ひとりごちるゆんず 2004年1月
銘板
2004.1.1 木曜
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明けましておめでと〜 (^o^)/

どうも皆様、明けまして大変おめでとうでござります <(_ _)>

なんかこの日記もスーパーやコンビニもそうだけど、年中無休だと「よいお年を」「明けまして……」なんて言っても、切れ目がなくてどうもけじめがつきませんなぁ。

銘板
2004.1.2 金曜
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FreeBSD 雑誌はどうなっておるのか

せっかく正月だけど特に関係なく、あまり知られていない FreeBSD 雑誌の話でも。

雑誌があるのよ FreeBSD にも。大体にして Mac 雑誌でさえ3誌で過剰気味な状態なのに、もっと利用者が少ない OS だとどうなるのか。それが3誌もあるんすよ。それぞれ FreeBSD 専門だったり、Linux を含めた総合誌/含めない総合誌だったり。

で、まずは 『UNIX USER』誌

System V 系や Linux も含めた、Unix 全体を扱うのがコンセプトらしい(買ってないんで詳しくは知らんのよ)。ターゲットにしてるユーザは「アタマ数は少ないけど重責を負ったプロのシスアドの方々、またその道を志す予備軍的アマチュア」あたりかな。必然的に最新情報のニーズは高くなる。ネットから拾うのもいいけど、紙媒体の方が保存性がよろしい。ディスプレイも占有されないし。そんなわけでこんな雑誌もまた必要とされる、と。Linux サーバもかなり普及してきてるんで、Unix 界を横断的に渡り歩く人たちにけっこう人気がありそう。雑誌の見た目も洗練されてるとこからして、カネ回りもよさそう。

まだ買ったことないけど、立ち読みした限りでは(編集部の皆さんすんません)、まぁそういう感じ。 Linux 専門誌は多いけど「Linux も含めた総合 Unix誌」ってこれだけじゃないのかな?

お次は 『FreeBSD PRESS』誌

FreeBSD 専門。これ、このまえ FreeBSD 5.1-RELEASE の CD-ROM をゲットするために買った雑誌。本屋にはなかなかなくて、パソコン屋の書籍コーナーの方が棲息率が高いと思われ。この雑誌のサイト、モチベーション低そうだなぁ。

内容は、自慢にならんけど初心者には難しくてよく理解できんかったです。でもね、なんかこう、記事の端々に感じるんすよ。「反 Linux」のニオイを。まぁこの雑誌の個性と言ってしまえばそれまでだけど、売れっ子な Linux をひがんでるみたいでちょっとかっこ悪い気もしたりする。Linux も同じ PC-UNIX 同士だし、注目され始めてるとはいえまだまだ売り出し中なんだから、FreeBSD ユーザとしては「がんばれよぉ〜」と一言かけるぐらいの心の余裕を持ちたいもんですな。

サイト、No. 17 のバックナンバーページが "Not Found" だ。なんだかやる気に疑問を感じる。

最後は 『BSD magazine』誌

FreeBSD, NetBSD, OpenBSD の「BSD 三羽烏」のユーザが主なターゲットらしい。去年かおととしあたりにいっぺん気まぐれで買った気がする。内容はなんかこう、パッとしなくてなぁ。白黒ページや文字だけのページが多くて(コマンドラインがメインの OS だしな)。サイト見てもそんな感じでしょ? 黒バックにデーモン君の赤。なんかなぁ。BLINK タグも使ってるし(文字列を点滅させるタグ。Mozilla/Netscape でしか機能しない上、文字が点滅したらしたでかえってイラつく場合が多いので、正直、使わない方がいいタグ)。Konqueror では BLINK タグを無視して普通に表示されるんだけど、この方がよっぽど見やすい(笑)

売れっ子の Linux を除外してるのと、見栄えがなんだかパッとしないせいであんまり売れてないんだと思う。本屋にないもんな。この前はパソコン屋の書籍コーナーで買った。

ところが BSD magazine 編集部の口上は(以下、サイトのバックナンバーページから引用)、

(前略)ますます絶好調!業界注目度ナンバーワン。当然のことならが(←原文ママ)売り切れ店も続出し、購入のタイミングを逃すと、店頭ではなかなか手に入りにくい状況ですが、ご安心ください。ちゃんとバックナンバーを用意しております。

いや、もう、なんつーか、その言葉の裏がありありと読めてしまって (-_-;) イテテテ

発刊するごとに、前号の返本の山が編集部の物置に積み上がっていく様子が目に浮かぶような。

これから FreeBSD やってく上で何かとお世話になることだろうし、とりあえず12月発売のやつを買おうかな、と思うんだが、本屋でほんと見かけないんだよなぁ。件のパソコン屋の本棚でも最近は見かけないし。あそこで取り扱い中止になった場合、八戸人の読者がこの雑誌をゲットするには定期購読するかアスキーから直接買うしかないんだろうか。そうなったらメンドクセェなぁ。

まぁ FreeBSD という OS はボランティアベースでの開発で、「無料&再配布オッケー」という太っ腹さが魅力なンす。雑誌もそこらをよく分かっててあまり角の立つ書き方はしないんだな。まあ不具合は堂々と書いてるけど、全体的に丸めでおとなしめな感じなんだよなぁ、文体も見た感じも。「いい人たちばっかりで押しが弱い」って感じ。

これが Mac 誌や Windows 誌だと、その雑誌の扱う土台自体が商業ベースなんでいろいろなしがらみがあって、いきおい大本営発表的になっちゃうらしいね。まぁこっちも角の立たない書き方ではあるけど、そうなるまでの筋道が違う。例えば Mac 雑誌の場合、Apple による記事の事前検閲があるらしい(噂)。それで、ある機種の不具合を突き詰めようとした長期ロードテストがいきなり消滅したりとかあったみたいだし(於 Mac People 誌。噂)。言うこと聞かないと Mac に関する最新情報をその編集部に流してくれなくなるらしい。まったく世知辛い世の中ですなぁ。

そうなると一番信頼できるのは 『パソコン批評』誌 ってことになるかな。でもこれ Windows 関連や周辺機器の批評が主なんで、おいらが欲しい情報はあんまし載ってないのよね。内容は辛口&硬派だけど突撃取材みたいな面白いことはしてくれなくて、恨みと不満をただ書き連ねるだけみたいな調子で残念。短くした言い方もはっきりしないタイトルだしな。「パソヒヒ」? 据わりのいい短縮タイトルを付けないと、これ以上のメジャー化はないでしょう(現時点で既に FreeBSD 関連各誌よりずっとメジャーで、かなりの書店に置かれてるけどさ)。

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新年早々ブルースな話題でスマンす (^_^;)>

銘板
2004.1.3 土曜
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初夢テクノロジー

連休モードでテルアビブ標準時くらいの時差で生活してます (^^;)

初夢って正しくは2日の晩に見るやつなんだっけ? いつ寝ていつ起きてるんだかかなりテキトーなんでそういう定義はもうどうでもいいんだけど、今年に入ってから見た夢で、珍しく覚えてるやつがあったんで、忘れる前に書いておこうかと。

その夢の設定では、おいらは過去、ロシアのソユーズ宇宙船で宇宙に行ってきたことになってた。おお、そういえばそうだった気もする、と夢ならではのご都合主義の記憶が蘇ってきたりして(笑)

で、長らく忘れてたそのことを思い出したってことでその着陸地点へと向かうと、荒野の真ん中にあのときのままに、宇宙船の大気圏突入カプセルが転がってた。ハッチは開いたままで、全体がほこりをかぶってる。なんか長いこと放置されてたみたいな感じで。

近づくと、ハッチの近くで何かが動いてた。ハッチ脇に貼られていたステッカー、こいつが短い動画像を繰り返し再生していたのだった。画像の内容は、着陸の瞬間からハッチからおいらを含めた乗組員が出てきたところまで。 おいら観衆の声援に応えて手を振ってた。うん。そんな感じだったっけなぁ、とまた都合よく記憶を捏造(笑)

そのときの様子を誰かが動画像ステッカーにして貼っておいてくれたのか〜、となんだか嬉しくて泣けてきたりした。うん。

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おいらが宇宙に行ったことは別にどうでもいいとして(どうせただの夢だし)、今日の話のメインは

電源自給型 動画像ステッカー。

これですこれ。現実世界で商品化できそうな気がして。

例えばケータイの画面程度の大きさで、動画像を何十秒か記録できる。そういう特性と性能を持ったステッカー。大きさとスペックは別にどうでもいい。夢に出てきたやつがそうだったってだけで。

表面は透過型アモルファス太陽電池でコーティングされていて、これで電力を自給し、光が当たっている限り半永久的に動画像を再生し続ける。

画像表示デバイスは液晶だな。ステッカーは曲面にも貼れなきゃいかんので有機 EL の方が良さそうだけど、消費電力を考えるとここは液晶。バックライトの代わりに反射膜を底に入れると、外光反射でなんとか見られるようになる。電卓や昔のデジタル腕時計でおなじみの技法ですな。その方が能動発光の有機 EL より電気を食わないように思う。どうせ光が当たらないと電力不足で画像も動かせないんで、能動発光である必要もないし。

「曲面に貼り付ける」のブレイクスルーは、「トータルで極薄にして曲がりやすくする」「ゆるい曲面限定で貼れる」ってことでどうにかクリアしてもらおう。とりあえずバックライトがついてないだけ薄くできるでしょ。

あとは動画像の入力方法だな。ステッカーなんで端子を取り付けるわけにはいかない。非接触式だなこりゃ。現在の IC カードみたいな感じ。専用リーダ・ライタ装置のスロットにステッカーを突っ込んで、装置につながったパソコンやビデオカメラから動画像情報を流し込む。あるいはバーコード読み取り機風の手持ち機器をステッカーに押し付けてデータを読み込ませる、と。

ま〜遊びに使われる程度で、大した実用性はなさそうに思うけど。

広告用途には使えるかな。電車、バス、タクシー、営業車のボディに貼ったり、大きめのものを電柱に巻いたり建物の壁に貼ったり(電柱のアールは液晶にはきついか?)。あとはみんなで使い道をいろいろ考えてくれ(笑)

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とりあえずこいつを今年の初夢としておくか。

別なやつもひとつ覚えてるけどね。

「スッポンの首を切って、切り口にストローを差し込んで血を吸ってるオジサン」ってのも、別シリーズの夢に出てきた。

あ゛〜、キモッ! (T□T;)

銘板
2004.1.4 日曜
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ドツボ Java

最近また Java のおべんきょやってて、けっこう大物が苦労の末にうまく2つできたんで(単に教科書を写してうまく動作したってだけ)、それらを合成してひとつにしよう→ここにアップして自慢しよう。としたらハマっちまった。

全然うまくいかん。いじってもいじっても、不具合らしきものを見つけて直しても直してもなお我がプログラムうまく動かざり。じっと手を見る。あ、爪のびてきたな。

もう明日から仕事だよ。爪切って寝るべ。

銘板
2004.1.5 月曜
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ラジオ出演、再び

いや〜仕事始めの昼休みの終わりあたり、電話が来ましたですよ出演依頼の。八戸の地域ラジオ局 BeFM の映画関連の番組で、我が人生の師匠のお一方であられるジョン・ウー大先生について10分くらいアツく語らってくれないか、と。

ええ! ええ! 喜んで! (*▽* )(姫川亜弓お嬢様風)

ラジオ出演、Web 日記読み返したら11か月ぶりだわ。1月17日封切りの『バレット・モンク』に合わせての企画(ウー先生の盟友 チョウ・ユンファ主演。先生のお仕事は残念ながら監督じゃなく製作。編集やってくれてるといいなぁ)。

収録はあさっての夕方。前回はパーソナリティさんと1対1のトークでキンチョーしてしまってちょっとアレだったけど、今回はパーソナリティさんの他に、お誘い頂いた方(超・香港アクションマニア)がサポートして下さるんで、蹴つまずいたらラジオ出演のベテランの方々にどうにかして頂こうっと(ォィ)

そういや去年は丸1年の永きにわたってウー先生の輝かしき香港時代の作品を鑑賞してなかったな。『ウインド・トーカーズ』も観なかったし。よっしゃ今晩からビデオ借りて特訓するべ。

銘板
2004.1.6 火曜
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盛岡的ヘンな人

風邪ひいちまったす。どうすべ明日のラジオ収録、おもくそ鼻声なんすけど。不意をついて鼻水が流れ出てくるし。まぁベテランの方々に何とかして頂こう(もう何でもおまかせだな)。あとはミカンでも食えるだけ食ってビタミン C 取っといた方がいいかな。

風邪ひいてるけど今日は盛岡に出張して来た。盛岡駅は変わったね。うん。新幹線はやてで東京・仙台には行ったことあるけど、盛岡で降りるってのは初めて。八戸→盛岡ノンストップの便にうまく当たって、30分くらいでもう着いた。速いよなぁ。特急はつかりのみぎりは70分前後かかってたからな。

着いたら昼頃だったんで駅ビル1階のレストラン『スタシオン』でスパゲティでも……と思ったら、ない。消えてる。いや、あったのかもしれんけど、新幹線ホームを屋上に戴き、その長さの分だけ細長い盛岡駅ビル内、なんだか構造がかなり変わってしまって。以前はスカッと見晴しがよかったのに、壁でいろいろ仕切られて迷路みたいになっちゃってて。大まかに見ると「縦に長い駅、南北分断」ってとこ。その壁の内側で何か改装中なのか、それともこれが改装後の姿なのか不明。

ま、この〜(角栄風)、雰囲気としては、新幹線が八戸に伸びる以前にあった盛岡駅の活気がすっかり萎えちゃってる感じ。平日の昼間だからそう見えただけかもしれんけど、いや、駅の内装の雰囲気、1年前までは「がやがや」だったのが白壁分断によって「ひっそり」になってたもんな。あの白壁、「改装中」の意味であることに期待するよ。

駅の衰退感と違い、盛岡の街は以前と変わらずにぎやか。独特のイィ〜イ雰囲気も変わらず。なんか八戸から盛岡に行くと、ほんと「街に出る」って感じがするんだわ恥ずかしながら。八戸南部藩と盛岡南部藩は同祖に南部氏を持ち、江戸時代に世継ぎを決めるお家騒動が勃発・泥沼化し、見かねた幕府の仲裁により二つに分かれた兄弟藩・兄弟城下町。でも同祖とはいえ街の性格はけっこう異なる。当時からして石高が違う(盛岡 = 8万石:八戸 = 2万石)。盛岡は奥州街道沿いで流通・商業が盛んで、そこらへんがもろに「城下町」そのもの。八戸は奥州街道から外れた海辺で、土も痩せていた(殿様でさえ米を毎日は食べられなくて、そばをよく食べてたそうで)ので漁業に多くを頼ってきて、城下町というより実質は「港町」。

明治以降で見ると、盛岡は岩手県の県庁所在地になったけど、青森県の県庁は青森市だ。八戸じゃない(廃藩置県で青森県が出来たとき、県庁を王道的城下町として栄えた弘前に置くか八戸に置くか、もめにもめた末、見かねた明治政府の鶴の一声で中間の青森村に決まったそうな。八戸って何かともめる土地柄らしい)。大体どこの県でも、文化施設を作るならまず県庁所在地に一番いいやつを作るもんだ。大体どこの全国規模の会社でも、その県でいちばん大きい支店は県庁所在地に置くもんだ。県庁があるかないか、これはかなり差がつく。そこらへん諸々の地理的歴史的政治的経緯により、元は同じでも、盛岡と八戸はそれぞれ違う方向に育ってきたわけですな。つまり、ぶっちゃけ

八戸 = 肉体労働の町

盛岡 = 頭脳労働の町

こんな感じになる。盛岡と比べると八戸は、ま、この〜(角栄風)、街の様子もなんだか小じんまりしてる上に殺風景というか、あんまし知性が働いていないというか、景気にすごく左右されるというか、自我が確立されていないというか……ああそういえば自分の土地を必要以上にけなすのが好きなのが八戸人気質だ(←もろ八戸人)

そんな八戸人が盛岡のメインストリートやそれに直交する映画館通りを歩くと、なんだかもう文化のカホリほのかに漂うハイカラっぽい街に見えるわけです恥ずかしながら。官庁街なんかもクルマたくさんの大通りだから殺風景になりがちなのに、なんかねぇ、いいんすよ。その奥に岩手銀行の中ノ橋支店が控えてるせいかな。明治時代に建てられたその当時独特のスタイルで、今もそのまま岩銀の支店のひとつとして機能してるらしい。ここ直リンっす。

その日の仕事を終えて、街のお気に入りの本屋で本買って(Java 初心者本、いいの見つけた〜)、さぁ帰るべと駅に向かって歩き始めたのが午後5時半頃。日はとっぷり暮れてる。

背後から突如聞こえる拡声器の怒鳴り声。

「市民だろうと何だろうと関係ねぇ!……」

そこから先はよく聞き取れなかったけどヤバいって! 何の抗争だか知らんけど一般人を巻き込むつもりかよ。右翼か? 極道モンか? 後ろからいきなり撃たれたくないよ。そーっと、そしてちょっとだけ振り向いたけど、それらしきクルマや人は発見できず。どっかの店に入るふりしてその店の看板越しに見たら、なんか血相変えたオヤジが一人、ママチャリに乗って(時速 6km くらい)片手に無線機らしきものを持って口に当てて喋ってた。セリフはさっきと同じ。ひたすら繰り返してる。

彼が目の前を通り過ぎるときまでは、「やっぱマル暴関係の人かな〜」とも思ったけど、件の無線機からは特に何も応答もないのに彼だけ同じ繰り言をわめいてる。しかも拡声器モードにして街じゅうにガンガン響かせてる。こ、これはいわゆる……、

「黙っててもいろいろ聞こえる人」? (T▽T;)

そういや美内すずえ先生がチャネラーだかそういうのになられていたということを、今年の正月に友達から聞いて初めて知ったんだが、盛岡のこの彼もまた美内先生と同じステージに昇華されたお方だってことなんでしょか。周囲の歩行者の視線を一身に浴びつつ、彼は歩くより少し速い速度のまま盛岡駅方面に消えていった。

駅に着いたとき、彼がいるんじゃないかとドキドキしたけどいなくてホッとした。うん。心からしみじみと安堵したよ。

八戸の街でもいきなりわめき散らす人やケータイも持たずにブツブツ話す人をたまに見かけるけどね。八戸より文化な街にもやっぱしいるんだなぁなんて妙な感心したりして。

銘板左端銘板銘板右端

ひとつ思い出した。何年か前、関東への出張から帰るのに大宮駅のホームで寝台車を待ってたら、けっこうアレな人を目撃したことを。題して

牛乳女

ホームに立ちながら大宮の街で買った本を読んでたら、すぐ前を左から右に、三十歳前後の女性が1人 通り過ぎていった。小声で何かブツブツ言いながら。「何だべな〜」と見ると、彼女はジュースの自販機が並んでるところに向かって歩いていた。また本に目を落として読み込むと、女の怒鳴り声が轟いた。彼女である。

ああ〜もぉ牛乳牛乳牛乳牛乳!

そんなに牛乳飲みたきゃ

自分で買えばいいじゃん!

牛乳牛乳牛乳牛乳牛乳!

牛乳買ったらぁ〜〜〜!?

彼女は叫びながらおいらのすぐ後ろを通過し、元いた場所に帰っていった。今度は目で追うようなことはしなかった。

マジで恐かったんだもん(泣)

銘板
2004.1.7 水曜
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弾丸坊主

夕方6時半から、八戸市八日町 BeFM 局内にて打ち合わせ。ラジオの映画情報番組の。番組名は『八戸フォーラム シネサロン』。打ち合わせ後すぐ収録開始。近日公開作『バレット・モンク』の紹介と、この作品でプロデューサーをやってる、本来はスゴ腕監督のジョン・ウー先生についてのマニアトークコーナーで出演することになったんで。風邪気味だけど声はまぁそんなにひどくはないな。収録中に鼻水が出てこなきゃいいけど、こういうのはけっこう気合いで止まるもんだ。

いやもう人生の師匠っすからウー先生は。うははははは語らせていただきますよラジオトークはあんまし自信ないけど。ええ。なんなら10時間でも20時間でも。え、10分弱? はぁそうですか。いやとにかく頑張らせていただくっすよ。

持ち込みました資料。いろんな映画のパンフレット。ウー先生監督のは『男たちの挽歌』だけだけど、トークのネタになりそうなやつを選りすぐって持ってった。年代順に、

『香港国際警察: ポリス・ストーリー(1985)』『ゴールデン・チャイルド(1987)』『プロジェクト A2(1987)』『男たちの挽歌(1987)』『ロボコップ(1987)』『ポリス・ストーリー 2: 九龍の眼(1988)』『AKIRA(1988)』『激突(1989)』『いつかギラギラする日(1992)』『ポリス・ストーリー III: 超級警察(1992)』『ラスト・アクション・ヒーロー(1992)』『落陽(1992)』『ソナチネ(1993)』『SCORE (1995)』『ロミオ&ジュリエット(1997)』。

このあたりはけっこうまめにパンフ買ってたなぁ。

ジャッキーものは、「ウー先生と双璧を成す香港映画の流れ」ってことで。『ロボコップ』は「ウー先生の黄金香港時代(80年代後半)でも、アメリカアクションも本気を出せばここまで作れた」ということで。

『激突(東映時代劇)』『いつかギラギラする日』『ラスト・アクション・ヒーロー』はねぇ、「既にジョン・ウー先生が全く新しいアクション演出を確立した後なのに、なんでまたこんなにもトロくて見飽きたクズフィルムなんか作ったのかそれぞれ小一時間ほど問い詰めたい」作品群。『落陽』『SCORE』『ロミオ&ジュリエット』は「時々ジョン・ウーのスタイルを真似してる」んで。『ソナチネ(1993)』はウー先生とはまた別なスタイルのアクション編集技法の作品として。『AKIRA』はまぁ、単純にアクションすごいから?(←先生と関係ないじゃん)

『ゴールデン・チャイルド』は「同じくチベット仏教が元ネタのアクションだから」ってだけ。以上のうちいくつかを取り上げてネチネチと吊るし上げながら(笑)マニアトークを展開しようかと。

他に『男たちの挽歌3』(この作品ではウー先生はプロデューサー)の主題歌が入った、梅艶芳(アニタ・ムイ)のライブ CD『光輝歳月特輯 8』」(香港製。「特輯」はたぶん「特集」の意)が1枚。これはさすがに使わないとは思うけど、一応。

打ち合わせのときバレモンのフライヤー(宣伝ビラ)初めて見たけどタイトルすごいね。

バレット モンク
弾 丸   坊 主

ほんとに書いてあるんだよ『弾丸坊主』って(爆)

ちなみに原題は "Bulletproof Monk" だそうで。"...proof" とゆー言い回しは状況によっていろいろ意味がありそう。ではこの場合は何の意味なのか、とたった今英和辞典を引いて、ようやく原題の意図が分かった。

「防弾仕様坊主」または 

「撃っても効かない坊主」

らしい。「防水仕様」を 「ウォータープルーフ(waterproof)」って言うでしょ。

日本の配給会社の付けたタイトル『バレット・モンク』はまぁそれはそれでいいかも。意味は違ってしまったけど、日本語感覚でなら「バレットプルーフ・モンク」より覚えやすくて分かりやすい→「ウケがいい」と思う。直訳の「防弾仕様坊主」だと六文字熟語で、口で喋るとなんだか据わりが悪いし。

だったら四文字熟語で「防弾坊主」だとどうか。"Bulletproof Monk" は英語感覚では「(素の状態で)撃たれても平気な坊さん」という妖術・仙術っぽい意味が期待できるけど、日本語感覚で「防弾坊主」だと「防弾ガラスとか防弾チョッキとかそういうのでがっちり自己防衛してる普通の坊さん」みたいに受け取る人がけっこういると思う。状況ギャグ映画?(笑)

ていうか「坊主」を「ガキ」の意味で捉える人がいたりするとまずいと思うんだけどね。「弾丸僧侶」の方がましだったんでは?

収録本番。まずはパーソナリティさんに紹介されて挨拶して一区切り。次に公開間近のオススメ映画を3本紹介するんだけど、初めの2本は今回誘ってくれたお仲間さんが立て板に水の如くこなし、最後に来ました『バレット・モンク』。これ、おいらが紹介する段取りになってるの。このあと『今日の特集』ってことでジョン・ウー大先生マニアトーク大炸裂という段取りだ。

でだ。オススメ3本目の紹介、いよいよこっちに振ってきました。あらすじの説明からですか。行くぞ!

「ええっとですね、ええ〜……んとんと」

しまったそのあとの特集のことばっか考えてて、フライヤー読んで覚えたバレモンのあらすじ

みんなぶっ飛んじまった!

/ヽ(ヽT▽T)☆⌒・ カキーン!

お仲間さんすかさずフォローに入ってくれて、結局全部やらせてしまった。こっちはその間ひたすら相槌ヒット役に徹し、終わりの方でうまく誘導していただいて、次のマニアなコーナーを予感させる会話を少しやれたぐらいにして。

大変かたじけのうござりました m(_ _;)m

そしていよいよのマニアトークコーナー、何言ったんだかもうほとんど覚えてねっす。持ち込んだパンフの山をかき分けては「この映画のこの場面はやっぱジョン・ウーのパクリですね」「ハリウッドはこの頃こっそりジョン・ウーの真似してましたもんね」とかなんとか。でも一人語りがうまく続けられないんで、ときどき呼び水もらったりしてようやく終わりましたですはい。けっこう出来ボロボロかも (T▽T) アハハ

放送予定は2回。周波数は76.5MHz。エリアは BeFM が聴けるとこ(主に八戸市内)。番組の時間はたぶん15分程度。おいらの記憶に間違いがなければ、スケジュールは以下の通り。

日付放送時間帯備考
1月19日19時30分以降〜20時詳しい開始時間は不明。
編集次第らしい。
1月23日10時〜10時30分以前詳しい終了時間は不明。
編集次第らしい。

まぁ「しょ〜がねぇなぁ」なんてノリで聴いてやって下さい。普段なにげに聴いてるラジオの語りが実はどれだけ高度な技術を要するのか、レギュラーのお二人の見事な語りとおいらのひどさとを比べるとよく分かります(笑) いや、でもがんばったんだよ。ただ練習なしでってのはまだどうもキツくて(←言い訳)

銘板左端銘板銘板右端

1月9日補足:上記の放送予定日、間違いかもしれません。上記より1週間早い気がしてきました。詳しくは1月9日のログで。

1月12日補足:上記の放送予定日、間違えてました。1月9日のログで正解でした〜(汗)

銘板
2004.1.8 木曜
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別名静香御殿

あの芸能人の所有物件なんでしょうか。でも彼の側の建物じゃなさそうです。

その物件を見る。

銘板
2004.1.9 金曜
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放送日を間違えてたか?

あり? おいら出演のラジオ番組の日付、1週間間違えてたかも。1月7日のぶんでは

日付放送時間帯備考
1月19日19時30分以降〜20時詳しい開始時間は不明。
編集次第らしい
1月23日10時〜10時30分以前詳しい終了時間は不明。
編集次第らしい

と書いたけど、ほんとは1週間早くて

日付放送時間帯備考
1月12日19時30分以降〜20時詳しい開始時間は不明。
編集次第らしい
1月16日10時〜10時30分以前詳しい終了時間は不明。
編集次第らしい

のような気がしてきた。とりあえず今度の月曜(12日)の夕方、この番組を聴けばわかるっつうことで。わざわざラジオ局に電話して確認するのもなんだかアレだし。

というわけで、とりあえず12日に聴いてみてくだされ。

銘板
2004.1.10 土曜
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RELEASE の壁、ports の扉。

今度の月曜の夕方、BeFM の番組においらが登場するかしないかはっきりするまで、このページを開くと1月9日の「放送日を間違えてたか?」が表示されるよう設定しとります。

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FreeBSD 話っす。

いつも頼りにしてる教科書『FreeBSD 徹底入門 [改訂版]』で参照してるリリース(4.6)とうちで使ってるリリース(5.1)はこまごまと違っててさ、システムのインストール方法は全く同じだからよかったけど、日本語環境の構築とかインストール方法とかで、もともと手順も複雑なせいでなんだかもうわけわかんなくなっちゃったんで、久しぶりにシステム再インストールしようかと。

やっぱりさ、教科書の環境と自分の環境とがきっちり対応してなきゃいかんと思うのよ。せっかく教科書に 4.6-RELEASE がついてきてるんだから、そいつを入れて1から出直そう。ということで初めて教科書に入ってた ブート CD-ROM の封を切ってマシンに入れました〜!

……読んでくれん。

「この CD-ROM は読み込み不能です」みたいなこと英語で言って、今まで使ってきた 5.1-RELEASE が HD から立ち上がりやがる。てことは以下の3つ。

  1. ブート CD-ROM の 4.6-RELEASE が HD の 5.1-RELEASE と干渉している
  2. この CD-ROM と我がハードウエアとは相性が悪い
  3. 本当にこの CD-ROM が壊れている

のうちのどれかだ。

2. か 3. じゃあもう手の打ちようがないんで、1. に賭けることにした。COMPAQ DESKPRO を開腹して IBM の 40GB HD を取り出して、その HD をPower Mac G4 のスレイブとして搭載して UFS フォーマットでゼロクリア(Windwos ユーザにけっこういいかもしれない情報。ひとつの DOS フォーマットの HD の中に、Windows と FreeBSD は共存可能だそうだ)。DESKPRO に戻して教科書添付の RELEASE-4.6 にて起動だ!

「この CD-ROM は読み込み不能です」

オイ! (  ̄o ̄)っ☆彡

2. か 3. てことになり申したな。どっちにしてもうちの環境じゃこの 4.6-RELEASE ブート CD-ROM は使い物にならん。ということで、再度 5.1-RELEASE インストールの運びとなりましょうか(泣)。

もう手慣れたもんで、一応、設定項目が出るごとに教科書を逐次参照しつつ、インストール作業はサクサク進行。お次は GUI のインストール。その前に自分の PC に ping 打つテスト。うまく返事が来ないと GUI するときエラーが出やすくなるんだそうで。そういや今までこれやってなかったな。どれどれ……っておもくそエラー出てんじゃん。標準エディタの "vi" でネットワーク関係の書類を書き換え。しかしほんと vi って使いにくいなぁ。

ping の応答がきちんと返ってきたんで、どの GUI にするか選ぶ。今回は教科書に合わせて "Window Maker" というやつだ。NeXTSTEP 風なんだってさ。でもこいつ、どうにも使いにくい。ていうかどう使っていいんだかさっぱり分からん。ターミナルもどうやって呼び出せばいいんだかさっぱりだし。やっぱ今まで多少でも使い慣れたあれだなこりゃ。

KDE を入れ直し。これでネット接続が難なく出来るわい(専用ブラウザ "Konqueror" が使えるんで)。そして早速 SETI 落として解析開始。これでまぁ復旧は終わり。ここからさらに日本語環境ゲットへの試練が始まるのだった。

Konqueror だと日本語ページは一応表示できるけど(ほんと「一応」)、例えばターミナルで一応コマンドラインのエラーダイアログを一応日本語で出させたり、GIMP の操作メニューを一応日本語表示したり、一応いろんな書類に日本語の入力も一応したりしたいわけなんですな一応。で、教科書によると一応、日本語は "ports" でインストールするといいよみたいなことが一応書いてある。して ports とは何ぞや。曰く一応(「一応」ってつくづく変な言葉だよね。意味もないのに変に強制力があるような。それに「応」の字、「マダレ + 心」って見れば見るほど不思議なデザインだね)

「ports とは、 FreeBSD でソフトウエアを簡単にインストールするための『手順書』です。ソースコードを取ってくるところからインストールするまでが記録されており、自分のコンピュータ上で全く同じ手順を自動的に再生することができます」(FreeBSD 徹底入門 [改訂版] 216ページ)

なんかよく分からん。確かに /usr/ ディレクトリに ports/japanese/ っつうディレクトリがあって、それっぽいのがいっぱい入ってるんだけど、こいつらはインストーラじゃないの? 「それらを解凍する」=「インストールする」ってわけじゃないの? あと、 Unix では一つのアプリは多数の書類に依存してるのが普通らしく、アプリを何かをインストールするには「他の何かの書類が先にインストールされてなくちゃいけない」つうことで、手作業でインストールするってのはけっこう大変らしい。そこらの依存関係を ports は抜かりなく案配見て自動でうまい具合にやってくれて、人間様は楽ができるらしい。

ほんとかよ(露骨疑)。素の状態の Unix にはおいら、「何かと手間かけないと何するにもまともに動いてくんない」イメージや「裸の王様」イメージを強固に持ってしまってるんすけど。Mac OS X みたいにそれなりの手間暇カネかけた操作フォローの召し使いプログラム陣がデラゴッテリ配備されて素の Unix を押し包んでないと「素人さんはヤケドスルゼ」みたいな。

よく分からんけど、教科書に沿って日本語を扱うには

パッケージ名説明
ja-kon2-16dotAT 互換機で X なしで日本語表示(16ドット文字用)
ja-kterm日本語が表示できるターミナル
ja-less+iso日本語ファイルの中身を表示
emacs-21多国語エディタ
ja-emacs-manual日本語の Emacs 解説 Info (Emacs-ja)
tamago-emacs21Emacs 用漢字入力パッケージ
ja-FreeWnn-server仮名漢字変換サーバー
ja-kinput2-freewnnX で漢字入力するフロントエンド
ja-mtoolsDOS フォーマットのフロッピーを読み書き

これらが必要らしい。で、我が FreeBSD 5.1-RELEASE の usr/ports を見るに、なんかあんまし揃ってないのよね〜。表の上半分くらいまではけっこう揃ってたんで、早速教科書に従って作業開始。cd コマンドで目的のパッケージの中に入っていくと、"Makefile" とかいう書類が見えて来る。この段階で "make install" と打ってリターン! ……でいいの?(←自信なし)(←ヤケドが恐い素人さん)

英文ダイアログが出てきた。

「このパッケージは、ここにはないようです」

ヤバッ! やっぱしインストーラ入ってないんじゃん。どうすべと思ったら続けてまたダイアログ。

「ftp.xxx.xxx にはないようです」

え? お外にお出かけして探してんの?

  「ftp.xxxx.xx からダウンロード中...(p%)」
  「……」
  「コンパイル中: hogehoge...」
  「コンパイル中: hogehoge...」
  「コンパイル中: hogehoge...」
  「……」
  「ftp.xxxx.xx からダウンロード中...(q%)」
  「コンパイル中: hogehoge...」
  「コンパイル中: hogehoge...」
  「コンパイル中: hogehoge...」
  「……」

ひっきりなしにずらずら出てくるダイアログ見てるうち、「ports でインストール」がようやく分かってきたよ。インストールするソフトの依存ソフトが書いてあって、それらがインストールされてなければ、そのソースコードをネット上から探してきてコンパイルしてインストールするんだな。依存性の問題が起きないインストール順も決めてあって、その通りに実行するものだったんだな。うんうん。

コンパイルとインストールは "make install" の仕事だから、「手順に沿ってインストール作業全体を段取る」と「必要な依存ソフトが手元になければ探してくる」が ports の仕事なんだな。ようやく飲み込めた。……で、いいの?(←素人)

正直、「Unix = 気が利かない」なんて風に考えてたから、こんなお便利機能があるとは夢にも思わなくて (^^;)

んでもまぁ、うちの回線が細い上に遅い CPU でソースコードのコンパイルするもんだから、とにかく時間かかるんだわ。emacs-21 で1時間以上かかったよ。でもまぁこいつは BSD 一族の宿命みたいなもんだからな。BSD Unix にもいろいろあるんで、どの環境でも動かせるようにするには、ソースコードで公開して各自の環境でコンパイルするのが一番確実なわけで。

なんでも Linux は Linux に特化したソースコードを公開する例が多いらしく、この「自分さえ良けりゃいいのさ」みたいな雰囲気が BSD 一族から後ろ指差される理由のひとつらしい。ま、ソフトを作る側でも使う側でも、環境が固定されてれば楽ではあるけどね。

Mac OS X で Unix アプリを使いたい場合、OS X を買うと付いてくる開発環境をインストールしないとコンパイルできない。うちの Power Mac G4 + OS 10.3.2 にはまだ開発環境を入れてないんで、"man make"(「ここはひとつ make コマンドの解説をしておくれでないかい?」)と打つと "No manual entry for make"(「make の解説文なんて入ってないです」)とかなりつれない返事が来る。『たけくらべ』の美登里に対する信如くらいつれない。

FreeBSD 5.1-RELEASE で "man make" を打つと、もう「いい加減にしろ!」と言いたくなるほど長ったらしくしつこくそしてクドクドと、かつ懇切丁寧に解説されるんだが。返事がつれないのはいいとして、別にソフト開発なんてできもしないのに、OS インストールとはわざわざ別口で大仰な開発環境をインストールするのがめんどいわけで(100% Pure Java なら開発環境なしでも作れるし)、結局は Mac OS X 専用のコンパイル済みパッケージが重宝なのだな。GIMP も OpenOffice.org もそうだった。代償としてバージョンが多少遅れるなんてのは安い安い。

ということは Mac OS X の Unix としての有り様は、FreeBSD でありながら Linux 的な「自分さえ良けりゃいいのさ」路線なわけで、そこらを BSD 雑誌は叩くのかといえばそうでもない。ときどき Mac OS X 特集を組んだぐらいにして。ちょっと態度が矛盾してると思うけどね。毛嫌いしてないで Linux 特集もやればいいのに。

上の表の "tamago" あたりから ports で見つけられなくなってきたし、夜も明けてきたし、そこらでもう寝ることにしたっす(これ書いてるのは11日)。

銘板左端銘板銘板右端

make install が無事成功したあとは make clean で後片付けするんだけど、そのソフトのインストール時に使った依存ファイルがすべて表示される(正確には、「依存ファイルのインストール用に一時的に作られたディレクトリ名が全て表示される」)。23個出てきたときもあった。こんなん ports なしでインストールしようとしたら、確実に途中で投げ出すこと請け合いだな。

銘板
2004.1.11 日曜
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tamago さがし

なんか知らんけど起きたら右目の右側が痛い。それとは関係なく昨日の続き。

"tamago-emacs21" がない。いくら探しても ports にない。FreeBSD は 4.6-RELEASE → 5.1-RELEASE の間にそこらへんがいろいろ変わってしまったらしい。

しょうがないから ports 内に存在を確認した "FreeWnn-server" と "kinput2-freewnn" を make install。そしたらエラーが出て途中で止まっちまうのよね。「……のディレクトリが存在しません」とか言って。やっぱこれは tamago を先に入れないといかんのかな。関係ないかもしれんけど。

そんでま〜 tamago-emacs21 とやらを探しにちょっくら旅に出た。

このキーワードだとほんの何件かしか引っかからん。どいつもこいつもそれがどこにあるのか教えてくんないし。教科書に tamago プロジェクトの URL が載ってるんで、

ちょいと一緒に訪ねてみますか

[電柱]_-) ソォ〜

なんか、なんつーか、言っちゃアレですけどちょっと古くさい造りのサイトっすね。まぁうちのも同じようなもんだけど。最新の 4.0.6 リリースが2000年1月ってもう4年も前なの? とりあえず落としとこ。いただきますありがとう (-人-)

さらにキーワード "tamago" で探したら "Egg ReMix"っつうのも出てきたよ。tamago の使い勝手をもっと快適にするらしい。けど、まずは tamago をなんとか自分のものにするのが先なんで、とりあえずこれのダウンロードはしないどこうっと。

Tamago Project ページから FreeBSD 機に tamago-4.0.6.tar.gz を落としたけど、実はそこから先、どうやっていいんだか自信ない (^_^;)

gunzip コマンドで gz を解凍して tar コマンドで tar アーカイブを開いて、そいつを ports ディレクトリに突っ込めばいいのかな。それともそのまま pkg_add コマンドでインストールできるのかな。なんだかよく分からんので、また教科書を読み込みつつもぉちっと理解を深めたらやってみるっす。今のとこ「SETI 以外に全く使えない PC」だよ我が FreeBSD 機 (-_-;)

銘板
2004.1.12 月曜
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再放送は今週金曜っす

右目、今日起きたらもっと痛くなってた。しかも涙がドンドコ溢れる。(To −) ←こんな感じ。

つられて左目も、右目の半分くらい涙が出る。(Toτ) ←こんな感じ。

つられて鼻汁もズビズバ流出。

今日は結局 (Tii τ) ←こんな感じで書いでばず(汁)

銘板左端銘板銘板右端

やっぱ放送、今日だったわ。19:30 きっかりに始まったよ。今まさに聴いてる最中(汗)

今、番組が終わったとこ。うう、聴いてるときからのキンチョーが解けなくて、手が震えてうまく打てん。

しかしあんなに長いこと喋ってたんだ。で、おいらあんな内容を喋ったんだっけ? なんも覚えてないよ。番組の流れおもっきし無視して勝手に語ってやがる!(笑)

ていうかこいつ絶対何かに取り憑かれてるぞ!(爆)

再放送は今週金曜(16日)の朝10時〜10時半頃。周波数は76.5MHz。エリアは BeFM が聴けるとこ(主に八戸市内)。15分程度かと思ったらほとんどまるまる30分番組だったよ。いやほんとべろべろ喋りまくってたなぁ (^_^;)

銘板
2004.1.13 火曜
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平成の成人式に思ういろいろ 1

〜 彼らの用語の文法的解釈 〜

昨日の放送を聴いたときには気付かなかったけど、あとでよくよく考えたら、1月7日に書いた、話を振られてしどろもどろになったところ、編集でうま〜く切り詰めて下さってた (^_^;)

編集された方(パーソナリティの横田さんご自身かな)、どうもありがとうございます。お陰様であやうく首の皮一枚で繋がりました(←いや、ちょっとこの表現を使ってみたかっただけ)

銘板左端銘板銘板右端

珍しく時事にそぐったネタなど。鳥ウイルスもやりたかったけど成人式について。新聞の調子は双方の主張を紹介しながらも、新成人を非難する旧成人サイドに軸足を置いてるっぽいんで、そんならこっちは別に呼ばれたわけじゃないけど、旧成人の方針を糾弾する新成人の側に重心を置いてみようかと。他にも「旧成人の頑固さに同調する頑固な新成人」とか、「新でも旧でもない中途半端な成人(←自分)」とかその他の合計の方が圧倒多数なんだろうとは思う。それに自治体によってはお盆シーズンに成人式やるところもあるし、問題が出ていないところ、出ないように工夫しているところ、試行錯誤している最中のところなど様々あるとは思うけど、まぁ今回は

なんも対策してない旧成人

vs

なんの心構えもない新成人

双方ラジカル同士のマッチメイクって設定でひとつ。

ハメ外す新成人ばかり大きく報道されるけど、そんなにたくさんのやつらが騒いでるんか?(いきなり全開) ごく一部だと思うぞ。まぁその「ごく一部」の割合が年々大きくなってるらしいのは問題だとは思うが。でもそれ言うなら、今どき「20歳だから」という理由だけで自治体が予算出して20歳の住民をガバッと集める意味あるんすかね。

集めた結果、なんだか陳腐で退屈な儀式で新成人という一応大人の貴重な時間を奪って潰してどうしようってんですかね。招待の形を取って自分に付き合わせて時間資源を奪う側なのに、「きちんとしないでけしからん!」なんて、端から見てて「大の大人がいい歳こいて逆ギレかよ」と思ってしまうんだが。

そういやとりあえずおいら、言葉遣いの疑問が昔からちょいとあるんだが。ちょうどいい機会だからここに出してみる。

オヤジの怒鳴り用語でおなじみの「きちんとする(きちんとしろ!)」「けしからん」とは具体的に「何がどうなること(自動詞的解釈)」を表すのか、または「何をどうすること(他動詞的解釈)」を表すのか。これがもう疑問で疑問で。いやマジで。こういう言い方を好んで使ってる人たちに正面から訊いても、まともに答えてくれないんだもん。「屁理屈だ!」とか言ってみっともなく逃げ回ったりして。

「屁理屈だ!」の後って言葉を続けにくいんだよね。会話の尻になりがちな言葉ワースト1に「喧嘩売ってんの?」と並んで燦然と輝く、ほんとに嫌な言葉だ。自分だけ勝手に会話を切り上げて勝った気で逃げるんだもんな。「屁理屈だ!」はすなわち「イタチの最後っ屁」だったんだな。言う方もそれ分かって言ってるからタチ悪いんだ。必殺技のつもりでいやがる。こっちはそういう悪い方向に話を持っていかないように腐心してるってのに。

口をついて思わず「あ、逃げた!」なんて返した暁にゃ相手は勝った気分を害されて(勘違いだっつーの)そこから先は、この Web 日記を読んでくれてるみんなはご存知の「体面 vs 体面 の 正のフィードバック状態」に入っちゃって、何が正しいのかなんかどうでもよくなっちゃって、お互い、ただひたすら目の前の相手を屈服させることしか考えられなくなるんだ。

争ってる二人は自分の存在意義を肌で感じたりしてある意味幸せだからいいとして、その場は最悪に荒れるんだよな。居合わせた人の身にもなれよな。ブツブツブツブツ……。それにしても「屁」と「屈」、似てるな(妙にしみじみ)……。

それで、「けしからん」は文法的にどう解釈すればいいのだ? マジで難しいぞこれ。ラ行四段活用(←自信なし)動詞「けしかる」の未然形「けしからぬ」の現代語訛りか? だったら何だその動詞「けしかる」の意味は。存在自体が怪しい単語だけど。はたまた実在したかもしれないけどしなかったかもしれない古語成句「けしかるらむ」(←今考えついた)の現代語訛りの可能性もあるな。それじゃ「けしかるらむ」説を検証しよう。

「〜らむ」の意味は、角川新版(163版・S59年発行)古語辞典によると「1. 眼前にない現在の事実について推量する意を表す。いまごろは…ているのであろう」「現在の事実についてその原因・理由を推量する意を表す。…ているのであろう」この他いくつか。大意は「当て推量をする」らしい。

そしたら例えば、目の前にいる人間に「お前らはけしからん!(=お前らはけしかるらむ!)」と一喝した状況での現代語訳は

  1. 「お前らは今頃けしかってるんだろうなぁ!」
  2. 「お前らがこうなったのは、今までずっとけしかってきたからなんだろうなぁ!」

かな。おいらの解釈が正しければ。1. は時空間論理が破綻した凄まじい文になっちゃったぞ。これじゃないよないくらなんでも(汗)。2. の意味なら矛盾ないかも。でも「けしかる」の意味が何であれ、いきなりそんな過去のこと怒鳴られてもなぁ。

で、「けしからん」がお好きな偉い先輩方、どなたかそろそろ正解を教えてくだすってもようはございますまいか。しかれど、分からぬとでもゆめゆめ仰るれば、相手に威嚇的に発した自分の言葉の意味もろくに分かっとらんで、そのくせふんぞり返って威張りくさっとる、目上で間抜けなあなたがたというこのシュールすぎる現実、「喜んで」でも「慎んで」でも、いかようでも受け入れられ(←受け身ではなく可能の「られ」)るものでは到底ござりませなんだが旧成人かたがた、いかがか。あなたがたのその尊大なるご態度に値する見事なるお知恵とご見識、今こそ何とぞお授け頂きとう存じ上げます m(_ _)m

ああ、おいら自分で答えを見つけちったよ。「教えてクン」じゃカッコ悪いから、とりあえず前出の角川古語辞典を自分で引いたらすぐ出てきたよ。

けしからず【怪しからず】 1. 異様だ。はなはだしい。 2. よくない。不都合だ。

だそうで、まぁここまでは分かるんだが、

3. 悪くはない。相当のものだ。

逆の意味も出てきたぞォィ。怒ったり嘆いたりしてるようにしか感じなかったけど、意外と褒めてた?? それじゃ例えば「最近の成人式の荒れようはけしからん!」の訳は

「最近の成人式の荒れようは悪くはない!」

だったりして。めちゃめちゃ変だけど、ここは「変だからボツ」なんて主観で決めつけず、このまま科学的検証に入りたい。綺麗にできそうなんで。もしも 3. の出典の年代が 1, 2 の出典より明らかに後ならば、「より現代に近い用法」としての説得力が出るだろう、との見解で。現代との年代差をそれぞれ算出し、それらの比率を取ってどのくらいの時間差があるのかも定量的に吟味すれば、何か確たる答えが出るやも知れない。

YAHOO! 検索によるサイト調査結果:

 タイトルジャンル年代(A. D.)現代(2000頃)
との年代差
1.『枕草子』随筆1000頃10001.0
2.『宇治拾遺物語』物語1200頃8000.8
3.『蚊相撲』狂歌1700〜〜300〜0.3

*: 1. の『枕草子』を基準にした「現代との年代差」の比率。

注: 3. の『蚊相撲』の年代は不詳だったが、狂歌一般の出典年代がおよそ
1700年以降だったことから「年代差は最大300年」と判断した。

検証の結果、「けしからん」の意味は 3. の「悪くはない」「相当のものだ」がダントツで妥当ということに決定されました。異論のある方は、今回の結果を覆すに足る論拠および資料(コピー可)を添付したその異論を、eメールにて私宛で提出して下さい。報酬はありません。資料・書類等の返却もありません。あなたの異論を私のサイトにて発表するかどうかは私の一存にて決めさせていただきます。

と……意外な結果に自分でもちょっとビックラしたけど、違うよね。あぁそうか現代語でも調べればいいんだ。岩波国語辞典第五版では、

けしからぬ ((連語))道理や礼儀に反していて良くない。不届きだ。「〜行い」「彼の言い分は〜」▽「けしからん」とも言う。文語形容詞「異(け)し」に由来する語。

ああなんかすごく安心した (^▽^;) これでなんとか旧成人たちの面目が保てた。……っておいら新成人の側のはずだったよな?(汗)

話はズズ、ズイッと戻りまする。

結局なんでまた成人式を段取る旧成人たちは新成人との意思の疎通のないまま、あくまで自分たちのスタイルにのっとっての昭和的式次第を強行しようとするのか。まさかとは思うけど、わざわざ集まった新成人たちの視線を一身に受けつつ、「皆さん私をご覧なさい。大人はこんなに無能です」と告白して、新成人を自分と同じダメダメダークサイド オブ オトナワールドに染めてしまうための謀略でありぬるのか、それとも他に何か止むを得ぬ事情がをりぬるのか、はたまたやっぱり彼らは何か重大な要素を見落としてはべりぬるのか、まぁもったいぶっちゃってるんで 3 番目の「重大な要素を見落としていまそかりぬるんじゃないのか」について語ることはもう明かしちゃう。

ところが今日はこのへんで。長くなりそうなんで。以後は明日以降へと持ち越しでござる。

銘板
2004.1.14 水曜
前日に飛ぶ
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少々お待ち下さい

続きを準備中につき、少々お待ち下さい。

お願い:番組再開後、出演の幼児の一人がクマのぬいぐるみに入れ替わっていても気にしないで下さい。

銘板
2004.1.15 木曜
前日に飛ぶ
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クマの代わりの Java

手元にクマのぬいぐるみがなかったんで、代わりに最近の Java の習作でも。ていうか教科書の丸写し。

炎上!

出典:『楽しく学ぶ Javaではじめる画像処理プログラミング』
  著:杉山 三樹雄
  発行所:株式会社ディー・アート(D ART
  発行:2002年12月20日

ブラウザの設定で Java が ON になってないと作動しないっす。Java の要求バージョンは 1.3.x 以上かな(不明)

銘板
2004.1.16 金曜
前日に飛ぶ
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平成の成人式に思ういろいろ 2

〜 昭和国民 vs 平成国民 〜

早い話が世代間の意識のズレ。カタカナで言うとジェネレーションギャップ。

これがまぁ毎年この時期、日本全国各地であらわになるんですな。成人式で。でさ、いつの時代でもそれはあったはずで、なんでも古代ギリシャの遺跡から出てきた文献に「最近の若いものはなっとらん」と書いてあったらしい(笑) いつでもどこでも世代間では物の捉え方にズレがあるもので。で、なんでいがみ合うのかと言うと、双方とも、当たり前だけど大事な、あることを知らないからなんです。当たり前だけど大事だってことは、そりゃ基本だってことなんです。その基本とは何か。

常識や信念は人によってそれぞれ違うので、
自分の常識や信念を他の人に押し付けちゃいかん。

めちゃめちゃ当たり前のことなんですがね、全く知らない人も多いんですな。「自分の信念と常識=世の中の信念と常識」だと思い上がってたりして。まぁ共通の信念を大事にするってのもありだけど、それも時代によって変わるんだよな。しかもけっこう派手に。100年くらいで変わってくれればまぁ意識のズレも起きにくいんだろうけど、明治維新以降はもっと短い間隔で世の中の常識がガラッと変わってきてるでしょ。教育制度や社会の雰囲気の変化も世代間の意識をずれさせる要因になるし、特に戦後は科学技術のますますの発達・普及に伴って、意識のズレが発生するスピードがもっと速くなってきてると思うよ。

15年前、携帯電話のマナーが社会問題になるなんて誰が考えたかねぇ。30年前、「子供がビデオゲームをやり過ぎると人格形成に問題が出るんじゃないのか」なんて誰が心配したかねぇ。外国の話だけど、数年前、ネットサーフィンにハマりすぎて自分の子の面倒を見なくなった女性が、幼児・児童虐待の容疑で逮捕されたなんてこともあったな。10年前には考えられなかったことも起こるようになったってわけで、近現代の世の中ってのはそのくらいめまぐるしく変わってるわけで、そんな中で育つ人ってのもまた、世代によってそれぞれ違う感性を持って育つわけで。

で、毎年の成人の日になると、普段はなかなか表面に出てこないそのギャップが、日本各地で一斉に表面化して炸裂するわけで。

対立しあう双方とも上記の基本が分かってない場合、いさかいになるわけだ。で、ここはひとつ双方とも成人なんだから大人同士の理解ってやつを期待したいけど、より大人な方がまず冷静に状況をリードして、大人になりたてのヒヨッコたちを、ヒヨッコたちが何がなんだか分かっていないままにでも、あれよあれよと成人としてあるべき方向に手練手管で誘導すべきなわけで。ところが……。

旧成人サイドは、昔の画一性重視の護送船団方式の教育を受け、その路線の社会を当たり前として生きてきてるわけで、いわゆるその何だ、「ゆとり教育につなげるぞ! 平成個性を伸ばせ新教育」みたいな教育を受けて育った若者たちを待ち構える理論武装の程度がかなり低いんスよ。で、丸腰で(昔の常識しか考えない状態で)成人式なんてのを開催するもんだから何がなんだか理解できなくて、当日その場でブチ切れちゃうんだわな。

そんな旧成人のために、日本の近代史のおさらいでもしてみるか。

日本社会が大転換をしたのは、近代からだとまず明治維新、次に第二次大戦後だよね。でもその2つに勝るとも劣らぬ大転換の節目が、つい最近あったんスよ。バブル経済。これ。バブル体験前と後で、社会の様子がかなり変わってしまった。何も平均株価と地価が下がり始めて、それまでは「絶対につぶれない」とされてた銀行なんかもバンバカつぶれるようになっちゃったとかそういう言い尽くされたことばかりじゃなく、社会意識でもっとすごい変革がありましたですわ。つまり

日本が歴史上初めて 富貴の味 を知ってしまった

のですよ。ここでいきなり歌でも引用。中島みゆき『ファイト!』(1983年)より

ガキのくせにと 頬を打たれ 少年たちの眼が 年をとる
悔しさを握りしめすぎた こぶしの中 爪が突き刺さる

それまでは、勉強と勤労こそが幸せをゲットする王道的手段だった。みんな頑張ってる。自分も頑張ってる。そうしているうちに日本経済は自動的に成長していく。おれが大人になった頃には、おれを今バカにしてる大人たちよりもずっといい暮らしができるんだ。。そりゃ見下されようが頬をぶたれようが、こぶしの中に爪を突き刺しててでもなんぼでも頑張りますわ。ガツガツだろうがアクセクだろうが別にいいじゃねぇか。ウサギ小屋に住むエコノミックアニマルだっていいじゃねぇか。他の生き方知らないんだし、こうしてりゃ確実にいい老後が待ってるんだよ。

昭和な人々はそうして暮らしてきたんだが、「所得倍増計画」や「日本列島改造論」によるのかよらないのか知らんけど、生活水準の改善カーブは思っていたより急速にその角度を増し、ついにほとんど垂直に近いほどまでグラフの線は屹立した。それがバブル。いや〜あの頃は「こりゃ何かどこかおかしい」と思いつつも、この状態が永遠に続くもんだと錯覚してたなぁ。昭和の苦労はこんな形で報われたのか、と今思えばしみじみもしたりするけど、バブルの夢は月光仮面の如く「疾風のように現れて 疾風のように去って行く」

今はもう昭和時代の常識が通じなくなったっつうことで。自分の常識が通用しないってぇのは外国で暮らすとけっこう実感するもんだが、その状況を当てはめて、しかもこれがまたちょうどよく元号の節目と一致するんで、「バブル前=昭和国」「バブル後=平成国」と勝手に名付けてみる。

今年は平成16年。新成人たちにしてみれば、物心ついたあたりがちょうど時代の節目だったんだな。彼らの意識では平成国にしか住んだことないってことになる。一方そこらを全く考えない昭和丸出しで丸腰のオッサンたちは、自分たちはみな昔どおりの昭和国に住んでるもんだと思い込んだまま成人式のステージに立つ。そして「けしからん!」とブチ切れる。

昭和国は、年が明けて数日しかなかった幻の昭和64年と、それにすぐ続いて360日にも満たなかった平成元年の間のあのやたらどさくさしてなんだか落ち着かない様子で七草がゆをすすったあたりに現在の平成国に生まれ変わったんで、もはや地球上には存在しないのだよ。

しかし昭和国はまだ生きている。でもそれは心の中でだ。詳しく言うと、旧成人だけの心の中でのみだ。

もう少し詳しく言うと、昭和人の多くは昭和国と平成国の区別が付いていない人が多いようだが、平成国民にとっては昭和国なんて、ずっと前に消滅したアジアの1カ国でしかないのだよ。昭和国民の感覚では「アジア」=「遅れた国々」のイメージが強いけど、平成国民の感覚では「アジア」=「ガムシャラに働いて富を貯め込む、活気溢れる成長中の国々」らしいのよ。で、彼らにとって昭和国とは、そんなガムシャラ国家のうちのひとつでしかないのですよ。昭和なんて時代は彼らにとっては生きて血の通った体験なんかじゃなく、昆虫標本みたいな死んだ知識なのですよ。

そして今、旧昭和国民たちが住んでるこの国は、平成国なのですよ。おいらたちみたいな生まれも育ちも昭和国な輩は、実は故国が崩壊した直後にまるごと平成国に引き取ってもらって移住した形になっているのだよ。新しい土地に移ったら、その土地の習慣を覚えるだけでも早く覚えて、形だけでも合わせた方が仲良くやっていけるに決まってるのに、消え去った故郷の常識にばかりいつまでもこだわり続け、挙げ句の果てに平成国で育った平成国民たちに自分達の習慣や常識をゴリ押しするのはお門違いなのだよ。

例えばだ。平成の成人式の様子に「けしからん!」と激怒するような筋金入りの昭和国民がだ。アメリカのどこかに平均的アメリカ人が持つような家を買ったとする。家具調度品もその住宅街の雰囲気に合わせたとする。例えばの話だよ。そしてアメリカ人の新しいご近所さんたちを家に招いたとする。すると彼らはなんと土足で上がり込んできやがった。ケシカラン系のあんたはその時どうするだろうか。断言するよ。

「人の家に土足で上がり込むとはけしからん!」

と怒鳴って隣人たちを家から叩き出す。

これ以外にないだろ。いきなり激怒するもんだから、これから仲良くしていこうなんて思ってた人のいいご近所の皆さんがたはびっくりさ。空恐しくなって逃げて帰っちゃった。あんたそこではもう近所付き合いできないよ。「あそこの人はヤバい」って噂が広まっちゃって。気まずくなって引っ越してもそこでも同じトラブルで孤立。

何回やっても同じ。

寂しい。

けど自分の常識は変えたくない。

変えてみたらどうかななんて発想さえない。

帰る故国はない。

どうなるか。

同類同士で集まって、それぞれがそれぞれの縄張りを主張し合う。

二つの民族間で意思の疎通が不可能なため、お互いににらみ合うか、無視し合う。

さてさてこの平成日本国ではここらへん、具体的にどうなっておるのかというとぶっちゃけた話、

成人の日:にらみ合う。
それ以外の日:無視し合う。

この分かりやすさが国情の安定に一定の貢献をしているのかもな (^_^;)

「けしからん!」と若者を一喝するだけなら楽だわな。そうした人はそのときだけ気分が晴れるってだけで、別に何も解決したわけじゃない。

昭和の昔みたいな大量生産式「指導という名の暴力オッケー」教育を受けた世代だとまぁ、首長の挨拶中はヒソヒソと私語する程度で収まりもしたけど(みんながそれやるから「ガヤガヤ」になってたわけだが)、今はほら、子供に個性を求める時代だからさ、子供たちもその期待に応えて、個性的に振る舞おうと育っちゃうんだよ。そうするとですな、ほぼ全国一斉にその式典やるんだから、こういう無個性お仕着せ的な式典に我慢できない「個性的に育った」やつらがですな、確率論的に日本のあちらこちらで暴発するわけですよ。あくまでも確率論的に。

どこで暴発するかは分からんけど、暴発することは必然なんですな。だから別にニュースにするほどのことでもないんですな。しなけりゃそりゃ奇跡が起こったのと同じ。そっちの方がセンセーショナルだったりして。

まぁこのくらいまで考えが進むと、富貴を知った日本社会が「もうガツガツ働いてガツガツ育てるのはなんだかみっともなくて。それにみんなと同じじゃこれからは生きていけないみたいだし」と「個性を伸ばす教育」を選んだ時点でもうどうしようもないっちゅうことが分かりますわな。今さら「けしからん!」と激怒しても、もう遅いの。

「ゆとり教育」の問題はよく言われるけど、おいらもあれはやり過ぎだとは思うけど、この期に及んで昭和時代の「体罰で何でも解決」や「流行れば何でも禁止」なんつう頭の悪いだけの教育方針に戻したくもないでしょ。皆が納得できる理由があれば、体罰も流行り事の禁止も別にいいとは思うが。

小学生のみぎり、学校からのおふれで「セミドロップ禁止」が出たときは意味分からなかったな。当時、子供向け自転車で「セミドロップハンドル」というスタイルが流行ってたんだ。流行ったとたんに禁止。なんでも「スビードが出過ぎて危険だから」とかなんとか言ってたけど、それよりもっとスピードが出るタイプに付いてくる「ドロップハンドル」はおとがめなし。

結局本当の理由は「流行ってるから禁止」ってだけだったかと。今思うと、子供にさえバレるウソついてどうしようって気だったんでしょうか。まぁおいらはママチャリ系だったんで関係なかったけど、禁止を言い渡された子供たちも、別に文句も言わずにそれに従ったり、持ってるやつは引け目を感じつつこっそり乗ってて、大人がそんな安易な真似しても大事に至らずに済んだのが昭和国だったのだな。いや、だって指導・教育・躾の名義なら暴力・折檻全然オッケーだったし。子供より大人の方が腕力あるからな。そりゃ子供は大人の言うこと聞くって。

昭和国の文明社会の基盤はジャングルの掟だったという、返り見すればものすごく分かりやすい世の中でしたなぁ。まぁセミドロップ乗ってたやつらも、せっかく買ってもらったものなんだもん、学校が禁止しようが何だろうがきっちり使い切るのが、買ってくれた親への義理であり道理でもあり孝行でもあるよな。

時代はもう変わったんですな。「国が変わった」と言っていいほど変わったんですな。平成国では昭和国の常識なんて通用しないんですよ。そしてこの国は今、昭和国じゃなく平成国なんですよ。

朝日新聞の報告によると、どこかの市の成人式で、新成人の挨拶のとき、新成人代表は演台の上に土足で上がり、彼の前に挨拶した地方議員さんたちを槍玉に挙げたんだそうで。彼の次の市長の挨拶のとき、市長は「若者の考え方」に理解を示しつつ、「神聖な演台に土足で上がるとはけしからん」(←記憶に頼っているので正確ではないかと。意味はこんな感じってことで)と言ってのけたそうで。

演台を別に神聖とは思わんのが平成国の常識なのでは? この市長、どうも新成人代表の行動・態度全般を否定したかったような印象を受けるが、それやるとあまりにもみっともないので口実を演台に見つけて攻撃したような。まぁその日の主役が誰なのかを理解して、ある程度自分を押さえたところは評価できるが。

だってたかが演台だべな。どこが神聖なんだあんなの。

確かに見た目はどっしりとして、聴衆から見える正面と側面は繊細な造形までしてあって立派に見えるけど、裏側は空っぽなんだぞあの箱。ガランドウの演台の内側は材木むき出し。実際に演台の端っこを掴んで持ち上げてみると、表からの見た目よりずっと軽い。学校で体育館掃除をしたことあれば分かるよね(かくれんぼの人気スポットだったりもして)。それで分かるのは、あのオモテヅラだけの装飾と無意味なまでのバカデカさは、演説する人をワンランクアップさせるための小細工だということ。

機能上は事務机でも構わんけど、腰から下を全て隠すことで、聴衆に余計な情報を流さない点で事務机より優れている。上半身じゃ立派なことを言ってても、足が貧乏ゆすりしてたら演説の説得力激減だからね。女性演説者のガニ股も男性演説者の内股も印象がよろしくない。だったら余計なものは見せないでおこう。ついでに装飾もしてそれっぽく飾ろう、てな感じ?

さらに明らかに必要以上のあの無意味なまでの演台の巨大さは、安定感の演出はもちろんだけど、昭和的力強さの表現でもあるんではないのかね。おいら、子供の頃から感じてたんだけど、演台に立つ人って、戦車の砲塔か潜水艦のブリッジ上のハッチを開けて身を乗り出してる軍人に見えるんだが。いやほんと構図がすごく似てる。そういうデザインに威光を感じる人もいるだろうが、別に何も感じない人もいるのだよ。

その方向性をありがたがる感性なんて、戦艦大和と一緒に轟沈したんじゃなかったですかね。まぁおいら戦艦大和は好きだけどね。権威としてじゃなくメカとして。演台はメカじゃなくただのハリボテの箱なんで、いくら巨大でもおいらにはさしたる感慨など湧き起こらないっす。

これも体育館掃除したことがある人なら分かるはずだけど、あれ、拭くとき雑巾を使うよね。ゾーキンだよ。床を拭く道具で掃除する程度の物体なんだから、土足で上がっても別に問題ないと思うんだが。土足で上がられちゃ嫌なものならせめて台ふきんだよな。それでも日用品ランク。ちゃぶ台とか。つまり演台の地位はちゃぶ台以下。それでも「演台は神聖な物」と主張するのなら、フェルトだのビロードだのの専用拭き拭き道具くらいあってもいいんでないかのかねぇ。掃除を小僧どもに任せていいもんなんかねぇ。

それに、使わないときは邪魔っけにされてステージの隅に押しやられてるけど、そんなに神聖なんだったら専用の収納庫ぐらいあってもいいだろ。観音開きの扉と収納庫全体を覆う布、必須ね。本当に神聖な物なら。

教育の場である学校であくまで「演台の地位はちゃぶ台より下」と教わっちゃってるんだもん、ある日突然「神聖だ」って言われてもなぁ。イスラム教徒に仏像を無理矢理拝ませるようなもんだぞ。

以上の事実により、演台を神聖と感じるのはせいぜい個人レベルの感性なので、それに土足で上がったかどで他の人を責めるのはいかん、ということが立証されるわけだ。ついでに追い打ちかけちゃうと、演台を使ってアツく演説する偉い人、何か言うごとに拳を振り下ろしてその「神聖なる物」をドッカンドッカンぶん殴るわけですが。神聖な物を扱ってるようにはとてもとても見えんのですが。演台を単なる道具として利用してしてるようにしか見えんのですが。あれはなんでセーフなの?? 「演台は神聖」派の市長さんはこれ、まさに「けしからん」行為だと思わんのですかね。

実はその市長が不快感を表したのは、また別な観点からなのかもしれん。「これから自分が目の前に置いて使う物を汚された」ということで。その気持ちなら分かる。でだ、新成人代表君もそのことにちょっと気をつけてほしかったね。正装してたんだろうからハンカチも持ってたろう。だったら土足で上がった後はハンカチで拭いておけば完璧だったなぁ。

ほんとハンカチで十分。どうせ普段はゾーキンで拭かれる程度の代物なんだしさ。聴衆の前でさらに「たつ鳥あとを濁さずってことで」なんて笑顔で語りながら拭くと聴衆はその行為を理解でき、彼への支持はさらに上がったことだろう。

そんなわけで、実質的に外国人である新成人の素性・性向をろくに知ろうともしないで、自分の常識が当てはまらないからと新成人と鋭く対立する旧成人ってのは、いい歳した単なるだだっ子だってことなんですな。やつらなんか気にするほどのものじゃないよ。そこの道端を風に吹かれるがまま転がってるドクターペッパーの空き缶の方が、リサイクルできるだけまだ価値がある。

そんなことでとりあえず、新成人には壇上の旧成人の無様なその姿から、「あんな大人にはならないようにしよう」とのメッセージでも軽く受け取ってもらえればまぁ、旧成人の平均的なアカパンカビ繁殖型アクビ噛み殺し演説も、まるきし意味がなかったってわけでもないんじゃないですかね。

「何でも欧米式が優れてる」って論法は嫌いなんだが、向こうでは「5分おきに会場を沸かせないスピーチは最低。つまんなかったらブーイングで壇上から追い出し可」が常識らしいぞ。これは平成国の常識でもあると思うんだが。

そんなわけで昭和国民のお偉い皆様、そろそろ態度をお決めになる頃合いかと存じまする。

  1. 年々狭くなっていく昭和派社会から一歩も出ず、平成国の邪魔者として疎んじられながら野たれ死に
  2. これからは平成国民の先輩方からこの国の常識や理念を学び、仲良くやっていく
  3. その他、上記のいずれとも違う独自の道を見つけ、その道を進む

新でも旧でもない中途半端な成人や新成人たちにしてみれば、どの人間と仲良くやっていきたいかといったら 2. か 3. かしかあり得ないんだがね、旧成人たちもせっかくこの平成日本国で一緒に生きて暮らしてるわけだから、余計なお世話にならない程度にどうにかしてあげたいわけで。

おいらはそのことについても楽観的だけど。改心して 2. や 3. をに乗り換える人もいるだろうし、そうしようともしない無能で怠惰な御仁は、長くないうちにお迎えが来て墓の下だしな。

で、招待客が年々ラジカル方向に変わっていく平成国新成人の成人式、旧成人は式次第をどういう方向に持ってったらいいのかが次回だ。

ていうかしょうもない話ばっかしダラダラとすんません (^_^;)>

銘板
2004.1.17 土曜
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平成の成人式に思ういろいろ 3

〜 打開策は商売ノウハウにあり 〜

それにしても壇上で偉そうに何か言ってる人、それだけのイベントに値する内容を喋ってるんすかね。悪いけどおいらの成人式のとき、おいらは黙って八戸市長の話を聴いてたんだが、何を言ってたのかなんて全く覚えとらん。てか八戸市長が当時誰だったのかさえ忘れた。昔のクラスメイトに久しぶりに会ってダベりたい気持ちでいっぱいのさなか、知らないオッサンの世間話程度のお話なんかをじっと我慢して聞く意味あるんすかね。あれ、招待客たちにとっては拷問を受けるに近いものがあるぞ。

暴れる新成人を報道するなら、首長がその式典で何をどう話したのかも記事と同時に公開してほしいもんですな。何らかの形でそれを評価するシステムを構築してですな、内容によっては「壇上乱入やむなし」「ブーイングで引きずり下ろしやむなし」「私語やむなし」「なるべく静かに聞くべし」「万雷の拍手を贈るべし」なんて具合に採点・評価するとですな、壇上で喋る方も年々、内容や表現技法に自然と磨きをかけていくわけです。

あと、若い人に合わせるという手では、何年前かにどこかの市長がロックコンサート形式で成人式をやって喝采を浴びた、あの故事が思い出される。あの真似はあの市長以外にはなかなかできんけど、あのことを一般化するとですな、「今時の若者は、綺麗に可愛くカッコよくラッピングされたものしか手に取らない。ていうか目にも入れない」ということなんですな。

いろいろとまぁ世の中に出回ってる製品ってのは、本来なら使い心地や性能の善し悪しで売れ線かどうかが決まるべきものなんだが、本当に売れるかどうかとなると実際は違う。最近の商売の常識がまさに、「どんなにいいものでも、製品宣伝や化粧箱の出来・不出来で受け入れられ方がまるで違う」なんですな。商品そのものの内容より、商品が身にまとうイメージ、これが最重要なんですわ。

その本質的内容物がいくらおいしいものだろうがためになるものだろうが、平成国民はラッピングが悪いと誰も見向きもしないのよ。そういうことで、どうせ自治体がカネかけてやる式典なら、今みたいな中途半端な形式じゃなく、道路工事の無駄な予算を一部削ってそのぶん成人式の方にもっと予算を上積みしてさ(どうせどっちも無意味なんだし)、一流どころの演出家だのプロデューサーだのアーティストだのを動員して、めちゃめちゃ派手でめちゃめちゃ楽しい「来てよかった! (T▽T)」なお祭り式典にすればいいんではないのかね。確かそれを実行した自治体もあったはずだが。

一流どころでなくとも、地元にそういう人たちってけっこういるじゃないの。例えば高校演劇の地区大会の審査員やる程度の人なら、ギャラさえはずめば有り合わせの人材・資材でけっこういい演出してくれるだろ。年によって当たり外れが出るのもまた一興だ。個性的な演出がされてれば長く覚えててもらえるから、後々、年代・地域の同じ人・違う人を問わず、成人式の話題で盛り上がれたりもするだろ。

「けしからん!」と自分じゃその言葉の意味さえ理解していないくせに一喝する威勢のいいオッサンたち、その元気を自己満足で終わらせないで、もっといい方向に放出したらどうだね。知恵は貸したからな。

銘板
2004.1.18 日曜
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だからウイルスって何なのさ

PC のウイルスじゃなく、生物のウイルスについて。

大流行中の鳥ウイルス、狂牛病と並んで食肉産業に打撃を与えてたりしてこりゃ関係業界は大変だねぇ。患畜発生で大量処分した養鶏場、国や自治体からそのぶんの保障金をちゃんともらってるんだろうか。

感染経路の解明も、渡り鳥説とかで諦めムードが漂ったりしてるんで、もうこいつはこのまま定着して毎年冬に大流行するんじゃないだろかなんて考えたり。そういえば今冬も予想通りというか SARS の患者が出てしまったし、「鳥ウイルス」と「SARS」は冬の風物詩として俳句の季語に採用されたりして。

で、最近の新聞紙上でその活字を見ないことはない「ウイルス」、そもそもこいつはどういうやつなのか、何かちょっとだけでも知っといた方が、ただ怖がるよりはずっとましなんじゃないのかっつうことで、自分の知識整理を兼ねて書いてみようかと。

ウイルスって細菌とごっちゃにしてる向きも多いみたいだけどちょいと違うのよ。確かにどっちも微生物だけど、まずサイズが違う。普通の菌は理科室の顕微鏡でどうにか見える(1〜100マイクロメートルくらい)けど、ウイルスは電子顕微鏡じゃないと見えない(10〜100ナノメートル)ほど小さい。それと増殖方法も違う。菌類は他の大型生物に寄生しなくても、エサや周囲の気体や液体、温度などの周辺環境が整えば細胞分裂の形で増殖できるけど、ウイルスの増殖には他の細胞生物に寄生することが絶対条件。それでさ、今日の本題はこの、「ウイルスの増殖方法」。こっれっがっ かなり強烈なんだわ。以下を読み終えると、きっとあなたはウイルスのあまりのいやらしさに、アカパンカビだの病原性大腸菌 O-157 だのがかえってかわいらしく思えてくるはずさ(笑)。前にちょいとだけ読んだことがある『微生物学概論』という本(題名に自信なし。黄色い表紙のやつ……ってそれで分かるんかい)の受け売りだけんど。

まずウイルスの外観について。弾丸形、多形・球形、球形、正十二面体とある(こちらのサイト様を参照しました)。受け売りのネタ本では正十二面体のやつを例に出してたんで、それに沿って説明するよ。

「正十二面体」ってのは、正五角形を12枚貼り合わせて作った、出来の悪いボールみたいな形なんですな(図解はこちらのサイト様をどうぞ。おお、立体動画像だ!)。なんだか自然界の生物にしては妙に幾何学的なというか人工的な雰囲気なんだけど、ミクロより小さいナノの世界ではこういうのもアリらしい。で、これだけじゃない。細い足が生えてる。ネタ本では4本足。その正十二面体の表面上の1つの点から4本、放射状に生えてる。これが途中に関節(?)がひとつあってガニ股っぽくて、ウイルス全体の印象は、なんだかアポロ計画の月着陸船(←注意:こちらのサイト様は Java をお使いで、環境によってはそのためブラウザがフリーズします。Java OFF で接続された方がよろしいかと思われます)に似てるんだわ。お前ほんとに生物なんかい(笑)

そういえば、とさらにもうひとつ前置き。ウイルスの構造が解明されてからというもの微生物学界では、「そもそもウイルスは『生物』の範疇に入れていいのか」という論争が続いてるらしい。というのも、ウイルスは生物の定義のひとつである「体が、少なくとも1つの細胞で構成されている」から外れているんですな。正十二面体でも弾丸形でもその他の形でも、ウイルスの外殻は細胞膜とはとても呼べないような粗末なもので、その中に DNA が入ってるってだけ。細胞内小器官もあるんだかないんだか。構造の単純さは単細胞生物以下なんですな。だからウイルスを指して「細胞です」なんてとても言えない。

でも自前の DNA を持っていて自己複製(増殖)するところは生物の定義にきちんとあてはまる。それで微生物学者の方々はお悩みらしい。同じ微生物でも、大腸菌みたいに細胞としてのパーツを体内に完備してるやつなら、迷うことなく「単細胞『生物だ』」と断定できるけどさ。ミジンコなんて立派な多細胞生物だしな。

なんか似たような事例を思い出しちゃった。縄文時代の研究者で、検証のために竪穴式住居を自分で作って実際に暮らしておられる方がいらっしゃるんだそうで。昔、テレビか新聞で知ったんだけど。記者さんがいい質問をした。「建築法は満たしているんですか?」答えは、「役所にそれを問い合わせたら『現代の日本の法律だと、土台のないものは建築物と認められない』んだそうです」とのこと。テントと同じ扱いらしい。

竪穴式住居は確かに住居として機能していて、ウイルスは確かに生物として機能しているのに、既存の定義項目からひとつ外れてるから素直に認められないという宙ぶらりんなところがちょっと似てる(笑)

ウイルスはまぁそんな感じで仕組みが単純なんで、自己複製方法がまたとんでもなくオリジナリティに溢れてるというか。他のまともな生物とかけ離れてるんですな。地球の生命体とは思えないほど。いや実際、映画の『エイリアン』に似てるんだわ。

本題の増殖方法に入るよ。サクッと言っちゃうと、「別な生物の細胞に寄生して、その細胞の中身を原料にして自分のコピーを大量に作って散らばっていく」のだ。詳しくは、

  1. 例の4本足で、目星をつけた細胞表面にアポロ着陸船よろしく着陸する。
  2. 足の出ている中心部から注射針を一本下ろして、細胞膜を貫通させる。
  3. 注射針を通して自分の DNA を細胞内に流し込む(この時点で外殻は単なる抜け殻になる)。
  4. 宿主細胞内の物質を使い、そのウイルス自身の DNA を大量コピーする。
  5. コピーで生まれた多量のウイルス DNA は各自で外殻・足など体の部品を作り、結果、その細胞内は先程取り付いてきたウイルスの複製品ですし詰めになる。
  6. ウイルスに食い尽くされて死んだ宿主細胞の細胞膜が破れる。
  7. 解き放たれた大量のウイルスは血流などに乗ってその宿主生体内全体に広がっていき、それぞれ再び元気な細胞に取り付き、それらを食ってまた増殖する。

いやもうネタ本では図解入りで説明してたもんだから、簡単な模式図とはいえ、最後の細胞膜を破ってドバーッとウイルスが飛び出すところなんか見ててかなり寒気がしたよ。これ、考えてみると、ウイルスに感染したが百年目、放っておくと全身の細胞を全てウイルスに食い尽くされそうな気もするけど、まぁウイルスに体じゅう食い尽くされたことが直接の死因になった人はいないわけで。ウイルス感染症による主な死因は、その結果ある器官が集中的にダメージを受けて、その器官の働きが生命維持に最低限必要なレベルを下回ってしまうってことだと思う(←未検証)。

んでまぁ多細胞生物だってやられっぱなしじゃ暮らしていけないわけで、そこはそれ、今まで行き残ってきただけあって対策はしてある。「免疫」がそれ。体内の「免疫情報センター」みたいなところに「こいつはヤバいウイルスだ」といったんブラックリスト登録されると、骨髄がそれに特別対応した白血球を大量生産して血液中に流す。

白血球って「有害微生物と戦う」みたいなイメージが強いけど、実際は鉄砲玉というか、自爆テロ型刺客というかそんな感じなんですな。攻撃対象を見つけると体当たりを食わして我が身もろとも敵を粉砕するんですな。爆薬の代わりに活性酸素を背負ってて、相手を強制的に酸化させて殺すのだ。でも悲しいかな白血球はその破壊力に見合うほどの判断力を持ってるわけじゃなくて、岸和田だんじり祭の山車のように自分の体のまともな細胞にもけっこう突っ込んで殺してしまったりもする。オウンゴールだな。うん。

これが生物の老化の原因のひとつとされてて、若さを保つには白血球の酸化力に負けない「抗酸化力」が大事なんだってんで、10年前に赤ワインブームが起こったわけだ。赤ワインのあの赤い色素が強い抗酸化力を持ってるらしい。ま、余談だな。

予防接種ってのは上に書いた免疫の仕組みをうまく利用してる。ある有害なウイルスを取っ捕まえて、実験室で仮面ライダー本郷タケシのように改造して無害化する。で、この無害なウイルスをわざと健康な人の体内に入れるんですな。そいつに細胞のいくつかを食わせてしばらくのさばらせている隙に、「免疫情報センター」はこのウイルスの特徴を突き止め、そのウイルスを追尾・迎撃すべくスペシャルセッティングを施した白血球を大量に放って反撃に出るわけだ。

予防接種でのウイルスは無害なので、接種された人は別に大した症状を訴えることもなく(人によっては何らかの症状が出ることもあるらしいけど)数日のうちにその病原菌に対する免疫を持つに至り、「本物ウイルスめ! いつでもかかってきなさい!」となるわけだ。

ちなみにインフルエンザが毎冬流行って大変なのは、ウイルスは突然変異を起こしやすくて、「免疫情報センター」からすると毎年違う敵が襲ってくる状態になってるからなんだそうで。暗号解読の乱数表を小まめに取り替える几帳面な潜入破壊工作員を相手にしてるということで厄介なんだな。

さらにちなみにエイズウイルスがなんであんなに凶悪なのかというと、このウイルスは患者の「免疫情報センター」が迎撃準備を整える前に、そこに保管されてる大事な「病原性微生物殲滅作戦ファイル」を風林火山的電光石火で破壊し尽くしてしまうからだそうで。こうなると治療の甲斐あってエイズウイルスが沈静化したとしても、患者が生まれてからずっと溜め込んできた免疫情報が初期化されてしまってるわけで、健康な人なら感染しても何ともない、あるいはちょっと症状が出ただけで白血球に片付けられてしまうような弱っちい病原性微生物が次から次へと無防備な患者に襲いかかり、体内で好き放題に大暴れする、ということらしい。

以上、こんな感じでどうですか。「どうですか」ってのもアレだけど。

ま、ウイルスなら煮沸程度の温度環境で死んでくれるから、廃棄処分されてる最中の鳥ウイルス感染ニワトリも、芯までしっかり煮込みでもすれば普通に食べられるんですけどね。どうせ処分するなら「鳥ウイルス感染肉」と明記するのを前提に、充分衛生的な環境で「これでもか」ってほど中まで火を通してから、食べ物を必要としてる人に無料であげたらいいのにな。北の王国とか(去年も凶作だったみたいだなぁ。生物といえば東宝・大映・円谷プロの怪獣以外にご興味のない将軍様が、農業を直接指導してらっしゃるらしい)、国内ならム所の臭い飯とかならあまり罪悪感を覚えずに済みそう。その前にまず「アニータの夫」で有名なセニョール千田に毒味させよう。我が青森県ができる日本への貢献ってことでひとつ(笑)。

銘板左端銘板銘板右端

もひとつちなみに、BSE(狂牛病)の原因はウイルスじゃなく、「異常プリオン」という変テコなタンパク質が患畜の体内(主に脳)で増えることで起きる。あたかも微生物みたいに。異常プリオンが体内に入り込むと、周囲の正常なプリオンが異常プリオンに変身していく。「朱に交われば……」なんてノリで。

ウイルスの増殖もキモいけど、これもこれで禍々しいものがあるなぁ。しかも困ったことにプリオンは生物じゃないんで、煮沸程度の加熱じゃ壊れてくれない(どのくらいの温度で無効化できるかは忘れちった。250℃とかそこらだった気もするけど自信なし)。始末悪いよなぁ。

でも感染した牛の体の全てがヤバいわけじゃなく、異常プリオンが発生・増殖しやすい部位ってのがあって、脳、眼球、脊髄が一番ヤバいんだそうだ。「神経が密集しているところ」と思えば覚えやすい。でも脊髄の延長みたいな尻尾は安全部位なんだよね。んだから牛テールのスープなんかは比較的安全ってことになる。あと、ステーキや牛丼に使われるような、いわゆる「普通の牛肉」(筋肉)の部分も、食っても大丈夫らしいぞ(食いすぎるとどうなるかは知らんけど)。

銘板
2004.1.19 月曜
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男の仕事!

あのさ、どうでもいいけど「男のナントカ!」って言い回し、もう古いよね。まあ男性を対象にした製品のコマーシャルぐらいにしか使いでがないというか。

ばれちゃったからね。女性も男と同じくらい仕事ができるってことが。対象の選び方によっては(できる女とできない男の組み合わせってこと)もろに逆転もするし。それでも「女はバカだ」なんてウソ今さら信じてる人ってのも旧昭和国民くらいなもんでしょ。それにすがらなきゃ立つ瀬がないと思ってる人々。

まぁ彼らはねぇ、例えば教育論として「獅子は我が子を千尋の谷に突き落とし、自ら這い上がってきた子のみを育てる」とか「麦は踏めば踏むほど強く育つ」とか「鉄は熱いうちに打て」とか本気で信じてやがるからね。

とりあえず獅子の話は徹頭徹尾ウソです。大方誰か昔の人が、何かの腹いせに自分の子分をいびるときにでも考えついたウソでしょう。実際のライオン(獅子)はそんな無茶しませんし、もし獅子が架空の動物を指しているのだとしたら、なおさら全部ウソッパチということになりますな。

よしんば子ライオンが本当に親に谷に突き落とされたとして、真面目に這い上がったとします。こんな頭の悪い親が死ぬまでずっとその子分としてついていかなきゃならない羽目になるかと思うと、おいらはもうこの真面目な子ライオンが不憫で不憫でしょうがありませんです。

よってこのことわざの意味は「正直者はバカを見る。子を谷に意味なく突き落とすようなバカな親が本当に自分を谷に突き落としたら、這い上がったりしないでそのまま谷伝いに逃げろ。ていうか逃げ切れ。いつまでも谷底にいたらあのバカお前を使って突き落としごっこを何回でもやる気でお前を拾いに来るからな。オタンコナスに付き合わされて自分の人生の大事な時間を潰されるより、これをチャンスにそんなウスラトンカチとは永遠におさらばした方がずっとましだ」ととらえるのが最善かと。

また、あくまでライオンの場合にこだわったとしても心配には及びません。一般にネコ科の動物は記憶力が弱くそのぶん本能がしっかり機能しているので、親とはぐれたならはぐれたでしばらくすると親のことなど忘れ、本能に駆られるがままにまともな成獣になることでしょう。ま、あの「獅子が我が子を谷に突き落とす話」はもうお役御免のお払い箱ってことでひとつ。

麦と鉄のことわざはそれぞれ、麦と鉄に関しての限定された事実を述べているだけなので、そのまま人間に当てはめようなんてこりゃまた正気の沙汰じゃありませんな。これも、よせばいいのに権力に目覚めたけどうまくいかず、弱い者いじめで憂さを晴らすしかすることがなくなった人が、それを正当化するために創作した妄言かもね。もしかしたら作った人は真面目に作ったのかもしないけど、こんなことわざがあるせいで悪用するやつが後を絶たないんだよね。幼児・児童虐待の言い訳とかにさ。

以上のことわざを聞いて、なぜか身が引き締まる思いになるのが昭和人。あまりのバカバカしさに思わず笑っちゃうのが平成人。相手が真顔で語ってたら表面上は笑いをこらえてあげる思いやりがあるのが、青春期がバブル期だった人。それはいいとして。

世の中、男がもともと勝ってるのは筋力ぐらいなもんでして。でもこれ自分で手に入れた能力じゃないから、別に自慢する類いのこっちゃないんだよね。あと生理と産休があんまし関係ないとか、女が毎朝する化粧が必要なくて楽だけど毎朝ひげ剃るのが面倒だからおあいこだとか、そんなもんだよ。だからおいら、「ここはひとつ男なんだからがんばって」なんて女の人にノセられたりすると、かえイライラしてしまうですよ。むしろそんなこと言われないほうがやりやすいわ。

あとさ、うちの職場に来るレガシィなセールスの人で、「どうか! 何とぞ! ワタクシを男にして下さい!」とかおたのもうす男の人がいてさ、いや、だからなんでうちの職場があんたの性別を決定する責任を負わなきゃいかんのだとうんざりなわけよ。世の中、性別に特に関係ないことにまで性別を持ち込んでヘンテコな解決しようとするやつらが多いわけよ。性別を問わず(←ここ大事)

別にそんなのどっちでもいいと思うんスよ。特に仕事だったら、組んだ相手の性別も、戦う相手の性別も、いい結果さえ出れば関係ないと思うんスよ。それを「女にゃ負けられねぇ」とか安いプライド出しちゃったがために後に引けなくなって、体面対体面の勝負になだれ込んで結局全部ぐちゃぐちゃにしてしまうやつとかまだまだいるんスよ。

女は女で「男じゃないと相手になめられるから」とか調子いいこと言って、責任絡みのめんどくせぇ仕事ばっかりこっちに振ってきたりとかさ。んでこっちがそれでテンパッてるときそいつは堂々とお茶すすってお茶菓子食ってたりしてさ。他にも、重い物を運ばなきゃなんないとき、自分で試しに持ってみることもしないで男手を呼びつけて全部運ばせちゃう女。そういうのに出くわすと、腹の奥底で沸々と煮えたぎる暗い感情を抑えるので手一杯になるんですな。

例えば運ぶものが 29型 CRT テレビだとさ、女性一人じゃとても持てないのは分かるよ。それはその人が悪いんじゃない。たまたまそういう体に生まれたってだけだから。だからたまたまその人より重い物を持てる体に生まれた人が手を貸すのは当然だわな。

でさ、持ち上げるわけ。総重量 50kg 超なわけ。男手でもさすがに一人じゃきついわけ。ちょっとは助けてほしいわけ。CRT テレビってのは圧倒的に前の方が重いわけ。だったら前の方はおいらが持つから、後ろの軽い方くらい持てっての。重量配分で 10kg 程度だろ。だからお前の役目は、ヒイコラ言ってるおれの前をスキップしながら先導することじゃないだろっての。

だから、性別なんてのを盾に、勝手に何でもかんでも自分ばっか都合がよくなるように決めるなっての!

銘板左端銘板銘板右端

そう思ってたんだが、そう固く信じてきたんだが、今日ようやく気付いた。世の中やっぱり旧来通り、

男じゃなきゃできん仕事がある!

ということに。こうなってくるとですな、うん、やっぱしおいらも男だから、立場上、自分にできて他にできないってのに優越感を感じてしまってることを否定できないんだな。ま、そういうわけで、悪いけど、言わしてもらうけど、

女なんかにできる仕事じゃないね。

何の仕事かって? ヘッ、そんなの決まってら。これがその

「男にしかできない仕事」だ!

銘板
2004.1.20 火曜
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今度のケータイ

カメラ付きケータイ買い替えたでよ〜。おととしの11月以来だでよ〜。

今度もまた D シリーズ。DoCoMo の D252i 。充電器がそのまま使えるからっつ〜理由。前のやつは D251i。買った当初はカメラの性能の良さがうらやましがられたもんだが、今はもう見る影もないもんな(笑) 今度の 252i の解像度も前と同じく最大 640×480 しかないけどまぁいいや。

昨日、先月分のケータイ料金の支払いを忘れてたんで催促状が来てさ、近くのドコモショップに直接払いにいったんだわ。その催促状を持って。支払いついでに D251i のバッテリーの値段を訊いたんだ。バッテリーの持ちが悪くなってきてて、こまめに充電しないといかんくなったんで。そしたらバッテリー代は4,000 + いくらかだったんだけど、「買い替えた方が安いですよ」と勧められて。で、なんぼなんすかね。前回これ買ったときは1万5千円くらいだった気がするんすけど、一応値段を訊いてみるか。

「お客様のお買い上げポイントを差し引くと800円です」

マジで!? (゜▽ ゜)

「こちらのひとつ後のモデルが800円で、現行機種ですと2800円です」

うおお、だったら現行型がいいなぁ。ちょっとサンプル見せて下さい。ははぁ、カメラの位置が変わりましたね。やっぱしなぁ、D251i のカメラ位置だと手ブレがどうしても敏感に出るからなぁ。2003.6.11の時点ではなんでああいうブレが発生するのか謎だったけど、カメラの近くを手でがっちり押さえるとその症状が減ることが分かったんで、手ブレだと判断してたんだが、やっぱしそうだったのかも。新しいのは本体の底面上部にカメラが付いてるよ。手ブレの心配が減ったことになる。

そんなに安く上がるんならその場で買えばよかったんだが、昨日はそこでうちに帰ったよ。「ちょっと考えてきますね(はぁと)」なんてノリで売り子のまつ毛バチバチねーちゃんに愛想売ったぐらいにして。だってさ、受付がおねーちゃんのときだよ、いつもケータイ買うときだよ、そんなとき思わず見栄張って一番高いやつを買っちゃうようなやつがだよ、言えないって。

今日の財布の中身は962円っす。

なんてとてもとても。大人の財布でここまでモスキート級なやつってなかなかいないだろうな (T▽T) アハハハ

今日はちゃんと軍資金を懐に、勇んで買い替えに臨んだぜ。そしたら「古いケータイはどうなさいますか?」だってさ。ちょっと悩んだけどもらっとくことにした。古いやつ下取りに出すと500円引きだったけど、500円でこのくらいのデジカメが手に入るかと思えば安いもんかも、と思って。一応、時計と電卓も付いてきてるし。「捨てデジカメ」ってことで。

そういや 2002.5.10, 2002.5.11 のあのデジカメと同じ画素数だな。篠つく雨の中、売り切れ寸前の危ういところでようやくゲットした帰りに派手にチャリゴケかましつつ、帰宅して取り説を読んだ時点で Mac 非対応と知り涙を飲んだ、「ズバリ3,980円」のデジカメと。

さてさてそんじゃ〜新旧カメラケータイの画像を撮り比べしてみましょうかね。画素数は同じでも、感度や色の再現性、画質が上がっててほしいとこだな。D251i はそこらへんが不満だったからして。

銘板
2004.1.21 水曜
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ケータイカメラ比較

D251i vs D252i

昨日買った DoCoMo D252i と電話機能を止めてカメラ専用機になった D251i のそれぞれの付属カメラで、お互いを撮り合ってみた。カメラの性能がどれだけ上がったかをチェックするのだ。

今日の対決内容は、画像サイズ「iショットL 288×352」。早速 その結果。撮ったままで何もレタッチしてない画像だよ。

なんか「あんまり代わり映えしない」ってのが本音だな。期待したほど性能が上がってるわけでもないというか。

ケータイの画面上で写真を見るぶんには、新しい D252i は液晶画面のピクセル密度と S/N 比が D251i に比べてグッと上がってるんでかなり見栄えがするんだが、撮影画像をパソコンに落として同一条件で眺めてみると、そんなでもないねぇ。

ま〜確かに、大まかな色の境界線は、前のは明らかにボケ気味だったのが新しいのではかなりくっきり出てるけど、キーの文字プリントみたいな細かいところの再現性は互角だよね。このくらいだったらレタッチソフトの「シャープ」でどうにかなりそうな気配なんだが。ていうか被写体と背景の境界をよぉ〜く見ると、新しい方は勝手にシャープを一発かけてるのが分かる。こりゃ〜「カメラは同じもの」の線が濃厚ですな。撮影後のソフトウエア的処理にひと手間かけてるってだけなんじゃないのかね。

じゃあどんな手間か。と、ここまで来てようやく気付いた。同じ被写体じゃないと公平じゃないよな。被写体を決めて撮り直し。

その結果。

ケータイ内での自動レタッチ、シャープだけじゃなさそうね。D251i の画像にもともとあってシャープをかけるほど目立ってくる「チリチリ模様」が、D252i のには全然ない。っつうことは選択的ガウスぼかしもかけてるのかな。なかなか難しいんだよね 選択的ガウスぼかしの設定の落としどころを見つけるの。新型ではそれをやらなくてよくなったと思われ。そんなわけで結論。

DoCoMo D251i → D252i のカメラ機能の進化について。カメラ自体は同じものと思われるが、画像保存前の自動画像処理に磨きがかかったので、出力品質はそのぶん上がった。

カメラの改良も本当はしてあるのかもしれんけど、違いが分かるほどのこっちゃなさそ。

銘板
2004.1.22 木曜
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新年会にて

(2013.4.10 補足: このログを書いた時代よりも個人情報の保護に気を遣わないといけなくなったので、このログでの人物写真は非公開としました)

異業種交流新年会に行ってきましたところ、新しいケータイのカメラが早速役に立っちまったっす。うははははは。

そしてさらに早速このケータイの限界をも知ることになってちまったっす。まぁよい。いやあのそのぶん渾身のレタッチでリカバーしたからまぁどうにか雰囲気は伝わると思う。

しかしま〜いいもんですなぁ御美人さんがた。お願いして撮らしていただいたよ。今回はお二人も。まずは

ビンゴの司会のおねーさん

ビンゴで当たったんで、商品もらいに行く途中に「ビンゴ当たった記念にお願いします!」と頭を下げて写真イタダキ! ありがとぉー!!

この勢いの衰えぬうちに、新年会の始まりから狙ってたこのお方にもお願いいたした。

お隣の席のおねーさん

いやほ〜大漁大漁! v(^▽^)v

なんかこの系統の写真、これで写真展示ページひとつ作れるくらいたまってきたかも(笑)

銘板左端銘板銘板右端

三菱電機さん江、 DoCoMo D252i のカメラの自動レタッチ、シャープきつすぎるんではないのかね。今日のおねーさんがたのお写真、お顔とおぐしの境目の色が際立ちすぎて、レタッチで自然な感じに戻すのにけっこう苦労したぞ。

どっちも最大画素数(VGA 640×480)で撮ったけど、ビンゴのおねーさんの写真は縮小かけずに余分な周囲をトリミングで切っただけ。お隣の席のおねーさんはサイズを 70% に縮小。お隣の席のおねーさんの写真の方がより鮮明なのはそのせいと思われ。

銘板
2004.1.23 金曜
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そして点心

(2013.4.10 補足: このログを書いた時代よりも個人情報の保護に気を遣わないといけなくなったので、このログでの人物写真は非公開としました)

「また女の子の写真かよ」って言われそうでスマンけど、また女の子の写真でスマン。

最近は新年会続きで、いつどこに行ったんだかあんまり記憶ないけど、とにかく今年の新年会の二次会だか三次会だか四次会だかそこらで八戸屋台村「みろく横丁」に行ってだね、そこの中華料理のお店に初めて入ったんすよ。点心料理。うん。

んでそこのおねーさんがまたステキだったんで「撮らしてくださ〜い」とお願い申し上げて、戸惑ったところにさらに「美人は写真を撮られるために存在するのです」とかなんとか怪しげな文句で口説いて、

一枚撮らしていただきましたぁ〜。

酔っぱらっちゃって画像ブレブレ (^^;)

銘板
2004.1.24 土曜
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ついでにというのもなんだけど

(2013.4.10 補足: このログを書いた時代よりも個人情報の保護に気を遣わないといけなくなったので、このログでの人物写真は非公開としました)

9月に鳴子温泉への団体旅行についてったときのバスガイドさんのお写真もご披露。いや、ちょうどいい機会だから(←何がだ)

地元の銀行が企画した団体旅行だったんだけど、集合場所のその銀行前をバス2台で出発するやいなや朝っぱらから銀行員さんたちからビールが配られ、次から次へとわんこそばのように飲まされ、八戸インター入り口に着く頃には客は既に皆きこしめしていたという、のっけから強烈な旅路だった(笑)

目的地の鳴子温泉は宮城県だから、青森県八戸市からだと岩手県を南に向かってひたすら縦断するわけだ高速に乗って。岩手県はデカいからひたすら高速道路を走りっぱなしなわけだ。高速道路の旅は単調なわけだ。そこでこの有能なガイドさんがとても頑張ってくれて、おいらたちを飽きさせないでくれた。

で、酒が相当入ってるわけよ客は。そうするとですな、前の方に座っておられるオッサンがた、ガイドさんにちょっかい出し始めるわけよ(このオッサンがたと銀行さんの名誉のために言えば、酔った客たちも「銀行の企画」「女性客や家族連れも参加している」ということもあってか節度を守って、眉をひそめたくなるようなことはまったくしなかったよ)。

でだ、酔ったオッサンの一人が提案。「そうだガイドさん一曲歌ってくださいよ。バス旅行といえばガイドさんの歌ですよ。(後ろを向いて)みんな静かに聞きなさいよ〜」という展開になって、ガイドさんは『東京のバスガール』を歌ってくれたんだな。うん。

♪発車〜、オーライ〜

のとこはみんなで歌ったぐらいにして。なかなか楽しく盛り上がったぐらいにして。しかし問題発生

2番か3番の歌詞の冒頭。

♪酔ったぁ〜お客のぉ〜意地悪さ〜

乗客全員、大爆笑 (^▽^;)

銘板
2004.1.25 日曜
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ムサシと神経

昔、♪ハチのムサシは死んだのさ っつう歌が流行ったらしい。その歌が何を言わんとしてるのかは、歌詞の他の部分を知らんので分からんけど、ハエのムサシならどっこい生きている。ていうか今や脊髄障害治療の注目株だったりする。

2001年5月12日付の朝日新聞によると、

 多くの生物がもつ「ムサシたんぱく質」が神経細胞をつくるカギを握っていることが、科学技術振興事業団の研究チーム(代表・岡野栄之慶応大学教授)の成果で判明。「ムサシ」は人間の神経細胞でもあり、同じような働きをしている可能性がある。この研究は脳や脊髄を再生させる技術の開発にもつながりそうだ。(後略)

キーワード「ショウジョウバエ ムサシ」でネット検索したら、どうもそのタンパク質の発見者(=命名者)は実は宮本武蔵のご子孫らしい。(証拠)なんかすごい出来過ぎた話みたいだけど本当らしい。

『脊髄損傷マガジン』なるページも見つけた(2013.4.10 補足: 『脊髄損傷マガジン』はサイトが終了したっぽいので、リンクを消しました)。

タイトルが目に入った瞬間「すっげぇセンス〜(笑)」と思ったら、「車椅子から脱出する日がくるまで続く」という副題で感動してしまった。ロゴマークは車椅子に座った『考える人』なんだね。

シルベスタ・スタローン主演の『デイライト』(1996)で、劇中の事故で脊髄を損傷して首から下が動かなくなる役があった。デンゼル・ワシントン主演の『ボーン・コレクター』(2000)は主人公が同様の障害を持ちながら犯人を追いつめていく話だった。北野武監督の『HANA-BI』(1997)でも、刑事の一人が捜査中の事故で下半身不随になって、車椅子に乗るようになるよね。

従来、脊髄が損傷した場合、再生は不可能(=回復不能)とされてたそうで、『デイライト』ではそのキャラは「どうせ俺はもう直らない」みたいなことを言ってたと思う。でも「ムサシ」の発見により、脊髄損傷患者が車椅子から立ち上がれる希望がとうとう生まれたらしい。「ムサシ」発見の成果が実際の医療現場に投入されるまではもう少し時間がかかるだろうけど、「脊髄障害を持てば一生寝たきりか良くて車椅子」の常識が覆る可能性が大きくなった。これは患者にとって大きな福音かと思う。

確かにバリアフリーの考え方は普及してきてるし「車椅子は眼鏡のようなもの」を合い言葉に、「便利のために身に付ける道具」として車椅子をとらえる考えも広がっては来てるけど、正直、まだまだだしな。

車椅子、2日くらい乗ったことあるけど、片足の軽い骨折だけだったんで松葉杖で立って歩けたし、半月ほどの通院で完治することも分かってたし、周りの人たちにも良くしてもらったしで精神的苦痛はなかった。今までと違う生活が新鮮でもあったし。でもその状態が生涯ずっと続くとなると話は違うわな。何か大きな心の成長がないと乗り越えられなさそうに思う。

実際に車椅子での生活を受け入れ、以前と変わらず、あるいは新しい視点を得てお仕事をバリバリされている方々として、F-1 コンストラクターの、ウィリアムズのオーナー、フランク・ウィリアムズ氏や、マカーには MAC POWER 誌でのコラム連載でお馴染みのインダストリアルデザイナー、川崎和男氏が挙げられるけど、もしまた足で歩く生活に戻られたとしたら、車椅子で暮らした生活を、彼らは有意義な体験として人生や仕事の貴重な糧として捉えるのではないだろうかとか思ったり。

「神経の再生」。このテーマは医科学界でもかなりホットな話題らしいんで、その有力な突破口と目される「ムサシ」の研究と成果の実戦投入、がんばってできるだけ早く実現してほしいものですなぁ。今はおいらは2本足で普通に歩いてるけど、前に足の骨を折ったことで、「明日は我が身」な感じで他人事のような気がしなくて。

銘板左端銘板銘板右端

「ムサシ」に寄せる別な期待としては、上記の新聞記事にあった「脳の再生」。

いや、ほら、人間誰でも歳を取ると、痴呆とまでは言わないまでもどうしても「ヤキが回る」とか「耄碌(もうろく)」するとかそういう状態になっていくじゃないの。軽度でも、ある話を以前に自分が言ったことを忘れて同じ相手に同じ話をしたり、1つのことにこだわりすぎて全体を見失ったり、その「1つのこと」が往々にして自分の体面だったり。ああなるのがイヤでさ。

こうなると周りの大事な人たちを知らずに傷つけてしまうだろうし(←やるせないなぁ)、自分もばかにされたりするだろうし(←これもやるせないなぁ)。なんでばかにされなきゃいけないのか自分じゃ理解できないだろうし(←結局これが一番やるせない)。要するに、この状況を、少し前に流行った「老人力」として受け入れる度量がおいらには全然ないのだな。進んでそうなりたい人ってのもいないと思うけど。

定年で自民党を辞めさせられた際のあの元総理みたいな醜態を晒したくないっつうことだ。あの人はなぁ〜日本や自分が所属する党がどうなろうと知ったことかと我が身の体面だけを守ろうとがんばって負けたんだから、そりゃみんなにそっぽ向かれるのも当然なんだが。日本国民からの尊敬を再び勝ち得たければ、ここはひとつ切腹しかないと思うんですがね。

そうすりゃ少なくとも、最近『ラスト・サムライ』を観て感動したおいらなんか共感して、ナカソネ君をこれから長きにわたり「その前がどうであれ、侍として死んだ」と敬服すること請け合いなんですがね。

耄碌の原因は恐らく、脳細胞の数が減ってしまうことで起こると思うんだ(憶測だけど)。人間、脳細胞の数が増えるのは幼児期か小児期あたりまでで、あとは日に日に少しずつ死んでいく一方らしくてさ。でも子供より大人の方が頭がいいのは、いろいろと人生経験を積むことにより脳細胞同士のネットワークが発達していくからなんだそうで。それで確かに歳ごとに頭は良くなるんだが、脳細胞が死ぬとネットワークもそのぶん死ぬわけで、ある程度を超すとネットワーク拡充の好影響より脳細胞の減少の悪影響の方が強く出るようになる。それが耄碌という現象になって現れるんじゃないかと。

そこで「ムサシ」様におすがりしたいわけだ。自分の脳細胞を「ムサシ」の応用技術で増殖させて、今まで死んだぶんの脳細胞を取り戻せれば、耄碌は軽度で収まったり回避できたりするだろう、と。ネットワーク再構築に時間はかかるだろうけど。おいらの耄碌が始まる前に実用化してほしい技術なんですなぁ(保険は効かなそうだな。1日100円くらい積み立てとくか……)。

脳細胞の増殖が可能だとすると、脳溢血・脳梗塞等のリハビリにも福音になりそう。

銘板左端銘板銘板右端

ハチのムサシをツカミに、ある「死語」の話題を書こうと思ったのに、直後に脱線したままそっちが本題になっちゃった(←既に耄碌か?)

銘板
2004.1.26 月曜
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片手に ピ(死語)

ハチのムサシはとっくの昔に死んだそうだけど、最近、気が付いたら死んでた単語を発見したよ。昨日はこの話をしようと思ったら思わず「ハエのムサシ」に話が飛んじゃったのだ。

「ピストル」

最近死んでるよねこの言葉。「拳銃」や「銃」に置き換えられちゃって。珍しくカタカナ語が漢字の単語に取って替わられちゃってる。何週間か前の『武装錬金』(週刊少年ジャンプ)でさ、沢田ジュリーの歌の歌詞が出てきたわけよ。

  ♪片手にピストル 心に花束 くちびるに火の酒 背中に人生を

タイトルはパーペキ忘れ去ってたんで今調べたら、「サムライ」らしい。

あのマンガでほんと久しぶりに目にしたなぁ「ピストル」の単語。耳ではもう10年くらい聞いてない気がする。新聞記事で見かけたことがあったな。何年も前に。ハッブル望遠鏡が観測したガス青雲で「ピストル星雲」っつうのがあって。その当時はそんなにダサい感じはしなかったけど。でも「星の世界にハジキなんか持ち込んでんじゃね〜」と不満には思った。

黒澤監督の『野良犬』(1949)の冒頭のセリフは「何? ビストルを盗まれた!?」だった気がする。満員のバスの中でピストルを盗まれた刑事(三船敏郎)がうだるような暑さの東京じゅうをそのピストルを探して歩くが、その間に何者かに渡ったそのピストルが人を次々と撃っていく、という話で、映画の中では「拳銃」よりも「ピストル」の方がよく使われてたと思う。

でもその後のテレビ等の刑事ドラマだと圧倒的に「拳銃」の方が使われてるよね。『太陽に吠えろ!』『あぶない刑事』でもそうだったような。恐らく警察用語では、戦後あたりは進駐軍の影響もあって「ピストル」が公用単語だったけど、米国からの独立後は「拳銃」が公用になったのだろうと推測。テレビドラマがそれに敏感に追従し、一般市民もなんとなく拳銃のことをピストルとは呼ばなくなっていった、のではないのかねぇ。

そういや監督ジョン・ウー×主演チョウ・ユンファの往年の香港ノワール名物といえば「二丁拳銃」であって、間違っても「二丁ピストル」とは言わない。「二丁ピストル」でも意味は分かるけど絶対にそう言わない。言う人は必ず「拳銃」の方を選ぶ。

しかし言葉としての「ピストル離れ」、日本だけじゃない気がする。英語圏でも大型銃と特に区別する時以外は "gun" でまとめちゃってる気がする。英語のつづりでは "pistol" で、パンクロックの祖 "Sex Pistols" てのもあったな。

もしかしたら「ピス」が「小便(piss)」に聞こえるから、なんだかカッコ悪くて使われなくなったのかも。

んでまあ何がなんだかよく分からんうちに、世界的に退潮傾向にあるっぽい雰囲気の言葉。それが「ピストル」だ。実社会での実物の普及度も下がってくれればいいのだが。とちょっと天声人語風に終わってみるテスト。

銘板
2004.1.27 火曜
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『あんごあんご』開発状況

2003.8.31に登場した暗号ごっこ JavaScript 『あんごあんご』、構想出しただけでしばらく忘れてたけどまた思い出したんで、おとといからちょいと開発を始めてみた。

その成果。

工程の途中経過をいちいち書き出してるんで分かりにくいけど、この例題だと「素の文『おいえあう』というのを、規則に沿って暗号文に書き換える」とゆーこと。その規則は、今回は以下の表の通り。

line1: 変換元
スペーサー
line2: 変換先 a b c d e

試行錯誤の末、「おいえあう」はめでたく "ebdac" に変換されたっす (^o^A;)

まだエンコード(暗号文作り)の基本的なとこだけ。デコード(暗号文の解読)はエンコードの応用でできるはず。そんなわけで今後しばらくの方針は「エンコードプログラムの作り込み」。

なんで「暗号『ごっこ』」なのかとゆーと、おもちゃレベルが目標なんで。今のところ漢字と特殊記号は非対応の予定だし(対応予定:全角ひらがな、全角カタカナ、全角英数、半角英数)、どうせ素人が作る単純な構造の暗号なんで、職業柄や趣味柄で暗号にお詳しい方々やパズル好きの方々、それにハッカーさんがたなら破ろうと思えばサクッと破れるはず(たぶんクラッキングも不要)。

ていうかエンコードの工程、もろに公開しちゃってるし(汗)

銘板
2004.1.28 水曜
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初 DVD

生まれて初めて、DVD を買った。DVD デッキは持ってないけど Mac で再生できる……はず。

いや、いつか DVD デッキを買おう買おうと思ってはいたんだけど「DVD デッキ買わなくても Mac で観れるし〜」とか思ってて。でもわざわざ DVD を買うほどの映画なのにだよ、自室の事務机に乗っかったソニー製のベージュ色の17インチ CRT モニタでだよ、モニタの脇には HTML だの JavaScript だの Java だの POV-Ray だの FreeBSD だのの教科書が開かれたまま山積みになっててだよ、ちょっと動くとギチギチ鳴る4脚キャスター付き事務椅子に座ってだよ、そんな状況で我が心の殿堂に並ぶ名画を鑑賞するってのもさもしいものがあるんではないのかとかいろいろとこれはこれで激しく葛藤したまま実際はなんもしないで過ごしてきたわけだが。

黒澤明作品集が DVD 化されても買わなかったわけだが。ジョン・ウー作品集なんかとっくの昔から DVD 出てるってのに、上記の膠着化した葛藤により手を付けてこなかったわけだが。

しかしとうとうその均衡は破られた。先週、朝日新聞で宣伝を見て迷わず注文しちゃった。親戚の親戚が朝日新聞の販売店やってるんで、そのルートで発注して23日の発売日にはブツは既に販売店に到達してはいたのだが、ブツは親戚の親戚から親戚を経由し、今日その親戚に会って立て替えてもらってた税込代金29,610円を釣り銭のないようにきちんと数えて支払い、そしてとうとう念願の品物を手にした。もう「DVD 専用機を買ってから」とかなんとか言っちゃいられなくて。

ラヴ・チャップリン!

コレクターズ・エディション

DVD-BOX I

o(TへT;o) ゲット!

今回発売されたのが BOX I で、もうひとつの BOX II は3月に発売とのこと。BOX I の作品リストは、

の6枚組。最もお気に入りの『サーカス』が入ってるんでもぉそれだけで感無量っす。作品収録ディスクの他に未公開映像・ドキュメント・予告編集なんぞが盛り沢山のディスクも入ってきてるそうで。うおぉぉぉぉすごい楽しみっすよぉ〜!

でもボックスの封は切ったけど、各ディスクのジャケットはまだ封を切ってなかったりする。んん〜、どれから先に見たらいいか悩ますぃ〜。

銘板左端銘板銘板右端

今『街の灯』を観終わったとこ。ギャグのタイミングが絶妙なんだよなぁ。流れを知ってても笑ってしまう。賭けボクシングの場面なんかほんと、どうすりゃあんなすごい段取りを思い付くんだろ。ある意味「最強のボクシング映画」でもあるなぁ(笑)。背景は満員の観客なんだけど誰も全然笑ってなくて、普通の観客なんすよ。撮影中よく笑いをこらえられたもんだなんて変なとこで感心したり。んで、いつ観ても最後が泣けるのさ……。満足。

デジタルリマスタリングだかなんだか知らんけど、どっちにしろ元画像がすごい昔の低品質な白黒フィルムなせいか、100インチ巨大プロジェクタででも観ない限り VHS ビデオの品質と大して変わりないっぽい。チャップリン映画の見どころは映像テクニックじゃなく天才コメディアンの一世一代の芸そのものなんで、画質の善し悪しはあんまし影響ないしね。そんなわけで、チャップリン映画は実はレンタルビデオでも存分に楽しめるんでオススメっす。

本物の芸は時代に埋もれないものなんですなぁ。ていうか共演者たちもフツーな顔して面白いことしてるし。当時のハリウッドには芸達者たちが綺羅星の如く集まっておったのですなぁ。

銘板
2004.1.29 木曜
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構想ウン10年 vs ドアタマ(仮)

少し前までよく日本の超大作映画の宣伝で「構想20年!」とか出てたけど、あれほどウソ臭い宣伝文句ないよね(笑)。着想から20年間放ったらかしてたってだけかもしんないし、一瞬思い出しては何年間かずっと忘れて、を繰り返しただけかもしれんし。極端な話、構想なんて本人の頭の中だけのことでいいんだからハナっから嘘っぱちでも誰にも分からんし(「ハナっから」という言い方は、韓国語の「ハナ(= "1")」から来てるんだろうか。「初っ端(しょっぱな)」もそれか?)。

このウサン臭さが自分達でも気になってきたのかそれとも単に不景気で超大作が作れなくなったからなのか分からんけど、最近はこの「構想ウン10年」っつう宣伝文句も見かけなくなったな。そうなったらそうなったで、実はあのアヤシサが「興行っぽさ」を醸し出してたんだななんて妙に懐かしい気分になったりして。

興行的テクニックで言うと、どんな芸能でもやっぱしツカミが大事なわけで。それで脚本では「サビ頭」とかそういう形式がもてはやされるんだけど、よくよく考えると映画が始まるドアタマは製作・配給会社のあのエンブレム的映像(正式名称知らないんでここでは「ドアタマ(仮)」とします)なのですな。

アメリカ映画なら、出だしでいきなりライオンに吠えられる(MGM)とか、サーチライトが夜空を照らして「パンパカパーン!」とファンファーレ鳴らす(20世紀フォックス)だったり、爽やかな青空を背景にしてるくせに妙にヘビメタっぽい "WB" のエンブレム(ワーナーブラザース)だったりして妙に「凄そう」な説得力がある。

香港映画だと、ティンパニーの「デン!ドン!デン!ドン!」と共に長方形が4つ出てきて漆黒の背景の上で正方形状に配置されたり(ゴールデンハーベスト)して、なんだか意味分かんないけどこれもまた観客としては心地よくプレ洗脳状態に持ってってもらえる。

振り返って日本映画のドアタマ(仮)。こいつらがどうにもねぇ。一番情けないのは東宝だよな。デザインが抽象的なのはどんな映画にでも合うからいいとして、仕掛けはたったあれだけかい。なんだかコロンビア映画の自由の女神のたいまつの光だけパクったみたいだし。コロンビアのドアタマ(仮)も地味目な方なのに。

なんかあの無意味なきらめきを見てる時間って、『8時だョ』の仲本工事の体操を見てる時と同じく「早く次行ってくんねーかな」と思っちゃうんだが。その割には映画の内容は日本映画ビッグ3の中では娯楽の質が一番高い印象を持ってるんだが。けっこう高水準な娯楽作品を出す大映に配給網を貸してるっつう理由もあるだろうけど。

そういうことで、東宝には「日本映画界の中じゃ羽振りいい方なんだからエンブレム映像ぐらいもっとカネかけろよ。どうせ使い回しなんだから1回作ったら何十年も持つでしょうが」と言いたい。

あのドアタマ(仮)を今でも使い続けてるってことは何らかの重い伝統があるのかも知らんが、客としては特に愛着湧かんのよね。

松竹。松竹と言えば朝日を浴びる富士山。いつからか CG になったよね。華やかさの点で大分よくなった。カメラが飛んで立体感を出す手法は20世紀フォックスのドアタマ(仮)と同じ方向性。これ見応えあってなかなかいい。ただ、あの優美さはゲージツ映画や超大作向きなんだよな。それでいつ観てもどうも違和感があって困るんだ『釣りバカ日誌』(笑)。

釣りバカよりしっとりした演出だった『男はつらいよ』が松竹の看板シリーズだった頃は、固定アングルで富士山に朝日が照るだけのあのドアタマ(仮)でしっくり来てたけど、今はもう「松竹映画のイメージ = 釣りバカ = ハジケ路線」なんで、なんてーか、その映画会社の看板作品とのバランスの悪さからするとこれほど不幸なドアタマ(仮)もないかも。

東映。言わずと知れた「岩場に砕ける怒濤の波」。そこにズームで「東映」の白文字。

もともとは時代劇や任侠モノ、実録極道モノみたいなバイオレンス路線とイメージがぴったりだったんだろうけど、これもう今さら変えらんないでしょ方針替わったけど。とっくに陳腐でチープなんだが、東映を観る時あれじゃないともう納得できないっす。「これから東映を見るのだ〜!」という境地に一気に連れてってくれるんスよ。なんかこう「東映作品を」っつうより「東映を」、「観る」っつうより「見る」ってなノリ。

今の東映作品の持ち味にも変な具合に合ってるしね。今の東映の持ち味ってのはアレだ。

お涙ちょうだい

役者を泣かせて客に貰い泣きさせようという、古臭くて沸点の低いミエミエ演出テクニック。これ(笑)。『鉄道員(ぽっぽや)』(1999)なんかその集大成って感じ。いや、劇場で観たとき健さんや稔侍と一緒に泣いてしまったけど。悔しったらありゃしない。

まぁおいらも客として、東映にはそういう類いの期待しかしてないわけよ。「イヨッ待ってました!」みたいな。だったらドアタマ(仮)も昔ながらのアレじゃないと盛り上がれないわけよ。松竹みたいに CG で作り直すったって、岩場で波が砕ける CG って格別に難しそうなんで、無理して変なの作るとかえって笑い者になってしまいそう。

少なくともおいらにとっては東映はそんな意味で特別な存在なんで、23世紀あたりまではドアタマ(仮)も作品の方向性もこのまま押し通していただきたい。

結局、日本映画界で一番ゴージャスなドアタマ(仮)なのは日本ヘラルドだったりする。早くから CG 化してたし、白い背景に黒いロゴマークと赤丸のアクセントがイイ感じに和風(モチーフはタンチョウヅルか?)。音楽も上品なのに厭味っぽさがなくて良いなぁ。映画館のサラウンド音響をいきなり体験できるし。

でも日本ヘラルドって洋画の取り扱いがメインだよね (^▽^;)

で、ここまでズレ込んでしまった話題を強引にまとめるとですな、日本映画界はドアタマ(仮)に期待できないぶん、順番がドアタマ(仮)より前になる前宣伝に力が込もっちゃってですな、それで「構想ウン10年」が重宝されてきたんじゃないのかと。いや、終わってしまえばただの憶測でした〜 (T▽T) アハハ

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追伸1:「すすめパイレーツ」で、チームのみんなが海辺で格好良く並んで荒波を見ていると、「東映」の2文字が出てくるっつう凄いギャグがあったなぁ(思い出し笑)

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追伸2:今、午前0時8分。うちの FreeBSD、Mozilla 1.3.x を ports でインストール中。午後7時半から。ずっと。まだ終わらん。

いくら CPU が Pentium II の 333MHz ぽっちとはいえ、いくら同時に SETI@home を回してるからとはいえ、いくらソースコードを拾ってきてコンパイルしながらとはいえ、いくら依存ファイルをいくつも同時に拾ってコンパイルしながらとはいえ、あんまりではござりませぬか。

コンパイル中のダイアログが相変わらずコンソールウインドウいっぱいにダーッと巻き上がっていったりしばらく止まってたり。FreeBSD のインストールの問題点は「いつ終わるのかわからん」ところにあるのだな。一番始めに落としてきたソースのサイズで大体「楽勝!」か「こりゃ〜ちょっと風呂にでも入ってきた方がいいかな」かくらいは分かるけど。プログレスバーがないのが辛いとこだな。まぁプログレスバーもあんまり当てにならんといえば当てにならんわな。

Mac OS X のシステム系のインストールだと、プログレスバーの 98% くらいから「恐怖の最適化」が始まるからな。最後の最適化が始まったら読みかけの本を開くなり便所にこもるなりして諦めた方がいい(笑)。システム周りだからその Mac を使って何かするのはヤバ気だし。まぁその程度ならいい方だってこと。……うう、FreeBSD のやつまだインストール中でいやがる。読みかけの本や風呂どころの話じゃないっすよ。

Mozilla for OS X だと、 サーバから落としたディスク形式のインストーラを開いて出てきたフォルダを Applications フォルダにでもドラッグして突っ込めば、コピーが始まって数秒でおしまいなのに。

朝起きてまだ終わってなかったらどうすべ。

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2004.1.30 金曜
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国体初日限定交通マナー

おとといから、八戸に冬季国体のスケート競技が来てる。400mリンクがあるとけっこう重宝されるわけで、冬季国体の八戸開催はもう10回目。数年に一度なんで「おお、また来たな」なんて感じ。去年の今頃は冬季アジア大会のスピードスケートが来たし。

んで、おとといの国体初日、さる高貴なお方が開会式に御臨席なさったんですわ。3日前に新幹線はやてでご来八(←八戸市に来ること)あそばれ、おとといの開会式の後も競技をご高覧あそばれてから、その日のうちにはやてでお帰りあそばれた。

その間、青森県警八戸署の働きが素晴らしくてさ。かの高貴なお方が八戸駅にご到着いたしました折には、八戸駅から街のホテルまで沿道の全部の交差点に張り付いて信号調整。お通りあそばれるとき全て青信号にするのですな。たぶん、ホテルまでおクルマを止めないようにしてテロ・暴漢対策とするのが主目的かと。

八戸駅、街からすごい遠いんだ。街 ←→ 駅は、歩くと片道1時間じゃ絶対着かない。八戸市民が新幹線でどこかに出かけるときは空港に行くような感覚だもんな。クルマで全部青信号でも15分はかかると思う。

そして開会式のあった X デイの街がまたすごかった。郊外にある駅と違って、スケートリンクは市街地に隣接してる。お泊まりあそばれたホテルから歩いてサクッと行ける距離なんだけど、警備上の都合もあり高貴なお方をお運び申し上げるわけでもあり、やっぱしおクルマなんですな。次期朕さんが会場で競技をご高覧のときにも、交差点ごとに複数のお巡りさんがずっと配備されっぱなしなんですわ。そうなると一般歩行者はどうなるか。

交通規制でクルマがほとんど走ってない時間帯でも、信号無視する歩行者は誰一人いない。横断歩道以外で道路を渡る人もいない。すごかったなぁあれは。歩行者に対して信号機や横断歩道が普段どれだけ無力なのか、大変よく分かった (^o^;)

空き缶をリヤカーいっぱいに積んで引いてるおばさんを街でたまに見かけるんだけど、そのおばさん、間の悪いことにちょうど警備中に通りかかったもんだから職務質問攻めされてたよ。まぁお巡りさんたちも申し訳なさそうに職質してたけど。「テロリストがあの空き缶に不審物を混ぜたかも」等と疑わないといけないご職務ですからな。

かのやんごとなきお方がお帰りあそばれるとともに、八戸の街は通常モードに戻った。お巡りさんたちも歩行者の方々もリヤカーのおばさんも、皆さんご苦労様でした (゜o ゜)ゞ ハッ!

街なかで国体やってるんで、いろんな都道府県のジャージとジャンパー(それぞれけっこうかっこいい)を着て街歩きされてる方々がたくさんいらして、八戸は今、競技場だけじゃなく街も、ちょっと体育会系な不思議な華やぎに満ちておりますぅ〜(笑)

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思い出した話。小学生の頃、冬季国体の開会式に観客席の小旗振りとして全校生徒が動員されたことがあった。現地解散だったんで開会式終了後に「うーさぶさぶ。とっととうち帰ってあったまるべ」と友達と帰ろうとしたら、なんだか怪しげな行動をしている大人たちが目に入った。

八戸は雪が少ないんで、よほどひどい天気にならない限り数センチ程度しか積もらない。その日も3センチくらいしか積もってなくて、しかも何日も前に降ったやつだったから埃をかぶって黒ずんでた上、雪質も時間が経って新鮮な状態じゃなくてジャリジャリだった。雪遊びには最悪なこの状況で、嬉々と歓声をあげて雪合戦したり雪の上でごろごろ転げ回ったり、我を忘れてひたすら楽しみまくってる大人の男たち。

「何だろな〜 (-_-;)」とちょっと恐くなりながらも彼らを密かに観察していたらあることに気付き、それでもうすっかり納得しちゃって「こんな雪でよければ、どうぞそのままお続け下さい」となぜかすがすがしい気持ちで帰ったっけ。

彼らの揃いのジャンパー、左肩の刺繍文字が「沖縄」だった (^▽^;)

雪をあんなに珍しがるような南国からいらした方々、一体どの競技に参加されたんだろ。いまだに想像つかん。

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2月ぶんの日記の台紙を『自動作成 JavaScript(仮) 』(名前ないけどまぁいいや)で作ったとこ。このページの最後の右向き三角画像リンクで飛べるよ(何も書いてないけど。未来日記じゃないんで (^^;))。その自動作成 JavaScript(仮) でちょっとした不具合を見つけてそこを修正。これで自動処理計画は、日記のレイアウトが変わらない限り完成の域に達したかと。うるう年の処理も年またぎの処理もうまいことできた(っぽい)んで、来世紀まで使えそう(笑)

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朝起きて真っ先に FreeBSD の様子を見たら、 Mozilla のインストール終わってた(ほっ)。

夕方 Mozilla を起動したらちゃんとできたけど、コマンドラインじゃ「Java が見つからないです」なんて不平を言われる。そりゃ見つからないって。まだインストールしてないもん。でも Mozilla を起動するごとに不平を言われるのもしゃくだしいずれこのマシンで Java の勉強しようと思ってたから入れてみた。

現在22時54分。さっきからときどき止まる。ダイアログに「Stop ERROR 1:ブラウザで http://... から手動でファイルを取ってきて、/usr/ports/distfiles/ に入れてからインストール作業を再開してください。」みたいに言われて、そのたびに手動ダウンロード。でもこのインストールダイアログ、変なところがなかなかよくできてる。

Sun のサイトに SDK うんたらかんたらを手動で取りに行く羽目になったとき、ダイアログ君はご丁寧にも「そのページでは Sun にユーザ登録を要求されます」と語りかけ、続いてダウンロードサイトに辿り着くまでの手順を逐一説明してくれた(笑)

また明朝までインストール作業だなこりゃ。寝てるときに手動作業を要求されてももう知らん。

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2004.1.31 土曜
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追憶の出航計画

今八戸の長根スケートリンクで開催中の冬季国体、スピードスケートの他にアイスホッケーも開催されてるんだけど(アイスホッケーはお隣の福地村でも。フィギュアとショートトラックは隣の隣の三沢市にて)、この長根リンクの屋外ホッケーリンクにはちょいとした想い出がある。いや、当時はまだ400mリンクだけで、ホッケーリンクはなかったんだけど。

そこに何があったか。それは池。スケートリンクを含む長根運動公園はもともと、稲作用の巨大な調整池だったらしい。その池が冬になるとガッチリと凍って天然のリンクとなり、それで八戸ではスケートが盛んになったんだそうで。おいらにはその「池リンク」の記憶はないけど、おいらが子供の時分には、先行建造された今の400mスピードスケートリンクをわざわざ「パイピングリンク」(氷の下に冷却管を埋め込んでいる人工リンク)と呼ぶ人が多かった。そして、ホッケーリンクが出来るまでの過渡期、その予定地はいまだに池だった。

パイピングリンク建造前まで、その調整池は夏場は貸しボートでにぎわったらしい。1周400mという陸上競技場と同じスペースをもぎ取られてしまった調整池はもはやただの小さな池で、ボートを漕ぐには狭すぎた。おいらの記憶には「池リンク」も「貸しボート営業中の池」もない。しかし貸しボートをやっていた証拠はあった。その小さな池のほとりに打ち捨てられていたボート1艘。子供の頃、通学路からそいつはいつも見えていた。八戸市内には貸しボートをやっているところは(恐らく今も)ない。目を付けたわけだ。「あれをもうちょっと動かせば水に浮かべられる。でも子供一人の力じゃ無理だ……」

ガキの考えは大体同じようなもんで、集団下校が残り5人くらいになったところで(←家が学校から遠いやつら)、誰からともなくその話が出た。「おお、おれも考えてたよそれ!」「おれもおれも!」話は見事にまとまった。「決行は明日の土曜、いっぺん家に帰って昼メシ食ったら例の金網前に集合」。

もう土曜の半ドンは授業なんかどうでもよかったっすよ。掃除が終わるとソッコーでうちに帰ってメシかっ食らって、「例の金網」の前に着くと、まだあと1人来てなかった。その金網の向こうに我々の搭乗すべきボートがあった。オールはなかったけどまあどうにかなるだろう。最後のやつも来たところで、早速計画は遂行された。

金網登りなんて慣れたもんだ。あっという間に我々は金網を越え、船に向かって走った。当時は金網の意味を「よじ上って通るための道」だと思ってたからな(笑)

「せぇーのっ!」おりゃ〜! 「せぇーのっ!」どおりゃあ〜! 「せぇーのっ!」どぅおワりゃ〜! ぐぅおワりゃりゃ〜! ぐぬやるぉ〜〜!

船はビクともしなかった。でもここまで来てしまった以上、どうにか船出しないことには後には引けん。「船の下を掘って動かしやすくしよう」との意見が出て、掘った掘った。手で。今考えるとまぁ子供の手の掘削能力じゃ大したことはないんだけど。それでも少し掘っては押して試し、少し掘っては押して試し。しかしあのときは「あきらめる」という言葉と意味を完全に忘れてたな。みんなもひたすら頑張ってた。そこにいきなり降りかかる拡声器の大声。

そこの君たち、ボートに乗るのをやめなさい!

ハッと振り返ると近くの道路に白黒ツートーンのクルマが止まってて、その上で赤いランプがくるくる回転しているのが見えた。通行人が我々を見て「危ないから」と警察を呼んだのか、それともたまたまパトカーが通りかかって発見されたのか。どっちでもいいけどとにかくバレちまった。

「ヤべぇ捕まる!」仲間の誰かの一言が引き金になり、我々は蜘蛛の子を散らすように逃げた。走った走った。来たときの倍速で金網によじ上り倍速でよじ下り(←変な言い方だな)、そしてまた走った走った走った。無事全員逃げ仰せたようで、あとで職員室に呼ばれるようなこともなかった。あのときほど必死で走ったこと、今までないかも。子供心に、あれほどヤバさを感じたことなかった。捕まれば刑務所行きだと思ったもんな。

そんなヤバい想い出のある金網越しは今はホッケーリンクになり、国体の精鋭たちが連日熱戦を演じているわけで、なんだか感慨深いものを覚えるのだった。「近くを探せばスコップぐらいあったかもな」とか(笑)

このまえ十和田湖でボートに乗ったんだが(ちゃんと貸しボートを借りて。2003.10.18)、やっぱしあのとき手で掘った泥のにおいが蘇ってきた。鉛色の空を背景に赤く輝く回転灯も (^_^;)

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