ブルーインパルス初めてナマで見たっす。すげーかっちょよかったっす。
八戸市政施行88周年記念日ってことで、お祝いに演技を披露して下さったですよ。
市街地上空ってことでスタント要素はナシだったけど、編隊飛行と空中で図形を描く動作に惚れ惚れですよ。
あーほんと今日はイイことあった日だった。
ブルーインパルスの皆様、ありがとうございました!
5年前の記事だけど。
バーチャル時代突入。ニューヨークの空港にホログラム案内係がお目見え - カラパイア
元動画もここに貼ってみる。
これホログラムなんだろうか? 虚像が空中に浮かぶのじゃなくてもさ、画面の中で裸眼立体画像とかさ、そういうのがホログラムな気がするが。
これ、アクリル板みたいなのだよね。その表面に2次元の動画像が映る形で。裏表に同じ画像が出るらしい。やっぱしホログラムと呼ぶにはなんかおいらは抵抗ある感じ。
けどその映写機構には興味があるなー。どうなってるのかよくわからん。たぶんこの表示部分の中には、あまり複雑な機械は組み込まれてない気がする。ドンガラはアクリルかポリカーボネイトの素材のまんま的なもので、表面加工や表面材質の工夫で、側面にクリアな映像が出るっつうものな気がする。で、精密・高価な機械部分は、下の土台部分に全部仕込んであるとかさ。
そうだとしたら、それはそれでかなり革新的な道具なんじゃないかと。モニタの表示部にカネかけないで済むってのは、大きくて破損しやすい部分が安価に取り替え可能ってことなんで。かなり薄型に仕上がってるし。
ノート PC のモニタになったりしてな。さすがに反対側は目隠しの形になるだろうけど。
つかそういう PC、ルバン三世の映画版4作目に出てきてたような。ふーじこちゃんがすげースピードでタイプする PC のモニタが、こんな感じの透明な板に文字とか光って出てたような。いや、何もない空間に出てたんだったっけか。覚えてないし、特にまた見てチェックしたいとも思わないw フォントが Chicago だったのは覚えてるww
穴埋めというかで 2017.3.21 の続き。
実際の八戸の市街地の駐車場ってどうなのかっつうと、有料だらけなわけで。けど足りてないんですわ。特に月極はギチギチで、なかなか空きを見つけらんないらしいんですわ。となると月極が確実ってことで、駐車場の適地がどんどん月極になっていくと、時間貸し駐車場もまた足りなくなっていくと。有料だろうが構わず、駐車場がもっともっと必要な事態なんですわ。
この状態で、固定資産税やら維持費やら支払いつつわざわざ無料駐車場をやる人なんていないわけで。
クルマでの買い物客が街より郊外に行きたがる理由として「街は駐車場が有料だから」はアリとは思う。けど問題点はそれだけじゃないってこと。
「駐車場が足りない」「駐車場を探すのが面倒」
ここらもまた大きな問題なんじゃないのかと。
けど街なかに空いてる土地を持ってる土地主さんからすると、有料駐車場は手堅く稼げるけど、20年30年の銀行ローン組んでごっつい立体駐車場を構えるのってかなりの勇気が要るわけで。となると、アスファルトに白線を引いただけの青空駐車場が手軽でいいわけで。
そうなると土地面積あたりの収容台数の効率が悪くなるわけで。んで「駐車場が足りない」と「青空駐車場でも儲かる」が成り立ってしまってるわけで。それが、クルマのお客さんが市街地に行きにくくなる原因になるわけで。
結局これ、何が何でも自前のクルマで買い物に出なきゃいけないお客さんにそこまで合わせる必要があるのかってことにもなるかと。
クルマで市街地に来る人は郊外に住んでるわけで。市街地はその需要にもともとあまり合わないのではないかと。合わせるには、膨大な資金と時間が必要なんではないないかと。
市街地にいきなり歩いて来る人、バスやタクシーや鉄道で来る人、ご家族やお知り合いのクルマに乗せてもらって来る人。ここらへんの取り込みを強化したほうが効率的な気がするが。そういう人たちを増やしていくとか。
美容院は街中でも商売になってる気がする。でっかい商品を買って持って帰る系の商売より、サービス業なんですかねぇ。したら物販系はショウウインドウ方式で、お客は注文したら手ぶらで帰って、あとで家に届けさせる形をメインにするとか。って今、物流危機なんだよな。
JR 東日本がリリースした超高級寝台列車 四季島、すごい話題ですなぁ。
その一番列車の出発はこれがまた、撮り鉄からの防御も完璧っつうのが話題になってたりしてな。ホームは乗客と関係者以外立ち入り禁止で、隣の線路には回送列車を置いて目隠ししたとか。
一般人には「さすがだなー」と概ね好評っぽいけど、撮り鉄の方々はがっかりだったらしい。ごく一部だと信じてるけど、自分が勝手に鉄道写真を撮るっつう目的のために、現地で周りの人たちに迷惑かけまくる輩っているからな。妥当な処置だと思う。
んでまぁ四季島の件に絡んで、その道の人が反論を展開してるっつうのが晒されとりまして。そして当然なツッコミされまくり。
撮り鉄はこんなに金かかってんだぞ(# ゚Д゚)!→JR関係なくて草 - 億ったー
おいらがツッコみたかったことは既に皆さんがツッコんでおられるんで、ここでは割愛。
ほんとごく一部の撮り鉄が、ということだとは思うけど、こりゃ話が通じない感じ。
シェルコマンドで HTTP 文書をいきなり取得できるっつうのを、こないだ初めて知ったですよ。
シェルスクリプトで HTTP リクエストを行う最も原始的な方法 - Qiita
curl コマンド。
これすげえな。これ仕事で使えるわーと思い、ついに今日、該当ページを curl で拾ってみた。
気象庁の過去データ なんだけどさ、結果から言うとダメだった。気象データ拾えない。
ブラウザ上でソースを表示すると見えるのに。なんでダメなのかわかんね。
明らかに自動生成ページなんで、curl で拾う方法はそういうのに弱いのかもな。
Google じゃ5年も前にそこらへんはクリア済みなんだよな(記事)。Google すげえな。そういうことできちゃうんだもんな。自力でブラウザ作るんだもんそりゃこのくらいできるか。
そういえば、おいらもその恩恵にあずかってるんだった。
ほぼじゅびふぉ は Google に招待状を出してクローラーに来てもらってるんだわ。
ほぼじゅびふぉ のトップページは、楽曲リストなわけで。リンクをクリックでそれぞれの楽曲ページに飛ぶわけで。このリスト作成は JavaScript でやっとりまして。招待状を出す時点で、クローラーがトップページの構造とリンクを理解してくれるかどうか、リンク先も漁ってくれるかどうかが不明だったんですわ。けど難なくやってくれた。
「ほぼじゅびふぉ」とか "almostjuby" とかでググると、楽曲ページがもりもり出てくるんだわ。その手のサイトも余裕で処理ってことで。
つかおいらごときが手作りでこね回した JavaScript をよくぞ読んでくれたって感じ。
最初に出した Qiita 記事のタイトルからすると、HTTP リクエストはもっと凝った方法があるらしい。おいらに理解できるものかどうか知らんけど、気象庁サイトから自動で好きにデータを抜けるくらいなんだろうか。
てことで curl コマンドはダメだしそれ以上はおいらができないしってことで、気象庁サイトからのデータ取りは旧来の方法でと。JavaScript なんだけどね。気象庁の該当ページを丸ごと選択・コピーして、その JavaScript 画面のテキストエリアに貼り付けると、内容を自動処理するっつうやつ。出力をまたコピって、作ってある表計算に貼り付けると。その手間が惜しくて curl コマンドに期待したんだけど、また JavaScript に戻りますか。
ってこれが一部どうもうまく動かなくて、出力データのその部分は長らく手作業で整えてた。
一瞬希望を見せてくれた curl が敢なく敗退ってことでなんだか踏ん切りがついて、ついにバグ修正をしたですよ。かなり予想外な部分がおかしくて。長らく目星をつけてたところは処理の末尾近くだったけど、実際はかなり上流っつうかほぼ最初の部分がおかしかったww 後ろからずーっと手繰って最初まで。造りなんてもう忘れ去ってたのを全部思い出したwww
つか、かつて作った力作部分を完全忘却してて、そのアイデアをまた何日もかけて最初からひねり出して、書き始めてから全く同じものが既にあったことに気づいたっつう蒙昧ぶりww
原因判明とデバッグ完了で、なんだかすげーすっきりな日でござった。
しかしなんで curl コマンドってカールなんだろと思って。辞書で見ると「巻き髪」「渦巻き状のもの」とかのあのカールだし。「それにつけてもおやつはカール」と同じって何なんだよと。
で、字面をしげしげ見るに "cURL" なんだなと理解。
"c" の由来はわからんけど、なんかこれで覚えられそう。そういや curl コマンドって10以上前に FreeBSD をいじってた時分にお目にかかってたような気がしてさ。けど覚えらんなかったわけで。今回は由来が少しわかったんで、覚えられそうな気がするっす。
映画監督・黒澤明。作品見るに、この人どうも「鉄分多め」な人だった感じ。んでまぁ撮り鉄とちょっと違うけど、作品でけっこうその方向を見せちまってたって感じがして。まー映画を「撮る」のに鉄道がよく出てたっつう、ちょっと苦しい拡大解釈な「撮り鉄」。
1963年公開の「天国と地獄」がかなりキてるような。誘拐事件での身代金の受け渡し場所は、特急 こだま の車内。この撮影、こだま 貸し切りをやってのけたそうな。車窓からの背景もまた大事な要素なんで、全部一発撮影。キャスト・スタッフは事前に綿密に段取りとリハを繰り返したらしい。事前に普通に乗車して確かめもするわけで。その時「あの家が邪魔だ」で沿線の民家の2階部分を撤去(そりゃまぁ家主ときちんと交渉したんだろうが)
なんか特急 こだま の車両の構造を知るために国鉄に電話をかけまくって質問攻めにして、先方に何やら疑われもしたらしいww
鉄道マニアックなセリフもあったな。「あの列車はこういう音だ」なんてのは、横浜駅の乗務員役の沢村いき雄が面白くやってたな。
江ノ電も重要なキャスティングでな。犯人のアジトを割り出すあたりで重要な場面に使わてた。
『どですかでん』(1970)の原作は山本周五郎の「季節のない街」だそうだけど、映画の方のタイトルは電車の擬音。原作小説でこの言葉が登場するらしい。んでこの作品の冒頭では、「監督 黒澤明」と書かれたプレートの電車が発車する。オムニバス風の物語内で鉄道に関係するのは、最初と最後に登場する六ちゃんという少年のみだけど、この六ちゃんがまた見事なパントマイムで電車の始動と発進を見せてくれる。
六ちゃんはそのまま電車を運転してるつもりで走り出す。すると近所の子供達が「大丈夫かー!?」と石を投げてくるっつう、もうなんだか、もうなんだか……。
あの頃の黒澤は精神的に疲れ切ってたらしく(白黒シネスコ路線の集大成的な超大作『赤ひげ』[1965] の後、ハリウッド絡みの大型企画2本でかなりひどい目に遭った)。どうも自身の状態と境遇を六ちゃんに投影させてたんじゃないかって感じ。『どですかでん』公開の翌年に自殺未遂してるしな。
『夢』(1990)のゴッホと出会うエピソード。ゴッホは「機関車のように」と言いつつひたすらに描き続ける。そこに蒸気機関車の映像が入ってくるってのがなんだかベタな感じがしたけど、今なら言える。
あんたどんだけ鉄道好きなんだよ。
つかこのベタなイメージ挿入って、続く『八月の狂詩曲』(1991)でも出てたな。「原爆の目」で。登場人物の記憶や、それを聞いた登場人物の想像として、っつう建前がつくけど、ベタな感じは免れないような。ってことで『夢』の機関車カット挿入も、「鉄道好きだから思わずやっちゃった」ってわけではなさそげ。しかしあの機関車の映像は、それ単体だとすげーかっちょよかったなぁ。
遺作の『まあだだよ』(1993)だと、東海道線の駅を順に全部言えるのが特技な登場人物ってのがいたな。役者さんたぶん全部覚えて、そのシーンの間じゅうずっと言ってたww シーンの区切りでちょうど言い終わるっつう神業やってたwww
『天国と地獄』以前だと、おいらが観た中では『酔いどれ天使』(1948)だったか『野良犬』(1949)だったか。鉄道沿いの居酒屋か屋台か(うろ覚えでスマンす)。電車の通り過ぎざま、酔客の「今何時?」に店の人が答えるには「今のは○時○分発だよ」。鉄オタな場面ってわけじゃないけど、なんかイイ感じのやりとりだなーと覚えてて。
まーそんな感じで、黒澤を鉄オタとするのはちょっと無理があるけど、なんかやっぱし「鉄分多め」な人だった気がしてしょうがない。
ちなみに晩年にいつもかぶってた鉄道員っぽい帽子は、別に鉄道とは関係ないらしい。ソビエトに招かれて作った『デルス・ウザーラ』(1975)撮影時からかぶってたものだそうで。
『デルス・ウザーラ』でのシベリアでのロケ撮影は過酷を極めたらしい。以後の撮影時はその帽子をかぶって、あの時に比べたら大したことない、と思うようにしたんだとか。
黒澤監督は結局、アメリカの映画界とは合わなかったんだろうな。むしろソ連の映画界と合ったってのがちょっと面白いというか。
黒澤は『赤ひげ』で、日本国内でやりたいこともうみんなやっちゃったって感じだったのかな。日本の映画業界の側も斜陽化の歯止めが効かなくなってて、製作にカネのかかる黒澤は敬遠してたらしいし。黒澤作品は、出せば必ず大入満員御礼ってわけじゃなく、ときどき興行的にコケてたしな。日本の映画会社から見れば、ハイリスク・ハイリターン過ぎな人材だったと。
てことでアメリカに活路を求めた黒澤。『暴走機関車』っつう企画を持って行ったけど(おお、まさに鉄道ものではないか)、なんか20世紀フォックスとの交渉を一任した人がどうもイマイチで、グダグダ化の挙句にポシャってしまったと。1985年にアンドレイ・コンチャロフスキー監督で映画化したけど、脚本はかなりいじられたっぽい。黒澤の名は "Inspired by" と出てたな。「発想の元になった」という扱いにまで小さくなってたと。
『暴走機関車』の交渉がダラダラと続いてる間、同じく20世紀フォックスから打診されたのが『トラ・トラ・トラ!』の日本側監督。こっちは撮影に漕ぎ着けたものの、すったもんだの末、途中で監督から降ろされてしまった。
んで低予算で『どですかでん』を作ったものの、その時の荒んだ気分が現れたのか、内容的にジメッとしてて。そんなこともあってか興行的に大敗。翌年に自殺未遂。そんな折にソビエトに招待されての『デルス・ウザーラ』という流れ。
シベリアロケが過酷だったとはいえ、かなり素晴らしい待遇でもあったらしく。撮影隊専用道路を建設してくれたとかww きっと専用鉄道だったらもっと喜んだに違いないwww
共産主義国家だからな。海外の有名監督を招いて映画を作るっつうと、国家の威信がかかりまくってたんだろなぁ。作品自体にはプロパガンダ要素はないものの(帝政ロシア時代の設定なんで)、「我が国は芸術に理解があるのですよ」とポーズを作る的なプロパガンダに役立ったかもな。
つかソビエト側としてはそれが目的だったんだろ。あとアメリカとの有人月探査競争もソ連の負けで決着して、関連する開発をしなくてよくなって(それ用の恐ろしくでっかいロケットを開発してたけど、トラブル続きでモノにならずじまいだった)、国家予算にいくらか余裕があったのかも。ベトナム戦争が終わった後だしな。
『デルス・ウザーラ』は、アカデミー賞の外国語映画賞を取ったりで評価が高かったらしい(つかアカデミー賞委員会も、米ソ冷戦の真っ最中によく決定できたな)。静かな映画だけど、見応えあるしな。
日本に居場所がなくなり、アメリカには(映画界の政治的に)コテンパンにやられて失意のズンドコだった黒澤を、見事に蘇らせてくれたのはソビエトだったと。
環境副大臣が「(室温)28度は不快な温度」と発言したそうで。続報には、
クールビズの冷房28度、当時の環境省課長「なんとなく決めた」 科学的根拠なし - HUFFPOST
という記事もあれば、
環境相「クールビズ、室温28度には根拠ある」 - 日本経済新聞
という記事も。同じ朝日新聞系列にして、なんと今回は対立の両者の意見をきちんと載せておる(そこか)
カンカンガクガクってやつですか。
あのさ、同じ28度でも、不快か快適かは湿度でだいぶ違うんですが。
絶対の指標ではないそうだけど、不快指数 ってあるじゃないですか。その表を見るに、室温 28℃ なら湿度 70% 未満だとそこそこいけるってことらしいが。
八戸の梅雨の時期は気温が低めなんだわ。25℃ 前後とか。けど湿度 100% だったりして。じっとしてると涼しいけど、ちょっと体を動かすと汗が止まんなくなる。まさに不快。
やっぱし不快かどうかは温度だけでなく、湿度も同じくらい大きい要素のはずだが。
なんで環境大臣・副大臣が揃って、不快・快適を温度だけで語ってるんだ? どんだけ素人だよ。
つか不快指数なんてのを持ち出さんでも、今まで生きてきた経験でわかると思うんだが。
「省エネ・環境保護のためエアコンの設定を 28℃」って、どう考えてもその数字は目安なわけで。どうしてもその温度にしなきゃいけないってわけではなく、あくまでも「世の中の皆さん、だいたいこのくらいでお願いします」っつう指針なわけで。
間違いの始まりは、そこを「絶対の義務」と取り違えてるところからってる気もする。しかも湿度のことを忘れ去ってるし。
なんだかなぁ。
生物学の用語で 脳化指数 というのがあるそうで。大雑把に、どの動物がどれだけ頭がいいのかの指標だそうで。
計算式は、[EQ] = [定数] × [脳の重量] ÷ [体重]2/3 だそうで。
ネコよりカラスの方が頭がいい説の根拠によく使われたりする。
確かにネコはおバカだけど、この場合はフェアじゃないだろ。鳥類に比べて哺乳類は、骨が同じ体積あたりで重い。ていうか鳥類の骨が特段に軽い。どうしても哺乳類が不利になる。
ネコとカラスの異種間比較だからそんななのかなと思いきや、Wikipedia 記事によると「とりわけ、同種の間での比較に使うのは難しい。たとえば、イヌの主要な品種の中で最も脳化指数が高いのはチワワであるが、チワワが大型犬より知的ということはない」だそうで。あんまし当てになんない指標っぽいな。
「脳化指数は、その体重に見合った脳の大きさに比べてどのくらい大きい脳を持っているかを示している。ただし、それが等しければ同程度の知性であるという先験的な理由は乏しい」「知性には脳の多くの特徴が関与しており、脳化指数だけで判断することはできない」とも書いてある。
動物の頭の良さの度合いとして金科玉条扱いするには、脳化指数は単体では頼りなさすぎるってわけで。
「イルカやクジラは脳が大きいから知性が高い。人間の○歳児並み」とか言ってる人いるじゃないですか。知性が比較的高そうだなーとはおいらも思うけど、この論は脳化指数で語ってるような気がして。
つか人間の○歳児って言葉をけっこう操れるじゃないですか。そのくらいの論理構成力なり理解力なりを、イルカやクジラは本当に持ってるもんなんだろか。頭が良さそうとはいえ、どうもそこまでではないようにも思える。
ていうか言っちゃなんだけど、海の中での暮らしってそこまでの脳を必要としないんではないのかと。魚類なんてかなり知能が低そうだし。いくらイルカやクジラが哺乳類だからって、魚類と一緒くたに泳いで暮らしてるって時点で、高度な脳の使いどころはあんましないんじゃないかって気がする。
映画『ザ・コーブ』で有名になってしまった太地町の海で、イルカは毎年同じ猟法で何十頭も狩られちゃうんだぜ。生き残ったイルカに本当に人間の幼児並みの知性があるんなら、状況から学習して、次の年からその海域に行かないようにするとか考えるんじゃないですかね。
現実のイルカにはそれができてないわけで。
てことで、どうも「イルカやクジラの知性は人間の○歳児並み」ってのはマユツバなような気がする。んでもしかしたらその説の論拠が、脳化指数っつう、単体じゃ頼りになんない指標なんじゃないのかと。もしかしてこの仮説が正しいなら、「イルカやクジラは知性が高いから殺すな」ってのはどうなんだってことになるな。
てかチンパンジーなんてイルカ・クジラより知性が高いだろうに、医学の動物実験でバンバン殺してるわけだが。これに異議を唱える人たちはいるにはいるらしい。けどあんまし大々的な運動には成長してないね。
つまりあれですか、漁業よりも医業・製薬業の方が経済力・政治力が強いからっつうことなんですかね。製薬業界ってアメリカが強いらしいしな。
先月8日のログ の続き。「日本人の聴覚は特別」説にギモンを持ったっつうネタだったんだけど、調べたらもう少しわかったことがあったんで。
この説の言い出しっぺは、医学者の 角田忠信 氏。著書『日本人の脳』(1978)で、件の説を一般公開したらしい。その概要は、
なぜ日本人には虫の「声」が聞こえ、外国人には聞こえないのか? - Infoseekニュース
に書いてあるよ。記事では1987年のこととして書いてあるけど、著書の発行年から、たぶん1978年が正しいのかな。
んで Wikipedia「角田忠信」には、「『日本人の脳』は日本人の特殊性を説明する日本人論の一つとしてマスコミに多く取り上げられたが、批判もある」と書いてある。その批判の情報を集めたブログも見つけた。
虫の声を聞き取る日本人の脳は特別か? - 火薬と鋼
このブログ様に出てる「一般メディアには受けたが学術的には評価されなかった」「角田説は科学的な手続きや検証を十分経たものではなく、通俗的な日本人特殊論で使われているに過ぎない」が真実なのではないかと。
ところが最近は日本人の自賛ブームに乗って、そっと埋もれたままにしとけばよかったこの話題が掘り返されてしまった、てな感じですか。
上に書いた Infoseekニュースもブログ様も、先月取り上げた
【衝撃】虫の鳴き「声」は日本人にしか聞こえない!? 最新研究でわかった外国人との“脳の違い”が誇らしすぎる - Infoseekニュース
も、今年付の記事なんだよな。この話題がにわかに盛り上がってしまってるのがわかるってわけで。
しかし同じ Infoseek ニュースで、1月10日付の「なぜ日本人には虫の『声』が聞こえ……」で「1987年」(たぶん1978年の間違い)っつうけっこう古い話として紹介してるのに、4月13日付では同じネタを「……最新研究でわかった……」としてる。何すかこれ?
前にも書いたけど、4月13日付の根拠は、アマチュアの日本語研究家(脳生理学・脳科学の素人と思われ)が、恐らくソースを出さずに記者に紹介した情報だし。
Infoseek ニュースってかなりいい加減な媒体なのはわかった。あんまし信じないようにすべ。
てことは巷ではしばらくの間、この説がまことしやかに語られ続けることになりそうだなぁ。我慢して愛想笑いで聞き流すのが一番っぽいなぁ。
「日本には季節がある」の時みたいに、有名人がバッサリぶった切ってくんないかなぁ。
この説には、日本人にとって都合のいい効能がもう一つありまして。
「日本人は英語がわからない」の言い訳に使えちゃうんですわ。
「日本語の環境で育った脳での言語処理構造は外国語環境育ちとは違うんで、日本人にとって外国語は難しいんですよ。その代わり自然の音を言葉として捉えられるという、特殊な能力が身につくんですよ。どうです羨ましいでしょう」てな感じで。
外国人に笑われてるネタを、逆手に取って一発逆転の必殺技と。
いやさ、この説、音声の話のみじゃないですか。聞き取りと喋りだけの話じゃないですか。だったら「日本人は英語の読み書きならそこそこいける」となるはずじゃないですか。そうはなってないような。
本当に立証された確定事実なら、これで堂々と「日本人だから英語ができなくてもいいんだ」と言えもするんですがね、その根拠がどうも怪しいってのがね。
てことでここらへんの話は今のとこ、あくまでウワサ程度の代物なわけで。
信じて吹聴してると、ある日突然バツが悪いことになるリスクがあるわけで。
たぶんこれからしばらく、もしくはずっと、この怪しい話を鼻にかけて話す人たちってどんどん増えていくと思う。やっぱし我慢して愛想笑いで聞き流し続けていかなきゃなんないのかなぁ。
ネット上のデマというか都市伝説というかで、最近どうにかなったのがあったな。
マンボウ最弱生物説。面白いネタが列挙されててさ、実はおいらけっこう信じてた。
ところがある水族館のマンボウ飼育担当者が、新聞とかでマンボウの本当のことを何度か丁寧に説明して、その度に「ネット上の最弱伝説はウソですよ」「ウンチクとして語っている人がいたら、やんわり否定してあげてください」と優しく語っておられまして。
そして、マンボウ最弱生物説は見事に消え去った。
この件で思うに、正論でもってデマをひっくり返すのは、ケンカ腰じゃかえってまずいのかなぁと。慈愛に満ちた態度で諭す、というのが一番効き目があるのかなぁと。
ただケンカ腰だろうと慈愛だろうと、やっていいのは本物の専門家だけな気がする。やんわりでも、否定された相手は顔色を失うじゃないですか。気まずくなるじゃないですか。そこがどうも。
脳科学に素人なおいらの立場だと、これからだんだん威勢良くなっていきそうな「日本人の聴覚は特別」説にリアル社会で逆らっちゃうと、孤立するだけかと。そしたら鎮火を他力本願で願っていくしかないわけで。とりあえず、日本人の脳ウンヌンに限らず、リアル社会じゃ威勢のいい声を出す一人にならないようにすべ。
ってこの説、かなりまことしやかな構造になってしまってるわけで。研究の核心部分がぼやけてるのに、傍証っぽいエピソードは充実してる。「巧妙なウソには、信じさせるために真実が幾分含まれている」に似た構造ですな。
この説がウソだとは確定してないけど、信じてしまった日本人がそこかしこで吹聴し始めると、同調する外国人もまた増えていくだろうな。日本好きの外国人は、このロマンチックな説を特に信じて広めることだろうな。
そのタイミングでもし「ウソ確定」となった場合、日本人と日本好きの人にとって、けっこうな信用ダメージになる気がするが。
あーびっくりしたー夢だったかー。
いやさ、鼻毛をブチっと抜いたらさ、20センチくらいあってさwwww
「すげーなげーこれなげー! これとっとくべーとっとくべー!」ってもうテンション上がりまくりでさ。
夢だったかー。現実ならなぁ。記念に額縁にでも入れてとっとくとこだったのにwwww
黒澤明は白黒映画にかなり長くこだわったわけで、初めてのカラー作品『どですかでん』は1970年公開。
以後ははっちゃけた色使いの作品が多かった。なんで長らく白黒にこだわり続けたんだって感じ。
まー『どですかでん』はそこらへんやりたいこととやれることとの折り合いがつかん感じで、場面によってちょいと悪趣味な感じもあったかな。日雇い労働者の服のセンスの凄まじさとか。
カラー2作目の『デルス・ウザーラ』(1975)は主なロケーションがシベリアの原野ってことであんまし色は多くなかったけど、最後の方の虎のカットは極彩色でな。神様のイメージな気がするけど、派手な色使いしたくてたまんなかったってのもあったのかも。
その次は『影武者』(1980)か。作品全体的な色合いとしては、淡くて青っぽい感じが印象的かな。けど時々「ふおおおお」ってのが出てきてたな。武田軍の中で、お館様死亡説が流れる場面とか。信玄絶命の背景とか。クライマックスの長篠の合戦とか。色を制御できてきたというか。
つかおいらのしょうもない発見で、「『影武者』はテレビを白黒モードにして観るとカッコイイ」ってのがあってさ。もしかしたらこの時代は、日本映画が、あるいは黒澤の意識や技術が、まだ白黒時代を引きずってたのかも。
お、「影」が夢を見る場面は外せんな。他のブログ様を見るに、「悪趣味」と斬って捨てる意見もあるね。おいらは肯定派だけど。つか時代劇って色彩が地味になりがちだと思う。てことで夢の場面くらいはド派手でいいような。この場面でおいらが気になるのは、セットがちょいと狭いってあたり。今ならデジタル合成で無限の広がりを出せるけど、あの当時は無理なわけで。派手で凝り凝りな書き割りホリゾントのサイズ制限もあったろうしな。当時の限界だったろうけど、結果的に「箱の中」っぽい感じになってしまってて。
小林正樹監督の『怪談』(1965)での壇ノ浦の合戦の場面ってちょっと似てるなぁ。『影武者』の15年前の作品なんだけど、書き割りの背景でのセット撮影って状況が丸見えで。つか「どうせセット撮影がバレバレなんなら」とばかりに、背景の書き割りの美しさにすごくこだわってるわな。もしかして『影武者』のあの場面のビジュアルって、『怪談』からアイデアをいただいてるのかな。
とりあえず『影武者』で主人公が見るヤバい夢を描写ってのは、『酔いどれ天使』(1948)のセルフカバーでもあったりする。
『影武者』の次は『乱』(1985)。『影武者』とは全然違う、意外すぎるポップな色合いにびっくり。実際の歴史ベースとシェイクスピア劇の翻案っつう違いはあれど、ジャンルは同じ戦国時代劇なのに。当時の宣伝文句とかから、両者はなにがしかを分かち合う作品シリーズと思ってたのに。『影武者』で重厚感だと思ってた色合いが完全否定された気分。けど全体の出来としては全然軽っぽくないし。
なんでも当時の黒澤は視力の衰えを自覚してたらしく。自ら編集もする都合上、編集室でフィルムのコマがよく見えるように開発された色合いだとか。『影武者』以降はビスタサイズで行くことに決めたってことで、コマの上下が黒帯状態なわけで。ことさら小さい画像を見なきゃいかんくなったってのもあったのかも。
つかそんな都合があったにしても、じゃあそれだけなら単にどぎつくてオエーッて色になりそうなもんだけど。それがキレイでカッコイイってのがね。そこはプロだよなぁ。カメラマンと照明と、綿密に打ち合わせしつつ練り上げたビジュアルなんじゃないかと。
んでそのスタイルのまま『夢』(1990)、『八月の狂詩曲』(1991)と続くわけで。これが黒澤カラーの完成形なんではないかと。ハリウッド式の渋い色と陰影の路線と真逆だからな。人によってはこの色彩がどーも、てな向きもあるかもだけど、おいらはメロメロ。
ハリウッドとの違いって、決定的なのは照明とカメラ設定なんだろうけど、フィルムのメーカーの違い(アメリカ:コダック、日本:富士フイルム)とか現像の工程とか、そこらも影響してるような気がする。
んで「黒澤天皇がそうなら日本映画界もそう」なんて感じだったのか知らんけど、この手の高彩度・低コントラストな色使いはそれからしばらくの間、日本映画によく出てくるようになる。東宝系が多かったような。『帝都物語』(1988)、『山田村ワルツ』(1988)、『稲村ジェーン』(1990)『ヒルコ/妖怪ハンター』(1991)がこんな感じだったな。
(ハリウッドに比べて)低コントラストなのは前々から日本映画で多かったけど、高彩度かつ上品な軽さが加わったのが特色だったと思う。おいらが好きだったこのスタイルも、しばらくすると元に戻ってしまったんだけどさ。
つか黒澤の遺作になった『まあだだよ』(1993)ではもうやめてしまってた。「元祖あの色」を期待してたぶんがっかりしちまったですよ。
『まあだだよ』の色で印象的だったのが、当時の世界的な流行だったと思われるアンバーの色合いを使ったってことかな。宴会の部分がそれ。『KAFKA/迷宮の悪夢』(米1991、日1992)、『ロボコップ3』(1993)、『![ai-ou]』(1991)あたり。夜の室内の場面で出てくる。
無理にでも極彩色をねじ込んでくる映像作家・黒澤、っつう見方だと、『まあだだよ』だと百閒先生の家の四季の場面、それとラストのキョーレツな夕焼け雲だな。
四季の描写は、季節おきの風景の色が、同じ被写体・同じアングルっつう固定物を軸に、観客の印象の中で極彩色が作られていくっつう感じで。これはこれで面白いというか。
夕焼け雲は、もしかしたら『影武者』の夢の場面で果たしきれなかったスケール感をリベンジしたかったのかも。同じく夢の中の場面だし。
『夢』だと1話目のラストは空に虹がかかってるわな。この時代のデジタル合成技術は未完成だったけど(ゴッホの話でハイビジョン合成が使われてる。完璧ではないのが見て取れる)、アナログでの特撮技術は、場合によってはかなりいけるとこまで来てたわけで。『八月の狂詩曲』だと、クラークさんがハワイに帰る飛行機を見上げる場面の空も特撮だわな。ピチッとキレイにキマリすぎて特撮だとわかってしまうという、なんか逆に行ってる例だったりする。
あの色合いってもう復活する目はないんだろうか。黒澤映画じゃなくてもやってたってことで、やればすぐできそうなような。けどあれってフィルムじゃなきゃ出せない色な気がする。んーでもフィルムの特性を設定に織り込めば、デジタル映像でもレタッチでけっこう再現できるんじゃないかとか。
映画の色として、アンバーは青と組み合わせるとキレイなんだけどさ、どうも西洋だと背景が青ってのは基本形らしく。超基本は黄色と青の組み合わせ。被写体に黄色いライトを当てて、背景は青いライト。補色の関係で、絵が際立つってことだと思う。赤と青緑も補色だけど、かなり悪趣味な絵柄になりそう。黄色と青だと寒色・暖色の組み合わせでもあるんで、キマリやすいのかもな。日暮れ直後の景色と暖炉や焚き火の色の対比、夕方の西の空と東の空の対比。人間の生理的な感覚にも合うのかな。
んでそのバリエーションとして、アンバーと青ってのもなかなかキレイな組み合わせだったと。
ロシアでリメイクされた『12人の怒れる男』(2007)で、久しぶりに正統派の青と黄色系の組み合わせを見たような。黄色がピンク寄りだったのが新しい感じだったな。
そういや最近、自然の色にはあんまし紫色がないような気がしてさ。花の色は別として、もっと物理現象的なというか、自然界の光源に紫が少ないような。と思って。
虹の青の隣は青紫だね。とりあえずあれがあったなーとか。しかしあれも、人間の目には波長が長い順に赤・緑・青の3つの純色を感じ取れるとか言いつつ、なんで青の外側の色が見えるのかってのがいまだに謎。その色がなんで赤寄りなのかってのもまた謎。
でさ、もひとつ見つけたですよ。
夕方ですよ。空の西側は赤・オレンジ。天頂と東側は青というか藍色というか。この組み合わせで紫が出ないはずがないわけで。
今まで気にしたことなかったけど、建物が微妙に紫がかって見えたりするんだね。
それじゃ夕焼け空と藍色の青空の間も? とか、地色が白な雲は赤側と青側の両方から照らされてるんじゃ? と気にしながら見てみると、けっこう紫を見つけたですよ。
夕方っつうと茜色って感じですな。あれも紫の一種じゃないかと。
茜色 - 日本の色・和色
で見ると、「R:183、G:040、B:046」で、赤ベースに青がほんのり混じってる。ほらなーやっぱし。
つか前に WEB 色見本のピンクの16進数コードを見たら #ffc0cb でさ、微妙に青が混じってるってのを知ってびっくりだったっけな。実はピンクも微妙に紫がかってたと。それが本当のピンク色だったと。
じゃあおいらがピンクだと思ってた色は何だったのかと、ブラウザ上で単純に赤を白っぽくしてピンクを作ってみた。そしたら色見本のより黄ばんで見えてしまってな。色覚ってそういうもんなのかー、と妙に感心したっけな。
タイトルどおりというか。あと、青文字は画面にめり込んで見えるというか。暗い背景だとそうなるような。
ここでいっちょやってみっか。
浮き上がって見えるかな。 めり込んで見えるかな。 |
おお、とりあえずおいらのモニタ(iMac 2009年モデル 20インチ液晶)だとそう見える。けっこう昔、ガラケーサイトで気づいたんだよな。ガラケー画面特有の具合ではなかったと。
これ白背景だとどうなるんだ?
浮き上がって見えるかな。 めり込んで見えるかな。 |
高度差なくなった。暗い背景が必須なんだな。
ずっと前に『特命リサーチ200X』だったかで、色の見え方や色から受ける印象の話をしててさ、赤い物体は実際より少し近く見える、青いものは実際より少し遠く見える、っつうこと言ってたな。
これのことなのかな。
赤は血の色ってことで、「危険の知らせや注意を向けるべき色」として人類は捉えるようになり、その影響で、てな説明だったかと。ってことはそれは脳内の画像処理のデフォ機能っつうソフトウェア的な話だわな。んでこれだと、青が遠く見えることの説明になってない。
単純に、各色の波長でのレンズの屈折率の違いな気がするが。それで赤と青とでは焦点距離に違いが出来て、だからたまたま赤が近く見えて、青が遠く見えるっつうハードウェア起因な気がするが。眼球っつう機材の特性上、仕方なくそうなってしまった形なんじゃないかと。
浮き上がり量・めり込み量が微量ってのもな。今モニタを見た感じで 1〜2mm 程度でしかない。特定の条件じゃないと、意識できないくらいほんのちょっと。
「赤は注意すべき色だから、近くにあるように見せて目立たせる」ってんなら、もっと大胆に浮かせないと意味がないような。
モニタみたいに自ら発光するものじゃないと効かないのかな。それとも黒い紙に鮮やかな赤文字・青文字で高度差が出るもんなのかな。そこはめんどくて、今んとこ試す気になれず。
あの現象、「マウンティング」って言うのか。
マウンティング男子と女子の違い、その行為と対処法とは - キャリトピ|転職@type
3年も前のドラマ発で流行語大賞にもなった言葉だったのか。全く知らなんだww
そうかマウンティングねぇ。
猿同士の上下関係構築に関する学術用語の流用らしいけど、それとはまた別口で、言葉づらが妙に合ってる気がする。
おいらの認識では、この手の連中は「乗っかってくる」イメージだからな。
夢で連載されてるシリーズってあるじゃないですか。NHK ドラマみたいに「●夜連続」だったり、不定期だったり。
夢らしく不条理なんだけど、夢の中にいる最中は必死なんだけど、起きてて思い出すと、毎回延々とその不条理が続くのがなんだか面白くて。
昔、物産展の売り子やってた影響か、特定のデパートの連続夢を見るんだが。って行ったこともないデパートだけど。たぶん実在もしないと思う。
催事場は最上階で、そこ行くのにエレベーターに乗るんだわ。このエレベーターに、とりあえずなかなか乗れない。乗れても途中階までのエレベーターで、最上階に行くやつになかなかたどり着けない。いろんな階の中を歩き回って、本屋とかおもちゃ売り場とかを通り過ぎて、階段やらエスカレーターも使って、やっと裏側の業務用エレベーターにたどり着く。
んで乗ると、業務用のくせに展望エレベーターなんですわ。そして水平に動くwww ドリフかよww 展望エレベーターはジェットコースター的な経路を通って最上階に行くらしい。んで水平移動とか斜め移動とか横倒しとかしつつ景色を眺めては「うわー怖い怖い」とやってるとこまでは覚えてるけど、いまだに最上階に着いたことない気がする。
いつも途中でどうでもよくなって、最上階への興味を失ってしまうおいらww だからたどり着けないのかな。いやほんとここまでもったいぶられると、マジでどうでもよくなるw
これの観光ホテルバージョンもあるな。一旦外に出てから、自室へ帰るに帰れない設定。
必ずエレベーターでうまくいかないww
実はアパートを借りっぱなしだったっつう連載夢もあったな。エレベーター夢からイモヅルで思い出しちまった。
ボロい学生アパート。共同の廊下に靴を脱いで上がる系。下宿の時もあるな。てことは1通りじゃないんだな。同じアパートの時もあるけど、こっちも何パターンかあるらしい。
舞い戻った、昔住んでた土地。アパートを探さなきゃと思ったら、「そういや前に住んでた時、別な場所にこっそりもう一部屋借りてたんだよな。今も借りっぱなしだったっけ?」てな感じ。
んでその部屋に入ると(この連続夢だとすんなり行ける)、「おおー当時のままだー」と。けどその部屋で自分が何してるかは記憶にない。一つを除いて。その一つってのがまた、探検アドベンチャー的な何かで。
天井の板を外して天井裏に入ると、ダクトみたいな通路があるんですわ。
そこを這って進んで別の誰かの部屋に出て、タンスの上あたりの壁のどんでん返しを開けると階段があるんだ。タンスによじ登って階段を通ってまた壁の穴を通って……とネズミの通り道みたいなルートを辿ると、誰も住んでない秘密の空き部屋に出るんですなぁ。
その部屋で10分くらいくつろいで(なぜ落ち着けるのか謎)、元来た経路でまた自室に戻るっつう、探検アドベンチャーにしてはしょぼすぎだけどそういうワクワクを味わえるような、そんなしょうもない連載夢。
他界済みの家族と一緒に、まったりだらだらするだけの連載夢。
その家族、ずーっと前に他界したんだけどさ、その夢シリーズじゃ普通に生きてるんですわ。初回でひょっこり登場。「あれ、死んでたんじゃね?」と訊いたら、なんだかしばらく記憶をなくしてて、けっこう遠い土地に住んでたそうで。で、「思い出したから」とバツが悪そうな顔して帰ってきたww ちなみにこっちで暮らすうち、前に住んでたとこの記憶がだんだん薄れてきてるっぽい。
おいらはこの家族と二人で、どっかのアパート(前回の探検アパートとは別)で同居してるっつう設定。エレベーターや探検アパートとは違って、部屋からは出ない。んでそれぞれが思い思いに、その部屋の中で勝手にだらだらしてるっつうだけww
たまには共同作業したり話したりもする。「オーディオスピーカーのケーブルどこやった?」と探したり、「スピーカーのつなぎ方これおかしいよな」「おかしいおかしい」とか。「向こうの畑で怒ってるオッサンいるなぁ。ほらあそこ」「あーあれ不動産屋だよ」「なんだじゃぁいいや」とか。ほんとどうでもいいことばっかし延々やってるww 一段落ついたり飽きたりしたら、またそれぞれで寝そべって雑誌を読んだり PC でネット見たりとか。
オチが全然ないしダレまくりなのに、毎回なんだか楽しいwww
かつて 日本航空350便墜落事故 っつう事故があった。
あれから世の中ってだいぶ変わったなぁと。だってさ、問題を起こした機長の実名と顔がモロに公開されてたんだぜ。今じゃ考えられん。その上で、機長の頭おかしいぶりも詳細に報道されちゃって。今で言う統合失調症だったらしいけど。こんなにまでプライバシーを公開されちゃったら、それから生きていくのはことさらにきつかったろうなぁ。
大勢の乗客・乗員を死傷させたからには、社会から制裁を受けるべきって考えもあるかもだけどさ、それにしてもワイルドな時代だったなぁと。
さらに今じゃ考えられないのが、事故に至らしめた機長の行動やその時の副操縦士のとっさの発言が流行語になって、世間に面白おかしく広まったってこと。不謹慎すぎる……。
その影響でタイトルが振られた映画があってな。『逆噴射家族』(1984)。事故から2年半後か。さすがに流行語としては廃れ切ってたと思うけど、まだその由来をみんな覚えてた頃だな。
おいらは数年後にビデオで観たんだけど、困ったことにこれがけっこういい出来でww タイトルの感じからして、グダグダでつまんない駄作かと思ってたのに。グダグダなのは当たってたけど、そこがまた微妙にうまくキマッてるんですよ。ラストはおいらああいうのは初めてで、感激しちまったですよ。
『ひき逃げファミリー』(1992)って『逆噴射家族』公開の8年後か。なんとなくビデオレンタルして観たら、ちょっと似た感じの作品だった。たぶん『逆噴射家族』をかなり参考にしてると思う。どっちかつったら『ひき逃げファミリー』の方がおいらは気に入ってる(ビデオ化の時期の違いで、画質にかなり差があってな。その影響があったかも)
つか長らく忘れてたけど、『ひき逃げファミリー』すげえ面白かったよ。今思い出したよ。ああもうこのラストもまた初体験だったよ。そういうのもアリだよなー! とか感激しちまった。
『逆噴射家族』がなかったら『ひき逃げファミリー』もなかったのかもなぁ。
検索ワード "Art of Illusion 日本語" の検索結果で猛威をふるってしまってる、我が勝手日本語訳マニュアルサイト。
Google に招待状を出したんで、検索ロボットがサイトを漁って行ってくれたと思われるわけで。けどそれだけでここまでクるもんなのかと。
Google の有用サイトかどうかの評価って、基本は被リンク数なんだわな。どんだけ多くのサイトが、そのサイトやページへのリンクを貼ってるか、その数を数えて評価してるんだわな。
てことは、おいらの AoI 勝手日本語訳サイトがここまで検索結果でいい位置に来てしまってるのは、どこかよそのサイト様がリンクしてくれておるからではないか、と推測できるわけで。
いやさ、どうも Google の被リンク数の数え方ってなんとなく、同じサイト内の別ページからのリンクも数えてるような気もするんだけど、Google に限ってそんな間抜けなことはないだろうともまた思えて。
んでまぁおいらなりにつらつらと、外部サイト様でのうちの AoI サイトへのリンクって本当に存在するんじゃないのかと思えて。
んで探してみたら、1件だけだけど見つかりましたですよ。
Art of Illusion ランダムメモ - アルゴ算法堂
今じゃすっかり珍しくなったというかの、うちと同じ、個人の手作りサイト。こちらのサイト様で、AoI 勝手日本語訳へのリンクを貼っておられましたですよ。
アルゴ算法堂様、どうもありがとうございます。恐らくそのおかげで、Google がうちのサイトを高評価してくれているのだと思います。
ということもあり、本当に微力ながら、上記でアルゴ算法堂様へのリンクを貼らせていただきました。これが少しでも Google でのアルゴ算法堂様の高評価につながりますように。
ロシアのホログラム技術は本当にここまで来てるんか?
ハンディキャップ用の駐車場に一般車両が駐車しようとすると・・・駐車スペースに突如現れるホログラムの男(ロシア) - カラパイア
障害者表示のないクルマが障害者用駐車スペースに車を停めようとすると、車椅子に乗った人の映像がホログラムで現れて説教するシステム。その像はフルカラーで空中に浮かび上がるけど、平板的な 2D 映像らしい。
何もない空間に映像を投影する技術って、今のとこおいらはひとつしか知らない。今はかなり粗いドット絵しか出せないと思ったが(下の動画)
これ全然違うじゃないですか。もしかしてロシアのはフェイク技術ですかね。
って調べたら、そういうのもあるらしい。
Giz Explains:皆が気になる3D技術、総まとめ(動画あり) - GIZMODO
記事の最初の方は、2D 画面で人間の視覚を騙して 3D に見せる仕掛けのやつ。後半がモノホンのホログラム。んで「プラズマレーザーホログラムデバイス」ってのが、おいらが知ってたやつ。その次の「ヘリオディスプレイ」は、2D 画像を空間に表示する形。「かなりお高い様子」と書いてあるね。
ロシアのやつって、ヘリオディスプレイを使ってるのかな。タイプとしてはそっちだな。つかフェイクかと疑ってしまってすみませんでした。
それにしても、「助けてオビワン・ケノービ」ができるのってだいぶ後になりそうですなぁ。
と思いつつ、前は「こういうのはもしかして不可能なんじゃね?」と思ってた。けどここまで出来てくると、いつかは可能になる技術な感じがしてきますなぁ。
最近のニュースで、JAXA が航空機搭載用の、進路上にある晴天乱気流を事前に発見する装置の開発に成功、ってのがあった。
新聞で見たんだけど、ネット上ではなぜか探せなんだ。
このキーテクノロジーは「ドップラーライダー」というもの。
ここのこと、松浦晋也の はやぶさ2本を読んでるんですわ。そこでは観測装置の開発苦労話がよく展開されててですね、そのひとつに、初代 はやぶさ にも搭載されて、はやぶさ2には改良版が積んである、「ライダー(Lidar)」なる観測装置の話が出てくるんですわ。レーザー測距計のこと。
ドップラーライダーで測れるのは距離だけでなく、ドップラー効果を測定して対象物の速度も、というのが売り。
で、ライダーってのは NASA の探査機じゃ定番らしく、今までいろんな探査機に積まれてきたそうな。それが日本じゃ初代 はやぶさ が最初。ところが真空・低温環境に置くと、設定がどうしても狂ってしまうらしく。しかもその状態から温度を上げても狂いっぱなしならしく。
初代じゃそこを解決しきれなくて、結局は小惑星イトカワに着いてライダーの出番が来るまでの間、ライダーをヒーターで温め続けることになったとか。電力に余裕のない はやぶさ(イオンエンジンが相当な電力を食うから)では、それで往路の運用がきつくなったらしい。
はやぶさ2のライダーでは、ついにその問題を克服したらしい。真空・低温のまま往路で長期保管して、現地で起動しても問題ない、というところまで持って行ったと。
ここらへん全部松浦本からの受け売りだけど、また受け売りなエピソードも。はやぶさシリーズのライダー開発担当者が NASA の同業者と会って話す機会があったんで、そのあたりのコツを尋ねたところ、「温度を下げすぎないよう気をつけること」だったそうな。何事も日本の探査機より余裕があるアメリカの探査機だと、その程度の電力くらい結構簡単に融通できるんだろうなぁと。
で、はやぶさ2の基本的な仕様は初代と同じなんで、電力がキツイのもまた同じ。けど往路でライダーの保温に割くぶんは不要になったと。日本はまたしても変態技術で、無茶を無茶でなくしてしまったとww
とかいろいろあったっぽい、JAXA のライダー(初代 はやぶさ の開発中は JAXA っつう組織じゃなかったけど)
はやぶさ で初めて自力開発したライダーが、今は JAXA のもうひとつの領分の航空分野に応用されて成功したってことで。
はやぶさ の技術が応用されて画期的な実用機器になったってのは、はやぶさ ファンとしてはほんと感慨深いですよ。
つか今年4月のニュースで、地上設置用のドップラーライダーが JAXA と気象庁が共同開発して、羽田・成田空港で使われる運びになってたんだな。
JAXA、羽田・成田空港でALWINの運用開始-風情報伝達で安全性と定時性向上へ - マイナビニュース
こっちもかなり画期的な改善があるらしい。
魂は存在するのかしないのか。おいらはあんまし関心ないんでどっちでもいいんだけど、ちょいと考えついたことがあって。
何かで読んだ(聞いた)話で、
「今現在存命する地球上の人口は、人類発祥以来の累計人口を超えている。よって魂というものは存在しない」
てのが、なんか引っかかってて。
この話の根拠はたぶん「肉体は1代で消えるけど、魂は輪廻して使い回される」って思想なんだろうな。言ってる人の宗教的土台がキリスト教なのか仏教なのかわからんが。
「魂が乗り換え続けるのは人の体のみ」ってのはキリスト教っぽい気がするけど、輪廻転生の考えは仏教っぽい気もする。
手塚治虫の『ブッダ』だと、すべての生き物は魂を持ち、死後の魂はまっさらになってどれも同じになって、その後どの生き物に転生するのかはわからないってことになってたな。本当の仏教の教えがどうなのかはわからんけど、なんか日本人として普通に受け入れられる考え方のような。
と思いつつ、「転生は 人→人 オンリー」もまたオッケーな感じもするけど。
仏教がいろいろ拝借してると思われるヒンズー教だと、生きてる頃の行いによって、どの生き物に転生するかが決まるらしい。「悪いことするとミジンコとかのどうでもいい生き物で、良いことするとまた人間に」ということらしい。つかこれ「信心深くかつ良い人間に育つように」と子供を諭すための方便にも思える。つまり目的が道徳教育な感じもする。
で、手塚治虫的な解釈とヒンズー教的解釈だと、「魂の数は人口爆発しても充分に足りる」となるね。
となると「魂の転生は 人→人 オンリー」が危うくなるけど、じゃあ「人→人 オンリー」の肩を持ってみようって気にもなるわけで。んで、この考え方にはひとつ抜けてるものがあるような気がして。
「魂は新造される」
っつう仮説はどうかと。
使い回しだけじゃなく、新たにできた魂も相当混じってるんじゃないかと。
「(略)よって魂というものは存在しない」派は、なぜそこを考えないのかと。これを主張する人たちにとっては、もしかして「魂の新造」をわかってても受け入れたくないか、あるいはその発想自体を思いつけないほど相容れないものなのかも。
まーおいらは「魂のあるなし」の時点で、どっちでもいいんだけどさ。
佐藤琢磨すげー! インディ500優勝おめでとうございます!
まじすげーよ。まさかのまさかだよ。日本人ドライバーがあのインディ500で……(感慨)
最近、F-1 の方はなんだか人気が陰ってきてるわな。つかレギュレーションの網の目をすり抜ける設計が行き過ぎちゃって、マシンの外観が気持ち悪くてな。何だよあのフロントウイングは。何だよあのサイドポンツーンは。レース内容は見てないからわからんので、マシンデザインのみで語っとりますww
そこへ行くとインディは今もかっちょいい。一時期は F-1 の後追いっぽかったけど、独自進化の果てにリアタイヤ周辺がかなり独特になったけど、全体的にはかっちょいいまんま。シャーシがワンメイクだからってのもあるのかもな。
F-1 について伝え聞くには、追い越しがあまりなくなってしまったらしく。それだと確かに見ててあんまし面白くないわな。
対するインディ500はオーバルコースだからな(シリーズ全戦ではテクニカルなサーキットもあったりする)。抜きつ抜かれつの超高速デッドヒートなわけですよ。シャーシがワンメイクってのもまたチームの実力差を縮めるし。しかも初めて観る人にもわかりやすいし(ここが娯楽として重要なポイントかと)
ピットインも多いんだよな。3時間っつう長いレースな上に、燃料がメタノールでな。ガソリンよりも体積あたりの燃費が悪いんですわ。てことで、ちょくちょくピットインして燃料補給しなきゃいかんってことで。ピットワークでの計算と駆け引きもまた面白いわけで。
てことで、F-1 よりはチームやドライバーの実力差が出にくくて、運や作戦の要素がけっこうはっきり出て、単純なオーバルコースだから低速なボトルネックがなくて、てことで、やたら多い出場車両がみんな優勝を狙って、超高速で一斉に走り回るわけですよ。
出場台数が多いんで、F-1 みたいな静止状態からのスタートは無駄に事故発生率が高そうなわけで。てことでインディ500ではローリングスタートを採用してるわな。これもまた独特な雰囲気でな。
実力差が出にくいとはいえ、実力差がないわけではなく。だからこそこのレースでの優勝は価値があるわけで。
つか今回の報道で初めて気づいたこと。インディ500って表彰台がないんだな。てなわけで、称えられるのは3位までじゃないんだな。優勝者のみが称えられるんだな。このシステムもまた、このレースで優勝することの価値を高めますなぁ。
そんな特別なレースで、佐藤琢磨が優勝ですよ。いやっほー!
勝者はシャンパンじゃなく牛乳を渡されるんだよな。佐藤琢磨はある程度飲んでから、残りは自分で頭からかぶってたな。たぶんいつも勝者はそうするものなんだろうな。いやさ、帽子とかレーシングスーツとか、相当臭くなるだろうなとか余計なこと考えちまったww いずれオークションで売ったりするときは、牛乳臭さが本物の証として機能したりするんだろうかww
佐藤琢磨のインディ500優勝について、「人種差別を思わせるツイート」が出て問題になってるんだね。デンバー・ポスト紙のテリー・フライ記者のツイートのこと。
最近のアメリカは日本的なものの扱いについて、けっこう過敏な感じがする例があるわな。
ボストン美術館の「キモノ試着イベント」が中止に 理由は人種差別、白人至上主義? - HUFFPOST
外国人「白人が日本人の格好をしたら人種差別になるのか!?」 米モデル謝罪騒動に世界から擁護の声! - 海外反応! I LOVE JAPAN(ブログ)
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【イタすぎるセレブ達】アヴリル・ラヴィーンの日本をフィーチャーした新MVに批判殺到。「差別的!」<動画あり> - Techinsight
ここらへん日本人としては「なんか違ってね?」「それのどこが差別なんすか」と思っちゃうような。
映画『フィフス・エレメント』(1997)でアヴリル・ラヴィーンの MV と雰囲気が似た演出があったけど、あのときは誰も叩かなかったのな。『コンタクト』(1997)や『トゥルーマン・ショー』(1998)での日本人の描写もけっこうアレだったのに、全く問題にならなかった。
つか日本のバブル期になるともっとひどいんだが。『クロコダイル・ダンディー2』(1988)の観光客とか。『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART 2』(1989)のフジツウさんとか。『ロボコップ3』(1993)とか。
つか『ティファニーで朝食を』(1961)のユニオシさんまで遡れたり。これはさらに凄まじかったwww(ってこれ1990年以降は叩かれてるんだな。それまでの29年間はオッケーだったんだな)
ユニオシさんが問題の発端かどうか知らんけど、いつの間にか逆差別的な状況になってしまった。
で、今回のはどうなのかと。また余計なお世話的なものなんじゃね?と勘繰りつつ。
そこはちゃんとソースを当たってみようかと。訳はおいら。
まず問題となったツイート(削除済み)
そういう感性の人がいてもおかしくはない気がする。自分の国の伝統と文化と誇りになってる競技で、外国人が優勝するのを素直に受け入れたくないというか。
日本でも、外国人横綱ばっかりの時期には、あまり面白くない気分だと言う人たちもいたし。稀勢の里の横綱昇進の盛り上がりっぷりもまた、同感の人たちの多さを物語ってたし。
今回のだと、この記者さんにとっては、戦没者記念日って要素がなおさら当て付けがましく思えた感じですな。
ただ、新聞記者っつう立場を表明しつつこの手のコメントってのはどうなのかと。炎上の理由はまさにそこのような。
さて記者さんは炎上を受けて、長文の謝罪コメント を発しましたな。Twitter の文字数制限回避のためか、文書を画像にして投稿してる。
報道で全文掲載がなかなか見当たらないのは、この事情からなのかな。んでどうも報道でも個人ブログでも断片的な引用が多くて、一体どんな謝罪をしたのかが見えにくくてな。てことで全文を翻訳してみた。
きちんと謝罪してるって感じがする。露骨なごまかしの要素が見られないっつうので。
ただ、前半の自分の感性の土台の説明はどうなんだろう。ここに噛み付く人たちもいるっぽいが。逃げ口上とも取れそうだし。けど説明責任を果たしたとも取れそうだし。
前半の内容から、彼の父親は明らかに多数の日本人を殺す助けをしてるわけで。あの時代の戦争は、兵士同士の殺し合いの要素が今よりも強かったわけで。彼の父は多数の敵を殺し、自分もまた殺された人なわけで。
テリー・フライ記者は(恐らく沖縄戦で戦死した)父親と戦友を尊敬するあまり、日本を憎むようになってしまった感じですな。しかしこれを謝罪の場で公表して、間違いの元だった的な説明をするってのは、尊敬の対象、しかも自分の親を一転して否定することになるんではと。これはこれで、不健全な葛藤の元になりそうなような。
安全そうな方向性としては、たぶん記者さんが見ないようにしてきた「日本人に殺された父親は、間接的にであっても多数の日本人を殺しもした」を見るってことかと。それで国から勲章を貰ってるってのがまた面倒な状況だろうけど、国家への義務をよく果たしたことでの勲章って理解に至れば、とか思ったり。
自分の親を殺した相手を好きになれってのは無茶な話ですな。けど日本はそこを克服して親米国家になったわけで。しかも天皇制を守りながら。イタリアのムッソリーニは自国民に処刑された後、遺体は袋叩きの上、広場に逆さ吊りでさらされたそうだが。そんなにまで募ってしまうはずの憎しみを、日本はどうやってうまく処理したのかと。
「悪いのは敵でも自分の指導者でもなく、戦争そのもの」っつう解釈ですな。これもまた時代の流れを受けて、今じゃ解釈が拡散して曲がり角な感じだけど、あの時代の憎悪の連鎖を断つことには成功した。
軍事大国として繁栄に挫折 → 考え方を変えて繁栄に成功 な日本から見ると、アメリカにはいまだにこういう感覚を持つ人がいるってのが、ちょっとびっくりだったり。
つか、この記者さんは仕事でも第二次大戦中に日本と戦った人たちを取り上げてるわけで。この人がそうなったのは、父への尊敬の念からの自然な流れだったのかも。この人の人生は日本憎しの方向で行くしかないような気もする。けど時代の流れはそういうのを許さない方向になってきてる。そりゃもう差別を受けたとされる方が「なんでこれが差別?」と思うほど過敏だったり。
今回は丁寧な謝罪があったけど、さて彼はこれからどうするのかなと。
同じ思想や政治的立場の人たちにも謝ってるね。そこからも、同好の士はまだまだ相当いるんだろうなぁと察せられたり。だんだん片隅に追いやられてきてるっぽいが。
で、フライ氏が今後、元の同好の鞘に戻ったりすれば、謝罪で嘘をついたことになる。戻らなければ、自分の感性に合わない状態を一生続けることになる。なんかこう、無礼だからとか謝ったからとか以上に、そんな業を負ってしまった彼に同情してしまいそうなような。
おいらが彼についてそこまで突っ込むのは完全に余計なお世話なんだけど、おいらはこの事例を、いつか自分が大間違いをして謝罪をすることになった場合の貴重な教訓としたいわけで。あるいは予防に役立てたいわけで。
おいらは彼の謝罪の中で対象に入ってないから、本当に余計なお世話なわけで。一番の対象の佐藤琢磨氏は、謝罪については直接のコメントは出してないっぽいね。コメントしなきゃいけないってことでもないだろうし。
で、謝罪文の中では佐藤琢磨氏と同等っぽい感じで、勤め先のデンバー・ポスト紙が挙がってるね。そのデンバー・ポストの対応はというと、
両方ともだいたい同じことを言ってるけど、さすが法人は謝罪の心得をよく知ってるって感じですな。余計なことは言わないっつうやつで。言い訳がましいと取られそうなものがまったくない。
テリー・フライ氏は解雇か自主退社になったんだね。どっちかまではわざわざは言わない。問題のツイートについても容赦なく斬り捨て御免。んで、こんなに潔いコメントになったと。
テリー・フライ氏とデンバー・ポスト紙、両方の謝罪を見比べたわけで。
こりゃデンバー・ポストのやり方のほうが効果あるなーって気がする。
テリー・フライ氏のはこうして見ると、自分の感性をわかってもらうべく、信条の背景をいろいろ書いとりますな。けどこれってあまりよろしくない方向なんだね。言い訳と捉える人が出るし。出してしまった信条やその背景を捨て去る約束をしてしまうことにもなるし。実際には、捨てるのはかなり苦痛なことだろうし。
つか聞いてる方がいたずらに複雑な気持ちになってしまうのがちょっとって感じ。謝罪の目的は、不快な思いをさせてしまった相手の気分を改善すること。そのためには自分がツラくても構わないっつう勇気が要る。やっぱ自分を守る的な態度をちょっとでも見せちゃいかんのだな。そのつもりはなくとも、そう受け取られそうなのも出しちゃいかんのだな。
謝罪の場でそういう微妙なものを出しちゃった結果、謝罪の効果は半減、自分に返ってくるダメージは倍増って感じですか。
謝罪はツラいし勇気が要る。勇気を振り絞ってツラい謝罪をするんなら、どうせなら謝罪対象の気分を改善する効果は最大限、自分へのブーメランダメージは最小限と行きたいとこだろうに。
謝罪の鉄則のひとつに「できる限り迅速に」があるわけで。誠意の表れだと、相手がそう受け取ってくれるだろうから。それと、もたもたしてるうちに炎上してしまうのはもっとまずいから。
てことは、いつ自分が謝罪する羽目になるかわからん以上、謝罪の作法や考え方は事前によく知っとく必要があるってことだよな。
迅速さについては、テリー・フライ氏とデンバー・ポスト紙の両方の謝罪とも迅速と言えるものだった思う。けどその中身に差があった感じ。まー作法が上手じゃなくても、謝罪すべき事態だと理解して、ちゃんと謝罪した、とも言えるわな。
順番はどうなってるのかな。問題のツイートはもう消されてるんでわからんけど、レース終了が現地時間の5月28日の15時頃のはず。それ以降なわけで。
ツイッターで表示される日時って発信者の現地日時なのか、読者のものなのか……。って一番最初のデンバー・ポストのツイートが5月28日の19:23。これ日本の時差に合わせて12時間前後を引くと、レース開催前になってしまう。てことで発信者の日時なんだな。問題のツイートは、だいたい15時から19時あたりまでの投稿ですな。恐らくレース結果が出た直後だったかと。
てことでデンバー・ポストの最初の謝罪は、レース終了から数えてもわずか4時間で成された。
翌5月29日、フライ氏からの謝罪ツイート。時刻は不明。
同5月29日の午前11:10、デンバー・ポストが公式サイトであらためて謝罪。フライ氏が会社から去ったことを表明。
やっぱ法人は謝罪のプロだわ。フライ氏はもしかしたら今も炎上してるかもだけど、デンバー・ポストはきっと2回目の謝罪で鎮火したろ。
デンバー・ポストの神対応を見るに、フライ氏は短くていいから、もっと急ぎで一言謝っとくべきだったかと。できればデンバー・ポストよりも先に。
長文の謝罪文を練るのに時間をかけたのかもだけど、どうもこの順番だと、雇い主に叱られて渋々謝罪したようにも見えてしまう(内容からしてそうではなさそうだけど)
早いうちに応急処置して、心と時間の余裕を確保してから、より練った謝罪を出してれば……と思えて。
このことは勉強になるなぁ。謝罪する側としての気持ちは、デンバー・ポスト紙もテリー・フライ氏も同じだったかと。けどその表現・作法・考え方ができてるかどうかで、予後に差が出てしまってるような。
「謝罪のテクニック」というとなんだか小狡いイメージになってしまうけど、「謝意を受け止めてもらう」っつう謝罪の目的を果たすには、勇気だけじゃなく、それなりの技量が要るんですな。
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