「虚舟」ってもともと日本の文献に書かれてることなのに、なぜか英語版 Wikipedia 記事のほうが充実してたんで和訳してみた(2014.4.30)。
虚舟
長橋亦次郎による虚舟の墨絵(1844)
虚舟(中空の船?)の読みは「うつろぶね」「うつろふね」「うろふね」があり、1803年、日本の東海岸の常陸の国の岸に打ち寄せられてきた、伝承上の未確認物体のことである。記録に残っている話は、「兎園小説」(1825)、「漂流紀集」(1853)、「梅の塵」(1844)の3つである。
伝説によれば、魅力的な若い女性が「虚舟」に乗り、その海岸に現れたという。漁師たちは女を内陸に連れていき詳しく問い質したが、女とは日本語が通じなかった。漁師たちは女と舟を海に戻し、女を乗せた舟は波間に漂い流れていった。
田中嘉津夫や柳田國男のような歴史家・民俗学者・物理学者は「虚舟の伝説」を、長く続く民間伝承の一部としている。その一方、UFO 研究家の一部は、この話を第三種接近遭遇の証拠だと主張している。
目次 1 出典 2 伝承 2.1 兎園小説 2.2 梅の塵 2.3 類似の伝承 2.4 虚舟に関するほかの伝承 3 解釈 3.1 歴史的調査 3.2 現代的調査 3.3 UFO 研究 4 漫画やアニメでの虚舟 5 参照(省略) 6 外部リンク(省略)
出典
この伝説で最も知られている版は、以下の3つの文献に見られる。
兎園小説(曲亭馬琴編纂, 1825年): 今日、写本が東京都町田の無窮会専門図書館にて展示されている。
漂流紀集(作者不詳, 江戸時代1835年編纂): 今日、奈良県天理市の天理大学図書館にて展示されている。
梅の塵(長橋亦次郎編纂, 1844年)今日、奈良の岩瀬文庫図書館(私設図書館)にて展示されている。
これらの3つの書籍の内容は類似しているので、歴史的に同じ起源を持つと思われる。兎園小説は最も細部が描かれた版が含まれる。
伝承
兎園小説
1803年2月22日、常陸の国・はらやどり(?)海岸の地元の漁師が、海を漂う不穏な「舟」を発見した。彼らが好奇心からその舟を陸に引き揚げた。舟の大きさは高さ1丈1尺(3.3メートル)、幅3間(英語原文では5.45メートル)で、見た目は香炉を思い起こさせた。上部は赤く塗られた紫檀のように見え、下部は真鍮色の板で覆われていて、明らかに鋭利な岩から舟を守るためのものだった。上部には窓がいくつもあり、ガラスもしくは水晶がはめられていた。そして樹脂のようなものが詰まった棒に覆われていた。この窓は完全に透明で、当惑する漁師たちは中を見ることができた。
虚舟の内部は、未知の言語の文字で飾られていた。漁師たちは船内に、布団のようなもの2つ、2升 [同3.6リットル] ほどの水で満たされた瓶、ケーキ、こねた肉を見つけた。漁師たちはまた、18〜20歳ほどの若く美しい女性を見た。身の丈は5尺(同1.5メートル)ほどだった。女の髪と眉毛は赤く、人工的な白い付け髪を長く伸ばしていた。付け髪は白い毛皮か、薄く白粉を塗った縞編みと思われた。この髪型はいかなる文献にも載っていない。女性の肌はとても薄い桃色だった。女が着ていた服は、見たことのない、高価そうで滑らかな生地でできていた。
この女は話し始めたが、誰も理解できなかった。彼女もまた漁師の言葉がわからないようで、誰も彼女に身元を尋ねられなかった。この謎の女の態度は友好的で丁寧だったが、薄い色の素材でできた、およそ2尺(同0.6メートル)の大きさの正方形の箱をしっかりと掴んでいたのは奇妙だった。女はこの箱に触れることを誰にも許さず、目撃者たちがどれほど懇願してもそれは適わなかった。
この村の老人は言った。
「この女は、自分の国で結婚した外国の姫君なのであろう。しかし婚後に民との情事の醜聞があり、恋人は死の罰を受けたのだ。姫君は祖国から破門されたが、多くの憐れみにより死刑を免れたのだ。その代わり、宿命により虚舟に乗せられ流されたのだろう。もしこれが正しければ、四角い箱には恐らく死んだ恋人の首が入っているのだろう。昔、女が似たようなものに乗って、近くの浜に打ち上げられたことがある。そのときは鋲で首を打ち付けた小さな板を携えていた。この箱の中身も同じことだろう。女がこんなにまで箱を守るのもこれで察しがつく。この女と舟を調べるにはお金も時間もかかる。そしてこのような舟で海へ流すことがしきたりと見えるゆえ、この女は虚舟に戻し、再び海に流すのがよい。人の道として酷いことに思えるが、この女の持つ宿命でもあろう」
漁師たちは虚舟を組み立て直し、中にその女を乗せ、海へ流し戻した。
梅の塵
1803年3月、常陸の国・はらとのはま(?)の海岸に奇妙な「舟」が打ち上げられた。見た者は、米を炊く深鍋を思い起こした。舟の中程には、厚く盛り上がったフチがあり、黒く塗られていた。また、小さな窓が四方を向いて四つあった。窓には樹脂の詰まった棒があった。舟の下部は真鍮色の板で守られており、西洋の最高品質の鉄でできているように見えた。舟の高さは1丈1尺(英語原文では3.33メートル)、幅は3間(同5.41メートル)だった。船内には20歳くらいの女性がいた。
女の身の丈は5尺(同1.5メートル)で、肌の色は雪のように白かった。長い髪を滑らかに背中に下げ、顔立ちは言葉に表せぬほど美しかった。女の服装は見たこともない様式で、誰もその様式を知らなかった。女は未知の言葉を話した。彼女は小さな箱を持っており、誰にも触らせなかった。舟の中には普通でないほどの柔らかさの絨毯が2枚あり、この様式と生地もまた、知られていないものだった。またケーキや練った肉のような食べ物があった。オーナメント付きで美しく装飾された椀もまた、誰にもその様式がわからなかった。
類似の伝承
虚舟目撃について、日本に文書がいくつか残っている。「弘賢随筆」「鶯宿雑記」がその例である。2010年と2012年、珍しいインク印刷物2点が田中嘉津夫により発見・調査された。これらは虚舟についての話を含んでおり、内容は「漂流紀集」によく似ているが、事件の起きた場所が異なっている。こちらでは「みなとぼうしゅう」(港房州?)となっている。
虚舟に関するほかの伝承
日本でよく知られている伝承に、豪族・河野一族の起源がある。7世紀、興居島(ごごしま)の和気五郎太夫という漁師が、海を漂う虚舟を見つけた。中には13歳の女児がいた。和気五郎太夫は自分の土地に連れ帰ると、女児が言うには、自分は中国の皇帝の娘であり、継母から逃れるべく、無理矢理に逃がされた、とのことだった。漁師は女児に「和気姫」と名付け、養った。
和気姫は伊予国の皇子と結婚し、男児を産み、小千御子と名付けた。小千御子は河野一族の先祖となった。この民話の一部では、彼女は日本に初めて蚕の繭をもたらしたことになっている。和気姫は興居島・船越の村にある神道の神社で、今も崇拝の対象となっている。
解釈
曲亭馬琴の描いた虚舟
歴史的調査
虚舟事件の最初の歴史的調査は、曲亭馬琴(1767-1848)により1844年に実施された。馬琴は「魯西亜見聞録」(訳注: 作者「Kanamori Kinken」特定できず)という書籍について報告している。この書籍にはロシアの伝統的服装の記述があり、髪に白粉を振りかける一般的な方法について触れている。また、多くのロシア人女性の髪が生まれつき赤色で、またスカート姿でもあり、その点は虚舟伝承の女性と類似している。馬琴はこの書籍をもとに、虚舟事件の女性はロシア起源の可能性ありと結論している。
彼はよく似た2つの読本を書いた。これらの違いは小さな描写のみである(例: ある本では「2升 [3.6リットル] の水」、もうひとつでは「2斗 [36リットル] の水」)。また彼は、異国趣味の象徴のようなものが舟の内外にあったという主張の起源を調査した。彼がその読本を書くわずか前に座礁したイギリスの捕鯨船に似たようなところがあり、彼はそう確信していたからだ。馬琴は、この女性がロシア、イギリス、あるいはアメリカの王女のいずれだろうかと疑問に思った。さらに彼は、虚舟の絵について、目撃の記述とは明らかにあまり一致していないことにがっかりした旨を述べている。
現代的調査
虚舟事件の以下の調査は1925年と1962年に、民俗学者・歴史学者の柳田國男により実施された。彼は、円形の舟は古来、日本では異常なものではないことを指摘している。西洋風の詳細であるガラス製の窓と真鍮の防護板のみが、虚舟を異国趣味的にしている。また彼は虚舟に類似する伝承のほとんどが一様に、「誰かが円形の舟の中で奇妙な少女または若い女性を見つけて救出する、または海に送り返す」ということを見出した。
柳田は、虚舟の最も古い版では、質素で円形で開放型(上部に覆いが何もない)の丸太で作られた舟であることも指摘している。柳田は真鍮の板とガラスか水晶製の窓という細部は、懐疑論者が質素な丸太製の舟は外洋での耐航性に疑問を持たぬよう追加されたものとの仮説を立てた。海洋の旅で、ガラスの窓を持ち鋼鉄で強化された虚舟は、質素な丸太の舟よりも生き残りやすいだろう。
コンピュータ電子工学の日本人教授・田中嘉津夫博士(岐阜大学東京校)は1997年、原典を調査した。彼は虚舟と現代的な UFO 目撃情報の通俗的な比較という、ありそうもない検討をした。田中は、伝承の虚舟は空を飛んだわけでも、自力で移動したわけでもないことを、また途方もない工学技術もないことも指摘した。虚舟は海上で単に漂流していただけだった。田中は、虚舟の話は民間伝承と想像が文芸的混合したのものだと結論した。
彼は自身の仮説を、日本人の歴史学者・柳田國男の1925年の調査をもとに作った。柳田もまた虚舟の話を研究していた。
田中博士自身で、事件の起きた場所「はらとのはま」「はらやどり」は架空のものであることを見出している。奇談に信憑性を持たせるため、作者はその浜辺を大名・小笠原長重の領地とした。この大名は江戸時代に実在したが、彼の領地は中心地にあり、長重は太平洋沿岸の漁師とは連絡を取れなかった。
小笠原一族は有名な徳川幕府に仕えており、1868年まで日本の北東地域にまたがり権力を持っていた。主な領地の常陸の国で、地理的に東海岸にとても近かった。田中は、主張されている重要性を持つこのような事件について、公文書に記述がまったくないという奇妙なことに気づいた。この浜辺によそ者が来たら、すぐに報告しなければならなかったのにである。
しかし徳川幕府時代の後期1824年に、注目に値する事件があった。イギリスの捕鯨船が日立地方の北東沿岸で座礁したのだ。田中はまた、徳川一族が支配者の地位にある間、小笠原一族と徳川は彼らの領地の地図作りを始めたことも発見した。その地名には「はらとのはま」「はらやどり」もなかった。これらの地名は、1907年の最初の日本全図にもなかった。もし村や街や土地の名前が歴史の中で変わっていったなら、いずれかの公文書に記されているはずだが、そうなっていない。
田中は、重要な土地である「はらとのはま」「はらやどり」が実は記録から忘れられていることは、むしろ考えられないとしている。
件の女性の欧州風の風変わりな風体、虚舟上部、未知の文字についての田中と柳田は、「この話のすべては、江戸時代の人々が全体的に外界と接することができず、日本に閉じ込められていたという歴史的な要因が元になっている」との結論を導いた。座礁した女性を西洋から来たふうに飾り立てたことは、当時の人々が西洋(特にアメリカとイギリス)からの文化的悪影響をいかに恐れていたかを示している。
虚舟の物語は、この話がある立ち位置では途方もなく感じられるが、同時に自己説明(女性と彼女の乗り物は送り出されたので、彼女個人の人柄について誰も知り得ない)にもなっているという点で、意味深長な構成となっている。
さらに、江戸時代の人々はポルターガイスト、鬼火、人魂、妖怪など超常的なことへの興味を共有していた、このため虚舟のような異国の舟の話を知っても特に驚くことではなかっただろう、と田中と柳田は指摘している。
田中の結論では、地名を正しく読む難しさを指摘している。現代の筆記では、原舎は「はらしゃ」と読む。しかし「兎園小説」では「はらやどり」とひらがなで書かれている。「梅の塵」では「はらとのはま」とフリガナが振ってある。同時に、「はらとの」の漢字は「はらやどり」とも読める。田中の調査によると、「漂流紀集」での「原舎ヶ浜」の記述は「はらしゃがはま」であり、誤字をもとにした読み間違いである。この読みは、もとは「はらとのがはま」のはずである。ゆえに、すべての書物は同じ場所を記述している。
また田中は、単語「うつろ」は「空虚な」または「打ち捨てられた」を意味し、「うつぼ」は「矢筒」(狩人や弓の射手が矢を運ぶための袋)を意味することを指摘している。しかし2つの単語はまた、古い中空の木の幹と神木の節穴をも意味している。単語「ふね」「ぶね」は単に「舟」「船」であり、全体で「虚舟」とは「中空の船」となる。
UFO 研究
UFO 研究においては、虚舟の伝承は、江戸時代でのこの乗り物の墨絵と20世紀での空飛ぶ円盤の描写との類似性から、第三種接近遭遇の初期の記述事例と説明されてきた。UFO 研究家の一部は、虚舟は未確認潜水物体(USO)の可能性があると提案している。
彼らは、この描写中の付加物としてよく現れる、物体の表面にあったとされる謎めいた記号に着目している。彼らは他の人から、その記号とレンデルシャムの森事件の報告との類似性を提案されている。UFO 説の賛成者はさらに、女性が持っていた不穏な箱が彼女の外見や普通でない服装と同じく、宇宙人との遭遇の証拠だとしている。
これらの品々についての歴史学者や民族学者による仮説は、何度も黙殺されている。
漫画やアニメでの虚舟
虚舟は漫画やアニメでは人気のモチーフである。顕著な例は「モノノ怪」TVシリーズ(2007)で、「薬売り」として知られる旅行者が語る話の周りを回っている。第3〜5話にて主人公が語る海坊主の物語は、沈んだ虚舟を大きく扱っている。
この物語での虚舟は、装飾、密封された中空の木の幹であり、その中には、海の悪霊の生け贄となった若い女性の死体が入っている。
参照(省略)
外部リンク(省略)
おまけ
ドイツ版の記事(こっちも妙に充実してた。ドイツ語わかんないけど)に、国学者・屋代弘賢の「弘賢随筆」が描いた図が出てたんでがめてきたよ。
もうひとつ、曲亭馬琴が描いた別な図もどーぞ。屋代弘賢の図とかなり似てるんで、どっちかがどっちかの模写と思われ。
ていうかどれも文書や言い伝えをもとに描かれた想像図なんで、図は資料としてあんましあてになんないような……。