ひとりごちるゆんず 2009年5月
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2009.5.1 金曜
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「お」で薄めてみるテスト

けっこう古い話題だと思うけど、「お馬鹿キャラ」がウケてるそうで。

これ、「馬鹿」じゃなくて「お馬鹿」なんだよね。上品な言い方にするとなんとなく許されるみたいなアレなんだろか。確かに「馬鹿」だとキツいかもなぁ。

同じ流れで「お間抜け」もあるな。昨日のログの最後の方でいったん「間抜け」と書いたけど、ちょっと世の中の風潮に便乗して「お間抜け」に直してみましたー (^▽^;)

ねえねえオレ上品? オレ上品?w

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2009.5.2 土曜
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そういう日本人限定 その1

2009.1.13 で「○○するのは日本人だけ」っつう、かつての日本人が得意だった自虐と自嘲をちょっと書いたわけですよ。そしたらあと2件思い出しちゃって。忘れる前に書いとこっと。

そしたらまずはね、

「食事中にただの水を飲むのは日本人だけ」

ってこれいつのことかなぁ。最近は日本人もそうじゃない気がするんだけどさ。とりあえずおいら、食事中に水は特に飲まんなぁ。んでとりあえず食事中の飲み物としての水だけど、アメリカじゃ普通に飲んでますが。いや、これ聞いたの80年代前半あたりだったと思った。あの頃はアメリカは本当にそうだったかも。コーラとかねえ。そうじゃなきゃ牛乳かオレンジジュースかみたいな。

けど90年代半ばに現地に行ってみたら、自然志向とか健康志向が浸透してて、アメリカ人も食事中にフツーにフツーの水を飲んでたよ。水道水そのまんまじゃなく、主流はエビアンとかだったけど。まぁ牛乳かオレンジジュースかだった選択肢がひとつ増えたって感じだったのかも。

んでまぁこの「食事中にただの水を飲むのは……」ってのはちゃんとオチも付いてた。アメリカじゃないけど。

「フランスは食事の飲み物は子供もワインなのだよ。水より安いんだから」

いやまぁオチとして機能してるかどうかは置いとくとして。この展開、なんでまた自他ともに認めるグルメ大国を一般的な例として出すのかがまず理解できなかったりして。あと、水より安いってどんだけ安物のワインだよ。さすがに水道水より安いってことはないだろうから、エビアンより安いワインってことか? いやいやそれ商品として売れるレベルなのか? かえって水の方が安全な気もするし。日本にも「ガソリンより安い醤油」とかあるけどさw

まぁそんなことで、別に食事中に水を飲んだっていいのよね。ていうか普通の日本食を考えると、みそ汁を飲むんだから水なんて特に要らん気がするけど。カレーの話かな。あれはさすがに水でしょう。

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その話題の渦中の1986年の正月、おいらは話題の映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を観たのよ。あんまし面白かったから3部作全部観ましたですよ。で、1990年公開のパート3は西部劇編でさ、1985年時点で高校生の主人公マーティ君、西部劇の時代に飛んでって、そこの家庭でお食事をするんですよ。飲み物を聞かれてフツーに水をお願いして飲んでたわ。ただ、時代が時代だけに、コップに小石が入ってるっつうオチw

それを口から皿の上にコチーン、コチーンと出して、そこのご家族をドン引きさせるって感じで。日本映画もこういう、客を笑わせながらも一気に多くを語る、気の利いた段取りを重視してほしいなぁ。まぁ最近は日本映画の方がハリウッドより面白いけどね。

そんでね、もう1990年だってのに、「あ、アメリカ人も食事中に水を飲むんじゃん」って思ってさ。この「食事中にただの水を飲むのは日本人だけ」てのがどんだけウソッパチだったのか、ようやく分かったってわけで。当時はバブル期で、欧米に赴任する日本人ってもうかなりいたはずだから、実体験でそれが根も葉もないウソだったことを知った人も多かったかと。まったく誰が言い出したんだか。けど当時、日本の世の中全体が何となくそう信じてたような気もする。

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2009.5.3 日曜
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そういう日本人限定 その2

今日の日本人限定ネタはこれ。

「洋食のマナーでは、お米のご飯はフォークの背に乗せて食べるのです」

とりあえず本当の正解は、

「洋食では米のご飯の食べ方は特に決まっていない」

でしたわ。向こうじゃ米を炊いて主食として食べる習慣はないわけで、米を炊くってのはまぁそれ専用の作業だから面倒ですな。てことで、食卓に上がることはほとんどないわけですよ。んなもんだから、お米用のマナーも特に確立されてないってことで。イタリア料理にリゾットがあるけど、あれは雑炊だからきっとスプーンで食べるんだろ。

基本、よっぽど変な食い方じゃなきゃ大丈夫ってことらしい。

でさ、フォークをわざわざひっくり返してその上にご飯を乗せて口に運ぶっての、どう考えても「よっぽど変な食い方」だと思うぞ。だって他にそういう食べ方する料理ってないだろ。工程として、フォークの背にご飯を乗っけるってのはフォークだけじゃ出来ないわけでして、スプーンかナイフを動員しなきゃなんないですな。スプーンがあるならスプーンで食べればいいわけで、そうじゃなきゃフォークを使うことになって、どうしてもナイフでフォークに盛りつけることになる。ナイフで食べ物を口に運ぶのはたぶんアウト。

食器を別な用途に流用するなんてのは、大体どこの国でも無作法ってことになってるわけでして。「フォークの背にご飯を乗せるのがマナー」はそこらへんのマナーが破綻してるってことですな。これも誰が言い出したんだろ。ほんと迷惑。これ、欧米の生活様式があまり知られてなかった70年代から、結局80年代一杯まで信じられてたと思うぞ。

おいらがこれを嘘だと知ったのは、椎名誠のエッセイに実体験に基づく本当のことが書いてあったから。なんかおかしいとは思ってたけど、やっぱ騙されてたか〜って感じでほっとしたわ。大体、わざわざ食いにくいやり方で食う意味が分からんくてなぁ。食器ってのは本来、食べ物を食べやすくするための道具なんだからさ。用途に沿わない変な使い方はすべきじゃないっての。

けどやっぱさ、教えられるルートによっては、この新常識を拒む人ってのもいるんだよね。おいらは当時椎名誠を心酔してたから、すんなり受け入れた。でもさ、友達にこれを教えたら意固地になっちゃって。「おれはそういう教育を受けてきた。だから世の中がどうなろうと、おれは洋食のご飯はフォークの背に乗せて食べ続ける」。

彼にはずっと会ってないからどうなったか分からんけど、日本じゃ洋食スタイルでご飯を食べる機会って時々あるよね。ファミレスとかで。彼はいまだに周りに笑われながら、70年代スタイルを貫いてるんだろか。ま、要は、新情報を受け入れるかどうかの判断材料ってのは、それが正しいかどうかよりも、誰から教わったのか、どういう態度で教わったのか、ってあたりが重要ってことですか。おいらそのとき、散々そいつを馬鹿にしながら言ったもんなぁ (-▽-;)

んでまぁそれをきっかけに、西洋料理のマナーは高級料理でもなきゃ意外とラフでいいってことに気付いて。だってさ、食べ物を口に運ぶってことで一番出番があるフォーク、どっちの手で持ってもいいんだもん。スパゲティだと右手。ナイフを使うときは右手をナイフに明け渡して、フォークは左手。おもっきし脇役扱いじゃないですか。ま〜ナイフは昔はほんとに汎用のナイフを使ってたはずから、左手で持つのは危ないってことだったんじゃないかと。

そんなわけでファミレスとかでハンバーグを頼んだりしたとき、おいらはまずナイフは使わんな。右手でフォークを持ったまんまっすよ。フォークを横にして切り出して、その切れ端をあらためてフォークで刺していただいてるわ。

ステーキのときもね、ファミレスだと大抵あらかじめ切られてるからね。やっぱしナイフ要らなかったりして。それでもナイフを使わなきゃなんないときは、こんなゴマカシ技を発動すればオッケーだし。ゴマカシ技のログに書いてるけど、持ち上げて直接口を付けていい食器かどうかの判断もこんな感じさね。

え、ファミレスのご飯はお前はどうやって食ってるかって? そりゃあんたフツーに箸で食ってますが何かw 箸がないときはフォークの腹ですくって食べてるよ。西洋人もコーンや豆を食べるとき、スプーンがなければフォークでそうやって食べるみたいだから、ご飯でもおかしくないと思うよ。

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そーいやさ、最近は西洋でも炊いた米を食べる機会が増えてるっぽいよ。寿司もそうなんだけど、どうも日本食全体が注目されてるらしくて。お店の料理だけじゃなく、家庭料理まで。そんで炊飯器を買ってきて、家でお茶碗にご飯をよそってお椀のみそ汁と焼き魚と一緒に食べる、てのが知識層を中心に浸透してけっこうきてるっぽい。もちろん箸で食べるわけで。そういやスピルバーグの "A. I." での主人公の家、昭和30年代の日本家屋テイストだったよね。食事もそれっぽかった気がするなぁ。

日本食はスプーンに相当する食器がないから、自然、お茶碗を持ち上げるわけで。汁物だとお椀を持ち上げた挙げ句に口に直接付けるわけで。西洋マナーじゃそういうのは御法度なわけで。そこらへんにカタルシスでも覚えるんだろか。まぁ西洋はここんとこずっと健康ブームと自然ブームだからねぇ。体と心にストレス与えちゃダメよみたいな。そしたらリラックスと言えばアジアでしょって感じで。「東洋の神秘」みたいな昔からのアレも混じった憧れなのかもしれんな。

ただ今回の日本食のモテっぷりは、どうも今までとは一線を画してるっぽい。いや、20世紀中はさ、アジアっつうともう日本だか中国だかインドだか、なんだか一緒くただったでしょ。けど今回はきっちり日本だけに統一してる感じ。連中、ようやくおいらたちの文化に敬意を払うようになってくれたってことかな。

けど、まだまだ日本食の作法をご存知じゃない西洋人ってたくさんいらっしゃると思うんだ。そういう方々に是非お出ししたいのがお茶漬け。箸を添えて。お茶碗をテーブルに乗せたまま、箸でどうやって中身を口まで持っていくか、すげー悩んでくれそうw 知らなきゃ禅問答みたいな哲学的な命題と変わらんような気がするww

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2009.5.4 月曜
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セレブ御用達のソレ その1

日付はゴールデンウィークに突入してるけど、実は日記が遅れててさ、今は2009年の GW なんてとっくに過去の遺物と化してるのよね。特になんもしなかったしさ。てことで、別に GW ネタにこだわらずに行こうかと。

てことで、今は西洋人が日本食をありがたがる時代なわけですよ。ほんと時代は変わりましたですなぁ。70年代にこうなることを予測できてた人ってほとんどいなかったんじゃないのかねぇ。まぁ当時でも、日本食は実はべらぼうにうまい、と評価してくれる人たちはいたにはいたんだろうけども。

80年代はじめ頃までは、欧米での日本食レストランってフツーのエスニックレストランの一種でしかなかったような気がする。70年代はキッコーマンがアメリカに醤油文化を広めようとして持っていったら、アメリカ人みんなに鼻をつままれたらしい。

1987年公開の、デトロイトを舞台にした近未来 SF アクション映画『ロボコップ』。これ、妙に日本の要素が入った作品だった。で、「スシ」って単語が出てきた。確か大会社の重役会議前後の雑談で、「あいつに逆らったらスシにされるぞ」なんて台詞だったかと。この映画が製作されてたのは1985〜1986年。そうか当時は既に、寿司は金持ちや VIP が食べる高級料理としてアメリカで知られてたのか(近未来の設定だけど、とりあえず1987年の観客がその単語を理解できなきゃ意味がないんで、娯楽映画を観に来た中流階級の観客にまで認知されてたと考えても大丈夫かと)。

そういやその前に、カリフォルニアでアボカドの巻き寿司が発明されたんだよね。どこでだったかいっぺん食べたことあるよ。うまかったー。

ついこないだ『アイアンマン』って映画を観たのよ。主人公はセレブでさ、自家用ジェット機の中で食事するのよ。演出として当然ゴージャスさを強調しますな。そんでそれがなんと刺身と日本酒(しかも熱燗)。んでここでもまた、娯楽映画なもんだからターゲットにしてる観客は中流階級の一般人なんですよ。刺身と熱燗ってあんた、日本料理にこだわることがセレブのたしなみと見なされてるってわけですか。ぬおお、日本の食いもんはそこまで評価されるようになったかぁ〜。

いやさ、80年代前半まで、日本人は日本料理をそこまでのもんだなんて全然思ってなかったですよ。最高級のご馳走と言えば、フランス料理(内容不明)かビフテキだったもんな。ビフテキですよ。石渡治の『火の玉ボーイ』でもビフテキはそういう扱いだったよ。言っとくけど「ビーフステーキ」の略ね。今日日マジで分かんない人とかいそうだし。

で、当時までの日本人を激しく魅了したこの単語も、今じゃほぼ死語になった気がする。そのあたり、アメリカの「牛肉オレンジ貿易自由化」圧力のおかげで外国の安い肉が入るようになって、ステーキも比較的簡単に食えるようになったんだけどさ、いざ食ってみたら意外と「こんなもんか」って感じだったっけ。

あの頃の日本人のビフテキに対する憧れって、今じゃそれが、外国人の日本料理に対する憧れになってるってことか。感慨深いものがあるでござるよ。

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2009.5.5 火曜
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セレブ御用達のソレ その2

しかしレーガン大統領と後釜の親ブッシュ大統領が力の限り押し進めた、日本に対しての牛肉オレンジ貿易自由化だけど、結局アメリカの利益になったのかどうか。まぁ吉野家がその前から大旦那様ではあったわけで、そんじゃ自由化後はアメリカ→日本の牛肉の流れはさらに太くなったんだろか。なんか実際にはオーストラリア牛肉においしいとこみんな持ってかれたって気がするけど。

ていうかそのあたり、日本もようやく金持ちが増えたもんだから、グルメが趣味のいい趣味として市民権を獲得。ブランド牛がもてはやされ始めてなぁ。松坂牛とか神戸牛とか米沢牛とか前沢牛とか。そんでいざ貿易自由化したら、実は日本産の牛肉がダントツにうまいってことが発覚してしまって、結局高値で取引されるのは国産品だけっつう日米ともに予期せぬ事態になってしまって。

落合信彦の本に書いてあったよ。80年代末のニューヨークじゃ、和牛のステーキがニューヨークの超高級レストランでぼったくりに近いような値段で出されてて、客はそれをうまいうまいと言って食っては喜んでその金額を払っておったそうな。世の中、何がどうなるかほんと分かりませんなぁ。

銘板左端銘板銘板右端

オレンジの方もメリケンの旦那は完敗してる気がするんですが。年越しにこたつに乗っかってるミカン、相変わらず紀州とか愛媛とか静岡とかのばっかなんですが。いや、これで何の不満もないです。完璧です。ええ。ブランド牛と違って値段もお手頃だし。

ていうか鏡餅やしめ飾りにバレンシアオレンジとか絶対に想像できんわ。日本人の意識として、ミカンとオレンジの間には越えられない壁があるような気がしてしょうがない。

牛肉とセットで押し売りされたこの果物も、オレンジジュースの濃縮果汁用みたいな、大量仕入れでドカンとお安い業務用として、産地が直接表に出ないところでしか流通できてない気がする。牛肉と同じ運命というか。まぁどっちも、そこいらあたりの安かろう云々の市場が最初から狙いだったのかもしれんけどね。これ、海の向こうの生産者は面白くないだろうなぁ。

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2009.5.6 水曜
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我が地元はどうか

じゃあ我が青森県の誇るリンゴはどうなのかと。

あのさ、前にアメリカ産のリンゴを食ったことあるのよ。丸まんまで。とりあえず見た目が赤いピーマンみたいなの、そこからどうにかしてほしかった。「日本の農産物は見た目なんかにこだわるぶんだけ無駄に値段が高くなってやがる」っつう批判があるけど、けどやっぱ見た目はいいに越したことないわ。やりすぎてそのぶん吹っかけ価格だとさすがにイヤだけどさ。

肝心の味ですが、これがどうも……うまくねえんだよ! 甘みが信じらんないくらい薄いのよ。リンゴの魅力は味と同時にしゃくしゃくした歯ごたえだけどさ、歯ごたえだけやたら勝ってるってのもなんだかヘンテコでさ。バランスって大事だね。てかケーキは歯が溶けるかと思うくらい力いっぱい甘くするくせして、なんでリンゴはこんなにストイックな味わいなのかねぇ。

友達が前に青森県産リンゴの販促に携わってたことがあったんですわ。それで海外にもたまに行ってたりして。んだからそのことを言って、アメリカ人に青森県産リンゴのうまさを思い知らせてやんないのか、と訊いてみたらですな、やってみたけどどうも案配よろしくなかったらしくて。どうもかの国では、リンゴってのは「安くてなんぼ」と思われてるそうで、高くてうまいリンゴなんかリンゴじゃないと思われてるらしい。文化の違いってやつですかこれは。

そんでがっかりしてたらさ、地元紙を読むに、ここ数年シンガポール、台湾、香港、中国本土の富裕層に青森県産リンゴが人気なんだそうで。ま〜中国本土は知らんけど、亜熱帯じゃリンゴは育たんから地場もの基準がないわけで、輸入するしかないわな。で、金持ちってのは金額以外のところに価値を見いだすわけで、高くても玉が大きくて味もいいっつう青森県産がモテてるんだそうな。ていうかあの手の人たち、値段が高い方が余計に買う気が出るっつう心理もあるからなぁ。

てことで、ようやく「分かる人には分かる」の相手を見つけた地場産リンゴでした、と。まだまだ取引額が小さいのが難点みたいだけど、このイイ感じが末永く続きますよーに。国内向けは買い叩かれて大変みたいなんで。

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かなり前、産地偽装に対して今よりもずっと大らかだった頃の話。青森県内のさらにリンゴの本場の人から、こんなことを聞いたことがあるよ。

「長野のリンゴ? ああ、あれなぁ、足りなくなると青森から買って『長野産』て書いた箱に詰めて出荷してんだぞ。そのくせして『長野産は青森産よりうまい』って言ってやがるんだぞ」

それ聞いたときちょっと信じられなくてさ。けど、このオッサンが言うには「よくあること」らしくて。要は「あいつらずるい」と言いたかったみたいなんだけど、何と言いますかそれ、立場が逆になったときは青森の業者もやってんじゃねーの?と言いますか。そこらへんどうだったんでしょうねぇ。今は食品の産地表示に関してはかなり厳しい時代になったから、さすがにもうやってないとは思うんですけどね。ええ。

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2009.5.7 木曜
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使途不明のブツ

「ナイフ」についてちょっと考えることがあったりして。

日本語で「ナイフ」と言うと、食器のナイフか、そうでなければアウトドアとか軍用とかの、使用と携帯に際してはちょっと注意を要する系のナイフって感じですか。あとまぁ果物ナイフもか。果物ナイフの話はちょいと置いとくとして。それとペーパーナイフもあるけど、あれはちょっとナイフとしてはキワモノ的なニオイがするなぁ。それと奥さんと札入れが……それはワイフと財布。……すまぬ。

「ナイフ」は英語の "knife" の意味ですな。で、本家の knife ってさ、「包丁」も含むのよね。これがどうも日本人のおいらとしては違和感を覚えてしまって。けど英語圏では全部ひっくるめて、そういう刃物は knife なわけ。そうなるとどういうことが起こるか。

用途不明のナイフ、というのが実在したりするんですな。食器にしては無駄によく切れそうだけど、料理用にしては小さいし、工作用にしても切れ味が悪い。アウトドア用にしても華奢すぎる、と。アメリカでそんなの貰ってしまって、一体何に使えば正解なのやら。それをくれたアメリカ人に尋ねても、真顔で「あのね、ものを切るのがナイフの役目だよ」という的を全然射ない返事。そのナイフは1回だけ使ったっけな。

白人用の履物ってさ、足の甲がやたら低く設定されてるんだよね。現地で激安で買ったビーサンがそれでさ。日本風に鼻緒が付いてるんだけど、履いてみるときつくてきつくて。んでまぁそれを調整するのに、靴底に飛び出てた鼻緒の支点の周りを件の謎ナイフで削って、その支点のポッチを靴底にめり込ませたのよ。そのぶん鼻緒が伸びてぴったし履けるようになって嬉しいなー、てなノリで。

そんでナイフの使い方はあれで良かったんだろか。作業中、食器をあらぬ使い方をしてる気分でとっても後ろめたかったっす。

ここらへんの西洋的「ナイフはナイフでしょ」感覚、日本でも「果物ナイフ」にその面影が残ってますわな。で、これには特に不自然な感じを覚えないってことは、やっぱ慣れでどーにでもなるってことか。

てゆーかアメリカってさ、オルファのカッターが全く普及してなかったんだわ。あの謎ナイフ、もしかしてカッター替わりだったのか?

銘板左端銘板銘板右端

"knife" の綴り、"knight" と並んでヘンテコな気がするけど、日本の平安時代の古文が当時の口語体だったのと同じく、英語もこの綴りが出来た頃はそういう読み方をしてたんだそうな。てことで knife は「クニッフェ」、knight は「クニーギヒト」みたいな読み方だったんだってさ。日本は近代になって言文一致を成し遂げたけど(これまた時代の流れとともに再びズレ始めてるらしい)、英語圏はそういう改革をやる気まったくなさそうですな。ただ、非正規だけど "through" を "thru" と書いたりもするっぽい。ZZ TOP の歌詞カードでそれあったわ。

銘板
2009.5.8 金曜
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営業スマイルで我が身を守る的な何か

ここ10年くらい、世の中はソフト化の方向に行ってる気がしてさ。過激なものがほんと見当たらなくなったというか。とりあえずテレビなんかの自主規制がかなり厳格になってきてるよね。性・暴力方面が特に。再アニメ化のヤッターマンもかなり毒が抜けたらしいし。キューティーハニーもそうだったのかな。このソフト化の流れはアメリカのテレビ業界が先行してたから、日本の業界はそれをなぞったような気がする。

ていうか、80年代までは PTA なんかがギャアギャア言ってたのに、テレビ側が対抗してエログロ方針を変えなかったんで、なんかこう、今はテレビが弱くなったってことなのかも。お行儀のいい方針はアメリカは先行してたとはいえ、80年代前半の時点で、当時隆盛を誇ってたポップミュージックの歌詞やプロモーションビデオが米国内で相当槍玉に挙げられてたけどさ。それでもそのときは路線を変えなかったのは日本と同じ。ていうかこの強気路線も米主導の日本追従だったのかも。

で、テレビ主導かどうかしらんけど、最近は一般社会もソフト路線だよね。ブッキラボーな言葉遣いをする人、ほんといなくなった。若い人は特にそんな感じがする。それはそれで社会が洗練されてきたってことなんだろうけど、若い頃にブッキラ社会を体感してきた世代としては、いささか寂しいというか。まぁおいらが生まれるもっと前はもっともっとブッキラだったわけで(昔の映画を見るとよく分かる)、おいらより年上の人からすると、おいらだって相当な甘ちゃんなんだろーとは思う。

っつうかこの日記もねえ、うん。おいらのくせに言葉遣いがかなりソフトなのよね。完全にネコかぶってるw こうした背景は何だったかっつうと、1998年に読んだ新聞記事。萩本の欽ちゃんがインタビューされててさ、長野オリンピック閉会式の司会だったんだよね。で、みんなに愛されるトークのコツとして、「言葉遣いは女言葉気味」とあって。ははぁ〜それが欽ちゃんトークの秘訣だったのか〜、と。したらばちょっと真似してみるか、と。そんで後に、この日記の「なのよね」言葉が生まれたのであった。そうだったそうだった。

で、今のこの風潮、若い人に言わせれば、「ネガティブな表現をしない」ということらしい。ネガティブになるとデフレスパイラルのようにどんどんネガティブにはまっていく、という悪循環が生じるんだそうで。あと、他の人にそういうのを伝染させないのも大事らしい。空気を悪くしない、というか。

まぁそれ大事だよね。おいらそれに自分で気付くまで相当かかったよ。今は自分で気付けなくても、世の中がそれとなく教えてくれるから便利なわけですよ。しかしまぁ(とまた余計なことを言う)これが世の主流になってしまうと、従わなかった/従えなかったときのペナルティがなんだか恐いんですが。村八分は当然来るとして、他にもっとすごいのが来そうな気がする。

結局、どんな報復があるか分からないから恐いってことなのかも。意外と何もないのかも。どうなんだろ。けどさ、なんかさ、「恐いから従う」ってのだとしたら、それもなんだかちょっと違う気がする。そうするとすごくイイからってのだったら分かるけど。ていうかおいら、実生活で最近すげーソフト路線なんすよ。いやもう昔からは考えられないくらい毒吐かなくなって。有害物排出量は基準値を大幅に下回っておりますのでご安心してお買い求めください。

別にこれムラハチにされるのが恐いからじゃなくて(確かにそれもなくはないけど)、そうすると周りから愛される、ということを実感してるからでして。愛を与えると、愛されるんですよ。あのいや、別に宗教とかじゃなくて。与えるのも与えられるのも、なかなかに気持ちのいいことでして。だったら毒吐くのはなんにもならん、という心理状態でして。

けど毒吐きたいときもあらーな。

こないだちょっとさ、冗談だったけどやさぐれた台詞を吐いたらさ、「ゆんずさんがそんなこと言うなんて……」と絶句されたことあって。そう思われてたとは、ちょっと嬉しかったけどちょっと orz だって偽善者だもん。

そこで、毒を吐ける相手かどうかってことで、その人その人との距離感をまた測り直したりして。昔はとりあえず毒を吐いて反応を見て距離を測ってたけど、最近はそれだと乱暴だから、まず毒を吐けるかどうかの距離を測る必要が出てきたってことか。めんどくさくなったなぁ。けど人を不必要に嫌な思いにさせないから、やっばそれはいい方向性なのかな。

そういやさ、おいらそうやって近頃にわかにソフト路線なわけだけど、それで増長するやつがまったくいない。今気付いたけど、これって昔と決定的に違うわ。昔はそんな感じで鼻持ちならなくなって暴走するやつが往々にしていたもんだから、普段から(今から考えると)結構キツいこと言い合って牽制し合ってたんだよね。ご多分に漏れずおいらもその傾向あるし。

となると結局、21世紀のソフト化社会は洗練されたかのように見えるけど、人間関係はやっぱし緊張で保たれてるってことで、本質は案外変わってないってことかも。

っつうか今思いついたけど、1980〜85年あたり、世の中は人の性格を「明るい」か「ネクラ」かで分類する風潮があったんすよ。「ネクラ」は「根が暗い」でさ、今で言うと「ネガティブ」。ちなみに後を追うように「ネアカ」(根が明るい)という対義語も出たけど、オヤジ向け週刊誌が安易に作ったダサイ言葉だったらしいし語呂もおかしいんで、おいらはいまだにその言葉の存在意義を認めたくない(その後も、流行した漫画『オバタリアン』に対して「オジタリアン」という言葉まで生まれてしまった。このセンスのなさ、どうにかなんなかったのかね)。

んで当時、ネクラな人はなにかと忌み嫌われてたんですよ。一時的に落ち込んでる人も「暗いなあ。もっと明るくなんなきゃ」と無理にテンション上げさせられたり。いやこれほとんど暴力ですからw 落ち込んでる人、テンション上がんない人って、話を聞いて気持ちを分かってあげたり、そうじゃなきゃそっとしといてあげるのが一番いいんだよね。

てことで、ほんとはネクラな人も、気の置けないはずの人たちの前でさえ明るく振る舞う必要がでてきてさ。作り笑い社会というか。なんかね、今、その流れがまた戻ってきてるよーな気がしてしょうがないんですが。営業スマイルって本来は物を売りつけるためのものだったのに、今は自己防衛用として偏重されて重宝されるようになったというか。

「偏重されて」なんてちょいとシゲキ的な言葉を使ったものの、おいらの基準だって自分の子供の頃そうだった気がするってだけで、時代ととも変化したってだけで。世の中の雰囲気ってのはずっと昔からそのときそのときで変わり続けてきたんだし、これからもそうなはずなんで、いちいち文句付けたってなんにもならんってことか。そうだったわ。うんうん。今危うく、そこらによくいる愚痴好きウザオヤジになるとこだったわ。

ただ、今回のネガティブを忌み嫌う風潮は、80年代前半のネクラがどうたらとかああいうノリと似てるんで、今回はどこが違うのかを観察させていただきましょうか。本質的に全く同じなら、この四半世紀で何の進歩もなかったってことになっちゃうよね。それではちょいと哀しいのです。時代が下ったなりの、21世紀なりの洗練を見せてほしいのです。

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現代のネガティブ忌避が80年代前半のネクラ忌避と同じ展開になるとしたら、なんてーか、みんな、人としてあるべき自分の姿を追求して、そう装っていくにつれてその許容幅がどんどん狭まっていって、となりそう。そんなすっかり狭くなった許容幅から踏み外さないよう、作り笑いの仮面の下でとにかく必死になって取り繕う毎日、みたいな。

首相でさえ「我が家は中流家庭」と言わざるを得なかったあの頃みたいに、いったん堕ちたら立ち直るのが極めて難しい、一層の競争社会になったってことになりますかね。

銘板
2009.5.9 土曜
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バグってたです

あ、あれ? 1月分の日記、自動生成 JavaScript がなんだか誤作動してることに今気付いた。

記事へのリンク用の URL 表示が全部、

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みたいになってる。ファイル名の「htrgtr0801.html」、ほんとは「htrgtr0901.html」のはずなのに。

自動生成 JavaScript のバグの大体の様態は分かるわ。けど今直すのマンドクセ。だって同じ症状が出るの来年1月だもん。あと半年以上あるよ。まぁそこらはテキトーにぼちぼちやってくことにしますか。

とりあえず1月分の日記書類を直すとするか。

銘板左端銘板銘板右端

てゆーかやってみたらあっさり直っちゃったわ。こんなのに今の今まで気付かなんだとはなぁ orz

銘板
2009.5.10 日曜
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朝日 GJ

かなり古い(去年の2月の)話。

朝日新聞が日曜版で、Vocaloid 特集を組んだのよ。これがその記事

この記事を知ったとき、そりゃあもう感慨深いもんじゃったよ。Vocaloid に関するそれまでの誤解と偏見に満ちたマスコミの扱いの中で、状況を的確に報告しとったもんで。そうそう。事の本質は、日本中のアマチュアたちが一斉に才能を開花させだしたってことなんですよ。

その中心の DTM は歴史が長いから、無数の曲の無数の作者さんの中でそんなに数は多くないにしても、プロと遜色ない出来の作品を出しちゃったりもして。そうじゃなくても、今現在の時点までに見る見る腕を上げてきた作者さんあり、商用になりにくい独自世界を築き上げた作者さんあり。

この記事が出た2008年2月とゆーと、初音ミクが発売されて半年くらい。ボカロ界隈はまだまだ立ち上げ期だったはず。それでも既にこの頃、この盛り上がりは一定の完成の域に達してたんだなぁ。早い早い。

記事で触れてる PV(プロモーションビデオ)もすごいの目白押しだしね。初めは遊びやおふざけ色が強かったのに、今はクリエイターの方々が本気の力作を提供してくれてる。まぁ遊びとおふざけもいまだに隆盛で、しかも切れ味が増してるけどさw ていうかアマチュア活動だから、基本が遊びなんだけどさ。

よかったのは、世に出ていい方向性のものが主流になって、反社会的なネタや活動がアンダーグラウンドに引っ込んでくれたってこと。アングラだって表現のひとつなんだけど、それでしか表現できない/しない人たちもいらっしゃるんだろうけど、自分たちの立ち位置を分かってくれてのことだと思う。世の中が受け入れてくれそうなジャンルに対して、変に意地を張らずに花を持たせてくれたんだと思う。

そう考えると、なんとなく疎んじてたアングラ系の人たちの幸せを願わずにはいられない気分になったりして。

っつうか記事、基本はミク主体だけど MEIKO にも脚光を浴びせてくれたのが、MEIKO ファンとして嬉しかったり。あの声の張りはいまだにボカロ最強(だとおいらは信じてる)。

そういえば くらP の『月の詩』を知ったのはこの記事でだった。以来、ときどきニコニコで『月の詩』を訪れては涙してるよ。

朝日新聞、なかなかやるよなあ。

以上、かなり古いネタどした。

銘板
2009.5.11 月曜
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逆襲の F-15

久しぶりに覗いた Technobahn で、ちょいとアレレな記事 を見つけたよ。

新聞紙上で最近話題になってる自衛隊の次期戦闘機、F-22 を選ぼうとしたらメリケンさんからは F-35 を強烈に押されてて、押し切られて決まりかと思いきや、F-15 のリニューアル版(F-15 SE)も候補に挙がっちゃってたとは。

F-35 ってかっこいいにはいいんだけど、まだ実践配備されてないね。Wikipedia によると2012年にアメリカでデビューだそうで。目玉は、旧西側ではイギリスのハリアー以来の垂直離着陸(VTOL)機能。野心的だし外野としては面白いけど、デビュー前だから、大量に常時運用して初めて出る不具合がどんなもんなのか全く分からんのが恐い。VTOL は便利そうだけど、普通に飛んでるぶんにはその機構がデッドウエイトになるのが気になりますな。

てことで日本としては運用実績がある F-22 が欲しかったわけで。量産設備が既に稼働中なのと VTOL 機構がないぶんだけ安いだろうし、運動・積載性能もいいだろうし。っつうか自衛隊の運用で VTOL が必要な場面ってあるのか? まぁ災害対応で、マッハで現場に駆けつけてホバリングで現状を視察するってことはできそうだけどさ。バードル型のヘリより小さな胴体に荷物をトン単位で積めそうだから、被災地への荷役にも使えますかねえ。けど一番大事な、有事の戦闘シーンじゃあんまし使わなそうな気がする。

アメリカが必死で F-35 を売り込んでるのは、まぁこれから量産するのにバックオーダーを抱えて安心したいってだけな気がする。ここは日本政府、メリケンの旦那のパワープッシュに流されないで、自国での戦闘機の使い道をよく考えた上で決めてほしいとこですな。おいらとしては F-22 でいいと思うけど。と思ったら、Wikipedia の「F-X (航空自衛隊)」だと、「生産中止に追い込まれる可能性が濃厚になったことから、本機の導入はほぼ絶望的と見られる」なんだそうで。ふーん、こいつダメなのかー。

そしてそこで現れた第3の選択肢が F-15 SE。しかしこれ反則だよなぁ。古い戦闘機のお化粧直しだもん。けど運用実績バリバリ。新規設計じゃないから技術的に枯れてる部分も多くて、信頼性も保証済み。トレンドのステルス性能は最新鋭機並み。しかも値段は恐らく F-22 より安い。すげー魅力的じゃないですか。斬新さがないからあんましシャキッとしない感じではあるけど、今日日はコストパフォーマンスは大事だからねえ。

なんたって国産の F-2 支援戦闘機が廃止に追い込まれた理由が「単価が高いから」だったからね。しかし F-2 の配備を始めてしまってからその議論が蒸し返されたってあたりに、なんだか背景のドロドロを感じますですよ。そんなん生産前から分かってたことじゃん。日本は武器輸出しない国なんだから、国内市場しかなくて量産効果が上がんないわけだし。なんか政治が筋を曲げたっぽいなぁ。

まーそんな感じで相変わらずゴタゴタしてるみたいだけど、要はボーイング(F-15SE のメーカー) vs ロッキード・マーチン(F-35 のメーカー)の争いみたいだね。そんでどっちを日本に売りつけるか、そこらでアメリカ政府の袖を引っ張り合ってるってことらしい。いやそれなんか違うでしょ。お客様は日本政府、使うのは自衛隊なんだから、両社とも自国の政治家頼みにしないで、ちゃんと日本政府と自衛隊に自社製品の優秀さをプレゼンして決めてもらえよ。結局どっち買ったってアメリカ政府は同じように助かるんだから、利害の外にあるアメリカ政府に働きかけても、自分の会社のためにも顧客のためにも、なんにもならんと思うぞ。

とりあえずライバル社同士の健全な競争があれば、買い手としては選択肢が増えていいことではあるけどさ。ていうかもうこんなヘンテコなごたごたやらかす国なんかもう見限って、ロシアかヨーロッパからいいものを安く買うってのどうよ。そうなると売り手さんたち、アメリカべったりで諦めてたお客さんが振り向いてくれたってことで、嬉しくてかなり大サービスしてくれそうな気がするよ。

銘板
2009.5.12 火曜
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あの由来

昔のゲン担ぎでさ、火打ち石で火花を飛ばすのってあったじゃないの。今はさすがに火打ち石を持ってる人なんてそうそういないから、シャレでその真似したりしてさ。

あれってなんでゲン担ぎなんだろ、と思ってたけど、こういうことかな?

「カチ、カチ」=「勝ち、勝ち」

実際どーなんでしょ。

銘板
2009.5.13 水曜
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アイドリングストップ運動に追い討ち

2005.3.8 で、アイドリングストップ運動はあんまし意味ないんじゃないかってことを書いた。停車中のアイドリングを止めて燃料を節約すること自体はある程度意味がありそうだけど、今走ってるクルマの多くがそれに対応してるわけじゃないんで、無理があるのよね。対応車種ならいいんだけども。

そこで今日はもうちっと追い討ちかけてみようかと。

エンジンを止めるとですね、止まってても大事な機能で、効かなくなるやつがあるんですよ。とりあえずエアコン。これはすぐ分かる。けど信号停車の1分くらいなら何ともないわな。

次にパワステ。これも、どうせクルマが停まってるんだからどうでもいいか。その次が大事。

ブレーキの倍力装置。これどう考えてもヤバいでしょ。ブレーキのパワー源が運転手の足の力だけになっちゃうんだもん。頼りないって。人力だけと言えばサイドブレーキ。あれほんと弱いよね。ちょっとした坂道での停車でも、ギアをニュートラルにしてサイド引っ張っただけだと動いちゃうもん。

足の筋力は腕のより強いとはいえ、せいぜい3倍程度。例えばおもっきし追突されたときにブレーキ踏みしめてたとしても、エンジンかかってるときより移動距離が延びちゃうよ。

車重1トン2トンの乗用車ならまだしも、10トン20トンのトラックだのバスだのになると、おいそれと倍力装置を手放せんと思うのよ。そこらへんの重量級がアイドリングストップやると節約効果がかなり上がりそうなんだけど、そう簡単にはいかんってことだね。うん。

アイドリングストップやろうやろう勧めるのはいいけど、今のクルマで無理にやる場合、未解決のデメリットがけっこう山積みのような気がするわ。

銘板
2009.5.14 木曜
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アイドリングストップ実践の結果

前の職のとき、営業車で夏場に、信号停車ごとにアイドリングストップやってみたことあるよ。結果。数日後バッテリーが死んだ。もともと7年くらい使い込んだバッテリーだったけどさ、それにしてもあれには参ったよ。交差点手前で立ち往生だもん。迷惑かけちまったなぁ。しかもそのバッテリー、寒冷地特別仕様のでかいやつでさ、買い替えたら2万円だったし。イエローハットで交換してもらって、高かったんで古いやつの廃棄代をタダにしてもらったのはちょいとだけ嬉しかったけどさ。

夏場を選んだのは、それを思いついてすぐやってみたからってのもあったけど、気温が高いとバッテリーが上がりにくいからっつう読みもあったんだわ。見事に裏切られたわ。結局、青信号ごとのスターター始動で使う電力量が、走ってるときのオルタネーターからの蓄電量を上回ってたってことかと。こうなるまで数日かかったけど、冬場だったらもっとすぐイッてたろうなぁ。

てことで、理想と現実の間には得てしてこうゆーギャップがあるんだよねってのが今日の強引なまとめ。

銘板
2009.5.15 金曜
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Megpoid

新ボーカロイドが6月末にデビューですなぁ。インターネット社製の Megpoid(メグッポイド)がくっぽいどに続く第2弾ですなぁ。

がくぽは本物のボーカリスト(Gackt)を起用したけど、今回は声優の中島愛(めぐみ)。んー、なんかこう、日和ったみたいな感じがするんすけど。クリプトンのキャラクターボーカルシリーズにコンセプトが近くなったよね。がくぽもキャラ絵「神威がくぽ」を決めて参入したから、もともとそうだといえばそうだけどさ。

詳しくは知らんけど、中島愛は『マクロス F』の登場人物ランカ・リーの声優さんだそうで、このランカの絵柄、Megpoid のキャラ GUMI と似てるらしい。服や髪の色とかが。ちなみに GUMI を描いたのはゆうきまさみ。最近になって Vocaloid 曲にハマったそうな。がんばれよ我が後輩(何の?)。

今、画像検索でランカを見たけど、いやもうこれ絶対狙ってるでしょインターネット社御中。声優とその出世作とを、今度の製品にわざとかぶせてるでしょw もーなんだかモロ出しの便乗根性と売ランカな精神。Megpoid がちょっとかわいそうになってきた。

けどまぁ最近は芸能界でもキーワードは「なりふり構わない売り込み」。いや、昔から芸能界はなりふり構っちゃいられなかったらしいけど、近頃はその必死さが視聴者に見えちゃってるもんなぁ。お笑い芸人は言うに及ばず、グラビアアイドルも明らかに一発狙いで供給過剰だし。

平和だったはずのボカロ界隈も、「健全な競争原理」発動で世知辛くなったってことかも。後発参入組は当然の如く、まさになりふり構っちゃいられない売り込みをかけますわなぁ。いやまったくセオリー通り。

おいらとしては、それで作られたナイスな曲を聴ければ何の文句もないはずなんだけど、なんかどうも商売的にいささか引っかかるものを感じてしまって。独自性の薄さかなぁ。この製品で何をしたいのかがイマイチ弱いような……。クリプトンは初音ミクの開発に際して、キャラクターボーカルっつう概念を作り出して、それまでボーカリストの声を使ってた Vocaloid に声優を起用するっつう荒技を繰り出した。同時にキャラ絵にも力を入れた。その2つの新要素の絶妙な組み合わせが、その DTM ソフトを予想をはるかに超える大ヒットに導いた。

そんで、前からあった MEIKO と KAITO もたまたまキャラ絵を設定してたもんだから(ミクのアイディアに到った助走になったかと)、製品群はファミリーとして客に受け入れられて、鏡音リン・レン、巡音ルカとシリーズ製品を追加するごとに盛り上がっていった。

インターネット勢も、第1弾のがくぽじゃ何も問題を感じなかったよ。「おお、乗ってきた会社が現れたぞ!」と、なんだか嬉しかったぐらいにして。とにかく新規参入してくれればそれで良かった。そんで今回の Megpoid。デモソングを聴いた感じ、製品としてしっかりしてるっぽい。そこは嬉しい。嬉しいんだ。けど商売の仕方にもうちっと独創性を感じさせてほしかったよ。

がくぽのときは、本物の超有名アーティストを起用、しかも Vocaloid2 で初の大人の男声、キャラ絵は和風ってのが新しかったんだけど、今回はコンセプトに特に新しさを感じさせないわけで。だったら GUMI の服も和風にすれば、がくぽとうまくシンクロできたんじゃないかとか思ったり。

クリプトンはそこらへんうまいというか超真剣というか、いちいち血と汗を流してる。

1作ごとに製品としての新要素が盛り込まれてる。つまり果敢に冒険してるってこと。これがそのまま各製品の個性になってるわけで、冒険の対価を十分に得てると思う。クリプトンにとって一番でかかった冒険は、やっぱミクだろうなぁ。開発時のメーカー公式ブログを読むと、その斬新すぎるコンセプトに、開発者がかなりの不安と抵抗を覚えてたのがよく分かるよ。

で、Megpoid。なんかこう、かなり安全寄りな感じがして。まぁ会社としては、今は地歩を固めるべき時で、まだ冒険する頃合いじゃないってことなのかもしんない。で、後でものすごいことを企んでくれてるんだったら、おいらはすごく嬉しいなぁ。てことで、「Megpoid は貴重なる捨て石として世に出された」てのがおいらの読み。

しかし、もしかして地歩を固める目的が「自社製品でのファミリー化」だとしたら、やっぱクリプトンの真似ってことになっちゃうわけで。そこらへん、インターネット社のこれからの展開に注目ですな。

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ニコ厨の皆さんがもうツッコミ入れてるけど、GUMI の配色、FL Chan(FL Studio とゆー DTM ソフト製品のイメージキャラ)ともかぶってるよね。独自性を薄く感じるのはこれもあるかも。

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サブタイトル的な文言に「アーティストボーカル」とあるんだけど、なんかこのあたりにもパッチモン臭さを感じてしまうなぁ。てか「アーティスト」と「ボーカル」ってこの場合ほぼ同じ意味じゃ……?

銘板
2009.5.16 土曜
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心神

日本が独自に戦闘機を開発中だそうで。最近ようやく知ったですよ。

その名も 「心神」(← Wikipedia 記事)。

いや、性能すごそうなのはいいんだけど、正式デビューまでにこのヘンテコな名前どうにかなってくんないのかね。とりあえず画像でも。右のは明らかに個人様の画像で、勝手に使ってしまって申し訳ありませんけど、機体を俯瞰で見たものが他に見つからなかったもので、ひとつどちら様もご容赦くださいますようお願い申し上げます。

ぱっと見た感じ、アメリカの戦闘機に似たようなのあるなーって感じ。F-22 ラプターかな。てゆーか標準的な形とゆーか。ヨーロッパ製やロシア製にもこういう外形はありそう。この手の戦闘機は日本が独自に作るのはほぼ初めてだろうから、例えば概念設計を普通に煮詰めてこの普通の形になったのだとしたら、それはそれでいいんじゃないかと。確かに戦闘機は勝てなきゃ意味ないんだけど、最近の戦い方だと、空中戦よりも地上施設を叩く攻撃機としての意味合いが強いような気がして。それならオーソドックスな設計でも、要点を押さえてりゃいいんじゃないかと。

と思いきや、外観以外に野心的な装備があったわ。推力偏向できるのかー。強烈な運動性が得られそうねえ。そこらは戦闘機としての面目躍如ってことかな。

エンジンまで国産なんだね。欧米産かロシア産でお茶を濁すかと思ってたら。やるなあ。ケツにボリュームがある気がするのは、エンジンがごっついってことなのかな。

国際情勢も変わりましたな。80年代、日本が独自に支援戦闘機を開発しようとしたらメリケンさんから横槍が入って、日米共同開発の形で F-2 ができた。共同開発とはいえ既存の F-16 を改造してみましたみたいな感じでさこれが。外観と運動性の目玉のはずだったカナード(前翼)が廃止になったこともあって、見た感じ F-16 と区別がつかんかった。

オリジナル技術として、主翼部材をカーボン左右一体成形で強度大幅アップ&大幅軽量化で運動性の飛躍的向上、というのがあった。開発に何とか成功してめでたいんだけど、かなり難航してようやく出来上がったっぽい。そこらへん、日本の航空宇宙開発って最先端技術開発の見込みが甘めだよね。

てなわけで、実は F-2 はアメリカの下駄を履いてやっと完成した、とも取れそうなんですよ。それが今や、日本が最新鋭ステルス戦闘機を自力開発だもんな。それにしてもよくアメリカさんも許してくれたよ。20世紀だったら開発を政治的圧力(つまり恫喝)でぶっ潰した挙げ句、アメリカの戦闘機を無理矢理売りつけてるとこだぞ。

19世紀から20世紀いっぱいまで続いたメリケン旦那の黒船体質、いつの間にか鳴りを潜めたってことですかね。ていうか F-22 はステルス技術が禁輸ってことでアメリカの方から外国に売るのを渋ってたのか〜。それに F-22 は生産終了が決まってるし。それで心神の独自開発に到ったのか〜。そーだったのか〜。で、アメリカさんとしてはやっぱし自分とこから買ってほしいもんだから、今はまだ完成してない F-35 の売り込みに必死、と。

しかし F-35 もステルス機能があるはずだから、やっぱし禁輸に引っかかる気がするんだけどそこらへんどうなんでしょ。メリケンさんとしては日本が自分で作った戦闘機を持つことでは何もいいことないはずだから、結局は自分の技術の高さゆえの自家中毒で、海の向こうで心神の開発が進むのを指をくわえて見てるしかないってことですかね。

それにしてもさ、「心神」って名前、ほんとどうにかならなんのですか。「しんしん」って発音するとなんかもう全然強くなさそう。上野のパンダの名前かよ。そういや「しんしん漬け」って漬け物があったっけ。漢字もあまりにも観念的というか。具体的にイメージできるものがないんですけど。

てかさっき「心神」で Yahoo! 画像検索かけたら、結構な割合で水着のセクシーねえちゃんの画像が出てきてさ。見てみたらどれも中国語サイトから引っ張ってきた画像で。中国語でそっち方面の意味があるんでねーの? だったとしたら、ほら、仮想敵国ってわけでもないことになってるだろうけど、中国にも睨みを利かせなきゃなんないのが日本の自衛隊でしょうが。一応親方のアメリカの敵なんだし。その中国人に笑われる名前だったとしたら、戦闘機としてどうよ。存在意義を無駄に目減りさせる名前なんじゃないかとか。

「くらま」や「あかぎ」みたいな和名じゃだめなんですかねぇ。それだと艦船と区別付かんか。船がひらがななら、戦闘機はカタカナならどうだろ。いっそ「スサノオ」だと純和風だしすげー強そうなんすけど。あと「ノブナガ」とか。「ヨシツネ」とか。最強の零戦パイロットから「サカイ」もいいかも。

銘板
2009.5.17 日曜
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死亡フラグ

こんなに発見されてるのか〜

どいつもこいつも、なんか分かる。てことは、それぞれを今まで、パターンとして認識できるくらい繰り返し見させられ続けてきたってことだよな。

おいらも含めて、こいつらが死亡フラグとして共通の話題が成り立つくらい「分かるよー」と共感できる人って多いわけで、我々は生まれてから今まで、小説やテレビや映画で、どんだけの量のストーリーに曝されてきてるんだろ。

それを考えると軽くめまいがするですよ。

しかしかまぁこういうふうに、どこぞの頭の観客たちが「ベタな例」としてまとめて「死亡フラグ」なんて気の利いたネーミングまでして巷に広めてしまうと、ストーリーの作り手の皆さんは仕事しにくいだろうなぁ。

銘板
2009.5.18 月曜
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だぜ語

「○○だぜ」

て言葉をフツーに使うと

よく冷やかし気味に「かっけー!『○○だぜ〜』」

とか言われるんすけど

変かなあ

普通使わないんかなあ

忌野清志郎を聴きすぎたかなあ

ベイベェそこが疑問だぜ!

今さらながら合掌 (-人-)

銘板
2009.5.19 火曜
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日本がガンダムになるとき

半年ほど前、宇宙航空研究開発機構(JAXA)の冊子を人づてに貰ったのよ。JAXA's 022 っつうやつ。まぁ公式サイトで PDF 形式で配布もしてるんだけど、見開きで出してるもんだから17インチモニタだときつくてさ。んだから紙の冊子はありがたいのよ。

そこでですね、『月・惑星探査プログラムグループの活動』の記事で、これからのそこらへんの活動計画やら構想やらが図解で載ってた。おお、これは分かりやすい。今まで個別で知ってた事柄が一気に理解できたあるよ。その図は以下。

月・惑星探査プログラムグループの活動

流れが3つあるね。

大きな流れのひとつは小惑星探査。「はやぶさ → はやぶさ2 → はやぶさ Mk-II (Marco Polo)」。はやぶさプロジェクトは機器の運用がまだ続いてるけど、現地での探査は世界最高水準でやったわ、惑星間航行技術は当初の予定外にものすごく習得できたわ(←こっちが工学実験探査機はやぶさの主目的)で、大成功と言っていいかと思う。人気も今までの衛星や探査機になく上々だし。

はやぶさ2は はやぶさ と基本的に同じ構造・スペックで、別な種類の小惑星を狙う。「はやぶさ Mk-II (Marco Polo)」は性能アップ版で、また別の小惑星をさらに詳しく調べ上げる。それぞれのデータを比べることで、小惑星をより深く理解できる。小惑星は「始源天体」と言われるもののひとつ。太陽系ができた頃からあまり変わらない組成を保ってると考えられてる。てことで、太陽系の生い立ちを現物から推測できるってわけだ。データが足りないせいでそこはいまだに諸説入り乱れてる状態なんで、モノホンのデータがあれば、そいつらをふるいにかけれる、と。運が良ければひとつに確定できる、と。そこからまた新たな謎が生まれるのが科学の常だけどさ (^▽^;)

他の2つの流れは、90年代の火星探査機 のぞみ が母体になってるね。で、流れの片方が水星と木星の探査。水星探査計画ベピ・コロンボはヨーロッパ宇宙機関(ESA)との共同ミッションで、それぞれが探査機を作って一緒に打ち上げて、水星の衛星軌道に入ったら分離。それぞれに積んだ別種のセンサーで同時観測してコラボ効果を狙う。

日本側の水星探査機(MMO)は磁場の調査が専門。日本は伝統的にこれが得意で、もともとは地球の磁場を観測する衛星で技術を磨いた。火星探査機 のぞみ も磁場センサーを積んでたから、のぞみ から発展した計画、ということになってるんじゃないかな。で、その先は木星の磁場探査。日本の宇宙開発は、国の政策として宇宙機には放射性物質を載せないことになってる。プルトニウムやウラン235みたいな超ヤバいやつ限定のような気がするけど、詳しくはおいらよく知らない。すまぬ。

で、そうなるとどうなるかっつうと、原子力電池 を探査機に積めないんですよ。普通、宇宙機の電力源は太陽電池。地球のひとつ外側の火星や、もうちっと外側の小惑星帯までならそれでどうにかなる。で、もっと外側の木星とか土星とか天王星、海王星、冥王星やさらに向こうに行く場合、太陽の光が弱くて太陽電池の出力が落ちるんで、別の電源が必要。そこで重量とサイズあたりでダントツに効率いいのが、放射性物質の崩壊熱から電力を作る原子力電池なんですよ。けどさっきも言ったように、日本の宇宙開発じゃポリシーとしてこいつを使わない。

それでも頑張れば、電源は太陽電池のみで木星までは行けそう、と研究チームは見積もったわけです。なかなかの根性じゃないですか。ちなみに実際に、小惑星までの探査機は太陽電池でどうにかなってる。はやぶさ なんか小惑星帯で電力駆動のイオンエンジンを動かしてるし(イトカワは地球近傍小惑星だけど、遠日点が小惑星帯の内側のあたりにかかってる)。通信や制御をしつつ動力用の電力まで賄えてるんですな。てことで、踏ん張って木星まで太陽電池だけで行ってみよう、ということかと。これが実現すれば、惑星間航行のかなりの快挙になりそう。

3番目の流れは、地球のお隣の惑星2つ、金星と火星の探査だすな。金星探査機 PLANET-C は来年打ち上げ予定なんで、機体はもうほとんど完成して、各種試験を受けてるあたりじゃないかな。打ち上げは大型ロケット H-IIA で。もともとは M-V という中型ロケットで打ち上げるはずだったんだけど、M-V は政治的な横車が入って潰されちゃってさ。そんで競合するはずだった GX ロケットは今、開発中なんだかポシャってるんだか。いやいや、GX がモノになってから M-V を潰したって良かったろうに。早まったことをしてくれたぜ。

で、PLANET-C が乗るロケットがなくなってしまってあてがわれたのが、無駄に大きい H-IIA。もったいなさすぎるというか。けど国内にはもうこれしかロケットないしな。海外のちょうどいいサイズのロケットに打ち上げを委託するのも手だったけど、探査機みたいな超精密で高価かつハイテクの塊な一品ものってのは、国境を越える手続きが尋常じゃないらしい。輸送も難しそうだしね。てことで、国内で打ち上げるのが一番都合がいいのよね。

話を戻して金星探査。PLANET-C は現地に着いたら金星の衛星になって、主に大気を調査する。金星は別名「雲惑星」と呼ばれることもあるそうで、その分厚い雲と超高密度の大気が科学者の興味を引いてる。んでこれがまた未だに解き明かされてない謎が多いらしくて。客受け的には着陸した方が派手な感じではあるけど、それだとその場所1カ所の局地的な観測しかできんのよ。今はそれよりも、衛星軌道から金星全体の大気の謎を解く方が重要度が高いらしい。もちろんお家芸の磁場探査もするそうで。

その次の PLANET-X は火星大気の探査。これ、のぞみ のリターンマッチだよね。日本初の本格的な惑星探査機のぞみ は、打ち上げからしばらくは問題なかったものの、火星までの行程で経験不足から来るトラブルに次々と見舞われた。その度にチームの英知と努力でしのいできたけど、ついに火星に届かなかった。その貴重な経験が はやぶさ を小惑星まで見事に導いたわけだけど、やっぱし宇宙科学研究本部、もう一度火星に挑戦したいんだろなぁ。

今はまだ計画名に "X" と付いてるくらいだから構想・研究段階なんだろうけど、こうして資料が一般に公開されたってことは、火星大気にまだ世界の誰も答えられてない謎があって、自分たちの技術でそれを解くデータを取れるっつう見通しがあるってことでして。そうか。のぞみ の志はまだ死んじゃいなかったか〜(感慨)。

別な観点からだけと、政治的なアレもあったりして。火星探査機はほとんどアメリカ製が占めてる。あとヨーロッパが周回機で1機成功してる(同時に持っていった着陸機は失敗)。現状じゃパワーゲーム的にですね、火星での政治勢力はアメリカ偏重なんですよ。で、ヨーロッパも一応権利ないわけじゃないですよみたいな。しかもアメリカはブッシュ政権の頃から有人火星探査構想まで打ち出してる。オバマ君がどう処理するかまでは知らんけど、なんかこう、火星の将来的な権利を自分のものにしようっつう下心を如実に感じるわけですよ。

これを牽制するには、今のうちに探査機を打ち上げて火星に関する独自データを確保して科学的成果を挙げとく必要があるわけですよ。ヨーロッパはそれに成功した。あとは間隔が長くなっても継続して探査機を送り込めば、まぁある程度安泰かと。日本はまだ現地データを取れてないから、その意味ではゼロと同じ。ここはひとつ、21世紀後半や22世紀で日本が宇宙活動をしやすくするためにも、今のうちにぜひとも火星に1機送り込んどいた方がよさそうなのよね。

てな感じで、日本の惑星・小惑星探査の将来構想はほんと、水星から木星まで全部をまんべんなくカバーしてるわけですよ。けど全部実現できるかどうかは謎。探査機の開発が難航してポシャるかもしんないし(過去に月探査機 LUNAR-A がその憂き目に遭ってる)、打ち上げに失敗するかもしんないし(地球外の探査機ではないけど、科学衛星でそうなったことが3回ある)、運用中に致命的トラブルに見舞われるかもしんない(のぞみ と はやぶさ が直面)。

他にも、日本の探査機計画は予算不足からかなりの長期間がかかるんで、他国の探査機に先を越されて意味がなくなったりもするかもしんない。政治的な横槍が入って(今までの例だと、国際宇宙ステーションと情報収集衛星の両計画ですな)、立場が弱い宇宙科学がますます予算で割を食わされるかもしんない。不確定要素いっぱいなんだけど、ここはひとつ予算確保あたりから頑張っていただきたいところです。こんな「頑張れ」と言葉で応援する程度しか思いつかない自分が情けないけどさ。

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「1計画あたり何百億もの国家予算を、役に立たんそんなものにぶち込む余裕などない。国には他にやることがある」という意見も確かにあるけど、ここはひとつブライト艦長がアムロに言った言葉を思い出そう。

甘ったれるな!
ガンダムを任されたからには貴様はパイロットなのだ!
この船を守る義務がある。

日本という国は今、ホワイトベース(地球)が擁する最強のモビルスーツ ガンダムなんですよ。乗り手の日本人には、他の多くの人々が今はまだできないことを率先してやってのける義務があるのですよ。なんか、宇宙分野での日本の振る舞い、すごい素質があるし、その片鱗を見せて期待もされてるのにグズってなかなか踏ん切れないってとこ、妙にアムロとかぶるなぁ (^_^;)

てことで、ここはかけ声だけでも景気良く行きますか。

アムロ、ガンダム、行きまぁぁぁぁぁぁす!!

……君は、生き延びることが、できるか。

銘板
2009.5.20 水曜
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センス・オブ・ワンダー

最近 「センス・オブ・ワンダー」(sense of wonder) っつう言葉を知ったよ。Wikipedia にはなんだか要領を得ない説明しかないね。で、この言葉で検索して他のサイトやブログなんかで調べたら、今度はクドすぎてよく分かんなかったりw

要は、何かに対して感動を伴った感想を持つってこと。

感動や感激とともに、その前後で考え方や世の中の見え方が変わるほどの考え方や感性を、植え付けられたり呼び起こされたり、ってこと。こまっしゃくれて言えば、物事の裏側や向こう側にある真理を思いがけず垣間見たときの気分というか。

日本語だと「啓示を受ける」あたりが近いのかもなぁ。もっとフツーの言い回しだと「感化される」とか? んで、良質な SF 作品に触れたときの感覚として使われることが多いみたいだけど、そういうことならけっこう日常生活でぽつぽつある気がする。人生観が変わるほどのものはそうそうないけど、同じベクトルでちんまいやつならわらわらあるでしょってあたりで。

調べてる途中に出くわしたブログか何かでは、どうも「このセンス・オブ・ワンダーを体験したことないやつは、敢えて言おう、クズであると」みたいな感じで選民思想っぽかったり。「きっとそれは理系の人にしか分かんないんでしょ、どーせ私は文系でござーますですよヘイヘイ」なんて、文系を名乗るくせに、言葉の意味をろくに理解しないまんま決めつけてひがんでみせたり。なんかちょっと違う気がして。いやいや、さっきも言ったけど、小さいものなら日頃からよく経験してるでしょ、と。「おお〜そういうことか〜」みたいに。

けどやっぱし衝撃を伴わないとなー、という向きもあるかも知んないけど、よく来る小さいのにちゃんと気がついて受け止めてないと、いざでっかいのが来たときに気づかずに逃してしまうような気もするなぁ。てゆーかそこらをきちんと鍛えてる達人になると、世の中のほぼすべての人が見逃す巨大なセンス・オブ・ワンダーを捕まえて、偉業を成すんじゃないか、とか思ったり。

科学の新発見には偶然のエピソードが付きものだけどさ、それまでその偶然はよく起こってた、というケースが多いと思うんだ。で、その発見がなされるまでは、当事者は一人残らずスルーしちゃってたと思うんだ。てことで、その手の「偶然」ってのは然るべき才能を持った人の前に現れて、然るべく発見された、と考えると、偶然どころか必然だったってことにも思えたり。

そういやダンロップの創業者は、天然ゴム素材を間違えてストーブの上に落としちゃったらギュッと固まって硬くなったのを見て、車輪の外周にそれを巻き付けるとちょうどいい弾性と強度を持ちそう、と思いついたそうな。タイヤのルーツですな。この現象って思いっきり普通だよね。それまでいろんな人たちがそれをやらかしたはずで、けどタイヤの発明には誰も思い至らなかったわけで。「うわっ、くせぇ!」とか「ストーブにくっついちまったよ。いっつもやらかしちゃうけど、これ剥がすの大変なんだよなぁ」あたりで止まってしまった人、過去に続出だったんじゃないかと。

話が感受性からヒラメキの方にずれちゃったけど、どっちも本質的にはあんまし変わらないんじゃないかなぁ。

まーでも、これを体感したことないと主張する人たちって、なんかどうも、それを感情的に拒否してるような、認めたくないみたいな空気を感じさせるんですが。たぶんこのセンス・オブ・ワンダーという言葉と概念を初めて知らされたとき、上から目線で言われた気分になったんじゃないのか、と。「なんだお前まだ知らんのかフッフーン」的な。それに反発してるんじゃないのか、と。

その雰囲気を助長しちゃってるのがこの「センス・オブ・ワンダー」っつう、なんだかすごそうな横文字の名前のような気もする。さっき日本語訳っぽいのを出してみたけど無理矢理だよね。できるだけ普通の表現にしたかったんだけども。どうもこれ、おいらはうまい日本語が思いつかなくて。直訳風にすると「不思議感覚」でますますわかんないし。てな感じだから横文字のまんまなんだろうかねぇ。横文字だと粋がってるニオイがしてなぁ。

さっきも書いたけど、この感覚自体はみんなけっこういろんな場面で感じてると思うのよ。だから、わざわざこんな格式語を作ってくくるってのがどうも違うというか、センス・オブ・ワンダーの反対方向に行ってしまってるというか、そういうちぐはぐさを醸し出してるみたいな感じがするっす。ああもったいないもったいない。

っつうかもう日本に定着し切ってしまった習慣なんで今さらだけど、格好付けるためだけの意味で横文字を乱用するのはいかがなものかと思うんですけどね。アルファベットで書いてもカタカナで書いても。その表現が「英語だからカッコイイ」と信じ切りつつ完璧な日本語訛り(つまり英語圏の人に通じない発音)でしか通用しないっての、カッコイイどころかかえって間抜けな気がするんですけどね、ええ。

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2009.5.21 木曜
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横文字信仰

昨日から勢い余った感じで。

っつうかもう日本に定着し切ってしまった習慣なんで今さらだけど、格好付けるためだけの意味で何でもかんでも横文字にしちゃうのはいかがなものかと思うんですけどね。アルファベットで書いてもカタカナで書いても。

その表現が「英語だからカッコイイ」と信じ切りつつ完璧な日本語訛り(つまり英語圏の人に通じない発音)でしか使えないっての、カッコイイどころかかえって間抜けな気がするんですけどね、ええ。

と言うとさ、「だったら全部日本語にしろってのかよ」っつう極論言うやつが出てくるんだよね。で、そういう人の発想って大抵、すごい無理にでっち上げた漢字表現だったりして。なぜか必ず音読みの熟語なのよね。悪趣味な。なんで必ずその方向に行くのかよく分からんのだけど、日本語には漢字熟語以前に大和言葉があるからね。これ主体で表現できれば、けっこう語感のカドが取れて、受け入れやすくもなるんじゃないかと。まぁ大和言葉は、漢字が得意な抽象表現の語彙が少ないっぽいけどね。

とりあえずトヨタの生産システムで使われてる「見える化」ってなかなかいいなぁと思うなぁ。すごい分かりやすい。これ例えば「ヴィジュアライゼーション」だなんて言われてたら、お前それ本気で広める気ないだろ、て感じだもんなぁ。

「センス・オブ・ワンダー」もその方向で、いい日本語訳が生まれてくれないもんかねえ。

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2009.5.22 金曜
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方向性の違い

横文字の乱用で言うとそうねぇ最近だと、「リスペクト」「リベンジ」あたりかねぇ。「リスペクト」は「尊敬」とか「大事に思う」「大切にする」「敬意を表するッ!」あたりで何が不足なんだろ。「リベンジ」は「復讐」が重けりゃ「仕返し」とか「借りを返す」とかさ、別にフツーの言い方でいいと思うんだけど。ていうかもともと英語圏の人たちは "respect", "revenge" なんつう単語、わざわざ格好付けて使ってるわけじゃなく、フツーのつもりで使ってるわけで。それをカッコイイカッコイイなんていちいちありがたがるのってどーなのよ。

っつうか英語だと "revenge" より "pay back" の方が断然かっこいいんですが。口語だとその意味の専用単語より熟語の方がキマるんだよな。

ここら面白いね。日本人の感覚だと、できるだけ分かりにくそうな難しい言葉を使うのがいいみたいな考えがあって、その線で昔から漢字の熟語、今ならその他に英単語もひたすらありがたがる(っつうか「自分は英語は全然ダメ」と言う人に限ってやたらめったら横文字を使いたがるのはなんでだ? 英語がまったく分かんないなら、間抜けな誤用をしてないかどうか自分で確認ができないじゃないか)。

対してアメリカだと、それ専用の小難しい単語はインテリ臭いらしくて、カッコ付けたいときは簡単な単語を絶妙に組み合わせた熟語を使いまくるんですな。友達トークだとそっちの語彙が豊富な方が素直に「こいつすげえな」と尊敬されたりして。てなことで、日本人は英語が得意になればなるほど英語圏じゃかっこわるくなっていくっつう、恐ろしいことが起こったりしてw

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2009.5.23 土曜
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舎弟騒動

この日記にときどき登場する(本人に無断でご登場いただいてる=ネタにしてる)中二病の人、またやってくれました。

いやね、おいらが仲良くしてもらってる1コ上の先輩がいてさ、すごく面倒見が良くて頼りになる人でさ、いかんいかんと思いつつも、よく彼に甘えさせてもらっちゃったりしてる、そういう人がおいらにはいるんですよ。体育会系なもんだから年上には常に敬意を払ってるけどぶら下がることはないのよ。無頼漢的なところもあってね。うん。基本、自分の器量でしのいでる人って感じ。とりあえず若林(仮名)君としとくか。

でさ、二、三年前、さらに年上な例の中二病患者と飲んでたらさ、若林君(仮名)の話を出されて。

「あのさ、ゆんずさんの1コ上に若林(仮名)っているでしょ。そうそう今あの会社にいる、そうそう」

ってことで、おお、彼を知ってるのか、とちょっとうれしくなってね、「いやー若林(仮名)君にはほんといつも世話になってるんですよ」

と返したら、

「まーあいつは俺の舎弟みたいなもんだから」

何ですと? 舎弟!? あんたの!!?(←さすがに言葉にはできなかった) マジ信じらんなくて。だって若林(仮名)君、少なくともおいらより人を見る目あるし。そんな人がなんでこんなやつの舎弟なわけよ。よっぽどすごい弱味でも握られてるんだろか。

んでこの中二病、若い頃にどれだけ若林(仮名)君の面倒見てやったかをトクトクと語りだしてさ。いやーこちとらすげーショックだったよ。まぁその頃にはもう、こいつが自分の過去や現在を好きなだけ美化して語る癖があるっつうのを知ってたもんだから、割り引いて聞いてはいたんだけど、それでもショックで。

いつか本人に確かめてみよう、と思ってたよ。で、そのときが来た。それが今日。

若林(仮名)君やその仲間たちと飲みながら、件の中二病君の話題になっちゃったのよ。んなもんだからチャンスを逃してはならじと、ついに切り出したよ。その答え。

「は? お前何言ってんの? オレがあの人の舎弟なわけねーべ」

「いや、だってあの人はっきりそう言ってたよ」

「いやいやないからそれw」

あの中二病の口から出任せがまた露呈しちまったよ (´_ゝ`) フッ っつうかそんなあるわけのない話に動揺してた自分が情けない。若林(仮名)君ほんとごめん。世の中にはいるもんだねえ嘘つきって。しかも自作の架空の物語を自分で信じちゃってるから、ウソの自覚が全然ないし。ほんとタチ悪いよなぁ。

……、

……、

……。

死 ね ば い い の に 。

とまでは言わんけどさ、いつになったら自分の等身大の現実を受け入れてくれるんだかねぇ。

銘板
2009.5.24 日曜
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久々の 立体写真 クレーター(五七五)

ちょっと古い映像だけど、日本の月探査機 かぐや が取ったデータをもとに作成した 3D 動画というのがありまして。これですな (YouTube)。前にこれを観てたら、ひょっとしてステレオグラムを組めるんではないか、クレーターの立体感が手に取るように分かるんではないか、てことを思いついたのよ。カメラがが真横を向いて水平ドリーしてる部分があったんで。

うちのサイトはそういや立体写真がメインコンテンツだったですよ。パーペキ忘却の彼方 (^o^;)

てことで、超久しぶりに立体画像を作ってみましょうかねえ、と思い立ったわけですよ。思い立ったのはこの動画の存在を知った直後。ようつべにアップされてすぐ、宇宙研究開発機構(JAXA)メルマガで知った。これがアップされたのは2007年12月13日。1年半も放置してたか〜 orz

いやいやここは超大作映画の真似をしよう。

「構想1年6ヶ月!!」

そんなわけで こちらがそのそれです

なんかねぇ、思ったより出なかったよ立体感。基本、のっぺりというかなだらかな地形だからね。微妙な起伏を微妙に感じていただければ。

とりあえずさ、立体写真に最適な直線の水平ドリーじゃなく、フレームの真ん中に映ってる地点を中心に回りながらのドリーだったのよね。久しぶりの立体画像加工はこれに泣かされたよ。何度立体視しても変に目の具合が悪くなっちゃって、まともに立体視できんくて。しばらく悩んだですよ。そんで対策をようやく思い出して、片方の画像の傾きをいじってどうにかして。

そんでようやく立体視できるようになったらなったで、立体感が足りなかった、と。まぁでも、それでも、ほんと久しぶりの新作立体画像ですよ。

銘板左端銘板銘板右端

これ、かぐや の自慢のハイビジョンカメラで捉えたナマの映像というわけじゃなく、マッピングデータから作り出した精密な 3D グラフィクス なのよ。テクスチャにはハイビジョン映像を貼ってるかもしんないけど。てことで、グリッドがうっすらと見えてたりする。

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2009.5.25 月曜
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フツーの子供は昔からフツーにキレてましたが何か

「キレる子供」って最近あんまし騒がなくなったけど、どうなってるんだろ。キレなくなったのか、それともキレるのが当たり前になってもうニュースとして価値がなくなったのか。

90年代から2000年代の初めあたりまでだったっけ? キレる子供が話題になったのって。しかしさ、異常事件はちょっと置いとくとして、70年代、80年代でもフツーに子供はキレてたと思うんだ。「今は普通の子がアブナい」なんてもっともらしく言う人とかいたけど、いや、普通、子供はキレるものなんじゃないのか、と発想をひっくり返すと、これが意外としっくり来たりして。

環境は時代で変わりはするけど、生物種として考えて、人類の子供本来の性質ってのは1000年かそこらじゃ変わらんでしょ。平安時代だろうが平成時代だろうが、子供は子供ってことで。あいつら昔から露骨に弱い者いじめ好きだしね。おいらも好きだったし orz

で、なんでまた最近になって「最近の子供はすぐにキレる」となったのかっつうと、それが目立つようになったからなんじゃないかと。じゃあなんで昔は目立たなかったかっつうと、おいらの印象だとさ、大人も普段からキレまくってたから、のような気がする。

酔っててもシラフでも、外でわめき散らす大人っていなくなったもんなぁ。掴み合ってケンカする大人も。で、今も昔も子供は大人の様子を見て「これやっていいんだ」と学ぶわけで、30年前は大人も子供もすぐに感情的になってキレてた。けど大人のキレ方の方が激しいというか周囲への被害が甚大なわけで、そうなると子供がなんぼ暴走したって相対的には大したことない。

ところが大人が文字通り大人しくなった。大人は恥の概念が強いからね。世の中の空気に合わせようといつでも必死だよ。てことで、世間が衝動に対して禁欲的になったなら、自分も抑えて大人しくできる。けど子供はそうはいかない。いつの時代だって遊びたいし走り回りたいし、うまく気持ちを押さえられなくて気持ちが爆発したり。で、すっかり静かになった世の中で、変わらない子供の喧噪が目立っちゃってるだけなんじゃないかと。

しかも昔は子供の数が多かったからね。普段から集団でギャアギャアわめき散らすものだっつう共通認識があったかと。それにあんまし数が多いと大人の方も慣れちゃって、かえって個々の子供の存在感が際立たないし。

時代と環境の変化で子供が変わったって部分もあるだろうけど、たったそれだけに原因を求めるのはチトせっかちな気がしてさ、そんなわけでこういう憶測を考えてみただすよ。

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2009.5.26 火曜
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昭和ハードボイルド

昭和時代、大人がどんなにキレてたかっつうと、おいら小学生の頃、クリーニング屋の営業者から降りてきた運転手のおっさんにグーでぶん殴られたことあるぞ。まぁそれも当然っちゃ当然で、友達数人とその車の横っ腹に石投げてぶつけたんだもん。動いてるものに物を投げて当てられるかっつうそれだけの話の流れで。

当たった当たんなかった言って盛り上がってたらその車が停車して、おっさんが降りてこっちに歩いてきてさ、「やべえ逃げろ!」てんでみんな反対方向にダッシュしたんだけど、おいらだけ足がすくんで動けなくて。

で、おっさん、おいらの前に立って無表情で見下ろして、何も言わずおいらの頬にグーパンぶち込んだですよ。大人が子供に暴力を振るうのはよくある普通のことだった。だから別にその後何がどうなるわけでもなく、当時としての普通の日常にみんなまた戻っていった、と。

ハードボイルドだったなぁ昭和時代はw

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2009.5.27 水曜
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そして平成の大人事情

ていうかモンスターな親とかモンスターな患者とか、今は立場の強さを利用して大人が弱い者いじめしとりますな。

昭和に比べて、大人の子供化は本当かも。昔の大人は遊びっつったら全然やんないか、あるいは大人専用の遊び(「飲む打つ買う」ですな)と決まってたもんだけど、今の成人はけっこういい歳までキャラクターだのテーマパークだの、グラビアアイドルだのイケメン芸能人だのに夢中だしな。けどそれが悪いのかといえば、そうでもないような。

おいらはそこらへんの商業的な娯楽には映画以外はなぜか疎いんだけど、ティーンとかこの前までティーンだった職場の同僚と絵文字メールやってたりするからなぁ(まぁおいら基本的にメール無精だけどさ)。ちなみに先方さん方からはバリッバリにデコったメールが来ますw 今が楽しけりゃ、子供っぽくてもとりあえずいいんじゃないかとか思ったり。

刹那的かなぁ (^_^;)

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2009.5.28 木曜
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アナロ熊

すべてはあの事件からってことになるのかなぁ。そうなるとあのキャラ、草なぎ君が生み出したと言っても過言ではないですな。てことで主題歌。

『アナロ熊のうた』(YouTube)

素晴らしすぐるww

一応、後で見返したときのために流れを書いとこう。

草なぎ君タイーホ → 草なぎ君、地デジのイメージキャラを降板 → 代わりに、というタイミングで新キャラの地デジカ登場(権利団体は事件との無関係性を主張) → 対抗して2ちゃんねる上でアナロ熊が自然発生 → 著作権を振り回す地デジカ陣営に対し、アナロ熊側は著作権フリーを標榜。その他何かと地デジにつっかかる言動を繰り返し、大人気となるw

うちもアナログなのよテレビ。NEC の29型ブラウン管テレビ(重量52kg)。買ったの1996年だったな。おいらはほとんどテレビ見ない人なんで、今は母親の NHK 専用マシン。母親は寄る年波もあって目があまり良くなくて、たぶんハイビジョン画質もアナログ画質も区別つかないんじゃないかと思う(過去に別のばあさんと NHK 職員とのこんなやりとりを目撃しちまったしな)。

てなわけで、この状態で再来年に地デジに完全移行ですよと言われても、うちとしてはちょっとなぁって感じ。

てなわけで、もうどうしようもない世の中の流れに敢えて反旗を翻したアナロ熊に喝采を送ってみたりするテスト。

銘板左端銘板銘板右端

地上波テレビのデジタル化は国策だからさ、ほんとどうしようもないんだけどさ、なんかこう、誰かが決めた事情を強制されるのってなんかヤでさ。画質が断然違うってのは分かっちゃいるんだけどさ。しかしどうしようかねぇ。お金を貯めて地デジ対応テレビに買い替えるか、これから安く出回るっぽい地デジチューナーでお茶を濁すか。チューナーだと画質はアナログテレビのまんまだね。こういう選択を迫られるのもなんだかなぁ。

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2009.5.29 金曜
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戻す話はどうなった?

そういや地デジ移行の目的って、電波帯域の有効利用が主だったと思った。アナログに比べて、デジタルは同じ1本のチャンネルでも占有する帯域幅が少なくて済むらしい。今は電波のあらゆる周波数帯域が、kHz から GHz まで様々な用途に割り当てられてて、あんまし余裕がない状態だそうで。そんなことで地デジの出番が来たらしい。とはいえ「画質が良くなった→情報量が増えた」てあたりから、1チャンネルあたりの帯域幅をどれだけ節約できてるのか分からんけど。

あとさ、90年代にこの地上波テレビのデジタル化についての段取りを何かで読んだことがあったよ。それによると「デジタル化とともにいったん別の帯域に移し、あらためてデジタル放送として元の帯域に戻す」だったはず。

つまり、今の地デジに使ってる帯域は仮の住まいで、完全移行した後、もとの周波数帯域に引っ越し直す、っつうかなり面倒なことになってたはずなんだけど、この後半の話が最近全く出てきてないんですけどどうなったんでしょ。おいらの記憶違いかもしんないけど。

通信用の電波は一般に、周波数が高い方が伝送できる情報量が多い。2011年7月に完全移行する先の帯域は、アナログ波より高いらしくて、それだけにいろんな用途で価値がある。で、低い帯域で十分な用途の場合、そりゃ低い帯域を使った方がいいわけ。テレビ用途で高い帯域はもったいない、と。しかも建前だと、元の帯域に戻してもガバガバ余るから、そのぶんを他の用途に割り振れる、と。

んでその戻す話が全く出てこないってことは、もう戻す気ないのかもしんない。そこらへんどうなってんだろ。

戻す話で面倒なのが、帯域を引っ越すと、テレビを見れる家/見れない家がまた出てくる、ということ。例えば今の移行は周波数帯が高くなるから、電波の回折性が悪い。てなことで、ゴーストまみれだけどなんとか見れてた家が、地デジに移行したら全く見れなくなった、という事態が頻発しますわな。

で、今はウヤムヤ化してるっぽい「戻し移行」(←勝手なネーミング)をすると、地デジ移行で「見れない」と判定されて弱者として厚遇されてきた人たちが、実は見れるようになってた、なんて感じの不公平が発生する、と。いずれにしても現地で受信実験しないと分からんってのがまた事を面倒にしてるわけで。

っつうかもう全部光ファイバケーブルの CATV にしちまえば話が楽な気がする。昔から各家庭に引かれてる有線情報サービスは電話。インターネットが普及したとき、その前段階のパソコン通信に倣って電話線を流用した。で、ISDN やら ADSL やら、知恵を絞って高速化してきたけど、銅線じゃ本質的に細すぎるってんで、光ファイバに置き換わりつつある。

テレビじゃ時代に逆行してる我が家だけど、通信ラインは光だったりする。ADSL は条件が悪すぎて 1Mbps も出ないんだもん。んで光ファイバ、理論値で 100Mbps 出ることになってるけど、うちの場合は 20M 程度。プロバイダの通信容量が問題らしい。それに東北の奥の細道のさらに奥だから、中継サーバのロスも大きそう。まぁおいらは現状で充分だけど、ファイバの能力の80%が遊んでる状態。この遊びを、技術的にはテレビ受信用に使えるんじゃないかって気がして。ケーブルテレビ局がネット通信サービスやってたりするし。けど在京キー局と地方の系列局が実際にやるとしたら、権利とか認可関係で面倒なのかもしらんけど。

っつうかテレビ局の電波利用って免許制だよね。ケーブルテレビってのはそこらへん、免許は要らないってことなんだろうか。それともそれ用の免許があったりするんだろうか。よく分からんけど。

電話だと、固定電話は有線、携帯は無線となってるわけで、これ、合理的な棲み分けなんじゃないかと。だったらテレビもそうしちゃえよ、と思うんだけど。電波での無線放送にこだわり続ける意味が分からん。ってまぁそうなると、テレビが独自の情報流通手段を持たなくなっちゃうのよね。そうなると、そのあたりの影響力を頼みにしてる人たちにとっては困ったことになるわけで。そういう手合いはもう幾ばくかの力を持ってしまってるから、既得権を守るため、その力を駆使して必死の抵抗をするんだろなぁ。

結局、有線放送主体にしてしまえば、移行の話もこんなにまでめんどくさくはなんなかったんじゃないかなぁとか思ったり。要はテレビは番組や CM を見れればいいわけで、だったら通信方法なんて形にはこだわる必要がないのよね。

〓ZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZ⊂<回 ←仕切りジッパー

有線でも、いつかは容量に限界が来るときがあるかもね。そうなるとええと、今はファイバの中を走ってる信号は赤外線か赤色光の点滅だね。それが、青色光や紫外線とか、赤外線から紫外線までの全部の帯域を使ったりとか、あるいは点滅をやめて搬送波方式にするとか。おいらが今思いつくだけでもいろいろあるけど、新方式に対応するには、送信側と受信側、両方の機械を更新しなきゃなんなくなる。やっぱしめんどくさくなるのは必至か。

例えばここ30年くらいで、電球が蛍光ボールに少しずつ置き換わりつつあるよね。最近は特に蛍光ボールの性能アップとコストダウンの上にエコの追い風で、普及に弾みがついてる。普通に使うぶんなら蛍光ボールの方が断然いいよね。値段は数倍するけど買えない単価じゃない。そんで電気あんまし食わないし寿命が長いし。とりあえず省電力よりも、取り替えの手間がほとんどかかんないってのがナイスだったりする。互換性を考えた技術更新ってのはこんな感じで時間はかかるけど、混乱は起こさないわけよ。地デジ移行はそこらへんの配慮が薄いのがちょっとなぁ。しかも周波数帯域を戻すんだか戻さないんだかはっきりしないし。

ま〜いつかテレビが電波を捨てて有線主体になったとき、あの大騒ぎは一体何だったんだ、と笑い話になるんだろうなぁ。ていうかそれまでテレビって今ほどの人気を保ってられんのかなぁ。テレビを見ない人たち、増えつつあるみたいだけど。

銘板
2009.5.30 土曜
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お前こそヘンだよ

またしょうもない昔話。

90年代あたりまで、自虐的日本人ってけっこういらしたのよね。まぁそれが戦後日本人の美徳みたいな感じではあって。んでも、必ず度を超す人たちってのが出てくるんですよ。んでまぁなぜかその急先鋒は決まったジャンルの方々でね、そこらへんがなかなか興味深かった。それは、ヨーロッパ人と結婚した女性。

ま〜なんてーか最近の事情は知らんけどさ、90年代までは確かに、欧米で暮らして日本に帰ってくると、この国と国民はなんだかいろいろ意識が遅れてるなーって感じがしたもんでさ、きっと彼女らもそう感じたんだと思う。んで、日本の社会には自虐と反省ネタに喜んでカネを払う土壌がある。てことで、出版社はそのビジネスチャンスを逃すわけがなく、彼女らに本を書かせて一儲けするわけです。

もともと日本の女性は欧米の文化に憧れる傾向が強いしね。女性客を意識した日本映画がタイトルにローマ字を入れたがるのもその現れかと。

んで、反日的日本人の彼女ら、西洋人と結婚して憧れの西洋式の生活を実体験すると、どうも日本が野蛮に見えてしょうがなくなるらしくて。けど野蛮ではあっても自分を生み育んだ祖国。てことで、ちょいとひん曲がった愛国心で日本と日本人を叩き始めるのですよ。

確かに日本の世の中は男尊女卑がまだまだ抜け切れてないから、西洋の男性に大事にされると自分の本来の価値に気づいたりするんだろうなぁ。けどそこから調子に乗って、日本叩きが始まるわけです。どうでもいいことにまで事細かにツッコミ入れ始めるわけです。暴走ですな。

実際に読んだのは1冊だけで、作者もタイトルも覚えてないから曖昧だけどさ(マークス寿子より古い人らしい)、そこらへん記憶に頼ってネタを3つほど出してみますわ。

主張1:「いただきます」がおかしい

その人が言うには、料理を作った人が自分で「いただきます」を言うのはおかしい、とのこと。この人は「いただきます」は料理人に対しての感謝の言葉、という教育を受けたらしい。それも間違いではないだろうけど、おいらにとってはその考え方は初耳。おいらが教わったのは、食べ物を今食べられる幸せな境遇への感謝、食材となってくれた生き物の尊い犠牲に対しての感謝、他者の命を食べて自分の命を続けさせてもらうことへの感謝、と、おいらは教わったんだけど。これだと料理人が「いただきます」を言うのは何もおかしくないわけでして。ていうかおいらが教わったことの方が、著者のよりはるかに崇高だと思うが。

主張2:郵便局の切手袋に「郵便切手ぶくろ」とわざわざ書いてあるのはおかしい

これを皮切りに持論を展開させてたと思うけど、そもそもそんなしょうもないところにいちいち目くじら立てる感覚がおかしいかと。当時、それを読んだ後に郵便局に切手を買いに行ったら、切手を入れたビニール袋に本当にその表示が印刷されてた。で、確かにこれはおかしい、と思ったんだけど、「おかしい」の意味が違うんですよ。糾弾するような異常性じゃなくて、友達との話のネタにできるお間抜けなおかしさなんですよ。どうもこの人、西洋に住んでる割にユーモアのセンスが足りないっぽい。

主張3:「標語の五・七・五はおかしい」

例えば「手を挙げて 横断歩道を 渡りましょう」(まつざきまことでございます)みたいな交通標語。五・七・五だよね。なんかあれも気に食わないらしくて。五・七・五のリズムは思考停止状態を作るとかなんとかな理由で。ま〜どこがどう思考停止なのか知らんけど、おいらは標語の五・七・五は意味があると思うなぁ。百人一首というか短歌は五・七・五・七・七だけど、短歌から派生した五・七・五の俳句のリズムも、古代の日本人が発見した、「なんだか心地いいもの」なわけですよ。

んでこの五七調って、詩の内容を覚えやすいのよね。だから標語に最適なんですよ。だって読み手に是非に覚えてほしいものなんだもん。ただの散文よりこっちの方が断然効き目あるって。

日本人が五七調で得してるものってさ、かけ算の九九があるよ。九九は子供の頃に暗記するのが一番手っ取り早いわけで、世界中がその方針で算数教育をしてる。そこで日本が誇る五七調の暗記術ですよ。リズムに乗って覚えられる。英語圏(と恐らく世界中の多くの国々)では普通のつまんない棒暗記らしい。そんで日本式の効率の良さは想像するに難くないわけで。日本語圏でしか使えない技なのが残念ですな。

きっとこの心地よさをすぐには説明不可なのが、著者さんにとって許しがたかったんじゃないかと思う。西洋文化はすべて言葉で言い表そうとするしね。もしかしたら旦那さんに「なんで日本人は五七調が好きなんだ?」とでも訊かれて答えられなくて、五七調を愛する感覚に土着臭さを感じてしまった、という流れだったとか? それだとしたら単なる逆ギレですな。

しかも日本人が1000年以上使い続けてきた表現で、果ては狂歌や川柳みたいな庶民の遊びにさえ使われたんだもん、標語にも使おうっての、自然な流れに思えるけど。っつうかこれも定型詩のひとつだからね。それを作ること、鑑賞することは芸術のそれと同じ行為なわけ。まぁ誰も芸術だと意識してないから気軽だけどさ、例えば俳句好きが高じて日本語をマスターして、憧れの日本に来た外国人(意外といそう)がこんな標語を街で見かけたら、馬鹿にするどころか「日本人は日常生活に芸術を巧みに織り込んでいる」と感激するんじゃないのかねぇ。

まーそんなわけで、「そうだったのか。日本はまだまだだなぁ」と思ってしまいそうだけど、冷静に考えると「なんかヘンなのは日本人全体じゃなくておまえ個人だろ」という話でした、と。こんな自作自演本で一儲けした作者と出版社、よかったね。

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なんで五七調が心地いいのかっつうとね、きっとエイトビートだからでしょ。適度に休符を挟んでノリやすい形になってる。という自説をおいらが立てられたのも、この本にツッコミ入れたくなったからでして、その意味では著者さんに感謝しとります。

エイトビートが気持ちいいのは世界共通の感覚。だからポップミュージックの多くはエイトビートの形で、世界中で作られて愛されてる。日本人は古代にそのことを発見して独自の形に練り上げて、時間をかけていろいろとバリエーションを増やした。それが五七調。てことなんじゃないのかねえ。

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どうも、イギリスにお嫁に行った人がこの手の本をこぞって上梓したみたいで、イギリス社会がいかに洗練されてるか、そんなところに嫁に貰われた自分がいかにすごいかっつう宣伝も兼ねてたらしい。後付けの話になるけどさ、イギリスじゃ2002年の FIFA ワールドカップ以来、日本の社会が素晴らしいとして注目されてるらしいよ。

あの日韓共催大会、イングランドは日本で予選を戦った。で、イギリスから来たマスコミや一般観客の方々、日本人によるチームの国籍を問わない応援と外国人旅行者に対する温かなもてなしにいたく感動したらしい。で、競うかのように、イギリス人観客が体験した日本での感動話を紙面や画面に出しまくったらしい。で、「自分がいかに身勝手な文化の国にいたか思い知らされた」なんて意見も、日本の新聞でその現象を特集したやつで読んだよ。

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そういえばあの頃、英国の政府と警察は国の恥であるフーリガンを出したくないもんで、日本の警察と協力してその渡航阻止に尽力してくれたなぁ。おかげで楽しい大会になったよ。そのときイギリス政府から出た日本人へのお願いが記憶に残ってる。「イギリス人観客は興奮すると上半身裸になったりする者も出るかもしれないが、どうか大目に見てください」と。

これはつまり、上半身裸ってフーリガンの戦闘態勢を意味してるんだろか。あるいは公共の場で裸を晒すのは、かの国では異常とか反社会的な行為なのかもしれん。けど日本の気候ってイギリスよりだいぶ蒸し暑いみたいでさ、そんな事情があって、日本は伝統的に(男限定だけど)半裸に対しては寛容なのよね。全裸に近い大相撲が NHK で生放送されてるくらいだし。イギリス政府に「そこまで気を揉まんでもえーよ」なんて声かけたくなったよ。

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2009.5.31 日曜
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とっさの一句

昨日の流れで。

昔、アメリカ人のおじさんに「日本じゃ17は特別な数字なのかい?」と訊かれたことあるよ。何の意味か分からんくて、「え、別に。なんでそう思うんですか?」と訊き返したら、「俳句がそうじゃないか」と。

むー、海外で俳句が一定の認知を受けてると聞いたことはあったけど(ていうか人気もあって、俳人が結構いらっしゃるらしい)その定型詩のルール、「全部で17音節」という風に知られてるってことなのかなぁ。いやそれより「五・七・五」が大事で、結果的に17音節になってるだけなんですけどね。けど例えば俵万智の現代短歌みたいに、各区切りの数字をまたいで全体として音節数の帳尻を合わせるスタイルが受けてるみたいだしなぁ。あんまし五七調にこだわらなくてもいい感じで。

とりあえず件のおじさんには「確かに全部で17文字ですけど、本来は『五・七・五』に区切って、リズムを取って歌うように読むものなんですよ」と、ちょっと鼻を高くして教えてあげたー(←かなり嬉しかった)

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当然の流れというか、おじさんに「そうなのかい。じゃあひとつやってみてはくれないかい?」とお願いされて、とっさに思いついてやったのが、

「手を挙げて 横断歩道を 渡りましょう」

松崎真かよ。

芭蕉先生、一茶先生、大変申し訳ありませなんだ orz

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