ほぼじゅびふぉ、新規入荷6作品ですよ。とはいえ日本語訳を新規に作ったのは Juby さんの『砂の惑星』のみだったり。
とはいえ久しぶりにドバーッと出したですよ。あーすっきり。
『ヨンジュウナナ』の日本語訳は、3年半くらい前に作ったものそのまま。別に AKB のファンでも何でもないのに、すげーアツくなって作業したの覚えてる。
元曲のサウンドと元歌詞と Juby さんの英訳詞がアツくてアツくて、涙流しながら訳してたですよ。
そういうのってもしかしたら、何年か後で読むとこっぱずかしくなるもんなかもなーと思いつつ、思いつつ……。
聴いて読んで、当時のアツさ蘇ってまた泣いた。
細かい突っ込みどころもまた出てきたけど、直すのめんどいんでとりあえずそのままww
『ひらり、ひらり』の新たな EFD が出てないかなーと探そうとしたら。
スペイン語版を見つけた。
アコースティックギター…… d(T_T)
顔文字すごい久しぶりに書いたww
原曲のピアノのみもいいけど、ギターのみってのもまた違うツボ押されますなぁ。
「ひらり、ひらり、ひらり」のスペイン語は "Volara, volara, volara" なのかー。
ジプシーキングスで "Volare" って曲があったな。ビールの CM のやつ。Google 翻訳だと「飛びます」だそうな。
語尾の活用がよくわからんが、"Volara, volara" は思いがけず坂上二郎っぽい感じか。
いやいや "volara" であらためてGoogle 翻訳したら「飛ぶ」と出た。敬語かそうでないかの違いなのかな。
英語版「ひらり、ひらり」各バージョンでだいたい共通して使われてるのは "fluttering" で、直訳は「羽ばたき」。言葉面だけ見れば "fluttering" の方が近い感じだけど、歌詞の意味だと「飛んでいく」もあるから、"volara" もまたいけるような。スペイン語版の歌詞全体の意味に合わせてるのかもな。
去年おいらのツボにハマった、ある映画がありまして。それに出演してた芸人さんがいまして。この人の演技もまたツボだった。
パンフを買って初めて、芸人さんだと知りまして。売れてる人らしく。
その人のステージを初めて観てみた。
……、
……、
うん、いや、あの……。
面白いのかもね(震え声)
その人以外の最近の芸人さんたちのコントも観て、ちょっとわかったような。今のテレビって表現規制がすごく厳しいんだろうな。
昔より窮屈そうな印象というか。出すもの全部きちんと管理しなきゃいけない関係上、あんましバカやれない状況が察せられるというか。
今時お茶の間が凍りつくようなもの出しちゃダメだしな。つか昔はテレビ放映の映画でも、暴力描写とか濡れ場とかけっこうそのまま出してたっけな。
『ロボコップ(最初のやつ)』なんてもう地上波じゃ出せないだろうな。その時代だと『エイリアン』『ターミネーター』もグロさというか怖さというかが、現代のテレビ向きじゃないような。
『ロボコップ』のリブート版ってそこらへんの風味をうまく今風に薄めたり消したりだったな。あれは地上波放映は問題ないかも。あーでも脳手術の場面はおいらダメだった。なんでまたあの場面を入れたんだろ。つかテレビじゃそこだけカットすれば行けるか。
もしかしたらあのグロって、リブート版として、反骨精神を見せてオリジナルに敬意を表したってことなのかな。いやいや脳グロだと『ロボコップ2』だろ。あのクライマックスバトルのオチはかなりアレだったっけ……。『ロボコップ2』はアレを見せないと話としてわけわかんなくなるんで、地上波じゃ永遠に無理だろうな。モザイクでもいいのかな。
つかそんなに人気作品でもなくてな。おいらも特には観る気しないし。けどフィル・ティペット師匠のストップモーション・アニメーションだけは惚れ惚れする出来でな。
平成ガメラの3作目って1999年だったな。シリーズは SF アクション映画として見ごたえがあるのが評判だったけど、興行成績を稼ぐには子供客をどれだけ動員できるかが重要ってことで、その方面のプロモーションにも余念がなかったそうな。
しかし作品内には、子供が見たらトラウマになりそうなエグいカットがあったりして。体液を吸い尽くされてミイラ状になった人が、地面に落ちてトンッとバウンド……。
その時代に子供客も大量に含めて大ヒットした『もののけ姫』も、合戦のモブで首を斬り落とす場面があったような。つかシシガミも首を落とされるし。その後のシシガミの首の顛末がないと話が成り立たないし。
ジブリのテレビ放映は金曜ロードショーか。最近じゃ2016年8月にやってた(記事)。ノーカット放映だそうで。首切り場面は規制対象じゃないんだな。
そこらへん何が良くて何がダメなのかは大まかな線引きはあるだろうけど、微妙なところは攻めればいくらでも攻められる状態なような。そんな微妙なところの OK/NG は、審査機構への何らかの働きかけがあるのかな。
映画製作って事前にすごいお金がかかるわけで、もし作ってしまった後に「当初目標の公開・放映条件を満たしてなかった」となると、資金回収に悪い影響が出るわけで。となると審査で微妙そうな場面については、製作前や途中で、審査機構にお伺いを立てたり方針の指導を仰いだり、あるいは交渉して審査側から了解を得ておく工程があるだろうと。
『もののけ姫』の場合は名作として名高いし、映画公開時でものすごい大量動員されたはずの子供客への悪影響はなかった感じだしで、テレビ放映については審査機構と特に裏交渉しなくてもよかったのかもな。となると、映画公開前の映倫への交渉は「規制なし」を勝ち取るべくけっこう熾烈だったのかもな。
となると、平成ガメラ3作目も同じくらい熾烈な交渉があったのかもな。
日本の映画の年齢規制って、昔から外国より緩いらしいけど。1987年の『ロボコップ』って本国アメリカじゃ X 指定(18歳以上のみ)だったそうで。当初は R 指定(15歳未満お断り)のつもりで、興行計画が狂ってしまったらしく。それにもかかわらず本国で大ヒットの上、日本じゃ R 指定でオッケーだっおかげもあって、これまた大ヒット。
製作会社は当然2作目を考えますわな。映画って商売としてはかなりリスクがあるものらしく、それでいくとヒット作の2作目ってのは比較的安全に商売できるってわけで。この時代のハリウッドは特に続編ブームだったし。
して、「どうせ X を食らうんなら」と考えたのか、ドギツさ増し盛り。けどそれをうまくこなせるはずのポール・バーホーベン監督は、1作目の大ヒットを足がかりに大予算監督路線に行ってしまって、ゲットできず。何でもそつなくこなせる職人監督アーヴィン・カーシュナーを起用したものの、結局グロさが嫌われて低評価。
それでもテレビアニメのほうは子供に人気があったらしく。当たれば大きく稼げる映画版のヒットに繋げるべく、3作目じゃテレビ版に合わせてグロはナシ。見事「規制なし」をゲット。仕手側は老若男女がぞろぞろと映画館に入っていく様子を夢見つつ、封切り公開の日を迎えた。
鳴かず飛ばずだった。頼みの日本市場もそんなでもなかったらしく。
3作目は、公開のかなり前に日清カップ焼きそば UFO の CM に出演して、製作資金を補いつつ日本への事前宣伝の形にもなってた。カップ焼きそばだから特にかっこよくはなかったけど、存在のアピールにはなったかと。お金を出してるのが日清食品なんだから、それでロボコップ側のイメージがいささかおかしくなってもしょうがないかと。
そして映画が公開されたらこれが、日本をコケにする内容でな。
当時のハリウッドでそれが流行ってて、日本人観客も笑って許してた。んでそろそろ嫌気がさしてきたあたりに、その路線てんこ盛りが来たもんだから。
そもそもロボコップという企画やデザインの大元は、『宇宙刑事ギャバン』か何かだってのに(東映から許可を取ったらしい)。日本人のロボコップファンにとっちゃ恩を仇で返された形。
おいらとしては、演出のクサさペラさがちょっとって感じ。クライマックスのロボコップが空を飛ぶ SFX がおもっきし粗かったのも興醒めでな。それでも楽しかった印象なのは、一緒に観に行った友達がいいヤツだからww
ちょうどその頃のハリウッドじゃ日本下げが廃れてつつあったり。このあたりのハリウッド、見下してた日本が海外市場最大のお得意様だということに気づいたらしく。以降そのことを日本のマスコミに何度も流しては、大切なお客様だってことを強調するようになってった。大転換ですな。
『ロボコップ3』は製作でモタモタしてる間に、流れに若干乗り遅れてしまったわけで。流れに乗ってるつもりで派手にやったら、ハシゴを外された直後だったというか。悪ふざけは、最後にやらかしたヤツが一番印象悪いみたいなのあるわな。そんな貧乏くじを引いてしまったというか。
その後に公開された『ハーレーダビッドソン&マルボロマン』だと、悪役(大企業の社長)が日本企業とテレビ会議でビジネストークしてる場面があった。けど「日本の経済力を話に絡めるのが流行りだから」ってだけな程度。
「日本をいじればアメリカ国内の観客に受ける」「日本は大お得意様」のバランスを取ると、そんな消極的な形に落ち着くかと。
20世紀中じゃさらに数年後、『コンタクト』では敬意を見せつつも「奇妙な人々(宇宙人?)」な演出。『トゥルーマン・ショー』では「無邪気で奇妙な人々」な演出。『アルマゲドン』だと場違いな観光客として演出。ってこれ『クロコダイル・ダンディー2』もそうだった。けど時代が下った分だけ意地悪演出ってほどじゃなくてな。そのぶん印象が薄いわけで。
『アルマゲドン』じゃ松田聖子が演じてたんで日本人観客には印象がキョーレツだったけど、アメリカじゃその場面はどうでもいい扱いだったんじゃないですかね。だったら別に今さらそんな要素を入れなくてもいいのに入れなきゃいけなかったのは、それまでの時代の勢いだったんじゃないかと。
それとも大お得意様に気を遣って、話の筋に関係ないのにわざわざ入れた場面だったのかな。いやでもその割にはいろいろ微妙だよなw
ちなみに『アルマゲドン』の製作ジェリー・ブラッカイマー、監督マイケル・ベイのコンビでの次作が『パール・ハーバー』だったりする。んー。
ずれまくった話を戻してみるテスト。
こうしてみるとロボコップって、映画会社がそのときそのときのトレンドを採り入れてというか、トレンドに振り回されてというかで作られてきた感じだな。
そういや1作目のパンフによると、気合いの入ったスプラッタ場面の仕込み中、監督は「今の流行だからね」と言ったとか。てか監督が個人的にその趣味なのを言い訳してるようにも取れるww
1作目は企画に独創性があったんで、トレンドを「採り入れた」感じ。以降は「振り回された」感じというか。
リブート版『ロボコップ』は日本色がなくなって、中国にシフトしてた。リブート版もまた製作がかなり難航してたけど、流れに間に合った模様。日本の観客としてはもう関係なくなってしまった感じだけど、今のアメリカじゃ中国に絡ませるのが受けてる感じだな。今のハリウッドの海外市場じゃ、日本より中国の方が上なのかもな。
とはいえ日本を捨てたわけでもなく。むしろ日本に絡んでることや、日本発のものを売りにする映画が増えてたり。
作品内で、中国のご機嫌を伺い、日本の(今度は良い方の)イメージを借り。ハリウッドってこんなだったっけ?
節操ないようにも見えて、実は日本と中国を決して混同しないっつう気遣いがまたね、なんかこうあんましハリウッドらしくないというかw 1本の作品で同居の例だと『パシフィック・リム』があるけど、どっちもきちんと立ててたな。
そういや "SAYURI" は日中が混ざってたな。主演が中国人女優だったけど、ハリウッドの組合協定でそうなっただけらしい。外国人が日本人になったつもりで作った作品って感じ。日本への敬意は感じられたのがありがたかった。
なんとなく「交渉術」で検索してみたらば、なんてーか、テクニックをタダでいろいろ教えてくれるサイトってありますなぁ。
こっちとしては、それを使って交渉を有利にってわけじゃなく、変な話を呑まされないようにってので読ませていただいてるんだけどさ。
いくつものサイトで同じようなことを出してるってことは、タネをこれだけバラしても、世の中にまだまだ知られてなくて、そのテクニックが通じるってことなんだろうな。
4つの交渉術【知らないと損する駆け引きテク】 - 魔法剣乱れ打ち【マネジメントと営業ノウハウ】
コチラで紹介されてるテクニックのひとつは、けっこうありがちかも。
「フット・イン・ザ・ドア・テクニック:小さな要求を頼んだ後で、大きな要求を切り出す」
「ちょっと5000円貸してくんねーかな。今苦しくて」ってこれだよな。「いいよそのくらい」と貸せば、次は1万円、その次は2万か3万、その次は5万。そのうち「貸してくれないと前のやつ返さねーぞ」とか言い出すアレだろ。
それぞれの当人さんたちと気まずい関係になっちまったけど「そんな話を持ちかけてくるからこうなる。こっちのせいじゃない」と開き直るおいらさ。相手の方から関係を壊しにきてるんだもんな。
このサイトで紹介してるテクニック中で、一番効くと言ってる、
「ローボール・テクニック:小さな要求を頼んだ後で、『偶然を装い』大きな要求を切り出す」
ってなんぞ。具体的な情景が全然浮かばんが。
よくわからんけど、「装う」って時点でかなり香ばしいテクニックな気がするが。
こういうテクの効果があるのは、バレてないうちだけなんだよな。バレたらおしまいってのはインチキ・ペテンと同じでして。スカラー量として非難されるほどのものじゃないかもだけど、ベクトルは騙し方向だわな。
手品・マジックって、思いがけずタネがバレちゃうとがっかりするじゃないですか。マジックショーは何らかのタネがあるとわかってるわけで。それでもこれだもん、実生活で、タネがないかのようなものでタネが見えちゃうと、がっかりもひとしおなわけで。
プロのマジシャンはヘマでネタバレなんてことがないよう細心の注意を払って訓練してるはずだけど、万が一バレてもどうにかフォローできるんだろうと思う。そういう勉強や鍛錬も積んでるんだと思う。そうじゃないとステージライブなんておっかなくてできんだろ。
んで実生活で友人・知人や交渉相手に手品する人たちってなぜか、バレたらどうなるかを考えないんだよな。うまくいくことしか考えない。バレた時のリスクってかなりヤバイと思うが。
マジシャンのヘマなら「これから頑張って一流になれよ」で済むけど、実生活の方じゃどうなるか。仕手側の人格やら体面やらが格下げになる。そこまでのリスクを負ってまでやるべきことなのかってのが、どうも疑問で。
またこれが、受け手側がうまくハマったのか、それともハマったふりしてるのかっては、仕手側からは読めないってのもあったりして。
時々いらっしゃるんですよ。バレてるインチキを繰り返し仕掛けてくる人って。ハマったふりしても特に害がないやつは、ハマったふりしてあげてる。んでそのくらいのスカラー量で済ませてれば、毎回仕掛けてきても別にどうってことないのに。そのくらいなら、気づかず自分でも他の人にやらかしてるかもだし。
そのくらいで済ませてくれる人もいれば、「こいつには効く」とばかりにエスカレートさせていく人もいる。調子に乗るってやつで。
5000円せびる話でいうと、忘れた頃に5000円せびるのを同じペースで続ける人もいれば、金額と頻度を上げていく人もいると。
持ち技の多彩さを誇るかのように、いろんな種類のインチキを仕掛けてくる人もいるしな。どんだけ多彩でも、全部バレてりゃなおさら呆れられるだけと思うけど。って向こうからするとバレてないことになってるからな。
で、エスカレートしていくと、いつしか一線を越えちまうわけです。受け手に害が発生しちまうわけです。てことで、ついにブロークン堪忍袋ってわけで。
これって受け手側からすると、長い期間でたまりたまったものなわけで。自分で気づいて/他の誰かか何かで気づかされて改善するチャンスを、仕手側にずーっと与え続けてたわけで。
けど仕手側にとっては青天の霹靂なわけで。よもや見えないところがそんなことになってたとは想像もしてないわけで。だから一線を越えてるってことを受け手側に言われるまで、調子に乗ってしまったわけで。
ここらへんの仕組みがわかると、こういうことは最初からやんない方がいいってことになる。やっちまったなら、早めに気づいて早めに謝った方がいいってことになる。
この仕組み、そういや最近大きな動きになってるハラスメント発覚問題に似てるな。
騙しとしてはかなり軽くて小さいのだけど、受け売りってありますわな。けど騙しの一種なんで、受け売りだとバレたらおしまい。けどその場に出すべき情報・出したい情報ってあるからな。日常的に誰でもやりがちだし程度が小さいんで、バレても仕手側の信用崩壊に至るほどではない。けどバレると、あんましよろしくない方向にちょっとだけ作用する。
受け売りするのは「尊敬されたくて」「ナメられたくなくて」「自分を大きく見せたくて」「自分の体面を立てたくて」だわな(「笑いを取りたくて」もあるけど、ここではそれ以外)。んで受け売りだとバレれば、その意向とは逆の方向の結果がちょっとだけ出てしまう。侮られる。ナメられる。
このリスクの回避策としては、その場で「これ受け売りだけど」と言ってしまうことかと。つまり、受け売りで自分を大きく見せる野望を最初から捨てるってこと。
あと、受け売りだとすぐわかるネタに限るとか。つまりウンチク。大抵つまんないだけだし、状況や態度によっては「やなやつだなー」と思われるかもだけど、「あたかも自分で編み出したもののふりして、どっかで聞いた話をただ出しただけ」がバレた結果よりもマシかも。うまくやれば「その情報が欲しかった」「面白い話をありがとう」「なるほどなー」と喜んでももらえるかも。
受け売りの害は1回1回はちょっとだけだけど、調子に乗って連打してると、やっぱし積もり積もるわけで。これも、受け手が好意でバレてないふりしてると、仕手は勘違いして調子に乗ってしまう。
受け売りさんと話してると、話に一貫性がなくてな。自分のものになってないものをその場その場で取っ替え引っ替えなんで、あとで全然違う話をしてたり。ひどいときはその日その時の会話の中で逆のことを言ってたり。目的が、話の流れの場面場面で自分が逐一優位に立つことなんで(「マウンティング」って言うんだっけか)、その瞬間に合わせた受け売りをいちいち出すと。けど連続で見ると繋がってないと。
受け売りもまた、何度も繰り返しこなしてると、だんだん板についてくると思われ。自分では腕前が上がっていくたびに充実感を覚えるんだろうけど。まさに自分と受け売り内容との一体感もまた楽しんでるんだろうけど。
受け売りをやめれば、なるべく自分の言葉や考えしか外に出さないようにしてれば、他の人が言ってるのが自分の言葉なのか受け売りなのか判断つくようになるわな。
てことで結局、受け売りだとバレたまんま、ただただパクリセリフの語り方が流暢になっていくさまを見させられていくと。
受け手としては、バレてないふりできるうちはする。けど度を越してくると、たまらずツッコんでしまいますわな。
バレたらおしまい。優位に立ってる確信が一瞬で瓦解。惨めなものだろうと。
人間関係が壊れますな。その原因は、話の受け手にとっては「受け売りなんかしなきゃいいのに。善意でここまで我慢してあげたんだからもういいだろ」なのに、仕手側にとっては「あいつに体面を潰された」だったりしてな。自分の体面を上げる手段として、受け売りなんつう露骨に安直な手段を選んだ時点でどうかと思うが。
昨日のログにも書いたけど、受け手側にしてみれば、ずっと与えてきた改善の機会を、仕手はただ棒に振ったというだけ。仕手側にしてみれば青天の霹靂。たかが受け売り程度のことでも、仕手側と受け手側に情報ギャップが出るんだね。
受け売りさんと話してててわかるもうひとつは、受け手は自分の想定内の反応しか返さないし、それが受け手の本心だと信じてるってこと。そしてその想定内の反応は、受け売りさんにとって心地いいものってこと。インチキする人の場合と同じだね。
受け売りって、その言葉や意味を浅くしか理解しないまま繰り出すもの(深く理解してるならそれは受け売りじゃなく、自分のものにした考えと言える)。てことで、辻褄が合わない事態になりがち。んで「そこおかしくないですか?」なんてツッコむと、受け売りさんは途端にパニックになったりしてな。
当たり前というか、そうなると必死に取り繕おうとしてくる。そこで重要なのが、「なぜ取り繕わないといけないのか」かと。ここに真の目的が見えてきますな。
受け売り行為の目的は、尊敬されること。ナメられないこと。自分を大きく見せること。自分の体面を立てること。
その目的達成がピンチってわけで、そりゃ慌てるだろと。別にやんなくていいことをわざわざやるからには、必ずや勝利を得なきゃなんないわけで。それがピンチ。このままじゃ「余計なことしてしまった」になってしまう。自分の体面が潰れてしまう。取り繕いは、その体面の窮状を挽回すべくのこと。
ある種の期待が伺えますな。「相手はまだ受け売りかどうか疑ってる段階。確定には至ってないはず」「もしかしたらまだバレてないかも」。
けど客観的に、受け売りが疑われた時点で、当初の目的はピンチどころか失敗に終わった後なわけで。
「信疑」って熟語がある。2つの漢字は対義語。つまり「疑」が生じただけで「信」が成り立たなくなる。受け売りの事実が双方に明らかな形で確認されるまでもなく、反応にキョドった段階で、もう受け手から仕手への信頼が傷ついてる。
てことで、そこから慌ててどんなに取り繕っても後の祭り。スポーツでいうと、試合終了で負けが決まった途端、高度なデモンストレーションを始めて強さをアピールする感じというか。
そもそも受け売りさんは、なぜ相手が想定内の反応しかしないと信じちゃうんだろ。なぜ「相手の反応=相手の本心」と信じちゃうんだろ。
そこから失敗してるわけで。経験上その方法でうまくいってきたからってのはあるだろうけど、相手が受け入れたふりしてる可能性に思い至れないってのはどうなんだと。
受け手側の都合だと、話を聞いてるうちは、仕手側自身の意思が語られてると思いますわな。んで何だかどうも腑に落ちなくて、自分の理解がおかしいのかもなーと思いつつ質してみたらば、なんだ受け売りだったのかよ、と。このガッカリ感。
想定外の反応を受けての取り繕いってどんなのかっつうと、その想定外の反応をとっさに叩いて潰そうとすることでして。とっさだから的外れだったり苦し紛れだったりでして。これがまた受け手にとってガッカリだったりして。さらに底が浅く見えてしまうわけで。
尊敬されること。ナメられないこと。自分を大きく見せること。自分の体面を立てること。
その意図とは真逆の結果を得ることになるわけで。
失敗してもまだ同じ路線にすがりつくから、なおさらおかしいことになるわけで。
ガッカリされちゃった後は、いったん見せた自分の大きさが見せかけだったとバレちゃった後は、そう疑われちゃった後は、もう既定路線には戻れない。
そのタイミングですべきことは、たぶん素直に現実を受け入れることじゃないかと。
受け売りは、自分の能力をアピールするための技の一つ。その方向性は知力。んで、バレると「こんなセコいことする人だったのか」と思われちゃう。以後その方向はもう何をやっても、むしろセコさをより強調する方向にしか働かない。
だったらセコさの反対で、度量があるところを見せれば、被害拡大を食い止めるくらいには効くだろと。
この場合の度量ってのが、素直に現実を受け入れる度量かと。受け手からの想定外の反応をまともに受け入れるってあたりかと。
てことで、こうなってしまった仕手側がすべきは、自説(受け売り)を潔く捨てて、想定外の反応を真面目に吟味することかと。受け売りする時点で自分が何か間違えてたらしいと、受け売りだから深く考えてなかったと、自分でバラすことかと。
こりゃ度量が要りますわ。こんな立派なこと書いてるおいらからして、できるかどうか甚だ怪しい。
んでそんなリスクを避けるには、「受け売りなんて最初からしない」「受け売りだと初めに自分でバラしとく」だったり。つまり「自分を大きく見せる」を捨てるってことで。捨てるものがその程度とわかれば、そんなに惜しいもんでもないと。
インチキのごく軽く小さい例として受け売りを挙げたはずが、結局同じことになってしまったぞなもし。
つか、おいらはなるべく受け売りしないようにしてるぶんを、自分で考え出したことで埋めてる。だから丁々発止になってしまって自前の持ち合わせがなくなると、けっこうすぐに負けてしまう。辻褄が合わなくなって見下されるよりはいいかも。とはいえツライっちゃツライが。
昔は受け売りさんだったけど、宇宙開発事業団(NASDA)元副理事長 五代富文氏の著書に「自分の頭で考えよう」(日本初の大型ロケットを自力で開発することになって、NASDA 内でそれまで当たり前だった、NASA からの受け売りをやめるために掲げたスローガン)とあって、おいらはそれを最後の受け売りにすることにした。受け売りしちゃうタイミングになったときは、それが受け売りだと最初からバラすことにした。
自分で作った考えは数も多くないうえに穴だらけなんで、ツッコまれることが多い。けど他人様の威を借りてないんで、「おおーそう言われてみると」「こっちの間違いだったよゴメン」とけっこうラクに手のひら返しできたりするww
「ジャメヴュ」(未視感)という言葉を今さっき知ったとこ。「デジャヴュ」(既視感)の逆だそうで。それだけだと何のことやら。
Wikipedia「既視感」によると、
なるほど、わからん。
既視感なら経験あるけど。未視感はほんとさっぱりわからん。センス・オブ・ワンダー とも違う気がする。
普段見ているはずの風景なのに違和感…?「未視感(ジャメヴ)」および既視感にひそむ重大な病気 - NAVER まとめ
これに少しわかりやすいことが書いてあった。ははぁ「感じ」は ゲシュタルト崩壊 に近いのか。とはいえ未視感の発生原因は、同じものを何回も繰り返し見たからってわけじゃなさそう。
なんかこれに出くわしたら、そこはかとなく気味悪いだろうなーとか思ってさ。現代版の妖怪の一種ってことで納得しとくか。
ムッシュアッシュ見慣れたらかわいく思えてきたどうしようw
レ・ロマネスクの TOBI さんの単独企画かな。けど素晴らしいセンスの衣装は MIYA さんじゃないかな。つかキョーレツなサビが頭から離れんww
『ムッシュアッシュの旅(Le Voyage de Monsieur"H")』っつう番組(?)をやってるらしい。八戸にも来てくれー。地名が H(アッシュ)だよー。
とりあえず今日も MV を見とくか。
♪ヒホヒハヘホーハー
過去ログの一部をこっそり書き換えたですよ。
本人バレ・関係者バレするとやばいなーってのがあって。多少当たり障りのない形にというか。情報を削ってぼかしたのもあり、登場人物を丸ごと削ったのもあり。
だったらそういうログは全部消せよって感じでもあるけど、後で読み返せる用に。
だったらそういうログは非公開にしろよって感じでもあるけど、なんでだろう、そこまで刈り込む勇気が出なかった。
勇気で言えば、そういうことを公開してる方がよっぽどの勇気というか蛮勇というか。
自分でもよくわからない何らかの心理的な力学。
現実世界じゃ相手に面と向かって攻撃・反撃できなくて、ここで吠えて憂さを晴らしてるってやつだわな。
少しずつ気が済んできたにつれて、そのぶん削ったって感じ。
今もうすっかり飼いならされちまったというか。
こういう PC 上での文章の、行頭の禁則文字の処理のことで。
行頭に「々」は来ちゃいけないじゃないですか。
紙媒体の活字だと、行頭にはその前の文字が来ますわな。例えば「代々木」だと(右端の縦棒は、その行の一番右端)、
これが PCだと、
となる。「。」も行頭禁則なんで。
なんか間抜けな感じというか。Word みたいなソフトだと、文字間隔を均等に空けるなんて活字みたいなことができるけど、HTML の日本語表示だと確かできなかったような。
行頭に「々」が来たら活字と同じような処理くらいできそうなもんだけど。
ってコピペするとき混乱が起きるのかもな。違うソフト同士だと対応してたりしてなかったりとか。
「々」が行頭にあると、その前の文字がなんだったっけな、と視線で行を戻るのが面倒ですな。てことで、活字だと行頭には先の行末と同じ字を入れる、PC だと先の行末に来るはずの文字を、その行の頭に無理やり入れる、てなことで。
PC のこのやり方にもう慣れたからいいっちゃいいけど、PC を使い始めの頃、この処理がどうも珍奇というか手抜きというかに思えて納得いかなくてなー。
そんなギモンを持ったことさえずーっと忘れ去ってたのを、なんでかさっきいきなり思い出した。
どうせそのままだとすぐまた忘れるんで、その前に書いとこうってやつで。記録に値する価値があるかどうかは問わないスタンスで。
最近いろいろメンタルでたまっててさ。
昨日の分のログ、かなり毒が入った長文が出来上がってしまってさ。
今この日記、1週間ちょい遅れてるんだけど、まー書いてしまってから出したい気持ちを抑えてアップロードしないままにしてて、その間に内容が充実してってさ。
それが1週間ちょい続いてさ。
さっきやっと消せた。
めちゃめちゃどうでもいい「々」の話題に置き換えてアップロードした。
あーすっきり。
毒入りの内容は、思い切って消した端からどんどん忘れていって、今もう何書いたんだかあんまし思い出せん。
毒っつうか、イヤミな自慢話っぽかったような。
記録を消したら記憶も素晴らしいスピードで消えてったってのは、やっぱしわざわざ書き残しとくようなもんじゃなかったってことで。
読み返すごとに自分に毒が回っていく系だったってことで。
「エールを送る」「エールを交換」ってさ、なんか清々しいものな感じだけど、どうも「エール」って英語の "yell" のことらしく。
辞書で見ると、「大声で叫ぶ」「怒鳴る」「叱る」だったりする。最後の方で米語として、「(スポーツの応援で)エールを送る」とあった。
決して誤用ではないんだけど、「エール」の主な意味って案外あんましよろしくない状況のものだった。
じゃあエールの言葉の「フレーフレー」って何なんだろ。と調べたらば、こっちも英語の "hurrah" らしい。
激励の意味があるからこれも正しいんだけど、どうも歓喜とか賞賛でも使うんだな。
しかし「ヒップ, ヒップ, フレー (喝采の表現)」ってどういうものなのかまったく想像つかんけど、とりあえず、学生服にハチマキで「フレー! フレー!」のエールって、日本で独自進化を遂げすぎな気がしてきた。
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