ひとりごちるゆんず 2009年4月
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2009.4.1 水曜
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着衣の変遷に基づく不可抗力

エイプリルフールだけど特に何ともなく。

2009.3.20 に、オッサン的(ていうかジイサン的)な着こなしを少々書かせてもらったんだけどさ、特に猿股ってやつ、あれってどこから来たんかなぁ。洋服用の肌着だけど、和服にも使われてる気がして。んで少し考えてみたら、やっぱ西洋から来たような気がする。

『華麗なるヒコーキ野郎』(1975) というのをテレビで観たらさ(国際オールスター映画で、石原裕次郎も出てた)、なんか事情があっていきなり服を脱ぎ始めた若い男性役がいて。その人が履いてたのよ猿股。石原裕次郎じゃなく西洋人。

製作された1975年はどうだったかは知らんけど、時代設定はたぶん1920〜30年代。あのあたりは世界的に男性はそういう肌着を着るもんだったんだろうなぁ。

んでも今現在、アメリカでもそんなの履いてる人はいないっぽい。日本でも。いてもジイサンだけかと。

なんでまたそういうことになったかを考えると、たぶん当時は家の中が寒かったからじゃないかと。外壁と内壁の間に断熱材なんて入ってなかったっしょ。ていうか外と中を隔てる壁は板1枚ってのが庶民のフツーだったかと。星飛雄馬の家がそうだったな。節穴を通して家の中から野球ボールを投げ出して、庭の木に当たって跳ね返って、ボールはまたその節穴を通って飛雄馬の手元に戻るんだよな。あの家は間違いなく壁板は1枚だったわ。

すきま風も多かったろうしな。あとさ、うちの母がたの実家は農家でさ、昔はほんと昔ながらの造りの家だったのよ。囲炉裏があってみんなで食事するスペースはめちゃめちゃだだっ広くて、しかも出入り口の土間と一体。だから冬場に誰かが玄関の戸を開けると、すきま風どころか外の氷点下の風がまるごと吹き付けてくる。あと天井もなくて、見上げればいきなり屋根の裏側。そりゃ寒いわ。当時までの日本家屋には、室内の空気を暖めるっつう発想がなかったっぽい。とりあえず壁と屋根で風を防いで、厚着して囲炉裏を囲んであったかいものを飲んだり食ったりして、人間の体だけ温める、という仕組みだったかと。

そうなると、上に羽織るだけじゃなく、肌着でも暖を取りたくもなろうってもん。西洋はどうだったか知らんけど、日本のご老人たちの防寒肌着への愛着はそこらへんから来てるんじゃないかな。

そうなると疑問なのは、今の家屋って高気密高断熱じゃないですか。で、冷暖房で室内の空気の温度を調整する方針で、そこらへん好きにできるわけよ。そんな状態で肌着防寒を徹底したら、あっつくてあっつくてやってらんないような気がするんだけど。ああでも、家の中はテキトーで、外に出るときは防寒下着で完全武装ってやつか。

しかしさ、ここ10年ちょいくらいで明らかになったことだけど、人間、肌着が有る無し程度の寒さって、慣れや根性である程度どうにかできちゃうのな。女子高生とか、北日本の激しい寒さの中、ミニスカートでナマ足だったりするもんな。元朝参りで夜中に神社に行くと、そんなコたちがけっこういたりしてさ(北海道まで行くとさすがに無理な気がするけどどうなんでしょ)。で、寒い寒い言いながらけっこう耐え切ってるのな。

うちの職場の若い女性も、ナマ足とかストッキング1枚とかで今年の冬もとうとう乗り切ってしまったぞ。女性は冷え性の人が多いから、彼女らは膝掛けを持ち込んで仕事してたりするけど、外を歩くときの足の薄着(またはモロ出し)は別物らしい。そこらを問うてみたら、満面の笑顔で「慣れですよ」の一言で済まされてしまっただよ。

てぇことで、おいらが子供の時とか親はしつこいくらい股引とか猿股を履かせたがったもんなんだけど、あれって余計なお世話だったのな。明らかに我が子への思いやりだったのにな。ジェネレーションギャップってやつで。特にうちの親はおいらと歳が離れてたもんだから、他の同級生の親の感覚ともズレててなぁ。いやぁ強制的に股引を履かされて学校に行ってさ、履いてるのがバレてバカにされたときの惨めさったら、ほんと親を恨んだもんさ。誰が悪かったわけでもないのは今は重々承知してるけど、不可抗力の被害者としては複雑な心境にならざるを得ないわけで。

親父は言ってたわ。「足をあったかくしてないと将来膝が悪くなるんだぞ。あのおじちゃんを見てみろ。子供の頃に股引を履かなかったからああなったんだ」。とか実例を出したぐらいにして。確かに膝が悪くならないに越したことはないんだけどさ。ていうか実在の親戚を悪い例に出す言い方どうになんなかったのかと。ていうか今考えるとこの実例も根拠があやふやなわけでさ、うちの親父は何でも自分の都合のいいようにだけ思い込める、本人的には便利な性格だったしな。ていうか同級生のほとんどが股引履いてないんだもん、みんな一緒に膝が悪くなるんだからいいや、とか思ってたわ (-▽-;)

前の仕事のときは寒い現場で働くことが多くてさ、ここでもやっぱし両親は一途なまでにおいらに股引着用を勧めたんだけどさ、しかしいやあの、あれ履くと動きにくいんですが。あと力仕事だったからさ、どうせ汗だくになるほど暑くなるんだよね。正直、股引なんて全然要らなかったわ。ていうか期待ほどあったかくなかったという冷厳な事実。つまり信じる者のみ救われるプラセボ効果かと。

なんかこう、結局現代の方がよっぽど合理的な気がしてしょうがないわ。将来はどんな風に合理化が進むのか、今の段階だと予想できんけどちょっと楽しみですな。

そういや『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART 2』(1989) (中黒が多くて格好悪い邦題だなぁ)で未来(2015年)のファッションが出てるけどさ、あれは具体的にどうだったんだっけ? ジーンズのポケットは外にベロッと出すんだよなw けど、シャツの裾出しとかアラサーまでミニスカートOKとかは1990年代以降の流れだからな。もしかして今あの映画を観るとそこらで笑っちゃうかもしんないなぁ。

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2009.4.2 木曜
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無意味伝統コロモガエ

ワイシャツの下にランニングシャツが透けてるってのも、おいら的にはちょっとゲンナリなんですが。女性のタンクトップがブラウスに透けてるなら別にゲンナリじゃないってことを考えると、論理的じゃないことは分かっちゃいるんだけど。

あれもやっぱし古い世代の肌着指向から来てるんだろうなぁ。しかしやっぱおかしいと思う。だってランニングシャツってランニングのためのもんじゃん。短距離走か長距離走か知らんけど(たぶんどっちも)。それを肌着にしてしまうっつう意味不明な流用がどーも。

あ、ランニング肌着にこだわった悪例を思い出したわ。あれは無茶だった。

「衣替え」とゆー日本の習慣、今はかなり廃れてくれたと思うけど、おいらが中学生の頃はまだまだ猛威を振るってた。あれのイミフさってのは、なんかこう、いかにも平安時代あたりから続く伝統みたいに言われてるけど、明治時代にカレンダーが太陰暦から太陽歴に替わった時点で形骸化してるし。あと日本は縦に長いじゃないの。季節到来のタイミングは地域によってかなり違う。それを全国一斉に「衣替えだから」とその季節の服にするってのは一体何のつもりなのか、と。

うちの地域だとね、6月の気候は不安定なんですよ。昼間だけ夏らしく暑くなる日があるかと思えば、本当にストーブを点けるほど寒い日も来たり。で、基本的に通学時の朝夕は涼しいのよね。で、そんな中でうちの中学は衣替えを強行(ていうか八戸市の中学校は全部強行したかと。「全部が揃って一斉に」じゃないと気が済まない昭和の時代だったし)。

んでまぁ6月が近くなると、全校朝会の〆に生活指導の先生が壇上にて衣替えのお知らせをするんですよ。んで、「まだ寒いよ」みたいな意見が毎年出るわけで、先生はそれを承知で壇上から指示するんですよ。「ワイシャツの下にランニングシャツを着れば寒くなーい」と。だからそれがイヤなんだってばw なんか、寒い日はフツーに学ランを着るのがよっぽどまともな考えだってのは中学生でも分かるのに、それでも衣替えを強行してたわ。

あれって当時は先生自身が頑固なんだと思ってたけど、市内のどこの中学もそうだったらしいから、八戸市教育委員会がバカだったってことだな。教育者として取り返しのつかないチョンボしたこともあったし

おいらは下にTシャツ着てたけどね。ワイシャツもねぇ、いや、親が「こっちの方が安い」と開襟シャツ買ってきてさ、それ着てたし。けど開襟シャツって半袖だからさ、Tシャツの裾が出るのがなんかイマイチでさ。それでもワイシャツ+ランニングシャツよりは年寄り臭くないぶんだけましかなーって感じで。んでまぁ結局めんどいからTシャツもやめて、開襟シャツ1枚で我慢するようになったりもして。寒いときは学校指定ジャージを上に着用。いやもうなんだか原点がイヤだからっつうだけで、かなりひどい有様になってしまってたわwww

高校に入ったらそこらへん教育委員会の縛りがけっこう抜けてたみたいで、「夏服期間中は夏服でも冬服でもいい」っつう決まりでさ。融通が利いてたわな。通学時に帽子を被んなくて良かったし。そうそう、うちの中学は夏服のときは、帽子にも白いカバーをかけることになってたなぁ。なんか意味不明でなぁ。これは他の中学じゃなかったそうだから、教育委員会の差し金じゃないわな。生活指導の先生によると、

「白い色は太陽の紫外線を反射するから涼しい」

いやあの熱は赤外線じゃないですか? それに白は放熱効率が最悪なんですけど(黒が最高)。日光が照りつけてるときは黒は熱くなるけど、日陰では黒の方が冷える。ていうかカバー付けてると日陰で冷えにくくなる。あまりメリットを感じないというか。まぁ見た目、白の方が涼しげではあるけどさ。なんかいろいろごっちゃになってたなぁ。

またしょうもないこと思い出した。「日本人は清潔好き」と昔っからよく自分で言ったり外国人に言われたりもしてたのよね。けど日本人は実は衛生的な清潔さよりも「清潔感」の方にこだわってたという、微妙に衝撃的な事実。学生帽の白カバーもその情緒偏重な判断の産物だったかと。

もうなんだか形式を保つためだけに本末転倒しまくりの教育方針に振り回され続けた、かなりアレなローティーンを過ごさせていただきましたですよ。

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2009.4.3 金曜
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生活指導はルーズ先生

おとといと昨日の流れで。

服の話じゃないけど、おいらの中学時代の生活指導の先生の話。いや、生活指導だからさ、生徒に嫌われるのは覚悟してたんだとは思うんだ。けど生徒は別なところを嫌ってたってことに、彼は全く気付いてなかったっぽくて。

まあなんてーか、生活指導担当なのにめちゃめちゃルーズでこれが。時間とか約束事とか。

社会の先生でさ、終業チャイムとともに授業が終わるなんてこと、めったになくて。休み時間を潰すんですよ平気で。いっぺん、6時間目の社会の授業の後に学年集会がある、というときがあってさ、その集会は長くなるから椅子を持って体育館に行け、という話で。

そんで、いつもどおりに大幅延長な社会の授業がやっと終わって、さあ急げと思った矢先に、犬みたいに無駄吠えばかりする隣のクラスの先生がガラッと戸を開けて開口一番「お前ら準備もしないで何やってんだ!」と一喝。おれら全員キレてその無駄吠え先生にブーブー言ったわ。当時は教師は学校内外から聖職者と同じと見なされてて、絶対服従の対象だったことを考えるとかなり画期的な出来事だったなぁw

それと全校朝会の最後の「生活指導からのお知らせ」でさ、このルーズ先生、要点を先に言おうっつう心がけは確かに良かったんだけど、どうもうまくやれなくて。「お知らせが3つあります」と始めてさ、3件言い終わるとすぐさま「それとあとひとつ」「もうひとつ」と追加が2〜4件。毎回。これ、はじめの数字は約束じゃないですか。

自分で簡単に破っちゃうんだもんぁ。生徒には厳しい態度を保ち続けて恐がられた人だったけど、信頼されてたかっつうとそこらへんは微妙でさ。どうもそこらへんを自分でも見誤ってたような気がする。自覚してたなら直すでしょ。

そんな人が「衣替えだから寒かったら中にランニングシャツ着ろ」って言ってもねぇ。こいつ何わけわかんないこと言ってんだ? って感じでしかないわけで。

「大人って威張ってるくせに意外と大したことないんだな〜」と思わされてしまった、ちょいと哀しいアレでしたよ。中学生なんてただでさえ大人に失望しがちなのに。

今おいらも大人やってっけど、やっぱ大したことないわなw まぁ職場で、歳が半分とか3分の2とかの同僚の皆さんと仲良く対等にやっていけてる点くらいは、自分で評価したいとこだな。歳が上だからって威張るの超みっともないし。

この状況を「情けない」と思う人もいるだろうけど、おいらはそう思ってないし。仕事しに行って同僚の人たちと同じ質と量の仕事してるんだもん、対等で当然ですがな。ていうかもっとできる人たちには同期にも後から入ったのもに先を越されちゃっててさ、その人たちにもおいらはタメ語で話しかけてるってことの方が問題かもw

ま〜彼らは気を遣ってというかたしなみでというかで年上のおいらに敬語を使ってくれてるんだけど、おいらとしてはそれ要らないのよね。前の仕事でときどき物産展やっててさ、寄り集まった別々のお店の人たちと一緒に頑張ってたわけですよ。そこじゃ歳の上下なくタメ語で付き合わせてもらってたこともあって、その方が仕事しやすいんだよなぁ。後でおいらへの敬語撤廃の件、職場の皆様にお願いしてみよっかな。

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2009.4.4 土曜
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誤情報のアレ

日本政府発の「テポドンが発射された」っつう誤情報が世界中を駆け巡ったすなぁ。けどまぁ、この類いの間違いはあってもしょうがないかと。ともかく速報性が大事だしさ、発射されたからって日本に落ちる可能性は低いわけだし、日本の領内に落ちるにしても数分あるし、自衛隊がそのために迎撃態勢を取ってるわけだし。

てことで、相変わらずというかのマスコミの空騒ぎ。週末だし他にネタがなかったんだろなぁ。この緊張状態じゃ娯楽系の話題も自粛っぽいしね。

ガセ情報を出したのは確かにいいことではないけど、1秒でも早く国民に伝える意気込みだったのは分かった。訂正も速かったと思う。だからまぁ、オオカミ少年扱いされないよう、次はちゃんと正確なとこ頼んますって感じでどうでしょ? 結局一番信頼できるというか、国民にとっては唯一の速報源なんだし。

っつうか、国民に対しての第1報は2〜3分くらいなら遅れてもいいんじゃないかなぁ。まずは未確認情報として自衛隊と政府の担当部署に速報するってのが大事そうな気がする。で、一般公表までのその時間で情報を確認するってのでいかがですかね。

日本の領海上空に入るのは打ち上げから8〜10分後くらいだとする。米軍の早期警戒衛星の探知から日本政府への通報が2〜3分かかるらしい。さらに1〜2分を公表までの猶予とすると、日本着弾までは4分くらい。まぁ8分だろうが4分だろうが、一般市民が対応できることは大して変わらないっぽい気がする。テポドンが飛んでも落ちても自分の生活には関係ないと思ってるおいらみたいな野次馬気質な人は、何日も前からこうしてかの国が打ち上げを通告してるってのに、特に何の対策もしてないし。

銘板
2009.4.5 日曜
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次はいつなのか

テポドン行きましたですな。街に出たら号外が飛び交ってたよ。しかしなんで敵性国家の快挙で号外が出るかね(失笑)。衛星の軌道投入は今回も失敗だったみたいだけど、ロケットの方は11年前よりはるかに飛んだってことで、ICBM の性能評価としては有意義なデータが取れたかと思う。かの国の軍部にとってはまあまあの快挙だったろうってことで。

尻上がりの結果になったんで、何年かしたら懲りずに3発目を打ち上げると思うけど、なんかそのことは誰も言及せんのな。なんで? 日本だって1970年に初の衛星打ち上げが成功するまで4発打ち上げてるぞ。3発が失敗で1発が衛星を載せない試験機で。

しかしまぁ専門家の間でも微妙な意見の食い違いがあるね。

おいらは「衛星ロケットか弾道ミサイルかの議論は無意味」と思ってたけど、実際は打ち上げ方で違いがあるらしい。打ち上げ直後からロケットはだんだん傾いていくんだけど、その傾き方が違うそうで。ある専門家(軍事評論家)は「衛星打ち上げの場合は水平速度を稼ぐために早めに傾く」と言ったかと思えば、別の専門家(航空宇宙ライター)は「衛星打ち上げなら大気圏外に早く出なければならないので傾き方は遅い」。どっちも一定の説得力があるように思えてなぁ。正反対なんだけど。

論外なのは「衛星ならばまっすぐ真上に打ち上げるはずなのに、水平に飛んだからあれは弾道ミサイル」。そんな無茶な打ち上げ方ができる衛星用ロケットなんぞ、人類は今まで開発したことがありませんが何か。ニュートン力学をなんも知らんでよく近現代の武器の論評なんかできるなぁ。基礎中の基礎だぞ。

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2009.4.6 月曜
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沈没しそうな巨大船

ようつべの財政状態がかなりヤバいらしい(記事)。2009年の赤字が4億7000万ドルってあんた円建てで500億円くらい!? 本当だとしてどうすんだこれ。「巨額の損失」って言葉が笑っちゃうほどしっくり来てるぞ。

YouTube って2006年に Google の傘下に入ったよね。で、Google お得意のユーザの嗜好に合った広告を打つことで売り上げを出すっつうビジネスモデルでやってきたはず。日本語版は確か2007年にスタートして、日本の広告主もターゲットに入れた……はず。

そして親元の Google は、日本と中国以外では検索エンジン業界でダントツのトップシェアを確保してる。それがなんでまたこんなことになっとるのか。『グーグルが日本を破壊する』(竹内一正 著)によると、事業を拡大するのはいいけど、世界中の天才をかき集めて新製品や新サービスを開発して無料で提供するもんだから経費がうなぎ上りで、メインの広告収入がなんぼがんばっても追いつかなくなってきてるらしい。そこにきて世界不況。ようつべもその構図なのかなぁ。

当てにしてたはずの日本市場はニコニコ動画に相当食われてるしなぁ。ZOOME も根強いファンを確保してるっぽいし。日本で盛り上がってる Vocaloid 界隈のそこらへん、ようつべは完全におこぼれあずかりの甘茶っ子的立場だし。作者本人が投稿してなくて、有志が気に入った作品をニコニコから勝手に転載してる状況なんで。まぁ才能が集まってる当のニコニコも黒字体質になれてないみたいだから、動画配信サービスってのはもともとそういうものなのかも。

しかし、2000年あたりの IT バブルとその崩壊から、アメリカ経済は何も学んでなかったってことか。世界経済も結局アメリカの虚構景気頼みだったってことかねぇ。今回の恐慌の方が遥かに大規模っぽいけどさ。で、世界各国は90年代の日本のバブル崩壊をいろいろ研究してたはずなのに、やっぱし先を見通すより今の利益ってことで無茶やってみんなコケた。景気が悪くなると真っ先に削られるのが広告費。その広告費で Google とようつべは食ってた。

まあネット関係の広告はまだしばらくは不況の影響が少ないらしいけどね。コストが低くて費用対効果が高いと見なされてるから、マスメディアのバカ高い広告を控える代わりに、という使われ方をしてるらしい。

けどそれでもようつべの赤字はすさまじいと思うぞ。世界経済がこれからどうなるかは知らんけど、不況が続くならネット広告業界もだんだん苦しくなっていくかも。景気が好転しても広告費の「マスメディア→ネット」の流れは止まらんと思うけど、悪くないはずの環境でこれはいかがかと。

具体的にどうすればいいのかなんて分からんからおいらも言いっ放しで無責任だけど、YouTube って動画配信サービスのパイオニアだからね。しかも世界に知られて愛用されてる。アップされたコンテンツがときにはどっかの国の政局や有名人の評判まで左右することもあったりしてね。ここまで世界に必要とされてる企業とサービスが、実は財政基盤がガタガタだったってのがショックで。

やっぱしネットに繋いだパソコン持ってると、動画配信サービスは魅力なんですよ。ニコニコもいいけど、YouTube は YouTube の良さを持ってるしさ。世界中から投稿されてるってのがなんたってイイ。コメントもニコニコを意識して凝ったことができるようになったし(見た目 ZOOME 的だけど)、ビスタサイズや高画質にも対応するようになったし。一人勝ちだった頃よりずっと努力の跡が見られるんだけど、なんかこう、おいらが使ってみた感じ、広告自体が魅力なくてなぁ。

文字主体で無機質で、しかも画面に侵入してくるし。正直ウザいんだよね。イラつくものを誰が喜んでクリックしたがるのか、と。

そこらへんニコニコはうまい。ウザさの寸止め的な意味で。ていうか時報がウザさの非難を一身に受けてるんで、広告があまり目障りに感じないっつうこの見事なあざとさw あと広告内容も画像主体で、しかもひねりが利いてるのが多いし。主にオタク層向けだけど、思わずおいらもたまにクリックしてしまうもんなぁ。しかもニコニコ市場の品揃えがw ユーザの皆さんセンスあり過ぎww

そこへ行くと YouTube はちょっとなぁ。あのそっけなさ。確かに、全世界の全年齢層が対象で性別も問わずだからどうしてもとんがれないって面があるだろうけど、やっぱあれですか。かき集めた IT の天才はみんなつまんないやつだってことなんですかね。

そこを圧倒的なヒラメキと他の誰にもできない技術で打開するのが、本当の天才集団と思うんですが。

銘板
2009.4.7 火曜
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最近の日本の最終兵器

内閣府もちつけ。しかし GJ。いやいや、ナイスすぎる記事を職場のボカロ好き仲間に教えていただきましたですよ。

初音ミクを政府が海外発信 内閣府の英文誌に「Virtual Idol」

これきっとさ、日本政府に問い合わせが相次いだんだぜw ってことは外国の政府機関がいくつも問い合わせたんだぜww そんでこの、説明責任を感じた発信国としての公式発表。なんかもう笑いが止まんない。ミクで国際政治がちょっと動揺してるよ。札幌の中小ベンチャー企業の、そんなに高価じゃない1製品が世の中を振り回しちゃってるよ。世界、愉快すぎwww

20年前なら、世界を動かす日本製品と言えば、輸出規制に引っかかるようなハイテク工業製品だったんだよな。世界の工業の覇権を握るための必須アイテムみたいな。それが、それが……。今は初音ミク。これを快挙と言わずして何と言えばいいのか。隣の軍事国家が世界に衝撃を与えるアイテムは核ミサイルだってのに、我らが日本のそれは「現実には存在しない人気アイドル歌手」。世界が注目する東アジアはこんなにもカオスだ。

原文を読むと、最後の方で鏡音リン・レン、巡音ルカも紹介されとる。ていうかリンレンは双子ってわけじゃないんだけどなぁ。

今日の作業用 BGM は『アキアカネ』(feat. 初音ミク with Sweet Ann)と『風別れダアリヤ』(feat. 鏡音リン)。いつ聴いても、何回聴いてもいいなぁ。日本の最終兵器は人を幸せにするのさ。

銘板
2009.4.8 水曜
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ボカロ中毒患者のぼやき

昨日の続き。

しかしまー Vocaloid にまつわるそこらへん、どう呼べばいいのか知らんけどとりあえず「ボカロ文化」としとくか。これを知ってハマったのは2007年の11月だったけど、確かにあの頃、「これは新たな時代が来る!」とものすごいビッグウエーブな手応えを感じたもんだけど、まさかほんとにここまで来るとはなぁ。

世間的にはまだまだマイナーと言えばマイナーだけどさ、そりゃあんた、この流れを動かしてるのがアマチュアの趣味の活動が主体で、メディアがほとんど絡んでないから。ギョーカイとかカネとかがあまり動いてないから。表向きの市場規模が小さいってことで。熱心に活動してるマスコミは ITmedia くらいだからな。基盤技術をヤマハ1社が握ってるから、音楽業界にしても丸ごとを巻き込んだムーヴメントにはなりにくそうだし。

けど関連する音楽や画像、動画やその他を作る人も鑑賞する人も趣味や遊びなもんだから、その熱意にはカネが絡まない部分が大きいのよね。そこで、「カネになんないなら無意味」と取るか「そんなのどうでもいいよ。面白いからいいじゃん」と取るか。世の中、不況でもあることだし、そうなる前にネットでみんな繋がれる世の中になってたってこともあるし、これからはこういう形のカネかけない流行や文化が増えていきそうな気がする。支配的じゃない傍流だとしてもさ、影響が大きくなってきそう。

作り手、演じ手の生活がかかってないもんだから、「だから真剣に取り組んで来たプロには絶対にかなわない」とも取れるし、「だから悲壮感も押し付けがましさもないのがいい」とも取れる。

おいら昔からちょいとしっくり来なかったことがあって。それは芸術家が生活のために才能を売り歩く、という構図。有り余る才能でがっぽり稼いで、おカネ余っちゃったから豪勢に成金ライフってのなら分からんでもないけど、「売れない小説家が生活苦の挙げ句」とかってのがどうもなんだか。で、ちょっと考えてみたらやっぱしというか、中世ヨーロッパとかの芸術家って大金持ちをパトロンにしてたじゃないですか。金持ちにとっては道楽だから、芸術部門の事業が赤字でも一向に構わないわけで。

て感じで、芸術家はできるなら、作品の売り上げに生活を賭けてほしくないわけですおいらとしては。それだけで雰囲気が重いじゃないですか。その作品の裏側で、奥さんとか乳飲み子とかが泣いてるかと思うとねぇ、どうもねぇ。気軽に楽しむ気分に水を差すというか。

てことで、一般市民の趣味の芸術家にできる規模は小さいだろうし、生活のための仕事を持ってるだろうから鍛錬の時間も労力もあまり取れないと思う。プロに比べたらどうしても甘くなる。はず。どう考えてもそうなるはずなのに、なんで Vocaloid 楽曲はこんなにもおいらの心を震わすのか。確かに打率が低くてお気に入りを探すのは骨だけど、プロの楽曲だってやっぱしおいら的には、投資に見合った打率が得られてない。そして見つけ出した Vocaloid 楽曲は、プロの音楽に劣らずおいらの心に食い込んでくる。

きっと音楽通にしてみればその差は歴然なんだろうけど、けど例えば『雲の遺跡』や『イダルゴ』がもたらす感動は、『雲の遺跡』と『イダルゴ』でしか得られないわけで。他のプロの曲での取り替えは効かないわけで。そう考えると……。プロの否定じゃないけど、おいらの中じゃ同じ価値ですわ。ま、分かってないやつとでも何とでも言ってくださいな。それでもボカロ文化から離れる気になれんわ。

そういや2007年中あたりまでは、「いつでも足抜けできるようにしとく」みたいなことほざいてたっけ。もう完全に中毒っす。

ハマってから1年半くらい経つけど、萌えを求めないボカロファンってけっこうマイナーな気がする。自分では「硬派」ってことにしてるけど、「偏屈」ってことなのかも (T▽T) アハハ

銘板
2009.4.9 木曜
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肩番号の答え

遅いネタだけど。鏡音レンのキャラクターボーカルの番号の謎について。大したアレじゃないけど、以前気になったことがあったもんだから。

クリプトンの Volcaloid は初音ミク以来、キャラクターボーカルシリーズっつう路線を取っとりますな。で、共通なのは左肩(というか二の腕)に赤で番号が振ってありますな。ミクは「01」、鏡音リンは「02」。でさ、前に疑問を覚えてたのよ。鏡音レンは何番なんだ、と(2007.12.29)。

リンレンの公式サイトだとリンの肩番号しか見えないのよ。で、レンはリンと同じ「02」なのかそれとも「03」なのか、と。

して、今年の1月30日に巡音ルカが発売されて、ようやくその謎が解けただよ(巡音ルカ公式サイト)。ルカの肩番号は「03」てことで、レンは「02」ですな。いや、もしかして番号なしとか? オマケだからとか?

いやほんとにオマケなのかなぁ。レンの発表当初からリンレン発売あたりまで、そういう見方もあった気がする。例えば yanagiP はそういうノリでリンレンを買ってみて、いざ使ってみたら意外と素敵な声だった、みたいなコメントを出してたような。けどレンすげえ人気出たからなぁ。もう誰もオマケだなんて思っちゃいないかと。

ま〜レンのデフォ服はそのあたりが隠れる仕様になってるから、どうでもいいっちゃどうでもいいんだけどさ。

銘板
2009.4.10 金曜
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勝負と勝利

どうでもいいことを思い出しちゃったよ。

あるときの夏季オリンピック中継。女子柔道。その日本人選手は優勝したんですよ。したらその人、その瞬間に満面の笑顔で飛び上がって手を叩いて喜びを目一杯表したんですよ。

あれって勝負事をする人としてどうなんでしょ。負けた方の人は同じ場所で、もうめちゃめちゃ落ち込んでるんですよ。なんかねえ、おいらが勝負事を苦手なのは、そういう状況がどうもしっくり来ないってのがあって。その優勝者もかつて決勝で負けて悔しい思いをしたことがあるみたいで、だからこそオリンピックの金メダルは喜ぶに値するものだろうとは思うけどさ。

勝負というものはそういうものなんだ、と割り切ればいいってことか。そういやおいら、今までの人生で対戦もので勝った記憶がないなぁ。トランプとか野球盤とかならさすがにあるけど、それでもやっぱ、相手を打ち下して勝つ喜びって存分に味わったことがないような。

てことで、「それを知らんやつには分からん」ってだけのことのような気がしてきたわ。すんません余計なこと言っちまって。勝負師の皆さん、こんなたわごとなんか気にせず勝負をお続けになってくださいませ。

銘板
2009.4.11 土曜
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一人増えてる

この日記のバックナンバーをつらつら読んでたんですよ。なんでって、最新ログのネタ探しでw だって前にやったネタを蒸し返すのってラクなんだもん (^▽^;)

んでさ、去年の2月ぶんを読んでたら、jam バンドっつう DTM ソフトのことを書いてた。あの頃は Mac でできる安い DTM ソフトを探したりしてたっけ。結局10月に買った中古 iBook にApple 純正の DTM ソフト GarageBand がついてきたから沙汰止みになったわ。ま、ガレバンまったくいじってないけどね(汗)

んで久しぶりに jamバンドのサイトにつないでみた。これ、Vocaloid 商法に便乗して、萌え系のキャラを設定してるんだわ。バンドだから各パートで3人。と思ったら、知らんうちにキーボードが追加されて計4人になってましたですよ。まぁキーボード機能が追加されたとかじゃなくて、製品内容は何も変わってないんじゃないかと。

てことはアレか。この路線で結構うまくいって予想より売れてパッケージの作り置きがなくなりそうになったあたりで、そんじゃ次回ロットもこの路線でもっと派手にいきましょー、となったってやつか。分かりやすいなぁ。

けどこいつらほんとに有名になったんか? ニコニコだとライバルの FL chan なら見かけたりコメントで言及されたりしてるんだけど(FL chan: FL Studio っつう DTM ソフトのキャラ。なんか「うちの製品にも初音ミクみたいなキャラが欲しい」っつうあからさまな理由で後付けされたらしい。ちなみに Vocaloid の操作画面にはキャラ絵は一切登場しないけど、FL Studio だと操作中に画面に FL chan が出てきてなんかいろいろするらしい)。

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2009.4.12 日曜
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昼間の星 その1

最近読んだ漫画で、タイトルを忘れてしまってアレなんだけど、複葉機時代の空戦パイロットの話だったな。で、一流の戦闘機乗りたちの視力について、「昼間でも星が見える」ってのがあってさ。しかしあれホントなんかな? 空の男たちのジョークなのかホントにそうなのか、いまひとつはっきりしなくて。その漫画だけじゃなく、他の何かでも同じことを言ってた気もするし。

ただ、成層圏とかの高空を飛んでれば実際にそういうこともあるかもしれんなぁ。空の青みが薄くなるってことで。この漫画の設定だとせいぜい高度5,000mくらいだろうから、成層圏未満か。それでもマイナス等級クラスの明るい星は見えたりして。シリウスとか、木星とか。分からんけど、なんかほんとに見えるといいなぁとかちょっと思ったり。

普通、視力というと分解能を表すもんだけど、昼間でも星が見えるかどうかとなると、それに加えて明るさの濃淡、つまりコントラスト差にどれだけ敏感かっつうのも大事になるね。まーそんなわけで、一般的に数字での 1.5 とかの視力以外の要素も絡んでくるんで、やっぱし「もしかしてマジでそうなのか?」なんて希望を勝手に抱いちゃったりもして。

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2009.4.13 月曜
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昼間の星 その2

「昼間に見える星」でもうひとつ思い出したよ。

『帝都物語』の原作本にあった話で、ある井戸を覗くと、水面に映った空に星が見える、とかそういうの。原理の解説が一応してあって、大気中で乱反射する青い光が井戸の縦穴ではなくなるので、そのぶん真上の星が相対的に明るくなって肉眼で見えるようになる、とか。

これってつまりは、何十メートルの長さの筒があれば可能ってことになるわけだけど、かなり眉唾っぽい。もっとも突き詰めると、普通の50倍くらいの天体望遠鏡でも見えることになるんですな。望遠鏡は視野が狭いから、周辺の散乱光はあんまし関係ないわけで。

天体望遠鏡で昼間の空を眺めたことあるけど、青空の向こうに特に星は見えなかったなぁ。これはなんだか荒俣宏に一杯食わされたっぽいですな。

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2009.4.14 火曜
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両雄相立たず(だったっけ?)

なんかしょーもないネタ拾ってきたんで。

まるでコカ・コーラとペプシの力関係を表しているかのような写真

まぁどっちもコーラ市場の成功者ではあるんだけども、コカコーラの営業のすごさには、さすがにペプシもやられっぱなしなイメージをつけられちゃうよね。

いや、正直どっちも味的には大して変わらんと思うんだ。一応、ブラインドテストするとおいらは辛うじて判別できる気がするけど(毎日どっちか飲んでるんで)。てことで要はイメージ戦略にどっちが成功してるかっつうだけの差のような。

冷静に考えると、コーラってほんとなんだか分からん味してるよなぁ。けどその味に慣れ親しんじゃってさ、もうコカコーラ本社でさえろくにいじれなくなってたりしてさ。昔、それまでのコカコーラがフルモデルチェンジして、つまり何を思ったか今までの味を全廃してチェリーコークっつうのに移ったことがあってさ(1985年だったかなぁ)、それがもうまずくてまずくて、結局元に戻したってことがあった。あれは一体なんだったんだろ。

そういやあの頃、ペプシが急進してたんだよな。それでコカコーラが浮き足立ってあんな暴挙をやらかしたってことなのかも。で、チェリーコークはまずかったわけですよ。じゃあ普通のコーラはなんでまずくないのか、と。なんかこう、世の中の他の飲食物と全くつながらない、孤立した味じゃないですか。それが日常生活に欠かせない味になってしまってるってのが不思議で不思議で。

『ALWAYS 三丁目の夕日』で「なんだそりゃ醤油か?」みたいな台詞があった。色もアヤシイよなぁ。ほんと、コーラってどういう経緯でここまで受け入れられたんだろ。普通の感覚じゃどう考えてもミッションインポッシブルな気がしてしょうがない。

んでまぁ結局、細かい味付けの違いなんかどうでもいいってことで、ペプシがなんだか負け犬臭いのは、コカコーラが勝ち組っぽさの販促でより成功してからだけってことでひとつ。しかしこの線で行くと、ペプシはペプシである限り、負け犬っぽさから脱却できないんじゃないかとか考えたりして。

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2009.4.15 水曜
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出迎え旅行

来年6月、オーストラリアに旅行するっす。

だってだって小惑星探査機 はやぶさ が帰ってくるんだぜ。2003年の出発から4年間の宇宙旅行のはずが、想像を絶する苦難に遭って3年延期。それで2010年帰還になったわけです。到着予定地はオーストラリアのウーメラ砂漠。これは迎えに行かねば。あと1年ちょいで資金を貯めんと。

なんで6月のオーストラリアなんだろーと考えたことあったわ。6月、というのは軌道のタイミングの関係かもしれないけど、南半球だと陸地が少ないから、つまり着陸に適した砂漠が少ないから不便そうな気がして。

んでまぁ全部憶測だけど、それはやっぱし命中させやすいから、ということかと。6月というと夏至近くですな。てことは現地は初冬。太陽から見ると、オーストラリアはかなり下の方を向いてる。薄く見えるはず。だったら狙いにくいんじゃないかって気がするけど、それは昼間の話。はやぶさが地球に帰還するのは夜。深夜近くらしい。となると、地球に後ろから近付くはやぶさから見ると、真夜中のオーストラリアってのは地球の公転軌道面近くにグッと寄ってて、つまりはやぶさに対して正面向きに近くて大きく見えるはず。これで狙いやすいんじゃないかと。

何時頃に大気圏再突入するのかもちょっと考えてみた。突入角度は12°だそうで、他の似たような探査機より角度が深いのがちょっと怖いけど(普通は8°くらい)、たぶんこれも的の見かけのサイズを大きくして命中精度を上げるためかと。で、この角度で一番狙いやすい時間帯となると、どうも23時台前半っぽい。

寝袋が必要かなぁ。砂漠で野宿の覚悟も要るか? ああでも安全対策上、ウーメラ砂漠はその晩、立ち入り禁止になるかも。

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2009.4.16 木曜
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非電化発明

最近、発明について思うこと。

「電気を使わない発明こそ偉大」。

なんてさ。今のテクノロジーはもう何でもかんでも電気絡みでしょ。てことで電気がない環境だと全くの役立たずになわけですよ。それに気づいたら、なんかそれもちょっとなぁって気がしてきて。特にデジタル関係はそこらへんのもろさが本質的にあるわけで。

つまりですよ、大きめの太陽フレアが一発起こると、続いて起こる磁気嵐でデジタル関係はダメージ受けまくりなんですよ。核爆発でもそうなるっぽい。広島・長崎の頃は電子機器がほとんどなかったんでそこらへんは問題に上がらなかったけど、今の地球文明はデジタル電子機器まみれなんで、核爆発ほどじゃなくても、太陽由来の磁気嵐程度でとんでもないことになりうるんですな。

発明に次ぐ発明が生み出した現代文明だけど、結局は一番弱いところ(電気)にいまだに、多分これからも依存しまくりなんだろうから、電気に依存しない発明を積み上げて行く、あるいはそういうものをリストアップしていつでも探せるようにするってのが大事なような気がするんだけど。まあ電力会社やそれ系の族議員が幅を利かせてる国じゃこういうのは日陰者の考え方かもしれんけどね。

放射冷却現象を応用した無電力冷蔵庫って日本で発明されたと思ったけど、その後どうなったろ。環境対策にもちろん有効そうでもあるけど、電力網が普及してない国や地域で威力を発揮しそうなんだけどなぁ。

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2009.4.17 金曜
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ほうれんそうとかいうやつ

最近、自分の社会人というか会社人としての資質にギモンを持つことがあってさ。

いやあの、「ほうれんそう」ってあるじゃないですか。「報告」「連絡」「相談」ってあれ。あれがどうにもめんどくてさ。積極的にやる気がしなくて。とはいえやんないわけにもいかんからがんばってるんだけどさ。「がんばんなきゃやれない」って状態。

前の仕事は限りなく個人業務に近い感じだったんで、そこらを重視したことがなくて。今は組織の構成員ってことで、そこが重視されるわけで(単語「構成員」は意味的に一番ふさわしいと思って使ったけど、デンジャラス風味になるなぁ (^_^;) フツーの会社ですよええ)。

普通にできるようになんないとさ、「ほうれんそう」するってだけのために負担感を募らせる羽目になるわけで。これ自体は仕事そのものって感じがなかなか持てなくて。仕事の本来的なことで製品その他をいろいろ生み出すわけだけど、「ほうれんそう」は特に何も生まない。ここらがなんとなくロスな気がしてさ。一定の時間と労力を取られるし。

いや、きちんと情報の伝達と共有をすれば余計なロスが出ないってことだから大事なんだけどさ。それは分かっちゃいるんだけどさ。

一人で作業すると、基本「ほうれんそう」って要らないよね。次に作業するときに忘れないように要点をメモっとくって程度で。おいらの場合、趣味のサイト作りなんかがそれ。そこらへんラクチン。となると、複数で作業する時に初めて必要になるこの「ほうれんそう」をどれだけ縮小化・簡略化できるかが、仕事での勝負の分かれ目になるわけです。何の勝負か知らんけど。自分だけで勝手にやるんなら自分のやりたいようにやりゃいいんだけど、他の人と組むからには調整が必要だしね。常識感覚も違うから、連絡不足が思い違いを誘発するし。

「一人じゃできないこともある」。ごもっとも。けど、人数を集めただけのものがいつもできるかっつうと、そうはならないのが世の常。要は「ほうれんそう」にかまけて本業が疎かになっちゃ本末転倒ってことで。

ああそうか、大企業での会議がムダだとかそういう話をよく聞くけど、それだったのか。人数が増えれば調整することも増えて、「ほうれんそう」のための会議やら人員配置の段取りに忙殺される人が出てくる、ということだったのだね。で、ほとんどそれ専従の役職とかできちゃったり。ああそれが管理職ってやつか。

それ考えると、管理職って何がそんなに面白いんだろ、とか。いや、つまんないから給料がいい、とかそんな感じなんだろか。

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2009.4.18 土曜
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初見のあの手のおクルマ

1カ月前のこと。初めて肉眼で確認したわ〜。

痛車。

いやーびっくり。深夜のローソンで買い物して店から出たらちょうどこのクルマが乗り付けてきてさ、呆気に取られてたらクルマから降りた二人連れの方々、すぐさま店内に入って行ったのよ。

んで、「チャーンス」とばかりにケータイカメラで激写した、と。

んむー、ここまでやる根性とかよく理解できんものがあるけど、まぁ世の中が楽しくなるからいいか。いやあの、昔からワゴン車を派手にする流れってあったけどさ、後ろにアイドルの絵とかでっかく描いててかなりイタかったけど、あれよっか趣味がいいような気がする。配色とかけっこうイイ感じだし。

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2009.4.19 日曜
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管理社会ってやつですか

このまえね、久しぶりに長根運動公園を散歩したんですよ。ここ、八戸の市街地近くにあるスポーツコンプレックスでさ、野球場、スピードスケートリンク、水泳プール、体育館、陸上競技場、弓道場、武道場、土俵にサッカー場が揃ってる。ついでにジョギングコースもある。

おいらはスポーツ全くダメなんなんだけど、昔からここを遊び場に育ったのよね。おいらが小さいかった頃はベビーブームとかで世の中に子供がいっぱいいてさ、そんで交通安全指導用の、自動車学校的な無料施設なんかもあったなぁ。子供向けに自転車の安全運転を指導してたわ。オープン当初は(たぶん)引退後の警察官のおじさんが常駐してたよ。制服着て。見た目通りの優しい人だったなぁ。

けどその人がいつの間にかいなくなって、お手伝いしてたおばさんが仕切るようになってから子供たちは言うことを聞かなくなってやりたい放題になり、おばさんはムキになって怒りまくるようになり、なんかつまんなくなったから行かなくなり、みんなそうだったみたいでとうとうその施設は放置されて、今は痕跡もほとんど残ってない。ああ栄枯盛衰。市役所的には失敗プロジェクトってことになってるんだろか。

で、その交通安全施設の隣がサッカーグラウンドでさ、前は一般スペースとの仕切りもなくて誰でも好きに出入りできて、好きに遊べたんですよ。これが今じゃこれ↓。

その金網

分かるんだけどさ、それにしてもなんかこう、何をするにもやりにくい世の中になりましたですなぁ。

すぐ近くの陸上競技場もしっかり金網が張られてたよ。昔は学校が終わってから、陸上競技場やサッカーグラウンドでラジコンカーを走らせまくったもんだけど、もうそれだめなんだなぁ。すっかり数が減ってしまった子供たち、今はどこで遊んでるんだろ。まぁ長根運動公園の一般スペースもまだまだかなり広いんだけどさ。けどほとんどが駐車場だから安全面でちょっと劣るような。

あと、運動公園の真ん中にさ、オブジェが立ってるんですよ。で、その足下のあたりは水が張ってあってさ、ちょいとしたお堀的な。水路幅1mもなかったんだけど。水深は足首くらい。で、そのお堀で昔、プラモの軍艦を走らせて遊んだことがあったのよ。モーターライズの瑞鶴(ずいかく。旧日本海軍の空母)だったな。小さいもんでマブチ130モーター+単三電池1本でも相当なスピードを誇ったもんじゃった。反トルクで船体がおもっきし傾いてさ、これじゃあ艦載機が発艦・着艦できんよなぁとか苦笑いしつつ、その勇姿に惚れ惚れしたもんじゃった。引き波がまたカッチョ良くて。

で、ノスタルジアを胸に現場に行って見てみたらば、オブジェは確かにあったんだけど、お堀は完全に埋められてた orz 

これも「安全面での配慮」ってやつでしょうか。ていうか単に管理がめんどくさくなったからって気もするけど。

銘板
2009.4.20 月曜
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八戸 GDGDN(ぐだぐだノスタルジー)

昨日の流れで。昔の八戸はよかったなぁっつうほんとどうしようもない話でも。別に今の八戸だって今なりに魅力的なんだけどさ。

長根運動公園に隣接して、「じどうゆうえんち」という市営の施設があったんだわ。かなり小規模な遊園地だったんだけど、それでも市民の憩いの場だったんですよ。子供にとっては最高のワクワクベストプレイスでして。今は弓道場になってる場所には放送タワーが建ってて、展望レストランが人気だったそうで。そこはほとんど記憶にないけど。ちなみにタワーはある年、台風で曲がってしまって、危険だからと撤去されてしまったそうな。

ちなみにおいらはこのネーミング、ずっと「自動遊園地」のことだと思ってたw どこがどう自動なのか分かんなくて、かなり謎に思ってたww

それでもじどうゆうえんち本体は子供の人気を独占してた。SL が展示されてて、運転席に自由に入れたよ。C61 だった気がする。これはコーフンしたよ。それから、園内の半分くらいのスペースを占拠して、ミニ電車が走ってたのよ。これが一番人気。おいらははっきり覚えてないけど、全盛期にはサルが運転手をしてたらしい。おいらが小さい頃の写真にそれが写ってた。たぶんニホンザル。機関車部分に乗っかってただけだったろうけど。

そしてある事故が起こった。

その電車の売り物はトンネルだったんですよ。コンクリートブロックで組んだアーチ状のやつ。そのトンネルに突入すると、子供たちのテンションが上がるわけですよ。そんで常識で考えて、トンネルに入る時は手を伸ばしたりすると危ないでしょ。それまではそんなノリで何ともなかったのに、やっちゃったやつがいて。どの程度の怪我だったか知らんけど、確実にそのせいでトンネル撤去。それでもやっぱし危ないとされて、電車全廃。レールごと撤去されちゃった。もしかしたら飽きられてきてて、コストの関係でそうなる潮時だったのかもしんない。

その他にも楽しい乗り物が2つ残ってたけど、それだけじゃもう人気を保てなかった。スターを失ってしまった感じで。ものすごく規模を縮小した、100円入れて動かすデパートの中にありそうな電車が導入されたけど、風を切るあのスピード感はなかったわ。敷地の奥の方にはバラック建てだったけど食堂があって、そこのラーメンはうまいので評判だった。けどミニ電車がなくなったらゲーセンになって、そのうちゲーム機を更新しないもんだから誰も行かなくなってさびれて、いつしか立派な八戸市立武道館に建て変わった。

つか、市の教育委員会じゃ、義務教育の児童・生徒がゲーセンに行かないよう補導をやってたわけで、けどそこは市の遊園地だったから市営のゲーセンだったわけで、なくなったのはそこらへんの関係もあったかも。

もう じどうゆうえんち は衰退に拍車がかかっちゃって、結局遊具は全部取り払われて、ただの公園になってしまったとさ。でもいい感じの公園で、それはそれで市民に愛されてると思うけど。

当時そこらへんに住んでたおいら、じどうゆうえんち ならぬ じどうこうえん にも遊びに行ってたけど、もっと近くの市立図書館も定番の遊びフィールドだったのよ。その周りを集団でチャリ乗り回しておもっきしコケたり鬼ごっこしたり野球やったりとか、館の利用者は大変な迷惑を被ったかと(汗)。そういやそのときの図書館は手狭だったんで、後でもっと立派なやつを作って移転しちゃってさ、歩いて行けるところだったけど、学区外だったから敵に発見されるとまずいってんで行きにくくなったんだよなw

あとね、おいらは図書館のまともな利用者でもあったのよ。図書館って子供向けの図書スペースがあるじゃないの。あそこで宇宙を学んだですよ。もともと目当てはなぜかいつもあった週刊少年マガジンだったんだけどさww 天文学の本、宇宙開発の本がけっこう充実しててさ、そこからそっち方面にハマッたですよ。

で、いつしか小学生ながらもっと凝った宇宙本を読みたくなって、一般向けの書架にも出向くようになって。そこにの職員さんの一人、あの当時にしては珍しくロン毛でさ。時代の感覚で言えば文科系の主張だったんでしょか。図書館だしねえ。

そのロン毛の職員さん、夕方になるとある日課をこなしてたんですよ。それは、

サルの散歩。

かなりシュールな光景だったぞ。黄昏時にそれだもん、図書館っつうロケーションも相まって、夕焼け空を背景にその一人と一匹を目撃するたびに、パラレルワールドに迷い込んだみたいな錯覚に陥ったでござるよ。で、しばらく後になって気づいた。あのサル、じどうゆうえんち のサルだったんじゃないか、と。

市としては、市営遊園地の電車アトラクションの客寄せにサルを導入したはいいものの、そのサルは乗客の事故で職を早晩失ってしまったわけで、それでも無責任なことできなくて、市の職員さんに死ぬまで面倒を見させたんじゃないかと。それってけっこう立派なことなんじゃないかと。あああ当時それが推測できてれば、ロン毛の職員さんに真相を質したのに。惜しいことをした。

まぁそんな感じでさ、八戸が今の姿になるまで、子供の目にも分かるようなあれこれがあったわけですよ。あのサルは市の資産だったろうから、欲しい人に譲るってのもなかなか難しかったのかもな。八戸には動物園ないしさ。

銘板
2009.4.21 火曜
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動物園が欲しいなぁ

八戸に動物園がないのはなんでだろう。あると楽しいのになぁ。

けど市営じゃ難しいかもなぁ。経営感覚がないもんだから。じどうゆうえんち にしても常設の子供向け交通安全教室にしても、旗色が悪くなった途端、大した努力もしないで閉鎖だもんなぁ。あれから時代は移り変わったけど、そこらの及び腰加減はあんまし変わらないような気がする。

動物園は命をたくさん預かるわけで。法的には個々の飼育動物は市の資産ってことになるんだろうけど、道義的には「赤字だからやめます」なんて簡単なことじゃ済まなさそうだし。それで我が八戸市は動物園には手を出さんのかな。

昔、街の近くの三八城公園でカモシカだったかが飼われてたことがあったなぁ。檻に入れられて。別にそれで客寄せをするわけでもなし(公園だからな)、愛されてたわけでもなし、あれは一体何が目的だったんだろ。覚えてるのはやたら臭かったってことだけだな。檻の掃除もろくにされてなかったってことか。今だったら動物虐待とか言われそう。

やっぱ無理かなぁ動物園。けど欲しいなぁ。「寒いから」ってのは理由になんないよね。北海道に動物園あるから。

銘板
2009.4.22 水曜
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これならどうか

動物園よりもっと手軽そうなやつ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昆虫園。

なおさらダメっぽそう (-▽-;)

銘板
2009.4.23 木曜
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時代の徒花ってこれのことか?

♪君だけのぉ〜ファーインダァに映りゅ〜

本題と関係ないけど、kz さんの『ファインダー』(YouTube)いつ聴いてもステキだなぁ(惚)

つうかやべえ。ようつべでボカロ曲を聞き出したら、古い曲巡りで止まんなくなった。あああ『タイムリミット』来ちゃったよ〜(泣)。ニコニコよりようつべの方が「関連動画」を豊富に紹介してくれて、こんな時はいいやね。

♪タイムリミット ありがとう またあなたに会えた瞬間 「信じてた...」 溢れる涙と歌声

うぐおおお(目汁の海に轟沈)

銘板左端銘板銘板右端

本題。

やっぱしトンズラしたか。テレビ東京がセカンドライフで開催したコスプレ大会。ま〜ダラダラと残す意味もない、全然盛り上がんなかった企画だったっぽいけどね。

セカンドライフって今はどんなだろ(昔も知らんけど)。まだやってんのかな。興味ないけどさ。だってうちの環境じゃスペックが全然追いつかないみたいだしさ。ていうか現実世界をやってくだけでもヘトヘトだから、おいらとしては仮想世界にまで生活圏を広げる気力ないしさ。

なかったことにされたってのがもうひとつあったわ。政府の肝煎りで開催された『インパク』。正式名称は『インターネット博覧会』だったかなぁ。ええとなになに、おおおそうそう堺屋太一。いやなんだかもうみんなとこ撤収しちゃったね。そこらへんまでリアルの万博をまねなくてもいいのに。ていうか大阪万博は太陽の塔で往時を偲べるのに、インパクはほんとなんにも残ってなくてなぁ。

で? おお、現存するやつがまだあるのか。ちょっと見せなさい。ほほう Wikipedia じゃ「内閣総理大臣(当時)森喜朗をキャラクターに起用したものだったが、2001年4月26日に森内閣が総辞職したことに合わせ一部内容を変更した」としてるけど、サイトの中身を見ると、モリソーリの絵そのまんま使ってるわ。これは断然説得力ないなぁ。だって現役総理時代のあの人、そこらへんの暗愚さ丸出しだったじゃん。「IT 革命」を「イット革命」と読んだといわれる強者に IT 革命の説明されてもなぁw 別なやつを現存させた方がまだよかったろうに。

ま〜あとなかったことにされちゃった幻のハイテク情報網&コンテンツといえば、ずいぶん前にも取り上げた「キャプテンシステム」ですな。けどあれはもうハードウェア自体が存在しないからな。あれはほんと画面がしょぼかった。あんなのを一般人が楽しく使いこなすなんて、当時でさえ考えられなかったもんな。そういう意味じゃ、GUI の普及後に出てきたインターネットは幸運だったね。時代を先取りしすぎたのかねえ電電公社。ていうかあの画面だとさ、技術屋が鼻息荒くして強引に進めたって感じかなぁ。ここはひとつ営業のセンスも必要だったね。後知恵だけど。

そういや、iモードも危うくその憂き目に遭うとこだったらしいよ。iモードを企画したのは技術にはあんまし詳しくない女性社員だったそうで、技術屋さんとガンガンぶつかった挙げ句にようやく出来上がったとか。で、そのときよく「技術も分からん素人が口を出すな」とか散々言われたらしい。まぁおいらは技術が好きだから、言った方の気持ちが分からんでもないけどさ、でも営業とか企画の顧客寄りなセンスがうまく入らないと「商品」になんないのよね。いわゆる「技術屋の自己満足」な製品が出ちゃうのよね。

ソニーが昔出した CD ウォークマンとかさ。まぁでもあれは「ウォークマン」の名を付けるために頑張ったってことではあるけどさ。どんなのかって? その前にさ、ソニーの開発部、ポータブル CD プレイヤーを恐らく世界初で作り上げたわけ。ウォークマンの会社だもん、そりゃ意地でもやりますわな。けどその試作品をお偉いさんに見せたら、「こんなでっかいのウォークマンじゃない」と一刀両断。でも需要はありそうってことで、確か「CD MAN」だかって名前を付けてとりあえず売り出した。

それはそれで需要の読みが当たったからいいとして、技術者は何が何でも、CD っつうその時代の最新技術を使ったウォークマンを開発したかった。とはいえ CD 自体が直径12cmもあるもんだから、普通に小型化したんじゃポータブル CD プレイヤーにしかなんない。そんでどうしたか。

機械部分だけウォークマン並みに小型化して、CD は露出させることにした。機械部分が CD を挟んで保持して、再生中は CD が丸ノコみたいに空中でギュンギュン回転してるっつう恐ろしいものが出来上がった。そしてソニーはそれを本当に製品化して売り出した。売れたかどうかは知らんけど、きっと全然売れなかったと思う。

そんなもん持って歩けんよなぁ。本体より大事なお気に入りのアーティストの CD やその周りのものがどうなるってんだよそれ。

そんなこと自分で分かってても製品化してリリースする決断をしたソニー、当時は良くも悪くも技術者主導の会社だったんだなぁ。いい意味に取れば、誰に何と言われようとも、ウォークマン本家としてのプライドを全うしたってことか。アホな企画ではあったけど、商売抜きでも技術を誇る姿勢はそれはそれで天晴な気もする。

ソニーの総意としてはこの CD ウォークマンはなかったことにしたいみたいだけど、おいらはしっかり覚えとるでよ。おいらは笑っちゃいつつも、ソニーの意気込みを買ったね。いや商品は買わなかったけど。でも絶対買っといた方がよかったよなぁ時代の記念品に。1代で絶滅するのがあんなに分かりきってた商品なんてないよ。

そんな時代の徒花たちを、今日は特集してみました〜(とりとめなく書き終えてから決めたテーマだけど)。

銘板
2009.4.24 金曜
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そしてハイビジョン

時代の徒花になりかけた技術もあったさ。それはハイビジョン。今でこそ地デジや衛星放送、家庭用ビデオで大活躍だけど、こうなるまでが異様に長かった。公表されたの、80年代前半だもんな。NHK は70年代から、「未来のテレビとは」という考察から始めたそうで(かなり早いなぁ)。で、いろいろアイディア出して、その中で生き残ったのは2案。高精細テレビと立体テレビ。両方の基礎研究を進めていくうちに、立体テレビはどうもいろいろ未知の問題が多すぎて難しそう、高精細テレビは解像度と階調を上げていくと立体感も増すことが分かった、ということで高精細テレビ、のちのハイビジョンに舵を切ったんだそうな。

まぁ80年代後半、日本のハイビジョン陣営は高精細テレビの伝送についての世界規格を取り損ねて国内で叩かれることになるけど、次世代テレビを高精細テレビと決定して世界に追従させて、スペックはどこまで出せば十分か、という数字を出すところまで基礎研究を重ねたのは功績だと思う。

んでさ、ハイビジョンはまず衛星放送でやってみる、ということになった。技術が実用レベルになった1988年はソウルオリンピックの年。オリンピックの年は新型テレビのお披露目に最適。衛星中継するのに距離もそんなに遠くない。てことで、おいらは当時、仙台の街頭ハイビジョンでソウルオリンピックの入場行進の映像を見たよ。チラッとだけど。藤崎デパートの前でやってたわ。遠目だったから、映り具合とかよく分からんかった。

あとね、88年は映画『敦煌』の公開年でもあってさ、この映画、ハイビジョン合成が使われたんだわ。仙台は当時バブル。いろんな企業の新製品のデモやイベントが毎週のように行われてた。おいらもそれで、たぶんソニー主催によるハイビジョン展示会に行ったよ。そこで『敦煌』予告編をハイビジョン上映しててさ。でもちょっと失敗。うまいこと係の人に誘導されて、プロジェクターのスクリーンで見させられちゃった。ほんとはそのすぐ後ろで、ブラウン管での上映が見られたのに。結局ここでもハイビジョン本来の映像は確認できんかった。

全然現物を見れないまま、時代は数年流れた。だってソウルオリンピック当時、ハイビジョン受像機の値段、ブラウン管のくせに98万円だったんだぜ(大型テレビ用途に耐えるディスプレイは、当時はブラウン管しかなかった。携帯型テレビ向けだと液晶があったけど)。そんで95年かなぁ96年かなぁ、だいたいそのあたり。八戸市内で当時、文化の日のあたりに毎年開催してた産業振興展。これに NHK 八戸支局が毎年出展しててさ、その年はとうとうハイビジョン受像機を持ち込んだのよ。

ついにハイビジョン映像を拝める!

けどさ、それまでに本で読んで知ってたことがあって。それは、映像は宣伝してるほどパッとしないってこと。その根拠もあった。伝送規格の MUSE。これが曲者で。なんかね、ハイビジョンはカメラも編集もモニタもデジタルなんだけど、伝送だけはアナログなのよ。これ、当時日本が保有してた放送衛星がアナログトランスポンダ(中継用の増幅装置)しか搭載してなかったもんだから。それで決まった規格だったもんだから。テレビ中継のフルデジタルの行程の間に、アナログ方式を無理矢理ねじ込む形になっちゃって。「デジタル→アナログ→デジタル」っつうめんどくさい信号変換が必要なわけ。

このせいで80年代に協議された世界規格会議で落とされたわけだったんだけど(80年代当時の日本は圧倒的な技術力と経済成長で世界から総スカンを食ってたんで、落とされたのはジャパンバッシングのせいだと喧伝されてた。実はまともな技術上の問題だったのに)、国内規格として MUSE は生き残った。

で、その MUSE、アナログ伝送なわけです。アナログ伝送ってのは、デジタル方式の伝送よりかなり広い帯域を使うわけです。発信地でのエンコード、受信地でのデコードでデータ圧縮・伸展を扱うには扱うけど、それでもまだ信号が多すぎる、てことで、ハイビジョン開発陣はやっちまったわけです禁じ手を。それは「解像度が落ちるほど信号を間引く」。

ハイビジョンの解像度を表す数字として、「水平走査線1125本」という宣伝文句があった。当時の地上波テレビの水平走査線の数は525本(うちのテレビはいまだにこの数字)。ほぼ倍。これが売りだった。けどこの信号間引きで、実際は700本程度の解像度しか出なかったそうで。いやそれ、普通のテレビにちょっと毛が生えたくらいだし。ハイビジョンの性能そのものを無駄にしてるし。けども階調はきめ細かいまんまだから、普通の NTSC 方式より断然綺麗に見えるはず、との狙いだったらしい。

そんなハイビジョン放送、とうとう見ましたですよ。ナマで。産業振興展で。けどなぁ、正直かなりテレビを見込んだ人じゃないと判別できないような、微妙なレベルだったぞ。その展示ブース、違いを引き立たせるために普通のテレビとハイビジョンテレビとを並べておいて、同じ番組を出してたんですよ。それでもなぁ、よーく見れば確かにちょっと違うって程度だったかなぁ。

そこにさ、通りがかりの婆さんをさ、NHK の人がつかまえてさ、どうですすごいでしょ、全然違うでしょ、と訊いてるわけですよ。ところが婆さん、そんな細かい違いなんか分かんないわけですよ。で、

「いやおんなじじゃないの?」

「いやいやよく見てくださいよ全然違いますよほら」

「いやどっちも五木ひろしが出てるよ」

「だから画質が違うでしょ」

「え? は? 座敷?」

てな案配。

なんかねえ、ハイビジョンは10年前から興味あったけど、普及までにはあと10年はかかるなぁって実感したわ。ていうかこんな微妙な違いなら、もうお蔵入りするんじゃないか、とも。

ていうかおいら、テレビ見ないくせにハイビジョンには興味あったのねw

で、他にもハイビジョン衛星放送が一般的になってきてね、電器屋さんに行ったときにたまにチラ見したりしてたのよ。そのときやってたのはフィギュアスケート。あれでまたひとつがっかりしたことがあって。これまた信号圧縮に由来するんだけどさ、MUSE 方式の動画圧縮ってあの手この手を使ってるんだけど、人間の目の性質を利用してる部分があるのよ。

人間の目は、動くモノの解像度が低くなっても分からないということで、MUSE は特に、速く動くモノの解像度を落とすのよね。そのぶん情報量を圧縮する、と。で、気になったのがスケーターよりも背景。フェンスに広告が描かれてるじゃないの。で、スケーターが滑るとカメラがパンで追うから、背景全体がサーッと横に流れる。これがあからさまに解像度が落ちまくりでさ。被写体に注目してても背景のボケ具合が分かるっつう代物で。誰の目の性能を基準にこの非可逆圧縮の程度を決めたのか知らんけど、ちょっとやり過ぎだと思ったなぁ。ていうか今の MPEG-4 形式の圧縮でもそれ残ってるよ。何考えてんだか。

民放は広告主のスポンサー料で成り立ってますわな。そんでスポーツ中継は大事なコンテンツですわな。スポーツ中継っつうと背景の広告が欠かせませんな。その背景広告が不自然にボケるんだぜ。これ、テレビ局の運営的にもヤバくない?

とにかく21世紀も10年近く経とうとしてる今、ようやくハイビジョンがまともに普及してきたわけですよ。で、動くモノの解像度的にはちょっと問題ありに思えるけど、最近電器屋さんに行って見てみると、うちの NTSC 方式のテレビなんかより格段に綺麗なわけです。じゃあ10何年か前の産業振興展のあれは何だったんだってことになるけど、とりあえず圧縮形式が MUSE から MPEG-4 に変わったってことがあるのかな。中継経路のフルデジタル化で、データを間引く必要がなくなったのかな。本来の水平解像度1125本を取り戻したのかな。

あと、受像機の性能が上がったのもあるかも。産業振興展当時はブラウン管。今は液晶とプラズマ。シャープが仕掛けた画質競争もその一役を担ったかな。MUSE でアナログが絡んでた当時は、信号の A/D コンバータやデコード回路の出来にもよっただろうし。

んでまぁいろいろあったけど、80年代から国や NHK、ソニーあたりの肝煎りで進めてきたハイビジョン開発はようやく軌道に乗って、時代の徒花技術にならずに済んだとさ。けど普及に一番大きな影響を及ぼしたのは、このところ時々話題になる「地デジ強制移行」かなぁ。

〓ZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZ⊂<回 ←仕切りジッパー

ハイビジョンの功績は、映像加工にデジタルはやたら使えるってことを示したことかと。90年代初めあたりまでに、ハイビジョンそのものは映画にそのまま使うには問題あり過ぎってことが判明しちゃったけどさ。けどこの実験期がなけりゃ、デジタル映画カメラの登場は10年も20年も遅れてたと思うよ。ていうか発想すること自体がいつになるか分からなかったはずだから、もっと遅れてたかも。そう考えると映画好きとしてちょっとコワイ。

おいらはフィルム画質フェチな映画ファンだけど、別にどっちでも気にならんことも多いし。映画でのデジタル化は確実に製作コストを下げたから(撮った映像をその場で確認できるし現像は要らないし、データはコピーしても長時間置いても劣化しないし、媒体 [HDD] は小さくて持ち運びがラクだし、PC があれば専用の編集機器が要らないし、何よりも、データを上書きできるんで NG をなんぼ出しても媒体が無駄になんないし)、製作側の敷居を下げたりとか作品の完成度を上げたりとか、裏側でかなりの成果を上げてる気がする。

銘板
2009.4.25 土曜
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ハイビジョンへと続いた道は邪な道

かなりニッチな時代の徒花技術といえば、NTSC 方式のワイドテレビってのもあったな。

バブルのあたりから出始めた、縦横比が16:9のビスタサイズの画面のテレビ。見た感じ、今のデジタルテレビと同じだね。ちなみにそれまでの縦横比は4:3(スタンダードサイズ)。このワイドテレビ、やたらまやかし臭くてなぁ。なんかこう、電機メーカーの思惑が透けて見えちゃって。

まぁ以下は実体験で分かりきってる方も多いと思うけど、せっかく思い出した内容を書き留めてみるテスト。

ハイビジョンテレビは当初の目論見より全然普及しなかった。普及させようと思った矢先にバブルがはじけて、財布の紐が軒並み固くなったのよね。しかも景気が良かった頃にみんなスタンダードサイズの大型テレビに買い替えちゃってたんで、新しいテレビはしばらく要らないって状況になってしまってた、と。

それでも電機メーカーはテレビ作りをやめるわけにはいかないじゃないの。けど今までのテレビだったら売れない。ハイビジョンは高すぎてなおさら売れない。てことで、ハイビジョンのテレビをこさえることにした。見た目は画面が横長でハイビジョン風ってやつ。もしかしてハイビジョンチューナーがついてて専用番組を見れたのかもしんないけど、画質は飽くまで普通の NTSC 方式のテレビと同じ。

でさ、このやり方のひどかったのってさ、電波の帯域って決まってるから、画面が横に広くなった分だけ勝手に情報量を増やすわけにはいかないじゃないの。それを解決するために、実際は、横向きの情報量を旧来と同じにして、画面の上下を切った信号を流してたのよ。それをワイドテレビでは画面一杯にブローアップして表示してた。4:3の放送より情報量が少なくなってるから、そのぶん画面は粗くなるわけ。

こ れ は ひ ど い。

まぁ映画のビスタサイズと同じ発想なんだけどさ。ちなみにもっと広いシネマスコープサイズは、撮影時に「アナモフィックレンズ」っつう特殊なレンズをカメラに取り付けて、映像を横向きに圧縮してスタンダードサイズのフィルムに押し込む。上映時は映写機にアナモフィックレンズを取り付けて引き延ばすんですな。だから見栄えが粗くなるんだけど、慣れるとその独特の粗さが「映画っぽさ」の演出に見えたりもして。

けどテレビはねぇ。見栄えにもともとあんまし品格を感じさせないからねぇ。それがますます情報量不足でキタナくなる、という流れでどうもねぇ。

それでも幸か不幸か、ビスタサイズのテレビ番組はほとんど全く作られなかった。全番組と言っていいくらい、相変わらず4:3のスタンダードサイズのまま。ただ、その頃からハイビジョン放送を並行してた NHK だけは、ハイビジョンカメラで撮影したコンテンツを16:9のまんま流したりしてたな。あれはなかなかいい作戦だったと思う。ハイビジョンの宣伝というか少なくとも存在のアピールに役立ったかと。

あと、当時のレンタル映画は DVD じゃなく VHS のビデオ。これ、みんなスタンダードサイズ。邦画のほとんどはビスタサイズで作られてて、こいつは画面の上下に黒帯を入れて左右方向は全部見せてたけど、問題は洋画。アメリカはワイドテレビってのがほとんどなかった。あと、日本と違ってその頃はずっと不況だったから買い替えが進まなくて、16インチとかの小さい画面のスタンダードサイズのテレビがまだまだ現役で使われてた。

で、ビデオの需要的には、小さい画面を無駄なく全部使って、少しでもでっかく見たいわけです。そんなわけで、売りやレンタルに出る映画のビデオは全部スタンダードサイズに調整されてた。日本に輸出されるのも同じ。このトリミングの仕方はビスタサイズとシネスコサイズとは違うんだけど、とりあえずハリウッド洋画のビデオは全部、縦横比4:3で出荷されてた。

てことで、ワイドテレビがノーマル状態だと、番組やレンタルビデオの多くがスタンダードサイズなんで画面の両脇が黒くなってしまう。せっかくワイドを買ったのにもったいない感じがする。それどころかその余白のせいで、スタンダードテレビよりも画面が狭くさえ感じられてしまう。

てことで、モードがいくつか用意されてた。ひとつは、スタンダードサイズの番組をまんべんなく横に引き延ばすってやつ。けどこれ、出演者がみんなデブに見えるっつう変な副作用があってさ。その違和感を減らすべく、画面の中央付近は引き延ばしなしで、両端をそのぶん余計に引き延ばすっつう荒技なモードもあった。これ、広角レンズで撮ったみたいな不自然さがやっぱし出てさ。カメラがパンするとなんだか車酔いしそうになったさ。

この扱いに怒ったのが大島渚監督。自作品をそんな見せ方してくれるな、と、誰に対して言ったのか知らんけど、そういう声明を発表した。そうだよなぁ。これ、映像の創作行為への冒涜だと思うよ。

シネスコサイズの洋画なんか、いったん半分の幅に切り詰められて、それを1.5倍くらいに引き延ばされるんだもんなぁ。めちゃくちゃもいいとこ。ていうかシネスコ映画ってアングルの切り方が特殊なのよ。わざと画面の上下から被写体がはみ出すような撮り方をするのよ。その方が構図の据わりがいいことを実証してみせたのが「エデンの東」という1954年のアメリカ映画だそうで(未見)。

そんな構図の映像の両耳を切ってスタンダード画面で見ると、その時点で既に人物の顔のアップなんかがものすごく暑苦しい (-▽-;) してそれをビスタサイズに広げる、と。上に書いたまんべんなくない広げ方だと、アップの顔がもう何が何やら(苦笑)

コンテンツの規格に沿ってないワイドテレビを売り込むために、メーカーはそんな無茶をやっとったわけですな。それにしてもなんでテレビ局は頑なまでにワイド番組を作らなかったんだろ。これが不思議。確か1996年あたり、日テレで「ワイドテレビ元年」としてスペシャル番組をやったはずだけど。山田邦子が出てたなぁ。その後も別にワイド番組は特に出なかったと思うが。

ワイドテレビを作ってる電機メーカー丸抱えの番組でさえスタンダードだったもんな。『水戸黄門』や『サザエさん』なんかいまだにスタンダードなんじゃないだろか。『世界ふしぎ発見!』は最近はどうなんだろ。確かこの番組だと1997年あたりは、番組はスタンダードサイズで CM はビスタサイズっつう半端な形だったと思った。まぁ、メーカーの中の人たち、売りはしてるものの邪道だから技術屋としてうしろめたくて番組制作サイドには強要できなかった、とかそういうのなのかもなぁ。ていうか、何らかの形でテレビ局から「アナログ地上放送でのワイド番組制作は勘弁してくれ」っつう反応があったんじゃないかと。

まぁでも21世紀になって NHK その他の地道な努力がようやく実って、ついでに地デジへの強制移行発動っつう国の方針もあって、ハイビジョンが市民権を得てきましたですな。あとデジタル関係の部品が安くなって、この規格を製品にするハードルが下がったってのもあったね。今や家庭用ビデオカメラがハイビジョン撮影可能だもん。

もうテレビ・ビデオ映像のハイビジョン化の流れは変わらないだろうし、ライバル規格も特にないみたいだから、ハイビジョンを開発した人たち、最近になってようやく安堵したんじゃないかと。

銘板
2009.4.26 日曜
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ハイビジョン→映画デジカム

バブルの頃は「ハイビジョンで映画を作れる」とか言われてた割には、カメラのレンタル料が普通の映画カメラの10倍くらいしたらしいし。こりゃ撮影現場でおいそれと使えんでしょ。ちなみにその頃のハイビジョンカメラはフィルムで言うと ISO100 くらいの感度しかなくて、しかも電気をかなり食うから外部電源が必要で(ニッカドバッテリーしかなかった時代だしな)、そのうえ録画部分もカメラに入りきらなくて外付けで、ほぼスタジオ撮影専用だったらしい。

お付き合いにカネかかる上にわがままを聞いてあげなきゃいかんお嬢様って感じですな。技術の黎明期は得てしてこんなもん。編集段階で幾分かの恩恵があったにはあったろうけどさ。

ちなみにおいらが実際に観たハイビジョン使用の映画は『首都消失』『帝都物語』『敦煌』『夢』『舞姫』。どれも全部、合成カットのところのみでハイビジョンを投入。フィルムの合成より格段にラクで画質もそこそこだったってことで、ある程度重宝されたらしい。けど「あ、このカットはハイビジョンだ」と分かっちゃうのよね。独特の画質と動体の残像で。

んでその「ハイビジョン臭さ」が敬遠されたのか、以降、映画ではそっぽを向かれて、2000年に公開された『スターウォーズ EP1』に到るまで何年間か、映画製作現場は世の中のデジタル化に逆行して、フィルムの時代が続いたのであった。ジョージ・ルーカスがこの作品を作るにあたって、ハイビジョン規格みたいなテレビカメラ寄りのものじゃなく、映画撮影に特化したデジタルムービーカムの開発をメーカーに依頼(ソニーだったかパナソニックだったかは忘れちまった)。これでようやく映画撮影に実用できるカメラが出来た。IT 革命の最中ってことで小型省電力化も進んで、ロケにも持っていけた。今じゃフィルムカメラより手軽なはず。特にあのシリーズみたいな合成しまくり CG 使いまくりの映画だと、製作効率は相当上がったろうなぁ。映像の完成度は言わずもがな。

で、どうもこのデジタル映画カメラ、ハイビジョン開発で蓄積した技術を応用したらしいのよ。それで比較的短期間で出来たっぽい。その弊害も確かにあるけどね。

このカメラの CCD 素子は、映画の35mmフィルムの1コマよりかなり小さいらしい。そうなるとどうなるかっつうと、被写界深度が深くなってしまう。そのぶんピント合わせしやすいわけだけど、映画が得意な、被写体の前後のボケ味が出にくくなっちゃう。ぶっちゃけテレビの映像っぽくなっちゃうわけ。ボケ味はデジタル合成に向かないんで SFX 場面には有利に働くけどさ、文芸作品なんかだと映像美が命だから、敢えてフィルムカメラを選んだりとかしてるらしい。文芸ものは予算も興行収入も小規模になりがちだから、デジタル化の恩恵に一番浴せるはずなのに。もったいないなぁ。

てことで現規格のデジタル映画カメラはそれはそれで制限があるそうだけど、きっとそれ、開発段階でハイビジョンの技術を出来るだけ使ったからなんじゃないかとか。早期の実用化との条件取引だったんじゃないかと。

けど一般市場での普及品じゃないんで、今からでもフィルムカメラ寄りの写りを再現する新規格を作ってやり直せそうな気がする。そのとき映画のデジタル化はさらに進んで、浮いた資金で他の部分の質を上げた作品や、気軽に作った野心的な実験作とかがたくさん出てくるんじゃないかとか考えるとワクワクですなな。

まぁ現時点の問題点は他にも、CCD じゃどうしてもフィルムのようになんないってこととかあるけどね。走査線の影響が出ちゃうとか(『レッドクリフ PART II』であったなぁ)、色がケバくなるとか(カメラのせいじゃないけど、工程にフィルムを介さないとこうなる。『ニューシネマパラダイス デジタルリマスター版』の空の色は本当にケバかった)。雪原みたいなモノトーンかつ階調が薄い映像でトーンのシマシマが出ちゃうとか。

ここらへんも、(来るかもしれない)新規格で是非解決してほしいとこだけど、とりあえず走査線の影響って、CCD の画素が固定な限り、無理かもしんない。解像度を倍くらいにすれば目立たなくなるかなぁ。

あ、被写界深度と走査線の問題を同時に解決する方法を思いついたわ。CCD のサイズを、画素の密度をそのままにフィルムの1コマの大きさにまで大型化すればいいんじゃん。なんかそれでかなり解決しそうな気がする。業務用程度の数しか需要がない専用 CCD を大型化だから、カメラの単価は上がるだろうけど、作る価値はあると思うなぁ。データ量が激しく増えるけど、処理担当の CPU の速度も記録媒体(HDD)やメモリの容量も増える一方だから、特に問題ないんじゃないかと。

なんならその CCD を一般向けビデオカメラにそのまま仕込んで「本格仕様」「映像派仕様」「プロ品質」と銘打てば、こだわる層にかなりウケるんじゃないかとか。おいらだったらまず間違いなく騙されるw それだと数がさばけるから、量産効果でコストダウンを期待できる。けど信号方式は映画用は「24p」か。これ、ビデオカメラの「30i」とはかなり違うのよね。まぁ両対応の CCD ができればいいんだけどさ。実はあんまし難しくないような気もする。

銘板
2009.4.27 月曜
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優先順位にまつわる八戸市的見解

ドクターヘリ

今年の3月24日、八戸市民病院に青森県初のドクターヘリが導入されたのよ。次の日、地元新聞にそのことが載ってたんだけどさ、記念式典、なかなか笑える事態になったみたいで。記事のスクラップ取っとくんだった〜。

なんでも式典の最中に早速出動要請がかかって、ドクターヘリが飛んでいってしまったんだそうな。その日が就任の日なんだから、そういう事態もあり得ますな。そんでしばらくしてから患者を乗せて颯爽と帰ってきて、かっこいいデビューを飾ったらしい。

んでその記事の隅っこの方には、にわかに発生した非常事態の最中、困惑した式典担当者のコメントが載ってた、と。「(主役のドクターヘリが突然いなくなって)どうすればいいのか」ですと。

この記事を鵜呑みにするとして、いやあの、この人、記念式典そんなに大事だったのかね。ドクターヘリをまさにそのとき必要としてた急患よりも。ドクターヘリ関係者の人たちは何が重要か分かってたからこそ、自分たちの式典の最中だろうが何だろうが構わず飛び立ったわけで。途中ですっぽかされたから困るってのはどうもねぇ。ていうかそういう事態を全く想定しないで式典の段取りを組んだとしか思えんのですが。

やっぱ八戸市職員に式典を段取らせると、こういうあたりほんとダメだわ。地元小学生への科学教育の千載一遇のチャンスを、スポーツ大会の開会式ごときで簡単に潰したっつう前科あるしな(←八戸市内で数十年ぶりにかなり深い部分日食を観測できる日のまさにその時間に、運動部所属の児童を公会堂内での式典に強制参加させた)。こっちはかなり昔の話なのに、いまだに改善されてないってことか。どっちが大事か、ほとんど考えなくても分かることなのになぁ。

銘板
2009.4.28 火曜
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KSLV-1 の打ち上げコースはやっぱしちょっとアレだ

4月19日にデーリー東北(青森県南の地方紙)に載った全国系ニュースなんだけど、韓国初の衛星ロケット KSLV-1 の打ち上げ計画が発表されたね。記事を以下に転載。

KSLV-1 打ち上げコース

韓国初の衛星ロケット

日本海領海上空を通過

7月末予定

 韓国が今年七月末、南部の「羅老宇宙センター」から打ち上げる予定の初めての人工衛星搭載ロケットについて、日本の領海上空を通過する経路設定で最終調整していることが十八日、分かった。複数の日韓関係筋が明らかにした。
 計画しているロケットは二段式。現在のところ九州南西部から沖縄本島のかけての上空を通過する可能性が高い。その場合、一段目は九州近海の東シナ海に、二段目はフィリピン南島沖に落下する見込みという。
 五日に北朝鮮が秋田、岩手両県上空を通過する形でミサイルを発射したばかりだが、日本政府は「韓国の場合、宇宙の平和利用であるのは明らかだ」として、発射を静観する方針だ。
 日本政府関係者によると、韓国側は打ち上げに関する非公式協議で「日本の領空権の及ばない高度二百キロ近くの宇宙空間を飛行する予定だ」と説明している。
 ただ打ち上げに失敗すれば日本の領土や領海にロケット本体や破片が落下する可能性が排除できないため、安全面から「他国上空の通過は避けるのが一般的」(外務省)とされる。
 東シナ海は航行船舶や操業漁船も多く、韓国の打ち上げ回数が増加すれば、日本政府として十分な安全対策や経済活動への配慮を求めることも検討している。
 今回、韓国が打ち上げるのは一段目にロシアの技術を導入した「KSLV-1」(全長約三十三メートル)で小型実験衛星を搭載する。韓国は近年、宇宙開発に力を入れている。今回打ち上げに成功すれば、自国から人工衛星を軌道に乗せた国としては十番目になる。

韓国の衛星

 韓国は航空宇宙研究院(KARI)を中心に1960年代から宇宙開発を本格化した。ロシアの技術を導入して「KSLV-1」ロケットを開発。ロシア、米国などのロケットを利用して各国から、実用衛星10基程度を打ち上げている。ことし7月には自前のロケットで韓国から初めて衛星を打ち上げる予定。2011年には、日本の主力ロケットH2Aで韓国の衛星を打ち上げる計画があり、緑国の協力が進んでいる。

 

半年前の 2008.10.25 に、この羅老宇宙センターから普通に(真東向きに)打ち上げたら、打ち上げ失敗したら西日本を直撃するかも、と書いたわけだ。そのとき予想した飛翔コースをもっぺん出してみる。

KSLV-1 過去の予測コース

さすがに韓国側もそれはまずいと分かってたようで、今回報道されたコースを言ってきたってわけですな。それでも沖縄が直下に入ってるけど。けど記事によると、順調に飛べば沖縄上空だと日本の領空外になる高度200km程度を飛ぶことになるから大丈夫でしょう、と。日本もなぁ、北朝鮮の打ち上げにはあんだけ文句付けたけど、韓国に対してはそこまで言えんわなぁ。

日本の外務省のコメント「他国上空の通過は避けるのが一般的」はね、韓国が自国領土から打ち上げる場合、これがその意味で一番リスクが少ないコースだと思うよ。そりゃできればどこの他国の上空も通らないで打ち上げられれば最高だけど、国土の位置の関係でそれができる国は限られてるからなぁ。日本はその点じゃ打ち上げ国として幸運なわけで。

ていうか日本が極軌道(南極・北極の上空を通る軌道。けっこう需要がある)に打ち上げるときだってインドネシアやオーストラリアの上を通過してるわけなんで、軍事的にヤバいわけじゃなきゃ黙ってるしかないでしょうなぁ。やっこさんたちせっかく頑張って開発してきたんだろうから、おいらはロケット好きとして成功を祈りましょうってことで。

あとはさ、沖縄ってでっかい米軍基地があるからね。メリケンの旦那がなんか理由を付けて文句言ってこないかってのが気がかりではあるけど。

しかし KSLV-1 の1段目ってもろにロシア製みたいなんだけど、それで「自力打ち上げ」の看板になるのかってのがちょっと疑問で。記事だと「今回打ち上げに成功すれば、自国から人工衛星を軌道に乗せた国としては10番目になる」と書いてるな。その方が正確だけどさ、韓国国内じゃたぶん「成功すれば自力打ち上げ国の10番目になって誇らしい」とかそういうノリなんじゃないかと。

記事で、将来的に打ち上げ回数が増えた場合の日本側の懸念が書かれてるけど、まぁ多くて年3回くらいがせいぜいじゃないかと。この打ち上げコースは需要が少ないんで。静止軌道(軌道傾斜角0°)も太陽同期軌道(同98°)も無理。軌道の人気トップ2が無理なんだもんなぁ。コースを途中で曲げる「ドッグレッグ」っつう技をかけるにしても鹿児島を越えなきゃやれないわけで、そこまで飛んでしまうと速度が付きすぎて、ドッグレッグは無理そう。

となると、実用衛星打ち上げビジネスからはそっぽを向かれますな。国際宇宙ステーション(ISS)の軌道傾斜角(51.6°)からも外れてるし。科学衛星も「とにかく宇宙に出ればいい」タイプのもの、例えばX線観測衛星くらいにしか使えない。90°の極軌道は行けるから、偵察衛星と資源探査衛星は行けなくもないと思うけど、取得したデータの品質や使い勝手はあまり期待できないかも。

日本の衛星打ち上げが今までで最大で年4回程度でさ、まぁ日本の場合は地元漁協との取り決めで打ち上げ時期が限られてるってのもあるけど、商業ベースになんないとそれ以上の頻度じゃ打ち上げられないっつう別な理由もあったりして。韓国のこの基地からの打ち上げは軌道が限られすぎてるんで、商売絡みはほとんど無理。今の日本以上に国需頼みになるはず。で、科学衛星の製造・運用実績も少ないんでその方面はしばらくなさそうだし。てか韓国ってノーベル賞奪取に血道を上げてる割に、科学に対する国民的な関心というか国家的な意向なんかがいささか心許ない気がする。

となると宇宙環境利用の実験衛星が主になるかなぁ。日本で言うと旧宇宙開発事業団系か。となるとその他はさっきも書いたけど、資源探査衛星とか地球観測衛星と偵察衛星あたりかな。しかしなんだね、ISS と絡めないのはちょっときついかも。中国みたいにいっぱしの技術をもう持ってれば、ISS と絡まなくても余裕かましてられるけど。ああでも ISS 計画って一応2016年までってことになってて、その後は白紙なんだよね。だったら無理に ISS を意識しなくてもいいか。たぶん2016年の引退はもったいなさすぎるんで延命することになるだろうけど、それにしたって韓国の技術が宇宙ステーションに絡めるようになるまでは ISS は持たなさそうだしな。

んでまぁつらつら考えた結果。韓国は羅老宇宙センターからの衛星打ち上げは国威発揚が主目的で、それ以外の「使える」用途は自分でもあんまし期待してない、ということかと。使えなさすぎるんで。韓国の実用衛星や科学衛星の打ち上げは、ほとんど外国へ委託で済ませるんじゃないかなぁ。日本の H-IIA ロケットが韓国の衛星アリラン3号の打ち上げを受注したし(2011年予定)。

とりあえず今度の初打ち上げでお手並み拝見と行きますか。ちなみに今は北朝鮮の苦戦ぶりが目立っちゃってるけど、衛星打ち上げ初成功への道は、どの国にとっても茨の道だった。挑戦中のブラジルは数年前に壊滅的なダメージを受けて、いまだにそれを引きずってるみたいだし。韓国もきっと例外じゃないと思う。けどとにかくやってみないことには始まらんもんなぁ。

銘板
2009.4.29 水曜
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祖先の昔日を偲んでみる日

人類ってさ、陸上の脊椎動物にしてはずいぶん変な形態だなぁ、と、ふと思って。飯食った後に横になってうつらうつらしてたら、そのあたりに考えが及んでしまって。

そこらへん、人類を生まれて初めて目撃した草原の動物の立場になって妄想してしまっただよ。いやもうツッコミどころありまくり。

「あれ? あいつヘンじゃね? なんでわざわざ後ろ足だけで立ってやがるんだ? 疲れるだろ」

「ていうか目立って天敵に見つかりまくりだろ。ばかじゃねえの?」

「おいおいそのまんま歩くのかよ。それじゃ蹴つまずいたら派手にコケるだろ」

「動物共通の弱点の腹を正面向けちゃって何考えてんだか。死にたくなかったらちゃんと伏せろっての」

「それに何だあの前足。指の長さが異常だぞ。変な病気なんじゃねえの? 気味悪くわらわら動きやがるし。絶対病気だよありゃ」

「いやそれ以前に毛皮ねーのかよ。おかしーだろそれ! 肉むき出しっておめえそんなに食われてーのかよ!」

「よし分かった。そこまで食ってほしいならそこで待ってな。今オレ様が……いけね、オレ草食だったわ!」

かくしていろんな幸運に恵まれてたかどうか知らんけど、我らが先祖はアフリカ大陸での厳しい弱肉強食をなんとか生き抜いた挙げ句に、南極を除く全世界にはびこるようになったのであった。

それにしても動物視点だと、人類の姿形は外道だよなぁ。標準から相当外れてるんで、もし四つ足で知能を持った動物がいたとしたら、彼らから見るとかなり気持ち悪い存在かと思われ。

あとさ、人類は木から降りて草原で進化を遂げたそうだけど、肉食動物からよく逃げ仰せられたなぁとか。だって奴らは四本の足と全身の筋肉フル動員で走って追っかけてくるんだぜ。対して、走るのに直接的には後ろ足とその近くの筋肉しか使わない人類、肉食獣の攻撃を毎回どうやって振り切ったんだろ。謎ですなぁ。

ちなみに雑食になったのは、餌をゲットするのがあまりにも下手で、それでも生き延びたいがために、のべつまくなしに何でも食ったかららしい。肉を食い始めたのは、肉食獣の食べ残しを漁るようになったかららしい。あと昆虫も相当食ったっぽい。よっぽど餌の調達が下手だったんだなぁ。「食わんがため」とはよく言ったもの。

今じゃ地球全体の生態系の頂点に君臨して、自らを「ホモ・サピエンス(英知の人)」と呼んで得意になってる人類にだって、文字通り冷や飯を食わされた時代があったってことでひとつ。

銘板
2009.4.30 木曜
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謎の2011年

またテレビのネタだけど。番組じゃなくハードウエア寄りの方。

地デジの完全移行っつうかアナログ地上波放送が止まるのが2011年っての、おかしいよなぁと思って。だってテレビの買い替えがどばっと進むオリンピックも FIFA ワールドカップもない年なんだよ。なんでわざわざそんな年に完全移行することにしたかねぇ。

なんかそのあたりに推進側の読みのテキトーが見えちゃってるわ。恐らく、地デジ対応テレビの普及率予測を試算して、その数字をもとに2011年っつう年限を出して国とか関係のお役所とかを説得したんだろうけどさ、テレビを買い替える人の都合とか完全無視なのミエミエ。

っつうか段取り上そういう試算が必要なのは分かるけど、この試算、出し手側のお手盛りでどうにでもなるみたいだし(需要予測を倍に水増しした東京湾アクアラインの実例があるしな。東海道新幹線の予算見積もりの場合、本当の数字を出すと巨額すぎて却下されるのが分かりきってたんで半分くらいで出して、とにかく GO サイン貰ったとか)。

しかも将来の地デジ対応テレビの普及率予測なんてどんな突発事象があってどうなるか分からんという、もともと曖昧なものだからなぁ。それを根拠に年限を決めること自体が既にどんぶり勘定なわけでさ、自分たちでもそこを理解してたなら、FIFA ワールドカッブ南アフリカ大会がある2010年にでも、ロンドンオリンピックがある2012年にでも出来たはずなんだよね。

それをやらず敢えて2011年、というのがほんと理解できん。ていうかここまでやるなら、裏側に何か、そこまでしてでも2011年でなければならない何らかの理由があったんじゃないかとか勘繰りたくもなるってもんです。あったとしても、一般人には関係なかったりどうでもよかったりで、しかもやたら分かりにくい理由なんだろなぁ。

いや、なんてかーこう、天晴さとか清々しささえ感じるお間抜けぶりというか。何考えてんだか。ていうか考えてないのか。

銘板
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