込んだことで、それ1つを持ってれば何でもできちゃう、しかもそれぞれが有機的につながってるっつう利便性が売りになった。

ラジカセは、2つの持ち運びたい装置が1つで済むってこと自体が画期的だったし、ラジオ番組の録音・再生が簡単にできるというメリットも大きかった。この携帯性と簡単録音・再生は密接につながってると思う。ラテカセもテレビデオもラジカセほど受け入れられなかったのは、携帯性と簡単録画・再生が同時実現できなかったからかと思われる。

今現在隆盛を誇ってるデジカメの始祖である QV-10 は、液晶画面を備えることでデジカメの利便性を完成させたのと、別ルートで普及し始めたパソコンとの親和性も謳い文句になった。

ただ組み合わせるだけじゃダメなんですなぁ。組み合わせたことで、もっと新しい何かを与えられなきゃ、フュージョン家電は成功しないんですわ。そこでラジカセ創世期の故事を思い出そう。「既に完成されている2つの家電を融合させて、新しいものを作る」。「混合」でも「接合」でもなく、飽くまで「融合」。その発想に、新しいヒット商品が潜んでる気がする。

ところがやっぱしというか、なかなか思い浮かばんもんですな。小型携帯を求められる情報ものはみんな携帯電話に吸収されちゃった。それ以外といえば白モノ家電。ガタイのでかさ(というか容量の大きさ)が勝負だし電力も食うから、携帯電話とは相容れない。それなら白モノ家電同士の融合はどーだろ。冷蔵庫と洗濯機……はちょっと間柄が遠いか。んだったら、電子レンジと冷蔵庫なんか、お互い食品同士で相性が良さそうな気がするけどどうでしょ。これに「第三の利点」を見い出せれば、かなり画期的な商品になること請け合いな気がする。

あと、なんでいまだに実現してないのか分からんのが、携帯電話をテレビやビデオのリモコンに使うって考え。ケータイには赤外線通信機能が付いてるから、テレビやビデオのリモコン信号に合わせた信号を発信しさえすれば、そのまんまリモコンに使えると思うんだが。テンキーだって付いてるし、バーコードも読めるし。何よりも以下の事実が重要。

「テレビやビデオのリモコンはよくなくすけど、ケータイはめったになくさない」

もうこれだけで利便性大幅アップだよ。「ケータイとして使える」「リモコンとしても使える」に続く第三の利点だよ。もしどこのメーカーもまだ思いついてないんなら、今がチャンスですぜ。これ読んだメーカーが先陣を切れるってわけだ。実現した暁には、おいらに謝礼を忘れるでないぞよ。言っとくけどジャムパンだからな。現金でももちろん嬉しいけど基本はジャムパンだ。分かったな。

銘板
2007.5.23 水曜
前日に飛ぶ
http://yunzu.qee.jp/threedstudio/copages/htrgtr/htrgtr0705.html#LOG20070523
 この記事へリンクを貼る時は↑の URL をコピペしてね。

好きでゴミを出してるわけじゃない

ガラスリサイクルの実態は一体どーなっておるのか。全く納得がいかない。いやね、2カ月くらい前にうちの職場で大量のガラス廃材を処分することにしたのよ。180ミリリットルくらいの未使用の小ビン。リサイクルの基準では「ワンウェイびん」と呼ばれるやつ。実測3.65トン。どうにも使いようがないもんだから。それで、産廃リサイクル業者に連絡を取ったら、ガラスは埋め立て処分とのこと。もちろんトンあたりでお金を取られる。

ガラスってリサイクルできるはずじゃなかったっけ? 再生ガラスとして。またはアスファルト舗装の副原料として。カネを取られるという点でもリサイクルしてくれないという点でも納得行かなかったんで、ネット検索をかけたら、八戸リサイクルプラザなるところが見つかった。「缶・ビン・ペットボトルの混合物から自動的に仕分けし資源化を行う資源化ライン」ですか。ふむふむ期待できそうじゃないの。

んでそこに書いてあった電話番号に電話したら、そこで扱ってるのは家庭ゴミから出るガラスビンのみで、事業所から出るガラス産廃は回収してないとのこと。何なんだよ。同じガラスビンじゃん。しかも未使用なんだから家庭から出る使用済みのより綺麗だぞ。納得いかねぇ〜。そしたら、企業でガラスリサイクルやってるところがあるとのことで、そこを紹介してもらった。ガラスをアスファルト舗装の副原料に利用する会社。

その会社に電話入れたら、「入札でしかガラスを受け付けていない」だそうで、何だかよく分からんけどうちはダメだってことが判明。諦めきれずにタウンページを探して、十和田市にガラス回収業者を発見。早速電話したら、建築廃材の板ガラスのみ扱ってるんだそうで。そこもダメ。

結局リサイクル路線は全滅で、仕方なく高いカネ払って産廃として処分する羽目になった。ほんともったいないよこれ。溶かせばまたガラスとして使えるものなのに、まだ役に立てるはずなのに、それを許してもらえずに、ただただ廃棄物処分場を無駄に埋めるだけだなんてさ。まぁカネに関しては相見積もりを取って、より安い業者(35,000円/トン)に頼んだけどね。それでもやっぱり高かった……。

それにしても納得いかねぇ〜。こっちがリサイクルしたいっつってんだから、リサイクルさせやがれよなまったくよぉ〜。

銘板
2007.5.24 木曜
前日に飛ぶ
http://yunzu.qee.jp/threedstudio/copages/htrgtr/htrgtr0705.html#LOG20070524
 この記事へリンクを貼る時は↑の URL をコピペしてね。

大団円にゲスト現る

今日は最後の焚火の日〜。天気がよくて風がなくて、いやー燃やした燃やした。職場の木製品の残り全部燃やした。

でも今日の物件はほとんどみんな湿気っててさ、底がもろに濡れてる樽もあったりしてさ、なかなか燃えてくれなくて困ったでござるよ。でもがんばって燃やした(鼻息)こんな感じで↓。手前に散らばってるナマの木材は、タガが焼けて外れてこっぱみじんになった樽の残骸。

燃え樽

3時頃には燃やすもん全部くべ終わって派手な燃焼も終わって、あとは燃え残った炭の燃え具合をぼーっと見てたんだわ(待ってれば炭はだんだん灰に変わっていく)。したら消防車が来てさ、何の前触れもなく。いや焦ったの焦らないのって。

そんな内心は見せないよーに、「何ですかぁ〜? ちゃんと火を見張って燃やしてますよぉ〜?」なんてなんも知らんよーな顔して消防車に近付いて行ったら、隊員の方が降りてきた。なんでも無断の焚火は御法度なんだそうで(噂では知ってた)。さらに、こうゆー廃棄物は産廃として業者にカネ払って処分しなきゃいけないんだそうで(最近知った)。

んでまぁ、「はぁーそぉだったんですかぁー」と返した。したら「本当は罰金か懲役なんだよ。でも今日は見なかったことにしといてあげるから」。とゆーことで、「分かりました。もうしません」と殊勝な返事したぐらいにして無事にミッションコンプリート!! (^▽^;) ていうか消防の隊員さん、本当にすみませんでした(汗)

消防車が見回りしてたのは、天気がいい日がずっと続いて乾燥注意報が出てたからかな。それで煙が上がってるのを発見されたかも。何にせよよかったよかった(火災が起きなかったのが一番よかった)。これで要らんもん根こそぎ処分したんで、職場がすっきりしたし。

消防署に注意されたしオーラスだったしで最後に味噌付けちゃいけないと思って、消火の水は多めにかけといたよ。それにしても1日中立って焚火仕事してたんで足が痛いっス。それに、しっとりモイスチャライズされた異様に重たい木材を運びまくったもんだから、腕も筋肉痛…… orz

銘板
2007.5.25 金曜
前日に飛ぶ
http://yunzu.qee.jp/threedstudio/copages/htrgtr/htrgtr0705.html#LOG20070525
 この記事へリンクを貼る時は↑の URL をコピペしてね。

Barcodia 0.7.6

2年半もの間まったく日の目を見なかったあの計画が帰ってきた。そう、PC のプラットフォームを問わずにバーコードを作成できるという崇高な理念 (^_^;) に基づく、あの Barcodia(バルコディア)

2004.11.12 に出した ver. 0.7.4 以来、幾多の新機軸に幾度もトライしては挫折感を覚えたりこんがらまってわけわかんなくなったり忘れてたりして(忘れてた期間が一番長い)、かなり悪戦苦闘してきたんだが、いろいろやった結果、とりあえず公表できる程度のやつができたよ。それが

Barcodia 0.7.6

相変わらず Java アプレットのまんまなんだけど(アプリ化は ver. 0.8 で予定)、見栄えを単純にして戸惑わないようにしたり、それに合わせてウインドウサイズを小型化して扱いやすくしてみたり。あと、「ダブルバッファリング」ってのを導入して、スクロールバーで画像サイズを変えるときに、画像がチラつかないようにしたり。

さらに狙ってたのは、トリプルバッファリングでの印刷用画像のリアルタイム取得なんだけど、このプログラムを作るのが一苦労だった上に、いざ作ってみたら操作が激重になってしまったんで、もったいなかったけど断念。今の狙いは、とりあえず次の ver. 0.7.7 でアプリ化の準備をして、0.8.0 で待望のアプリ化。そこから先で印刷用画像作成・保存機能を盛り込もうと思ってるよ。

ま、Java の勉強しながらゆっくりやっていきますわ。今までこんなにブランクが空いたのは、「やんなきゃな〜やんなきゃな〜」なんつうプレッシャーに負け続けた結果だったんで、あんまし気負わないで行くです。完成すれば喜んでくれる人はけっこう多いとは思うけどね。職場に Linux や Mac を導入してる中小・零細の物販・流通系企業とか。

Windows 環境の会社やお店でも、現行のバーコード作成ソフトに不満があるところとかにいいかも。我が Barcodia は JIS のバーコード規格に完全対応っすから。他のバーコード作成ソフトは、たとえ有料のものでも手を抜いて、規格逃れをしてるものが多いそうな。つうかどの商品のバーコードを見ても、数字のフォントとして JIS X 0501 で指定の OCR-B を使ってないってのが不思議で不思議でしょうがない。

銘板
2007.5.26 土曜
前日に飛ぶ
http://yunzu.qee.jp/threedstudio/copages/htrgtr/htrgtr0705.html#LOG20070526
 この記事へリンクを貼る時は↑の URL をコピペしてね。

OCR-B の真実

どの商品のバーコードを見ても、数字のフォントとして JIS X 0501 で指定の OCR-B を使ってないってのが不思議で不思議でしょうがない。

と昨日おもいっきし言い切ったんだけど、それから JIS X 9001(OCR 書体を定義してる文書)の書類をあらためて見直したら、間違ってたのはおいらの方だったことが判明(汗)。まぁおいらが今使ってるのも、多くの会社がバーコードに使ってるのも同じ「OCR-B」書体なんだけど、おいらが使ってたのは「一定線幅 サイズ I」、世に出てるほとんどのケースは「非定線幅字形 サイズ I」の OCR-B だった、というのが真相。バーコードを定義してる JIS X 0501 文書によると「バーコードシンボルの特性」として,

  1. 文字の字体,大きさ 文字の字体,大きさは,次による。
    1. 文字の字体 文字の字体は,JIS X 9001 の OCR-B に規定してある数字とする。
    2. 文字の大きさ 基本寸法によって印刷されたバーコードシンボルの文字の大きさは,JIS X 9001 の OCR-B,サイズ 1 に規定してある大きさとする。ただし,バーコードシンボルを拡大・縮小して表示する場合には,バーコードシンボルと同じ比率で拡大・縮小する。

なんで、たぶんどっちでも OK なんだとは思うんだけど。

けど、おいらも世の習いに迎合して、これからは非定線幅字形 サイズ I の OCR-B に採用を変更しようかと思う。正直、非定線幅の方がかっこいいし。けど JIS X 9001 の書類から文字画像を起こすの、ものすげぇ面倒なんですが(JIS X 9001 電子版は、1976年に当然のごとく紙ベースで作られた文書を後年になってスキャンしただけのものなんで、サンプル表示が汚い。微妙に斜めになってるし)。またそれをゼロからやり直しですか。そういや「0」の文字って曲線ばっかしだから面倒なんだよなぁ。はぁ〜自分の認識不足のせいとはいえ、ほんと不覚を取ったなぁ。

これを機会に、関連書類をもう少し読み込んでみるとするか。

銘板
2007.5.27 日曜
前日に飛ぶ
http://yunzu.qee.jp/threedstudio/copages/htrgtr/htrgtr0705.html#LOG20070527
 この記事へリンクを貼る時は↑の URL をコピペしてね。

『バッチギ! LOVE & PEACE」 vs 『俺は、君のためにこそ死ににいく」

昨日『バッチギ! LOVE & PEACE」を、今日『俺は、君のためにこそ死ににいく」を観てきたよ。まーなんてーか、公開前から『パッチギ!……」の井筒和幸監督が「俺は、……」を「右翼だ」と批判したり、それを聞いた「俺は、……」サイドが「映画を観てもいないのにそんなことを言うなんて」と返したりで、とりあえずの舌戦で、双方ともそれなりの宣伝効果を上げたかと思う。で、どっちも同時期の公開になったんでちょうどいいや、両方観て比べるべぇとなった。

いきなり結果発表。『バッチギ! LOVE & PEACE」の圧勝。理由。娯楽メインのはずの『バッチギ!……」は泣けたけど、お涙頂戴路線のはずの『俺は、……」じゃ全然泣けなかった(さすが東映なだけに、泣かせ場面は多かったけど)。クライマックスの処理のうまさの差が如実に現れましたな。

『俺は、……」の方のクライマックスは戦場での壮絶な特攻場面の描写なんだけど、その前から次々と特攻隊が出撃していくわけで、別に初めてのことじゃないんでしょとか思ってしまった。こういう場合は、初の特攻作戦を冒頭に持ってきて短めに見せておいた方が、クライマックスをグッと盛り上げられたんじゃないかねぇ。娯楽映画で定番の「サビ頭」にもなったろうし、これから特攻していく若者たちがどんな最期を遂げるのか、観客だけに教えとくことで、何も知らない彼らへの同情をもっと買えたろうし。

まぁこんなテーマの映画を「娯楽」と割り切っちゃうのは不謹慎と見る向きもあるだろうけど、客からカネを取って観せる商業映画である以上、「ありとあらゆる手段を使って見せ場を盛り上げる」という骨法を外しちゃいかんのですよ。メッセージやテーマはその次以降に位置しなきゃならんのですよ。だから、もしメッセージ第一の映画なんだったら、入場無料にして、製作総指揮&脚本の石原慎太郎のポケットマネーでそのぶんを埋め合わせるくらいしないとダメなんですよ。どんな深刻なテーマを扱おうが、商業映画は商業映画なりに面白くなきゃいかんのですよ。

その点を『パッチギ!……」はよく分かってて、クライマックス以前のほとんどの場面が、クライマックスに焦点を合わせまくってて、しかもそのクライマックスは重層的で、見事な編集でそれをさばき切ってこれでもかこれでもかと盛り上げてくれた。いやもう泣けたの泣けないのって。娯楽映画の鏡ですよほんと。

ということで『バッチギ! LOVE & PEACE」は、『俺は、……」はおろか、1作目の『バッチギ!」より面白いぞ。「2作目に佳作なし」だなんて知ったかぶったことを言ったのはどこのどいつだ(早川光という何も分かってない映画監督が、『異説・黒澤明」という鼎談形式の本で言ってた。おいらのお気に入りの『椿三十郎」のことでそれを言われたんで、めちゃめちゃ腹が立ったのだった)。ただ、難病の治療費を工面するのに、なんで玄界灘で裏取引するのかがいまいちよく分からんかった。そこらへん説明不足だったなぁ。

それから、『バッチギ!……」はもうサビ頭の冒頭から話に引き込まれて、映画を見てる間、この映画以外のことを考えられなかったんだけど、『俺は、……」だとどうも話がダラダラと流れすぎて(泣かせようって意識は随所で感じたが)ぶっちゃけ退屈で、「そういや Barcodia の開発はあそことあそこが、おいらのプログラミングの腕じゃ難関もいいとこだよなぁトホホ」とか関係ない日常世界の考え事に、何度も頭が戻ってしまったよ。

それにしても、両方の映画で言えることなんだけど、戦争場面の CG ってのはすごく進歩したね。軍用機が飛んでて爆弾を落としたり銃撃したりってのが、ほんと克明に描かれてる。どっちもすごかったけど、これに限っては『俺は、……」の方が、描写の凄まじさで勝ちかな。なんたって火だるまになった戦闘機の火の具合やら(コンピュータでの計算による「火」の再現は大変難しいと思われ)、翼がもげた戦闘機の墜ちっぷり(これも難しそうだけど、コンピュータシミュレーションでどうにかできる。そこで手を抜かなかったことには敬意を表する)までリアルに再現してるんだもん。『男たちの大和」みたいに、CG 場面で映像の品質(解像度)を落としてコストダウンするという愚は、両作品とも犯さなかった。天晴かな。

あと、海外ウケに関することなんだけど、『パッチギ……」は国内市場だけがターゲットと思われるんでそれでいいかと思うんだけど、『俺は、……」はなんだかポスターに「2007年 全世界に向けて放つ感動の超大作」って書いてあった。まぁ世界から見ていまだに誤解と偏見に満ちてる神風特攻隊の本当の真実として受け入れられようって意向なのか、単に石原慎太郎の誇大妄想なのかよく分からんけど、海外じゃこの程度の、日本人にしか分からない精神性でしか描かれてない作品じゃあ、神風特攻はやっぱし理解されんと思うぞ。

映画の冒頭で伊竹雅刀が「この戦争に敗れた後でも日本の心意気の現れとして歴史に刻まれるだろう」みたいなことを言ってたけど、これこそ石原都知事の思い入れなんだろうねぇきっと。でもなぁ、スミソニアン博物館に展示されてる特攻専用機 桜花の説明に "BAKA BOMB" という、日本人にとって屈辱的な名前がフツーに記されてるって話じゃないの。海外じゃ神風特攻なんて、いまだにその程度の理解しかないのよ。こういう日本独特のものの考え方って、もっと噛み砕いて説明しないと外人には通用しないだろ。

つうか、大航海時代以来数百年ぶりに、白人に正面から歯向かって互角に戦った有色人種として、特にイスラム圏じゃ日本は尊敬の対象になってるらしいけど、それで彼らが実際にやってることは悲惨な自爆テロなわけで、神風特攻は彼らにそのアイディアを提供してしまったんじゃないかと、おいらは日本人としてとても複雑な心境になっちゃったりするんだが。

そうゆー国々じゃ『俺は、……」はウケるかも知んないけど、肝心の、一番理解してほしい欧米の人たちは、やっぱこの程度じゃ理解してくんないだろうなぁ。それより、在日朝鮮人のことを全く知らなくても、『バッチギ!……」の方が世界的な理解が得られるような気がする。だって娯楽映画として面白いんだもん。

銘板左端銘板銘板右端

たまたまなんだけど、おいらこの2本の映画を観る直前に、渡辺昇一の『かくて歴史は始まる」『かくて昭和史は蘇る」、日下公人の『人間は なぜ戦争をするのか」を一気読みして、東京裁判史観によらない第二次大戦の日本の側の言い分や実情を知ったんだけど、その観点からすると、どっちの映画も、ちょっと第二次大戦の勉強不足なんじゃないかと思える点が見受けられたよ。上記の3冊の本に書かれてることは、ノンフィクションの上に徹底的に情報源を書籍上で公表してるんで、かなり信頼が置けると思う。対して商業娯楽映画はもともとフィクションだから、そこらのソース公開がどうしても甘くなる。映画の方は鵜呑みにしちゃいけませんですなぁ。

例えば『パッチギ!……」の戦場はミクロネシアのヤップ島なんだけど、現地の子供たちを並ばせて「自分たちは天皇に忠義を尽くします」みたいな皇民化教育をしてる場面があった。本当だろうか。南洋じゃ日本軍が駐留してはいたものの、朝鮮や台湾と違って日本に併合はしなかったから、そこまではしなかったんじゃないかと思うんだが。南太平洋の多くの国々で、日本統治時代におおむね好感が持たれてることからも、日本軍が当地であんまし押し付けがましいことはしなかったことが伺われる。

しかしもし日本が戦争に勝ったとして軍国主義が続いたとしたら、やっぱし核兵器の実験にはそういう土地が使われたんじゃなかろうか。軍国主義やめてよかったなぁ日本。世界から後ろ指差されないために、これからも非核の道を守ってもらいたいですな。まぁ現実にはメリケンさんの核の傘に守ってもらってる手前、あんまし大声で「うちは非核です」だなんて言えないけどね。

『俺は、……」の方では、やっぱし神風特攻を本当に分かってほしいなら、それを始めるに至った論理を、クドくなってもいいから、精神論だけじゃなく、当時の日本の実情をもっと交えて説明した方が良かったんじゃないかと。あと、米軍が日本軍人以外の女子供も容赦なく殺戮したって描写は、本気でこの映画を世界に対して売り込むつもりなら、是非カットしないでほしいとこだな(日本映画界が海外に長編大作を公開するときは、ずたずたにカットされる傾向があるんで)。なんたってあの『パール・ハーバー」(2001)は、日本が真珠湾攻撃でやってない、米国一般市民への攻撃をでっち上げて世界中に発信しやがったからな。あの場面を見て本当にそれがあったと信じてる人、世界じゃ多いんだろうなぁ。嘘なのに。

どうでもいいっちゃどうでもいい細かいことだけど、『俺は、……」に出て来る女性たちはみんな眉毛が綺麗に整ってた。戦中は眉毛の手入れしてる余裕なんてなかったんじゃないのかねぇ。

あれ? 『俺は、……」のポスターに書かれた「全世界に向けて放つ」ってのはもしかしたら、『もののけ姫」(1997)で電通がやった(と思われる)のと同じ、単なる国内向けのセコい宣伝文句 なんじゃないかという疑念。「世界同時公開」とか「○×映画祭オープニング上映作品」とか、そういう事実的なことは一言も書かれてないしね。極端な話、日本国内だけの公開でも、「世界中に、日本映画に注目している人たちが(何人かきっと)いるから」という論理でこの宣伝文句が通用しちゃう。そこらへんどーなんですか製作総指揮石原君。

あともうひとツッコミ。『俺は、君のためにこそ死ににいく」ってタイトル、映画の内容をきちんと表してないんだが。都知事、一体どーゆーおつもりでこんな変テコなタイトルをお付けになったんで???

しかもこのタイトル、覚えにくい上に映画館のフロントで言うにはちょっと恥ずい。おいらの場合、「僕は(←いきなり間違えた)、君のためにもがもが……」ってなっちまっただよ。まぁそれに類したタイトルの映画が他になかったから分かってもらえたけど。しかしもっとひどかったケースがあったからなぁ。セカチューの韓国リメイク『僕の、世界の中心は、君だ」(2005)。うっわーハドゥカティー! (/o\) この邦題だけでかなり客入りで損したんじゃないかと察するが。その点『パッチギ」はとっても言いやすかったなぁ。

銘板
2007.5.28 月曜
前日に飛ぶ
http://yunzu.qee.jp/threedstudio/copages/htrgtr/htrgtr0705.html#LOG20070528
 この記事へリンクを貼る時は↑の URL をコピペしてね。

Walk, Don't Run

ベンチャーズの名曲からタイトルいただき。

いつも昼飯食いに行く喫茶店で、ちょっと気になるウェイトレスさんがいるんですよ。いや別に「気になるウェイトレスさん」っつっても色気のある話じゃないですすんません(「ウェイター」「ウェイトレス」って性を区別する単語なんだが、「看護師」みたいなどっちでもいい言葉はないもんだろか。「給仕」てのも今さらって感じだし)。

気になる原因は、その人だけ走るんですよ通路を。走りやすいようにスニーカーまで履いてる。仕事が速いのは確かにプロとしてのたしなみのひとつではあるけど、サ店でメシ食ってるくつろぎタイムに、すぐ脇をドタバタ走られたくないんですよ。おもっきし走ってる時もあれば、小走りの時もある。走ってない時でも競歩みたいで、やっぱし落ち着かない。他のウェイトレスさんたちは決して走らない。その人だけが問題。

彼女が通り過ぎる時に巻き起こる風で、伝票が飛んで行きそうになるのも困ったもんで。実際何度か飛ばされたことがあるんだけど、伝票が宙に舞って床に着地した頃には彼女は既に数メートル向こうに行ってしまってるんで、全く気付く様子はない。

客商売の難しいところですなぁ。仕事を効率のみ最優先で考えてしまうと、往々にして客の気分不在の仕事ぶりになってしまう。客の気分を二の次にするってのは、結果的に客商売にとって致命的なことだと思うんだが。これが普通の事務所的ビジネスだと、仕事が1分1秒速いってのが、その人の株を上げたりもするんだけどね。しかし狭い店内、走るのと歩くので何秒違うってんだろ。

これ、ほんといっつも注意したいんだけど言い出せなくてねどーも。客に直接注意されたら当然ショックだろうし、本人は一生懸命仕事してるつもりなんだから、その意気をくじくことにもなりそうで……。かといって他のウェイトレスさんに言うってのも、密告するみたいでなんかなぁ。目安箱も特に置いてないし。

……、

……、

……。

分かりましたよ素直になればいいんでしょ? そうですよそうなんですよ! おいらだけ悪者になりたかないってだけなんですよええ! ええ!!

だからって常連客が一致団結して瓦連判状で抗議するってのもナンだしなぁ(←この発想何なんですか一体)

別の店に乗り換えるってのもなんか全然対策になってない気がするしなぁ。ていうかそこの日替わりメニューが気に入ってるんで、それは避けたい。店としても、味以外で客に去られるのは不本意だろ。ていうか黙って去ってしまったんじゃ原因が掴めないしな。

なんとか穏便に現状を打破する方法はないもんだろかねぇ……。

銘板
2007.5.29 火曜
前日に飛ぶ
http://yunzu.qee.jp/threedstudio/copages/htrgtr/htrgtr0705.html#LOG20070529
 この記事へリンクを貼る時は↑の URL をコピペしてね。

レビューをやたら書きにくい映画

こんなんで良かったのかいまだに疑問。八戸フォーラム かわら版99号で担当したレビュー。

かわら版99号

通番2桁台最後のかわら版で原稿依頼されてさ、松本人志初監督作品の『大日本人」のレビュー。まぁ今まで『蟲師」『ゲゲゲの鬼太郎」と、なんかイロモノチックな依頼ばっかし来てたんで(「恋愛ものはダメです」とワガママな注文付けたらこーなった)、今回もまたそんな感じの依頼。

でもさ、困っちゃったのが配給サイドの秘密主義。公開まで内容を一切知らせない方針でさ、基本的な設定さえも教えてくんない。そこまで行くと当然というか、予告編でも断片的な映像を見せるだけで、なんのこっちゃかさっぱりわからんちんどもとっちめちん。ということで、原稿はこーなりましたとさ↓。

大日本人

も〜無責任もいいとこですがな。でも、だって、これ以外に書きようないじゃん!(開き直り) まぁ締め切り寸前まで粘った甲斐あって、「カンヌ国際映画祭の監督週間部門に正式招待された」って情報を盛り込めたけど。

で、そのカンヌでついにヴェールを脱いだ『大日本人」、伝え聞いたところによると、松本人志が巨大化するみたいよ。事実未確認だけど。そういや予告編で「この前『大日本人』が戦いましたけど」とか言ってたなぁ。あと、折れたビルが川に落ちるカットがあったりして(落ちて来るビルが水面に反射してないのは VFX の手落ちだと思うぞ)、そんな風なアレを予感させるなぁ。まぁとにかく、実際観てみるまでは何とも言えんのです。6月2日(土)公開っす。

レビューと違ってここじゃ本音を書くことにしてるけど、今回はレビュー内容と本音が同じ。「とりあえず面白そうだから観てみるべ」。いやもうここまで情報統制を敷かれたら、そう思う以外にないじゃないですか。まぁ恋愛の要素がなさそうな点が好感が持てるなぁってとこか(←恋愛ものが本気で苦手な人)。

ただ今回は監督が初物だからね。そこがどう出るか。変な青臭さが出てなきゃいいけど。まぁ多少青臭くても、それを上回るデビュー新人独特のえげつないパワー(←マンガ『BECK」から表現を頂きました)が全開だといいですなぁ。

銘板左端銘板銘板右端

かわら版 DX(デラックス)で受けた仕事がまだあったわ。6月15日締め切りで、『この監督に首ったけ」3本のうちの1本を任されてるんだわ。で、こっちで提示したのが「黒澤明」。これにもぼちぼち取りかからんとなぁ。

世界一くっだらない黒澤映画論を書いてやるのだw

銘板
2007.5.30 水曜
前日に飛ぶ
http://yunzu.qee.jp/threedstudio/copages/htrgtr/htrgtr0705.html#LOG20070530
 この記事へリンクを貼る時は↑の URL をコピペしてね。

「戦争反対!」に意味はあるのか

「戦争反対!」って小声で、あるいは声高に言う人がいるけど、あれって「ナマンダブ」と言う以上の意味があるのかねぇ。そういう観点に立つと、何らかの意味があると思ってそれを言ってる人たちが意識的にか無意識的にか、一段高いところに立って、戦争してる人たちを見下して言ってるよーに聞こえる。誰も好きで戦争してるわけじゃないでしょーに。

日本からわざと仕掛けて戦争をするってことは今後ないとは思うけど、戦争ってのはどうも、条件が偶然にあるいは必然に揃ってしまったとき、何かのはずみで起こったりするものらしい(第一次世界大戦がその例)。はずみで起こり得る以上、条件が揃うのが予測不能な部分がある以上、日本が戦争に巻き込まれることってのは、今現在でも充分にあり得るんですな。

なんてーか、「戦争反対!」を連呼する勢力に押しまくられて、この国じゃ戦争についての最低限必要な知識や見識が全く知られてないってことが恐ろしいんだが。なんでも戦時に市民(非戦闘員)が取るべき行動ってのが、ちゃんと国際条約で決められてるらしい。それに従えば、たとえ自分の住む場所が敵に占領されても、身の安全が保障されるそうな(でも基本的に支配してる側の言いなりなんで、相手もきちんと戦時国際法を守ってくれるかによるだろうなぁ)。日本って全くそれを国民に教えてないよね。その存在さえも。この現状、憲法9条の効力を妄信してるとしか思えん。当たり前のことだけど、外国から攻めて来た軍隊には日本国憲法なんて通用しないんですが。

なんか、『三国志」で、劉備玄徳亡き後に諸葛亮孔明が厭戦気分の蜀の国の中で、一人頑張ってる場面を思い出しちゃうなぁ。孔明は厭戦派の大臣たちに向かって「まるで幼児退行的な考え」と批判する。「ならば魏が攻めて来ないと思っていれば魏が攻めて来ないのか」と。

万が一、日本に外敵が来たら、「一朝事あらば着の身着のままで戦ってやる」なんて勇ましい若者も出てくるかもしんないけど、悪いことは言わない。やめといた方がいい。あんた一人が死ぬのは好きにすればいいけど、他に多くの無辜の市民たちが犠牲になるから。

ゲリラ戦は戦争でやってはいけない行為だってこと(戦闘員は遠くからでもそれと分かる服装をしなければならない、武器は体の外側に見えるように携行すること、等を定めた「ハーグ陸戦条約」という戦時国際法で規定してるそうだ)も、日本国政府は国民に一切教えてない。戦時の一般市民の身の振り方といい、こうゆーのは義務教育で教えるべきことだと思うが(実はおいらもよく知らない)。「日本は平和ボケ」って言葉をよく聞くけど、この事実こそ、日本の国家まるごとが平和ボケしまくってるのを具体的に表してそう。

聞きかじりだけどさ、実際ゲリラ戦を始めるとどうなるかっつうと、相手国の兵士は一般市民と戦闘員との区別がつかなくなって、一般市民の格好をしてても、ちょっとでも怪しいそぶりをしたやつは問答無用でどんどん射殺しちゃうそうな。怪しいかどうかはその兵士のその場の判断によるんで(もしゲリラなら自分が殺されるんで)、こっちの意向とかには全く関係なく事が進められる。一般市民がゲリラと間違われてじゃんじゃん殺される悲惨なことになるわけだ。

憂国の義憤に燃えるのもいいですけど、それで取った軽薄な行動が、かえって自分の親兄弟や知人友人親類縁者や、全く関係のない他人を殺すことになるんですな。だから、敵に対抗して武力で戦おうとするなら、日本ならまず自衛隊に入隊しなきゃいかんってこと。

現実に、日本と北朝鮮は今すごく関係が悪いわけだ。北朝鮮の不誠実に対して日本ができることと言ったら経済制裁くらいだけど、これもやりすぎるとヤバいことになりそげなんだが。過去に日本が、世界のブロック経済化とアメリカから突きつけられた実質的最後通牒の ハル・ノート で資源的・経済的に追い詰められて、無謀な対米戦争に突入したわけだ。軍部が国家的権力を握ってたからってのもある。

だから北朝鮮をあんまり追い詰めすぎたら(戦前・戦中の日本と同じく、軍部が国家的権力を握ってる)、お互いに望まないまま、ほんのちょっとしたことがきっかけで全面戦争勃発ってことにもなり得ると思うんだが(向こうだって、ただでさえ貧弱な国力を激しく消耗する戦争なんて行為は本音じゃ避けたいんだと思う。「強盛大国」のスローガンだって、国内向けの国威発揚のためのものでしかないだろうし)。

例えばそんなとき(いわゆる「有事」)、相手が武力で攻めて来て国土が戦火にまみれて、自衛隊が必死で防戦してるって状況で「戦争反対!」と叫ぶことにどれだけの意味があるのか。もうタチの悪いジョークでしかない気がする。「戦争反対!」と言ってある程度の意味を持てる条件は、世界が平和を保ってる状態の時と、自国軍が他国に攻め込んでる時と、自国以外の国同士が戦争をしてる時くらい。つまり自分に火の粉が降り掛かってない安泰な状態で初めて言えること。

そんなわけで、日本が仕方なしの戦争に巻き込まれての交戦中に、平和な第三国の人たちから「戦争反対!」の声が聞こえてくるかもしんない。それ聞いたらどう思うよ当事者として。「うるせー! 鉄砲のタマが届かねえとこからエラソーなゴタク並べていきがってんじゃねー!」なんて毒づきたくもなりましょう。つまりその四字熟語は、当事者に対して無神経すぎるんじゃないかと。

江戸っ子文化の真骨頂に「粋」というのがある。東京じゃなくても、文化が栄えてる土地の人は大抵「粋」にこだわる。それにはその反対のものを避けなくちゃいけない。「粋」の反対は「野暮」。野暮の定義は、江戸っ子に言わせると、「言わなくても分かり切ってることをわざわざ口に出して言うこと」。だからこそ……やめとこ。もう分かり切ってることだからな。

銘板
2007.5.31 木曜
前日に飛ぶ
http://yunzu.qee.jp/threedstudio/copages/htrgtr/htrgtr0705.html#LOG20070531
 この記事へリンクを貼る時は↑の URL をコピペしてね。

Linux で初日記

これ、おとといインストールしたばっかりの Linux (Fedora Core 4)で書いてるっす。2007.5.20 で5歳と9カ月の大往生を遂げた 40GB ハードディスク(HDD)に替わって、4歳3カ月の 80GB HDD を COMPAQ DESKPRO に搭載し、Linux のインストールもし直したってわけだ〜。

そんでいろいろいじってみて、いろいろ分かったことがあった。FreeBSD と違って、Fedora だとバージョンが古いと、最新のアプリが使えないことが判明。その OS のバージョンが許すアプリや、アプリのバージョンしか使えない。それが往々にして古い。例えば Firefox の最新版を入れようとしても、依存プログラムもそれに合わせて更新しなきゃなんない。でもその依存プログラムで Fedora Core 4 のために準備されてるバージョンは、要求されてるものより古くてアウト、とかそんな感じ。

SETI@home やろうとして BOINC をダウンロードしたけどうまく動いてくれない。前はちゃんと動作したのに。これも、BOINC のバージョンが上がってしまって、Fedora Core 4 が切られたんじゃないかと踏んでる。おいらの読みが間違ってて、打開策が見つかればいいけど。

あとこの環境で四苦八苦してるのが日本語入力。ローマ字入力専門なんだもんなぁこれが。カナ入力派としてはかなり痛い。でも世間一般じゃローマ字が普通なんで、このマシンで日記を書くときくらいはローマ字入力の練習をしよう、なんて殊勝なことを言ってみるテスト。

IM が Canna らしいんで、FreeBSD で蓄積したノウハウで、かなり力ずくでカナ入力に直せないこともないんじゃないかとは思ってるけどね。ま、余裕ってやつです(へたにいじってわけわかめになるのが恐いとも言う)

ああ、こんな短文を打つのにもえらい労力が要るなぁ……。

短文と言えば、今月から日記を短くするつもりだったのに、結局かなり長くなってしまった。125.1KB。また 100KB 超えかよ orz

んむー、来月こそは……。

銘板
銘板
  ひとりごちるゆんず 2007年5月
ひとりごちるゆんず 2007年5月
銘板
2007.5.1 火曜
前日に飛ぶ
http://yunzu.qee.jp/threedstudio/copages/htrgtr/htrgtr0705.html#LOG20070501
 この記事へリンクを貼る時は↑の URL をコピペしてね。

CNG(圧縮天然ガス)と BDF(バイオディーゼル)

おとといの、ディーゼルエンジン用の軽油の代替燃料の話の続き。おととい紹介した、軽油の代替として有力候補に挙がってるジメチルエーテル(DME)は、常温常圧で気体なんで燃料タンクの代わりにボンベが必要で、現行のディーゼル車料と互換性がないってのがちょっとアレだった。で、もう少し調べてみたら、あと2つ、代替燃料候補が見つかった。

CNG(圧縮天然ガス)

省略しないと "Compressed Natural Gas" ね。

これも DME と同じく高圧ボンベが必要なんで、なんかな〜と思ってたんだけど、実際に乗用車やバス用途で売られてるらしい。そうなりゃ話は別ですよ。気体を液化しないで、圧縮してボンベに詰めるだけだから、多分航続距離に問題がありそうだけど、長距離移動を考えない、日常的な使用だったらまぁ耐えられるんじゃないかと。

DME に比べて優れてるのは、天然ガスそのまんまを使うんで、DME みたいにわざわざ「製造」しなくていい→ランニングコストが安く上がるって点があると思う。DME の場合、まずメタノールを作って、そこから硫酸で脱水するわけだから、それぞれで手間賃がかかっちゃうもんね。そういうコストがかからないって点が買いだな。

あとは天然ガスステーションの配備が要になるけど、これ、いざやる気になったらけっこう簡単にできそうな気がする。ってのも、今、都市ガスって石油由来のガスから天然ガスにどんどん切り替わってるんだよね。だから、ガソリンスタンドに都市ガスを引いて、CNG 対応車が来たらそのガスを圧力かけてクルマのボンベに入れればそれでいい(んじゃないかと思う)。

まぁこの供給方式の難点としては、都市ガスにはいわゆる「タマネギが腐ったようなにおい」が添加されてるんで、昔のタクシーみたいに、微量に漏れた燃料ガスのせいで車内が微妙に臭くなるってことだな(今の LPG タクシーは添加臭なしの、無臭のままのプロパンガスを使ってる)。天然ガス自体はメタンが主体で、メタンってのは CH4 だから水素の割合がけっこう多いんで、排ガス中の二酸化炭素(CO2)の割合も少ないし、大気汚染物質も少なくてかなりきれいなんだけどねぇ。

ただ、メタン特有のやっかいな問題点もある。メタンって CO2 の21倍もの温室効果を発揮しちゃう物質なんですわ。燃えちゃった後は、メタン1分子から CO2 が1分子出来るだけだから、温室効果の倍率は1で収まってくれるんだけどねぇ。だから事故ったりしてボンベやバルブが壊れて天然ガスをナマのまま大気中にぶちまけたりすると、かえって大変なことになる。諸刃の剣ってやつだったりする。

既に実用化されてるし、きちんと使えば地球温暖化対策にも大気汚染防止にも一定の効果があるし、ランニングコストも安そうなんだけど、万が一のときに「CO2 の21倍の温室効果」を発揮してしまうってのがどうも気になるとこだな。

で、ボンベとかガス漏れ対策とか面倒なことをしなくてもいい代替燃料ってのがある。それが、

BDF(バイオディーゼル)

最後の "F" は "Fuel(燃料)" の F ですな。

よその都道府県じゃどうか知らんけど、我が青森県唯一の民放 AM ラジオ局がよくこのキャンペーン CM を流してる。排気ガスが天ぷらのにおいがしておいしそうだとかw 実際、揚げ物の廃油を使って作られてる。もともと捨てられてた廃物の再利用だし、食用油は大豆やナタネっつう植物由来なんで、大気中の CO2 濃度は変わらない。常温で液体なんで、現行のディーゼル車両や船舶でそのまま使える。しかも食用廃油から燃料への加工は個人レベルで出来るくらい簡単なんで、加工時の CO2 排出もコストもたかが知れてる。そのうえ軽油と違って硫黄を含んでないんで、排ガス中にも、酸性雨の原因である硫黄酸化物が含まれない。ついでに喘息や肺がんの元凶といわれる DEP(ディーゼル排気粒子)も出ない(らしい。DEP が出ないことについては事実未確認)。

なんか、ディーゼルエンジンを搭載した乗り物にとって、究極の燃料のような気がするんだが。

でもなぜかほとんど普及してないんだよね。キャンペーン CM でもどこで入手できるか教えてくれないし。どうも現状じゃ、小規模事業者が家庭から出る廃油を回収して細々と BDF を作って、契約した消費者にしか売ってないんじゃないかな。

けどよくよく考えると、大規模な食用油消費者ほど高い回転率で、食用油を消費・廃棄してるんじゃないのかねぇ。つまり家庭用途じゃなく、商用で食用油を使ってる業者さんたち。スーパーのお惣菜製造部とか、コンビニやケンタッキーのフライドチキンとか、ハンバーガー屋とか、食品加工業者とか(食用油って何度も加熱されて酸化が進むと、味が落ちるし健康にも良くないから、一般家庭よりかなり早い段階で油を取り替えてると思われ)。この食品・飲食関連業者さんたちからまとめて廃油を貰って、ある程度大きな工場で BDF を作ると、スケールメリットでより安く安定して BDF を供給できそうなもんだが。

これで軽油を全て駆逐できるとまでは思わないけど、軽油に混ぜてガソリンスタンドで売るってとこまでは行けるんじゃないのかねぇ。なんで今の世の中がそうなってないのか、ほんと不思議。

Wikipedia の「バイオディーゼル」に書いてあるけど、問題点として、BDF 生成過程で発生する副産物グリセリン(混入物あり)の有効な用途が見つかってないそうで。「その売却、処分が非常に困難な状況にある」とか。いやあの、これ、燃やせばいいだけの話なのでは? グリセリンは化学式が C3H8O3 だから、きれいに(変な排ガスなしに)燃えると思うんだ。単に燃やすだけでも、もともと植物由来の廃油なんだから地球温暖化に関係ないし、燃やすついでにガスタービンなり蒸気タービンなりを回して発電すれば、さらにいいのでは? 熱機関はサイズが大きいほどエネルギー利用効率が上がるんで、BDF 製造に大規模工場を用意するってのは、この意味でも理にかなってる。

おいらの素人考えが混じってしまって(グリセリンが燃えるかどうか知らないし。火をかざしても溶けて蒸発するだけかも。2007.6.20 追記:グリセリンは可燃性 だそうです。常温で固体または液体。燃料として使えそうな気がするなぁ)、本当はそんな簡単な話じゃないかもしんないけど、BDF 自体は、

っつう魅力だらけの燃料なんで、ほぼ全く普及してないとゆー現実が、ほんとに不思議で不思議でしょうがない。どっかのエネルギー系の会社がきちんと事業化してくれないもんですかねぇ。

仮に BDF が軽油を完全に駆逐した場合、ディーゼル排ガス浄化装置が要らなくなって、どんなディーゼル車でも自由に首都圏内を走れるっつうメリットが生まれたりもするんだがなぁとか、魅惑の BDF はおいらの妄想をいろいろかき立ててくれるのであった。

まぁ将来選ばれるのが DME でも CNG でも BDF でもいいんだけど、現行の軽油のまんまじゃいかんっつう認識は一致してるみたいですな。ああ、もしかしてこれがあれなのか。「総論賛成、各論反対」w 早いとこ最適な決着を付けてもらいたいもんです。道路沿線住民の健康のためにも、地球環境のためにも。

銘板左端銘板銘板右端

Wikipedia の「グリセリン」を読んでるうちに見つけたトリビア。ニトログリセリン が、爆薬であると同時に狭心症の薬でもあるのは周知の通り。で、これを利用して、テレビドラマなんかじゃ「病院で爆発騒ぎ」なんてのが設定されちゃったりするんだけど、Wikipedia によると、

一般にはニトロと聞いて爆薬を思い浮かべる人が多いため誤解があるが、 現在医薬品として用いられている物は硝酸イソソルビドなどのニトロ基を持つ硝酸系の薬品が主であり、 ニトログリセリンを使用する場合であっても添加剤を加えて爆発しないように加工されている。 そのため、医薬品のニトロをいくら集めても爆薬にはならないし、医薬品が爆発事故を起こすことはあり得ない。(下線ゆんず)

だそうだ。今までおもいっきし誤解してただよ。常識で考えれば、そんなわけないもんなぁ (^^;)

銘板
2007.5.2 水曜
前日に飛ぶ
http://yunzu.qee.jp/threedstudio/copages/htrgtr/htrgtr0705.html#LOG20070502
 この記事へリンクを貼る時は↑の URL をコピペしてね。

金田一温泉

ちょっと金田一温泉(岩手県二戸市)に浸かってきます。場所はあの座敷わらしで有名な 緑風荘。高校のプチ同窓会があるんで。

座敷わらしに会えるかな?w

銘板
2007.5.3 木曜
前日に飛ぶ
http://yunzu.qee.jp/threedstudio/copages/htrgtr/htrgtr0705.html#LOG20070503
 この記事へリンクを貼る時は↑の URL をコピペしてね。

普通の人間の叫び

金田一温泉から帰ってきました〜。

でさでさ、夜、酒盛りしてたら、廊下を子供が歩いててさ、帰る部屋が分かんなくなったのかと思って、友達が廊下に出て話しかけたんだわ(戸は開けっ放し)。部屋じゃ「おっ、座敷わらし出現か!? どははははは!」とか盛り上がってんの。したらその子供、

「僕は普通の人間ですッ!!」

死ぬほどウケた(爆)

銘板左端銘板銘板右端

朝の3時半まで飲んだくれてさ、8時に起きて便所にこもってたら、ケータイにメールが来た。別口の友達から「2時から花見やるぞ」。うげー。この花見ってそのまま夜は飲み屋になだれ込んで午前2時までの12時間耐久飲み会なんだよなぁ。このカンペキ二日酔い+寝不足の状態で、まともに完遂できるかどうかはなはだ不安。

とりあえずメールには返事を出さないでおいて、前日の酒盛りで手を付けないで余った酒を花見用に頂いて、うちに帰ったおいらだった。そのまま爆睡。

起きたら午後4時。なんかまだまだ寝足りなかったんで、花見の主催者に電話かけて、欠席のご挨拶を申し上げたよ。そしてまた爆睡。起きたの夜中の12時。もう昼夜逆転。それからうだうだしたり、本読んだりカップ焼きそば食ったりして、今この日記を書いてるうちに日が昇ってきた(現在、5月4日早朝)。

これからまた寝ようかなぁ。それとも起きてた方がいいのかなぁ……。

銘板
2007.5.4 金曜
前日に飛ぶ
http://yunzu.qee.jp/threedstudio/copages/htrgtr/htrgtr0705.html#LOG20070504
 この記事へリンクを貼る時は↑の URL をコピペしてね。

立体イトカワ

結局寝てしまった。二度寝、三度寝と繰り返して、最終的に起きたのが午後4時(またかい)。ゴールデンウィーク明けまでに生活リズムを戻せるんかい……。

で、起きて便所にこもってたらひとつ思いつくものがあって、即座に実行に取りかかったね。そして根性出して仕上げたのが夜中の12時ジャスト。何を実行したのか。それは、

小惑星イトカワの立体写真

の作成ッ!! ふんがーッ!!!

4月の25日にだね、宇宙航空研究開発機構/宇宙科学研究本部(JAXA/ISAS)が、小惑星探査機 はやぶさ が取得したサイエンスデータアーカイブをウェブ上で一般公開したんすよ。小惑星イトカワに関するデータがざくざく。で、「せっかくだから見なきゃな〜」とか思いつつ、「でもどうせ専門的でおいらにゃ意味不明のデータばっかなんだろな〜」なんて腰が引けてたんすよ。

んでもとりあえず今日はすることないし、もしかしたら具体的な画像データもいっぱいかもしんない。んでんでもしかしたら、イトカワの自転のせいで微妙に見る角度がずれてる、立体写真組を作れる組み合わせがあるかもしんない! そんなことを思いついて早速つないでみたら、あるある、ありまするぞ〜。ということで、7組の立体写真が作れることが判明したのだった。

これはウェブ立体写真家としても、はやぶさ萌えとしても、成し遂げんわけにはいかんでしょう。かくして一大プロジェクトは唐突に始まったのであった(いやマジで立体写真シリーズを作るのって骨が折れるのよ。今年の3月に撮った風景写真も、めんどくていまだに手をつけてないし。カメラから PC に画像を落としてもいないし)。

天体の立体写真って、月や太陽でトライしたことあるんだけど、なかなかうまくいかなくてね。月の場合は「秤動」と呼ばれる首振り運動を、太陽の場合は太陽の自転による黒点の移動を利用しようと思いつつ、いまだに成功してないのだ。望遠鏡で天体写真を自力で撮るのは大変なのじゃよ。

銘板左端銘板銘板右端

はやぶさ がイトカワの観測を始めた2005年秋以来、折に触れて何度となくイトカワの写真を見てきたけど、あらためて立体で見直すとこれがもう新鮮で新鮮で、鼻血出そうなくらいコーフンしまくりだったですよ。

銘板
2007.5.5 土曜
前日に飛ぶ
http://yunzu.qee.jp/threedstudio/copages/htrgtr/htrgtr0705.html#LOG20070505
 この記事へリンクを貼る時は↑の URL をコピペしてね。

『飛び出せ宇宙』

『飛び出せ宇宙』ってゆー、JAXA(宇宙航空研究開発機構)サポートの特別企画展に行ってきたよ。タイトルがなんか微妙にアレなんだけどw(宇宙が飛び出すのかよ、ていうか宇宙にかけ声かけてどーする、とかなんだかもう……)、とにかく行って参りました。

飛び出せ宇宙

場所は岩手県久慈市の久慈琥珀博物館。八戸からクルマで1時間半ちょいのところ(八戸市内の渋滞を抜けるのに30分かかったのだ)。10年ちょっと前に行ったことがあった。そのときは何も見ずにサクサク行けたと思った。でも一応、サイトのアクセスマップで場所を確認してから出かけたんだ。途中寄ったコンビニにポスターが出てて、アクセスマップが付いてたんでそれを一応ケータイカメラに収めてから、現地に向かったんだな。

で、予定の国道281号線に乗ってずーっと盛岡方面に行ったんだけど、それらしい看板がない。トンネルをいくつか通り越して久慈市を抜けようってあたりで、「こりゃあ絶対通り過ぎたな」と。で、戻ってみたらようやく看板発見。反対向きの看板も立てろよな〜。なんだかなーも〜盛岡方面から来る客ばっか気にかけて、八戸方面からの客は無視ですか。久慈は盛岡より八戸と経済的・文化的交流が深いんじゃなかったんですか。もちっと大事にしてくれよな〜。

ようやく現着。早速入場とともに質問。「写真撮っていいですか?」。即座に快諾を頂いたよ。ありがとうございます。旅立つ前には撮影 OK かどうか分かんなかったんで、デジカメ持って来なかったのよね。でもまぁいいや。ケータイカメラで撮るから。んでもうバシバシ撮りまくったですよ立体写真。主に衛星の模型や、種子島の打ち上げ施設のジオラマね。

実際に使われた宇宙服なんてもの展示してあったんだけど、立体写真としては面白くなかったんで、後で出す予定の新作立体写真シリーズじゃそこらはボツね。でももったいないからここで1枚出しとくか。

宇宙服

左肩に星条旗、胸に NASA のワッペン。でもところどころにロシア語が書いてあってさ。思うにこいつは、ロシア製の宇宙服なんじゃないかと。スペースシャトルじゃなく、ロシアのソユーズ宇宙船に乗ったアメリカの飛行士の宇宙服なんじゃないかと。

宇宙服

とのことだけど、どーなんでしょ実際。解説のおにーさんにそこらへんツッコんでみたけど、明確な答えは得られなかったよ(なんか「〜になります」って言い方が気になるなぁ)。

それにしても、今日行ってほんと良かった。企画展は7月8日までやるそうだけど、展示品の多くが明日いっぱいまでの契約で借りてて、以降は JAXA に返さなきゃなんないんだそうで。この企画展を知ったのは新聞でだったんだわ。で、「7月までならゆっくりしてられるな〜」とかのんびり構えてたんだわ。それでも何となく行きたくなったんで行ってみて正解。心行くまで立体写真を撮ってきましたとさ。

そんなわけで、昨日の夜からまた新作立体写真シリーズ作り開始。計18組の立体写真ができそう。今日中に15組作ったす。そこまで作ったはいいけど、立体写真を貼る台紙ページ作りやら JavaScript と CSS てんこ盛りの解説ページやらをこれから作んなきゃなんない。これがかなりめんどくて(もんげ〜)。

でももう作業に取りかかっちゃったんで、最後までやり抜く所存にござりまする〜。

銘板
2007.5.6 日曜
前日に飛ぶ
http://yunzu.qee.jp/threedstudio/copages/htrgtr/htrgtr0705.html#LOG20070506
 この記事へリンクを貼る時は↑の URL をコピペしてね。

『ゲゲゲの鬼太郎』

あ゛〜 立体写真の台紙ページ作りがようやく終わった〜。分量、小惑星イトカワ立体写真の2.6倍だもんなぁ。次は解説ページ作りか。これも枚数分だけ手がかかるんだよなぁ。もう遅いから明日にしよう。うん。

そんな合間に、映画を一本観てきましたです。八戸フォーラム かわら版 にレビューを書かせていただいた、『ゲゲゲの鬼太郎』。レビューを書いた手前、しかも 2007.4.5「おもっきし期待してますです」と書いた手前ってのもあって、いや実際期待してたってわけで、勇んで観に行ったですよ。

……、

……、

……。

いいんじゃないですか、お子様向けとして(醒)

……、

……、

……。

いろいろツッコミたいことあるんだけど、子供向け映画にいい大人がツッコミ入れるのも野暮だしね。うん。でもちょっとだけ。重箱の隅だけ。

まず田中麗奈と小雪の扱いが違いすぎてやしないか? レナラーとしてあの格差はかなり悲しかったぞ。小雪も確かにイイ女だけどさ、オトナの魅力だけどさ、麗奈ちゃんは確かに年の割には小娘っぽいけどさ、それにしたって、それにしたって……(泣) やっぱウエンツにしても麗奈ちゃんにしても、体が出来上がった大人の役者に鬼太郎と猫娘をやらせるってのは、ちと無理があった気がするんだが。

観る前から想像が付いてはいたけど、やっぱ実際に観ちゃうとそこらへんに違和感を覚えるなぁアニメ版で育った世代としては。それと、ねずみ男の大泉洋以外の妖怪たち、役者が多少照れながらやってたというか、あんまし役と一体化してなかった気がしたが。そこも残念。特に間寛平(子泣きじじい)と室井滋(砂かけばばあ)は、目玉親父と並んで鬼太郎をサポートする役なんだからさぁ、もっとなんてーか、恥も外聞もなくハジけまくってほしかったなぁ。妖怪をどう演ずればリアルに見えるのか、監督にこれと言ったヴィジョンがなかったのかと思われ。

といえば麗奈ちゃんも、猫娘なんだったら、普段の所作ももっと猫らしい動きで説得力を増してほしかったよ。かつおぶしなめるだけじゃなくて。あと、顔だけ出演の西田敏行(輪入道)も照れてたよなぁ。ていうかどう演じていいか分かってない感じがしたぞ。そこらへんのもろもろに、演出の甘さが出てたね。堂々と演じてたのは、ねずみ男と天狗の妖怪裁判長を演じた中村獅童だけだったよ。まぁ獅童君は何やらせても、堂々とした演技しかできないっぽいしw

あと、鬼太郎の敵方の化け狐軍団、手下たちの身のこなしにこだわりを感じたけど、ぬいぐるみのシッポがただ付いてるだけで、慣性のみでゆさゆさ揺れるっての、あれはないべ。せっかく他の場面で VFX がんばってるんだから、シッポも本物の動物みたいに、生きてるみたいに動かしてほしかったなぁ。そんな中で、小雪が演じた狐のリーダーのシッポだけは見事な VFX で表現。だから何なんだよその格差は。

小雪の場面の VFX はあんまし気合いが入りすぎて、見せなくていいほつれ毛まで自然に映し出しちゃってたなぁ。昔の大ざっぱなアナログ SFX 時代はこうは行かなかったもんなぁ。で、現代の映像合成技術が凄まじいのは分かったから、その技術でほつれ毛を隠してあげてもよかったと思うぞ。

「ちょっとだけ」と言いつつ、けっこうツッコんじまったな。まぁこんなところでひとつ。もっと本質的に、設定でもツッコミどころはあるけど、そこまでやるとほんとに野暮なんで。

銘板左端銘板銘板右端

『ゲゲゲの鬼太郎』に限らず、『宇宙戦艦ヤマト』も『巨人の星』も、主題歌が秀逸だよね。特にイントロにそれぞれのこだわりと完成度を感じる。70年代のアニメって、世の中に子供が多かったってのもあるけど、製作陣にも力がみなぎってたんだなぁ。そんなわけで、今回の実写版『ゲゲゲ……』のオープニング曲、インストで初代アニメのサウンドを完全に再現したのは大正解。初代へのリスペクトだね。

『ゲゲゲ……』の主題歌も黄桜の CM の「♪カッパッパ〜」の歌も、ニューオリンズ風のジャズに料理するとかなり面白いんじゃないかと前々から思ってるんだけど、どなたか洒落の分かるミュージシャンの方、やってみてくださいませんかね(笑)

銘板左端銘板銘板右端

そそ、小惑星イトカワの立体写真シリーズだけど、なんぼ「データが一般公開されている」とは言っても、考えてみたら自分とこに勝手に写真を持ち出して勝手に使うのって著作権法に引っかかるんじゃないかと思ってさ。それで JAXA の利用規約を読んだんだけどよく分かんなくてこれが。ただでさえ法律関係の表現はチンプンカンプンなのに、英語なんだもんなぁ。これね。一応その難解な文書にそぐって、"Provided by Japan Aerospace Exploration Agency (JAXA)" ってのをページの頭の方に入れてみたが。

でも「ご質問がありましたら、ためらわずにご連絡ください」なんて文言があったんで、質問フォーム(これは日本語)においらが作ったウェブページの是非を問うてみた。今は返事待ちの状態。もしかしたら、せっかく作った立体写真ページがパァになるかも。質問内容は、

いつもご苦労様です。
「はやぶさ」の取得したサイエンスデータアーカイブの公開に伴い、私が個人的に趣味で非営利運営している立体写真サイトに、件のデータアーカイブからの画像を利用しているのですが、問題はないでしょうか。
以下の URL です。
http://yunzu.qee.jp/threedstudio/copages/itokawa/itokawa.html
 
http://www.jaxa.jp/policy_e.html
のJAXA様のサイトポリシーを理解して従ったつもりですが、規定から外れている部分があった場合、ご一報下さいませんでしょうか。
速やかに修正したいと思います。
よろしくお願いいたします。

と出した。そしたら「送信しました」ページに切り替わったんだけど、その文言がなんだかかわいくて。

送信しました。
回答には少々時間がかかる場合がありますが、がんばってお答えするつもりですのでしばらくお待ちください。

「がんばってお答えするつもり」ってのがイイ (・∀・) 昨日出してまだ返事が来てない。ゴールデンウィークで休んでるのかな? 今週中に返事がもらえればいいな〜。できれば OK の返事が欲しいな〜。でもまぁどういう返事が来るか分からんので、今は静かに待つのみですハイ。

銘板
2007.5.7 月曜
前日に飛ぶ
http://yunzu.qee.jp/threedstudio/copages/htrgtr/htrgtr0705.html#LOG20070507
 この記事へリンクを貼る時は↑の URL をコピペしてね。

JAXA からの返答

『小惑星イトカワ』立体写真シリーズについて、JAXA(宇宙航空研究開発機構)から GW 明け早々に返事が来た。

その前に、日本語版のサイトポリシーを発見してさ、これなんだけど。英語版を、辞書を引き引き読み下したあの苦労は何だったんだってくらいサクサク理解できたぐらいにして(今回公開された「はやぶさの取得したサイエンスデータアーカイブ」が英語版のみだったんで、そこからのリンクでサイトポリシーまで英語版に行ってしまったのだった)。

そこで知った驚愕の真実。

本サイトに掲載されている全てのテキスト、図版、画像、音声、映像等は、特に明記されたものを除き、JAXAが著作権を有しており、著作権法及び国際条約により保護されています。ご利用になられる場合には、JAXAの定める条件にしたがってご利用ください。

ふむふむそりゃそうだ。で、条件とは何ぞや? 特に自分でサイトを作るのに画像データを利用するときはどーなんだ?

テキスト、図版、画像、音声、映像等を改変してのご利用は、クレジットを表示するための作業を除き、一切禁止いたします。改変とは、図版、画像、音声、映像等のトリミング(例えば、縦横の比率を変更することや画像の一部を切り取ること、原作のイメージを著しく損なうはめ込み行為等)や、色を変更・反転させること等の行為も含まれます。(下線ゆんず)

げっ、げっ、げーげげーのげー。や……やっつまってるだよそれ。立体写真にするためにトリミングしまくり。ほとんどの写真は背景の真っ黒な部分を少し切り取ってるだけなんでお目こぼしをいただけるかもだけど、ラッコの顔の絵ってまぎれもない「はめ込み行為」だし(「原作のイメージを著しく損なう」かどうかは権利者の判断による)、一番最後の『ミューゼスの海のドアップ』は「画像の一部を切り取ること」にめちゃめちゃ当たってるじゃん。でもあれがこの企画の一番の売りなんだよなぁ。削除かなぁ……。でもあれが一番の……。

と悩んでるうちに、JAXA からのメールが来てることに気づいた。早いよちょっと。ドキドキしながら開封。


……………………………………………………………………………………        JAXA ウェブサイトへようこそ        〜 Welcome to JAXA Website 〜 …………………………………………………………………………………… 2007/5/7 ゆんず様 宇宙航空研究開発機構(JAXA)ウェブサイトをご利用いただき、ありが とうございます。 ホームページを拝見いたしましたが問題ございません。みなさまがはや ぶさの成果をさらに楽しんでくだされば幸いです。 またはやぶさミッションの応援をありがとうございます。地球帰還は依 然厳しい状況ではありますが、チーム一同、一丸となって最大限の努力 を図ってまいりますので、これからもかわらぬご理解、ご支援をよろし くお願いいたします。 宇宙航空研究開発機構(JAXA) 広報部 問合せ担当

やった! o(T□To) 「問題ございません」と来たもんだ。さらに「みなさまがはやぶさの成果をさらに楽しんでくだされば幸いです」だそうで。JAXA 太っ腹〜ッ! どうもありがと〜!!

はやぶさの応援についても感謝されちまった。あの JAXA 御中から。もう死ねる。すぐにでも死ねます……。

……、

……、

……。

ハッ! Σ( ̄□ ̄ )(←生き返った) そうゆー顛末で、『小惑星イトカワ』の立体写真シリーズの存続問題は、イトカワ画像の権利者である JAXA からのお墨付きをめでたく頂いて一件落着。「じゃああのサイトポリシーは……」とか深いことは考えない考えない。

さーて JAXA 協力の『飛び出せ宇宙』展の立体写真ページ作成、がんばるで〜!(あ、言っとくけど JAXA が協力してるのは『飛び出せ宇宙』展であって、その立体写真ページじゃないよ。分かってっと思うけど)

銘板
2007.5.8 火曜
前日に飛ぶ
http://yunzu.qee.jp/threedstudio/copages/htrgtr/htrgtr0705.html#LOG20070508
 この記事へリンクを貼る時は↑の URL をコピペしてね。

JOJO de はやぶさ

特別企画展『飛び出せ宇宙』の立体写真シリーズ、『2005年5月』として着々とそして悶々と作業を進めてますです。その展示品の中に小惑星探査機 はやぶさ の模型もあって、当然その立体写真も載せてるんだけど、解説ページですごい気合い入っちゃって。

で、地球への苦難の帰途に就いた はやぶさ をどうしても応援したくて、気が付いたらやってたのが『ジョジョの奇妙な冒険』の名言集の引用。なかなか自分で気に入ったんで、ひと足先にここでそれを紹介しようと思う。まぁ、以下です。

特に最後の方のミネルバにあてた部分はもう、我ながら泣けて泣けて……。ミネルバ、もしかしてまだ元気で生きてっかなぁ……。小惑星イトカワの近くの空で、今でもか細い通信電波出し続けてっかなぁ……。

しかしほんと JOJO って名言の宝庫だなぁ。

ちなみに箇条書きのための ul タグを使うと文頭はデフォルトで黒丸なんだけど、これは黒星(負け)を連想させるんで、「『試練』に打ち勝つ!」の意志を込めて白丸にしてみたよ。白丸の設定のやり方は、「<ul type="circle">」だよ。

銘板左端銘板銘板右端

つうか「2007年5月」、もうほとんど出来ちゃったんで、ここでこっそりリンク貼っちゃう。

銘板
2007.5.9 水曜
前日に飛ぶ
http://yunzu.qee.jp/threedstudio/copages/htrgtr/htrgtr0705.html#LOG20070509
 この記事へリンクを貼る時は↑の URL をコピペしてね。

新作立体写真『2007年5月』

できたよ〜新作立体写真『2007年5月』。ものの5日間で2シリーズも新作立体写真作ったの初めて。もう力尽きた(ぷしゅうぅぅぅぅ〜)。

『小惑星イトカワ』は画像はもらっただけだしモノクロだしで、レタッチ作業はラクだった。写真組も7組しかなかったし。これが『2007年5月』となると、写真組18組で、ほとんどが白熱灯下での撮影だったんで画像が黄色っぽくて、これをいちいち修正して、皆さんから見えないところだけど、新機軸を導入して整理しやすくしたはいいけど、こいつのせいでかなり手こずったりして。

具体的には、立体画像の名前の頭に、登場予定順に番号を振ることにしたんだわ。そうなると、両目用の画像2枚と台紙ページファイルとサムネイルの計4ファイルをまとめるために、同じ番号を振りますわな。

画像番号

思惑通り Finder のカラム表示できれいに並んでくれて、解説ページ作りに貢献したんだけど、その解説ページ作成中に問題発生。解説の流れの関係で、当初3番目の『きく8号』と4番目の『きく8号ズーム』をそれぞれ最後の17,18番目にすることに変更したら、『きく8号』『きく8号ズーム』の番号を変えるのはまだしも、それまでの05番〜18番の名前も変えなきゃいかんくなった。1番号あたり4書類。全部で16×4=64書類の名前を変更する羽目になったとさ。

しかもそのときは台紙ページが書き上がってて、台紙ページは両隣の写真組(の台紙ページ)にリンクするように作ってあるから、そこらへんも全部書き直し。当然解説ページのリンクも書き直し。なんかもうやたら善し悪しが出てしまって、これからもこの方針で作るかどうか、しばらく考えることにするわ。まだ今年の3月に撮ったぶんに手をつけてないから、それまでにってことで。

銘板左端銘板銘板右端

ぐは〜。はやぶさ のすごい動画見つけてしまった。また観たいからリンク貼っとこ。あの当時(2005年11月の、はやぶさ のイトカワ着陸ミッション時)の祭り状態の興奮を思い出したよ。ISAS(宇宙科学研究本部)の Web 実況席の写真、更新されるごとにリポビタンDの空ビンが増えていったんだよなぁ(それを見て感激した大正製薬が ISAS にリポDを大量差し入れ。はやぶさ萌えたちは大正製薬に敬意を表した)。

今から1年半前のことか。本当にあった出来事だったんだよな〜。日本が作って飛ばした探査機が、あんな宇宙の果てまで飛んでいって、前人未到の快挙を成し遂げたんだぁ〜。川口淳一郎プロジェクトマネージャーのセリフもアツいッ!

今日の箇条書きも必勝の白星ッ!!

あ、そういえば今日は はやぶさ 打ち上げ4周年だ。こんな日に、はやぶさ を含む立体写真シリーズをリリースしたのは何かの引き合わせみたいだなぁ。地球帰還まであと3年。はやぶさがんばれぇぇぇぇ!

銘板
2007.5.10 木曜
前日に飛ぶ
http://yunzu.qee.jp/threedstudio/copages/htrgtr/htrgtr0705.html#LOG20070510
 この記事へリンクを貼る時は↑の URL をコピペしてね。

猿小路君と日本

なんだかおいらが立体写真作りで一人アツくなってるうちに、おフランスの新大統領が猿小路君に決まってたね。なんか 対立候補が落ちてホッとした日本の業界 もあったっぽいけど (^^;)

まー、現大統領の志らく君が相当の日本びいきなのは有名だけど、親米派として知られる(今さっき Wikipedia で調べた)猿小路君の場合はどーなんでしょ。とりあえず本名がやたら長いことは分かった。「ニコラ・ポール・ステファヌ・サルコジ・ド・ナジ=ボクサ」。自分でもフルネーム覚えてるんかねw あとスタローン顔なのも分かった。名前の最後に「ボクサ」って入ってるし、やっぱし打たれ強いんかなぁ。

いやいやそれより対日観はどうなんだね。志らく君(京都に芸者を囲ってるって噂を聞いた)ほどじゃなくても日本党だと嬉しいんだが。Wikipedia の最後の方を読むと……んむーなんか玉虫色。かの国じゃ今、日本文化の評価が高まっとるというではないか。よく言われるマンガやアニメとかのサブカル以外でも、料理はもちろんのこと、盆栽や尺八なんつう、多くの日本人でさえろくに理解してないものまで受入れられつつあるとゆーではないか。あの「文化の国」を自称するおフランスがですよ。

それには志らく君の親日ぶりの影響も無視できなかったと思うんですよ。したらやっぱ気になるじゃないですか猿小路君の対日観が。やりようによっちゃ、せっかくかの国で萌え始めた日本文化が一気に下火になっちまうかも。これは由々しきこと。まぁ外務大臣のアソー君は「気にすることない」みたいなそぶりだけど、確かに「よそからどう思われようと日本は日本だ」って考えもあるけど、やっぱ「おフランスと仲良し」ってのは自尊心をくすぐるわけですよ。

まーでも、バブル期からこのかた20年間で、欧米側が日本を高く評価してくれるようになったんで、特にこの10年くらいは、むしろ向こうの方からすり寄って来てるみたいな感じではあるわね。これもまた自尊心をくすぐりますなぁ。その中で、おフランスをこっちから選んで相思相愛の関係になったりしないもんかねぇ。

政治の外交でも、今まで日本はアメリカべったりだったけど、小泉君が描いてた「イラクが終わったら、次は北の方をよろしくお願いしますよメリケンの旦那。えっへっへ」ってのがまさに絵に描いた餅で終わりそうな気配。メリケンの旦那が昔ほど頼りになんないのが露呈してしまった。もうアメリカべったりの時代じゃなくなったわけ。で、ここはひとつ日米同盟は一応保ったまま(日本の唯一の軍事同盟だからなぁ)、気分は素浪人で、頼りになりそうな旦那様を別にもうお一方ほど探し直す時期なんじゃないかと。

で、一番有力そうなのが、これまで同じ自由主義圏にいながら何かとアメリカと張り合ってきた国、おフランス。ここがいいんじゃないかと。そうなると、日本お得意の「優柔不断」が力を発揮するわけですよ。日本がフランスに流れつつあるのを見るや、今までテキトーに日本の相手をしてたアメリカがやきもちやいて、必死に引き止めにかかるわけです。

♪あなたにひょ〜ろりと こなたにひょ〜ろりと ひょひょらひょひょ〜 ひょひょらひょひょ〜(『乱』 [1985] より)ってやるごとに米仏が「こっち来てよ〜 ああぁそっち行かないで〜」と日本の両の腕を引っ張り合うんですな。いやぁ愉快愉快(笑)

そんな愉快な立場を勝ち取るためには、仏大統領が親日派でなきゃいかんのです。もし猿小路君が親日でも反日でもない中立派だとしたら(立場上、反日はあり得ないんで)、日本自身の魅力で彼を落とすしかないですがな。

どうやるかっつうと、日本はおフランスと2人きりの時は、しなだれかかるみたいに甘えちゃう。んで、いろんな国が集まる時は、特にメリケンの旦那がいる時は、パッと離れてツンケンしちゃう。もう不倫のノリで。あ、書いてて気づいた。

ツンデレ。

まさに日本発の恋のカルチュアじゃないですか(ていうか「オタク発」だけど)。これで猿小路君をメロメロにしちゃうってのでどうでしょ。恋の駆け引きが大好きなおフランス人にぴったしだと思うぞ。もう猿小路君の親米派の肩書きなんか、日本の魅力でかなぐり捨てさせちゃえ。そんでアメリカの藪大統領と一緒に日本の袖の引っ張り合いに持ってけば、いやが上にも我が国の国際的存在感は上がりますですよ。こんな外交プランはどーですかねぇアソー君。

実は猿小路君は既に内心日本に萌え萌えでしたってんならそれでよしw

銘板左端銘板銘板右端

Wikipedia でいろいろ調べてたら、「ワパニーズ」なる単語にぶち当たった。んーやっぱ日本って欧米に人気あるんだなぁ。なんかちょっと偏執気味だけど (^^;) リアル日本人としては「あんまこっち来ないでね」って感じ (^^;;)

銘板
2007.5.11 金曜
前日に飛ぶ
http://yunzu.qee.jp/threedstudio/copages/htrgtr/htrgtr0705.html#LOG20070511
 この記事へリンクを貼る時は↑の URL をコピペしてね。

大量生産燃料電池車 早くも登場!!

おもちゃ業界がすごいことになってる。

燃料電池で走る模型の自動車が、ついに発売された。しかも手の届く価格で。なんですとぉ〜? (@o@) 実車の世界ではいまだに1台が億単位から下がらないってのに。まぁもちろん模型の方が条件が断然緩いからこそできたんだろうけど、それにしても本当に作っちゃうとは素晴らしすぎる。

例によって、記事を消される前に取っとこ。

未来の車が手の平サイズに!燃料電池水素カー

水と太陽の力で走る未来の車
究極のエコエネルギーをミニチュア体験

商品
商品番号:42AGK
価格:19,950円
送料:630円
●セット内容/シャーシ、カーボディー、水素タンク、入力バルブ、燃料電池、ガス抜き用吸引器、チューブ×3、ネジ×4、シール、水素ステーション●サイズ(約)/全長18×幅7×高さ8cm●材質/ABS樹脂、ラテックスゴム、シリコンチューブ、銅、ステンレススチール●重さ(約)/180g●仕様/走行時間:1回の水素充填で約4分(約100m)●組立目安時間:30分●中国製

そうか、燃料電池自動車の初の大量生産車は中国製の模型で来たか。発想した人、目の付けどころが違うなぁ。慧眼とはまさにこのこと。

全長 18cm つったら、スケールは大体20分の1くらいかな。一般的なラジコンカー(8分の1〜10分の1)より小さくて、ちょっと大きめのモーターライズのプラモデルって感じか。1回の水素充填で約4分(約100m)だと乾電池やバッテリーより劣るけど、それでもおもちゃとしてなら充分楽しめる。燃料がいきなり水素なんで、インフラとか改質器とか考える必要ないしなぁ。おもちゃだから水素の貯蔵性も心配する必要なし。考えれば考えるほど見事なアイディアですよこりゃあ。たぶん固体高分子型燃料電池を搭載してるんじゃないかと。

実車の場合で言えば、鋼鉄の重たいボディにエアコン効かせてカーステかけてライト点けて何百kmも走らなきゃいかんし、水素の直接供給インフラはかなり遠い将来じゃないと、ていうかもしかしたら永遠に実現されなさそうなんで、別形態の燃料から水素を抽出する「改質器」っつう面倒な装置も搭載しなきゃいかん。そこらへんで各自動車メーカーは四苦八苦してる最中なんだけど、専用水素ステーションを付属品にした模型なら、そういう問題を自己完結の形で一挙に解決できちゃうわけだ。いやマジですごいっすよこの発想。

けどまぁ「手の届く価格」とはいえ、子供もいないのに結構な大金払って、ただ燃料が切れるまで全速力で走るだけの模型を買うってのもかなりイタイんで、おいらは今んとこ買わんつもりだけど (^_^;) (←と言いつつ興味はある。クルマは模型とはいえ、燃料電池そのものは実物なんで) 誰か買った人いたら感想教えてください(笑)

銘板左端銘板銘板右端

なんてーか、こうゆー科学技術おもちゃとか、ラジコンカーとかラジコン飛行機とか、そうゆーのをいい大人が走らせたり飛ばしたりしてるのを白い目で見る人っているけど、ていうかそんな視線に耐えられなくておいらはやらないんだけど(金銭的に余裕がないってのもある。しかし、今より余裕がなかった子供時代にラジコンに血道を上げてたのって一体……)、ラジコンカーにしてもラジコンの飛行機やヘリコプターにしても、走行・飛行の原理は人が乗るやつと全く変わらないんだよ(燃料電池模型自動車にしても、発電の原理は実車と同じ)。だからむしろ、模型で楽しんでる人の方が、白い目で見る人より、自動車や飛行機に関して専門的な知識や技能や勘を持ってるんだわ。

それどころか、ラジコンやってる人って普通のドライバーやパイロットよりも極限的な走行・飛行をしてるから、自動車力学や航空力学を肌身で感じてるんだよ。サスペンションや翼の理論を知らないととてもやっていけないし、学んで応用するのが楽しみでもある(模型だとサイズが小さいからコストがかからなくて、気軽に試せるしね。何より、ごくたまに軽い傷を負うことはあっても、命の危険まではないってのがいい)。

さて、日常的にクルマに乗ってる人で、自分のクルマのサスペンションの種類と特徴をしっかり言える人ってどのくらいいるでしょーか。

だから動く模型(ラジコンに限らずに。たとえ 紙ヒコーキ でも、突き詰めればかなり奥が深い)を楽しんでる人は、引け目を感じる必要は全然ないんだよね。ただ、そうゆー人たちに対して無知と無理解という名の暴力を振り回す人たち、いまだにいるからねぇ困ったことに。

これはまったく別のジャンルの事象に対しても言えることなんで、おいらも人の振り見て我が振り直すことにするよ。けっこう単純なことだったりする。「人や物を無闇にばかにしない。低く見ない」。

銘板
2007.5.12 土曜
前日に飛ぶ
http://yunzu.qee.jp/threedstudio/copages/htrgtr/htrgtr0705.html#LOG20070512
 この記事へリンクを貼る時は↑の URL をコピペしてね。

タックスアンサー観察日記

日記のネタに詰まると「去年の今頃は何を書いてたかな〜」と振り返ったりするんだが、それで拾い上げたのが、2003.6.17, 2006.5.28。あの恥ずかしい綴り間違い(本当はそうじゃないんだけど、そうにしか見えない)の taxanser は去年確認した時点でその綴りの表記はやめて、URL でも taxanswer とするようになってた。

そんでもう完全に anser 問題は終わったのかと思って、試しに taxanser でググってみた。で、これ↓が現時点での Google の結果。

検索結果の一番上に「国税庁タックスアンサー(税金相談)」が出てくる。それは国の機関のサイトとして好ましいことなんだけど、その各項目のうち、ほとんどの URL が anser のまんまなんですが。クリックするとその URL のまんまちゃんと出てくるし。例えば「法人税」

ちなみに「国税庁タックスアンサー(税金相談)」のトップページにつないで(ここはさすがに answer の URL に飛ばされる)、そこから「法人税」に飛ぶと、全く同じ内容だけど、URL が answer のページにたどり着く。つまり anser と answer、URL が違うだけで同じ内容のページを2枚ずつ用意してるってこと。ほんとは anser を消し去りたいんだろうけど、ここまで来ちゃった以上そうもいかないって感じですな。

実際、他のページから URL 表示状態でリンク貼られちゃったりもしてるし。こりゃあもう我が国の国税庁は、綴りミスの亡霊から末代まで逃れられませんな。でもさぁ、少しでも逃れたいんだったら枝葉のページに至るまで、anser が付く URL をクリックされた時、トップページと同じく強制的に answer の URL のページに飛ばすべきだと思うぞ。一瞬で飛ばすようにして、anser のページには何も表示しない、と。

こんな風な各ページ2枚立てだと管理する手間もそれだけかかるし、何よりその忌まわしい URL で検索ロボットが拾ってしまうって弊害がある。検索エンジンから古い URL を消し去るには、検索エンジン会社に直接依頼するって手もあるのかもしんないけど、内容が書かれてなきゃ、2,3年くらい放置してれば向こうで勝手に削除してくれると思うが。

しかし、anser に並んで answer のページも設置したのを確認してから1年。その間全く進展がないってことは、国税庁の方はもうこの問題は解決済みとしてるってことが分かる。早く忘れたい気持ちは分かるけど、自分のとこのウェブサーバ内の処理が中途半端だから、いまだに亡霊がネット上をさまよってるんすけど。

根治するには手遅れなのは分かってる。けどもっと努力して、せめて上記のよーな、おいらみたいなアマチュアが思いつく程度の改善くらいしてみてはどーでしょうかねぇ。相変わらず恥ずかしいんですが。納税者として。日本国民として。

銘板
2007.5.13 日曜
前日に飛ぶ
http://yunzu.qee.jp/threedstudio/copages/htrgtr/htrgtr0705.html#LOG20070513
 この記事へリンクを貼る時は↑の URL をコピペしてね。

『菊地』の推敲

過去に出した自作小説『菊地』(超短編っす)をちょっと推敲したよ。何となく読んでみたら「昔の文章力は拙いのぉ〜」なんて思ったぐらいにして、ちょっと恥ずかしくなったんで。なぜか異様に「、」が少なくて読みづらかったんで、なんぼか「、」を増量しときました。でも基本的に拙い文体のまんま。それ以上いじるとなると、かなりの大手術が必要な気がして。「パンドラの箱」ならぬ「メンドサの箱」を開けたくないのだ。

〓ZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZ⊂<回 ←仕切りジッパー

ついでに宣伝。『雨降りガラスの駅』(短編)それと通勤砲」(超短編)もドーゾ。まぁ自分で言うのもなんだけど、楽しい作品だと思いますです(通勤砲」はストーリーらしきものがないけど、設定や逸話でお楽しみください)。

〓ZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZ⊂<回 ←仕切りジッパー

昨日、今日と日記が短めだけどカンベンね。明日の仕事に備えて、本を1冊読破しなきゃなんないんで。それに、やたら長いログって根本的にいかがかとか最近思ってるのもあるし(去年の11月分から今年の4月分までの半年間、各月のページサイズが軒並み 100KB 以上行ってる……。特に3月、4月は 120KB 超えてるし)。

銘板
2007.5.14 月曜
http://yunzu.qee.jp/threedstudio/copages/htrgtr/htrgtr0705.html#LOG20070514
 この記事へリンクを貼る時は↑の URL をコピペしてね。

マニュアル車復活祈願例大祭 1

近頃、運転手がエコドライブしてるかどうかを監視する機能がついた車が出てきてるらしい。アクセルを踏み込みすぎると警告が出たり、燃費のいい走り方をしてると「ECO」ランプが点灯したり。それで燃費が何%か向上するんだと。

阿呆か。

その程度の燃費向上なら、わざわざそんなおせっかいな装置なんか付いた車を選ばなくても、車を買い替えるとき、すっかりデファクトスタンダードと化したオートマ車を思い切ってマニュアル車に替えれば、それ以上の成果をソッコー達成できるぞ。10%かそれ以上燃費向上するらしい。しかもマニュアル車ならではの楽しみも提供してくれる。しかもオートマだのエコドライブ監視機能だの、そんな無駄なバカメカが一切搭載されてない、現時点で最高にシンプルな「クルマ」そのものを安く入手できる。いいことずくめ(ただし中古下取り価格も安いけど)。

じゃあなんで世の中こんなにオートマだらけになっちまったのか(ここで言うオートマとは、一般に普及してる有段変速オートマチックトランスミッションのこと。無段変速オートマは除外)。それはつまるところ、マニュアルよりオートマの方がいいからではないか。消費者がオートマを、自動車のより進化した形として選び続けたからではないか。

違う。

技術的にオートマは方向を間違えてる。だからその矛盾を解決すべく、オートマ車は内部的にいろんな無理を押し通してる。それでもなぜオートマは人気があるのか。

それはクルマのディーラーが、オートマ車を売った方が利益が上がるから、オートマ車ばっかり強烈に売り込みまくっただけのこと。彼らの営業努力の甲斐あってオートマ車が面白いように普及したんで、オートマ専用免許なんてのも出てきて久しい。

けど断言する。オートマチックトランスミッションは決して、マニュアルトランスミッションより進んだ技術じゃない。確かにオートマの方が運転はラクだけど、そのために支払われてる犠牲も合わせて考えると、オートマは中途半端な技術でしかないことが分かる。しかも基本原理がこの半世紀くらい変わってないんで、欠点もそのまま受け継がれてる。

30年くらい前の常識。「ノンクラッチ(オートマのこと)は油を食う」。今じゃオートマなりに改善されて燃費も良くなってきてるんだろうけど、それでもマニュアル車の燃費の良さには原理上追い付けない。その原因は全て、マニュアル車でのクラッチに当たる「トルクコンバータ(トルコン)」が、せっかくエンジンが作り出したパワーを、タイヤに伝える前に馬鹿食いするから。

トルコンは、マニュアル車で言う「半クラッチ」の状態を自動で作り出す装置なんだけど、ともかくほとんど常に作動してる。四六時中半クラッチで走ってるようなもの。マニュアル車で言えば、いつまで経っても腕が上がらないヘタクソ運転手が運転してるのと同じことになる。そんなところでエンジンパワーを無駄にしてるんだから、エンジンからタイヤまでが直結されてる状態が基本のマニュアルミッション以下の効率しか出せないのは明らか。例外的に、大体時速60キロ以上で巡航してる時は「ロックアップ」とゆー機構が働いて、一時的にマニュアル車並みの効率を出してるけど、それ以外の場合、特に加速時、トルコンはここぞとばかりに半クラッチ状態を作り出す。

マニュアル車だったら、発進と1速→2速へのギアチェンジの時だけ少しだけ半クラッチを使って、加速してる最中はエンジン−タイヤ直結で高効率で運用できるんだけど、オートマ車はその大事な加速時に半クラッチ。運転手としてはアクセルを踏み込んだだけの加速が得られないんで(このときトルコンは最もエンジンパワーを食いまくるんで)、ますますアクセルを踏み込む。ただでさえ悪い燃費がますます悪くなるこのカラクリ。

さらにアイドリング時でも、トルコンが悪さをする。

つづく

銘板
2007.5.15 火曜
http://yunzu.qee.jp/threedstudio/copages/htrgtr/htrgtr0705.html#LOG20070515
 この記事へリンクを貼る時は↑の URL をコピペしてね。

マニュアル車復活祈願例大祭 2

「クリープ現象」というのがある。オートマ車はアクセルから足を離してても、車が勝手にゆっくりと前に進み出す。これがクリープ現象の実際面での現れ。「いつでも半クラッチ」のトルコンがこれを引き起こす。この性質を便利に使うと、車庫入れや坂道発進でラクが出来て、それもオートマの売り文句になってるんだけど、ブレーキで意図的に車を止めない限り勝手に走り出すというのは、自動車の安全上かなりおかしなことをしてると言える。自動車の自動車としての基本動作「走る」「曲がる」「止まる」のうち、「止まる」がきちんとできてないってこと。「止まる」は安全に直結する要素。オートマはそのことで、本質的に危険を含んでるってこと。

20年くらい前のオートマが普及し始めた頃、一般に「急発進」と呼ばれた、オートマ車の暴走事故の多発が問題になった。以来、オートマ車はシフトレバーを「P」か「N」に入れないとエンジンの始動が出来ないように細工された。「急発進」対策としては妥当だけど、そのせいで環境配慮のためのアイドリングストップがしにくくなった。

アイドリングストップに対しては、「環境保護のためにアイドリングストップが推奨されてるけど、走ってる時に比べて大してエンジンが回ってないんだから、クルマがちょっと停まってる時にいちいちエンジンを止めなくても大勢に変わりないだろう」という意見もある。けどここでもトルコンが余計なことをしてくれる。

信号待ちしてる間、クリープ現象による勝手な走行を抑えるために、運転手はブレーキを踏みしめますわな。半クラッチ状態のトルコンは抵抗を作り出して、力ずくでエンストさせようとする。実際、マニュアル車と同じ意味でのアイドリング状態のエンジンでは、このままだとエンストしてしまう。で、自動車屋さんたちは最悪の対策を講じた。

こうゆー状況では自動でアクセルを少し吹かして、これまた力ずくでクリープ現象に対抗するようにしたんですな。もちろん燃料をそれだけ食う。二酸化炭素もそれだけ出る。信号待ちのとき、ただ空回りしてるだけのマニュアル車のエンジンに比べて、オートマ車は「クルマを停める」という、たったそれだけのことをするためだけに燃料を余分に消費してる。

アイドリングストップまではしたくない、でも無駄な燃料消費は抑えたい。そんなときオートマの場合、信号で停まる毎にわざわざシフトレバーを握ってNレンジかPレンジに入れなきゃなんない。走り出す時はDレンジに戻さなきゃなんない。「エンジンかけた後はDレンジに入れっ放しでいい」はずのオートマの魅力が、これだけで半減しますな。どうせそこまでやるなら、いっそもう一手間かけてアイドリングストップした方がいいかも。ていうかそうゆー手間をかけたくないからこそのオートマなんで、もうなんだかオートマ、中途半端さ故に自分の存在意義がゆらいでしまってる。

日本で普及しまくって、乗用車市場をほぼ制覇したと言っていいオートマチックトランスミッションがいかに中途半端な技術なのか、いかに環境に悪いのか、お分かりいただけたかと思う。全てはオートマ機構の中心であるトルクコンバータの悪行。すっかり絶滅危惧種になったマニュアル乗りから見れば、日本中の運転手が、運転をちょっと楽したいがためにこいつに頼ったせいで、いつでも半クラッチばかり使いたがる典型的なヘタクソドライバーになった。

だから、人や物の輸送に関して本当に地球環境を考えるなら、二酸化炭素を無駄に排出したくないなら、まぁ一番の上策は自動車なんか使わないことだけど、特に地方じゃそうもいかない。次善の策として、ハイブリッド車を選ぶこと。でもこれはカネがかかる。で、カネをかけずに最大限の効力を上げる答えは、「クルマを買い替えるときオートマ車からマニュアル車に替える」なんですな。

新車の場合、マニュアル車の方が余計な機構がゴテゴテ付いてないぶんだけ安いのだ。中古車の場合、マニュアル車は人気がないから安いのだ。でもその「オートマ人気」の正体は、自動車販売ディーラーの利益のために作られたものであることをお忘れなく。

「でもオートマ車の便利さと比べると『環境にいい』『安い』ぐらいしかメリットがないんじゃ、マニュアル車を選ぶ気にならない」「マニュアルは操作が煩わしいから嫌だ」。もちろんそれもあっていい意見だと思う。クルマを単なる移動の手段、あるいはファッションアイテムのひとつとしてとらえるのもアリだと思う。そういう人たちにとっては、運転はラクなのが一番。それにはオートマを選ぶのが一番。それに、手や足に障害を持ってて、是非オートマじゃないと運転できない人たちがいるのも忘れちゃいけない事実。

けど第3の選択肢もある。それが「CVT」と呼ばれる無段変速機構。これはすごい。エンジン回転数を常に最適に保つことで、マニュアル車並みの燃費の良さとオートマ車と同じ運転のラクさを同時に実現したスゴメカ。技術開発が進めば、マニュアル車より燃費が良くなる可能性をも秘めてる。

25年くらい前に、スバルの小型乗用車向けとして初めて実用化されて、今は日産も力を入れてる(スバルの技術を導入した)。問題だった強度も技術的メドがついて、乗用車なら3.5リットルエンジンまで、つまりほとんど全てカバーできるまで成長した。これからはトラックやバスみたいな大型車両を狙っていくとのこと。他のメーカーでもやってるかも。調べたら、トヨタがハイブリッドシステムの一環として、独自開発したものを使ってるらしい。

ちなみに CVT は基本的にクリープ現象がないんで、「止まる」というクルマとしての基本機能もきちんとしてるし、擬似的にクリープ現象を作り出すこともできるんで、今までの有段変速オートマに慣れた人でもフツーに運転できる。

この CVT が装備されたクルマを狙って買う、というのが、オートマ派の人たちの賢明な選択なんじゃないでしょか。

こうゆー、技術的に正しい方向性を持ったオートマ機構(CVT)が出てきてる今でもなお、おいら的にはマニュアル車がオススメだったりする。いずれ電気自動車の時代が来れば(燃料電池車も電気自動車の一種)、エンジンとモーターの性格の違いから、トランスミッションは根底から変わってしまう。あるいはなくなってしまう。それまでの期間限定で、マニュアル車っつうとっても楽しくてとっても奥が深いメカと付き合えるのだ。今がまさにその時なのだ。

つづく

銘板
2007.5.16 水曜
http://yunzu.qee.jp/threedstudio/copages/htrgtr/htrgtr0705.html#LOG20070516
 この記事へリンクを貼る時は↑の URL をコピペしてね。

マニュアル車復活祈願例大祭 3

とは言っても基本的に特別な走り方をするわけじゃなかったりする。別に峠を攻めるマル秘スペシャルテクとかじゃなくて、フツーに街乗りで合法的に楽しめる程度のことを紹介するだけ(主にオートマ車に乗ってる人向け)。

マニュアル車ってのは、今現在のスピードや坂道の状況に応じて運転手自身がギアチェンジするわけだけど、とりあえず自分でギアを選べるってのが嬉しいところ。「俺の指揮下で動いてもらうかんな」。あと気持ちいいのが、エンジンからタイヤまで、駆動系がガッチリ直結されてるのを感じたとき。「おお〜エンジンパワーがそのまんま路面に伝わってる〜」。これですこれ。

んでまぁオートマ派が「めんどい」と感じるシフトチェンジだけど、そこに意味を感じさえすれば、これほど楽しい操作はない。意味ってのは平たく言うと、「その場その場でエンジンが一番気持ち良く感じる状況のギアを選んでやる」ってこと。

車のエンジンってのは、ある程度の回転数域と負荷がかかった状況を気持ちよく感じるらしい。そんなときエンジンは無理のないイイ音を出しながら、スーッとスムーズに車を前に押し出してやったりする。かなり曖昧な言い方だけど、乗り馴れてくればそこらへん分かってくるもんです。別にタコメーター(エンジン回転計)なんていらない。おいらの車に付いてるけどほぼ全く見ない。要は慣れ。エンジンルームから伝わってくる音や振動、体で感じる加速度でそこらの雰囲気が分かる(でも最近の車は音も振動もほとんどなくなってるから、そこらへんどうなのか分からんけど)。

で、慣れてくると加速時に、「お、そろそろギアの替え時だな」ってのが分かる。そのときのアクセルの踏みしろで加速が鈍ってきたあたり。そこでシフトアップしてエンジン回転数を落として、また加速。これが発進から4速、5速まできれいにキマると、とりあえずそれでもう気持ちいいんですな。注意するのはやっぱし1速、2速。エンジンの状態がかなり直接に車体に伝わるんで、乗り心地に直結しますな。

1速の時、エンジンが「ガンガンいけまっせ〜」と張り切ってる状態でも、あんましアクセルを踏み込んじゃいかんのです。あくまでもジェントルに加速してやらないと、2速に入れようとクラッチを踏んだ瞬間、加速度が急に消えて、同乗者が前のめりになっちゃうんで。オートマだと変速は一瞬で済むし、最近のだと変速ショックがほとんどないから、この1速→2速の加速度消滅問題は気になんない。けどマニュアルだとどうしても変速時にタイムラグが発生するんで、そこらへんを先読みして気をつけなきゃいけませんな。

まぁ、マニュアルだとミッション直結が基本だから、半クラッチでゆるゆると発進して、スピードを上げつつそーっとクラッチを戻して(同時にアクセルをちょっと緩めてやるときれいに直結させられる)直結状態にしてから、ほんのちょっと、ゆっくりとアクセルを踏み込むだけで、十分な加速を得られるけどね。直結だから、オートマの運転みたいにグイッと踏み込むと激しく加速しすぎちゃうんで注意。

お次は2速。1速から2速にギアチェンジしていきなりクラッチを戻すと、エンジン回転数とギアの回転数が合わなくて、車が前後にギクシャク動いたりする。ここでもクラッチつなぎとアクセルの合わせがポイントになりますな。あと3速、4速、5速とギアが上がっていくごとに、だんだんエンジンの機嫌が車体にあんまし伝わらなくなっていくんで、まぁラクになっていきますな。そこまで行くと、アクセルを多少乱暴に操作しても車の挙動はそんなに敏感に反応しなくなるし。

で、ここでも注意点なんだけど、運転手は自分で運転してるぶんだけクルマの挙動を予測できるから気にならないんだけど、同乗者にとっては加速度が急に消えたりとか前後方向にギクシャクしたりとかって結構なストレスになるから、運転手の責任において細心の注意を払うべきなんですな。だからこそ、同乗者がいる時であれいない時であれ、加速がうまくいった時ってのは嬉しい。これがまた嬉しいったらない。ただ加速するってだけなのになぁ。

シフトアップについては以上。まぁ自動車学校のオートマ限定解除コースで習う内容に少し毛が生えた程度。対する減速時や坂道を降りるときのシフトダウン。これが奥が深い。基本は自動車学校で習った通りでいいんだけど、あれにはちょっとした欠点があるんですな。それを補おうとすると、いろいろ面白い操作をすることになるんですわ。

つづく

銘板
2007.5.17 木曜
http://yunzu.qee.jp/threedstudio/copages/htrgtr/htrgtr0705.html#LOG20070517
 この記事へリンクを貼る時は↑の URL をコピペしてね。

マニュアル車復活祈願例大祭 4

てなわけでマニュアル車のシフトダウン。教習所で習うのはアクセル操作を伴わないやつ。ギアを1段落としてクラッチをゆっくり戻すと「どっわーん」とエンジンが鳴って、エンジンブレーキがかかる。それに合わせてブレーキペダルを踏んで、スピードを落とす。これの欠点をアクセル操作を同時にやって補う方法がある。欠点ってのは、

クラッチと各ギアのシンクロ(トランスミッション内の装置で、選択したギアとエンジンの回転数差を吸収する役割を担う)を摩耗させる

ですな。クラッチもシンクロも消耗品なんで、街乗りメインで毎日運転してると、特にシンクロが20万km前にヘタレてしまう。クラッチも乗り方次第で、10万km台でミートポイントが極端に狭くなったりする(クラッチの微妙な操作がしにくくなる)。

そうなったらミッションをオーバーホールすれば新車同様に戻るけど、車にもよるけどいったんエンジンを降ろしてからじゃないと、ミッションに手を付けられない場合が多い(特に FF 車)。大作業になるんでカネがかかる(エンジンの脱着だけで5万はかかる)。だから、クラッチとミッションを普段からいたわりながら走ることが肝要になってくる。おいらの職場担当車の日産アベニールは15万キロ走ってるけど、はじめからいたわってるからクラッチもシンクロもまだまだ新品と大して変わらないなのだ(自慢)。ちなみにオートマ車のミッションも、10万キロ走ればかなりヘタレるぞ。

具体的ないたわり方。シフトダウンでクラッチを切った時、エンジンを軽く吹かして、これから入れるギアの回転数に合わせてやる。それからクラッチをつなぐ。ドンピシャの自信があったら、クラッチを一気につないでも大丈夫(これがキマるとめちゃめちゃ気持ちいいんですなぁ〜)。こうするとクラッチもシンクロもほとんど摩耗しない。

つうか教習所式の「どっわんエンブレ」やりすぎてシンクロがヘタレてしまった場合、こうしないとギアが入りにくくなっちゃう。

余談だけど、やりようによってはクラッチを一切踏まなくてもギアチェンジできたりする。ギアに負荷がかかってない(一定速度で走ってる)時、ギアは簡単にニュートラルに抜かせられる。そのニュートラルの状態で、これから入れるギアにエンジンの回転数を合わせてやれば、シフトレバーをそのギアに軽く押し込んでやるだけで、ギアが「スコッ」と気持ちよく入ってくれる。シフトアップでもシフトダウンでも同じだけど、シフトダウンの時はニュートラルのときエンジンを吹かしてやんないといけないから、そのぶんちょっと面倒かな。

アイルトン・セナは子供の頃、自宅の敷地内で父親の車をそれで運転してみせたという伝説が残ってる。それと、回転が合ってないときにこれを無理にやろうとするとギアを傷めるんで、あんましやんない方がいい。ここでのテクニック紹介はあくまでも「クルマをいたわるためのもの」なんで。まぁクルマを壊してでも天才セナに近付きたい人はどーぞ (^_^;)

話を戻しますぜ。街乗りの場合、5速→4速、4速→3速までは、右足はアクセル操作に集中できるんだけど、3速→2速の速度域だと、そろそろブレーキも使わないといけなくなる。そこ出ててくる技が「ヒール&トウ」

「うわーそんな走り屋テク無理無理!」だなんて言わないでさ ヾ(^^;) 確かに練習は必要だけど、慣れれば簡単だから。うん。愛車を長持ちさせるコツってことでひとつ。やんなきゃやんなくても何の差し支えもないんだけど、とりあえずここから先、読んどいて損はないから。ねっ? ねっ? てなことで、ヒール&トウの誤解を晴らしながら解説しよう。

誤解その1:ネーミングに騙されちゃいけない。

「ヒール&トウ」のネーミングは、右足のかかと(ヒール)でアクセル操作を、同じく右足のつま先(トウ)でブレーキの操作をするってイメージから付けられたんだけど、正直、無理。実際は、右足の小指の付け根でアクセル操作を、右足の親指の付け根でブレーキを踏むって感じ。大体1800cc以上のクルマだとアクセルペダルとブレーキペダルの間隔が広いんで、オプションの(走り屋向けの)ヒール&トウ用のペダルへの換装がオススメだけど、軽自動車やリッターカーだとペダルの間隔が狭いんで、そのまんまで充分やりやすかったりする。

誤解その2:「1つの足で2つのペダルを同時操作」はウソ。

1つの足で2つのペダルを同時に調整なんてプロのレーサーじゃなきゃ無理。一般人の場合、ブレーキの踏みしろは固定(クラッチの摩擦を伴わないエンジンブレーキの効きなんてたかが知れてるんで、普通のブレーキ踏み込み量で OK)。で、ブレーキペダルを支点にして、足首を捻挫方向に曲げてアクセルをあおるのだ。

あおるタイミングはクラッチを底まで踏み切った瞬間ね。同時にギアをいったんニュートラルに入れて、エンジン回転数が上がりながらちょうどいいところに来た時にギアを入れる(そのギアに向けてシフトレバーを軽く押してるだけで、ギアの方から勝手に入ってくれる)。エンジン回転数が落ちながらちょうどいいことろに来たらクラッチをつなぐ。ここらへんは練習で勘を磨くしかない。

逆に言えば、エンジン音でちょうどいい回転数が分かようになるんで、タコメーターなんか要らない。それと、ブレーキ踏みの見込み量を間違えたと思ったら、すぐにアクセル操作を放棄して普通のブレーキングに切り替えること。これで安全を保てる。

とまあこんな感じで、ヒール&トウはできちゃうんですわ。慣れないうちはアクセルと一緒にブレーキもおもっきし踏み込んじゃったりして危ないんで、練習はすいてる道路か駐車場とかでやるといいよ。後続車がいないことを確認してね。

マニュアル車って、「やってやらなきゃいけない仕事」が多いぶんだけ、やり方にも流儀があるわけで、そこを掘り下げていくごとにクルマと深く付き合えるっつうか、クルマがどうして欲しいのか分かるようになっていくっつうか、そうゆーところがなんともまぁ楽しいわけです。

ちなみにおいらはアベニールじゃヒール&トウはやってないっす。ペダルの間隔が広すぎるんで。5速→4速、4速→3速の時にアクセルだけあおるくらいかなぁ。2速にシフトダウンするときってのは停まる時・徐行する時くらいでさ、そこまで来たらスピードが落ち切るところまで3速エンジンブレーキと足ブレーキだけで持って行って、2速に落とす頃にはもうわざわざエンジンあおる必要なくなっちゃうんだわ。ヒール&トウまではしたくない人の参考になるかな。

けどヒール&トウができると走りの幅が広がって便利なんですな〜。ローバーミニちゃんだとペダルの間隔が狭いんで、ヒール&トウを使ってるよ。交差点で曲がるのに滑らかに減速→加速したい時とか。それに特に山道の下り坂なんかだとホント便利。「どっわんエンブレ」のシフトダウンより早く作業が終わるんで、次の操作に早めに移れるし。しかもヒール&トウがジャストミートでビシッとキマった時ってのはほんと気持ちいい。快感もいいとこ。

ただ、「単純に信号で停まる」なんて場合にクルマを一番いたわる方法は、ギアを早めにニュートラルに入れて、足ブレーキだけで停まるのが良かったりする。これだとクラッチ・シンクロは全く傷まない。エンジンブレーキが効かないぶんだけブレーキバッドが早く消耗しちゃうけど、トランスミッションの消耗品交換より、ブレーキバッド交換の方がずっと安く上がる。エンジンを空吹かししないぶんだけ燃費も良くなる。

んでまぁこんな風に、別にただの街乗りでも、マニュアル車ってのはオートマ車じゃ絶対に味わえない独特の楽しみがあるんですよ。出荷される乗用車の9割がオートマ車と言われるこの時代、中にはラインナップにマニュアル仕様がないクルマもあるそうだけど、なんかみんなすごくもったいことしてる気がして。いずれ電気自動車が普及した暁には、こういうトランスミッションの区分けも変わってきちゃうから、ほんと今がその楽しみ時なんだよねぇ。

と先生ヅラしていろいろ書いたけど、実は最近、4速→3速でのアクセルを開くタイミングを今までずっと間違ってたことに気づいて、現在鋭意矯正中だったりする (^o^;) なんかこう、右半身(アクセル)と左半身(クラッチとシフトレバー)を同期させて運転するっての、脳トレにもいいような気がする。

あ、そうそう。マニュアル車は購入価格が安い上に燃費もいいんで、業務用車両じゃいまだに根強い人気を誇ってる。つうことで、就職にはオートマ限定解除免許が有利っすよ。

え? 「そんなこと言ったって今オートマ車に乗ってるよ。買い替える予定なんかないよ」ですと? ならばオートマ車でできるだけ燃費を良くする走り方も教えちゃう。それは「発進・加速はガバッとアクセルを踏んだりせず、できるだけしずしずと、上品に行う」。これです。「ギュイーン」じゃなく「ルルルル〜」っと。仕組みで言うと、トルクコンバータ内部での回転速度差を抑えることで、トルコンが作るパワーロスを低く抑えるんですな。これだけでかなり燃費が違ってくるはず。お試しあれ。

おわり

銘板左端銘板銘板右端

追伸:映画「不都合な真実」の最後に、地球環境を良くする誰でも出来ることが列挙されるけど、「アイドリングをやめましょう」「できればハイブリッド車に乗りましょう」はあっても、「車を買い替えるなら、安くて燃費のいいマニュアル車を候補に」はなかった。これは片手落ちだったんじゃないかなゴア君。

銘板
2007.5.18 金曜
http://yunzu.qee.jp/threedstudio/copages/htrgtr/htrgtr0705.html#LOG20070518
 この記事へリンクを貼る時は↑の URL をコピペしてね。

人はすぐには変わらないもの

やっちまった。「やたら長いログって根本的にいかがかとか最近思ってる」なんて書いた端から、マニュアル車復活大キャンペーン張っちまった orz

いや〜しかしこのキャンペーン、始めたはよかったものの、途中でプレッシャーに潰されそうになりながらようやく書き上げただよ。今満喫中のこの充実感よ! やっぱ長い日記路線はこれからも続くんかねぇ。

とりあえず今日のところはこのくらいでやめとくわ。反省も兼ねて。うん。

銘板
2007.5.19 土曜
http://yunzu.qee.jp/threedstudio/copages/htrgtr/htrgtr0705.html#LOG20070519
 この記事へリンクを貼る時は↑の URL をコピペしてね。

芸術懐疑論

芸術や音楽や文芸に明るいのに、リアル世界で人の心の機微を捉えるのに明らかに疎い人がいる。芸術は本当に人の心を豊かにするもんなのか?

どうもそういう人たちって、自分が物知りなのをいいことに、他の人を侮るというか見下すというか、なんかそういう態度が鼻につくんだよね。一言で言えば「お前そんなことも知らないの?」とか、「お前なんかに分かるはずもないだろうが」とか。そりゃあ芸術作品やジャンルひとつを知るにしても、それなりの労力が必要だから、その労力を積み重ねてきたことに対しては敬意を持つけど、それにしても何なんだろこの違和感は。

ていうかその違和感に対してなんだか懐かしさを覚えたぐらいにして。何なんだろこの懐かしさは。んで、最近ようやく気づいた。おいらも昔そうだったんだわ。純文学の本を読み漁っては、それを趣味としない人たちを内心、鼻で嗤ってた。でも情けないことに、まずそういう本を読み続けるのが苦痛になってきた。何を言わんとしてるのかさっぱり分からんくて。それまでは「自分は理解できる」なんて信念があったからやって来れたんだけど、理解できない。それでも読み続ける。いい加減自分でイヤになったあたりで、なんでそうまでして読み続けるのか、ふと立ち止まって考えた。その答えは、

他の無教養なやつらを見下したいから。

いやもう必死にその考えを否定したね。うん。でもそれ以外にまともな答えが見つからない。「とにかく読みたいから読む」でもないし、「いずれ理解できる時が来ると強く信じてる」でもなかったよ。そして、「見下したい」説を受け入れた、と。

それ以来、小説をぱったり読まなくなってしまった。そんな下卑た理由を原動力にして小説を読んでた自分がイヤになってしまって。ドストエフスキーとか川端康成とかの文庫本は、段ボール箱に詰め込まれたまま、再び日の目を見るのを10年以上待ちっぱなし。いつか自然と読みたくなる日が来るまで取っとこうって魂胆なんだけど、今じゃめんどくなってしまって、すっかり縁遠くなった。読んできた本の内容もタイトルさえももうおぼろげ。

思い出してみるに、はじめの理由は違ってたんだ。「世に言う名作というものを自分で体験して、どこがどう素晴らしいのか知りたい」なんつうまことに天晴な動機だったんだわ。てなわけで、小説の他に映画も黒澤映画をビデオで観てみたりして、そっちで観賞したのは娯楽方面の作品だけだったけど、その面白さを存分に体験できた。小説部門の方も、無理しないで娯楽小説主体にしてれば良かったかも。で、それがいつの間にかその成果を求めたくなって、誰かに褒められたくなって、動機がねじ曲がっていったんですな。

して最近になって、そうやって芸術的教養をひけらかして周囲を見下すやつらが、おいらの生活圏にいることに気づいたってわけで、ちょっと興味を持って観察中だったりする。彼らは一体、どうゆー動機で芸術に惹かれるようになったのか。そして今現在の動機は何なのか。おいらみたいに不純にねじ曲がっちまったのか、それとも純粋に芸術から感動を受け続けた結果なのか。もしくはその両方なのか。

かといって、芸術そのものがそういう作用を生むためのものじゃないことは分かってる。まぁおいらの感性は娯楽系専門なんで、そこらへんに翻訳して考えると、芸術とは、「何らかの感情を受け手に湧き起こすための知恵と技術とひらめきの結晶」だと思う。だから、まず重要なのは、受け手や観客が感動することが第一。その技術・技法やアイディアはその次、と考えられる。

で、どーも問題の感性を持った人たちってのは、芸術そのものにまず感動するんじゃなくて、技術・技法やアイディアや作品背景に関心が行って、そうゆーところにオタッキーな感動を求めてるよーな気がする。確かにそういう基礎知識がないと堪能できない芸術も多いかと思うけど、なんかちょっと違うんじゃないかとか。

オタクの喜びってのは、あるひとつのジャンルに固執して、でき得るならばそれに関する全ての知識をコレクションしようってところにあると思う。一般のオタクは、自分がある対象に対して特別な興味を持ってるということが、世間的に見てどうでもいいことだってのを分かってるからいいとして、芸術オタクは興味の対象がなまじ価値のあるものなもんだからそういう認識がなくて、それで自分の知識をひけらかして世を見下してはご満悦という愚行を犯すんじゃないのかねぇ。価値があると知られてるものだからこそ、一般人はその芸術オタク攻撃を受けて劣等感を持っちゃって、ますます芸術オタクの思うツボなんじゃないかと。そして芸術はますます「敬して遠ざける」類いのものになっていく、と。

ともかくそういうやつらが存在するってことは確認できたし、手の内もまぁ大体推測できた。まぁ、あとは、本当に芸術に感動してる人と芸術オタクを見分けることが肝要ですなぁ。

銘板左端銘板銘板右端

本当に芸術に感動してる人ってのは、得てしてその活動は静かなものだと思うんだけど、そうじゃない素晴らしい例もまたある。その素晴らしい例をネット上で発見してしまった。

是非ここにアクセスしていただきたい。そして、芸術に感動するというのはどういうことなのかを知っていただきたい。正直、このサイトを知ったおかげで、芸術好きと似て非なる芸術オタクの存在を認識できただよ(『文芸ジャンキー・パラダイス』には芸術オタクに関する云々は特にありません)。

銘板
2007.5.20 日曜
http://yunzu.qee.jp/threedstudio/copages/htrgtr/htrgtr0705.html#LOG20070520
 この記事へリンクを貼る時は↑の URL をコピペしてね。

みぢかいにっき

ありゃ〜昨日また長い日記書いちまった orz 短く収めるつもりだったのに……。今日こそ短くするのだ。

とりあえず、最近まで今月の日記、読み込んだあと綺麗に頭出しができなかった日が多かったかと思う。その原因と思われるものを見つけて対策したんで、再び頭出しがズバッといくようになったんじゃないかな。原因(と思われるもの)は、画像挿入タグ img のひとつに、height(高さ)属性を入れてなかったからかと。もう直しちゃったんでどれだったかおぼろげだけど、5月12日の『タックスアンサー観察日記』での画像だった気がする。これでも直ってないとしたら、その前日の「大量生産燃料電池車 早くも登場!!」での、画像付き table が原因かも。だとしたらちょっと面倒なことになりそう (-_-;)

それから、2001.8.9 で購入した 40GB ハードディスク、ついに大往生したっぽい。SETI@home のためまず Power Mac G4 でこき使われ、COMPAQ DESKPRO に移植されてからも S@h のために回り続けたんだが、その酷使に次ぐ酷使、実に5年と9ヵ月、よくぞがんばってくれた。不燃ゴミとして安らかに眠ってくれ給え(冷徹)

あと、どうにも使いようがない小容量の HDD (2GB, 8.4GB, 10GB) も余ってるんで、まとめてゴミに出してすっきりするかぁ〜。

銘板左端銘板銘板右端

文芸ジャンキー・パラダイスのカジポン・マルコ・残月さん、『最新文芸情報』をフツーに毎日、ものすごい分量を書いてらっしゃるなぁ……。こっちは日記の減量を検討してるってのに。かなわんなぁ orz

銘板
2007.5.21 月曜
http://yunzu.qee.jp/threedstudio/copages/htrgtr/htrgtr0705.html#LOG20070521
 この記事へリンクを貼る時は↑の URL をコピペしてね。

ハイブリッド車の裏側の噂

トヨタのハイブリッドシステムには、あまり知られていない落とし穴があるそうな。2007.1.23 で、

初代プリウスが発売されて、今年で10年。いいかげんバッテリーがヘタレてきてもいい頃。(中略)もしかして今走ってる初期型プリウス、バッテリーがもうとっくに死んでて、無駄に重いだけのハイブリッドシステムをのっけたまんま走ってるんじゃないだろか。かえって環境に悪い具合いになってしまってるんじゃないだろか。

と書いた。噂で聞いただけなんだけど、トヨタのハイブリッドシステムの要のニッケル水素電池、5年でヘタレて電池交換代が50万らしい。本当だとしたら、バッテリー代が年間10万。10年前の初代プリウスは今年でバッテリー2巡目で100万ってことになる。

ハイブリッド車はトヨタ製でもホンダ製でも、新車購入時には政府から補助が出るらしいけど、バッテリー交換(ホンダの場合は大容量電界コンデンサ)でも補助が出るのかな。

「そんなに言うなら、5年で新車に買い替えて、古いクルマは廃棄すればればいいじゃないか」

とメーカーが言って来そうな感じだけど、環境を考えるとそれもどうなんだろう。新車を製造したり、あるクルマを乗り潰して廃棄するとき、どうしても大量のエネルギー消費を伴う。そのエネルギーコストをペイするためには、平均して1台のクルマを5万km乗らないといかんらしい。それ未満でクルマを捨てるとなると、エネルギー的に赤字になる。そして、クルマというのは中古車として長く乗られることで、ますます環境に貢献することになる。まぁ要は、せっかく作られたクルマなんだから、もったいないから大事に長く乗れ、と。

でもこれ自動車屋さんにとっては黙っていたいことだろうなぁ。新車をなるべく販売するなってことになっちゃうから。政府の方針としても、燃費のいい新車をどんどん導入すれば環境にいいし経済効果もあるっつう立場だし。

そんなわけで、10年前に売り出された初代プリウスも、長く乗れば乗るだけ環境にいいってことになるんだが、バッテリーの壁が存在するっつう噂。中古市場で乗り継がれて10年以上使われればエネルギー収支じゃ充分黒字になると思うけど、そのコストがトータル100万てのは痛い(あくまで噂ベースだけど)。バッテリー代だけで軽自動車やリッターカーを1台買えちゃう。

まぁでも、「バッテリーがヘタレる」の定義にちょっと期待をかけてみる。燃料電池の本で読んだところでは、「燃料電池が劣化する」の基準は、出力が 90% にまで落ちるってことだそうで。この基準がハイブリッド車用バッテリーにそのまま当てはまるとすれば、5年で 90% の性能、10年で 81% の性能に落ちるってことで、どうにかそのまま使えそうな雰囲気ではある。

クルマは10年も乗れば、ところどころにサビが浮いてきたり足回りにガタが来たり、燃料ポンプやスターターとかのモーター類のベアリングが摩耗したりして、だんだんメンテナンスコストがかかるようになってくる。「そろそろ潮時」ってやつ。その潮時までで 81% のバッテリー性能が残ってるなら、よしとするか。

これはあくまでも燃料電池の基準を当てはめた場合の話。それに、「5年で50万」も、裏が取れた話じゃない。本当のとこはどうなのかは、5〜10年もののプリウスの持ち主さんじゃないと分からない。でも相変わらずトヨタのハイブリッド路線は鼻息が荒い。

つうことで、ハイブリッド車には「特有のランニングコスト疑惑」が浮上してるんで、ハイブリッド陣営はこれに対する説明をしなきゃいかんと思うんだが。バッテリーは使ってりゃいつか必ずヘタレる。もしそのヘタレっぷりが「5年で 90% の容量」どころじゃなく、本当に「5年で50万」必要なくらいなら、ハイブリッド車の勢いに水を差さないためにも、何か手を打たんといかん気がする。政府としても環境対策でハイブリッド車を推すなら、新車購入時だけじゃなく、バッテリー交換時にも補助金を出すべきだと思うんだが。もう出してるんならそれでいいんだけどね。

銘板
2007.5.22 火曜
http://yunzu.qee.jp/threedstudio/copages/htrgtr/htrgtr0705.html#LOG20070522
 この記事へリンクを貼る時は↑の URL をコピペしてね。

家電フュージョン風雲伝

今日は家電の融合について考えるのココロだ〜ぅ(小沢昭一風)

今さらながら、携帯電話の進化には目を奪われるものがあるなぁ。小型化競争が一段落したと思ったらメールできるようになって、そうかと思ったら i モードでしょ、カラー画面でしょ、デジカメまで付いちゃって画質・画素数競争でしょ、PC 用のサイトをそのまんまウェブブラウジングでしょ、それに音楽の取り込みに再生。で、最近じゃワンセグでテレビまで見れちゃうんだもんなぁ。その他、けっこう前から電卓にカレンダーにスケジュール表に時計に目覚ましにイージータイマーにボイスレコーダーにバーコードリーダー。書き忘れてたけど電話機能(笑)。モノによっては防水機能。財布の代わりになったりもする。電話というジャンルを大幅に超えたスーパー家電だね。あと付いてないのは冷蔵庫と洗濯機とミサイル発射機能くらいじゃないの?(白モノ家電はともかく、改造のしようによってはミサイル発射もできそうなのがちょっと恐い (^^;)) ここまで旺盛に機能を取り込んだ家電製品なんて今までなかったんじゃないかねぇ。

誰の言葉だったか忘れたけど、発明の極意は、2つのモノを1つにまとめることだそうで。まぁエジソンの電球なんかを考えても、「電力と光源」てな分け方をすれば、2つのモノが1つにまとまったものだと考えられますわな。で、30年から40年前、とある日本人技術者は何を血迷ったか、2つの完成された家電を1つに融合させることを思いついて、早速製品を作って世に出した。それがラジカセ。

どこのメーカーが初めてやったのか知らないけど、初めて売り出すときはドキドキもんだったんじゃないかと思う。「どっちつかずの中途半端な製品」と鼻で嗤われるんじゃないかと、作る方も売る方も、発売直前まで夜もろくに眠れなかったんじゃないかと思う。で、フタを開けてみたら世界的大ヒット。他のメーカーたちも慌てて追随したぐらいにして。

今だからこそああだこうだ考えられるんだけど、結局それを受け入れた消費者は、ラジオに対してもカセットテープレコーダーに対しても、それなりの機能と性能さえあれば満足だったんだろうね。でもラジカセならでは強みもあった。それは、「携帯したい2つの装置がひとつにまとまってラクになった」「特別何の操作や設定をしなくてもラジオを録音・再生できる」これもまた効いたんじゃないかと。どっちの機能もスピーカーから音を出すってところが発想の原点なんじゃないかと思う。それがツボにハマった、と。その証拠に、80年代前半に「ラテカセ」なる、ラジカセにテレビが付いたものが売り出されたんだけど、見事に大コケしてる。

コケた理由はまぁ、ガタイが巨大だった(電子レンジくらいあった)割にはテレビ画面が今のケータイの画面より小さくてしかも白黒のブラウン管で、あんまし便利じゃなかったというのもあったろうけど、おいら的には、「テレビを付けるのならビデオレコーダーも付けなきゃいかんかった。しかも片手で簡単に持ち運びできるサイズと重さで」と踏んどるよ。ラジオとカセットテープレコーダーのタッグが成功したことを考えると、そういう結論に自ずとたどり着く。

80年代前半といえば、据置型の家庭用ビデオデッキがようやく出始めた頃。まだまだ高価で、一般家庭には存在してないのも同然だった。簡単に持ち運びできるものじゃなかったけど、後にテレビデオが世の中にほどほどに受け入れられたんで、あながち間違いじゃないと思う。テレビデオは「テレビやビデオの観賞なら、別に小さい画面のモノラル音声で OK」っつう、こだわらない客層をうまく取り込んだ。ラジカセみたいな爆発的普及にまで至らなかったのは、後述する「第三の利点」があまり感じられなかったからだと思う。

あと、ダメ家電2つを合わせてみたときに、ちょうどよく時流に乗ったラッキーな製品もあった。それがかのカシオ QV-10。今のデジカメ時代を切り開いた逸品。ダメ家電2つのうちの1つは小型液晶テレビ。バブルの頃に小型カラー液晶ディスプレイの大量生産技術が確立して、いろんな家電メーカーが携帯テレビを売り出したけど、誰も見向きもしなかった。

だって画面が荒すぎて字幕がろくに読めないんじゃなぁ。当時の液晶の弱点だった可視範囲の狭さもあって、1台の携帯テレビでせいぜい2人しか見られなかった。まぁラテカセのテレビ機能よりずっとましだったけどね。

もう1つは、昔のデジカメ。CCD で画像を取り込むのは今と変わらないんだけど、出力がテレビ画面だった。ビデオ端子をつないで見るのね。画像はフロッピーディスクに保存して、見るにはテレビにつなぐか別売の専用プリンタで出力するかしかなかった。まずこれが不便。しかも解像度も画質も、完成の域に達してたフィルムカメラと比べものにならないくらい悪かった。プリントを焼いてそれをアルバムに貼って、好きな時に高画質の写真を見るスタイルが完全に定着してた当時の世間に、到底受け入れられる代物じゃなかった。

で、カシオはそのダメな2つの家電をフュージョン(融合)させた。初の液晶画面付きデジカメの誕生。今じゃ当たり前だけど、当時としてはその発想の斬新さにおいらは喝采を送ったもんじゃった。だって撮ったその場で写真の写り具合を確認できて、気に入らなかったらその画像を消せるなんて、フィルムカメラじゃ逆立ちしたって無理だったんだもん(感慨)。たぶんそのヒントとして、先立って普及してた液晶大型ファインダー付きビデオカメラがあったんじゃないかな。

QV-10 の目玉機能はそれだけじゃなかった。当時盛んに騒がれてた、パソコンのマルチメディアに完全対応。PC にその画像を保存できた。ということは画面で見るのもプリントアウトもできるってこと。こう書くと旧世代のデジカメと変わりない感じだけど、写真を見るのにテレビの流用じゃなく、専用機材も要らない。しかもマルチメディアとか言うから買ってはみたものの持て余し気味だった PC(当時はインターネットもほとんど普及してなかった)に明確な目的を与えたってのがインパクト強かった。フィルム写真に比べての画質の悪さは、余りあるメリットでカバーされた。これで一気に売れ筋商品に名乗りを上げた。まぁおいらは当時パソコン持ってなかったし QV-10 は高嶺の花だったんで、買えなかったけどね。

フュージョンの成功例もあるけど、失敗例だってある。その代表が「電卓付きデジタル腕時計」。あれはほんとダメダメだったよ。

これも80年代前半に登場したんだわ。当時デジタル時計が流行ってたし、電卓も小型化路線を邁進してた。それでこうなったんだけど、実際それを使ってた人、すごく使いにくそうだったもん。ボールペンの先で、左の手首に巻かれた時計の下半分に詰め込まれたちいちゃなちいちゃなキーをチマチマ押すんだもんなぁ。ちょっと老眼入ってる人なんか操作するの無理だって。

その失敗に追い討ちをかけて、80年代後半からはアナログ腕時計が復権したし、電卓も小さすぎると使いにくいことが充分わかったんで、液晶表示もキーもある程度のサイズを保つようになって、両者は物別れになってしまった。結局、時計も電卓もここまで小さく作れるんですよっつう、メーカーの自己満足で終わってたのが敗因だったかと。

こうして見ていくと、フュージョン家電の成功の法則が見えてくる。

成功したフュージョン家電は、それぞれ持ち寄った機能の他に、持ち寄った2つの要素や他のものを組み合わせて初めて実現する「第三の利点」を持ってる。携帯電話はポータブル情報端末という観点からインターネットやデジカメやテレビ、決済システムを取り込んだことで、それ1つを持ってれば何でもできちゃう、しかもそれぞれが有機的につながってるっつう利便性が売りになった。

ラジカセは、2つの持ち運びたい装置が1つで済むってこと自体が画期的だったし、ラジオ番組の録音・再生が簡単にできるというメリットも大きかった。この携帯性と簡単録音・再生は密接につながってると思う。ラテカセもテレビデオもラジカセほど受け入れられなかったのは、携帯性と簡単録画・再生が同時実現できなかったからかと思われる。

今現在隆盛を誇ってるデジカメの始祖である QV-10 は、液晶画面を備えることでデジカメの利便性を完成させたのと、別ルートで普及し始めたパソコンとの親和性も謳い文句になった。

ただ組み合わせるだけじゃダメなんですなぁ。組み合わせたことで、もっと新しい何かを与えられなきゃ、フュージョン家電は成功しないんですわ。そこでラジカセ創世期の故事を思い出そう。「既に完成されている2つの家電を融合させて、新しいものを作る」。「混合」でも「接合」でもなく、飽くまで「融合」。その発想に、新しいヒット商品が潜んでる気がする。

ところがやっぱしというか、なかなか思い浮かばんもんですな。小型携帯を求められる情報ものはみんな携帯電話に吸収されちゃった。それ以外といえば白モノ家電。ガタイのでかさ(というか容量の大きさ)が勝負だし電力も食うから、携帯電話とは相容れない。それなら白モノ家電同士の融合はどーだろ。冷蔵庫と洗濯機……はちょっと間柄が遠いか。んだったら、電子レンジと冷蔵庫なんか、お互い食品同士で相性が良さそうな気がするけどどうでしょ。これに「第三の利点」を見い出せれば、かなり画期的な商品になること請け合いな気がする。

あと、なんでいまだに実現してないのか分からんのが、携帯電話をテレビやビデオのリモコンに使うって考え。ケータイには赤外線通信機能が付いてるから、テレビやビデオのリモコン信号に合わせた信号を発信しさえすれば、そのまんまリモコンに使えると思うんだが。テンキーだって付いてるし、バーコードも読めるし。何よりも以下の事実が重要。

「テレビやビデオのリモコンはよくなくすけど、ケータイはめったになくさない」

もうこれだけで利便性大幅アップだよ。「ケータイとして使える」「リモコンとしても使える」に続く第三の利点だよ。もしどこのメーカーもまだ思いついてないんなら、今がチャンスですぜ。これ読んだメーカーが先陣を切れるってわけだ。実現した暁には、おいらに謝礼を忘れるでないぞよ。言っとくけどジャムパンだからな。現金でももちろん嬉しいけど基本はジャムパンだ。分かったな。

銘板
2007.5.23 水曜
http://yunzu.qee.jp/threedstudio/copages/htrgtr/htrgtr0705.html#LOG20070523
 この記事へリンクを貼る時は↑の URL をコピペしてね。

好きでゴミを出してるわけじゃない

ガラスリサイクルの実態は一体どーなっておるのか。全く納得がいかない。いやね、2カ月くらい前にうちの職場で大量のガラス廃材を処分することにしたのよ。180ミリリットルくらいの未使用の小ビン。リサイクルの基準では「ワンウェイびん」と呼ばれるやつ。実測3.65トン。どうにも使いようがないもんだから。それで、産廃リサイクル業者に連絡を取ったら、ガラスは埋め立て処分とのこと。もちろんトンあたりでお金を取られる。

ガラスってリサイクルできるはずじゃなかったっけ? 再生ガラスとして。またはアスファルト舗装の副原料として。カネを取られるという点でもリサイクルしてくれないという点でも納得行かなかったんで、ネット検索をかけたら、八戸リサイクルプラザなるところが見つかった。「缶・ビン・ペットボトルの混合物から自動的に仕分けし資源化を行う資源化ライン」ですか。ふむふむ期待できそうじゃないの。

んでそこに書いてあった電話番号に電話したら、そこで扱ってるのは家庭ゴミから出るガラスビンのみで、事業所から出るガラス産廃は回収してないとのこと。何なんだよ。同じガラスビンじゃん。しかも未使用なんだから家庭から出る使用済みのより綺麗だぞ。納得いかねぇ〜。そしたら、企業でガラスリサイクルやってるところがあるとのことで、そこを紹介してもらった。ガラスをアスファルト舗装の副原料に利用する会社。

その会社に電話入れたら、「入札でしかガラスを受け付けていない」だそうで、何だかよく分からんけどうちはダメだってことが判明。諦めきれずにタウンページを探して、十和田市にガラス回収業者を発見。早速電話したら、建築廃材の板ガラスのみ扱ってるんだそうで。そこもダメ。

結局リサイクル路線は全滅で、仕方なく高いカネ払って産廃として処分する羽目になった。ほんともったいないよこれ。溶かせばまたガラスとして使えるものなのに、まだ役に立てるはずなのに、それを許してもらえずに、ただただ廃棄物処分場を無駄に埋めるだけだなんてさ。まぁカネに関しては相見積もりを取って、より安い業者(35,000円/トン)に頼んだけどね。それでもやっぱり高かった……。

それにしても納得いかねぇ〜。こっちがリサイクルしたいっつってんだから、リサイクルさせやがれよなまったくよぉ〜。

銘板
2007.5.24 木曜
http://yunzu.qee.jp/threedstudio/copages/htrgtr/htrgtr0705.html#LOG20070524
 この記事へリンクを貼る時は↑の URL をコピペしてね。

大団円にゲスト現る

今日は最後の焚火の日〜。天気がよくて風がなくて、いやー燃やした燃やした。職場の木製品の残り全部燃やした。

でも今日の物件はほとんどみんな湿気っててさ、底がもろに濡れてる樽もあったりしてさ、なかなか燃えてくれなくて困ったでござるよ。でもがんばって燃やした(鼻息)こんな感じで↓。手前に散らばってるナマの木材は、タガが焼けて外れてこっぱみじんになった樽の残骸。

燃え樽

3時頃には燃やすもん全部くべ終わって派手な燃焼も終わって、あとは燃え残った炭の燃え具合をぼーっと見てたんだわ(待ってれば炭はだんだん灰に変わっていく)。したら消防車が来てさ、何の前触れもなく。いや焦ったの焦らないのって。

そんな内心は見せないよーに、「何ですかぁ〜? ちゃんと火を見張って燃やしてますよぉ〜?」なんてなんも知らんよーな顔して消防車に近付いて行ったら、隊員の方が降りてきた。なんでも無断の焚火は御法度なんだそうで(噂では知ってた)。さらに、こうゆー廃棄物は産廃として業者にカネ払って処分しなきゃいけないんだそうで(最近知った)。

んでまぁ、「はぁーそぉだったんですかぁー」と返した。したら「本当は罰金か懲役なんだよ。でも今日は見なかったことにしといてあげるから」。とゆーことで、「分かりました。もうしません」と殊勝な返事したぐらいにして無事にミッションコンプリート!! (^▽^;) ていうか消防の隊員さん、本当にすみませんでした(汗)

消防車が見回りしてたのは、天気がいい日がずっと続いて乾燥注意報が出てたからかな。それで煙が上がってるのを発見されたかも。何にせよよかったよかった(火災が起きなかったのが一番よかった)。これで要らんもん根こそぎ処分したんで、職場がすっきりしたし。

消防署に注意されたしオーラスだったしで最後に味噌付けちゃいけないと思って、消火の水は多めにかけといたよ。それにしても1日中立って焚火仕事してたんで足が痛いっス。それに、しっとりモイスチャライズされた異様に重たい木材を運びまくったもんだから、腕も筋肉痛…… orz

銘板
2007.5.25 金曜
http://yunzu.qee.jp/threedstudio/copages/htrgtr/htrgtr0705.html#LOG20070525
 この記事へリンクを貼る時は↑の URL をコピペしてね。

Barcodia 0.7.6

2年半もの間まったく日の目を見なかったあの計画が帰ってきた。そう、PC のプラットフォームを問わずにバーコードを作成できるという崇高な理念 (^_^;) に基づく、あの Barcodia(バルコディア)

2004.11.12 に出した ver. 0.7.4 以来、幾多の新機軸に幾度もトライしては挫折感を覚えたりこんがらまってわけわかんなくなったり忘れてたりして(忘れてた期間が一番長い)、かなり悪戦苦闘してきたんだが、いろいろやった結果、とりあえず公表できる程度のやつができたよ。それが

相変わらず Java アプレットのまんまなんだけど(アプリ化は ver. 0.8 で予定)、見栄えを単純にして戸惑わないようにしたり、それに合わせてウインドウサイズを小型化して扱いやすくしてみたり。あと、「ダブルバッファリング」ってのを導入して、スクロールバーで画像サイズを変えるときに、画像がチラつかないようにしたり。

さらに狙ってたのは、トリプルバッファリングでの印刷用画像のリアルタイム取得なんだけど、このプログラムを作るのが一苦労だった上に、いざ作ってみたら操作が激重になってしまったんで、もったいなかったけど断念。今の狙いは、とりあえず次の ver. 0.7.7 でアプリ化の準備をして、0.8.0 で待望のアプリ化。そこから先で印刷用画像作成・保存機能を盛り込もうと思ってるよ。

ま、Java の勉強しながらゆっくりやっていきますわ。今までこんなにブランクが空いたのは、「やんなきゃな〜やんなきゃな〜」なんつうプレッシャーに負け続けた結果だったんで、あんまし気負わないで行くです。完成すれば喜んでくれる人はけっこう多いとは思うけどね。職場に Linux や Mac を導入してる中小・零細の物販・流通系企業とか。

Windows 環境の会社やお店でも、現行のバーコード作成ソフトに不満があるところとかにいいかも。我が Barcodia は JIS のバーコード規格に完全対応っすから。他のバーコード作成ソフトは、たとえ有料のものでも手を抜いて、規格逃れをしてるものが多いそうな。つうかどの商品のバーコードを見ても、数字のフォントとして JIS X 0501 で指定の OCR-B を使ってないってのが不思議で不思議でしょうがない。

銘板
2007.5.26 土曜
http://yunzu.qee.jp/threedstudio/copages/htrgtr/htrgtr0705.html#LOG20070526
 この記事へリンクを貼る時は↑の URL をコピペしてね。

OCR-B の真実

どの商品のバーコードを見ても、数字のフォントとして JIS X 0501 で指定の OCR-B を使ってないってのが不思議で不思議でしょうがない。

と昨日おもいっきし言い切ったんだけど、それから JIS X 9001(OCR 書体を定義してる文書)の書類をあらためて見直したら、間違ってたのはおいらの方だったことが判明(汗)。まぁおいらが今使ってるのも、多くの会社がバーコードに使ってるのも同じ「OCR-B」書体なんだけど、おいらが使ってたのは「一定線幅 サイズ I」、世に出てるほとんどのケースは「非定線幅字形 サイズ I」の OCR-B だった、というのが真相。バーコードを定義してる JIS X 0501 文書によると「バーコードシンボルの特性」として,

  1. 文字の字体,大きさ 文字の字体,大きさは,次による。
    1. 文字の字体 文字の字体は,JIS X 9001 の OCR-B に規定してある数字とする。
    2. 文字の大きさ 基本寸法によって印刷されたバーコードシンボルの文字の大きさは,JIS X 9001 の OCR-B,サイズ 1 に規定してある大きさとする。ただし,バーコードシンボルを拡大・縮小して表示する場合には,バーコードシンボルと同じ比率で拡大・縮小する。

なんで、たぶんどっちでも OK なんだとは思うんだけど。

けど、おいらも世の習いに迎合して、これからは非定線幅字形 サイズ I の OCR-B に採用を変更しようかと思う。正直、非定線幅の方がかっこいいし。けど JIS X 9001 の書類から文字画像を起こすの、ものすげぇ面倒なんですが(JIS X 9001 電子版は、1976年に当然のごとく紙ベースで作られた文書を後年になってスキャンしただけのものなんで、サンプル表示が汚い。微妙に斜めになってるし)。またそれをゼロからやり直しですか。そういや「0」の文字って曲線ばっかしだから面倒なんだよなぁ。はぁ〜自分の認識不足のせいとはいえ、ほんと不覚を取ったなぁ。

これを機会に、関連書類をもう少し読み込んでみるとするか。

銘板
2007.5.27 日曜
http://yunzu.qee.jp/threedstudio/copages/htrgtr/htrgtr0705.html#LOG20070527
 この記事へリンクを貼る時は↑の URL をコピペしてね。

『バッチギ! LOVE & PEACE』 vs 『俺は、君のためにこそ死ににいく』

昨日『バッチギ! LOVE & PEACE』を、今日『俺は、君のためにこそ死ににいく』を観てきたよ。まーなんてーか、公開前から『パッチギ!……』の井筒和幸監督が「俺は、……」を「右翼だ」と批判したり、それを聞いた「俺は、……」サイドが「映画を観てもいないのにそんなことを言うなんて」と返したりで、とりあえずの舌戦で、双方ともそれなりの宣伝効果を上げたかと思う。で、どっちも同時期の公開になったんでちょうどいいや、両方観て比べるべぇとなった。

いきなり結果発表。『バッチギ! LOVE & PEACE』の圧勝。理由。娯楽メインのはずの『バッチギ!……』は泣けたけど、お涙頂戴路線のはずの『俺は、……』じゃ全然泣けなかった(さすが東映なだけに、泣かせ場面は多かったけど)。クライマックスの処理のうまさの差が如実に現れましたな。

『俺は、……』の方のクライマックスは戦場での壮絶な特攻場面の描写なんだけど、その前から次々と特攻隊が出撃していくわけで、別に初めてのことじゃないんでしょとか思ってしまった。こういう場合は、初の特攻作戦を冒頭に持ってきて短めに見せておいた方が、クライマックスをグッと盛り上げられたんじゃないかねぇ。娯楽映画で定番の「サビ頭」にもなったろうし、これから特攻していく若者たちがどんな最期を遂げるのか、観客だけに教えとくことで、何も知らない彼らへの同情をもっと買えたろうし。

まぁこんなテーマの映画を「娯楽」と割り切っちゃうのは不謹慎と見る向きもあるだろうけど、客からカネを取って観せる商業映画である以上、「ありとあらゆる手段を使って見せ場を盛り上げる」という骨法を外しちゃいかんのですよ。メッセージやテーマはその次以降に位置しなきゃならんのですよ。だから、もしメッセージ第一の映画なんだったら、入場無料にして、製作総指揮&脚本の石原慎太郎のポケットマネーでそのぶんを埋め合わせるくらいしないとダメなんですよ。どんな深刻なテーマを扱おうが、商業映画は商業映画なりに面白くなきゃいかんのですよ。

その点を『パッチギ!……』はよく分かってて、クライマックス以前のほとんどの場面が、クライマックスに焦点を合わせまくってて、しかもそのクライマックスは重層的で、見事な編集でそれをさばき切ってこれでもかこれでもかと盛り上げてくれた。いやもう泣けたの泣けないのって。娯楽映画の鏡ですよほんと。

ということで『バッチギ! LOVE & PEACE』は、『俺は、……』はおろか、1作目の『バッチギ!』より面白いぞ。「2作目に佳作なし」だなんて知ったかぶったことを言ったのはどこのどいつだ(早川光という何も分かってない映画監督が、『異説・黒澤明』という鼎談形式の本で言ってた。おいらのお気に入りの『椿三十郎』のことでそれを言われたんで、めちゃめちゃ腹が立ったのだった)。ただ、難病の治療費を工面するのに、なんで玄界灘で裏取引するのかがいまいちよく分からんかった。そこらへん説明不足だったなぁ。

それから、『バッチギ!……』はもうサビ頭の冒頭から話に引き込まれて、映画を見てる間、この映画以外のことを考えられなかったんだけど、『俺は、……』だとどうも話がダラダラと流れすぎて(泣かせようって意識は随所で感じたが)ぶっちゃけ退屈で、「そういや Barcodia の開発はあそことあそこが、おいらのプログラミングの腕じゃ難関もいいとこだよなぁトホホ」とか関係ない日常世界の考え事に、何度も頭が戻ってしまったよ。

それにしても、両方の映画で言えることなんだけど、戦争場面の CG ってのはすごく進歩したね。軍用機が飛んでて爆弾を落としたり銃撃したりってのが、ほんと克明に描かれてる。どっちもすごかったけど、これに限っては『俺は、……』の方が、描写の凄まじさで勝ちかな。なんたって火だるまになった戦闘機の火の具合やら(コンピュータでの計算による「火」の再現は大変難しいと思われ)、翼がもげた戦闘機の墜ちっぷり(これも難しそうだけど、コンピュータシミュレーションでどうにかできる。そこで手を抜かなかったことには敬意を表する)までリアルに再現してるんだもん。『男たちの大和』みたいに、CG 場面で映像の品質(解像度)を落としてコストダウンするという愚は、両作品とも犯さなかった。天晴かな。

あと、海外ウケに関することなんだけど、『パッチギ……』は国内市場だけがターゲットと思われるんでそれでいいかと思うんだけど、『俺は、……』はなんだかポスターに「2007年 全世界に向けて放つ感動の超大作」って書いてあった。まぁ世界から見ていまだに誤解と偏見に満ちてる神風特攻隊の本当の真実として受け入れられようって意向なのか、単に石原慎太郎の誇大妄想なのかよく分からんけど、海外じゃこの程度の、日本人にしか分からない精神性でしか描かれてない作品じゃあ、神風特攻はやっぱし理解されんと思うぞ。

映画の冒頭で伊竹雅刀が「この戦争に敗れた後でも日本の心意気の現れとして歴史に刻まれるだろう」みたいなことを言ってたけど、これこそ石原都知事の思い入れなんだろうねぇきっと。でもなぁ、スミソニアン博物館に展示されてる特攻専用機 桜花の説明に "BAKA BOMB" という、日本人にとって屈辱的な名前がフツーに記されてるって話じゃないの。海外じゃ神風特攻なんて、いまだにその程度の理解しかないのよ。こういう日本独特のものの考え方って、もっと噛み砕いて説明しないと外人には通用しないだろ。

つうか、大航海時代以来数百年ぶりに、白人に正面から歯向かって互角に戦った有色人種として、特にイスラム圏じゃ日本は尊敬の対象になってるらしいけど、それで彼らが実際にやってることは悲惨な自爆テロなわけで、神風特攻は彼らにそのアイディアを提供してしまったんじゃないかと、おいらは日本人としてとても複雑な心境になっちゃったりするんだが。

そうゆー国々じゃ『俺は、……』はウケるかも知んないけど、肝心の、一番理解してほしい欧米の人たちは、やっぱこの程度じゃ理解してくんないだろうなぁ。それより、在日朝鮮人のことを全く知らなくても、『バッチギ!……』の方が世界的な理解が得られるような気がする。だって娯楽映画として面白いんだもん。

銘板左端銘板銘板右端

たまたまなんだけど、おいらこの2本の映画を観る直前に、渡辺昇一の『かくて歴史は始まる』『かくて昭和史は蘇る』、日下公人の『人間は なぜ戦争をするのか』を一気読みして、東京裁判史観によらない第二次大戦の日本の側の言い分や実情を知ったんだけど、その観点からすると、どっちの映画も、ちょっと第二次大戦の勉強不足なんじゃないかと思える点が見受けられたよ。上記の3冊の本に書かれてることは、ノンフィクションの上に徹底的に情報源を書籍上で公表してるんで、かなり信頼が置けると思う。対して商業娯楽映画はもともとフィクションだから、そこらのソース公開がどうしても甘くなる。映画の方は鵜呑みにしちゃいけませんですなぁ。

例えば『パッチギ!……』の戦場はミクロネシアのヤップ島なんだけど、現地の子供たちを並ばせて「自分たちは天皇に忠義を尽くします」みたいな皇民化教育をしてる場面があった。本当だろうか。南洋じゃ日本軍が駐留してはいたものの、朝鮮や台湾と違って日本に併合はしなかったから、そこまではしなかったんじゃないかと思うんだが。南太平洋の多くの国々で、日本統治時代におおむね好感が持たれてることからも、日本軍が当地であんまし押し付けがましいことはしなかったことが伺われる。

しかしもし日本が戦争に勝ったとして軍国主義が続いたとしたら、やっぱし核兵器の実験にはそういう土地が使われたんじゃなかろうか。軍国主義やめてよかったなぁ日本。世界から後ろ指差されないために、これからも非核の道を守ってもらいたいですな。まぁ現実にはメリケンさんの核の傘に守ってもらってる手前、あんまし大声で「うちは非核です」だなんて言えないけどね。

『俺は、……』の方では、やっぱし神風特攻を本当に分かってほしいなら、それを始めるに至った論理を、クドくなってもいいから、精神論だけじゃなく、当時の日本の実情をもっと交えて説明した方が良かったんじゃないかと。あと、米軍が日本軍人以外の女子供も容赦なく殺戮したって描写は、本気でこの映画を世界に対して売り込むつもりなら、是非カットしないでほしいとこだな(日本映画界が海外に長編大作を公開するときは、ずたずたにカットされる傾向があるんで)。なんたってあの『パール・ハーバー』(2001)は、日本が真珠湾攻撃でやってない、米国一般市民への攻撃をでっち上げて世界中に発信しやがったからな。あの場面を見て本当にそれがあったと信じてる人、世界じゃ多いんだろうなぁ。嘘なのに。

どうでもいいっちゃどうでもいい細かいことだけど、『俺は、……』に出て来る女性たちはみんな眉毛が綺麗に整ってた。戦中は眉毛の手入れしてる余裕なんてなかったんじゃないのかねぇ。

あれ? 『俺は、……』のポスターに書かれた「全世界に向けて放つ」ってのはもしかしたら、『もののけ姫』(1997)で電通がやった(と思われる)のと同じ、単なる国内向けのセコい宣伝文句 なんじゃないかという疑念。「世界同時公開」とか「○×映画祭オープニング上映作品」とか、そういう事実的なことは一言も書かれてないしね。極端な話、日本国内だけの公開でも、「世界中に、日本映画に注目している人たちが(何人かきっと)いるから」という論理でこの宣伝文句が通用しちゃう。そこらへんどーなんですか製作総指揮石原君。

あともうひとツッコミ。『俺は、君のためにこそ死ににいく』ってタイトル、映画の内容をきちんと表してないんだが。都知事、一体どーゆーおつもりでこんな変テコなタイトルをお付けになったんで???

しかもこのタイトル、覚えにくい上に映画館のフロントで言うにはちょっと恥ずい。おいらの場合、「僕は(←いきなり間違えた)、君のためにもがもが……」ってなっちまっただよ。まぁそれに類したタイトルの映画が他になかったから分かってもらえたけど。しかしもっとひどかったケースがあったからなぁ。セカチューの韓国リメイク『僕の、世界の中心は、君だ』(2005)。うっわーハドゥカティー! (/o\) この邦題だけでかなり客入りで損したんじゃないかと察するが。その点『パッチギ』はとっても言いやすかったなぁ。

銘板
2007.5.28 月曜
http://yunzu.qee.jp/threedstudio/copages/htrgtr/htrgtr0705.html#LOG20070528
 この記事へリンクを貼る時は↑の URL をコピペしてね。

Walk, Don't Run

ベンチャーズの名曲からタイトルいただき。

いつも昼飯食いに行く喫茶店で、ちょっと気になるウェイトレスさんがいるんですよ。いや別に「気になるウェイトレスさん」っつっても色気のある話じゃないですすんません(「ウェイター」「ウェイトレス」って性を区別する単語なんだが、「看護師」みたいなどっちでもいい言葉はないもんだろか。「給仕」てのも今さらって感じだし)。

気になる原因は、その人だけ走るんですよ通路を。走りやすいようにスニーカーまで履いてる。仕事が速いのは確かにプロとしてのたしなみのひとつではあるけど、サ店でメシ食ってるくつろぎタイムに、すぐ脇をドタバタ走られたくないんですよ。おもっきし走ってる時もあれば、小走りの時もある。走ってない時でも競歩みたいで、やっぱし落ち着かない。他のウェイトレスさんたちは決して走らない。その人だけが問題。

彼女が通り過ぎる時に巻き起こる風で、伝票が飛んで行きそうになるのも困ったもんで。実際何度か飛ばされたことがあるんだけど、伝票が宙に舞って床に着地した頃には彼女は既に数メートル向こうに行ってしまってるんで、全く気付く様子はない。

客商売の難しいところですなぁ。仕事を効率のみ最優先で考えてしまうと、往々にして客の気分不在の仕事ぶりになってしまう。客の気分を二の次にするってのは、結果的に客商売にとって致命的なことだと思うんだが。これが普通の事務所的ビジネスだと、仕事が1分1秒速いってのが、その人の株を上げたりもするんだけどね。しかし狭い店内、走るのと歩くので何秒違うってんだろ。

これ、ほんといっつも注意したいんだけど言い出せなくてねどーも。客に直接注意されたら当然ショックだろうし、本人は一生懸命仕事してるつもりなんだから、その意気をくじくことにもなりそうで……。かといって他のウェイトレスさんに言うってのも、密告するみたいでなんかなぁ。目安箱も特に置いてないし。

……、

……、

……。

分かりましたよ素直になればいいんでしょ? そうですよそうなんですよ! おいらだけ悪者になりたかないってだけなんですよええ! ええ!!

だからって常連客が一致団結して瓦連判状で抗議するってのもナンだしなぁ(←この発想何なんですか一体)

別の店に乗り換えるってのもなんか全然対策になってない気がするしなぁ。ていうかそこの日替わりメニューが気に入ってるんで、それは避けたい。店としても、味以外で客に去られるのは不本意だろ。ていうか黙って去ってしまったんじゃ原因が掴めないしな。

なんとか穏便に現状を打破する方法はないもんだろかねぇ……。

銘板
2007.5.29 火曜
http://yunzu.qee.jp/threedstudio/copages/htrgtr/htrgtr0705.html#LOG20070529
 この記事へリンクを貼る時は↑の URL をコピペしてね。

レビューをやたら書きにくい映画

こんなんで良かったのかいまだに疑問。八戸フォーラム かわら版99号で担当したレビュー。

かわら版99号

通番2桁台最後のかわら版で原稿依頼されてさ、松本人志初監督作品の『大日本人』のレビュー。まぁ今まで『蟲師』『ゲゲゲの鬼太郎』と、なんかイロモノチックな依頼ばっかし来てたんで(「恋愛ものはダメです」とワガママな注文付けたらこーなった)、今回もまたそんな感じの依頼。

でもさ、困っちゃったのが配給サイドの秘密主義。公開まで内容を一切知らせない方針でさ、基本的な設定さえも教えてくんない。そこまで行くと当然というか、予告編でも断片的な映像を見せるだけで、なんのこっちゃかさっぱりわからんちんどもとっちめちん。ということで、原稿はこーなりましたとさ↓。

大日本人

も〜無責任もいいとこですがな。でも、だって、これ以外に書きようないじゃん!(開き直り) まぁ締め切り寸前まで粘った甲斐あって、「カンヌ国際映画祭の監督週間部門に正式招待された」って情報を盛り込めたけど。

で、そのカンヌでついにヴェールを脱いだ『大日本人』、伝え聞いたところによると、松本人志が巨大化するみたいよ。事実未確認だけど。そういや予告編で「この前『大日本人』が戦いましたけど」とか言ってたなぁ。あと、折れたビルが川に落ちるカットがあったりして(落ちて来るビルが水面に反射してないのは VFX の手落ちだと思うぞ)、そんな風なアレを予感させるなぁ。まぁとにかく、実際観てみるまでは何とも言えんのです。6月2日(土)公開っす。

レビューと違ってここじゃ本音を書くことにしてるけど、今回はレビュー内容と本音が同じ。「とりあえず面白そうだから観てみるべ」。いやもうここまで情報統制を敷かれたら、そう思う以外にないじゃないですか。まぁ恋愛の要素がなさそうな点が好感が持てるなぁってとこか(←恋愛ものが本気で苦手な人)。

ただ今回は監督が初物だからね。そこがどう出るか。変な青臭さが出てなきゃいいけど。まぁ多少青臭くても、それを上回るデビュー新人独特のえげつないパワー(←マンガ『BECK』から表現を頂きました)が全開だといいですなぁ。

銘板左端銘板銘板右端

かわら版 DX(デラックス)で受けた仕事がまだあったわ。6月15日締め切りで、『この監督に首ったけ』3本のうちの1本を任されてるんだわ。で、こっちで提示したのが「黒澤明」。これにもぼちぼち取りかからんとなぁ。

世界一くっだらない黒澤映画論を書いてやるのだw

銘板
2007.5.30 水曜
http://yunzu.qee.jp/threedstudio/copages/htrgtr/htrgtr0705.html#LOG20070530
 この記事へリンクを貼る時は↑の URL をコピペしてね。

「戦争反対!」に意味はあるのか

「戦争反対!」って小声で、あるいは声高に言う人がいるけど、あれって「ナマンダブ」と言う以上の意味があるのかねぇ。そういう観点に立つと、何らかの意味があると思ってそれを言ってる人たちが意識的にか無意識的にか、一段高いところに立って、戦争してる人たちを見下して言ってるよーに聞こえる。誰も好きで戦争してるわけじゃないでしょーに。

日本からわざと仕掛けて戦争をするってことは今後ないとは思うけど、戦争ってのはどうも、条件が偶然にあるいは必然に揃ってしまったとき、何かのはずみで起こったりするものらしい(第一次世界大戦がその例)。はずみで起こり得る以上、条件が揃うのが予測不能な部分がある以上、日本が戦争に巻き込まれることってのは、今現在でも充分にあり得るんですな。

なんてーか、「戦争反対!」を連呼する勢力に押しまくられて、この国じゃ戦争についての最低限必要な知識や見識が全く知られてないってことが恐ろしいんだが。なんでも戦時に市民(非戦闘員)が取るべき行動ってのが、ちゃんと国際条約で決められてるらしい。それに従えば、たとえ自分の住む場所が敵に占領されても、身の安全が保障されるそうな(でも基本的に支配してる側の言いなりなんで、相手もきちんと戦時国際法を守ってくれるかによるだろうなぁ)。日本って全くそれを国民に教えてないよね。その存在さえも。この現状、憲法9条の効力を妄信してるとしか思えん。当たり前のことだけど、外国から攻めて来た軍隊には日本国憲法なんて通用しないんですが。

なんか、『三国志』で、劉備玄徳亡き後に諸葛亮孔明が厭戦気分の蜀の国の中で、一人頑張ってる場面を思い出しちゃうなぁ。孔明は厭戦派の大臣たちに向かって「まるで幼児退行的な考え」と批判する。「ならば魏が攻めて来ないと思っていれば魏が攻めて来ないのか」と。

万が一、日本に外敵が来たら、「一朝事あらば着の身着のままで戦ってやる」なんて勇ましい若者も出てくるかもしんないけど、悪いことは言わない。やめといた方がいい。あんた一人が死ぬのは好きにすればいいけど、他に多くの無辜の市民たちが犠牲になるから。

ゲリラ戦は戦争でやってはいけない行為だってこと(戦闘員は遠くからでもそれと分かる服装をしなければならない、武器は体の外側に見えるように携行すること、等を定めた「ハーグ陸戦条約」という戦時国際法で規定してるそうだ)も、日本国政府は国民に一切教えてない。戦時の一般市民の身の振り方といい、こうゆーのは義務教育で教えるべきことだと思うが(実はおいらもよく知らない)。「日本は平和ボケ」って言葉をよく聞くけど、この事実こそ、日本の国家まるごとが平和ボケしまくってるのを具体的に表してそう。

聞きかじりだけどさ、実際ゲリラ戦を始めるとどうなるかっつうと、相手国の兵士は一般市民と戦闘員との区別がつかなくなって、一般市民の格好をしてても、ちょっとでも怪しいそぶりをしたやつは問答無用でどんどん射殺しちゃうそうな。怪しいかどうかはその兵士のその場の判断によるんで(もしゲリラなら自分が殺されるんで)、こっちの意向とかには全く関係なく事が進められる。一般市民がゲリラと間違われてじゃんじゃん殺される悲惨なことになるわけだ。

憂国の義憤に燃えるのもいいですけど、それで取った軽薄な行動が、かえって自分の親兄弟や知人友人親類縁者や、全く関係のない他人を殺すことになるんですな。だから、敵に対抗して武力で戦おうとするなら、日本ならまず自衛隊に入隊しなきゃいかんってこと。

現実に、日本と北朝鮮は今すごく関係が悪いわけだ。北朝鮮の不誠実に対して日本ができることと言ったら経済制裁くらいだけど、これもやりすぎるとヤバいことになりそげなんだが。過去に日本が、世界のブロック経済化とアメリカから突きつけられた実質的最後通牒の ハル・ノート で資源的・経済的に追い詰められて、無謀な対米戦争に突入したわけだ。軍部が国家的権力を握ってたからってのもある。

だから北朝鮮をあんまり追い詰めすぎたら(戦前・戦中の日本と同じく、軍部が国家的権力を握ってる)、お互いに望まないまま、ほんのちょっとしたことがきっかけで全面戦争勃発ってことにもなり得ると思うんだが(向こうだって、ただでさえ貧弱な国力を激しく消耗する戦争なんて行為は本音じゃ避けたいんだと思う。「強盛大国」のスローガンだって、国内向けの国威発揚のためのものでしかないだろうし)。

例えばそんなとき(いわゆる「有事」)、相手が武力で攻めて来て国土が戦火にまみれて、自衛隊が必死で防戦してるって状況で「戦争反対!」と叫ぶことにどれだけの意味があるのか。もうタチの悪いジョークでしかない気がする。「戦争反対!」と言ってある程度の意味を持てる条件は、世界が平和を保ってる状態の時と、自国軍が他国に攻め込んでる時と、自国以外の国同士が戦争をしてる時くらい。つまり自分に火の粉が降り掛かってない安泰な状態で初めて言えること。

そんなわけで、日本が仕方なしの戦争に巻き込まれての交戦中に、平和な第三国の人たちから「戦争反対!」の声が聞こえてくるかもしんない。それ聞いたらどう思うよ当事者として。「うるせー! 鉄砲のタマが届かねえとこからエラソーなゴタク並べていきがってんじゃねー!」なんて毒づきたくもなりましょう。つまりその四字熟語は、当事者に対して無神経すぎるんじゃないかと。

江戸っ子文化の真骨頂に「粋」というのがある。東京じゃなくても、文化が栄えてる土地の人は大抵「粋」にこだわる。それにはその反対のものを避けなくちゃいけない。「粋」の反対は「野暮」。野暮の定義は、江戸っ子に言わせると、「言わなくても分かり切ってることをわざわざ口に出して言うこと」。だからこそ……やめとこ。もう分かり切ってることだからな。

銘板
2007.5.31 木曜
http://yunzu.qee.jp/threedstudio/copages/htrgtr/htrgtr0705.html#LOG20070531
 この記事へリンクを貼る時は↑の URL をコピペしてね。

Linux で初日記

これ、おとといインストールしたばっかりの Linux (Fedora Core 4)で書いてるっす。2007.5.20 で5歳と9カ月の大往生を遂げた 40GB ハードディスク(HDD)に替わって、4歳3カ月の 80GB HDD を COMPAQ DESKPRO に搭載し、Linux のインストールもし直したってわけだ〜。

そんでいろいろいじってみて、いろいろ分かったことがあった。FreeBSD と違って、Fedora だとバージョンが古いと、最新のアプリが使えないことが判明。その OS のバージョンが許すアプリや、アプリのバージョンしか使えない。それが往々にして古い。例えば Firefox の最新版を入れようとしても、依存プログラムもそれに合わせて更新しなきゃなんない。でもその依存プログラムで Fedora Core 4 のために準備されてるバージョンは、要求されてるものより古くてアウト、とかそんな感じ。

SETI@home やろうとして BOINC をダウンロードしたけどうまく動いてくれない。前はちゃんと動作したのに。これも、BOINC のバージョンが上がってしまって、Fedora Core 4 が切られたんじゃないかと踏んでる。おいらの読みが間違ってて、打開策が見つかればいいけど。

あとこの環境で四苦八苦してるのが日本語入力。ローマ字入力専門なんだもんなぁこれが。カナ入力派としてはかなり痛い。でも世間一般じゃローマ字が普通なんで、このマシンで日記を書くときくらいはローマ字入力の練習をしよう、なんて殊勝なことを言ってみるテスト。

IM が Canna らしいんで、FreeBSD で蓄積したノウハウで、かなり力ずくでカナ入力に直せないこともないんじゃないかとは思ってるけどね。ま、余裕ってやつです(へたにいじってわけわかめになるのが恐いとも言う)

ああ、こんな短文を打つのにもえらい労力が要るなぁ……。

短文と言えば、今月から日記を短くするつもりだったのに、結局かなり長くなってしまった。125.1KB。また 100KB 超えかよ orz

んむー、来月こそは……。

銘板
銘板
飛び出せ宇宙』