英語の "right" の意味は「右」「正しい」など。同じく "left" の意味は「左」「(選んだ後に)残ったもの」など。
「左手は不浄なものに触れる用」と関係あるんかなぁ。
こマ!?
サッカー日本代表、スペインも撃破しちまったのか!?
予選リーグ1位通過とな?
ブラボブラボブラボー!!! おめでとーございますー!!!
思い出すのは10年前のロンドンオリンピック。あの時のサッカーでも日本代表はスペインを予選で破りましたですな。あの再来かよ。
あの時は予選の初戦でそんな番狂わせでな。大会の開始前のスペインの選手たちは、決勝戦での戦い方がどーたらとかもう予選なんかとっくに通ったも同然な態度だったんだよな。それが日本にいきなりケタグリ食らってスペインさんすっかり調子狂っちまって。以後の試合も散々でそのまま予選落ち。申し訳ないというか、わりーなwwwwというかww
オリンピックのサッカーは U-22 だったっけ? てことは、あのとき苦杯を嘗めさせられたスペインの選手たち、今回まさに日本に対して復讐の炎を心に滾らせてたかな。とか意地悪なこと考えたりもして。
今回の予選グループEはスペインが予選2位通過で、落ちたのはドイツとコスタリカ。まさかのドイツ脱落。
なんかグループEは「死の組」と言われててな。ドイツとスペインが同居だもんな。そんな中に日本が混ざっちゃって。組み合わせ抽選会の結果発表時点で、日本全体が「はいどーもごくろーさんせいぜいがんばってね」って感じだったのがwww
こんな頭おかしい結果、世界中で誰も予測できねってwwwww いやマジで笑いが止まらんwwwwwww
ときどきふと思い出すもの。それはキーワード「オバマ 手話」で見つかる。当時以来ほんと久しぶりに見てみたくなった。
2013年の末の話だったか。かなり昔なんだな。
んー記憶よりだいぶ控えめ。思い出補正ってやつだったですか。記憶だともっと派手に動いてた気がしてたが。
ああーそしてそのわずか3カ月後、手話絡みでもう一発すごいのあったんだよなー。
この事件、一世を風靡したなー(しみじみ)
紙の新聞ってけっこうまだまだ生きてるメディアな気がする。20年ほど前は「あと10年で消える」と言われてたのに。
欧米じゃ紙の新聞は衰退が止まらないらしい。
日本で頑張ってられる理由の大きいのは、超高齢化社会でデジタル化についていけない人口が多いからってのはあると思う。んでもうひとつ、無意識的な理由がありそうな気がして。
縦書き。
これが支持を保ってる理由の一つなんじゃないかと。
紙の公文書なんかももう A4 横書きで統一されてしまってるわな。んでまぁ横書きって欧米じゃほぼそれだけだし、ネット上の文章も HTML 規格をアメリカが管理してるもんで、日本語のサイトでも横書きに特化してる。
けど日本じゃ今も、小説やノンフィクションなんかの書籍は縦書きがまだ主流だし、雑誌もけっこう縦書きが多い。そして新聞も。漫画もだな。
漫画なんか縦書き様式のまんま強引に世界標準になっちまってるしwwww
縦書き・横書きが混在する社会なわけで、ここしばらくは横書きが優勢。たぶんこれからも横書きがじわじわと一方的に寄り切りしていくんだろう。
けど混在社会だもんで、横書きばっかしってのはなんかストレス溜まるというか。ときどき縦書きを読むと安心を覚えるというか。
そんな無意識的な欲求が、今も新聞を支えてるんじゃないかと。
明治時代とかの古い横書きの容器で、右から左に書くってのありますわな。
あの形になった理由を最近知りまして。
あれはあくまでも縦書きの様式から来てるんだそうで。縦書きの行の書き方は右から左ですな。原稿用紙に読書感想文を書いてくと、右利きの場合、右手のチョップのヒット面が鉛筆で黒くなってしまうアレ。
で、「横書きの場合は1文字で改行」として書くと、横書きは右から左となるのが自然ってことらしく。すげー納得したですよ。
いやー考えもしなかったー。
んで、ある時期から日本語の横書きが左から右に逆転したのは、たぶん西洋の文書の形式に合わせたんだろうなと。
で、今は左から右の形式が支配的だけど、普通に「右から左」と「左から右」が混在してた時は混乱しただろうなぁ。
映画『八甲田山』(1977)。高倉健主演の超大作ですわ。そして舞台は我が青森県。県内の映画館はドカーンとでっかい看板を出してアピールしまくってたそうな。
そして青森県内は田舎なんで、昔気質の人が多かったわけで。けっこうな数の人たちがその看板を見ては、
「山田甲八って誰だ? 地元の有名人か? 知らねーな」と首を傾げたという伝説があってだな……。
ああああああああああああああ
12年前の南アフリカ大会と同じ激闘の末に、同じく PK 戦にもつれ込んで、同じ結果を受け入れなきゃいかんかったかー。
マジ悔しい。マジ悔しい。マジ悔しい。
けど2大会連続での予選突破は初だろ。
1位通過もたぶん初だろ。
ジャイアントキリング2発も初だろ。
PK 戦は運だからな。ほんとよくここまでやってくれたよ。
日本は確実に強くなってきてるよ。
その一方、今言える敗因はですな。おいらが自らに課してたはずの禁を破って、試合の生中継を観てしまったことなのだよ。
あー観なきゃ勝ててた。
あああああああああほんと観なきゃ絶対勝ててた。
おいらのあほんだらーーーーーーーーー!!
子供の頃のどうでもいい思い出。
宇宙人と朝の番組のキャスターさんについて。
当味おいらは UFO にハマってた。子供向けのそういう本を毎日飽きずに読んでた。んでまぁこれが子供向けの範囲内だけどけっこうショッキングな描写があって。
その話の中で、たぶんエリア51ネタを加工したんだと今じゃ思うけどさ、墜落した UFO の中に踏み込んでみたら宇宙人の死体があったとか。んでその死体の顔を見ると、2つの目が段違いについていたとか。いやーこれは当時こわかった。マジこわかった。
とりあえず「段違い」という言葉をそれで初めて知ったww イラストもあったから意味もわかった。
一方。当時毎朝見てた情報系テレビ番組。人気のキャスターさん、微妙に目が段違いに見えてしまう人で。そんなわけでこの人のこと宇宙人の生き残りだと思ってたwwww
メイクの加減かな。いやでもむしろメイクならそれを消す方向にするだろ。
いま画像検索でまた見てみた。やっぱしほんの少しだけ段違いなような。ご本人にとっては間違いなく余計なお世話でしかない、ほんとどうでもいい話。
2週間くらい前から、うちのサイト全部が閲覧不能になっちまってさ。"Forbidden" としか出なくなって。
いやさ、最初は ほぼじゅびふぉ に仕込んだ CGI が悪さしてるんじゃないかと疑って。とはいえローカルで問題なく動作するから、その線じゃないし……。
とか時々考えつつ最近仕事に忙殺されてるもんで、ほとんどサイトいじりもアルミ精製もできてなくてさ。Forbidden 問題をほとんど忘れてて、たまに思い出してはまたすぐ忘れて、ってな体たらくで。
んでやっと今日、まともに調べたんですわ。サイト全体が落ちてるってことは、レンタルしてるハッスルサーバーで何か障害が起きてるとか? と数日待っても何の変化もなし。
どうもハッスルサーバー自体は通常稼動中で、おいらのサイトだけ落ちてるっぽい。
ハッスルの FAQ を見てみたら、Forbidden になり得る場合が書いてあった。まずは利用料の支払いが遅れてる場合。これは問題なし。
あとはコンテンツに何らかの問題が見つかって、トラブル回避のためにハッスルサーバーの判断で閲覧不可にした場合。これがいろいろ書いてあってさ。どれなのか特定できない。
メールで何かお知らせが来てるかな? と、めったに開かない、ハッスルサーバーとの連絡用アカウントを見てみたわけですよ。これがまた AOL メールなもんだから、ブラウザでログインしないと見れなくて。メールソフトを使えないんだよな。めんどくてほとんど見てない。つかメールソフトでもほとんど見てないww
んで AOL でメール検索したらば、あったあった。ハッスルからのお知らせ。ほぼじゅびふぉ のコンテンツの一部が、JASRAC に引っかかって著作権侵害の警告を受けたんだそうな。んで、ハッスルが指定した期日までに、おいらから改善した旨とかなんとかの返信が来なかったもんで、Forbidden 扱いにしたと。
で、どのページが JASRAC にツッコまれたのかは添付書類を見てくれ、とのこと。
いやさ、この添付書類の開き方が、これがまたなかなか難儀しまして。添付書類自体がeメール形式だもんで、メールソフトで開かないといかんくて。ダウンロードしてフツーにダブクリしたら、全く使ってない Mac の『メール』が立ち上がってさ。設定から始めなきゃいかん状況。単純にやる気しねぇ。
で、Thunderbird で開けばいいのかと。って昔は AOL メールは Thunderbird で開けたんだけど、今はできないんですよ。あくまでブラウザ上でって形に仕様変更されちまって。
テキストエディタで開いたら、なんか肝心の文面がよくわからんアルファベットの羅列。何が何やら。
ダメ元で、ローカルに落としたeメール形式の添付書類を Thunderbird のアイコンに食わせたら、単独でウインドウが開いてくれたですよ。
いやー参った参った。ご指摘のとおり、歌詞が JASRAC 管理なのにページに表示されてる状態になってるのが12枚。これは何の抗弁もできんて。
1枚ずつ修正かけたですよ。
で、ハッスルからのメッセージだけ読んだ段階で、慌てて ほぼじゅびふぉ をハッスルのサーバーから全消ししちまったんですわ。JASRAC から来た添付書類をちゃんと読んでれば、12枚の書類を書き換えてアップロードするだけでよかったのに。
そんなわけで今 Filezilla で ほぼじゅびふぉ の全書類をアップロード中。画像も含めて書類が4200個ほどあってさ。ここまで多いと、なぜか Filezilla + ハッスルサーバーだと、爆速で半分くらい終わると、そこからやたらスピードが落ちるんですわ。今現在、残り1380個だわ。いつまでかかるんだこれ。
アップロードがまだ終わってないけど、ハッスルサーバーに、修正した旨の遅 Res 出しとこっかな。ハッスルの中の人たちの稼動時間は平日昼間らしいし。今12月9日の午前2:50だし。おいらからの返信メールを見て向こうがチェックしてくれれば、閲覧可能にしてくれるんじゃないかなぁと。
Forbidden の期間が長いもんだから、Google からの信用が落ちてるっぽく。「ほぼじゅびふぉ」で検索すると、作品ページへのリンクはまだ出てるけど、このクエリだと普通は検索順位1位に来るよな。
やべーなー。Google からの信用を取り戻すにはどうしたらいいんだべ。とりあえずハッスルに Forbidden を解いてもらってから、Google にサイトマップを送信してみるか。前に送ったのと同じ内容だけど。
しかし JASRAC ってほんとに厳しく監視活動してるんだなぁ。それを悪く言う人もいるけど、こっちは著作者の権利を侵害するつもりはないわけで。著作者としては JASRAC がそこらへんすごく厳しいのを知った上で登録してるはずなわけで。だとしたら、指摘してくれてありがたいなーと思ったりもして。
ハッスルサーバー御中も、トラブルが大きくなる前にサイト閲覧不可にしてくれたのもありがたい。Google からの信頼を失ったのは自業自得ってことで。これからまた信頼を、時間をかけてちびちび積み直していこうっと。
さてハッスルへの返信も送ったぞと。問題なくサイトを再開できるといいですなー。
そういや JASRAC チェックってさ、おいらはいろいろ項目がある中で、サイト上への歌詞掲載の可否は「出版」の権利を JASRAC が管理してるかどうかで判断してたんだわ。けど今回の問題とその対処中の JASRAC 再チェックから、どうも「配信」なんじゃないかって気がしてきた。そういやこの点をはっきりわかんないまんま、「出版」の判断でずっと ほぼじゅびふぉ を続けてきてたっけなぁ。
しかし JASRAC 御中、3100ページあるうちのサイト全部を手作業で調べたんだろうか。だとしたらなんかほんと申し訳ないっす。
ネタ帳の特に古いネタ消化w
日本の固体燃料ロケットに関する論文というか意見。2006年のもの。主に当時いろいろわちゃわちゃ言われてた「次期固体燃料ロケット」について。
新型小型固体ロケットに関して (PDF) - 野村清英氏 九州大学物理学科
「次期固体燃料ロケット」は後のイプシロンロケットなんだけど、この当時の仕様は2段式で低軌道打ち上げ能力 500kg だった。このとき JAXA の理事長は「このクラスのロケットは将来的に需要が見込まれる」とか言ってたけど、たぶんこの固体ロケット計画の推進派勢力の言い分を鵜呑みにしたんだろうな。理事長は最高責任者なんで、責任を取れる人物なことが最重要なわけです。てことでロケット工学の細部にあまり詳しくなくてもいいってことで。
けどこんなしょぼいロケットなんて、将来的な需要なんてなさそうに思えた。「なんとかして潰さなきゃ」という勢力も生まれるわけです。JAXA 内でそこらへんの暗闘があったとは思うけど、たぶん案があまりにもひどいってのは JAXA 外の専門家さんにも明らかだった、ってことなんだと思う。てかこれ書いた先生、工学じゃなくて物理畑ですわ。門外漢でもわかるくらいにひどいもんだったってことでいいかと。
ふむふむ。2段目の燃焼末期での最大加速度がヤバくなるんですな。軽いペイロードに比較的大きな上段ロケット、という組み合わせがヤバさの元と。確かに2段式だとコストと信頼性で有利ではあるけど、最大加速度の面だとあんましペイロードのことを考えてない感じも出てくるな。
この文書が公表された2006年。その年に引退した M-V ロケット。実際には JAXA の反 M-V 勢力に潰された形だけど。んでその勢力が M-V 開発陣に押し付けたのが、この次期固体燃料ロケットの新規開発。
M-V もペイロードのことをあんまし考えてないといえばあんまし考えてなかった。M-V のコンセプトが「とにかく打ち上げ性能の向上」で、結果として「乗客には乗り心地の悪さは我慢してもらう」という形で。M-V の乗客(ペイロード)は同じ宇宙科学研究所(ISAS)内で作った衛星・探査機だったんで、ロケット側のそんな事情を呑んでもらえる間柄だった。
けど次期固体燃料ロケットが想定する乗客は、「需要が見込める」ってことは内輪じゃなく一般なわけ。普通の商業打ち上げを考えてる。それで M-V よりも乗り心地が悪いってのはどうなのかってことですな。
そこらへん ISAS 内の次期固体ロケット開発陣はわかってたし、打上げ能力がしょぼすぎて、ISAS の用途じゃ使い物にならないのもわかってた。
てことで開発陣は正常な改善案を出しましたな。3段目を標準装備する、と。開発の資金も期間もあんましないんで、初代 はやぶさ を打ったときの M-V 最終段 KM-V2 をほぼそのまま使うってのでどうですか、と。次期固体の上段の M-34 の上に載せる用で合わせた設計だし。
この案が通って、最大加速度問題をクリアしたうえに、最大積載量が倍以上の1.2トンにまでなった。これなら ISAS の用途でもなんとか使えなくもない。つか開発計画が動き出したと同時に、後々の性能アップの方策も練り始めたらしいけど。
そもそも JAXA はなんでこんなヘボ案を最初に出したのか。なんで M-V を強引に引退に持ち込んだのか。なんで M-V よりしょぼい固体ロケットの開発を ISAS に押し付けたのか。
憶測込みだけど、これには当時開発中だった、中型の GX ロケットというのがありまして。大型の H-IIA と小型の M-V との間を埋めるもので、当初は低軌道打ち上げ能力4.4トンを謳ってた。開発・営業用に「ギャラクシー・エクスプレス」という民間会社まで立ち上げた。ところが2段目の LNG 燃料エンジンの開発が難航しまくって、途中から打ち上げ能力を3トンに下方修正。
これだと M-V とかぶってしまうんですよ。M-V の後期型の能力は、標準の3段仕様で実質2.3トンくらい。4段目に KM-V2 を追加すると、たぶん4トンくらいになる。んでまぁおそらく JAXA 内の GX 勢力が組織ない政治力を発揮して、M-V を潰したうえで、「中型」の GX の立場を守れるくらいの、能力 500kg の「小型」ロケットの開発を ISAS に命じた、と。
結果的に GX 計画は、今回の文書の3年後に中止になってしまった。1段目に予定してたアメリカのアトラスVロケットの生産終了というのが響いたそうな。問題の国産2段目エンジンの開発は単独で継続になって、最終的には成就したものの、もうそれを載せるロケットはなかった。
GX 推進勢の「好み」というか「におい」というかが次期固体にも伺えたりして。
特に接ぎ木ロケットについては、JAXA の前身のひとつ、宇宙開発事業団(NASDA)の、最初期の N-I ロケットから H-I ロケットまで続いた「古き良き伝統」。そのノスタルジーとオマージュを GX に込めた風味。
NASDA 時代の固体燃料ロケット、J-I も接ぎ木だったし。これは ISAS の M-V に対抗して組まれた計画な感じ。けどライバルの M-V と比べて性能が低いうえに高価だったんで、国の会計監査院にツッコまれてな。初号機だけ打って、その後の計画は中止の憂き目にあった。
J-I がまだ死んでないけど存続の可否があやふやだった頃(1998年あたり)、NASDA から「J-I 改」として LNG 燃料ロケットの構想が発表されたことがあった。J-I 改は実現しなかったけど、これが後の GX 開発の元になったんじゃないかと。つまり J-I 開発勢がそのまま GX 開発勢になったのかな、と。
しかし NASDA → JAXA にかつて存在したっぽいこの闇の勢力、J-I(運用中断)、GX(開発頓挫)、次期固体の初期仕様(要改善)と、ヘボい結果しか出してないな。そのうえ GX のために M-V を潰した疑惑という、技術はないくせに組織内政治には長けてた印象。NASDA の時代はまだしも、JAXA になってからは組織の足の引っ張り具合いがだんだん表に出てきた感じ。
最大加速度問題は既に J-I で存在してたんだな。3ページ目に、
"JAXA でも光通信実験衛星「きらり」(OICETS) は当初 J-1 2号機での打ち上げを計画し、M-V での打ち上げも一時検討されたが、「衛星にかかる加速度等の打上げ環境条件が厳しいため、OICETS の打上げには適さない。」として ロシア・ウクライナのドニエプルロケットで打ち上げられた"
とある。そうだったのか。きらり の打ち上げで J-I の2号機が見送られたのって、まさに最大加速度の問題だったのか。高コストで会計監査院に潰されたのが理由だと思ってたけど、技術的な問題点もあったのか。
J-I の見た目は下の画像のとおり。左側が初号機。右が2号機。
なんか印象が違うのは1段目の違い。2号機の画像が CG なのは、初号機を打ち上げただけで廃止になったから。
どっちも NASDA の大型ロケット用の固体燃料をブースターを流用してるんだけど、J-I 初号機のは H-II ロケットのもの。2号機のは H-IIA のもの。J-I が開発されてた時期はちょうど H-II → H-IIA への移行期だったから、こうなってしまった。
2号機はどう見ても1段目がパワフルそうなんですよ。実際にパワフルかつ高性能だし。
J-I の接ぎ木カップリングの根拠は、両者の直径が同じだったから。それが2号機で早くも崩れてしまってる。多段ロケットは各段のバランスが大事なのに、おもっきしそこらへんを無視してるってのが見た目でわかってしまう仕様で。最大加速度、2号機じゃ初号機よりもっとキツかったんだろ。
だから きらり に逃げられたと。きらり は欧州宇宙機関(ESA)との共同プロジェクトに使う衛星だったんで、失敗や故障に対してはより条件が厳しかったはず。きらり が J-I から逃げたのはなおさら仕方なかったと思う。そして、このバランス感覚のなさと、そのせいでの最大加速度の問題は、次期固体の初期仕様でも相変わらずだったと。
J-I ついでに。このロケットの2段目と3段目は M-3SII ロケットからの流用だったんだけど、J-I 開発の時点で M-3SII は退役済みで、製造設備も部品供給もなくなってた。それを再開させたらそりゃコストが増えるわな。この点も考慮に入れてなかったという、なんかもういろいろとgdgdなロケットだったわけで。
くだんの闇の勢力、1) あまり意味のないことにやたらこだわる、2) 論理性や技術のセンスがない、3) 組織内政治の権力が強い、ってところから、組織内での自分の立場・体面が最重要な人たちだったと推測されるわけで。こういう存在って組織運営にとっては邪魔でしかない。
最近の JAXA じゃこの勢力がいなくなった感じ。出ておじゃらなくても、獣は臭いでわかるまするぞ。
19ページ目に短くだけど GX ロケットのことが書いてある。ああやっぱしというか。GX の系譜としての母体は J-I だったんだな。今まで知らんかった。2006年時点で開発が難航してた2段目の LNG エンジンについて、
「新しい技術に挑戦すること自体は有意義で失敗も価値はあるのだが、問題は民間主導のロケットにそのような新規開発要因を詰め込むのが適切であったかどうかである。中型ロケットの開発に焦点絞るなら、M-34b や LE-5B など、既存のコンポーネントの利用をはかる方が適切ではないか」
とのこと。
よっしゃそこらへん過去においらも考えてた。GX をとっとと飛ばせ 前編、中編、後編、補足編。
てかおいらが書いたのは2008年だったか。今回の文書より2年も遅れてる……。
つまり、どうせ接ぎ木ロケットを作るなら、いきなり新規技術のエンジンを開発するより、まずは既存の性能が近いものを当てがったら? ということで。けどそういう意見は採用されなくて、GX は最終的にポシャった。
ただ、LNG 燃料のエンジンは将来性は国に認められた。このエンジン単体の技術開発は続けられ、完成まで持って行けた。これを使うロケットは今はないけど、「チャンスが来たら復活できる技術」という状態にまで行けたのは幸いですな。
今回紹介した論文って今から16年も前の文書なのに、かなり未来を当ててるというか、適切な考察をしてるというか。読み応えあったなぁ。
そういえばというか。八戸に新幹線が来て、今月で20周年だったわ。なんかもう地元に新幹線がある日常が普通になってしまったからか、正直忘れてた。
今は八戸に来る東北新幹線車両は E5 系、H5 系のみですな。あれから新青森、新函館北斗と、東北・北海道新幹線はどんどこ伸びていきましたな。八戸が終点だった時期があったんだなーなんて感慨に浸ったり。
八戸まで開業したとき、車両は E2 系だったな。八戸開業に合わせた形で、マイナーアップデート版の E-2 の1000番台というのがデビューしたっけ。最高速度は 275km/h で据え置きだったけど、両端の車両にアクティブサスペンション装備で全体の乗り心地を向上。さらに車窓を大型化。乗客の快適さに焦点を当てた改良でしたな。
特に車窓を大きくしたのは、基礎的な強度設計に及ぶ設計変更が必要だったんじゃないかと思う。しかも以降の新幹線車両で、あそこまで大きな窓は採用されてないと思う。今の主力の E5 系は元の大きさに戻したままだし。
けど東北以外も含めて、普通の新幹線の窓でも旅客機に比べれば全然大きい。建設が決まったテキサス新幹線、飛行機に比べて窓が大きい点を売りのひとつにしてるらしい。あとシートベルトがない点も。飛行機は鉄道に比べて、どうしてもそこらへんの制限が厳しくなるわな。
八戸から新幹線に乗ると、行き先によっては仙台で新幹線同士の乗り換えがあったりする。そうすると今でも E2 系に乗れたりする。ぶっちゃけスピードも乗り心地も E5 系より劣るけど、八戸開業時の「あの頃」の気分を思い出してテンション上がるよ。
仙台より南だと、E2 系単独運行もあるけど、E2 + E3(昔の秋田新幹線の車両)の連結も現役で走ってるんだよな。かつては E1 系や E4 系っつう2階建て新幹線が近距離大量輸送目的で活躍してたけど、どっちも最高速度が 240km/h だったんで、320km/h の E5 系と共存できずに引退していった。んで今の近距離大量輸送は、275km/h の E2 + E3 が引き受けてるってことで。
つかもっと古い200系はもっと劣ってた。座席の位置によってはすげー揺れたな(車両の前後の端近くがヤバかった)。減速も、以降の東北新幹線より明らかにギクシャクしてたっけ。
最後に200系に乗ったのは2010年。「やっぱし200系の乗り心地はこうだよなー」と思ったものの、懐かしさゆえのポジティブ感が強かったっけな。
東京じゃ家を新築したら太陽電池を設置しなきゃいかんくなったらしいね。おいらは東京住まいじゃないし新築予定もないんで関係ないけんど。
しかし太陽電池パネルの表面ってなんであんなにテカってるんだろ。電気にできるはずの光を反射って無駄だろ。
八戸開業以来、八戸駅には新旧の E2 系が来るようになったわけで。E2 系自体は1997年から走ってたけど、ことさらに嬉しかったのが新名称を導入してくれたこと。「はやて」ですわ。いやこれが事前発表された折、「『はやて』はもともと疫病を表す単語」なんてちょいと物議を醸したんだけど、昔の戦闘機の名前でもあり。速そうなネーミングとして、なかなかよかったと思う。
今も「はやて」は走ってるらしいけど、新青森開業で「はやぶさ」がデビューしてからは時刻表からはほぼ消えた。けど八戸市内には「はやて」という言葉が、店名や企業名で残ってたりする。ていうか八戸駅の立ち食いそば屋「はやて」には、今も時々食いに行ってるww
開業から半年経ったあたり、新幹線 はやて の車内販売で「はやて弁当」を買ったんだわ。箱絵が月光仮面で(♪疾風のように現れて 疾風のように去っていく)、中身は何のことはない幕の内だったww 添付された紙には材料へのこだわりがこれでもかと書かれてたけど、普通のおいしさだったよwwww
なんか写真を撮ったような。おお、これだこれだ。
1,050円か。当時にしてはたっけぇwwwww
E1 系と E4 系の2階建てコンビ、2階(指定席)の車窓からの眺めは格段に良かったけど、1階(自由席)の窓からは防音壁と空しか見えなかったっけwwww
しかも1階席は駅だとこんなだし↓
走り出せばホームの端がすぐ目の前でシュバーっとなって怖いし↓
これで通過駅を全速力で走り抜けるんですよ。なおさら怖かったですよwwww
新幹線の八戸開業の話に戻るよ。
乗ってみてびっくりだったのは、当たり前っちゃ当たり前だけど、八戸から乗って盛岡までの所要時間が半分になったってこと。速い速い。これいまだに乗るたびにびっくりしてるww
それまでは特急 はつかり でさ。盛岡まで1時間10分くらいかかってた。今はだいたいその時間で仙台に着いちゃう。これはいいパラダイムシフト。
盛岡に行く時は今も主にクルマなんだけど、鉄道じゃなくクルマを選ぶからには安くあげたいわけで、下道だと3時間くらいかかったりする。高速道路でも1時間20分はかかる。それが新幹線だと35分ほど。やっぱし速い速い。
盛岡以北の路線は整備新幹線なんで最高速度 260km/h に抑えられてるんだけど、それでもダントツに速い。「次は盛岡、盛岡に停まります」(えっもう着くの!?)と毎回びっくり。今でもびっくり。20年間ずっとびっくり。たぶんこれからもびっくり。
特急 はつかり の時代は、仙台や東京に行く時は盛岡駅で新幹線に乗り換えてたんですわ。在来線ホームは地上の高さ。新幹線ホームは4階くらいの高さ。自由期獲得のためにダッシュですよ4階ぶん。青森県民は無駄に足腰を鍛えられ続けてたww
じゃあ八戸に帰る時は余裕だったのか。いやいや全然。新幹線 やまびこ 3本ぶんの青森県民乗客を、はつかり 1本で収容ですよ。やっぱしダッシュ。階段駆け下りダッシュ。んで はつかり の自由席を狙うんだけど、席をキープできなかったらできなかったでまぁしょうがない。もっと重要なタスクがある。それは発車までの待ち時間で済ませねばならない。
盛岡駅の在来線ホームの駅そばをすする。これですこれ。
味はたぶん、落ち着いて食えば普通の駅そばだったとは思うけど、あの特殊な状況で急いでかき込むそばは格別にうまかったなぁ。
このお店は一時期、車内で落ち着いて食べもらえるように、発泡スチロールどんぶりでの提供もしてたな。けど車内に運ぶときに落としたりこぼしたりが頻発したらしく、そのサービスはなくなってしまった。おいらは店頭での爆速立ち食い派だったんで関係なかったけどww
盛岡駅での青森県民ダッシュ。上り方面に限りだけど、おいらはダッシュしなくていい方法を考案した。それは1997年以降のこと。
秋田新幹線こまち。これに目をつけた。他の青森県民とともに全力で階段を駆け上がって新幹線 やまびこ に殺到しても、盛岡からの乗客が既に自由席のほとんどを埋めてしまってた。この無力感。
けどおいらはもうそこは狙わなかった。
ダッシュしないでゆっくりと上りの新幹線ホームに着く。こまち の自由席乗降の位置で待ってると、進入してくる こまち。 やまびこ と連結するのをそのまま待つ。連結が終わると こまち のドアが開いて、秋田方面からの乗客たちが降りてくるんですよこれが。この人たちは近距離移動なんで、自由席を使う率が高い。それで こまち に乗ってみると読みドンピシャ。自由席がこれでもかと空いてるんですわ。
八戸に新幹線が来るまでは、この作戦でヨユーで自由席をゲットしてドヤ顔でしたわwwww 「県民仲間を欺いて申し訳ない」とか一切考えなかったwwwww
今はどうか知らんけど、特急 はつかり の昔はですな、お盆と年末年始には、「繁忙期」として割高な料金を支払わなきゃならんくてな。
いやーそれって客の足元を見たぼったくりじゃん、と長いこと思ってた。けどそうでもないことに気付くことがあった。
お盆の帰省ラッシュの時期に仙台に行く用があったことがあって。特急 はつかり と新幹線 やまびこ に乗ったんですわ。
客席ガラガラ。おいらを含めて1両に3人くらいしか乗ってない。どう見ても超赤字運行。
繁忙期って、同じ日の上り下りの合計でいうと、そんな大した儲けにならないんだなと理解したですよ。それなのに臨時列車を増発するし、駅での乗客の流れの整理で人員も必要だしでコストかかりますわ。そりゃ割増料金になるわって納得したっけな。
めりくりー! けど特に関係なくww
特急 はつかり 最後の大舞台は、2002年のお盆シーズンだった。のに……。
直前の大雨で、東北本線 盛岡ー八戸の一部区間で線路の盛り土が崩壊。線路が宙ぶらりん。当然しばらくの間運休。
いやーもうなんかね……。
それでも秋ごろには復旧が完了してですね、はつかり の運用が再開したんですわ。
ちょうど東京に行く用があってですね、乗ったんですわ。問題の区間で徐行してたですよ。そりゃそうなるわな。路盤を安定させるには時間を置かなきゃいかんからな。その間は振動や衝撃をできるだけ控えないといかんわな。
その一方、乗客の気持ちとしては、「そんな怖い場所なんか、スピード上げてとっとと通過してくれー」だったww
まぁ東北本線を早急に復旧さてくれたのは、新幹線開業と同時デビューの青い森鉄道・いわて銀河鉄道にとっては幸いだったかと。
今日もめりくりー! そして今日も関係なくw
東北新幹線が新青森まで伸びたのが2011年12月。八戸開業から9年後でしたな。
おいらが新青森まで乗ってみたのは2014年だったかな。やっぱし速くてびっくり。30分もかからなかった。速い速い。けど用事があったのは青森駅近く。新青森駅から在来線で青森駅まで行かなきゃいかんくて。その乗り換えで30分待ちしたですよwwww
そういや2002年5月だったから、新幹線の八戸開業まであと7カ月のタイミングで、特急で函館まで行ったんだわ。
函館の街。駅前に商工会議所の建物があって、でっかい垂れ幕で「新幹線 青森市・函館市同時開業を」みたいに書いてあって。当時は素直に「そんな無茶な」と思ったっけな。
けど新青森まで来たのが2011年。新函館北斗までが2016年。わずか5年遅れで函館まで行ったわけで。
今考えると、そこまで無茶な話じゃなかったんだな。
八戸が東北新幹線の終着駅だった期間は9年間。新青森まで延伸間近ってあたりで、八戸市内じゃ地元新聞が妙な危機感を煽ってた。
「たった9年でターミナル効果がなくなる」と。
なんでも、終着駅は、長い目で見るとその土地の経済を発展させる効果があるらしく。例として盛岡は東北新幹線の終着駅だった期間が20年もあって、それであそこまで発展した、と。
てことで「ターミナル効果で発展する前にただの途中駅になる八戸はもうおしまいだー」的な、終末論みたいなのが出回っててさ。
地元マスコミ発のその論調を鵜呑みにしちゃってる人には、「八戸から新幹線がなくなるわけじゃないし、むしろ北から八戸に来やすくなりますよ」「速達便は確かに八戸を通過するけど1日2本くらい。ほとんどは相変わらず八戸で停まってくれますよ」「北上市なんか最初から途中駅だったのに、東北新幹線が通ってから発展しまくりですよ」となだめたりしてみたり。
八戸の経済にどのくらい新幹線の開通効果やターミナル効果があったのかよくわからんけど、おかげで地元民にはだいぶ便利になったのは実感してますわ。
完全な途中駅になったんで、乗り降りのタイミングで気持ちの余裕が減ったのは事実。けどそれ特急 はつかり の時もそうだったから。
ターミナル効果信者ってのは八戸開業時にもいらっしゃいまして。
「これで盛岡のターミナル効果は八戸がいただき。へっへーんだ」的な人もいらっしゃいまして。
いやあの盛岡は依然として新幹線 やまびこ の終着駅なんだけど、とは言わないでおいたww
新幹線が来るのに合わせて、八戸駅がだいぶ立派になったのも嬉しかったな。
JR 東日本が最初に出した改築案、自由通路の幅がしょぼくてさ。地元としては「百年に一度の機会」ってことで、企業や個人から寄付を募ってデカくした、という経緯があったり。需要よりはるかにでっかくなったんで、なんかいつもガラガラな印象があるけどww
そのデカくした改築案で決まった後、それでも文句つけてる人がいたっけな。
「地平式」という、新幹線の線路とホームが1階の高さになる設計はそのままだったんだけどさ、それに対して「新幹線なのに在来線と同じ高さなのは八戸駅だけで恥ずかしい」とか。
いや同時開業の二戸駅も、東海道新幹線の豊橋駅も地平式だぞ。
まーみんなそんなやつシカトしてたけどね。
新幹線に合わせた八戸駅の改築でありがたかったのは、ホームと列車をすっぽり覆う壁と屋根がついたこと。冬の雪対策なんだけど、同時に新幹線をホームで待つ人にとってかなり快適で。それまでの特急の時代はホームが吹きっさらしでな。冬場はマイナス気温の風を体にもろに受けて、寒くてガタガタ震えて立ってたですよ。
この覆いの全体的な形はナマコ型というか、列車の出入口よりも真ん中あたりが膨らんだ形で。これ、出入口から吹き込む風の速度を落としてくれる効果がある気がする。見た目も未来的だぞ。
覆いの天井に採光窓があるのもイイ。明るいし、ライティングが自然な感じがするよ。そういや自由通路の部分も、窓がでっかくて明るいなぁ。いいカネのかけ方でしたよ(おいら寄付しなかったのはナイショww)
在来線ホームは相変わらず吹きっさらしだけど、すぐ隣の新幹線ホームの巨大な覆いが壁になって冷たい風を弱めてくれるようになったし。しかも在来線はすべて八戸が始発駅なんで、暖かい車内で発車を待てるしな。
在来線ホームでもうひとつ嬉しかったのが、エスカレーターが付いたこと。これはラクチン。バリアフリーの時代に入ってたんでエレベーターも付いた。昔の木造駅舎の頃は階段のみでな(遠い目)。新設の在来線エスカレーターは細い1人乗りタイプだけど、需要に間に合ってる感じかと。
八戸駅で「これが面白い」というのをひとつ聞いたことあるよ。
八戸駅は地平式なわけです。新幹線の待合室の窓からは、ホームの様子を見下ろせるわけです。
1日に1, 2本、通過の列車が通るわけです。
待合室から見てると、自分の足の下を新幹線がドゴーーッ!と走り抜けるわけです。
それがけっこう変な感じがして面白いと評判らしく。おいらは未体験だけど。
おいらが知ってるのは、駅近くの市営?ビル「ユートリー」最上階からの眺め。新幹線ホームの巨大な覆いに、通過の新幹線がスポーン!と飛び込んでスポーン!と飛び出すんですわwwwww これもまたなんだか笑っちゃうんですわ。
ユートリー最上階に行くには、建物内にある管理事務所にお願いに行って、許可をもらう必要がある。最上階には会議室があって、そこを使ってなければ、たぶんフツーに OK してくれると思う。おいらはそれで大丈夫だったよ。
今年もご愛読ありがとうございました。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。
ウクライナでの戦争はまだ続いてるけど、来年はどなたにとっても良い年になりますように。
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