ひとりごちるゆんず 2008年5月
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2008.5.1 木曜 前日に飛ぶ
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納豆 + ガンマ線で砂漠緑化

ぐおお、先月分の日記、久しぶりに130KB突破 orz めちゃめちゃ遅れてるのに何やってんだ(今日は5月25日)。っつうか去年の12月以来コンスタントに 100KB 越えちゃってるし。なんでこんなことになってるんだろ>自分

そしたら今日のネタは、核開発関連が続いたから今日ももうひとつ興味深いのやってみるか。

2008.4.17 で、ガンマ線ってのがやたらヤバい放射線なもんで、たぶんそのせいで六ヶ所村の原燃 PR センターでもイメージキャラを割り振られずにシカトされてるって書いたけど、ガンマ線ってどうもそればっかしじゃないみたいなのよ。バイオ技術との合体技で、かなり役に立てたりもするのよ。

おとといの晩、マンキツに行ったんだわ。その晩読んだのは『もやしもん』。いや〜噂以上の面白さでさ、やたら読ませる内容なんで、6巻まで読むのに6時間かかったよ。普通は1時間で2巻行けるんだけど。

そんでさ、樹(いつき)先生っつう語りが好きなキャラがいるんだけど、その語りでちょいと聞き逃せないのがあったのよ。それは第3巻の12ページにあった。

納豆のネバネバつまり菌糸にガンマ線を照射する事によって出来たまるでローションのような物質「納豆樹脂」はたった1gで5リットル保水する力がある

だから例えば世界の砂漠にこの納豆樹脂を撒く事が出来れば砂漠の少ない降雨を大地がしっかり蓄え砂漠緑化という人類の宿題も夢物語とは言えない所まで来ている

ってことで今さっき「納豆樹脂」で検索したら、さっそく研究成果の紹介ページが見つかったよ。ふむふむほほう、おむつとかの市販の高分子吸収体の5倍の保水力ですか。すごい新素材が出来たもんだなぁ。納豆とガンマ線って組み合わせがとりあえずすごいけど。

砂漠緑化の研究だと、鳥取大学が世界的に有名らしい。そこに親子二代の先生がいらして、鳥取砂丘に研究所を作ってずっと砂漠の緑化を研究しておられるそうで。で、ただ研究室にこもってるわけじゃなく、緑化が必要な砂漠に出向いて、研究成果を実践して成果を挙げておられるんだそうで。

で、将来計画としてかなり大胆なプランを新聞で読んだことがある。高分子吸収体を入れた銃弾を作って、飛行機から地面に向かってマシンガンで撃ちまくるんだそうで。んでその土壌の保水力を増やして植物が根付きやすくするとか。その記事を読んだのは90年代だったと思う。今この計画をやられてるのかどうかは知らないけど、これ、高分子吸収体を納豆樹脂に換えるとますます効率が上がりますですな。

そこらへんのことが『もやしもん』で語られてたわけで。その道の権威がやろうとしてたことをベースにしてるんで、ただの思いつきでも夢物語でもないわけですよ。この技術が実現する日が楽しみですなぁ。

その鳥取大学の先生が書いた本を読んだことがあるんだけど、砂漠緑化を阻む最大の壁は、現地の人間の「どうせ何をやっても無駄。砂漠化はもう誰にも止められない」という諦めなんだそうで。現場で実際に方法を説明しても、この言葉を言われては協力を断られるのが常なんだそうで。自分達で相当頑張ってきたんだろうと思う。地元の自治体や政府も外国からの援助隊も頑張ってきたけど、敗北し続けてきたんだろうと思う。

そんな中に、砂漠とは何の関係もなさそうな国の人がまた来て「今度は大丈夫」と話しかけたって、信じられないんだろうなぁ。今まで何度もそういうことがあったろうし。うまくいかなきゃその外国人は自国に帰ればいいだけの話だし。まぁそんなわけで現地の人たちはすっかり不信の塊になってしまってるみたいで。

けど、鳥取大の先生の方針はどうも「極力現地の人たちにやってもらう」らしい。たぶん外国から来た人たちが全部やってしまったら、緑化の維持なんかもやってもらおうとするようになってしまうから、ってことかと。そこから先は自分達のことなんだから、自立してもらおうってことかと。そうはっきり書かれてたかどうか忘れてしまったけど、砂漠化に悩む国からの留学生を実際に観察して「彼らの性格は、全員とは言わないけどちょっとなぁ」みたいなことを書いてらしたんで、そう解釈してるっす。誤解だったらごめんなさい。

てことで、そこらへんのあれこれがうまくいくと、日本の技術で砂漠が緑化されちゃうわけですよ。何も生産しないまさしく不毛の土地が、豊穣の大地に変わるわけですよ。成功を祈らずにはおれませんですよ。

ちなみに「砂漠緑化」と聞くと、砂漠が鬱蒼とした原生林に変わる姿を想像する人が多いと思うけど(おいらもそうだった)、とりあえずはその線じゃなく、砂漠状態のままで農作物を生産できるようにするってことらしい。砂がいきなり腐葉土になるわけじゃないからね。それよりその土地に住む人たちの生活を出来るだけ速やかに支援してあげるって方がニーズが高いらしい。考えてみりゃ当たり前のことでござったよ。

んでまぁ憶測だけど、砂漠ってのはやっぱし植物にとって環境が厳しいわけで。温度差が激しい上に反射紫外線が強いし、やたら乾燥してるし。吹きっ晒しだし。農業やるにしても、周囲が森林に囲まれてるって方が環境がいいわな。環境条件にデリケートな農産物もいろいろ作れるようになるし。てことで、砂漠緑化の最終目標ってのは、やっぱし森林を復活させるってことなんじゃないかと。

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2008.5.2 金曜 前日に飛ぶ
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落ち込む日

てわけで、昨日の分の日記はまた、そこらあたりの特定マニア層以外には全然つまんない話ですまんでした。

なんかもう最近は日記を書かないのがデフォルトな生活になってしまったもんで、自分がそのとき萌えてるテーマじゃないと書けなくてさ。

……、

……、

……。

やっぱ変っすか原子力とか砂漠緑化に萌えるのって orz いや、他の話題も好きだよ。各種発電とかロケットとかバイオ燃料とか電気自動車とか燃料電池とかガスタービンエンジンとか。

……、

……、

……。

自分が廃人のような気がしてきた。とりあえずそこらへんの趣味が合う人が周りに一人もいないという現実 OTZ

てことでやけくそ気味に、今日の作業用 BGM は「【インド人が】初音ミクとMEIKOのデュエット『The Stranger』【たおせない】‐ニコニコ動画(SP1)」の無限ループ。んー、いつ聴いてもこの味わいは独特だなぁ。聴いてるうちにだんだん変な意味で気持ちよくなっていくよあひひひ。でも伝説の原曲を無限ループする勇気はないお子ちゃまなおいらさ。♪あ〜ぱぱぱぱぱぱ……。

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2008.5.3 土曜 前日に飛ぶ
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安易な誤用単語集 1

2008.4.22 で「こだわり」という言葉の最近の使われ方になんかちょっと、みたいなことを書いたら読者さんから、近年の「癒し」「生き様」って言葉の誤用やヘンテコさの指摘を頂いたよ。気にしたことなかったけど、言われてみると確かに変だよなぁ。「癒し」はもともと「治癒」だよね。傷とか病気なんかの肉体的な話だったのに、いつの間にか心や気分の話になってしまった。これも「こだわり」と同じく、何らかの商売の仕掛人の影を感じるんだが。出元は多少はっきりしてるけどね。

この「癒し」の使われ方は1995年から缶コーヒーの CM 文句として突如として流行り始めたんだけど、その前年、アメリカで "healing" って言葉が流行ってた。これも元々は「治癒」の意味だったんだけど、「気分の癒し」として使われ始めてたんですな。で、恐らくそれを日本人の誰かが直輸入したってことかと。

「生き様」は……「死に様」から派生したというだけの言葉かと。「生き方」「生きる道」でも別に良さそうだけど、そのエゲツナ系の浪花節ド根性なコンセプトが妙にウケちゃったんじゃないかな。

あ、ついでに「ド根性」の「ド」の元は「超弩級」の「弩」だね。で、さらにその元は、イギリス海軍の戦艦ドレッドノートに由来するらしい。なんでも日露戦争の日本海海戦の結果を見て、「戦艦の火力の強さがこれからは海軍力を決定する」と喝破したイギリスが建造した強力なやつらしくて、当時、そのぶっ飛んだ性能は列強諸国にとって衝撃だったそうだ。そんで、以後世界中で登場したドレッドノートと同等の戦艦を日本では「ド級」と、それ以上のものを「超ド級」と呼んだのが全ての始まりだそうで。

「日本語の乱れ」については、おいらはあんまし気にしない立場を取ってるんだわ。それは言語が実用されて、その言葉の使用者に愛されてる限り必ず起こることなんで。むしろ「乱れ」じゃなく「変化」だね。だから変わること自体は何も悪いことじゃないと思う。実際、古代の日本語が成立してから、時代とともにどんどん変わり続けて今の形になったわけだし。でも「洗練」の見地からすると、安直でひねりのないやつはちょっとなぁ。そんなのは時代に揉まれてとっとと消えてほしいと願ってしまうだよ。

あとさ、科学・技術用語の安易な誤用もどうにかなんないもんかね。すごくすごくアタマ悪い感じがして素直にイヤなんだが。

まず "DNA"。「その感動は私の DNA に刻み込まれた」みたいな使い方をやたら見かけるけど、DNA(デオキシリボ核酸)ってのは生物の先天的性質のみを決定するもんであってですね、生まれた後の体験を記録する機能なんててんでないんですが(種が進化する程の時間の長さで、代々が繰り返し同じ強烈な [生死に関わるような] 体験をし続けると、同じトラブルを予防するために、何かのきっかけ [すぐ下の段落で「きっかけ」を説明してるよ] でそれが記録される可能性があるそうだけど。つまりそれが生物学的進化なわけで)。その言い方をするのであれば、その人の子供にその感動体験が先天的に植え付けられてる実例を是非見せていただきたい。

そんな DNA 情報の書き換えの条件ってのは大きいのが3つ。放射線被曝と細胞分裂時のコピーミス、それとウイルス感染。ごくたまーに進化の役に立つけど、大抵どれもろくな結果になんない。病気になるだけ。あと過度の紫外線被曝や薬物摂取なんかでも書き換わるかもしんないけど、おいらはそこらはまだ見聞きしたことがない。DNA ってのは、情緒なんかで左右されるようなヤワなもんじゃないってこと。詩的な隠喩のつもりだとしても、細胞核の中に入ってる二重螺旋の有機物っつう出自がエグすぎるぞ。

お次は「グラビア」と「フェロモン」。ここらについては 2005.8.29 でもう書いてたわ。あれから3年。相変わらず「フェロモン女優」「グラビアアイドル」なんてアホ丸出しの表現は隆盛だなぁ。もういいよ。やめれ。

あと物理学用語からは「波動」の意図的な誤用が根強いね。もともとは物体を伝わる波や音波、電磁波の振る舞いを定量的に予想・分析するための学問で、「波動工学」となるとその実利的応用となるわけだ。分かりやすいところだと地震の波の伝わり方の解析なんかに使われたり、あとレンズやアンテナの設計とか(光も電波も電磁「波」なんで)。音波だとコンサートホールの設計とか。そしたら90年代あたりから、なんでか人の心身の健康とか、オカルトな現象の説明に便利に使われ出した。「波動」って言葉の響きの良さやかっこよさがアダになったかなぁ。

「宇宙戦艦ヤマト」で「波動エンジン」「波動砲」なんて形で派手に使われたって下敷きもあったかも(あのアニメじゃ、科学的根拠はないもののちゃんと工学的な言葉の使われ方をしてたんだが)。ってことで、まぁ基本的に本物の波動学は人の心身の健康には関係ないっす(断言)。オカルトの波動も本来の波動学と何ら関係ないんで、無視して何の問題もないっす。

ってことで、ここらで今日のまとめを書くべきなんだけど、どう書いたらいいやら (^▽^;) 

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2008.5.4 日曜 前日に飛ぶ
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安易な誤用単語集 2

あとさ、「浮気」=「不倫」もすっかり定着しちゃったね。80年代前半にこの表現が出てきた頃には、いつ消えてなくなるかと思ってたもんだけど。ていうか婉曲なくせにどぎついっつうこのいやらしい表現が嫌いでさ、消えてほしいと願い続けてたもんだが。で、今 Yahoo! 辞書で調べたら、これは意外というか、もともとから背徳的な男女関係のことを指してたらしい。でも「不倫な恋」みたいな修飾語的な使い方が基本っぽい。後から出てきた「不倫する」なんつうサ変動詞的な用法は、いまだに違和感を覚えるなぁ。いや、おいらも日常会話で使っちまってるけどさ(どんだけディープな日常会話よ)。なんかオリジナルと比べると、新しい使い方はいささかぶっきらぼうな感じがしてなぁ。

「浮気」で充分間に合うと思うけどなぁ。ああでも「妻子持ちの課長と不倫中の独身 OL」 の場合、浮気してるのは飽くまで課長さんで、OL さんの方は「課長の浮気の相手」ではあっても「OL が浮気している」とは言わんよな。あと、未婚同士のカップルの場合でも「不倫」の言葉は似合わんよな。そこらへんのニッチにうまく入り込んだ例なんだろか。

そういや昔々、付き合い始めたおにゃのこに「浮気しないでね」って言われたら妙に萌えたっけなムフー(鼻息)。あの頃は若かったww いや当時、「萌える」の意味は「萌え立つ若葉」みたいな用法以外になかったわけだが。っておいらも今じゃフツーに、明らかに誤用から生まれた「萌える」って単語を使っちまってるなぁ。

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2008.5.5 月曜 前日に飛ぶ
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そのこだわりについて

まだ「こだわり」の続きです。

いやあの、「コカコーラでもペプシでもどっちでもいいよ」と言ったら、コーラはコカコーラしか飲まないと決めてるらしき人に「ポリシーないなぁ」と言われちまった件についてなんだけど、後でちょいと考えることがあって。

別に大したことじゃないんすけどね。

シェア1位の商品を選ぶのってポリシーなのか?

大衆の無意識的意向とおもいっきし同じってことで、意識してわざわざそれを選ぶ意味がないような。

例えば「俺はマイクロソフトの OS しか使わないんだ」って威張って言ったって屁の突っ張りにもならないわけで。一生を Windows しか知らずに過ごす人ってやたらいそうだよね。それで他の多くの人(OS にこだわらないけどなんとなく Windows なユーザ)に比べて特にリスクや不便を被るわけでもないし、特別ないいことも何もないし。それと同じことかと。

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2008.5.6 火曜 前日に飛ぶ
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「圧縮水」

水を圧縮して、持ち運びや貯蔵に便利にできないもんか。

藤子不二雄の『21エモン』で、宇宙旅行のグッズとして「圧縮水」ってのが出てきたのよね。片手で持てる程度のボトルに入ってて、どのくらいか知らないけど、その見た目以上の水を溜め込めるらしい。今、21世紀なんだけどなぁ。現実的な応用だと、山歩きや未開の土地への滞在、遠洋漁業、国際宇宙ステーション、真水が恒常的に足りない地域への給水なんかですごく役に立ちそうな気がするのよね。

2008.5.1 で、「納豆樹脂」という画期的な技術を紹介させていただいたわけですよ。けどまぁちょっとツッコミどころからあって。いや、勝手な誤解なんだけどさ、『もやしもん』でそのことを読んだ時、『1ccくらいの容積に5リットルの水を貯えられる』もんだとばっかり思っちゃって。そんで研究成果のページを見たらあんた、『水を吸ったぶん膨らむ』ってことだったのね。

もちろんそれでも画期性は変わらないんだけど、なんていうの、水ってほら、金属や鉱物に比べて密度があんまし高くないじゃないですか。だからかさばって、場合によっちゃ持ち運びに不便というか。固体(氷)にしちゃうと体積が増えて、ますますかさばるし。

けどまぁ圧縮にも限度があるかな。おいらが誤解したみたいな『1ccで5リットル』ってのは密度5,000倍ってことで、だいたい角砂糖1個ぶんで5kgってことだからな。んなもん手から滑らして足にでも落とした日にゃ、安全靴でも履いてない限りおもっきし重傷だよ。貫通したりして。うわぁぁ。

水の密度を上げる方法はあるにはあるんだけどさ、あんまし現実的じゃないのよね。単純に、超高圧をかけて無理矢理縮めるって方法でさ、深海の海水がそういう状態になってるらしい。数字が分からなかったんで調べてみたら、こんな Q&A を拾ったよ。10,000気圧で氷状になって密度1.3g/cm3。そんなもんか……。比重2や3となると、もう H2O とは呼べなくなってしまうのか。うむー。

最近、ブルーバックスの『水とはなにか』を読んでるんですわ。確か10年以上前に買ったんだけど、一般向けとは言えなかなか難解で、今まで5回は途中で挫折してるんすよ。化学は苦手だし。けど今回は未踏の領域にまで達しててさ、水に関する知識を吸収中なわけで。そんでまぁ「圧縮水」のヒントになるような方法がないかな〜とか考えてたりして。っつうか世の中、頭のいい人たちが多いんで、そんな人たちの中で誰もこのことを思いつかないわけがないわけで、「圧縮水」がいまだに実用化されてないってことは、理論的に不可能ってことなのかもね。

液体の水の分子同士は水素結合でぴったりつながっちゃってるんで、やっぱ普通に考えたらそれ以上にはなかなか縮まらなそうだよなぁ。なんかこれ以上は量子力学の話になりそうでコワイ(そこらまで行くと完全にチンプンカンプンっす)。

そういや水分子って、酸素と水素でできてるんだもんな。構成する原子自体が軽いんでやんの。密度じゃ金属や鉱物に比べて、素性からして不利ってことか。やっぱ素人の妄想でしかないのかねぇ。

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2008.5.7 水曜 前日に飛ぶ
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海底太陽族

深海の海水と言えば、超高圧で沸点も上がってるんだよね。うおお、水が300℃以上にもなるんか! 深海恐るべし。しかしまーこの熱源を頼りに、熱水噴出孔の周りには独立した生態系が形成されてるってのもまた面白い話ですな。太陽の恩恵を全く当てにしない、おいら達とは全く接点がない生態系が同じ星に存在してるっての、ファンタジー性を感じるなぁ。彼らにとっては地熱が太陽なわけだ。でも人間の空想なんかじゃなく、これがまぎれもない現実だっつう痛快さ。いいねぇ深海。

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2008.5.8 木曜 前日に飛ぶ
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違う意味での「鉄オタ」

ということでにわかに深海の生態系に萌えたおいらは、Wikipedia 上で面白い生き物をめっけたのだった。

ウロコフネタマガイ

なんかしばらく前に新聞で読んだわこいつのこと。そうか2001年に発見されたのか。この生き物のどこらが面白いかっつうと、鱗(うろこ)の形で、鉄製のヨロイを着てるんですよ。正確には硫化鉄だそうだけど。そんなもんまとった生き物なんて他になさそう。確か発見直後あたりは、『生息域にこれといった天敵が見当たらないため、何のためにこのような進化を遂げたのか不明』ってことになってたと思うけど、Wikipedia の記事によると「捕食性のカニやエビなどに襲われると、鱗を持った足を縮めて鱗で防御する」だそうで。敵、いるんだね。貝ってのは一般的にトロい生き物だから、やっぱエサの対象になりやすいんだろうなぁ。で、その防御のために貝殻ってのを持つようになった、と。

そんでも貝殻に閉じこもりっきりじゃ何もできないんで、普段は貝殻を開けて、肉をむき出しにして餌をあさったり呼吸したりするわけで。それでそこを捕食性の動物にやられたりするってことかと。ま、基本的に貝っておいしいからな、食う方もそのために必死に頑張ったりするわけですな(ほんとか?)。

ところがこのウロコフネタマガイ、貝類の唯一の弱点だった生身の肉を、鉄の鱗で守っちゃったんだからすごいよなぁ。鉄入りなら食ってもまずそうだしねww 生物と鉄と言えば、血液中の赤血球が有名どころですな。血に赤血球を持たない生き物もいるらしいけど、鉄を使った血は、酸素の輸送効率がことさら高いらしい。で、鉄を使ってる証があの赤い色。動脈血は特に鮮やかに赤いけど、あれは鉄が酸化した、つまりは赤錆の色ってことらしい。

で、普通の生き物は鉄に赤血球に使うわけで、ウロコフネタマガイの場合は、敵から自分を守るシールドに鉄を使うってのが画期的なのですな。人類がそれをやり始めたのは鉄器の発明以後のことだから、紀元前1500年より後ですな。いやいやいや、マジですごいよこの生き物は。

人類が最初に鉄を知ったのは隕石からだ、とゆー話を聞いたことがある。確かに隕石には鉄を多く含んだものがあるそうだけど(「隕鉄」と言うそうだ)、絶対量が少なすぎるだろってことで、この話はちょっとマユツバな気がする。まぁ常識的に考えると、採取のラクさから考えて、川底の砂鉄を融かして精錬したのが、現代まで文明を支え続けてる偉大な金属、鉄と人類とのファーストコンタクトだったんじゃないかと。

そんな人類の遅い歩みとは関係なく、深海じゃとっくに鉄を強度部材として利用するやつがいた、と。もしウロコフネタマガイが海岸近くの浅い海や川、沼とかに棲んでたら、人類が鉄を知るのがもっと早まってたかもなぁとか妄想してみたり。無理な話か。深海の熱水噴出孔の近くだからこそ、鉄の分子が熱水に混じって豊富に噴き出してるんだろうってことで。

ああでも、人間を含む脊椎動物の多くが血液に鉄を利用してるってことで、鉄の分子自体はそこらじゅうにあるはずなんだよな。食物にふんだんに混じってるはずなんだよな。ほうれん草が有名だしね。てことはやっぱし、ウロコフネタマガイみたいな素晴らしい発想の鉄の利用をする生き物が人類の近くにはいなかったことが、鉄の有用性に人類が気付くのがここまで遅れた理由になるかな。

おおお!? 今 Wikipedia の「鉄」の「古代」の項目を見たらあんた、人類による鉄の利用のルーツは「隕鉄」なんだそうだ。おおおおそれマジか!? うむぅ、それに紀元前1500年頃のヒッタイト人がこの世で最初かつ唯一の鉄器の発明者だと思ってたけど、そう単純じゃなかったか。あと、砂鉄の利用は日本独自なのか。うむぅ、おいら誤解しまくりだったな。

ウホッ 鉄に関係する生き物まためっけ(はぁと)。その名は「鉄バクテリア」。ほほう、鉄鉱床ってのはこの生き物が作るケースが多いのか。生物濃縮の一種と考えていいのかなこれ。そんじゃ他のケースは、マントル対流とか地殻移動で鉄鉱床ができるのかな。分からんけど。

んでまたそろそろまとめの頃合いになってきたんだけど、今回もまとまらなさそう(涙)。大体にして、普通はオチをどうするか決めてから、それに合わせて本文を書くもんなのに、そこらへん何の考えもなしにいきなり本文を書いてるもんだからして。今日だってウロコフネタマガイの話をサラッとやって終わるつもりだったのに、鉄にまで拡大しちまった。ってことで、今日のところはここまでっ。

銘板
2008.5.9 金曜 前日に飛ぶ
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逆襲の DME

去年、DME(ジメチルエーテル) っつう、未来のディーゼル燃料候補のことを書いたけど、あのときは Wikipedia の読み込みが浅かったよ。高圧で液化できるかどうか分からんけど、みたいに書いちゃってさ。最近ちゃんと読み直したら、「LPGを構成するプロパン(沸点-42.1℃)ほど低い温度にせずとも液化し(-23.6℃)、また常温でもより低圧で液化する(25℃でプロパン9.1気圧に対しDME 6.1気圧)ことから、LPG代替としての用途がある。」だそうで。

LPG っつったら液化ブロパンガスですな。家庭用やタクシーの燃料に使われてるあれ。あれよりも扱いやすい物質らしいよ。DME の原料はメタノールらしい。メタノールの工業的な製法では、木酢液や一酸化炭素から作るってことで、どうもあまり石油に由来してないらしい。

ということはですよ、最近ますます石油が高くなってるじゃないですか。まさに天井知らずって感じで。なんでも値が下がる要因がないとか。んでまぁ、日本は過去の2度のオイルショックの経験から脱石油を進めてきたけど、どうも今回、3度目のオイルショックになりそうな雰囲気じゃないですか。そうすっとますます脱石油を進めないといかんわけよね。ってことで、DME がもっと注目されてもいいような気がするんですが。

乗用車に乗る一般のドライバーも困ってるけど、新聞を読むと、大型車で大量に燃料を消費する運輸関係の業者にとっては、死活問題にまでなってるらしい。ってことで、石油の国際相場に左右されにくい代替燃料って大事だと思うのよ。DME って環境負荷も小さいみたいだし、最近の石油の暴騰を追い風に、一気に普及させちゃったらどうかと思うんだけどどうでしょ。

銘板
2008.5.10 土曜 前日に飛ぶ
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血液沸騰リラックスキャンペーン

久々に小惑星探査機 はやぶさ ネタ。

はやぶさ は去年の10月から来年の2月まで冬眠のまんまなんで、最近は新しい話題がないのよね。

そんなんでまた何の話かと言うと、去る5月26日(これ書いてるの6月2日未明)、はやぶさ ビデオ『祈り』が WorldMediaFestival 部門別銀賞受賞!したそうなんですよ。前にこのこと書いたような……(検索中)……、おっ、あったあった。このビデオへのリンクはこちら。無料・無登録でそのまま観れるよ。

んでまぁ今日のネタどころはですね、このビデオキャンペーンの触れ込みなんですわ。発表前から「癒し系」「リラックスキャンペーン」「どうぞ、ワインでも、ジュースでもコーヒーでも、お好きな飲み物を片手に、ごゆっくりお楽しみください」って言葉が使われててさ。そうゆーイメージでもって期待してたんですよ。

そしたらなんか、イイ意味で裏切られたというか。

これがもう全然リラックスどころじゃないんすよ。小惑星イトカワへの到着から探査、ミネルバ(小型探査車)投下にタッチダウン、直後の致命的トラブル発生と沈黙、そして根性の大復活。手に汗握るわ心臓バクバクだわあっつい目汁がどばどば溢れるわで、一体どこがどう癒し系なのやら……。

mixi のコミュでもみんなそこにツッコミ入れまくってたんだけどさ、どうも当の宇宙科学研究本部は「癒し」路線を撤回するつもりはないらしくて、今回の受賞の発表でも、「科学探査ミッションのビデオとしては異例の癒し系音楽ビデオとなっています」と言い切ってやがるwww まぁ確かに音楽はそうだけどさ。音楽だけは。けどストーリーの方はヒリつくアツさ。んー、これを「癒し系」としてしまうリアル宇宙冒険野郎どもは、どんなときでもクールってことなんですかね。

今回久しぶりに『祈り』を観たけど、やっぱしエキサイトリミッター振り切っちゃうぞ。

銘板
2008.5.11 日曜 前日に飛ぶ
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なんか、言ったこと当たっちゃったよ……

2008.4.12 で現代の旅客機について、なんか八つ当たり気味に「企業や国家の日常的な活動としてこんだけ派手に石油由来の二酸化炭素が堂々と吐き出される中、個人としてエコ意識を高めて生活に気を付けることにどれだけの意味があるのか」なんて書いたんだけど、別に数値的な根拠があるわけじゃなかったのよね。ただそんな感じがしたからそう書いたってだけで。

したらさ、今日の新聞(6月1日。この日記、かなり遅れてます)でそれを裏付ける記事がたまたま出てきちゃって。とりあえず後で誤解が出ないように、記事全文を載せるわ。

デーリー東北 2008年6月1日付

 航空機のCO2大幅増

 総排出量予測

 25年には日本1国分

民間航空機からの二酸化炭素(CO2)の排出量増加のペースはこれまで考えられていたよりも速く、二〇二五年には二〇〇〇年ごろの二・一−二・六倍になるとの予測が三十一日、明らかになった。米国や欧州の専門家らによるもので、二五年の総排出量は現在の日本国一国分に匹敵することになる。

先進国だけでなく、アジアの発展途上国を中心に航空機を使った貨物や旅客の輸送が急増傾向にあり、今後も続くとみられるのが理由。

航空機からのCO2は、国際線からの排出が京都議定書の対象外とされるなど規制が緩やか。国際交渉では規制強化を求める欧州連合(EU)と、消極的な米国などの意見が対立しているが、国際的な規制の導入などを求める声が今後、高まりそうだ。

排出量の予測は、米運輸省の研究機関の専門家らが、米国や欧州のコンピュータモデルを使い実施。

結果によると、二〇〇〇年には世界全体で推定五億七千二百万トンだった排出量は、一〇年には六億五百万−七億七千六百万トンに増加し、二五年には十二億二千八百万−十四億八千八百万トンに達する。

これは〇六年の日本の総排出量(約十三億四千万トン)に匹敵する。

〇四年時点の予測では二五年の排出量は十億三千万トンで、今回の結果はこれを上回った。

また、大気汚染の原因となる窒素酸化物(NOx)の排出量も大幅に増え、航空機騒音に悩む人の数もアジアを中心に増えると予測された。

航空機からのCO2排出のうち、国内線は各国の規制対象になっているが、国際線はどこの国の排出とするか定めるのが困難で、京都議定書の規制対象になっていない。

ということらしい。日本の二酸化炭素排出量の割合は、2005年で4.7%だそうで、まあまあ無視できない量だと思うんだけど、それがまるまるひとつ分ってことですなぁ。ていうか現時点で航空業界は、日本の半分くらいを排出してるわけだ。で、京都議定書じゃ国際線が対象外にされてきたってことで、今までの国別統計でもそのぶんは無視されてたってことになるわけで。ってことで、実際は日本の半分くらい、ってことは世界の排出量の2.5%くらいが隠れてたってことですな。

なんてーか、ここ10年くらい、温暖化の危険性が世界中であーだこーだ取り沙汰されてきてたのに、議論の元になる数字はけっこうアバウトだったんだな……。かなりがっかりだぞこれは。しかも今まで無視してきたやつがこれからの成長株だってんだから、お前今さらそれはないだろうって感じ。

いやもうガタガタ言わんで、先進国は本気で「レーザー駆動蒸気ジェットエンジン」の実用化研究に国費をぶち込んだらどぉよ。

銘板
2008.5.12 月曜 前日に飛ぶ
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おフランスの事情を妄想

昨日見た資料「世界の二酸化炭素排出量−国別排出割合−(2005年)」だけど、フランスが意外と二酸化炭素を出してないんだが。日本の排出量の3分の1未満で、韓国よりもメキシコよりも少ない。なんでだ?

Wikipedia によると、フランスの人口は大体6千万人ってことで、日本の約半分ですな。つまり一人当たりの排出量は日本の3分の2。かの国はどうゆーマジックを使っておるのだ?

ひとつ心当たりがあるんだけど。それは原発の普及率。日本が約3割なのに対して、フランスは約8割らしい。やっぱ原発って CO2 排出抑制に効果が大きいんかなぁ。それにしてもここまでとは。ただ、日本の場合はそこまで原発を増やせないと思うけどね。反対運動以前に、国の地理的な事情で。

フランスってヨーロッパのいろんな国と陸続きで国境を接してるじゃないの。そうゆーお隣さんたちに売電してるんじゃないかと。イギリスにもまぁドーバー海峡があるけど、根性ある人が泳いで渡れるくらいだから、海底電力ケーブルで送電してそうな気がする。

電力需要ってのは、24時間周期で波があるんですな。夜明け前が一番低くて、多くの職場が始業する9時頃にガツンと上がって、午後2時か3時頃にピークを迎える。で、次の日の夜明け前に向かってゆるゆると下がっていく、という、まぁ大体1日の気温の変動と似た動きをするわけだ。

一方、原発ってのは出力調整が難しいんだそうで、そんなに短いサイクルでアイドリングしたり全開にしたり、なんつう火力発電みたいな芸当はできないらしい(火力でも出力調整をすると燃費が落ちるから、あまりやりたくないらしい)。てことで原発の割合が高まっていくと、出力調整の壁にぶつかる。んで、これを緩和するのが広域への売電なんですわ。特に売電の対象地域が自国の東西に広がってると都合が良かったりする。

というのもですね、売電地域が東西に遠くなればなるほど、各地の電力需要の曲線が、時差に伴って、発電地の需要曲線からずれていくんですな。てことで、需要のピークも底もならされる、というわけ。まぁあんまし遠くにまで送電するとロスが馬鹿になんないだろうから、頑張っても時差にして1時間か2時間ってところかと思うけど。最近日本で実用化されたっぽい超伝導送電線を使えば、採算が取れる到達距離がもっと伸びるかな。住友金属と東京電力の共同開発で、送電損失30%オフだそうで(超伝導だと送電ロスはゼロなんだけど、そのために送電線全部を液体窒素で冷やさないといけなくて、そのぶんにエネルギーを取られてしまうのだ)。

んで、売電地域の特性を読んで電力を割り振って供給することで需要の波を和らげて、フランスの原発で供給して、それでも差がある分は、現地の火力や水力発電の出力調整で吸収してもらう、という体制なんじゃないかと。

これ、日本じゃちょっと難しいよね。電力売買の相手になれそうな隣国と言ったら実質、韓国ひとつしかない。しかも対馬海峡は根性で泳いで渡れるような距離じゃないと思う。そこに海底電力ケーブル。運用面でもコスト面でも、ちょっと無理がありそう。

てことで、日本は原発をフランス並みに普及させられないだろう、ってのがおいらの予想。反対運動をやってもやらなくても、この国には実用的な意味での原発普及率の限界が存在するってことなんですな。けど原発って国費がガバガバ流れ込むかなりオイシイ商売らしいから、そこらを目当てにいろんな人たちが無理を押し通す可能性もありそうだけどね。

今日のネタは、フランスの二酸化炭素排出量がやけに少ないところから、原発の影響かな? といろいろ考えてみたんだけど、もしかしたらもっと別な理由があるのかもしれんな。例えば、電力に限らず、フランスは日本ほどエネルギー漬けじゃない生活をしてるとか。だとしたらその生活様式を知りたかったりして。企業にしても、世界的な巨大製鉄会社がなさそうだしな(製鉄業はかなりの二酸化炭素排出源だったりする。燃料のコークスって石炭だからな。具体的な数字は知らんけど)。

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製鉄用の溶鉱炉って、最近は二酸化炭素の排出量があまりないものが設計されてるんだそうだけど、その前の方式のやつって、消耗品を定期的に取り替えされすれば、基本的にいつまでも使えるものなんだそうだ。ということで、環境負荷が少ない最新型の溶鉱炉はあまり普及してないらしい。情報の出どころを忘れたんで、ヨタ話だけどさ。

ヨタ話ついでに、昔、原子力製鉄と言うアイディアがあったらしいよ。コークスを燃やしての製鉄は環境に良くないってことで、コストさえ釣り合えば熱源を原子力で賄いたい、という考えで。たぶん1950年代〜70年代あたりじゃないかなぁ。核エネルギーの平和利用に対して素朴な希望を持ってた年代、ということで。1979年のスリーマイル島原発事故で、その幻想が一気にぶっ飛んでしまったってことで、原子力製鉄計画もまた立ち消えになったみたいよ。

お、原子力製鉄の公的文書ハケーン(その1, その2)。昭和46年(1971年)ですか。

銘板
2008.5.13 火曜 前日に飛ぶ
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ソビエト発? マユツバ美談

そんじゃ話の流れで、原発関係のヨタ話をもうひとつばかし。今日はあの チェルノブイリ事故 関連。Wikipedia にも載ってないから、やっぱただのヨタ話だったのかな。

いや、あの事故の2,3カ月後あたりに聞いた話なんだけどさ、事故直後のチェルノブイリ上空の風向きはちょうど、モスクワに向いてたそうで。このままじゃいわゆる「黒い雨」(放射性物質を多量に含んだ雨)が首都モスクワに降り注いでしまう! ということで、当時から世界最先端だったソビエトご自慢の人工降雨技術を駆使し、雲がモスクワに届く前に全部雨として降らせ、かくしてソビエト連邦は最悪の事態を辛うじて免れたのだった。

という話。これをおいらに話してくれた人は「ソ連の行動力は凄いよなぁ。日本じゃこうは行かないよ」みたいな感じだったんだけど、なんかおいらは心に引っかかるものがあったんだわ。後でそれが何なのか分かった。

じゃあチェルノブイリとモスクワの間の、雨が降った土地の人にとっては、最悪のとばっちりだったわけだ。

無人地帯だったならまだいいかもしんないけど、いくらロシアがだだっ広いとは言え、そうそう都合良くはないだろうってことで。国家による切り捨てだもんなぁ。全体主義の国だったから、即断して即実行できたって面もあったかと。例えば今の日本でそれやったら、非難囂々なんじゃないのかねぇ。まぁ人の体に例えれば、脳がやられるより指一本がやられた方がマシだよなどう考えたって。

けど、日本の場合は人工降雨の技術がほとんどないから話は簡単だわな。国内のどこかの原発がチェルノブイリと同じ事故を起こしたとして、放射性物質を含んだ雨雲が首都に向かって流れて来たとしても、「どうか雨にならないで太平洋に抜けて下さい。その後はどこの国がどうなってもいいですから」と祈ることしかできんわけで。この話の中でのソ連の悲劇は、この事態を中途半端にどうにかできる技術を持ってしまってたってことだったかと。

この話が本当だったとして、結局自国内に人為的に被害を出したわけだから、それが英断だったとはどうしても割り切れなくてなぁ。自分がその雨を降らされた土地に住んでたとしたらさ、「政府のその判断は正しかった」なんて絶対思えないって。

んでまぁ一番納得行かなかったのは、この話が美談としてけっこう広く伝わってたってことなんですな。複数の人から聞いたことがあるよ(青森県出身と福島県出身の、全く接点のない2人から聞いた。あと忘れたけどもう2人くらいから聞いた)。これを美談と捉えてた人、誰から聞いたか知らないけど、その人に話した人がまず美談として伝えて、それを鵜呑みにして受け売りしたんだろうなぁ。広く知られてたってことは、テレビかラジオで誰か言ったのかも。しかし、出どころはどうでも、複数の人間が、それぞれ仕入れた何らかの話を何の判断も加えずに周囲に媒介してるっつうところ、集団心理の原理のひとつが垣間見えたみたいで、ちょっと恐かったりする。

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あの原発事故の後、ゲーセンになんだかやたらヤバそうなのが入荷してたんだよなぁ。って Wikipedia で調べたら、「不謹慎ゲーム」としてちゃんと載ってたww それは『チェルノブ』。なんだかいろいろ申し訳なくて、1度たりともプレイする気になれなかっただよ。

銘板
2008.5.14 水曜 前日に飛ぶ
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逆効果な裏技

昨日の話を書いてて思い出したことがあって。いや、正確な判断ができるだけの知識や技量があるはずなのに、どこかから来たヨタ話を鵜呑みにしちゃった人ってのを、これまた数人見かけたことがあって。

いまだによくやられてるいわゆる「裏技」で、「炭酸飲料の飲みかけは、それが入ってるペットボトルをベコッと潰しておくと、気圧が下がって炭酸が抜けない」ってやつ。

全くのウソです。それどころか余計に炭酸が抜けます。何もしない方がまだマシです。

気体が液体に溶けやすくなる条件は主に、1. 温度が低い 2. 気圧が高い なんですな。温度を上げたり気圧を下げたりすると、液体に溶けてた気体が抜けやすくなるんですな。これ、高校の化学でやりますな。

炭酸が抜けないように冷蔵庫に入れるってのはまぁ一般常識として、なぜか気圧に関しては逆をやってしまう人がけっこういたりするのよ。で、おもっきし間違ってる「気圧を下げると炭酸が抜けない」っつう理屈を、確かめもせずに信じてしまったりするのよ。

初めてそれを聞いたのは、機械工学専攻の学生からだったよ(高校で化学を学習済み)。それよりびっくりだったのが、応用化学専攻の大学生もそれを信じてたってこと。なんでか2人とも「お前この裏技知らないだろ」みたいに自慢げに披露してくれてさ。ご丁寧に、間違った解説付きで。「それ逆だろ。よく考えろよ」と指摘したら納得してくれて、おもっきし恥ずかしがってた。

高校で化学を選択してなきゃ、あるいは学んだことを忘れてしまってたら、このウソ話を鵜呑みにしてもしょうがないと思うけど、受験で化学を勉強してきたばっかの大学生が間違えちゃいかんよなぁ。

ちなみに正解は、「きつくフタを閉めて冷蔵庫に入れる」。これだけ。きつくフタを閉めると、コーラから自然に出てきた炭酸ガスがペットボトルの空気部分にたまるから、圧力が上がって、炭酸ガスがそれ以上コーラから抜けない、ってなカラクリ。余計なことをしないのが一番よかったってことですな。

「ガッコのベンキョなんて実社会で何の役にも立たない」って言われ続けてもう長いけど、せっかくのチャンスに全然使わないんじゃ、そりゃ役に立たんわ。ということで、ガッコのベンキョはウソやまやかし、誤解を見破るのに役に立ちますです。

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ま〜でもおいらにしても、化学の勉強からその変な風説をいきなり見破るところに行けたわけじゃないのよ。たまたま何かの雑誌でお便利グッズが紹介されててさ。加圧ポンプ付きのペットボトルの栓。写真を見た感じ、カエルのおもちゃみたいなゴムのポンプが付いてた。飲みかけの炭酸飲料のペットポトルにその栓をして空気を加圧しておくと、炭酸が抜けにくくなる、っつうコンセプトで。それ見て化学で習ったことを思い出して納得してたもんだから、間違い裏技を見破れたってだけだったりする。タイミングの勝利っつーか。

ちなみにその加圧栓は買おうとも思わんかったw なんでってそりゃ、コーラなんてフタ開けたら気が抜ける前に全部飲み干すもんでしょうがww

銘板
2008.5.15 木曜 前日に飛ぶ
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やっぱしなかなか気付かないものらしい

昨日の続きだけど、専門家でも単純な原理に気付かないことがあるんだなぁなんてことを思い出して。

学生の頃、テレビで冬季オリンピックの中継を見てたのよ。おいら豪快なのが好きだからさ、その日はスーパー大回転を食い入るように見てたのよ。そんで疑問がひとつ湧いてきて。

スーパー大回転って、ときどきジャンプするじゃないの。で、どの選手もみんな、なるべく雪面スレスレになるように跳ぶじゃないの。その時はそうする理由が分かんなくて。高く跳ぼうが低く跳ぼうが、跳び出すときの速度は変わらないだろう、と。

で、後でしばらく悩んで出した答えは、「ジャンプ台の段差を吸収する感じで低く跳んだ方が、やっぱし速い」。

簡単のために、雪面が水平であると仮定するよ。スーパー大回転のジャンプで跳ぶってのは、それまでの速度が前方向と上方向にベクトル分解されるってことなんだわ。上方向の速度成分が大きくなればなるほど、前方向の速度成分が減ってしまう。だからジャンプをしてしまえば必ず、ジャンプ前よりスピードが落ちるんですわ。その減速を最小にするには、できるだけ低く跳ぶしかないんですな。これが答えだったよ。

ちなみに減ったスピードはどこに行くのかっつうと、そのぶんはまず上方向に変換されますな。で、重力に従って、頂点を過ぎると下方向の速度に変わりますな。そんで着地と同時に、膝に吸収されて消滅してしまう、というカラクリ。

これ、数日後に大学の研究室で夜にみんなで飲んでたら、話の流れで先生が疑問に出してさ。出題じゃなく、本当に疑問で。いいタイミングだったから黒板に略図を書いて説明したら、さすがに先生なもんだから、説明し始めて10秒で理解してくれたわ。そのくらい単純な原理だったってことで。高校物理が分かればサクッと理解できる程度なんで、先生もシラフの時にちょっと考えれば余裕でクリアできたことかと。

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2008.5.16 金曜 前日に飛ぶ
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クルマにも使えたり

昨日の考え方を応用すると、自動車はサスペンションがガチガチに固いよりも、適度に柔らかい方が燃費がいいってことになるんですわ。道路ってのは真っ平らなわけじゃなく、場所によって多少のデコボコがありますわな。特に雪国だと、春先にアスファルトがところどころ掘れてしまってたりして(最近じゃあまり見かけなくなったけど、要は、アスファルトのヒビに水が入って、冬の間に凍って膨張して、アスファルトを壊しちゃうのだ)。

古代の馬車みたいにサスペンションが全くない場合を考えると、車輪がデコボコを踏むごとに、それに則して車体全体の速度ベクトルが上下方向に分解されちゃう。そのぶん前に進む速度ベクトルが小さくなっちゃう。そこでサスペンションがデコボコを吸収すると、上下方向への速度ベクトルの分解量が減るから、そのぶん前方向の減速が少なくなる、というわけ。

「何を言うか。F-1 マシンのサスはガチガチじゃないか」なんて反論も来そうだけど、あれは別な理由でそうなってるんすよ。まず、路面が一般の公道よりもずっと平らなんですな。だからあんましデコボコを気にしなくていい。あと、F-1 マシンはコーナーを速く走るために車高が低いわけで、サスのストロークを稼げない。サスのバネがちょっとしか伸び縮みしないってわけで、必然的にガチガチになりますな。

さらに、空力によるダウンフォースやコーナリングでの遠心力なんかもサスを動かす力になるけど、あんまし派手にサスが動いて車体の姿勢が変わっちゃうと、ダウンフォースが不安定になって、安心して速く走らせることができないんですな。ということでトータルで損得を考えて、オンロードレーシングカーのサスペンションはガチガチになってる、というわけ。グラベル(未舗装路)を走ってるラリー車だと、見た感じサスがけっこうフカフカだったりするよね。まぁ悪路でサスがガチガチだと、パワーや速度のロス以前に乗ってる人が持たない、って理由かもしんないけど。

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2008.5.17 土曜 前日に飛ぶ
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放射能と味噌

そういえばさ、原子力の話だと、こうゆーアヤシゲなヨタ話があるのよね。

「味噌は放射能を効かなくする」

この話、長崎の原爆投下の体験者の著書から出てきたらしいんだけど、その話が80年代にはもうヨーロッパに広く伝わってて、チェルノブイリ原発事故(1986年)の直後、ヨーロッパ向けの味噌の輸出が激増したそうで。

なんか悪いけど、味噌と放射能除去って頭の中で全然つながんない。本当に効くんだとしたらその仕組みはどうなっておるのか。放射能被害の何に効いて何に効かないのか。

ってことでキーワード「味噌 放射能」で検索したらいくつか関連ページが釣れたけど、こちらのページ様(健康ベジタリアン生活/●味噌は放射能汚染から身を守る)の「その2」が一番説得力あるかなぁ。それと こちら(味噌の効用について/●チェルノブイリ原発事故)こちら(味噌の効力と健康)

ここらを見た限り、医学的な根拠はまだないらしい。とりあえず科学的っぽい説明は、「味噌に含まれるジピコリン酸という成分には放射能(放射性物質のこと)を吸着して排出する作用がある」って感じかな。あと Wikipedia 記事の最後「健康に役立つとの説」じゃ「発酵によって作られる『脂肪酸エチル』が、ガンを引き起こす変異原の力を抑制するという説がある」だそうで。この場合の「変異」は DNA の変異ですな。で、不良品の細胞の増殖が止まらなくなるのがガンなわけでして。放射線障害は同じように DNA の変異が原因で起こるから、DNA の変異を阻害する、あるいは壊れた DNA の修復を助ける、という意味合いかな。それにしてもその仕組みが分かりませんですな。

しかしまー、放射性物質を吸着して排出するのであっても、ジピコリン酸が目の前にある物質を放射性物質かそうでないかを見分けるってのは考えにくいから、たぶん特定の物質を取り込んで体外に排除する働きを持ってて、たまたまその中に放射性物質とされるものが含まれてるってことかと。ということで、人体に有害な放射性物質をみんな持って行ってくれるってほど都合がいいわけじゃなさそう。

脂肪酸エチルの抗ガン作用の方は、実証されてるのかどうかまず謎。まぁ Wikipedia でも「〜という説がある」って書き方だしね。

とゆーことで今回の件は、白黒付けらんなかったよ。あ〜すっきりしねぇ〜。とりあえずマウスやモルモットあたりで実験してくれる人はおらんのかねぇ。

銘板
2008.5.18 日曜 前日に飛ぶ
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亭主関白撲滅祈願

3日前に学生の頃の話が出たんで、その流れで。あのさ、いまだに亭主関白っているのかなぁ。まぁおいらも家事はほとんど母親任せの人なんだけど、別に「男子厨房に入るべからず」とかの理由でそうしてるわけじゃなく、単に家事のセンスも根性もなくて逃げ回ってるってだけで、そんな情けない自分に orz な毎日を暮らしてたりするのよ。

亭主関白ってのはそうじゃないんですな。もう家で奥さんを召使いにして、引け目を感じるどころかそれで威張る人なんだよね。さだまさしの「亭主関白宣言」以来、「愛さえあればそれもまたよし」みたいな感じになってるっぽいけど、あれは歌の中だけのファンタジーな気がするなぁ。実際の亭主関白さんは、けっこうヘドが出そうな輩だったよ。

その50代か60代前半くらいの夫婦に遭遇したのは、学生の頃の寿司屋のバイトでだった。常連というほどじゃないけどたま〜に夫婦で来る人たちでさ、どういう職業か分からないけど、マスターやおかみさんは「先生」って呼んでたな。医者かな? んでさ、先生、酒が回ってきたら自慢話モードに入ってさ、いや、まぁ酒に酔えばそのくらいは普通だけどさ。気分良くたくさん飲んでくれた方が店の売り上げになるし。

まぁそれが、横にいて大人しくしてる奥さんがいないかの如くの亭主関白自慢でさ。奥さんの至らなさをここぞとばかりにあげつらってやんの。時々奥さんの顔色を盗み見たら、少しうつむいて悲しそうな目をして、口元では微かに笑みを保って、ただひたすら耐えてたよ。寿司屋だってのに飲みも食いもしないで。

先生、自分がいかに大物かを誇示したかったんだろうけど、かえって小物にしか見えなくてな。家族という小さな単位の中でさえ、仲間を貶めて自分一人だけ幸せを満喫しようってんだから。でもこちとら客商売なんで、笑顔で「先生すごいですねえ」と持ち上げたけど、その間ずっと罪悪感にさいなまされたよ。

古い話だから内容をあんまし覚えてないけど、一番ムカついた部分だけは覚えてるよ。主に会話してたのはこの腐れ亭主と寿司屋のおかみさんね。おかみさんは客商売だからお追従モード。

「でさ、前に高速に乗ってたとき、こいつがあんまり聞きわけないもんだからさ、走りながら『クルマから降りろ!』って怒鳴ってやったんだ」

「へえー」

「それでもうオレあったま来たからさ、路側帯にクルマ停めてさ、こいつを外に立たせてオレだけで走ってやったよ。高速だぞ。下手すると他のクルマに轢かれるんだぞなぁお前」

「ええーっ信じられません。本当ですかぁ?」

と、話の流れで、奥さんが一言言わなきゃなんなくなりましたわな。「話の流れで」っつうか、そうなるように亭主が強引に持って行ったんだけどさ。

「なぁお前、そうだったろ? なぁおい」

……、

……、

……。

奥さんはポツリと答えた。

「そういうこともありました」

端で話を聞いてたおいらの憤りは、とっくにメーター振り切ってただよ。それでさ、おいらはどうしたかってぇとさ……黙ってビールのコップ洗ってたよ! あああなんという無力!(泣) あの夫婦、今ごろどうしてんのかなぁ。なんかもう別れてた方がおいら的にはかなりスッキリなんだけどなぁ。

なんかもう家庭内パワハラというかジャングルの掟というか。

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世の中、「父権の復活」を唱える人たちも確かにいるけどさ、まぁ父親の威厳がなくなってきたのと社会の雰囲気が落ち着かなくなってきたのとが時期的にシンクロしてるから、そういう意見も出るんだろうけど、果たして家長に当たる人が「父だから」「亭主だから」という理由だけで今さら威張って各家庭を支配するようになれば、本当に明るい世の中になるもんなんだろうかねぇ。かえって殺伐としそうな気がするんだけど。

てゆーかさ、そもそも太平洋戦争で負けた時点で、もう世の中の亭主や親父ってのは威張れなくなったんじゃないかと思う。勝ってりゃもっと威張れたのにね。もう遅いですな。

おいら的には、社会に落ち着きがなくなってきたのって、男が「男だから」と威張れなくなったとのは特に関係ないんじゃないかと思うけど。とりあえず威張るっつう行為自体が陳腐化してますな。あとは、商売の理論とテクニックが洗練されて、世の中全体がいろんな企業から常に揺さぶりをかけられてるのと、娯楽や情報がやたら多様化して、大衆の意向や動向がそう簡単には読みにくくなってるだけのことだと思うが。

銘板
2008.5.19 月曜 前日に飛ぶ
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オレとスナック

てことでまた昨日からの流れで、どうもねぇ、お客に気分良くお酒を飲んでもらう水商売っての、おいら苦手だわ。客としても苦手でこれが。居酒屋や喫茶店なら、お店の人と客との立場の差がまだ大きくないからいいんだけど、これがもう水商売の代表格のスナックくらいになると、おいらもうだめ。「この人たち、自分を殺して一生懸命客の話に合わせてくれてるんだなぁ」とか思うとそれだけで醒めちゃって。

客にカラオケを勧める→客のカラオケの腕前を褒めちぎる→「うまいうまーい。もっと歌ってー」とせがむ→客が次々と歌う→そのぶん客からカラオケ代を取れる→だから店の人は客のカラオケを褒めまくる。そこまで分かった上で気分良くカラオケを歌いまくる人たち、実は人間すごく出来てるんじゃないかって気がする。

まぁ水商売のベテランにもなると、一生懸命とかやる気とかを通り越して、無心で完璧な接客をするようになるんだろうし、そういう人は自分の仕事にも誇りを持てるんだろうけどさ、おいらはスナック通いしない人なんで、そうゆー究極の水商売接客には今まで当たったことがないのよね。このまんまじゃ一生ないんだろな。

風俗店に行く気がしないのも、カネがもったいないってのが一番だけど、懸命にサービスされればされるほど、「これって商売メインの『ごっこ遊び』なんだよなぁ」とか考えちゃって、途中で醒めちゃいそうな気がしてしょうがないってのもあったりして。そのせいでますます自虐的な気分になりそ orz

んでまあ自分が一生懸命に接客されるだけならまだしも、居合わせた他の客を見てゲンナリってこともあったりして。なんかスナックの女の人が脇に座ると、途端に王様気分になる人っているよね。あれ見ちゃうとおもっきし引いちゃってさ。まぁそうなるための店がスナックなんだろうけど、なんかなぁ、うん、見ちゃいけない人様のプライバシーをはからずも見てしまった気がして、あんまし気分のいいもんじゃないんだけどねぇ。

てことで、同い年くらいの飲みの二次会ってほぼ確実にスナックだったりするんだけど、何がそんなに楽しいのか本気で疑問だったりする。

銘板
2008.5.20 火曜 前日に飛ぶ
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必殺技不発

(これ6月8日に書いてます)仕事でちょっと賭けに出たんだけど、どうも不発だったっぽい。

しばらく前に新しい業務が入ってさ、これが間違いが一切許されないキンチョーの作業内容でさ。ところが環境の関係上、間違いが見つけにくいことがある、という状況で。しかもルールがやたらいっぱいある。けどグダグダ言ってもしょうがないんで、頑張ってそんなミスをなくす方向で鍛えるしかない。根性路線ですな。

てことでそれから少し経った頃、おいら思いついたのよ。そうゆー超くだらないミスは自動処理で発見・指摘すればいいんではないのか、と。そこらへん間違えてても、実行前に見つけて直せば問題ないわけで。で、おいらで出来ることと言ったら、JavaScript でそうゆーのを作るってこと。そのプログラム(というかスクリプト)をブラウザ上で立ち上げて、入力ボックスに原稿をコピペする。実行ボタンを押すとその文面を調べて、NG 部分や疑わしい表現を検出して指摘する、ってやつ。

いやほんと頑張ったよ。4月中に機能限定のプロトタイプが出来たんで上司に見せたら、その場で開発継続の GO サイン貰った。まぁ黙って作ったとして、完成してから「余計なことはせんでくれ」と言われたらかなり虚しいんで、一応動くものが出来た段階で上司にお伺いを立てたらうまくいった、と。で、上司によると、5月半ば頃にお客さんの担当の方にお見せすることになるかもしれないんで、それまでに見せられる出来にまで持ってってほしい、とのこと。

燃えたですよ。

他の人にもチェックの協力を仰いで開発を進めたですよ。さらにゴールデンウィークも潰したですよ。そんで、先方さんがいらっしゃる直前にめでたく完成したんだけど(一番力を入れたのは、おまけの「おみくじ機能」だったりするwww)、なんてーか、商売ってのは何だろうと客商売なわけで、お客さんのご機嫌ってのが常に大事だったりする。ってことで、これをお見せしたらうちの会社の評価が上がるかどうかってのは、お客様のご機嫌とタイミングってのが大きいわけで。

上司はついにそれを切り出さなかった。ってこれがまぁなんてーの、上司のせいじゃないんですよ。一番悪いのは、実はおいらだったりして。あのさ、その先方の担当の方、おいらを嫌ってるのよね。どういう理由かよく分からんのだけど。まぁおいらの仕事の出来が悪いってのが大きいんだけどそれだけじゃなく、おいらに対するときは露骨に不機嫌なんすよ。なんかこう、おいらに対してめちゃめちゃ構えてるのがありありと分かっちゃったぐらいにして。

ってことで、例えば上司が先方さんに「こういうプログラムを使って精度を上げています」と話を切り出したとすると、必ず「誰が作ったのか」って展開になるじゃないですか。その仕事専用のツールだから、顔を見知った内部の人間以外に考えられないわけで。そしてそこで出てくるのがおいらの名前だと、先方さんの不興を買うのは火を見るより明らかなわけで。だったらまだ、あるいはずっと伝えない方がいいわな、というのが上司の判断と思われ。作成者個人としては不本意だけど、総合的な判断として正しいかと。

これがいわゆる「大人の事情」ってやつですかね。

んー、JavaScript なんてプログラミング言語と呼べるかどうか微妙な言語だけど(スクリプト言語ではある)、BASIC がプログラミングなら、JavaScript も一応そう言えるとおいらは思う。何が言いたいかっつうと、職場にプログラミングが出来る人がいるってのは、本来なら顧客に対して売りになりそうってこと。実際おいらなんかじゃ足元にも及ばない、本格的なプログラマーが他にいるんだけど、たまたま HTML と JavaScript は専門外らしい。ってことで、おいらの価値はニッチ的にはあるんじゃないかと。

けどまぁそういうめんどくさい事情があるってことで、その手のスキルを少し持ってはいるものの、おいらは対外的には日陰者ってことになりましたですよ。お客あっての仕事だから、こればっかりはどうしようもないですな。だからって他の会社に転職できるほどの腕前でもないしな。プログラマーとして歳を食い過ぎだし。

まぁでも職場内の一部じゃおいらが作ったやつは好評でさ、それが素直に嬉しかったりする。てことで、日陰者なら日陰者として、社内的にこっそり役立つものを作り続けてれば、それなりに評価してもらえるかもな〜とか。

銘板
2008.5.21 水曜 前日に飛ぶ
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電撃移籍

とゆー大人の事情が発動したんで、おいら頑張ったけど現実の力の方がはるかにでかくて、部署替えの憂き目に遭いましたですよ。つまり、今おいらがいる部署の顧客側の担当さんはおいらのことが嫌いなわけで、このままだとお客にとってもうちの会社にとってもイイ感じになれない。うちの会社として出来ることと言ったら、先方さんの気が変わるのをただ待つか、会社内で出来ることをやる、の2つなわけ。

当然後者を取りますわな。

まぁ隣のチームに移るだけなんだけど、顧客側の担当さんが違う人だから、これで一応の解決になるだろう、ってことで。おいらを嫌いなその人も、今いる部署の人たちも、ストレスが減って仕事をしやすくなるだろうし。

しかし、上司からその話を聞いてソッコーで了解したものの、移籍先の仕事内容、ちょっと苦手なんだよな〜。正直なとこ、今の仕事の方が楽しかったりして。それに仕事をほとんど最初から覚え直しだし。フリダシニモドル。それと、おいらはまた一生懸命やればいいだけの話なんだけど、会社としては、おいらが新部署で一人前になるまでは損失なんだよね。なんか申し訳ない気がするっす。

銘板
2008.5.22 木曜 前日に飛ぶ
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コーディングのスゝメ

しかしまあなんだね、コーディング(サイトの手作りとかプログラミングとか)の経験がある人って意外と少ないもんなんだね。おいら程度の、具体的には HTML とJavaScript をちょっと趣味でやったことがあるって程度でも、おらんもんなんだな。つうか HTML さえ全く浸透してないのよね。

世の中、PC の普及率は上がる一方だってのに、ていうかそろそろ飽和してきてるみたいで、そのくらい普及してるってのに、PC をパーツ買いして自作する人もけっこういるってのに、その使用者の多くがコーディングを学ばずにいるっての、なんか皆さんちょっともったいないんじゃないっすか? あぅ、余計なお世話でしたかすんません。

ま〜確かに、覚える苦労の割には金銭的な見返りがない場合がほとんど(プロはおいらの技術なんかよりもっと高度だからな)だけど、「せっかく思いついたアイディアなのに実現できない」っつう悔しい思いをする確率が減るんだよね。それはちょっとネガティブな例として、もっと前向きな例だと、「技能を身につけると、それまで思いも付かなかった面白いものを思い付けて、実現までできちゃう」ってのもあったりして。これ正直なとこ、楽しいんすよ。で、場合によっては実益に結びついちゃったり。

仕事用においらが作った JavaScript は対外的には存在しないことになってるけど、職場じゃ実際に役に立ってる。今のとここれひとつだけじゃ見返りはなさそうだけど、上司や同僚からの手応えはあったんで、これからも使えるやつを思いついて作っていけば、便利な人材と思ってもらえる日が来るかもしんない。

ていうか今のやつも「秘密兵器扱い」と考えると、それもまたオツなもんだったりww ソースコードは初心者技しか使ってないチンケな代物なんだけど、それでも JavaScript を少し分かってたからこそ思いつけて、実際に作れたわけで。JavaScript を知らなきゃ思いつきさえしなかったよ。

あと、周囲のおいらを見る目がちょっと変わったりもしたですよ。あの人こんなことできたんかみたいな。いやまぁ実際、そこらへんが少しできること、自分でもついぞ最近まで忘れてたし (^_^;)>

あと、HTML はプログラミングとは言えないけど(スクリプトでさえない)、これも分かる人って案外少ないんすよ。でもやってみるとかなりラクなんすよ。HTML ってのは、要はウェブページをいい感じで手作りするための決まりみたいなもん。このサイトも自力で HTML を打ち込んで作ってるよ。めんどいんで単純路線だけど。

まぁ白い背景に黒文字で、文字サイズやフォントなんかも読み手の環境任せでいいってんなら、フツーにテキスト書類を作ってサーバにアップすればブラウザで表示できちゃうけど、それだけだとおもっきし殺風景なんだよね。そのページ内に画像も表示できないし。そこで HTML が効いてくるわけですよ。動的なことやインタラクティブなのを作るとなると役不足だけど、スタイルシートとの合わせ技でまあまあいろいろできるんすよ。

そんで、HTML って簡単だからある程度のことしか出来なくて、もっと凝ったことをやるんなら JavaScript がありますよ、てな感じ。JavaScript でもやれることが限られてるんで、さらに凝りたいんなら Java ってのもありますぜ、と(しかし、さすがに Java はめんどくさすぎるのか、ウェブページ用の Java アプレットはほとんど淘汰されちゃった感じだな。90年代当時はスタイルシートより普及してたもんだけど。Flash に駆逐されたのかもなぁ。あっちの方がラクにかっこいいのを作れそうだもんなぁ)。

だけどここらへんの勉強でも実践でも、いざやるっつったらけっこう億劫だったりするんだよね。実は今 JavaScript でひとつ仕上げた勢いで、Java で趣味のソフトをひとつ作ろっかな〜なんて考えてるんだわ。でもこれがなかなか手を付けらんなくて。本当にできるのかどうか、とりあえず調査段階のソフトを作らなきゃなんなくて、それで筋道ができたなら本番を1から作るっつう2段構成なめんどさもあるし、Java じゃ挫折歴(バーコード作成ソフト計画 "Barcodia")もあるし……。

けど、今考えてるやつってけっこう特定方面に需要がありそうな気がしててさ。ちなみに Java プログラミングで作ったものは無料公開が原則で、有料だと Java の権利者である Sun 社にミカジメ料を払わにゃなんないらしい。めんどい。てことで、万が一にでも完成したら無料公開するっす。ポシャッたら恥ずかしいんで、内容はヒミツってことでひとつ。現段階じゃぶっちゃけ妄想でしかないんで。

あああこれができたら、もしできちゃったらですよ、もお世の中がますます楽しくなっちゃうだろなぁっ(妄)

てなわけで、せっかくパソコン持ってるんだったら、HTML でも何でもいいからコーディングができるようになると、自分の手が届く世界がバビョーンと広がるですよ。基本的に投資は教科書代だけで済むし(1冊1,500〜3,000円くらい。HTML なら初心者向けと中級者向けの2冊でカンペキ)、エディタソフトは Windows の場合、手っ取り早くメモ帳ってのがあるわな。でもメモ帳は正直ちょっと使いにくい。秀丸がかなり使える。秀丸はシェアウェアだけど、探せばフリーでナイスなエディタソフトがあるかも。Mac だと寄付ウェアの mi がイイですな。Linux や FreeBSD なら、KDE に付いてくる KWrite が便利かな。

銘板
2008.5.23 金曜 前日に飛ぶ
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『ランボー 最後の戦場』

(6月8日に書いてます。あと、おもっきしネタバレしてます)『ランボー 最後の戦場』を見てきたよ。まぁ八戸フォーラムかわら版を書いた手前の責任鑑賞ってことで。アクション好きなはずなのになんでこんなに消極的かっつうと、いや、先に観た人から、かなりスプラッタっぽいって聞いたもんだから腰が引けてて。

んでようやく今日(6月8日)になって観てきたんだけど、まぁ確かにグロい場面多かったわ。地雷を踏んで赤黒い爆煙が上がるのに始まって、首が吹き飛ぶわ走ってる人の足が折れるわ、ラストは内臓が出てきたし。んでも、けっこうおいらそうゆーのけっこう強くなったなぁ。それ自体からは大してショックを受けなかったですよ。そういや『バガボンド』を読んでそんなシーンが出てきても動じなくなったな。このまえ読んだら武蔵、吉岡道場の手勢70人を皆殺しにしてたけど。

で、『ランボー』でもっと気になったのはね、圧倒的につまんなかったってことですよ。いやほんと『バガボンド』の方が1000倍価値があるですよ。しかし人物描写がここまで皆無な映画も珍しいよな。そのうえ予定調和しかないから、ハラハラドキドキも驚愕の超展開もなし。

そんで結局はあれかい。あの映画のメッセージとかテーマとかってのは、

英語を喋れない奴は地上から消え失せろ。

白人を怒らせると恐いんだぞぉ〜。

アメリカ人は死んじゃいけないけど、

アジア人はどんだけ殺しても無問題。

という、今どき人種差別丸出しな映画にしか見えなかったんですが。お医者さんですら虐殺祭りに飛び入り参加だもんなぁ。いや、まぁあいつはしょっぱなから、この手の映画で非現実的なモラルを主人公に振りかざして反発するっつう、「何らかの不本意な結果フラグ」が立ってたけどね。

一応、話の前半で敵(ミャンマー軍事政権)がいかに残虐かを示してるんで、「あいつらは死んで当然」ってエクスキューズがあるんだけど、別に主人公たちは軍事政権の中枢近くと戦うわけじゃなく、田舎で好き放題してる暴走分子っぽいやつらを1グループだけ壊滅させるっつう話で、軍事政権自体にとっては蚊に刺された程度の損害だったかと。

で、具体的な成果としては、現地のアメリカ民間人を2人救出しましたってくらい。本来は主人公と同等であるべき現地の一般市民は、エキストラ以上にはストーリーに絡ませてもらえなくて、おもっきし無視されてたなぁ。ただひたすら虐殺されっぱなし。最後に、救出されたアメリカの民間人同士がスローモーションで抱き合うんだけど、あのくらい白けたことってここ最近なかったよ。

おいら自身は白人を白人だから嫌いとかそういうのは断じてないよ。けどこんなの見せられちゃ、非白人として腹のひとつも立たない方がおかしいと思う。そんなの意識したくないのに。しかしよくこんなのを日本なんつうアジアの国で公開する気になったもんだな。人としての敬意を全く感じないんだが。まぁハリウッドは、かの『パールハーバー』を日本公開っつうよくわからないことを既にやってのけてるわけだが。

君は『七人の侍』を観たことがあるか? 同じく、田舎の村を襲うならず者軍団を外部のプロ集団が壊滅させる話だけど、映画としての質があまりにも違いすぎるぞ。あれ観た観客をなめんじゃねーぞスタローン。上映時間90分しかないのに、何度も途中で帰りたくなっただよ。もうあんたは隠居して伊藤ハム食ってろ。

ランボー + 傭兵の人質奪還チームの中に、一人だけ東アジアな顔があったけど(クレジットタイトルからすると、中国系か韓国系の役者さんらしい)、思った通りチームの中で一番先に死んでた。ハリウッドアクションってば有色人種は死亡フラグだもんな。まぁ今回はクライマックスまで持ったってあたりで褒めてやるか。よしよし。

結局、アメリカの大衆の中の『ランボー』シリーズ好きにとっては、映画でも現実でもアジアでどんだけ人が殺されようと、自分とは関係のない娯楽フィクションでしかないのだね。で、主人公たちの殺しの美技に酔いしれる、と。『必殺仕事人』と同じなんだけど、仕事人は日本国内向けで、基本的に日本人が日本人を殺す話だから、対外的にはあまり問題はないかと(映画版2作目 [倒幕を狙う一派の黒幕であるイギリス商人と戦う話] とテレビスペシャル [仕事人ご一行がアメリカの開拓時代にタイムリープしてガンマンや騎兵隊と戦う話。水前寺清子がインディアン役をやってたなぁ。ロケ地は鬼怒川ウエスタン村] では珍しく白人を殺してたけど)。

考えてみたら『ランボー』シリーズってさ、1作目を除いて全部アジアが舞台なんだよね。3作目はアフガニスタンで、ソビエトが敵だったけど、あの時代のソ連人はアメリカ人が一番殺したい奴らだったからね。まぁともかく、「アジアはドンパチやり放題」っつうスタンスかと。アメリカから遠いからね。アメリカが舞台だった1作目だと一人も殺してないんだわ。何なんですかこの露骨なまでの「旅の恥はかき捨て」は。90年代半ばに、フランスがムルロワ環礁で核実験を繰り返したのと同じ感性かと。おいらフランスはけっこう好きだけど(黒澤明の『乱』の製作を、政府が直接支援してくれたんで)、あればっかりはひどいと思ったねぇ。地中海でやればいいのに。

そんなこんなで、帰り道にひとつ映画の企画を考えてみた。タイトルは主人公の名前から『オブマー(OBMAR)』。ストーリーは『ランボー』と大体同じ。アメリカでいじめられてた東南アジア人のオブマー、自国に帰ってもいじめられた挙げ句にぶっちぎれて反撃を仕掛ける。でも一人も殺さない。理由は「オレはこの国を愛しているから」。オブマーはアメリカに戻って、自分をいじめた奴らを皆殺しにしちゃう。「オレは何も悪くない。祖国がオレを愛さないのが悪いんだ」。そんな屁理屈、出先で通用すると思うか?オブマー。

今度は中米の政情不安定な国に飛んで、ゲリラの手助けってことでまたまた大虐殺。隣国から侵攻してきたアカどもをかっこよく血祭りだ。その後またアメリカに戻ってなんとなく居着いちゃって(誰もとがめないのだ)、東南アジアからのこのこやってきた来た、危機管理が甘い民間人を助けるために、傭兵と組んで間抜けな米兵を手当たり次第殺しまくる。「国のためじゃない。オレが殺したがってるんだ」と、かなり手遅れだけどようやく自分に素直になるオブマー。開き直ると人は強い。もはやただの殺人マシンでしかないオブマーがそこにいた。「英語しか喋れねえ豚どもは殺すしかねえだろ」「地球の反対側じゃ何してもいいってのがこの国の常識なんだろ」がこの映画のポリシー。

こう書くと、ものすごく悪趣味だね『オブマー』。でもこれ、『ランボー』シリーズの人種をひっくり返したってだけ。我ながら、『ランボー』制作スタッフがどんだけめちゃくちゃなことをやらかしたのかがよく分かったわ。

もっぺん言うけど、おいらには人種差別の感性はないよ。ただ、それを不必要に焚き付ける映画に今日は遭遇しちゃったってこと。こんなの観るんじゃなかった。

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ランボー、映画の序盤じゃ「戦いの中でしか生きられない」みたいなことを言ってたくせに、最後は平和そうな我が家に帰るんだわ。なんだかなぁ。アメリカ人から見ればヒーローなんだろうから、シリーズ最終話の最後は、終わりなき戦いの日々から引退して幸せに暮らしましたとさ。どっとはらい。でハッピーエンドってことなんだろうけどさ、なんか納得行かねえ〜。あんだけ人をぶち殺しまくっといて、自分だけのうのうと生き延びてのんびり余生を過ごそうなんて、都合がおよろし過ぎではなくって?

平成ガメラシリーズのラストみたいに、「戦うために生まれてきた主人公は、さらなる阿鼻叫喚の戦いの業火に我が身を飛び込ませてフィニッシュ」ってのが、ずっとヒーローらしいと思うんですがねぇ。もしくは業罰を背負ったまま苦しみもがいて死ねよ。

銘板
2008.5.24 土曜 前日に飛ぶ
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稲妻物語

昨日(6月13日。なんかもうこの日記、日付の概念が薄れて、全然日記じゃなくなってきたなぁ)の帰宅時は雷雨だったよ。まぁ風も雨も弱かったんで大したことなかったんだけど、稲妻はキてたね。久しぶりだよあんな豪快なのは。

ていうか音はそんなでもなくて、夕暮れ時で薄暗かったから、稲光がすごくてさ。そういやさ、「雷がすごく光ってた」って言い方をおいらもよくするけど、あれほんとは間違いなんだよね。光るのは稲妻(稲光)。雷は音の方。語源は「神鳴り」かな? まぁ今の日本語の定義じゃ、「雷(かみなり)」で音と光のどっちでも表してもいいみたいだけど。あと、「稲妻」の読みがなは「いなずま」でも「いなづま」でもいいらしくて、現在の主流は「いなずま」らしい。これも間違いなのになぁ。

英語だと音と光の区別がはっきりしてて、"thunder" と言ったら「ゴロゴロ……」の方で、「ピカッ!」は飽くまでも "lightning" なんだよね。日本人は日本語の感覚でどっちも "thunder" と言ってしまいがちなんで、そんときゃまあ気をつけましょうや。

そんで、今日は雷じゃなくて稲妻の方ね。あれが光ってるのを真っ正面に見たんだけど、消え方がフェードアウトなのを初めて知ったよ。一瞬あの稲妻型に光ったらカットアウトで消えるのかと思ってたら、0.5秒くらいかけて、だんだん暗くなって消えた。

カットアウトは勝手に持ってたイメージだったんかな。それとも本当はカットアウトで、フェードアウトに見えたのは、目の残像だったのかな。どっちか分からん。とりあえず前にテレビで見た稲妻のリアル映像は、カットアウトだった気がした。テレビと肉眼が違うのは明暗差か。肉眼の方がはるかに明暗差が大きいんで、やっぱし残像かなぁ。それとも場合によってカットかフェードかが違うとか? 謎は深まるばかりですな。

そんなわけで、雷じゃなくて稲妻を目撃したってのがけっこうコーフンなわけで、実は今、にわか稲妻評論家になってたりしてww

あのさ、映画なんかでよく稲妻が出てくるじゃないの。間接描写で、その光で被写体が暗闇から浮かび上がるみたいな。サスペンスの演出なんかで常連さんですな。そんで前々から思ってたんだけど、ストロボ丸出しのあの安っぽさってどうにかなんないもんかね。

なんかこう、1方向からしか光らないって時点でおかしいし。やたら近場で光らせてるから、光が平行じゃないし。ときどき妙に長く光りっ放しだし。極めつけは、青白いし。いやあの、本物の稲光って黄色がかった白色なんですけども。青白いのってさ、結局はストロボの光そのまんまなんじゃないかと。Wikipedia によると、ストロボはキセノンガスの発光らしい。まぁ自然界じゃ青もあるのかもしんないけど、だからって映像で青しかないってのもおかしな話かと思う。今年公開された、浅野忠信主演の『モンゴル』だと雷がストーリーの重要なカギになるんだけど、稲光がストロボもろバレだったのが悲しかったなぁ。外国映画でもそうなんかい。

あとさ、稲妻の直接描写で、「アニメーションで上から下にだんだん伸びてくる」ってのがあったりしてさ。あの嘘くささもなんだかな〜って思う。数コマ程度の短い時間だけど、違うものは違う。東宝の特撮もので見たことがあるなぁ。『ゴジラ』(1984)かな。それと『首都消失』(1987)でもあったような(例が古くて申し訳ねっす)。あれ、ものすごくこう、迫力がないんですよ。やってる方は頑張ってるんだろうけど、素直にリアル稲妻の真似した方がもっと迫力が出たんじゃないかなぁ。つまりアニメーションで動きを作る必要なし。見えた時にはもうカミナリが落ちてしまってるっつうのがリアルで、しかも効果抜群だと思うんだけども。

ああそういえば、そのあたりのパンフに特撮監督のコメントが出てたな。『ゴジラ』も『首都消失』も中野昭慶かな。「迷信と言われればそれまでだが、稲妻のアニメーションのコマ数は、奇数の方がいいような気がして、5コマか7コマにしている」みたいなこだわりを披露してた。

ただの迷信だと思うよ。うん。無駄でしかないこだわりに思えてしょうがない。0.25秒前後って長過ぎだろ。ていうかそんなにコマ数を割いてたんかい。道理でトロい映像だと思った。アニメーションを作るって時点で間違ってるし。しかも青白いし。リアルな自然現象を真似した方が結局安く上がるのに、チラッとでも観察したことがないんだろうなぁこの怠け者め。

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あ、そうそう、昨日見たフェードアウトの稲妻って、横倒しだったのよ。雲の割れ目みたいに見えたっす。こういうのけっこう珍しいかと。で、普通の、地上に落ちる縦型も見たんだけど、こっちはカットアウトで消えた気がする。やっぱフェードアウトは残像かな。けどこれを利用すると、印象的な映像が作れるような気がする。

映画のコマ送りスピードは1秒あたり24コマ。1コマは0.04秒くらい。突如出現する稲妻は、観客は2コマくらいで認識してくれそうな気がする。それでも運悪くまばたきしてしまった人には全く見えないわけで、そんな人のために残像を8コマくらい見せればいいんじゃないかと。

銘板
2008.5.25 日曜 前日に飛ぶ
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あゝ栄光の東宝アナログ特撮 1

昨日の特撮話から引火。とは言っても、濃い人たちに比べるとそんなに詳しくないんだけど。観てない作品も多いし。別にあらためて観ようって気もないし(テンション低っ)。

今やデジタル SFX 全盛の時代ですよ。アナログ特撮に比べて、早く安く、しかも圧倒的な完成度で映像を作れる。この流れはもう変わらんと思う。でも、だからこそ、アナログ特撮をリアルタイムで楽しんだ人間としては、たまにあの味わいが懐かしくなるんですよ。

70年代後半から80年代一杯まで、世間はコンピューターグラフィック風情に映画クオリティの特撮をほとんど全部任せられるなんて思ってもいなかった。『トロン』(1982)がかなり高品質の CG を見せてくれたけど、やっぱコンピュータ的な映像だったのよね。あと、珍しいところでは日本のアニメの『SF 新世紀レンズマン』(1984)が、ワイヤーフレームの CG をやってくれたなぁ。なんでも当時のスーパーコンピュータ「クレイ1」を駆使したとか。それ用のアプリもろくになかった時代、データ入力はクレイ1の専門家に依頼したかと思う。かなりカネかかったろうなぁ。

日本のアニメと言えば、『銀河鉄道の夜』(1985)が、1場面でだけ CG を使ってるね。野原一面に咲く菜の花畑だったかな。アニメじゃ CG は早くから注目されてたのね。ああそうそう、なんか銀河鉄道の列車を全部 CG で再現しようとしてネジの一本までも入力したら、データが多すぎてコンピューターが動かなくなって断念した、みたいな逸話が出てたな。ただの宣伝用のヨタ話かもしらんけど。

実写場面で初めて CG を有効に使ったのは(人間の役者と絡んだ的な意味で)、恐らくスティーブン・スピルバーグだと思う。『ヤング・シャーロック/ビラミッドの謎』(1985)がそれかと。ILM の公式サイトによれば、あれに出てくる「ステンドグラス男」が世界初の完全な CG キャラなんだそうだ。あの場面は驚愕したっけなぁどうやって撮ったのか全く想像がつかなくて。ま、当時はアナログ SFX の時代だから、特撮のボロを見つけては、どうやって撮ったかを推理するのが楽しかったんですわ。まぁちょっと意地悪だけどね。

で、当時は、最先端のアメリカでさえアナログ特撮に頼ってた。スターウォーズの昭和三部作もアナログね(って、エピソード4でいきなりワイヤーフレーム CG が使われてたけど)。おおお、そういえば『スタートレックII カーンの逆襲』(1982) でのジェネシス計画の説明にも、既にかなり完成度の高い CG が……。あれも目ん玉ひんむいた未体験映像だったなぁ。んでまぁとりあえず実写場面にはまだそのまんまじゃ使えなかった、と。

おおお、それに NASA のボイジャー計画 の伝説のプロモーションビデオ(パイオニア計画だったかな?)、あれも CG だった。アメリカの名物天文学者カール・セーガン(故人)が議会を説得して予算を勝ち取るために作ったやつ。それが国会で上映されるや議員さんたちは大いに感動して、膨大な開発予算を OK したそうで。彼が監修したテレビ番組『コスモス』で見たけど、あれは確かに感動したわ。しかもボイジャー計画って70年初頭に開発が始まったんじゃなかったっけ? いやいや打ち上げが77年だから、CG 製作は下手すると60年代だぞ。

『コスモス』は他にも、生物学のあたりで CG を使ってたな。酵素の働きで DNA が複製されるところとか、生物の進化のアニメーションとか。すごいなぁアメリカの科学者も、それを受け入れる社会も。てか、プロジェクトの開発予算を引き出すための映像にいくらかけたんだ……? ちなみに1985年に初打ち上げだった、当時の日本の最新鋭宇宙ロケット M-3S-II の一般向け解説 CG は、いかにも学生が手作りしたような、質素なワイヤーフレーム映像だったよ。しかもコマ落ちでカクカク(泣)。アメリカと同じく国家の宇宙機関が作った CG だってのに、何この絶望的なまでの格差…… orz

でだ、80年代当時、CG なんて芸当を商業映画でできたのは、色数が少ないアニメ業界と、お金持ちのハリウッド映画だけだった。しかもかなり限定的に。

ということで商業映画の普通の SFX 場面は、もっぱらミニチュア模型と光学合成をメインにしたアナログに頼ってた。この世界、技術力と発想力に加えて、カネがものを言った。ぶっちゃけ、とにかく模型がでかい方がリアルな映像になる。それだけでも予算がかかるのに、船の模型ならそれに見合ったでっかいスタジオとプールが必要だし、宇宙が舞台ならやっぱしそれなりに巨大なセットと人員が必要。『2001年宇宙の旅』(1968)で宇宙 SFX の技術を確立して、『スター・ウォーズ』(1978) がそれを受け継いで発展させた。どっちも卓越した技術と発想があったんだけど、それを支える潤沢な予算のなせる技でもあった。

アナログ SFX の一方の雄、日本。これはもう東宝の独壇場でしたな。ルーツはこの人、円谷英二。戦中から『加藤隼戦闘隊(1944)』で、特撮というものの凄さを見せつけたらしい。そして初代『ゴジラ』(1954)で人気爆発。その後、テレビでは『怪奇大作戦』やウルトラシリーズ、映画ではゴジラシリーズで、特に子供観客に対しての特撮人気を不動のものにした後、東宝特撮=円谷式特撮は大人客への訴求を図り、『日本沈没』(1973)を製作した。これ、テレビでちらっと見ただなんだけどさ、深海調査船の場面がやたらチャチっぽかったなぁって印象が強いっす。そこらへん相当反省したらしく、ていうか衝撃のドイツ映画『U・ボート』(1982)に学んだんだと思うけど、1984年の『ゴジラ』での潜水艦の航行場面は、かなり説得力あったよ。なんでも水の濁りを表現するのに、パラフィンを燃やした煙をスタジオに立ちこめさせたそうで。

んでまぁ東宝特撮も独自路線で頑張ってきたんだけど(ゴジラシリーズは海外でも人気だったらしい)、やっぱこう、見慣れてくるとチャチ臭さが目に付きますわな。結局は予算に尽きるわけだけど。海の向こうじゃカネにものを言わせてより精密な特撮技術が開発されて、それが客を呼び込んで、それで得た軍資金でまたまた新技術が開発されるっつう好循環が生まれてた。ルーカス&スピルバーグっつう強烈な才能にも恵まれたしね。

ところが我らが日本映画は SF ものに限らず、アニメ以外ほぼ全てのジャンルで大不況。予算がない上に映画館の直営システムの縛りもあって、上映枠を埋めるためだけのクズフィルムを量産しなきゃなんなかった。それで資金繰りが苦しくなったしわ寄せを、入場料の度重なる値上げっつう下策で解消しようとした。そんで、愛想が尽きた観客が「どうせ同じ料金を払うなら」とハリウッド映画にどんどん逃げていくっつう、端から見るとアホでしかない悪循環まっただ中だった。カネがかかる特撮ものなんてとんでもないみたいな空気だった。

それでも「日本の特撮の灯を消すな」みたいなノリで、東宝はあんまり質の高くない特撮映画を作り続けた。「あんまり質の高くない」ってのは「映画一般としての打点があまり高くない」って意味っす。特撮パートはまたちょっと別ってことでひとつ。まぁあれだ。技術の保存というより、東宝のかつての看板だった特撮部門の人たちを食わせんがためっつう考えが、もしかしたら強かったのかも。当時の日本社会は終身雇用が常識だったからね。この特殊技能、他の業界じゃあんまし使えなさそうだし。そんなこんなの状況で生まれてきたのが、以下の作品たち。ちなみに本編監督と特撮監督のお名前は、なんかいろいろアレなんで、基本的に伏せることにいたします。

『連合艦隊』(1981)

『さよならジュピター』(1984)

『零戦燃ゆ』(1984)

『ゴジラ』(1984)

『首都消失』(1987)

『竹取物語』(1987)

『ガンヘッド』(1989)

『ジパング』(1990)

いちいちリンク貼るのめんどいんで、情報を得たい方は自力で探して下さいませ。ていうか allcinema ONLINE でやたら酷評が多くて、いたたまれなくなっちゃってこれが。

おいら、おいら、実はどれもけっこう好きなのよ〜!(絶叫)

銘板
2008.5.26 月曜 前日に飛ぶ
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あゝ栄光の東宝アナログ特撮 2

しかし、特撮技術は東宝独自なものとしても、海外の映画を研究して表現は年々向上してきたはずなのに、時代を下るごとに評価が下がりまくってるなぁ。っつうか『さよならジュピター』が奈落への転換点だったらしい。それでも『さよなら……』じゃ特撮の命であるミニチュア模型を評価する声があるってのに、以降はそこへの言及さえなくなっちゃって。

ここからの作品紹介は、はじめに映画としての感想、次に特撮の感想、っつう形で行くよ。

とりあえず『連合艦隊』。映画作品としての評価が高いね。最近の『男たちの大和』(2005)と比較して遜色ないみたいな意見も出てる。これ見た当時、おいらはあまりにもガキだったんで、内容に関しては何とも言えんけどさ。

けどこの特撮はすごかったぞ。クライマックスは戦艦大和の特攻ですな。沖縄の浜辺に座礁させて陸上要塞として戦い抜けそして見事に散れ、っつうヤケクソな命令を受けて本土から発進するわけだ。米軍の目を欺くために迂回した進路を取るんだけど、敵には暗号電文が全部筒抜けで、おもいっきし餌食になってしまう。日本海軍、ほんとこの頃はダメダメになってたんだなぁ。暗号を完全に読まれて、しかも読まれてるのにさえ気付かないっての何よ。けどそれが歴史的事実なわけです。

ということで、目的地の沖縄にたどり着く前に米軍機の編隊に襲われて、大和は最後の戦いを始めるわけです。この巨大戦艦の最大の武器と言ったら46cm3連主砲ですな。こいつが火を噴く! その爆煙の凄まじさったらもぉ! いや〜劇場で腰を抜かしたですよ。もしかしたらこの豪快さは誇張かもしんない。実際はこんなすごくなかったかもしんない。けどでも、劇映画的にはこれで万事 OK だ。スペクタクルぅ〜。

水ものの特撮ってのは、独特の難しさがある。それは波と波しぶき。リアル映像だと、波ってのは頂点のカドがきつく見える。波と波の間にも小さなさざ波があって、光の反射が複雑。これで水面に無数のキラキラが光るわけです。あと、波しぶきの粒が細かくて、白い煙状に見える。「水煙」って言うでしょ。

これがミニチュア特撮だと水をクローズアップして見ることになるから、波の頂点は丸くなるし、波間のさざ波もない。キラキラ光るってことがなくなって、結果、水が何だかヌメヌメしてるみたいに見える。波しぶきも水煙になることはなくて、跳ね上がる水の粒ひとつひとつがでっかくはっきりと見えちゃう。ぶっちゃけ、「水の動きをアップで見ている」てな風に、そのまんまモロに見えちゃうわけ。まぁそれでも何も対策しないわけじゃなく、大きさ感の演出のために、縮尺に合わせた適正なスローモーション撮影をするんですな。やんないよりずっとマシではあるけど、水の見栄えの問題を直接解消するもんじゃないんですわ。

直接的な対策としては、ミニチュア模型をできるだけ大きくするってのがあるんだけど、できるだけ小さく済ませたいからミニチュアを用意するわけでして、そこらへんの落としどころが大事になるんですな。今回の被写体は、元々が巨大な、戦艦大和。かなり小さく作ったつもりでも、模型としても結構なサイズになったかと思う。で、ミニチュアがでかくなると、さらに別な問題も発生してくる。スタジオのセットで撮影するわけだけど、水ものってことで、プールを用意して、そこにミニチュアを浮かべるんですな。プールの大きさに限界があるから、ミニチュアがでかすぎると撮影の自由度が減っちゃう。

映画館でプールの縁が見えちゃったら一気に興醒めじゃないですか。画面の右端や左端にプールの縁が絶対に入っちゃいけない。背景も同じ。しかも縁って水面の波を反射するから、かなり距離を取らないと反射波で観客に「あ、プールの端っこだ」と悟られちゃいそう。ということでミニチュア大和のサイズは、プールのサイズに対して余裕を持ったものじゃなくちゃなんないわけ。けどそれじゃ波のチャチさが見えちゃう。

結果、この映画では波の処理を捨てることにしたっぽい。他に空母の映像とかも出てくるんだけど、もう波はそのまんまだもんな。「どうしようもなかったんで我慢して下さい」って感じで。でもさ、その他の迫力の演出で、完全じゃないけどかなりフォローできてたと思うなぁ。ていうかもう単純に、大和の主砲ファイヤーに惚れたw 現代の CG でもあのインパクトは出せないんじゃないかとマジで思う。

後述する『竹取物語』だとそこらへん、ある程度の改善が見られたよ。たぶん界面活性剤を使って、水の表面張力を弱めたんじゃないかな。水のヌメヌメ感が減ってたし、波しぶきに見えるようなものがちゃんと表現されてたよ。

あと、この特撮監督は爆発へのこだわりで有名らしいけど、大和の爆沈場面も見事だったなぁ。まさに「爆発は芸術だ!」。ハリウッドの爆発監督として有名なレニー・ハーリン大先生も、この爆発を見習って、量だけじゃなくもっと質の高い爆発を作ってほしかったなぁ。なんか映画本編の演出の腕がないことが分かって、今じゃほとんど失脚状態みたいだけどw

銘板
2008.5.27 火曜 前日に飛ぶ
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あゝ栄光の東宝アナログ特撮 3

この80年代東宝アナログ特撮シリーズでおいら的に一番イタかったのは『竹取物語』。珍しく特撮好き以外の一般客を当て込んで、実際にヒットした野心作。でまぁその視点から行くと、映像はソフトフォーカス主体っつう狙いはうまくいったと思うし(ちょっとわざとらしかったけど)、平安絵巻風の室内アングルもキマってた。けど脚本の詰めが甘かったなぁ。

上に挙げたどの作品でも言えることだけど。とりあえずラブストーリーを軸にしたかったんなら、恋する二人の心情や立場の葛藤みたいなのをもっと見せないことにはどうにもならんでしょ。そこらへん脚本段階から薄っぺらかったのがモロ分かり。ほんとここらへんの作品はおしなべて脚本が弱点でなぁ。映画は何をやるにしても脚本が基礎体力だっての、どうも分かってなかったみたいで。

特撮で言えば、全体的にレベルが高かったのに、最後の最後に『未知との遭遇』(1977) の劣化コピーだもんなぁ。日進月歩だったアナログ特撮で10年前のネタやってどうするよ。しかも本家よりチャチいし。これ確か、第一回東京国際映画祭への正式出品作品でさ、招待客で当時人気絶頂だったオリバー・ストーン監督に、「かつて素晴らしかった日本映画は一体どこへ行ってしまったんだ」なんてことを言われたんだよなぁ。言われて当然な作品とは言え、あれはマジで悲しかった。

ちなみにパンフ読んで「すげぇ」って思ったのは、強風で大きくしなる竹林が、実はミニチュアだったってとこ。あれは素直に感心したよ。

上の一覧を見て思うけど、やっぱ監督の実力って大事だわ。『連合艦隊』『竹取物語』『ガンヘッド』は既に実績があった、あるいはその後に実績を作った、才能ある人たちが監督。脚本のダメさ加減を、監督の腕前やセンスでフォローできてる。これが『さよならジュピター』になると、監督はこれが初作品で、すぐ後に『ゴジラ』を撮ってるんだけど、どうにもこうにも。『さよなら……』は、なんだか製作総指揮だかいう都合の良さそうなポジションを作って居座った、原作者の小松左京がうるさくて好きに仕事が出来なかったっぽい(小松左京は製作費のかなりの部分を負担したみたいだから、東宝も文句を言えなかったんだろ)。ていうか監督、『ゴジラ』の後は2,3作ほど製作をやってから、東宝の経営畑に移ってる。映画の製作現場よりも、会社そのものの運営の方が合ってたんだろうな。

っつうか東宝の意地を賭けた特撮超大作2本に、なんで新人監督をいきなり投入するかな。負担大きすぎだろ。っつうか当時の日本の現役監督でも、科学や技術の素養がある人って皆無だったんじゃないかと思う。映画は芸術ってことで、ブンガク青年上がりな監督ばっかりだったんじゃないかと。だからここらへんの和製 SF 作品って、誰が撮っても似たようなレベルにしかなんなかったんじゃないかと。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985)や『ロボコップ』(1987)を見て、『もうだめだ。日本の監督じゃこんなの絶対に作れっこない』と観念したわ。

SFX 的には、このあたりでおいら、東宝特撮の味わいってやつを感じまくったですよ。東宝のアナログ特撮映画のシステムってさ、ドラマパートの監督と特撮パートの監督って、1本の映画の中で分業だったのよね。だから役者の演技メインの部分と特撮メインの部分で、分けて考えなきゃなんないのよ。このいびつなシステム、大映の平成ガメラ3部作まで続いたんだけど、その後どうなったかは知りませんです。アナログ特撮の終焉とともに消えたかも。別に観客にとっては話がややこしくなるだけのシステムだから、消えてもいいと思うけどさ。

『さよなら……』のミニチュア場面、アメリカものより模型が小さかった割にはうまくやれてたと思うけどどうでしょ。っつうかおいら、恥ずかしながらこの映画にハマッたよ。映画自体が我が人生の中で目新しかったしな。それにガキだったんで、ドラマの展開とか全く関係なくて。しかも見てられない部分は見なかったことにするという、おおらかな気質を当時は持ってたのよ。なんか、観客キャリアを積むごとに、いいところよりひどいところの方がやたら気になるようになってしまったよ。

いやまぁ、オープニングが『2001年宇宙の旅』の劣化コピーだった点は否定しないけどさ。初めて見た当時は「すっげー」と思ったけど、後で『2001年……』を観てからあらためて『さよなら……』を観直して(どっちもレンタルビデオ)、「パクリだったのかよ」とかなりガックリ来たよ。あと「ジュピター教団」の変なおじさん(教祖)の変なフォークソングを無意味に聞かされたりとか。話の展開に特に寄与しない無重力濡れ場とか。

三浦友和とフランスの女優さんが、出会った直後に幼なじみだと分かって、そのまま手を取り合って、宇宙基地の廊下をスローモーションで走っていくんだよね。おいおい何だよそのスローは、とか思ってると、そゆことやる、と。幼い頃に別れ別れになったはずなのに、大人になって偶然再会していきなりそれって、幼い頃から既に体の関係だったのかよ(回想映像ではお互い13歳くらいだった)。22世紀の社会風俗って一体どーなってんだよ。でも当時は濡れ場でコーフンしてしまって、そのあたり全く気になんなかったわw

あとで分かったけど、『さよなら……』のマリアとアニタって役名、たぶん『ウエストサイド物語』(1961) から来てたのな。関係ないけど、『ウエスト……』のトニー(リチャード・ベイマー)ってさ、木村一八に似てるよなーってずっと思ってたよ。髪型だけか?ww

あああそういえば、『さよなら……』でワイヤーフレーム CG 使ってたわ。それとクライマックスで、木星が自転速度を速めて形がゆがんで、ブラックホールめがけてぶっ飛んでいくってのも CG だったわ(自転速度が上がるのに赤道半径は収縮っつう矛盾についての説明はなかったけど、何らかの理論的な設定があったのかもしんない)。東宝アナログ特撮って伝統を守るイメージが強かったけど、意外と新しいことに挑戦してたんだなぁ。

監督についての話に戻して、『零戦燃ゆ』と『首都消失』の(ドラマパートの)監督。いわゆる職人監督らしくて。映画会社に雇われると、予算の範囲内でソツのないものを作りますよって感じの。映画会社としては使いやすくて便利なんで、仕事には困らない、みたいな。作品を観る限りでは、個性やこだわりを排した、作品というより製品な感じというか。

ていうか、脚本のクサさをそのまんま映像化しちゃうんだもんなぁ。撮影現場や編集室で勝手に改変するのもアレなんだろうけど。『零戦……』で、ヒロイン(早見優)が空襲で命を落とすんだけどさ、比喩的な表現でそれを示すんだけど、これがまたクサいのよ。あの当時でさえ『いつの時代の演出よ』って思ったよ。ま、『スターゲイト』(1994)でローランド・エメリッヒ監督が似たっぽい表現やらかしたけど。エメリッヒ演出もめちゃダサなのに、なんで大作の仕事ばっか取れるんかねぇ。やっぱ職人監督は便利ってことなんでしょか。あと『零戦……』の作品としての志の低さを実感したのは、『連合艦隊』の特撮場面を使い回したってこと。あれにはほんとガッカリダッタヨ。

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2008.5.28 水曜 前日に飛ぶ
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あゝ栄光の東宝アナログ特撮 4

『零戦……』の特撮の方は、いろんな制限の中でかなり頑張ったと思うよ。当然、空中戦がメインになるんだけどさ、いやーこれがもうお見事で。当時の飛行機ものの特撮では、ハリウッドより進んでたと思う。まぁ特撮臭さはやっぱしあったけど、トータルでよくやれてた。当時のハリウッドのブログラムピクチャーだと『ダリル/秘められた巨大な謎を追って』(1985)ってのがあって、最後は軍用ジェット機(超音速偵察機だったかな)で大脱出だったな。あとクリント・イーストウッドが製作・監督・主演をした『ファイヤーフォックス』(1982)ってのがあったけど、どっちも合成なのがバレバレでさ。まあ合成なのがバレるくらいなら、セットで模型を吊るして撮影したのがバレる方がマシかな、と。そこらは人によるだろうけど。

ハリウッドだと、実在・現存する飛行機の場合は、予算にものを言わせて本物を飛ばしちゃうのよね(今は CG の方が安いし、好きなようにできるけどさ)。それで大ヒットしたのが『アイアン・イーグル』(1985)と『トップガン』(1986)。言わずもがな。ただまぁ完全な同型機が調達できなくてごまかしちゃうときもある。『ライトスタッフ』(1983)。クライマックスでの NF-104 の飛行シーンは、撮影時に調達可能だった F-104 で代用。スピルバーグだって『太陽の帝国』(1987) でゼロ戦もどき(本物のゼロ戦の尾輪は引込式だぞ)を飛ばしてたほど。

あとこの映画で活躍したのが零戦の大型ラジコン。全幅3mという、ラジコン飛行機としては異常にでかい立派なもの。単独飛行の地上視点からのロングショットと、日交渉に立つ当時用人物を超ローアングルから見上げて、背景の空を低空飛行で横切っていく、っつう限られた場面だけではあったけど、実際にその形のものが航空力学に基づいて飛んでる映像はかなり説得力あるわけで。実物の零戦二一型の翼幅は12mだから4分の1スケール。ここまで来ると、見た目を細部まで表現できるし、メカニズムが本物に近付くし、挙動もそれっぽく見えたよ。

第二次大戦の飛行機が実際に飛ぶ姿ってのは、当時の記録フィルムでしか見たことがない人がほとんどかと思う。おいらも含めて、恐らく大抵の観客はその記憶をもとに、この映画の映像をリアル度を判定してたかと。ラジコンを使ったこの場面、おいら的には完璧だったよ。ちなみに劇場で見た時点じゃ撮影時に実物を本当に飛ばしたもんだと思ってて、パンフ買って読んで初めてラジコンだったと知ったわ。

あと、地上撮影用に実物大模型1機を本当に作ってしまった。これはマジですごいと思う。監督は1機だけしか用意できなかったのが不本意だったらしいけど、この1機があるとないとじゃ映像の説得力が全く違ってたと思う。複数の零戦が駐機してる場面は、よーく見ると、静止画の合成で数を増やしてるんだなーって感じだけど、背景をそこまで凝視するやつなんて、特撮のボロを見出そうとする意地悪な観客だけだろ(←おいら)

で、どうしてもモノホンもそっくりさんも実動する模型も用意できないとき、ようやく特撮にお鉢が回ってくる。

『ライトスタッフ』で F-104 の前に出てくるベル X-1 実験機(世界で初めて公式に音速を突破した乗り物。非公式には、第二次大戦で急降下中に音速を超えてしまった例がいくつかあったらしい)の場面。これ、ミニチュアを屋外で撮影したそうな。どうやったかっつうと、模型を石弓(ゴムパチンコかボウガンみたいなものかと)で撃ち出して、それを撮ったそうで。1回に撮れる尺が短いから何回も繰り返して撮って、それを編集でつないで、スピード感を見事に表現しちゃった。で、そこでの発見は、「自然の空と太陽光を使うと、スタジオ撮影とは比べ物になんないくらいリアルになる」ってこと。

それを参考にしたんじゃないかと思われるのが、『帝都物語』(1988)の関東大震災の場面。浅草十二階が崩壊するところ。劇場の大画面に充分に耐える、凄い迫力の映像だったよ。そして東宝じゃないけど、『ガメラ 大怪獣空中大決戦』(1995)の、東京タワーとギャオスの巣のあの名カットにつながるわけです(端から見た系譜的な意味で。平成ガメラの特撮監督が『ライトスタッフ』や『帝都物語』から手法を学んだかどうかは不明)。

平成ガメラシリーズの金子修介監督の著書で、「どうしてスタジオ特撮は自然の空と太陽光にかなわないんだろう」みたいな話が出てたな。んー、『帝都物語』で言えば、まず強烈で単一な光源が作るコントラスト。さらに影の部分に色を付ける、周囲360°に天頂までを囲む青空。そして光源と環境光との絶妙な比率、ってあたりかと。セットだとどうしても背景光はカメラの反対側のホリゾントだけで、あとはほぼ真っ暗な中に硬めの光源が並んでる状況だよね。そこらが不自然さを出しちゃってるんじゃないかなぁ。被写体が背景に溶け込めずに、変に浮き出しちゃってるみたいな。

ついでに、ホリゾントを照らす光源は白熱灯だから、空色のゼラを通したとしても、黄色の成分(正確には緑色の成分)が混ざっちゃうとか? 憶測だけど。そこらは光の波長を検出するセンサーを使って、本物の空と比べてみれば分かりそうな気がする。ていうかその状況だと、青空 + 雲の背景画を使うはずだから、白色光(とされる白熱灯の光)で照らすはずだよね。やっぱそれで黄色が出ちゃいそう。

『零戦燃ゆ』の空中戦で出色だったのは、クライマックスの「零戦 vs B-29」の一騎打ちでしたな。パンフによると、なかなかおもしろい創意工夫で撮ったみたいよ。基本的に真上からの俯瞰のアングルだったんだけど、ホリゾントに地上の絵を描いて、その手前に B-29 のミニチュア(日本の特撮にしてはかなり巨大。『スター・ウォーズ』で使われたミレニアム・ファルコンのミニチュア [実物を見たことあるぞ] よりでかい)を、左向きの横倒しで吊るして、さらにその手前で主人公の零戦を横倒しで飛ばす、という感じ。当たり前だけど、スタジオは高さより奥行きの方がある。この発想、限られたスペースの有効活用ですなぁ。

ちなみに、「巨大な敵に立ち向かう戦闘機が1機」っうことで、ヒロイズムを煽る意味で、B-29 のスケールを2倍にするっつう演出がなされた。アメリカ vs 日本の構図もそのまんま表してたんだろなぁ。んでまぁ B-29 はこのくらいか、みたいな感じをずっと持ってたんだけど(頭じゃその半分と分かっちゃいたけど)、いっぺん実物の B-29 を見学する機会があってさ、あまりの小ささにボーゼンとしてしまったよ。けど実際、日本人の持つ B-29 のイメージって、おいらのそれ(つまり東宝特撮が見せたイメージ)とあまり変わらないんじゃないかと思うよ。

また話がずれたんで戻すよ。お次は『零戦燃ゆ』と同じ監督の『首都消失』ですか。なんかさ、これも脚本と設定がちょっとさ……。いやあの、ある日突然わけ分かんない雲が日本の首都圏を覆って、その内外の交通と通信を完全に遮断するってゆー無理矢理すぎる設定がなぁ。それが何なのかも、なんでそんなことになったのかも全然説明がないし。ぶっちゃけ SF になってないんですけど。

代わりに大阪が仮の首都になるんだけどさ、いやその、東京と大阪に住む人にとってはある程度面白い発想だったかもしんないけど、それ以外の土地の住民にとっては、荒唐無稽以下のどうでもいいみたいなことでしたな。『さよならジュピター』(ブラックホールがピンポイントで太陽に激突する)といいこれといい、80年代の小松左京ものの東宝特撮、シュールギャグ的な状況をなぜかシリアスに演出しようとしてたんだなぁ。なんだかなぁ。なんでわざわざそんな発想するかなぁ。科学のセンスなさ過ぎるぞ。

ストーリーもねぇ。主人公である技術者が大いに頑張ってその謎の雲を破る装置を開発するんだけどうまくいかなくて、結局最後は想いの力が雲を壊しましたっての、どぉよ。ま、ある宗派のうちわ太鼓を叩いての念仏攻撃も、尾崎豊っぽい劇中歌手の持ち歌『ロンリー・クライ』意味なしフルコーラスも効かなかったけどさww

そういえばこの『ロンリー・クライ』っつう、映画の主旨とずれまくりの歌を歌った松村冬風(まつむら・とうふう)っつう役者、あの頃妙に東宝に可愛がられてた気がするなぁ。他のいくつかの東宝映画で、チョイ役のくせに不自然に目立ってたような。もしかしたら芸能事務所がブレイク狙いで東宝にプッシュしまくったってのかも。

今調べたら、一世風靡 SEPIA の元メンバーだった。いや、あのメンバーなら『欽ドン 良い子悪い子普通の子』に出なきゃブレイクは無理っしょ。あ、でも哀川翔は最近売れまくってるよな。

結局松村さん、『敦煌』(1988)の頃には本当に誰でもいい端役になってたなぁ(『敦煌』は大映作品だけど、東宝の配給網を使ってた)。でもパンフの登場人物・役者紹介には、小さくだけど写真付きでちゃっかり載ってたぐらいにして。松村さん自身は、せっかく掴んだチャンスと真面目に向き合ったんだろうから何も悪くなかったと思うけど、日本映画が信用を失って誰にも見向きもされなかったあの時代に、というのが不運だったんじゃないかと。

銘板
2008.5.29 木曜 前日に飛ぶ
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あゝ栄光の東宝アナログ特撮 5

てことで『首都消失』のドラマパートは、『ロンリー・クライ』をストーリー進行を遮ってまで延々と聴かせるくらいテンション低かった、と。芸能事務所側からの横やりに完全に屈しちゃってた。なんかこう、あの監督、会社の意向通りのものをきちんと作るって意味じゃ「いい監督」だったのかもしんないけど、作品は決してそれ以上のものにはなんなくてな。「この作品はオレの流儀に従って、こう仕上げてみせる。世界よ今こそ驚け!」みたいな展望や熱意が、作品から特に感じられないというか。

んじゃ特撮の方はどうだったか。いやいやこっちの方はなかなか魅せてくれましたですよ。謎の雲の表現に綿を使うってのは想像が付くけど、雲の「動き」については、「フライアッシュ」とゆーのを使ったとか。これ、火力発電所から出る灰だそうで(石炭火力かな?)、吸うと肺にたまってガンを引き起こすという恐ろしい代物(パンフからの受け売り)。

で、発ガン性はここでは置いとくとして、当時は「よくこんな特殊なモノを適材として見つけてきたなー」と感心したんだわ。でもその出どころを後で掴んだですよ。それは黒澤明の『乱』(1985)。馬が走るとき、馬の足元から土埃が立つとかっこいいじゃないですか。それで黒澤が使ったのがこのフライアッシュだったらしい。まぁでも、土埃ってのはドバドバ出るのがかっこいいんだけど、『乱』だと意外とショボショボでね。派手な自然描写が好きな黒澤監督としては、たぶん狙い通りってわけじゃなかったかと。

まぁあの状況で土埃をドバドバ立たせるとしたら、地面が見えなくなるくらいフライアッシュを積もらせなきゃなんなかったんじゃないかな。そしたらもう風が吹いただけで視界がホワイトアウトですよ。それに、ロケ地は富士山の裾野(御殿場)だったから土の色が真っ黒なわけで、フライアッシュの明るい灰色は不自然になっちゃうから、あんまし撒くわけにもいかんかったのかも。

黒澤とフライアッシュの出会いは、意外と古いような気がしてきた。『用心棒』(1961)のクライマックス。この地獄みたいな宿場町にゃ今日はまた一段と空っ風が吹きまくってら。それを見事に表現し切ったのが、過剰な土埃。クライマックスでかっこよく登場した三船敏郎の後ろで、あり得ないほど大量に土埃が飛んでる。高さは奥の家屋の2階にまで届いちゃってる。あれがどうもフライアッシュらしいのよ。

なんかリハーサルで、土埃の担当さんが監督の指示を聞いて「このくらいかなぁ」とやってたら監督、どうもなんか不満げだったらしい。担当さん、どうしていいか分かんなくて悩んでるうちに間違えて、風上で灰を全部ぶちまけちゃったそうで。そしたら監督は驚喜して、「これだよキミ! これなんだよ!」ってな成り行きであの名場面が生まれた……という伝説を、何かで読んだことがあるわ。

ああでも『用心棒』フライアッシュ使用説はちょっと自信ないわ。『七人の侍』(1954)でも土埃が重要な小道具として使われてるんだけど、その時の灰は、木材を燃やしたやつだったそうで。撮影するごとにやたら大量に灰を使うもんだから、ともかく廃家屋や廃材を引き取っては、燃やしまくって調達したとか。木の灰って、燃える前の木材重量の5%くらいでしかないんだよね。しかも燃してるうちに風で飛んでったりもするだろうし。大量に集めるの、大変だったろうなぁ。中盤で野武士の砦が炎上する場面があるんだけど、その時に出た灰も使ったんじゃなかったっけかな。てことで『七人の侍』からの流れで、『用心棒』の灰も木材由来だったのかも。

『首都消失』の特撮は、軍用機も良かったよ。ピアノ線で吊る、いわゆる「操演」で、技術的に『零戦燃ゆ』と変わらない上に空中戦もなかったから地味なんだけど、なんかこう、飛行機に接近してなめ回すみたいな、ちょっとエロティック風味なカメラワークがなかなかおよろしくて。でもあれってさ、謎の雲に『惑星ソラリス』みたいな不可解な意思があって、その意思が飛行機をじっとりと観察する、なんてのだと理にかなってたと思うんだけど、この作品だと、謎の雲には意思があるのかないのかの設定さえなかったっぽい。んー、考えつけよそのくらい。

ここをはっきりさせてれば、作品の輪郭ももっとくっきりしてたと思うんだよな〜。ああもぉ、このネタのまんま突き詰めてれば、日本版『惑星ソラリス』になれたかもしれないのにっ! 企画段階での詰めが甘過ぎたせいで、あたまわるい映画の側に転落しちまっただよ。もったいねーなーほんと。芸術と荒唐無稽って、紙一重なんだな……。

この軍用機、確かプロペラ機だったと思った。『零戦燃ゆ』もそうだけど、プロペラ機の特撮って光学合成しにくいのよね。プロペラのモーションブラー(動きブレ)は光学合成からすると、「半透明」っう一番厄介なケースなわけで、まぁ厄介っつうより実質不可能だったみたい。となるとこの場合は東宝のお家芸の、操演以外に道がないのよね。まぁハリウッドの大作だったらカネをかけて本物を飛ばす、と。そんな余裕がなければその企画自体を諦める、と、そんなノリだったかと。で、不完全ではあるけど日本映画の現実的なコストでそれなりのことができますよ、ってのが東宝特撮だったかと。

あ、そうだ。近藤マッチと中森明菜の『愛・旅立ち』(1954)もこの監督だったわ。確か山が割れるっつう大規模なワンカットで東宝特撮の出番だった。んでまぁけっこうショボかったわけです。なんでもこの場面、噂では当初は CG を使う案があったらしいんだけど、カネかかるからやめたとか。アイドル映画って客入りが保証されてるしやたら利益率が高そうだから、頑張ってみてもよかったんじゃないかって一瞬思ったけど、ちょっと違うかも。

この手の映画で特撮の出来映えを気にする観客がどれだけいんのか、と。だったら余計な手間なんかかけない方がいいわな。っつーかファンでもないのにそんな映画をしっかり観て、誰も気にしない特撮の出来映えを今頃になってウンヌンしてるおいらは一体何なのか、と orz

『首都消失』の特撮技術で、ひとつ目玉があったわ。それは、ハイビジョンの初使用。未来のテレビとして NHK とソニーが共同開発してたこの新技術、このあたりにようやく現物が完成して、映画業界への利用も目論まれてた。『帝都物語』(1988)『敦煌』(1988)『舞姫』(1989)がそれぞれ「ハイビジョン初使用の映画」を謳ってたけど、おいらの知る限り『首都消失』が一番最初。ワンカットだけで、しかも出来が不完全だったけど、とりあえず初の栄冠はこの映画が得たのだ。でもさ、その後と言ったら黒澤明の『夢』(1990)を最後に、映画へのハイビジョンの使用はないような気がする。

やっぱ解像度が足りないもんなぁハイビジョン。「水平解像度1125本は35mmフィルムと同程度」と宣伝してたけど、実際は16mmフィルム程度だったらしい。それにベタッとした単色の表現が苦手でなぁ。そういうところはなんだか味噌汁が沸き立ったみたいな「動く影」が出ちゃって目障りでな。あと、映画の 24p システムと微妙に合わなくて動きが変だったり(ハイビジョンは普通のテレビと同じ 30i システム)、合成の残像が汚かったりで、そのまま映画に使うのは美的観点から何かと不都合だったんだよなぁ。

そんで、ソニーあたりからの強烈なプッシュがあったみたいでこのあたりの作品に使われたけど、次々とボロが出てきたんで、以後誰も使わなくなった、と。今は映画撮影専用のデジタルビデオカメラがあるんで(ジョージ・ルーカス御用達。ハイビジョンで培った技術を元に開発したかと)、実は映画にあまり向かなかったハイビジョン規格を無理に使う必要もなくなったね。

利点もあったそうだけどね。『首都消失』での使用場面は、謎の雲の中に小さな女の子が落ちていく、というイメージカット(アングルは真俯瞰)。これ、被写体の回転と小さくなり方が不自然だったけど、自由落下の物理学をちゃんと計算して再現してれば、かなりそれっぽくなったはず。で、パンフで特撮監督がおっしゃったには、このカットはデジタル合成だからできた、とのこと。アナログの光学合成だと、被写体を点サイズまで小さくしていく、というのは困難だったそうで、それがハイビジョンを使ったデジタル合成で簡単に実現したそうで。

いや、だったらそれで出来た余裕を、自然っぽさの再現に使えばよかったのに。慣れてなかったってのもあったのかな。まぁアナログ合成でも、被写体が自由落下する俯瞰ショットを自然に見せるってのは難しかったみたいで、『フラッシュ・ゴードン』(1980)でも『漂流教室』(1987)でも『ロボコップ』(1987)でも、どことなく違和感があったよ。つまりなんてーの、当時は特撮技術者のフィーリング重視で、物理的に整合させるっつう概念が希薄だったんじゃないかと。

でも『スターウォーズ 帝国の逆襲』(1980) だと、ダースベイダーに切り落とされたルークの腕が穴に落ちていく映像があった。あれは特に不自然さを感じなかったと思うけど、痛みに絶叫するルークに気を取られただけかもしんない。だとしたらゴマカシなんだけど、特撮の不完全さをフォローするための演出面でのさりげないゴマカシってのも、特撮映画製作に必要なセンスだと思うなぁ。

同じ『帝国の逆襲』だと、ルークが歩きながらライトセイバーのスイッチを切るとゆー、アナログ特撮的にいかにも難しそうな場面があった。これ、段取りと効果音でうまくごまかしてたよ。

銘板
2008.5.30 金曜 前日に飛ぶ
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中休み

どうでもいい速報(今日は6月15日)。いやあの、さっき YAHOO! ニュース見たら「ネットで大人気『眞子様萌え』! 宮内庁は困惑気味?」ってのがあったんだが。そうか眞子さんってこのまえ生まれたかと思ってたらもうそんなお年頃なのか。てゆか連中、なんかんでも萌えの対象だな。宮内庁めっさ困ってっぞwww

とりあえずその動画を見てみた(諸事情によりリンクは貼りません)。んー、いや、昭和は遠くなりにけりですな。おいらの世代からすると、右傾化に思えてちょっとコワイっす。昭和末期の頃は「天皇制反対」を口にする人たちがちらほらいてさ(社会主義への幻想も世の中から消え切ってなかったし)、天皇制や自衛隊をちょっとでも肯定したりするとなんだか気まずいような、そんな空気を普通なものとして育ったもんだから。ええ。

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2008.5.31 土曜 前日に飛ぶ
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あゝ栄光の東宝アナログ特撮 6

んで何だったっけ。そそ、東宝の80'sアナログ特撮だね。今回のネタは(あ、飛ばしてた『連合艦隊』の話、追加しといたよ)『ガンヘッド』か。まぁこれ、あんまし印象ないんだわ(ォィ)。劇場で見逃して、ビデオで観てさ。なんかこう、あんましスッキリしなかったというか。ふーんそうなのーで終わってしまって。話がよく見えなかったってのもある。やっぱどんな時でも脚本が弱点の東宝アナログ特撮映画なのであった。

でも、映画の出来としてあんまし悪い印象もないのよね。それまでの東宝 SF になく、ストーリー構成と演出に切れがあった気がする。変にシリアスにならずに、マンガチックな話として方向性をしっかり決めて、けっこう練り込んでたような。

まぁサイバーパンクな未来っぽさの表現で、セリフのところどころに英語を混ぜ込んでたんだけど、役者さんたちがそれをあんましうまくこなしてなかった気もする。そこらへん、企画段階で雰囲気づくりを狙ったんだろうけど、撮影現場でうまく役者さんたちを調練できなかったあたりが、監督さんの若さかな、と。

ここらになってようやく東宝も、「設定や脚本が作品的成功の勝敗を決める」という娯楽映画の正道にちょっと気付いたようで。けど時既に遅し。すっかり信用をなくした日本の特撮娯楽映画は、マニア以外からは誰にも見向きもされないのだった。おいらも劇場で観る気しなかったし。たぶん興行的には大失敗だったんじゃないかな。主演に当時話題の人だった高嶋政宏を起用したり、撮影に使った巨大ロボット(ミニチュアだったけど、それでも高さ3mくらいあったと思う)をいろんな機会に露出させたりして、宣伝をずいぶん頑張ってたんだけどね。

それから、描いた世界がちょっと狭かったかなぁ。孤島の建物の中がロケーションだから、なんかこう狭苦しくて。物理的にもそうだし、世界観の広がりもあんまし感じなかったよ。そこらへん、後出しだけど『マトリックス』(1999) は最初から設定がかなりでかくて精密で、シリーズを追うごとに拡大してったからなぁ。それを知ってしまった今、『ガンヘッド』を特に観直そうって気になれねっす。

で、特撮編に入るけど、いろんな宣伝機会に露出してたロボット、これがあんましかっこ良くなくてなぁ。武器としての特徴が強くてゴツすぎるというか。それで損しちゃったっぽい。ははぁ、アニメ界のプロのデザインでしたか。ロボットの画像めっけ。んんー、マシンマシンしすぎかなぁ。もっと人間に近い形だとよかったのに。ガンタンクに近いなぁ。ガンダムほどでなくても、ガンキャノンくらいにまではしてほしかったよ。おお、この映画、珍しく Wikipedia にかなり詳しい解説が載ってる。けど文体から、一人のアツいマニアが頑張って書き上げた風ww

でさ、おいらが期待してたのは、実写版の豪快なロボットプロレスなんですよ。ファーストガンダム世代としては当然ですよ。『機動戦士ガンダム』の世界観も子供には難しいものがあったけど、巨大ロボット同士の強烈なバトルが観れればそれでオッケーだったのよね。それで育ってきちゃったんだもん、そりゃあ『ガンヘッド』にもそこを期待しますですよ。

ところが、いやあの、変形するのはいいんですよ。戦車形態から人間形態に、とか。それは文句ないんですけどね、プロレスはどうしたんですかプロレスは。手足や刀みたいなので、相手と掴み合ったりキックしたり斬り結んだりの大乱闘はやんないんですか? なんかただそのまんま正面からぶつかり合っただけだった気がするんだが。 そこらへん、期待外れで大いに不満だったのを覚えてるよ。

てことで、要塞の構内っつう狭苦しいロケーションで、大して動かないロボットがゴッツンゴッツンぶつかるってなだけのミニチュア特撮でさ、難易度としてはそんなに高くなかった感じ。そんで最後に、大爆発する要塞を背景に主人公たちが飛行機で脱出して「やれやれだぜ」って感じで終わるんだけど、その飛行機がまた合成の継ぎ目が見えまくりでさ、日本の特撮ってなんで基本技でこんなに出荷基準が低いんだろなぁとため息が出ちゃったよ。

聞くところによれば、アナログ光学合成って精度を出すのがかなり難しくて、全部の観客が納得するレベルの精度は、人間業だけじゃ困難だったらしい。で、スターウォーズなんかでほぼ完璧な合成を実現した SFX 工房の ILM なんかは、コストをかけてそれを精密にこなす専用装置を開発して使ってたんだそうで。結局はカネだったらしい(そこを追求する品質基準もだけど)。使い回すたびに回収できるから、初期投資をどうにかできればよかったんだろうけど、日本の特撮業界はそれを許す体力さえなかった、ということかと。

けど、カネがなかったら敵以上に知恵を絞ってどうにかしちゃうのが日本って国じゃないですか。東宝特撮は80年代、食うのに精一杯で、そういう考え方や未来への投資が停滞しちゃったんじゃないかと。あるいは、ハリウッド特撮とのあまりの彼我に絶望して、戦意を喪失してしまったか。

しかし時代はバブルに突入。映画会社も世の中に倣って、土地転がしであぶく銭を手にして、経営が楽になってきた頃だったりする。で、東宝は80年代の締めくくりにどんな特撮ものを作ったかっつうと、ある意味伝説の怪作『ZIPANG ジパング』(1990)だったりした(あくまでも「ある意味」)。

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