昔の映画の話。
実はマークには双子の弟ケンが……。
映画『男たちの挽歌2』のご都合な設定ww だけど、話が進むにつれてどうでもよくなるというか。ケンはルンを守りながらニューヨークで生き抜いていく。どん底に落ちて正気を失ってたルンは、戦いながら少しずつ自分を取り戻していく。この熱い展開で、観客は心を奪われちまうわけです。
そして香港でホー兄弟と合流。
初対面でのホーとケンの会話、ちょっと小津安二郎っぽくもあり。
「ア・マ?」
「ア・ケン!」
「ア・マ?」
「ア・ケーン!」
「マークじゃなくてケン」の話は、ここでもう本格的にどうでも良くなる、という仕組み。
強引気味な設定も、持って行きかたでうまく薄められるもんなんだなと。
ほぼじゅびふぉ の全曲 JASRAC 再チェック、ついに完了。ぜぇはぁぜぇはぁ。
ちゃんと1作品ごとに JASRAC チェックをしてたつもりが、判断の項目が実は「配信」だったってのがトラブルの元でございました。「出版」で判断してたんだよな。
最初の頃は「『出版』で判断していいのかなぁ大丈夫かなぁ。ちゃんと確かめたほうがいいんじゃないかなぁ」なんて懸念しながら作業してたのに、慣れてしまうともうそれで脳内確定ってやつで。
ええとなんだっけ、「正常化バイアス」とか「逸脱の標準化」とかそこらへんに、自分で見事に引っかかってしまってたと。
んで修正作業したら、誤判断例が出るわ出るわ。けどさ、やっぱアマチュア曲が主体なもんだから、著作権管理団体が「実は JASRAC でした」よりも「実は NexTone でした」のほうが全然多かったですよ。てことで、元歌詞を表示できなくなったのもそれなりにあったけど、表示できるようになったほうがずっと多かったりして。
あとさ、管理団体を乗り換えるとか、野良状態だったのが何らかの管理団体に任せるようにしたとか、そういう変更ってけっこうあるんだなーってのも知ったですよ。
プロ曲の場合は全項目 JASRAC 一択でしょと思ってたら、そうじゃない例もあったりして。RADWIMPS なんかそんな感じ。
きゃりーぱみゅぱみゅの曲は基本的に全項目 JASRAC 委託っつう普通のパターンだけど、『にんじゃりばんばん』の「配信」項目は NexTone 管理だったよ。そこらへん、なんでそうしてるのかは権利者側の判断であって、まぁ利用側が考えてもしょうがないことでして。
そういや小泉今日子の『潮騒のメモリー』はどうなってんだと今思った。調べたら、「配信」含めて全部 JASRAC 委託だったわ。
新曲は管理委託の申し込みや反映にタイムラグがあったりするんで、そこらへんも問題ありそげ。つか新曲じゃなくてもそこらへん、作者側の方針が変わって切り替えるなんてのも考えられるわけで。そこらへんをチェックする仕組みがないってのはちょっと、こっち側の脆弱性ではあるよな。
Ubuntu のバージョンアップしたら、なんかおかしくなった……。
GUI が変更になったかららしい。なんで余計なことするかな。
結局 Ubuntu バージョンアップは、データのバックアップを取ってからクリーンインストール。
こういうとこだぞ。
昭和の末期頃かな。世の中がバフルの階段を駆け上がってた時期。
芸能人同士の結婚式を、テレビの特番でゴールデンタイムに生放送するのがちょっと流行ったことがあって。
スペシャル番組扱いなもんだから、超豪華なわけですよ。バブルだったし。
それはいいとして、当時はテレビの影響力は絶大だったもんで、話題についていくために見るわけですよ。お茶の間で。家族一堂で。
その企画は視聴率的に大当たりだったらしく、複数のカップルで何回か続いたんですよ。
んで結局、「なんで関係ない他人の結婚式にわざわざ付き合っちまってんだろ」感が募ってきて。世の中的にもそうだったらしく。てことで、そのブームはすぐに終わった気がする。
救いだったのは、飽きられきって白けきるまでは続けなかったってことかと。当時のバラエティ番組のやり方って、企画やネタがウケるとひたすら繰り返して、視聴者のほとんどがいいかげんウンザリした頃にようやく引っ込めるっつ形。残りカスまでしゃぶり尽くすまでやめないというか。
けど結婚式中継番組は、ウンザリされる前にやらなくなったと思う。
幸せなカップルの最高に幸せな瞬間に対して、日本全国津々浦々が冷めた目で見てるとか、あるいは思っきし見せてるのに誰も見向きもしないとか、そんな惨めなことにはならずに済んだかと。
ナノロボット(ナノマシン)ってけっこう昔から言われてるけど、最近どうなのよ。
映画『ルパン三世 DEAD OR ALIVE』(1996)で、ふーじこちゃんがナノマシンの研究データを盗み出す場面があったような。
あれから27年。今はどうなのよ。
人間の体内で活躍する ナノサイズの分子ロボットへの期待 | 未来コトハジメ - 日経BP
んー、期待したほどの進歩はない感じ。ナノロボットを構成するパーツが順調に研究開発されてるとか、基本動作ができること証明したとか、そのくらいのような。実用にはまだまだ時間がかかりそうですな。
ただ、「群れで動かす」という方面は、昔はただの概念でしかなかったのが本当にできるようになった、というのは躍進かと。
ナノサイズほど小さくはないけど、映画『ベイマックス』(2014)で、同形の何千体もの小型ロボットが群れで協調して動作するという設定があってだな。さらに現実世界じゃ2021年の東京オリンピック開幕式でドローンショーをやってた。これまた多数のドローンが協調してひとつのモノを表現するってのでな。テレビで見ただけだけど、それでもかなり圧巻だったですよ。もちろんピクトグラム50個パフォーマンスも超最高だったwww
ドローンショーって既に業者が商業運営してるらしく。アメリカじゃロサンゼルスドジャースの試合後なんかで観客を楽しませてるらしい。
ナノロボットの群れの統制や操縦のノウハウは『ベイマックス』やドローンショーとはまた違うんだろうけど、ロボットの使い方として、こういうのが発想されて実用化されてるんだなーという感慨。
ナノロボットよりもガタイが大きくなりそうだけど。
細菌やウイルスをできるだけそのまま利用したサイボーグを作る方が早いのでは?
スペースジェット(MRJ)、終わりましたか。ずっとグダグダしてたわな。ついにサジを投げちまいましたか。
グダグダの途中で、開発組織自らが NIH 症候群を患ってると気づいて改善に着手し始めたあたり、あのあたりは光明が差し込んだように思えたんだかなぁ。
残念ではあるけど、主体者がそう決断したのならしょうがないかと。かっこいい旅客機だったのになぁ。
フクロウナギの口の動きがなんか四次元的でよくわからなくて草。
これ何回見てもやっぱしよくわからんwwww
前にも書いたかも。けどとりあえず、思い出したというか思いついたんで。
人類が火星移住する前段階として、人が快適に居住できる都市環境を、無人で整えてしまうってのはどうかと。
現地で採れる素材から、作業用ロボットを現地で量産してですな、そいつらに働かせて都市を作っちまうと。宇宙船の発着施設も。
てことで、地球から持っていくものは、作業ロボット量産用のロボットと、現地調達できない素材や部品のみ。探鉱ロボットも作れれば、現地調達できる素材が増えたりもするかも。
無人の何がいいかって、命の危険がないのと、人間ほど多くの資源やエネルギーを食わないってところ。
地球にいるとタダ同然で手に入る空気や気圧、水なんかも、地球外じゃ貴重なものでして。それを日々消費しないと人間は生きてられない。何も働かなくても、消費するものは消費するし、気圧や室温なんかの環境を整えないと、やっぱし生きてられない。
地球の生物は代謝をし続けないといかんから、基本的に「スイッチを切って消費エネルギーをゼロに」ってのはできない。しかも人類は恒温動物なんで、個体の生命維持に必要なエネルギー量が大きい。燃料になる糖分や脂質だけ補給してりゃいいってわけでもなく、体と健康を維持するには多種多様な栄養素が必要。
そのうえメンタルヘルスも大事で、それを保つための装備や資源も必要。現地じゃ節約すればいいって考えもあるけどさ、そんな極限環境ってストレス溜まりまくりじゃないですか。何のための火星移住なのかわかりゃしない。
地球外で地球の生き物が暮らしていくのは、どうしても資源の大量消費とセットになってしまう。無人だとそこらへんまとめていらなくなるわけで。
「初期の開拓者は過酷な環境に耐えるもの」っつう考えもありそうだけど、最初からある程度の、「生きてて当たり前」くらいの快適さは必要なんじゃないかと。
それにまぁ人が生きるのは楽しみを求めるからなわけで。自分が死ぬリスクに毎日毎秒脅えながら、今生きてることそのものだけが楽しみってのはね、どうもやっぱし可哀想すぎるというか。わざわざ火星に引っ越して永住するうえで、北朝鮮の人民の暮らしを再現する意味はないわけで。
やっぱし到着した直後から、ある程度の快適な暮らしをしたいわけですよ。そりゃはじめは色々制限があるだろうけど、人が住み着くようになってからも、作業用ロボットは働き続ける。各種の作業ロボットが製造されては稼働して、主に居住地の外の、地球由来生物にとって致命的に過酷な環境の中で、都市を作り続けていくわけですよ。
住人にとっては、暮らしの快適さが日々改善されて、やれること・やりたいことが日々増えていわけですよ。生きていく楽しみになり得るわけですよ。
そういう形を採らないと、火星に移住したい人ってなかなか出てこないかと思うよ。それには、汎用性が高くて頑丈な作業用ロボットって必須だと思うよ。で、人が行ったら既にある程度の快適さが保証されてる状態ってのは、無人で既に火星都市が建設されて稼働してるってのだと思うよ。
寒うござんすなー。
で、なんかそんな時期の過去の思い出が、なんか蘇ってしまって。
おいらが子供の頃、サッカーはなぜか冬のスポーツってことになってた。てことで中学の体育の時間、女子は体育館でバレーかバスケか何か、男子は校庭でひたすらサッカーっつう感じで。
さて3年生も大詰めの時期。高校受験の日程も終わって、就職組もみんな行き先が決まって。生徒たちのすることといったら卒業式の準備と雑談くらい。
3年の担任の先生たちは考えた。何かスポーツ大会でもしようか、と。女子の場合はどうだったか知らんけど、男子はまさに冬のスポーツといえばコレのサッカー。けど高校サッカーが正月だからってさ、なんでまた厳寒の八戸でも冬サッカーなのかといまだに謎。
そのサッカー大会が無茶で。当時は子供が多かったんで、男子だけでも1クラス20人以上。全員参加。1チーム20人以上っつう超過人員。それが6チーム。そして試合3セットを同時に1つの校庭で行うっつうわけわからん仕様。
1試合ずつやると、試合してない連中は体を動かしてないから寒いわけですよ。てなことで、ボール3個並べて同時キックオフ。まー勝ち負けとかどうでもいい暇つぶし行事ではあったから、とりあえず本気出してるやつはいなかった。けど寒かったからみんな走り回ってた。
総勢100人以上が、ボール3個をそれぞれが追っかけてるんですよ。「♪ボールひとつに キリキリ舞いさ」どころの話じゃない。
そりゃもうそこらじゅうで衝突事故が多発。なんだかわけわからんカオスの果てに、ついに足を骨折したやつが出てやっと中止。見守ってた数学の先生が、青ざめて引きつり笑いしてたの覚えてるわ。
体育の授業だと、体育の先生の監視下で安全を確保してたから問題なかったんだろうなぁ。それが、ジャンル外の先生たちが安易に素人企画をした結果がこれ。「三人寄れば文殊の知恵」とは言えど、素人は何人集まってもやっぱし素人集団にしかならんわけで。中には体育の先生もいたけど、正常な判断は人数割りで薄められてしまったかと。
バレンタインだけど例年通り関係なくww
つか、はたから見てても危険なのはわかったろうに。事前に予測できなくても、やってる最中に「ヤバい」ってのは見ててわかったろうに。となると、先生たちの中で危なさに気付いてた向きは内心で「終わるまで事故が起きませんように」と祈ってたんじゃないかと。そんな祈りって、なぜかってほどよく裏切られますな。
複数人で企画していったん始めてしまうと、自分一人の判断で勝手に止めてしまうのははばかられそうだしな。相談したとしても、当時のユルい安全意識だと、「問題ないです大丈夫」と押し切ってしまう人が1人いればもう行きますって感じだったかと。
危険を察知して、行為を止める形で未然に防ぐと、必ず「やりすぎだったのでは」「必要なかったのでは」と文句を言う人達って出てくるもんで。それで実際には事故が起きなかった、という事実は、「リスクマネジメントに成功した」でもあり「心配症で神経質で面倒な人に台無しにされた」でもあり。
そして卒業式当日。松葉杖でヒョコヒョコ歩いてたあいつの姿は痛々しかったっけなぁ。
クルマ用の水素燃料って、ロータリーエンジンと相性がいいんでね?
ガソリンのロータリーエンジンの問題として、混合ガスの燃焼が燃焼室の隅々にまで回りきらないというのがあるらしく。原因は燃焼室の形がイビツだから。ピストンだと円筒形なんで、そこらはあまり問題にならないらしく。
ところが燃料が水素だと、炎の伝搬がめっさ速いとか。これってエンジン設計にかなり有利な要素らしく。
だったら、ロータリーエンジンだとその恩恵はかなり大きいんじゃないかと。
まぁおいらの勝手な妄想ですがね。
漫画『ワンピース』でさ、オカマのボン・クレーとかあのあたりが出てきたとき、「大丈夫かな海外でどう受け取られるかな」と、今思うと完全に余計な心配をしたことがあったな。
ほんとに余計な心配だったwwww
当時(200x年代かな)の日本の漫画の海外市場はまだ普及期・拡大期だったと思う。ひとたび誤解されたれ悪く思われると、そのマイナスな解釈が定着したまま広まるんじゃないか、それは後々に漫画・アニメ業界の足を引っ張ることになるんじゃないか、それをネタに日本が何かと叩かれるようになるんじゃないか、とか思ってしまってさ。
なんのことはなかったというか。海外の世間が誤解しそうになると、現地のファンの人たちが訂正してくれるという胸熱展開が待ってた。
あとオカマキャラの扱いも、むしろ多様性重視のポリコレ的に追い風になってたwww オカマだからとか関係なく、ボンちゃんは普段おちゃらけてるけど実は激アツな正統派キャラだしな。
2020年のパンデミックでの巣篭もり需要が最後の一押しになって、日本の漫画・アニメは世界的エンタメとしてついに不動の地位を確立するに至ったわけで。そしたら主に海外の商売敵やその業界にもともと興味も知識もない人たちから、「多様性の描写ガー」とか「性自認へ配慮ガー」とかテキトーにまくし立てられるようになったわけで。
言ってる中身はスカスカだけど数の圧力だけは強い、そんな言いがかり攻撃に対して、ボンちゃんがその存在自体で日本の漫画・アニメの立場を守ってくれてる、ような気がしてしょうがない。
H3 ロケット初打ち上げはリフトオフ直前で自動中止。いわゆる「居座り」でしたなぁ。
アンビリカルケーブルが外れる時に、何らかの電気的トラブルが出たっぽいね。その前からメインエンジンが始動してて、ロケット自体が異常だと判断して自動停止と。
H-II ロケットの開発プロマネの五代富文氏の過去の著書に出てた話で、「居座り」というのはどうも格好がつかない、とのことだそうで。それもそうだろうけど。運用責任者としては特にそうなんだろうけど。
安全機構が正常に働いた結果なんだし、装備の損害なしで打ち上げを仕切り直しできるからな。「飛んでしまってからトラブルが出て全損」なんて流れより全然マシってことで。
ましてや今回は初飛行だからさ、こういうのもアリかと。イプシロンロケット初号機の打ち上げでも、最初は電気・電子系統同士で微妙にタイミングが合わなくて居座ってしまったっけな。相撲の「待った」みたいな感じで。
JAXA + 三菱重工にとって、H3 の打ち上げは初めてでも、大型ロケットの打ち上げ自体は前々からずっとやってることですわな。今回のトラブルの原因、かなり微妙なものなんだろうな。
今日の打ち上げ中止後の記者会見がまた見ものになってしまってな。ある記者による言葉と態度が「捨てゼリフ」として、ネット上で祭りになってしまったww
「あり得ない」「敬意のかけらもない」 H3打ち上げ中止、JAXA会見で反発広げた「記者の捨て台詞」 - J-CAST ニュース
この記者なんなんだよ。こんな素人がいまだに打ち上げ会見に出入りしてるのかよ。「リレーって何ですか?」事件 からひとつも成長しちゃいねえ。
そもそもロケットの打ち上げが成功したか失敗したかの判断は、離床して打ち上げ結果が出た後じゃないとできないんですわ。今回は離床してない。成功か失敗かの判断できる条件満たしてない。
今現在、H3 初号機も搭載してる衛星も健全な状態を保ってるんで、不具合の解消と再点検をすれば、後日に打ち上げマヌーバをやり直せるんですわ。ロケットの打ち上げについては、この状況を「失敗」とは決して呼ばない。
つか旅客機で例えると、「離陸条件が揃わないので今回のフライトを直前キャンセルします」ってこれ失敗になるのかって話。むしろ取り返しのつかない失敗を防ぐために、取り返しのつく時点で止めておく、という安全優先な判断なわけで。今日の H3 初号機打ち上げはこれと全く同じ判断をしたって話。
「リレーって何ですか?」事件があったのは2002年。この頃のマスコミさんたちが素人だったのはもうしょうがない。経験が浅すぎた。読売新聞なんかこの時は勝手に失敗と断定しててな。その後何年も自分の間違いを認めなくて、H-IIA 2号機の打ち上げ結果をカギカッコ付きで「成功」と書いてたりしてな。マスコミって案外質が低いんだなーとしみじみ思ったっけな。
それが21年も前のこと。んで、いまだに自分の勉強不足を晒して格好ついてるつもりの記者が存在してるっつうこの脱力感。つか、今の時代の流れとして、税金を投入したプロジェクトにただ言いがかりをつけて叩けばいいってもんではなくてですな。それやると当事者が精神的に潰れてしまって、なおさら税金の無駄になってしまう、というのを読めないのかな。
いや、読めるようになったからこそ、JAXA プロジェクトが失敗しても応援基調で支えるってのが最近のマスコミなんだと思ってたが。
そういや1990年代はもっとひどかったっけな。打ち上げ失敗の記事の見出しが「税金三百億円が海の藻屑に」とかだったもんな。さすがに今は、「ロケット打ち上げは時々失敗するもの」っつう共通認識が広まってるものの、
ってまぁこういう、ナイフみたいに尖っては触るもの皆傷つける系の批判勢って「100% でなければ意味がない」的な、エクストリームな方に持って行きたがるのは何なんだろな。そんなものこの世にないよ。結果がたまたま 100% を保ってるって例はあるだろうけど、何やるにしても必ず失敗リスクがあるもんだよ。
日本の原発関係の幹部さんたちが「日本の原発は 100% 安全です」と言い続けてたアレは結局どうなったんだっけ。
御嶽山の噴火で多数の登山客が犠牲になった後、どっかの記者さんが噴火の専門家に、噴火リスクへの対処についてインタビューしとりましたな。記者さんはなぜか「100% 安全」にやたらこだわって専門家さんに食い下がりましてな。とうとう専門家さんが「それなら山に登らないことです」と答えたってのもありましたな。
H3 の話に戻りまして。今回の会見はもう記者さんたちの空気が「何が何でも失敗だと認めさせてやる」って感じでもあった。なんでそうだったのかはわからんけど。んで上に出した J-CAST 記事でも「かたくなに『失敗』を認めないJAXA担当者」と表現してたりして。
けどこれも、状況を読めばわかるでしょと思うが。
成功であれ失敗であれ、今日結果が出るはずだったのが延期になった。打ち上げチーム内は異常な緊張状態をこれからもしばらく保たなきゃいけない。むしろこれから原因究明・再発防止を成功させなきゃいけないんで、緊張とプレッシャーはそのぶん増し盛り。今日確定したのはこれだけなんですよ。その間、士気を下げ得るものは極力排除しないといかんわけですよ。次の機会での打ち上げ成功率を上げるにはそうなるでしょ。
だったら本音は「しばらく構わないでほしい」「しばらく放っといてほしい」に決まってるじゃないですか。
マスコミの役割としてはそういうわけにはいかない。それもわかる。けどここまでわかりきってるはずの相手の状況を一切読まないで、自分の都合だけ相手に押し付けるってのは、この場合は正しい態度なのかどうか。そういう態度を示すのは、マスコミの仕事として成功と言えるのかどうか。
それは一般に失敗と言います。ありがとうございます。
すっかり廃れた 3D 映画。
これ、ホラーでいけると思うんだが。『貞子 3D』を観なかったんであれだけど。
おどろおどろしいモノ、気持ち悪いモノ、まがまがしいモノを見て怖がるのがホラーの醍醐味なわけでさ。それを高精細かつ立体視で詳細に感じ取れちゃうと、いやもうすごい体験できそげなような。
あと背景音でさ、単純で機械的な音って効きそうな気がする
ホラーじゃないけど『ロボコップ』(1987)。敵メカの ED-209 が初めて登場する場面。起動とともに鳴り渡る不穏な音。その場の人たちが、とりあえずその音で動揺するんですな。そこは観客としては笑うところなんだけど、確かに不安な気持ちになる音でして。
3D 映画って割高料金を取れるんで、売り手側としては期待が大きかったとは思う。『アバター』なんかで鳴り物入りで登場したのに、ものの3年くらいで既に廃れてた。『アバター』が2009年。その少し前に『カールじいさんの空飛ぶ家』が 3D で公開されてたしな。2012年の『おかえり、はやぶさ』の頃はもう 3D ってのは特に売りになってなかった。やっぱし3年程度しか持たなかった。
どの 3D 映画も、同時公開で 2D 版も出してるってのがね。2D 版を用意するのは、3D 対応してない映画館でも上映してもらうためでもあり、映画館での公開後の DVD 販売や配信で稼ぐためでもあり。なのはわかるけど、そのために 3D 映画は 2D 映画の文法やシネマトグラフィに縛られ続けるわけで。
かつての映画界は、テレビとの差別化のためにワイドスクリーン化を進めたけど、初期はそれを「上手く使う」のに四苦八苦してたそうな。で、かのジェームズ・ディーン初主演の『エデンの東』(1955)がその答えを示して、それがワイドスクリーンでの表現方法の定番になった、らしい。
ワイドスクリーンの構図の認識について、発想の転換をやってのけた。「画面の左右がたっぷり」(被写体が小さくなるし画面がスカスカになるしで、迫力的にどうもキマらない)→「画面の上下を切り取る」(被写体が画面からはみ出すほどでっかく映って、なんだかすごく迫力がある)。ワイドスクリーンの売り文句は「テレビじゃできない大画面をさらに大迫力で」だったんで、それに見合ったアングルを新規開発する必要があったと。
3D 映画も、2D じゃできない体感を提供するのが使命なのに、表現方法が 2D の様式に縛られてるもんで、3D 独自の様式が育たないわけで。んでまぁせっかく割高料金を払って 3D 映画を観ても、そのあと場面を脳内再生すると普通の 2D 映画と変わらなかったり。
もしかしたら 3D 体験ってもともと記憶に残りにくいものなのかもだけど、既出の作品が 3D ならではの体験ってわけじゃないからそうなってしまってる可能性もあるような。
H3 ロケットの横っ腹には "JAPAN" と 書いとりますな。H-IIA までの NASDA/JAXA の大型ロケットには "NIPPON"" と書いてあった。
なんでこれ、国際市場を意識してのことらしい。まぁ海外じゃ NIPPON よりも JAPAN のほうが通りがいいからな。
けど H3 って国の基幹ロケットの位置付けとはいえ、最初から三菱重工の商品でもあるんだわな。H-IIA は途中から JAXA から三菱重工に移管されたけど、H3 は JAXA と三菱重工の共同開発の形ではあっても、ブツとしては三菱重工のモノということで。
てことでさ、1私企業の商品に国名を記すってとこに、どうもおいらは違和感を覚えちまって。国旗ならまだしも、という、自分でもよくわからん脳内基準でしかないけど。
でさ、国際市場を意識するんなら、"JAPAN" という単語を使うんなら、どうせなら、
"MADE IN JAPAN" と書いちゃったほうが、より訴求力があるんじゃないかと。単なる JAPAN という単語もまた国際社会で好感を持ってもらえてるかと思うけど、MADE IN JAPAN はもうなんてーか、何物にも代えられないほどの、突き抜けたステイタス感・ブランド感・信頼感があるわけですよ。
本当に日本で作ってる商品なんだから、記述する分には何の問題もないしさ。
衛星打ち上げの国際市場っつうと、なんかこう、巨額になるだけに、顧客の立場を想像するに、主にコストと信頼性の面で、ものすごくシビアかつ客観的な査定の後の末にロケットを決定っつう意メージがある気がする。
けどまぁインフラ整備とかの一般的な巨額の商取引きであっても、発注側はイメージとか雰囲気に流されるケースが多いような気がする。
てことでさ、どうせ横っ腹にでっかく "JAPAN" と書くのなら、「信頼の証」の成句として既に国際的に認知されまくってる "MADE IN JAPAN" がいいんじゃないか、ってので、三菱重工御中、いかがでしょ?
ライバルのスペースX社やアリアンスペース社にはできない、絶対的に有利なマーケティング手法になり得ますですよ。
アクセルとブレーキの踏み間違い、初めてやらかしたですよ。
バックの時だったんだけど、後ろに何もない状況でほんとよかった……。
場所は自宅でさ。その瞬間、「おっと踏み間違えたよ」とすぐにブレーキを踏み直せたんだけどさ。
これがもし出先で、周りが他人のクルマやら他人だらけだったらさ、パニックになって、すぐに適切な判断ができないんだろうなぁ。
『ギャルがライバル!!』というかなり昔の漫画、20年くらい前にどっかに喫茶店で途中まで読んだっけなーというのを思い出した。20年前でも「すごい昔の漫画だなー」と思ったっけ。
Wikipedia で調べたら、独立した項目はなく。『週刊少年ジャンプ連載作品の一覧』にタイトルと掲載時期だけ載ってた。1981.33〜1982.18 だそうで。そうか80年代だったか。てっきり70年代だとばっかり。
主人公は男子中学生で、なんか女子といろいろ戦ったり競争したりみたいな話だったような。
んで、1エピソートで数話というペースでさ、あるとき、一つの事件が終わって新展開へのツナギ、と来てさ。主人公がバスに乗ってると、アメリカンスタイルのバイクが並走するんですよ。乗ってるは全裸の金髪白人。ありえなさすぎwww
そこで主人公の判断がなかなかエグくて。「こんなことをするのはアメリカ人に違いない」と英語で話しかけると読みドンピシャ。まんまアメリカ人女性だったと。
ここから先は読んでないからわからん。その喫茶店の単行本はそこまでしかなくてww
いやさ、今は世界中で日本の漫画が人気じゃないですか。てことは昔の作品に遡って掘り出して、という動きもありそうじゃないですか。うーん、どうかうるさ方に見つかる前に、なんとか言い訳を確立していただきたいところ。
そういや『さよなら!!岸壁先生』というのもあってだな。1981.33〜1982.13 ってことで、時期が『ギャルがライバル!!』とおもっきしかぶってると今知った。これもまた少年漫画のレッドゾーン振り切ってるバイオレンス描写がな。昭和時代は性・暴力描写にかなり寛容だったもんな。ちなみにこのタイトルのパロディが『さよなら絶望先生』ね。
岸壁先生の第一話を読んだ記憶あるなぁ。雑誌連載のほうで。『ワンピース』並みに華々しく始まった気がする。けど初っ端から「さよなら」って何なんだよって感じではあった。
そこらへんにたどり着いてしまった海外の読者さんたちが、どうか生暖かく目をつぶってくださりますように。
今日でロシアによるウクライナ侵攻が1年だけど、違うニュースが来た。
小惑星リュウグウのアミノ酸は左右同数 生命誕生「宇宙起源」言えず - 毎日新聞
この結果は意外というか。
小惑星リュウグウにはアミノ酸が豊富にあるだろうとは言われてた。はやぶさ2が持ち帰ったサンプルを調べたら、本当にあった。そこまではいい。で、このリュウグウのアミノ酸の型が左手型に集中してることが示されれば、「地球生命の元となった物質(アミノ酸)は、原始の地球上で自然に合成されたものではなく宇宙から飛んできたもの」という、ここ30年で主流になりつつある説を実証的に補強できる、はずだった。
けどリュウグウサンプルの結果は右手型と左手型が同率。
宇宙空間でのアミノ酸の生成過程ってのはなんでも、超新星爆発の衝撃波を受けて、宇宙空間を漂ってる元素同士が結合してアミノ酸が合成される、のだそうで。
そのとき超新星爆発から来る電磁波が円偏光という状態になってて、それで作られるアミノ酸はほぼすべて左手型になる、ということらしく。まぁこれもまた「有力説」でしかないといえばそうでしかないわけで。
なんでまた左手型だと都合がいいのかというと、地球の生き物はその体を構成するのにタンパク質を使ってるわけで、タンパク質はアミノ酸からできてるわけで、生き物の体内で生成されて使われてるアミノ酸は左手型ばかり。なんでそうなったのかを説明するのに、「超新星爆発の影響で宇宙空間でできたアミノ酸が太鼓の地球に降ってきて、それを材料に生命が誕生した」という仮説の裏付けになるからですな。
生命の材料が宇宙から飛んできた、という仮説が都合がいいのは、これに対立する別の説「原初の地球上で自然に合成されたアミノ酸から生命が生まれた」はどうしても時間がかかりそうなんだそうで。「地球誕生からわずか数億年で生命が発生した」という別種の最有力仮説とはなかなか結びつかないらしく。
そこで、既に「生命の素」が宇宙空間で出来上がってたと考えると、その生成が地球の誕生より前でも矛盾にならないってわけで。例えばラーメンを作るのに、小麦粉や豚の骨なんかを揃えて最初の最初から作るよりも、スーパーで生麺とスープの素を買ってきたほうが手軽に早く作れるってのと似た感じかと。
で、今回見出された事実として、小惑星リュウグウから取ってきたサンプルからアミノ酸が見つかって、左手型と右手型が同率に存在してた。てことで、どうも超新星爆発で生成されたアミノ酸ではないらしいとなったわけで。そこらへん、当てにしてた筋書きが崩壊しちまったんで、また新たな説を組み立てなきゃいかんくなったと。
ただ、小惑星からアミノ酸が見つかったっつう事実自体は大事なんじゃないかと。過去に、地球に落ちた隕石からアミノ酸が検出されたというのもあったそうだけど、剥き出しの状態で地球に落ちたんで、地球にあるアミノ酸で汚染されたんじゃないのか、という疑惑もあったわけで。それが、地球以外の天体にもアミノ酸が存在してることを、実証的にきちんと証明できた。これは大きいと思う。
さてさて、超新星爆発で生命の素が生まれて、それが地球に落ちてきて生命へと……という仮説の信憑性は落ちてしまったけど、地球のアミノ酸が宇宙由来という説はまだ死んでないどころか全然健在。実際に宇宙にあったんだから。科学者さんたちがまた新たな仮説を練って、それをまた新たな探査や実験で検証して、という流れは今後も続いていきそうだね。
これはこれでワクワクするというか。
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