エスカレーターで片側に寄って、急ぐ人を通すとか。
クルマで道を譲ってもらったら、ハザードを2回くらい点滅させて「ありがとう」を表現するとか。
銀行の ATM や JR のみどりの窓口でのフォーク並びとか。
これって海外では「さすが日本」と賞賛される行動らしいが。
いやさ、おいらの記憶では、ここらへん欧米から導入された習慣だったような気がするが。
そういや銀行 ATM ってさ、20年くらい前は主に「CD」「CD 機」と呼ばれてたっけな。この場合の CD とは「キャッシュディスペンサー」。辞書には「現金自動支払い機」と書いてある。
そうそう、引き出しのみの機械が CD で、預け入れもできるのが ATM だったっけな。辞書によると、
【automated-teller machine】カード・通帳を用いて,現金の払い出し預け入れ,また振り込みなどを行う装置。現金自動預け入れ払い機。
ははあやっぱしそうなのか。
CD っては音楽 CD とごっちゃになりそうだしな。今どき支払いのみの機械はなくなったってことなのかな。
しかし ATM の略さない言葉って今初めて知ったけど、"automated" と "machine" ってかぶってね? "auto teller" で "AT" でも良さげな気がするが。クルマのオートマチックトランスミッション(AT)も、日本じゃ今やそれが普通になってしまって、わざわざクルマのやつを AT と呼ぶ必要もなくなったことだし。
超常現象の説明でよく「科学で解明できない現象、理屈で説明しきれない現象が実在するのです」みたいなのあるじゃないですか。
まーそんな番組の映像なんか見ると、「やっぱしあるんだなー」と思っちゃったり。
いやさ、あるなしは結局おいらはわからんのだけど、ちょっと面白い現象に気づいたというか。
会計処理ってあるじゃないですか。決算とか予算とか。
ああいうのってさ、決して超常現象が起きないよな。いやまぁあるはずのお金がとかないはずのお金が、謎のウンヌンとかまぁこれまたよくるんだけどさ、大抵は解明できちゃうじゃないですか。解明できない場合でも超常現象の可能性は一切考えず、操作や計算の間違いや勘違い、あるいは意図的な不正行為なんかがあったはずだと考えるじゃないですか。
幽霊や妖怪や超能力者や宇宙人って、なぜか金勘定には絶対に手出ししないんだよな。
銀行口座内の金額を、呪文やら妖術やら念力やら未知のテクノロジーやらで増やしたり減らしたりってのはないんだよな。
なんでなんだろうねぇ。
トヨタにがっかりした記事。
トヨタ「乾いた雑巾」さらに絞る 今期予想、下方修正で - 日経新聞
コストダウンってそういうのじゃないだろ。我慢させるだけってのは要らなくストレスがたまるんで長続きしないよ。そのうえ余計な我慢から来るストレスやしわ寄せの影響が予期しない場所・予期しないタイミングで発生してしまうわけで、大抵は悪い方向のものなわけで。その意味でもけっこう危険な選択な気がするが。
トヨタのコストダウンって、効率化によるものがメインだと思っとったが。「ラクをしたい」を頭を使って実現すれば効率が上がってコストダウンになる、てな方針だったと思ってたが。つまり根性主義とは真逆。
「コストへの意識を高める」ってのは間違いではないと思うけどさ。社内にあるモノや仕組みって、そのひとつひとつが、導入すべきかとか更新すべきかとか現状維持すべきとか、責任者の誰かの検討を経て決定されてるものなんだよな。その検討ってのもまた、会社のお金を預かって使うもんだから、コスト意識がないとできんわけで。
けど会社員やってると、社内環境に存在するモノや仕組みって、あって当たり前に思えてしまうんだよな。んで、自分で選んだモノでも自腹で調達したモノでもないんで、けっこうぞんざいに扱ってしまってたりしてな。
社員にコスト意識を持ってもらうってのは、それはそれでいいことだと思う。けど、これでもかと社員にケチケチをやらせれば、社員が本当にコスト意識を持つようになるもんなのかと。それで本来のトヨタ流の、効率化のアイデアを思いつくようになるもんなのかと。
結局は、ケチケチ環境に順応できなくて無駄にストレスをためるか、順応して「これが普通」になるかで、どっちにしてもコスト意識との紐付けまでたどり着けないままな気がする。
語った幹部さん、トヨタの幹部なのに品質管理の理解が足りなさそうというか、その方向での発想力が残念そうというか。あるいは取材した記者さんの品質管理に関する理解力の限界で、こういう方向性の記事になっちまったのかな。
我慢させるとか根性出させるとか気をつけさせるとかって、改善活動の方法や考え方としては恥や敗北のレベルかと思うが。
つかトヨタの「乾いた雑巾を絞る」ってのは確かにコストダウンの話だけど、根性でってのは違うような。
いやいや、どうも納入業者に対しては、根性だろうが何だろうがとにかく提示した低い価格を飲ませるために、脅したりすかしたりっつうことしてるらしくてな。
トヨタはコストダウンの仕方までも下請けに厳密に強要してるわけではないだろ。だったら「仕入値を下げてくれるんなら、やり方は根性主義だろうが品質管理だろうが構いませんよ」ってことか。
しかし「乾いた雑巾を絞る」っつう例えもなぁ。
乾いた雑巾なら、かなり強い力でギリギリと搾り上げるわけで。その投入コスト(力と時間) vs 得られる水の量(見返りの額)って本当に黒字ベースなんだろうか。
普通の、素手での雑巾絞りの限界を超えるってことでして。しかもトータルコストで素手を超えなきゃなんないわけで。
そのための機械や設備と、それを効率よく使いこなす作業者や職人が必要ですな。トヨタならそこらへんどんどん実用化してそうですな。
んで結局「乾いた雑巾を絞る」式のコストダウンって、技術的に解決する話なわけで。
「我慢して節約する」はやっぱし違うんじゃないかと。
「違う」ってのも違うような。
我慢できるぶんには我慢してコストダウンすればいいわな。無理のない程度なら。
そりゃ一般的に営利企業にとって放漫経営は悪なんで、わざと無駄なことをしてるわけじゃないわけで。最大限に効率的に経営してるつもりなわけで。
てことで「今まで見逃していた無駄に気づいた」ってんなら、そこは当事者には常識の範囲内での我慢をお願いして、それ以上の利益を取るって感じですか。品質管理の範囲内ですな。まー品質管理やるなら、もっとラクに、同時にもっと効率的に、っつう解決を狙いたいところ。けどいつもいつもそんなベストな結論が出るとは限らんからな。
んで記事に帰ると、取り組みの効果が限定的なのは承知で、社員にコスト意識を持ってもらうことが目的らしい。投入した労力に対しての直接効果は赤字かトントン程度らしい。で、社員がコスト意識を持てば、これが黒字なのだっつうことで。実際はコストを投入しての社員教育プログラムの意味が強い感じ。
どうなんだろ。仕事してると、「ここでリソースをドンとぶち込んで、後でそれ以上の大きなリターンを取る」っつう場面があったりするが。
そんな時にここぞとばかりにビビって踏ん切れない人材を作っていくようにも思えるが。あるいは、社内で踏ん切った人を無闇に叩く人材とか。
環境意識の高い人の中で、妙に攻撃的な人たちっているじゃないですか。自分で勝手に決めた正義の枠から外れてる人や企業や社会に、いちいち嚙みつく迷惑な人たちっているじゃないですか。
印象で語ってしまって悪いけど、そういう偏狭な人たちを育ててしまうものに思えるような。
つか「欲しがりません勝つまでは」「贅沢は敵だ」思想にも見えるな。
ていうかレクサスやランクルの顧客層が、メーカーの中身がこんな闇雲なセコケチを正義としてると知ったら、いやどうなんだろ。顧客がゴージャスなクルマで満喫したい贅沢気分を、そのメーカー自身が否定してるようにも見える気もするが。そんな逆宣伝になりえそうな気もするが。
その一方でエコカーも作ってるからね。その層には受けるかもだけど。
日本はメダルを取りまくっとりますなー。
んでメダルとは関係なく、しょうもないことに気づいたというか。たぶんそうなんじゃないかなーというか。
どの回のオリンピックでも、柔道って日程が早いじゃないですか。レスリングって中盤あたりじゃないですか。
あれって、試合会場が共用なのかなーと思ってさ。実際はどうなのか知らんけど、柔道の日程をこなしたら、畳を取り払ってレスリングのマットに敷き替えるのかなーと思って。
別々にしろよとかいう気はなく。オリンピック開催ってカネかかるからな。共用なら無駄がなくていいなーと思ってさ。
って東京でやる場合、格闘技の会場は日本武道館なんだろうか。だったら共用が基本のような。ってそもそも武道館って、昔の東京オリンピックに合わせて作られたものだよな。
あーなんか、共用なのが普通に思えてきた。なんだそういうことか。と確かめもせずに納得。
武道館つながりというか、それにしてはちょっと遠い話題というか。
武道館の建物のてっぺんにはタマネギ型の装飾が乗っかっとりますな。爆風スランプの曲でこれをモチーフにしたのがあったな。「大きな玉ねぎの下で」ですな。
あれって 擬宝珠(ぎぼし)というものらしく。
由来は仏教の何かだろうか、と Wikipedia で起源を見るに、説としてそれもあるけどはっきりしないみたいですな。ふむふむ神道の方では、伊勢神宮にあるものがオリジナルだっつう立場ですか。「擬宝珠」の字からすると、かなり仏教っぽい味わいだが。じゃあ中国やタイの仏教にはこのデザインはあるんだろうか。とりあえずあまりピンとこないような。
つか タージ・マハル っておもっきしギボシそのものだろ。
場所はインドだけど、イスラム様式で名高い建物ですな。
つかロシアのクレムリン宮殿もかなりのタマネギだったような。って調べたら、宮殿の隣のロシア正教の教会がそれだった。聖ワシリイ大聖堂 というそうな。『ミッション:インポッシブル』でぶっ壊されてたっけかww
キュートですなぁ。つかこれがずーっとソビエト連邦の首都に在り続けたっつう事実がもうなんだかシュールな気がする。共産主義の色彩っつうと、鉄と鉄サビとコンクリと、ついでに鉛色の曇り空な感じ。それが、首都モスクワの中心地にこれですよ。しかも共産主義は宗教を否定するはずなのに、この教会はそのままの姿でソ連時代を生き延びたわけで。誰のどういう判断でこれを残すことにしたんだろ。とりあえずレーニンはオッケーだったんだろうなぁ。
タマネギ型ってどうも、源流には宗教的な何かが隠れてる気がする。日本のギボシはオリジナルを主張してる感じだけど、どうもユーラシア大陸から宗教とともに流れてきたデザインな気がしてしょうがない。
ってタージ・マハルはイスラム教、聖ワシリイ大聖堂はキリスト教なわけで。起源は アブラハムの宗教 なんですかねぇ。ユダヤ教のシナゴーグにはそんなデザインがあるのかと探してみたらば、FRAMEPOOL というサイトに出てた。このサイトの画像素材の使用にはライセンス登録が必要そうなんで、画像が出てるページにリンクを貼る形で容赦していただこうかと。どうもタマネギ型の屋根はアブラハムの宗教共通のデザインみたいですな。
で、どうも仏教では採用されなかったっぽいのに、なぜか日本で宗教的なものとしてギボシがあるわけで。そして由来不明ってことで、宗教以外のものにもデザインとして取り入れられてるわけで。アブラハムの宗教のそれとはまたクビレの部分に違いがあるわけで、輸入したにしても、あまり縛りのない状況だったんだなって感じではあるな。
ついでにその理由や権威も日本に来るときに削れてしまって、「主に宗教のものだけど、建築物のただの飾りとしてもオッケー」ってな感じになったんだったりしてな。完全に憶測だけど。
ギボシに形が似てるもので、電気部品でギボシコネクターってのがあるんですわ。リード線同士をつなぐプラグみたいなので、形が擬宝珠に似てるやつで。
「ギボシ」っつう単語を初めて知ったのはラジコン雑誌でだった。でさ、どうも表記が曖昧というか。「ギボンコネクター」と書いてるときもあって。どっちが正しいのか、長らく謎に思ってた時期があったり。
コネクターであること、電気の部品であることから、英語っぽい「ギボン」が正しいような気がしてた。その頃は「ギボシ」って言葉もまだ聞いたことなくて。本来は「ギボン」なのに、誤植で「ギボシ」になっちまってるんじゃねとか。
んでまた当時おいらは中学生でさ、英語を習いたてなわけですよ。そんで "give-on" か何かだと頑なに信じとりまして。
いやもう正解が「ギボシ」で確定なときの絶望感ときたらwwww
ああいうのって信じる理由が「なんとなく」なレベルであっても、いったん信じちゃうと乗り換えにくいのな。別に他の誰かと「ギボン」で話を通じさせてたってほどでもないんで、意地を張る理由もなかったのに。
てことで、いまだに「ギボシコネクター」っつう表示をたまに見るに、なんだか向けどころのない敵意を覚えてる自分に気づいてしまうですよ。どなたかおいらのこの変な癖を矯正してくださいませですよ。
そこまでアレな話じゃないけど、ラジコン界で広く使われてた「ナイロンストラップ」っつう名称、その部品の故郷の電気業界だと「結束バンド」だったですよ。だったら「結束バンド」でよかったろと思うんだけど、なんでまたラジコン界限定で「ナイロンストラップ」だったんだろ。
しかしあれは便利な道具だった。結束バンドは原則的に、一度閉めたら二度と緩まないのが売りでして。んで引張り強度が相当あるんで、7.2ボルトバッテリーの固定にも便利だった。
とはいえバッテリーってのは取り替えるのが普通なんで、ナイロンストラップをいちいちニッパで切るのはもったいない。てことで、それ用のナイロンストラップが開発されたりしてな。ラッチのストッパーの一端がベロみたいに伸びて飛び出してるやつ。そのベロをラジオベンチでつまんで動かすと、ストッパーが外れてナイロンストラップが緩むっつう仕組みで。あまりにも単純な発想でびっくりしたわwww ナイロンストラップは緩まないもの、っつう常識を破った見事な発明でしたですよ。
日記の遅れを少しでも取り戻すべく、今回もまた細切れだす。
『シン・ゴジラ』観てきた。鎌倉沖に再び現れたときの圧倒的絶望感ときたら……。
1990年代のゴジラをビデオで観たことあるんだけどさ。ええとビオランテとモスラとキングギドラ。チャチさがどうもね。「やっぱし日本の特撮はなぁ……」的なガッカリ感がすごくて。特撮場面もそうだけど、ドラマ部分もあんましって感じで。出演者さんたちがきちんとカッコつけて演じてるのがまた痛いというか。未来人のチャック・ウィルソンとか。
有名人を出せばプロモーションはしやすいだろうけど、チャック・ウィルソンはチャック・ウィルソンにしか見えないわけで。俳優じゃないし。彼は笑顔のカワイさがいいんだよ。なのに設定とストーリーがシリアスなもんだから真面目くさった仏頂面でな。ただの怖いオッサンでしかなくて。つか未来でもハゲを治す方法はないんだなとか妙なところに納得してしまった。
そんな真面目真面目な雰囲気なのに、特撮場面が露骨に特撮臭いのがまた変なシナジーでな。つか南の島からモスラの卵を運び出すのに商社の貨物船を使うっつう特撮があってさ、どう見てもミニチュア特撮なわけですよ。けど別撮りの役者さんの「さすが日本の商社はスケールがでかいねぇ」みたいなセリフがあってさ、いやなんかもうここまで作り手に甘えられると、騙されたふりを続けるのが嫌になっちまってww
ああそうかこの頃はまだ平成ガメラの前だな。「本物の空と太陽光を使うと、ミニチュアがすごくリアルになる」より前だな。てことで、空はホリゾント、光はスタジオ照明なわけで。快晴の設定なのに絵ヅラをドンヨリさせるんですな。つかそれより前の『帝都物語』の浅草十二階の崩壊のカットはオープンセットでな。関東大震災の時の天候に合わせて、快晴の日を選んで撮影したそうな。これがすげーリアルだったんだがな。
てなことで、おいらはどうもゴジラシリーズを信用できんでいたですよ。それが『シン・ゴジラ』ではそこらへん全部きれいに直っててさ。そりゃまぁ CG だからってのはあるけど、CG にしても、腕前がイマイチなら CG 臭くなるわけで。そういやその手の先駆けの『ジュラシック・パーク』も、今見るとアパトサウルスがいささか CG 臭いんだよな。
実写版映画『宇宙戦艦ヤマト』も、なんかリアルっぽさの作り込みがもうひとつだったっけな。表面の反射があまりにも一様なのがアレな気がする。人間の目はきっと、そこらへんのムラの加減で大きさ感を把握するんだろうなぁ。なりなりに騙されてもいいレベルではあったけど、「ハリウッド大作ならこの出来はボツだろ」とも思ったり。
んで『シン・ゴジラ』。CG 特撮がハリウッド並みに完璧。アングルとか見せ方もなんてーか、構想もビジュアルも作り込んであっていちいち眼福状態。でさ、実写パートというか役者さんたちのドラマパートというかは相変わらず超シリアス路線なんだけどさ、やっぱし特撮場面の良さが効いてるせいか、浮いてないというか。あの痛さをまったく感じなくて。
そういやドラマ設定で良かったのは、「人と人との絆、思いやり、そして愛」みたいな逃げがほとんどなかったってヤツで。この手のアクション大作じゃそういう展開は邪魔になんない程度にだよなと前々から思ってたけど、ここまで排除してくれるとああスッキリ。
『首都消失』は特撮が比較的良かったけど、映画のメインを成す謎の現象(日本の首都圏全部が、なぜか雲のような見栄えの無敵な壁に覆われてしまい、その内と外で物体の移動も通信も完全に遮断)が、登場人物たちの想いで解消してしまう展開にはびっくり&拍子抜けだったっけな。そして、結局あの雲の正体は謎のままでスッキリしねぇーwww
とはいえ『首都消失』は大規模災害発生時のシミュレーション映画とも取れるか。実際、5年前の大震災発生直後、東北地方全体が外から見てブラックアウト状態に陥ったみたいだし。あのとき(午後3時頃。地震発生から15分くらい経ったあたり)おいらは情報が欲しくて、ケータイのバッテリー残量を気にしつつ YAHOO! ニュースを見たらば、見出しは「新宿駅が大混雑」だらけ。「現地のことも出せよ馬鹿野郎」と頭にきたっけ。
けどそのタイミングはちょうどブラックアウト時だったのかもな。新聞各社とも、被災地の現場からの情報を取りたくても取れなかったのかもな。
『首都消失』と『シン・ゴジラ』ってそこが似てるよな。東京が突如の大規模災害に遭ったとき、政治はどうするのか、てな展開で。『首都消失』は『シン・ゴジラ』ほどそこは突っ込まなかったな。一般人がどうするかっつう描写もあったし。主要な登場人物の心のすれ違いなり理解しあいなりもあり。てかその人間ドラマいらねぇー。んで政治の動向の描写がそのぶん浅くなった感じで。で、人間ドラマを重視するがゆえに、「愛がすべて解決」っつうよくわからないオチ。
おお、そういえばどっちも米軍機が登場しますな。まーお決まりの展開ではあるけど、期待させといて役立たずww 『シン・ゴジラ』に至っては、かえってゴジラを怒らせて被害爆増のヤブヘビな役回りww んで、それぞれ米軍機の見せ方の違いが面白いというか。
『シン・ゴジラ』だと CG 特撮なんだから、例えば B-2 爆撃機をこれでもかとリアルに作り込んで、画面上で見せびらかすこともできたはず。けど出てきたのは、あえて暗視映像風の不鮮明なもののみ。この見せ方の趣味の良さがね、いちいちイイ映画でしたですよ。
『首都消失』は米軍の観測機の姿も中の人たちもきちんと見せてる。飛行機はかなりミニチュアっぽい。けどこれはこれで、特撮で作られた謎の雲を背景に、妙にハマった綺麗な絵ヅラで。東宝系のアナログ特撮って独特の味があるよね。うまくハマってたのが『連合艦隊』『零戦燃ゆ』『首都消失』『帝都物語』。あんましそうなってなかったのが90年代ゴジラシリーズって感じがする。
んで『首都消失』での米軍機の飛行中、翼端に セントエルモの火 が出るんだよな。乗組員たちが「おお、セントエルモの火だ!」なんて言ったりするんだけど、確かその場面は何の伏線にもならず、そこで米軍全体の出番がおしまいだったような気がする。特撮映画って予算がかかるんだから、大作映画の扱いになるわけで。だったら構想・脚本段階で大作にふさわしいだけの作り込みしてくれよと。
『シン・ゴジラ』の話題なのに、なぜか『首都消失』にばかりメーターが振れちまうwwww
ゴジラといえば電車。1954年の初代ゴジラは国電をワシ掴んだわな。新幹線が同じ被害に遭ったのは1984年公開の『ゴジラ』。ってさ、着ぐるみ特撮のゴジラだったんで、新幹線もミニチュア模型なわけで。たまたま通りかかったのをゴジラがワシ掴んで持ち上げるわけで。しかしそのカットはどうもいただけなかった。
まずゴジラの目が新幹線を見てなくてな。なんだか斜め上の虚空を睨んだまま。そこどうにかなんなかったのか。そして新幹線の中の人影が、窓の部分に貼った黒い影絵ってのがな。なんでそこまでモロバレするようなことするんだと。高層ビル群のミニチュアが見事だったぶん、そこらがトホホ差が際立ってしまってたですよ。
『シン・ゴジラ』の腕は小さい。ティラノサウルスの前足みたいに、形だけついてる風。てことで、手で何かすることはなく。新幹線は無人運転で爆弾を搭載。そのままゴジラに突っ込んで自爆っつうすごいアイデアでな。2編成が同時にシャーッとカッコよく走ってきて、庵野的な太明朝体字幕で「新幹線 N700 系」とか細かすぎる情報を出してきてな。字幕のこの趣味もなかなか。役所の人の肩書きが変わるごとに、その肩書きごと人物紹介の字幕を出すとか。もちろん太明朝体w
その後にも無人運転の在来線爆弾も炸裂でな。おいらは電車に詳しくないんで忘れたけど、字幕で車両の型番まで出してた。この演出がまたなんだかピチッと決まっててな。自衛隊の武器も全部そうだったな。
在来線の方は、ゴジラの腹のあたりの高さまで、爆発で派手に吹っ飛びますな。このカットがまた豪快で。でっかい音が出まくりなのをいいことに、おいら嬉しさのあまり「うほほほああああああはあああああ」とか変な声出しちまったwwww
あのあたりは人類側の逆襲だわな。電車攻撃なりでっかいビルを爆破でぶっ倒すなりでゴジラを転倒させては、高所にコンクリ流し込む用のあの車両で寄ってたかって毒を飲ませる。派手攻撃と地味攻撃とのコントラスト。ああーはやくはやくー。がんばれがんばれー。手に汗握る展開ですなぁ。
巨大モンスターに何かを大量に飲ませて退治って、元ネタはヤマタノオロチなのかな。して、あの車両を使うことの元ネタはきっと福島第一原発の冷却水注入なんだろうな。感じ方は人によるかもだけど、おいらは震災当時あの車両が投入されると報道されたとき、希望が見えた気がした。「その手があったか!」と、心の内で知恵者を賞賛したですよ。車両の所有者もすぐに提供する意向を示したりしてな。
映画館でも、あの車両を投入の展開で、あのときの一縷の望みを見つけた気分を思い出したですよ。
庵野監督っつうとエヴァンゲリオンのあざとさがどうもおいらはアレだったけど、『シン・ゴジラ』では正統派の娯楽大作監督として、非凡な才能を発揮されましたなぁ。個性派監督が大作監督に転身すると、その人の味が薄まっちまったりするもんだけど、エヴァですでにモノにしてた庵野演出の味のいいところは、そのまま保存されてたというかパワーアップしたというかで。大満足の一品でしたですよ。
ただ、エヴァ的なあざとさもちょっとだけ残ってるというか。一番最後のカット。思わせぶりなんだけど、おいらにはその意味がはっきりとはわからなくてな。そこを売りの中心にしてる映画ではないんで、あざとさもまぁスパイス程度ってあたりですか。「これはゴジラ映画だけど庵野映画ですよ」っつう焼印入れにも思えるような。
初音ミク発売9周年ですよ。あの日以来、世界線がはっきりと分岐したんじゃないかって気がする。もうこんなに経ったか(しみじみ)。ていうかおいらがの場合はあの年の11月初めあたりにキたから、2カ月遅れなんだけどさ。
そして長いこと普通のボカロ曲好きでいたら、あるときから「英語で歌ってみた」(勝手に "EFD" と呼んでる)にハマって ほぼじゅびふぉ を作っちまった。ここ1年は仕事が忙しくてサイト運営はご無沙汰状態だけど、通勤中のカーステじゃ毎日 EFD 曲を聴きまくりだったり。Juby さんの『ミリしら ロミオとシンデレラ』はもうかなりの間のヘビロテ曲ですわ。
あの分岐がなかったら、EFD アーティストの方々の多くは世に出なかったかも。世に出たとしても、おいらは感知できなかったかも。
そしたら ほぼじゅびふぉ は確実になかった。
JubyPhonic さん rockleetist さん kran さん JoyDreamer さん Miku-tan さん Shiroko さん SEDGEIE さん KoKo さん Lizz さん Katerinu2 さん Ashe さん Razzy さん rachie さん RO☆D さん Jenny Elizabeth さん Poucet さん Usachii さん Mes さん まど@実写リロさん Sandy Popushi ちゃん GHPZ さん Jayn さん Lσℓℓια さん leelee さん シェリーさんとかみんな(書ききれなかった方々、ごめんなさい)、そんな綺羅星たちを知り得なかったかも、と考えると恐ろしいっすよ。
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